창작과 비평

今まで通りの生き方は止めましょう / 白楽晴 [2022.12.30]

 

国の主人である市民の皆さん、白楽晴テレビの視聴者とチャンビ週刊論評の読者の皆さん。毎年末に「新春コラム」というのを書いてきました。今回は私が少し前にユーチューブ放送を始めたため、動画でもお送りします。何はともあれ、新年も皆さんが健康で、生き甲斐ある日々を送られるようにお祈りします。

皆さん、今は国の体をなしていません。どうしてここまで来てしまったのか。しかも、キャンドル革命が進行中だと誇る国なのに。

 

キャンドルが引き起こした変則的事件

まさに進行中のキャンドル革命のために前代未聞の事態が起きている、と私は主張してきました。尹錫悦政権の登場は、キャンドル革命なしには到底起こりえない「変則的事件」だとも言ってきました。私たちのキャンドル革命は世界史的にも独特の革命であり、それは現在進行中の歴史だという事実は、一見すると、わからないかもしれません。ただ、それを除いては説明できないことがあまりに多いのです。

尹政権に対する判断も、まさにそうしたケースです。キャンドルという歴史の激変なしには、どうしてこういう政権が生まれるでしょうか。文在寅政権があげた成果は少なくないのに、キャンドル政府を自負したため、きちんと遂行できなかった部分による人々の怒りは、通常レベルをはるかに超えました。その反面、再びキャンドル政権になったらもう終わりだという、既得権集団の切迫感も並外れていました。政権奪取に成功するや否や、支離滅裂だった様々な人士が選挙時には必死に大同団結したじゃありませんか。候補が無能で、何の考えもないのが何だ、当面有権者を騙すのに一番有利な人物なら、「悪魔だってかまわない」というのが彼らの共通項でした。

それに比べ、民主党の切実さが極めて不十分なのは自他が認めるものでした。これもキャンドル抜きには全く説明が不可能です。「キャンドル対反キャンドルの戦線」は、かつての与野党対立や「進歩対保守」の対峙状況とも異なりました。民主党内部にも戦線が引かれたのです。それでも、キャンドル市民の熱意により第2期キャンドル政府を夢みる大統領候補が選出されましたが、大多数の国会議員は民主党政権の再版だけを考え、ひどい人は第2期キャンドル政府よりもむしろ政権交代を受け入れようという情緒も珍しくありませんでした。結果的に、わが国民は意外の難局に直面し、新政権の発足1年目に「これが国か」「このままではダメだ」という喊声や呻吟が聞こえるようになりました。

 

すべきことはせず、すべきでないことはすぐにやる国家

最近、159人の若い命が犠牲になった10・29梨泰院惨事を見ても、李明博や朴槿恵政権時とは次元が異なる様相です。セウォル号惨事の前例がすぐに思い浮かびますが、当時はソウル市内の繁華街で起きた惨事ではありませんでした。政府の対応が無能で、責任を隠そうと遺族へのあらゆる弾圧を行ないましたが、主部署の海洋水産大臣がいち早く辞意を表明し、大統領は本心か否かはともあれ、涙を流して謝罪し、海洋警察の解体という極端な措置まで発表しました。キャンドル大抗争が起きるまで2年余の時間がかかったのは、真相究明に対する妨害工作だけでなく、そうした「誠意の表明」があったからです。

梨泰院惨事の場合、国民の安全と生命をケアする国家がないかのように極めて深刻です。その反面、人々が死傷した後、国家は実に驚くほど迅速かつ敏捷に動きました。家族は犠牲者の遺体がどこにあるかわからないままあちこち探し、地獄の時を送るようにしむけ、遺族同士が情報交換して互いに慰め合う機会を徹底的に封鎖しました。子どもを失った親として、そこまでの経験を味あわされた鬱憤と怒りは、何人といえども筆舌に尽くしえないものでしょう。

政府のこうした反人倫的な対応は、セウォル号惨事の教訓を彼らなりに熟知していたからです。セウォル号惨事が政権にとってどれほどの致命傷になったのかを記憶しつつ、ある意味で彼らは怯えていたのかもしれません。それで、彼らなりにすばやく対応し、指弾できないように、様々な公権力を動員して遺族の口を塞ぎ、目隠しすることにしばらくは成功しました。しかし、こうした滅茶苦茶な行動をいつまで続けられるのか。結局は、より大きな憤怒と非難を浴びる段階に至ってしまいました。

 

与党とマスコミのこのザマはなぜなのか

政府はそうだとしても、国民の票を必要とする与党「国民の力」は、なぜこのザマなのか。私はわが社会で、キャンドル革命によって最も変化した集団の一つが現与党だと思います。キャンドル大抗争で大きな打撃を受けた後、彼らは水火を問わず自らの打算によって対処する集団に変わったのです。数十年間、特権と反則行為で生きてきた勢力として、相変わらず「今までの生き方」以外には考えられなくなりました。久しぶりに政権を奪還した勢いで最大限確保しようとしますが、国庫に入ってきたカネをばらまいて「いい役職」を分け合うのは大統領が掌握した行政府です。「国民の力」の人々が犠牲者や遺族を相手に口では憚られる言葉を堂々と繰り返すのも、国民ではなく大統領に合わせた発言です。

言論もまた、このザマはなぜでしょうか。軍事独裁期の弾圧に比べれば検察王国の剣の舞も怖いことはないのに、「お調子合わせ」の言論がこれほど多い現実もまた吟味してみるべきです。いわゆるレガシー言論のこうした形容もまたキャンドル時代の特徴です。この場合も、戦線は「朝・中・東(朝鮮・中央・東亜の三大保守系新聞)対進歩系新聞」から朝・中・東より多少は良いという言論内部へと移動し、より明確にはキャンドル市民が体ごと言論活動に参加するユーチューブ、SNSなど「草の根言論」と既成言論の間に線が引かれます。もちろん、レガシー言論にも良い人々がいます。しかし、言論社自体で見れば、読者を確保するための報道競争よりも広告界の大手を確保する事業に主眼がおかれてきました。昔であれば、新聞社ごとに他人ができない「特ダネ」をとろうと熱をあげ、記事を逃した他社の記者は「落ダネ」だとデスクに怒鳴られたりしました。だが今は、ユーチューブに優れた単独報道が出ようとも一致団結して無視すれば誰も「落ダネ」しなくなる、いわゆる「沈黙のカルテル」が形成されたのです。

今日は政界や言論界だけでなく、わが社会のあちこちに「魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)」が出没するような時代です。元来、それはなかった存在ではなく、日陰に隠れて活動していたのが日向に出てきたもので、これもキャンドルの威力と言えば威力です。ただ、そうした成果を掲げるだけで、彼らを退治して改善できなければ、魯迅が言う「精神勝利」の極致になるでしょう。

 

「退陣」の様々な種類とケース

セウォル号惨事は朴槿恵政権の2年目に起きましたが、梨泰院惨事は尹錫悦政権の1年目に発生しました。惨事から2年余り経って朴槿恵に退陣を要求するキャンドルデモが本格化した反面、今回は退陣運動がすでに起きている状況下で惨事が起きました。だから、尹錫悦政権の退陣は朴槿恵の退陣よりもっと確実だと断定するつもりはありません。2016~17年大抗争の再現を期待するのは、時代ごとに新たな解法を求めるべき課題を疎かにする態度だと言えます。ただ、国らしい国を創るためには尹錫悦大統領はぜひとも辞めさせるべきだと信じる人なら、彼の退陣問題も想像力を最大限展開し、錬磨する必要があるのです。

退陣というのも様々です。朴槿恵大統領のように弾劾によって強制退陣されるケースがあるかと思えば、李承晩大統領のように自ら進んで下野するケースもあります。当初、朴槿恵氏もデモの群衆が下野を要求したのに、ついに聞き入れないので憲法の手続きに従って罷免されたのです。李承晩は自ら進んで退陣しましたが、警察の発砲で流血事態が起きた後に実現した下野なので、そうした経路を踏襲してはならないでしょう。

外国の事例では、任期途中で辞任したニクソン大統領がいます。彼はウォーターゲート事件で弾劾が確実になるや、事前に辞任する選択をしました。だがこの時、彼は自分の活路をつくって辞めた点が特異です。フォード副大統領が大統領を承継してニクソンを赦免したのです。それへの猛反発でフォードは再選に失敗しましたが、とにかく大統領下野のもう一つの事例になりました。米国と韓国は制度が違うため、これも一つの参考資料にすぎません。しかし、「尹錫悦退陣」を本当に実現しようとする人ならば、退路を開けて退陣させる方式が果たして望ましいのか、つまりキャンドル市民の同意を得られるのか、そうだとしても誰が主導して調整し、どのように実現できるのか、様々な可能性をじっくりと検討すべきです。

「いつ」なのかによって「どのように」も異なるのです。2027年なら、任期満了で尹錫悦退陣は自然に実現します。ある人はそれが正常であり、望ましいと考えるでしょう。その時まで我慢して頑張る以外に道はないと諦める人もいます。でも、諦める人は「これでは生きられない」という大衆の切迫さを国の主人として判断しているのか、今まで通りにあと4年生きたら社会や国がどんなザマになっているのか省察してみたのでしょうか、聞いてみたいものです。

 

早期退陣の論議も実事求是の精神で

朴槿恵時代に弾劾が実現した4年目に該当するのが2026年です。ただ一度も進んだことのない道を苦労して切り開き、後れながらも政権退陣を実現させた時と、すでに弾劾を行なった歴史では時間表が異なります。1年目から退陣を主張していて3年経っても成功できないのに、4年経ったらやめる人に退陣運動が火を噴くのは難しいでしょう。

だから、さらに前倒して2025年に希望をかける人もいます。2017年が第20代総選挙の翌年だったように、2025年は第22代総選挙の翌年です。総選挙で野党系が大きく勝利して弾劾の定足数を確保するとか、与党が分裂して退陣が実現するだろうという期待です。しかし、キャンドル市民の要求をその時点まで実現できなかった野党系が総選挙で大勝利するかは疑問です。その上、再選に成功して2028年まで蜜の壺一つずつを確保した国会議員が、キャンドル革命の前進にどれほど情熱を示すかもわかりません。

2024年総選挙の年に期待をかける人も少なくないようです。これは「2025年待望論」と通じる発想です。ところが、歴史的に選挙というイベントは革命には毒になりがちなものでした。もちろん、独裁がとてもひどい状況で「選挙革命」というのは起こりもしますが、圧倒的多数の議席をもつ野党が2024年まで成果を上げられないのに、あと20~30議席ほどあれば必ず退陣させようと言った場合、果たしてどれほど好意的に国民が応じるでしょうか。この問題も実事求是の精神で接近すべき事柄です。

キャンドル市民の直接行動を論じれば、2016年は12月にピークに達して国会の弾劾決議を引きだしました。次いで憲法裁判所が弾劾を認める時まで、市民らは寒い冬を頑張り抜きました。2022年のキャンドル行動は、そのレベルにまで到達できないまま厳しい寒さを迎えました。決意に満ちた市民がこのヤマ場を乗り越えてデモの熱気を維持したならば、新年の春頃には最高潮に達する可能性はあります。しかし、熱気が2023年を越えて総選局面まで続くのは大変で、退屈な対峙状態が続くかもしれません。

2023年になると総選以外は考えない人々が急に増えるものです。こういう時、選挙がキャンドル革命の毒になると考える代わりに、どのようにキャンドルと相乗作用を起こせるのか、知恵を集めるべきです。有利な点の一つは、民主党に第2期キャンドル政府の建設を夢みる代表がいるという点であり、与党「国民の力」でも選挙を前にした状態なので、尹錫悦の看板で自分が当選できるだろうかと悩む議員が増えるはずだという点です。火を噴きはじめた経済危機の本格的な到来と庶民生活の極限的な下落がどういう影響を及ぼすのかは予測困難です。概して、革命は経済が最悪の状態を脱するか、少し良くなりはじめた時に起こるというのが定説です。しかし、キャンドル革命を起こして推進中の市民が、経済まで滅ぼしかねない反キャンドル政権を罰する問題は次元が異なる事案です。

 

「開闢の世」の門口で

世界的な経済危機と日増しに実感される地球生態系の危機を前に、あまりに国内政治に熱中しているという批判もあるでしょう。当然、より大きな世界の大事も考えるべきです。今まさに当面する国際的な難題をみても、米中葛藤という難関をどのように解くべきか、米国と日本への追従に熱をあげる政権下では息が詰まります。朝鮮半島の軍事的な緊張も2017年よりむしろ危険なのに、現政権は反転させようとする能力はもちろん、意志さえないように思われます。

ともあれ、いま私たちが足をつけて暮らす大地で展開される惨憺たる現実を無視して行われる巨大言説や巨視的な展望は閑人の雑談にすぎません。実際に、この地に国らしい国を建てることは韓国社会に限られることではなく、現存の世界体制としても関鍵的な事案です。朝鮮半島の分断体制は世界体制の核心的な一部であり、弱い環なのです。そのため、キャンドル革命は既存の世界の大勢に逆行する作業であり、国内外を問わずに既得権勢力には許しがたい事態です。尹錫悦政権の登場は変則的な事件ですが、体制化された分断の現実とそれを支えてきた強大国の既得権層の同調という、それなりの土台があってこそ発生した事故(死苦?)なのです。私たちがこれまで通りに考え、暮らしていては決して勝てません。分断体制の力は強いのです。

とはいえ、私たち民衆も民族も知恵深く、頑張りぬく力は強いのです。朝鮮王朝の没落期に東学という新思想が生まれ、この地で後天開闢運動を開始しました。東学革命は莫大な犠牲により敗北しましたが、民衆の覚醒と献身を示したもので、植民地下での三・一革命のような変革の努力が分断時代にも持続し、南ではついにキャンドル革命を起こして「成就の歴史」となりました。幸か不幸か、私たちはキャンドル革命の渦中で、変則的に台頭した政権との対決というかなり鮮明な目標をもつに至りました。朝鮮半島と人類社会全体の大革新、大転換に決定的に寄与できる恵まれた時期を生きる栄光を享受しているのです。

新年にあたり、皆さんが健康かつ生き甲斐ある日々を送られますよう、あらためてお祈りします。

 

 

 

 

白楽晴(チャンビ名誉編集人)

翻訳:青柳純一