창작과 비평

大統領の政治的運命を決定する瞬間 / 李南周 [2023.3.14]

 

 昨年の大統領選挙から1年が過ぎた3月6日、朴振外相は強制徴用の賠償問題に対する解決法を発表し、同日尹錫悦大統領はこれを「未来志向的な日韓関係へと進むための決断」と評価したという事実も発表した。批判を浴びた大統領の三・一節記念辞により予見された事態ではあるが、これほど一方的な降伏に近い結果が出るだろうと予想していた人は多くない。

 最高裁の判決を全面的に否定する政府の決定、加害責任を否認する日本に対していかなる手段も取れなくなった結末、そして日本の半導体素材の輸出規制措置に対する対応として実現したWТО提訴をまず撤回しようという立場など、一つ一つが主権をもつ国家が遂行した外交の結果とは考えがたい。日本とのこのような合意がないからといって、経済的にまた安保的により大きな危機に直面するとは思えないから一層受け入れがたい解決法である。北の脅威に対する日韓協力が強化できるようになったという主張もあるが、他の方法はないのかという問題はさておき、日本との軍事協力というもっと厳しい批判を浴びる可能性がある。中国牽制のための日・米・韓協力を強化するという解釈も少なくないし、これが米国の一貫した立場だとはいえ、これまた屈辱的な協商を急ぐほどの至急の問題でもない。こうした解釈は、むしろ今回提起された解決法が私たちの国益や問題の発展的な解決には程遠いという事実を傍証する根拠と思われる。さらに、東北アジアレベルの冷戦的な対決構図を強化することで、私たちの経済・安保リスクをより高める結果をもたらす論理であると思う。

 尹錫悦政権としては、今回の三・一節記念辞や強制徴用の解決法が日・米に善意を示した一回きりの事件で終わることを期待しているかもしれない。未来志向的に進むべきだという主張などは、そうした期待を表明するものと思われる。だが、その期待とは異なり、今この“瞬間”が中・長期的な影響を及ぼしうる。歴史的に特定の瞬間が政治的指導者の運命に決定的な影響を及ばした事例は少なくない。

 大統領制の歴史が長い米国では多くの事例が言及できるが、その代表例は、ウォーターゲート事件が広がった1973年11月17日、ニクソンが記者との論争過程で「私は詐欺師ではない」(I am not a crook)という有名な言葉を吐いた時である。その後、ニクソンがウォーターゲート事件に介入したという事実が明らかになり、1974年8月彼は弾劾される前に自ら大統領辞任の道を選んだ。また、時間がかなり経った後で、特定の瞬間と政治指導者に対する評価が緊密に結びつく場合もある。1987年6月レーガン大統領はベルリンで演説し、ゴルバチョフソ連共産党書記長に向けて「この壁を取り壊せ」と促したことがある。当時として敏感な主張だったが、2年後にベルリンの壁が崩壊すると、一種の予言的な演説として受けとめられ、これが冷戦を勝利に導いた大統領というイメージをレーガンに与えた。特定のある瞬間と大統領としての運命、大統領職に対する評価を直接結びつけることには飛躍があるだろうが、ある瞬間の決定が政治指導者の運命に大きな影響を及ぼしうるという点は否定できない。

 私たちにもより明確な事例がある。2014年4月、セウォル号惨事が発生した当日、当時の朴槿恵大統領は事件発生から7時間半たって公開の場に姿を見せ、「学生たちは救助服を着ていたというが、そんなに発見するのが難しいのか」と発言した瞬間である。当時は悲劇的な状況に対処するのが最優先だったので、大した批判は浴びなかった。だが、救助活動が一段落した後、この発言の問題点に注目する主張が増え始めた。個人の資質とは別に大統領の発言は高度な統治行為という点を直感的に理解している国民は、沈没しているセウォル号の船内にいる学生らの状況に対する無知を露呈させたこの発言により、統治システムの誤作動を示す事態だと認識した。朴槿恵政権に対する国民の基本的な評価は、あの時すでに下されたといえる。その後、支持率に浮沈はあったが、統治体制の非正常さを再確認させた崔順実の国政壟断事件と結びつき、2016年秋にはキャンドル大抗争を爆発させた。

 今回の瞬間も、時間がたっても忘れられないだろうし、尹錫悦大統領と現政権の運命を決定づける瞬間として事後に召喚されるだろう。強制徴用問題は国民の安全を守る国家の役割という議題(アジェンダ)を内包している。その役割をこのように安易に放棄することは、何をもっても合理化できないし、尹錫悦政権に対する国民の判断を固めるだろう。昨年の10・29梨泰院惨事の時も、国民の安全に対する責任を痛感するより、責任を転嫁する対象を探すのに汲々とした姿を目撃しているので、一層そうである。短期的には首脳外交などのイベントにより視線をしばらく他のところに向けるかもしれないが、この瞬間の問題点を重ねて確認できる事態が今後も繰り返し出現するだろう。誰よりも尹錫悦大統領自身が政治指導者として、特にキャンドル革命を遂行する国民の指導者として、大韓民国の歴史や自らの役割に対する極めて不適切な認識から脱皮し、新たな姿を見せてくれる可能性は低い。むしろ尹錫悦政権は問題を隠すために、もっととんでもないことをやりかねない可能性が高い。そうした行状は、昨年の訪米中に「バイデン/オフレコ放言」事態で確認されている。忠清北道知事の「喜んで親日派になろう」という発言も、今後展開される事態への前触れである。

 当面は暴走する政府を牽制する手段が特にないので、多くの人々は忸怩たる思いをしている。その忸怩たる思いは性急さの表現でもある。その性急さは尹錫悦政権に向けた憤怒を現してはいるが、単純な憤怒の表明からもう一歩進めて、現在の逆行の深刻さに対する真摯な論議へとつなげていくこと、問題を克服するためのビジョンへの共感を形成しようとする努力を難しくすることもある。サイバー上の解決策に没頭するとか、問題がすぐに解決できないように見えるとたやすく挫折に陥ったりもする。この場合、歴史の重要なヤマ場で国民自らが解決策をつくりだしてきた、私たちの経験を思い浮かべる必要がある。その解決策は、時間が流れた後の評価では自明のことだったという式の錯視効果を生み出すだろうが、いま面前に登場するまでは、あるいは登場した直後でも多くの人々には想像しがたく、受け入れがたいものであった。キャンドル革命がつくりだした政治的ダイナミズムが作動している今は、特にそうである。このようにみると現在必要なのは、ともに解決策をつくりだす過程を触発すること、さらにその過程を持続させようとする態度と、それに基づく実践である。そして、その過程で形成された解決策への忠実さを立証した人物と勢力が歴史の中心に立てることだろう。

 

李南周(聖公会大学教授、『創作と批評』編集主幹)

翻訳:青柳純一