창작과 비평

[特集インタビュー] 障害、福祉ではなく人権として考えよう / キム・ジウ·李智映

 

創作と批評 200号(2023年 夏)目次

 

特集インタビュー

 

障害、福祉ではなく人権として考えよう

 

 

李智映(イ・ジヨン)

 

 

昨年の春、憤りを禁じ得ないニュースが数多く報じられた。その中でも個人的に最も心苦しさを感じたのは、全国障害者差別撤廃連帯(以下、全障連)のデモに関するニュースであった。政府とソウル市の無責任な対応にも憤りを感じたが、ソウル交通公社の多分に敵対的な地下鉄デモへの対応文献が公開された際にはかなりの衝撃を受けた。何よりもデモを行っている人々を罵る一部の市民の態度は混乱と傷跡を残した。こういった事態が、あたかも「障害者」と「善良な市民」の対立のように見せかけて分裂させる政治家たちのせいなのか、それとも偏向的なメディアの報道のせいなのか、そうでもなければ、自分自身が生き残ることにしか関心のない我が社会の素顔の表れなのか、全く判断がつかなかった。各種のコミュニティーやニュースのコメント欄に溢れる憎悪発言を目にする度に、眠ることができず、せいぜい憎悪発言を批判するコメントに「いいね」を押したり、 「全障連」に後援金を送るくらいしかできなかった。

心苦しい闘争現場の一方で、私の目についたのはキム・ジウさんであった。彼女は「転がれグルさん(Rolling GURU)」(youtube.com/@rollingguru0829)というYouTubuチャンネルを運営しているユーチューバーでありながら、『言いたいことがいっぱい、グルです』(ヒューマニスト、2022)というエッセイを出版した作家であり、そして社会学科3年生の大学生でもある。普段、聞いていたポッドキャストを通じ「グルさん」を知った私は、彼女の活動を見て多少衝撃を受けた。障害者であり、若い女性であるという少数者性をこれほど楽しみながら突破する人がいたなんて!「今月の車いす」と名付けたコンテンツを通じて、韓国の伝統衣装と花輿、新婦とウェディングなど、様々なコンセプトの「車いす飾り」 画像を披露したり、車いすに乗ってトイレに行く方法などを試演するショート映像を投稿したりもしている。ウィット溢れる彼女のエッセイは、推薦文を書いたイ・ギル・ボラ監督の説明通り「正常と非正常の隙間を愉快に、自由に、クールに飛び交っている」のだ。これまで彼女は脳病変障害者として生きてきたキム·ジウの人生と彼女を取り巻く世の中について語ってきたが、それが彼女の意図したものであろうが、そうでなかろうが、女性障害者の可視化という結果へとつながっていると思われる。空気の澄んだある春の日、障害者用のコールタクシーに乗って待ち合わせの場所に着いた彼女からは、予想通り愉快なエネルギーが感じられた。

 

 

車いす生活をする障害者にとって旅行とはどのような意味があるのだろうか。キム・ジウさんは、昨年の冬、日本、台湾、香港などを旅行したが、彼女にとって海外旅行とは、自然にその国の障害者のの移動利便性のレベルが体験できる機会になるという。日本旅行のVlog(ブイログ)では、空港のエスカレーターがスイッチ一つで車いすが乗れる平らなスペースに変身(?)する場面が印象深くて彼女に聞いてみた。

 

「日本旅行は今回で2回目なんですけど、行くたびに『ここなら行きたいところに行けそうだな』って思うんです。普段は外出すると、歩道のブロックは割れてデコボコしていないかとか、道路と歩道の境目に段差はないかとか、色々気を使うんですけど、日本ではそんな心配はないんです。入口が階段になってても、見回すと必ず車いすでも入れる入口があったり、インターホンを押すと職員が出て来て助けてくれたりするんです。バスも同じで、バス停で待っていると運転手さんがバスを止めて、まず私に行き先を聞いてから、降りて来てスロープ坂を出してくれるんです。バスの乗客たちも慣れた感じで気にしないから、私も全然気を使わなくてもいいんですよ。だから、旅行から韓国に戻ると、変えないといけないこととか変えられそうなこととか、色々見えてくるんです。

正直、台湾に行ったときは、もっと驚きました。街中で障害のある人たちを見かけることが多くて。しかも地下鉄に乗った時なんて、私の乗った車両に私以外にも車いすの人が3人もいたんです。この人たちは皆、職場に行くんだろうなあって思いました。韓国では一度も見たことのない光景だったから、ちょっとショックを受けたんですけど、周囲の乗客たちは全く気にしてませんでした。一緒に旅行に行った父親と『韓国だったら、全障連のデモだと思って乗車拒否されてたかもね』なんて冗談言ったりしてたんですよ。」

 

そんな彼女の冗談に思わず笑ったが、なぜか胸が痛んだ。全障連の地下鉄デモをめぐる激しい論議の真っただ中にあった昨年の初め、彼らを支持するコメントをSNSに投稿した彼女は、悪質なコメントや誹謗中傷に苦しんだ。当時の心境を彼女は、「正直言って、怖かったです。でも、自分が若い障害者として、今まで戦ってきた先輩たちに借りがあると思うんです。だからどうすれば、お返しができるか悩んで、自分の得意な分野で手助けしようと思ったんです」と回想しながら語った。彼女が攻撃の的となった理由は、2022年4月「今月の車いす」番外編として「毀損されない叫び、毀損できない声」というテーマで全障連のデモに使われたステッカーのデザインで車いすのスポークガードを飾り、地下鉄の駅で撮影を行ったからだ。(全障連の朴敬石(パク・キョンソク)代表は、彼女の贈ったこのスポークガードを車輪つけてデモを行ったこともある。)このように、自分の発信したメッセージが現実では、大げさに解釈されたり、思わぬ方向へと展開したりするような経験について彼女がどう考えているか気になった。

 

「ユーチューバーとして活動を始めていつの間にか7年目なんですけど、正直言って大それた理由があって始めたわけでもなく、本当に‘ただ’始めただけなんです。昔から目立ちがり屋でおっせかいな方だったからYouTubeは私にぴったりの舞台だなって思いました。それで自分の強みって何かなって考えてみたら「障害」だったんです。当時は障害を持ったユーチューバーなんて殆どいなくて。だから、障害者である自分の話を隠さず率直に発信したいと思いました。世の中には、何の理由もなく障害者を嫌う人もいるけど、それは障害者に接する機会がなくて、どう接すればいいのか分からず避けている人の方がはるかに多いって信じてるんです。だからって、彼らが正しいというわけではないんですけど、障害者の日常を可視化する必要はあると思ったんです。

でも、今はまた違う目標ができました。殆どの人が、私が障害者に対する認識改善のための動画を作ってると思っているようですけど、私はそう思ったことなんてありません。困っている障害者に非障害者が助けの手を差し伸べるような動画を見ながら、非障害者の人たちは『ああ、まだ世の中には人情が溢れているな』って感動を受けるかもしれないけど、私は、感情移入しちゃってとても見ていられないんです。それで気付きました。『こんな動画を作った人たちはたぶん障害を持った人たちがこれを見るとは思わなかったんだろうな』って。私は、障害者も見て共感できるような動画を作ろうと思ってます。内輪話もしたいですし。」

 

実際に彼女のYouTubeには「車いすに乗ってるのに生理の時はどうするの?」や「障害女性の合コンエピソード集」など、思わずクリックしてしまうようなタイトルの動画がよく投稿される。時には頷かされ、時には怒りを覚え、時には笑いがこみ上げる彼女の動画を見ていると、障害は克服しなければならない対象ではなく、慣れなければならない状態だという彼女の言葉に頷かされる。「動画を見た人たちが多少は心苦しさを感じ、多少は戸惑いを感じてほしい」(『言いたいことがいっぱい、グルです』、129頁)という彼女の願いは少しずつではあるが、実現しつつある。

しかし、少数者に対する嫌悪感が強い韓国社会の中で障害を持った女性が顔を出してユーチューバーとして活動するということは、間違いなくリスクの高い行為だ。10代から活動してきた彼女は、これまで数えきれないセクハラや「障害者ってのが自慢なの?」といった嫌味の混ざった書き込みなど、絶えず攻撃の対象となってきたことを正直に打ち明けてくれた。その対処法をそっと聞いてみると、彼女は悪質なコメントが「無料コンテンツの供給源」と言いながら声を出して笑った。

 

「障害者のくせにかわい子ぶるなっていうコメントがあったから、「私はかわい子ぶってるんじゃなくて、生まれつき可愛いだけだよ~」(2017年に放送されたドラマ『サム、マイウェイ』の台詞で流行した言葉)って返信コメントで、言い返してやりました。私のチャンネル登録者たちはコンテンツとして『悪質なコメント読み』をするとすごく興味を持ってくれて、一緒に怒ったり、共感してくれたりするんです。私はとんな悪質なコメントでも、どうしてそんなコメントをするのか、ひとまず冷静に距離を置いて考えるようにしています。社会的文脈抜きでは解釈できないと思うからです。例えば『車いす生活の利点』のような動画には、十中八九、『いい加減なこと言うな、車いすに乗ってて何がいいんだ』といったコメントがつくんですけど、その理由をじっくり考えてみると、きっと彼らは障害と幸福が結びつくとは考えられないんですよ。メディアではいつも障害を悲観的で悲劇的な事件と結びつけて消費してますからね。こういった悪質なコメントが複雑な思考回路を経て書き込まれたというよりは、ネット上のコミュニティーなどで脳裏に刻み込まれた表現をそのまま条件反射のように書き込んでいると思うので、そこの繋がりを遮断する必要があると思うんです。」

 

彼女のメンタルの強さに多少は安心したが、同時に障害を持つ女性の二重の苦しみに注目すべきではないかと思った。キム・ジウさんは「障害女性」という言葉に初めて出会った瞬間、胸がときめき、寂しさが和らいだと言う。

 

「どこに行っても、自分自身を正確に言い表せないもどかしさを感じていたんですけど、『障害女性』という言葉を知った瞬間、そういった感情がすっかり消えてしまいました。たしか、2015年前後にファミニズムが再燃して、女性言説が活性化したんですけど、その時に『健康な女性』というのが一つの目標として浮上した気がします。つまり、熱心に運動して体力をつけて社会に出て成功した女性が、ロールモデルとして設定されたんです。でも、『私の周りの女性たちは運動もできないし、就職も殆どできないのに、こういう人たちはどうすればいいんだろう。』っていう疑問を抱きました。女性としてファミニズムには共感できるけど、障害者としてのアイデンティティーは疎外された気がしましたね。」

 

女性と障害という二重のアイデンティティーの中でだけ自分自身が正確に理解でき、表現できるという彼女の言葉に、改めて「交差性」について考えてみた。少数者たちが、お互いに同様の、又はそれぞれ違った抑圧に対して自由に語り、時には利害関係が衝突し合うこともあるという事実をしっかりと受け止めて、それにもかかわらず、常にお互いに連帯し合う方法を共に悩むことで、交差性の概念が正しく理解でき、運動と結びつくのではないかと思う。彼女のYouTubeの人気コーナーである「D-Sisters」(Dは’different’, ’disabled’, ’diversity’を意味する)は、視覚障害者のウリョンと聴覚障害者ハゲウォルと一緒に撮影したコンテンツである。お互いの日常とそれぞれの悩みを正直に打ち明ける彼女たちの話に耳を傾けていると、障害のある女性という共通点がありながらも、お互いの違いを知り、理解し合うことで、より親近感を感じていることが分かる。彼女たちと一緒にいると、一層リラックスして自由な「グルさん」を見ているとこちらまで楽しくなる。

キム・ジウさんが投げかけている様々な少数者イシューを辿ってみると、自然に「介護問題」へと辿り着く。介護と障害者権利の関係について彼女の考えを尋ねると、「介護言説については、まだ勉強中ですけど、介護が私的な領域として取り扱われてはいけないと思います」と語った。そして、彼女が真っ先に思い浮かべたのは、家族の中でも最も重荷を負わされている母親の「ヒョンミ」であった。

 

「ヒョンミは私に障害が生じると、真っ先に会社を辞めて、10年以上も私を介護するために、病院を行き来しながら生活したんです。もう20年も前のことですけど、今も障害のある子どもの介護は母親に押し付けられることが多くて、家族に介護する女性がいないと、施設に送られるケースが殆どです。障害児を持つ親が無理心中を図ったというニュースをたまに耳にすることがあるんですけど、それだけ社会が障害者の介護問題に関心を持っていないからだと思います。

でも、私は母親に『崇高な犠牲』を払う介護の修行者じゃなくて、他の違った平凡な一面もあるということを伝えたかったんです。それで本にヒョンミとテギュンの恋愛話やヒョンミが小児病棟で他の保護者達と一緒に補助ベッドをくっつけて、こっそりつぶ貝の和え物をおつまみに焼酎を飲んで看護師にばれて注意されたエピソードなども盛り込んでみました。考えてみたら、小児病棟にいたお母さんたちは皆20代から30代の若いママさんたちだったから、どれだけ息の詰まる思いだったでしょうか。」

 

彼女は、自分の本の中で母親と父親を「ヒョンミ」と「テギュン」と呼んでいる。自分の成長過程を説明するために彼らを登場させているのではなく、自分と影響を与え合う主体として捉えようとする意志が伝わってくる。彼女は介護の感覚を具体化する存在として、ペットを例に挙げている。他の家族には遠慮なく飛びつく犬の「チュー」と猫の「クミ」も、不思議と彼女には遠慮がちな行動をとるという。それは自分がいつも転んだりけがをしたりする様子を見て、ペットたちにも気遣いというのが身についたのではないかと彼女は語った。このかわいいエピソードは(種を越えて)、我々が個別的な単独者というよりは、相互依存的な存在であることを物語る小さな手がかりではないだろうか。

 

活気あふれるキム・ジウさんの話に夢中になっていると、いつの間にか最後の質問をしなければならない時間になった。「障害者権利と関連して、25年後の韓国社会の見通し」についてだ。気の遠くなるようなこの質問に、私なりの考えをまとめてみると、障害者と非障害者が同等な市民という事実が疑問視されないよう、それを絶対的な事実にしなければならないと思う。彼女に25年後をどう見通しているか尋ねると、「私も50歳のキム・ジウという人物がどんな生き方をしているのか想像してみました」と言いながら、まず障害者権利についての考えを語ってくれた。

 

「以前、障害者の尊厳と権利を保障するために制定された国連の障害者権利条約に目を通したことがあるんですけど、驚くことに、『福祉(social welfare)』という言葉が一度も出てこないんですよ。逆に韓国では障害者関連の政策を展開するたびに、いつも『弱者』云々ということが多くて、たとえ善意から出発したとしても、障害者を弱者として決めつけるのは、それ自体が同等な市民として見ていないという無意識的な思考じゃないかと思うんです。私は、何よりも移動権を保障するのが障害者権利の第一歩だと思います。勉強にしろ、就職にしろ障害者が自立して生活をするためには、家の外に出ないと始まりません。外に出られないのに福祉施設や支援金を増やしたって意味がないんです。障害は福祉だけでは解決できないという点を明確にしたいですね。」

 

彼女が言及した国連の障害者権利条約の中の「個人の移動性」に関連した第20条第1項にはこう書かれている。「障害者が、自ら選択する方法で、自ら選択する時に、かつ、負担しやすい費用で移動することを容易にすること。」この条約は2009年、韓国内で発効され、国内法と同様の効力を持つが、昨年の2022年末になってようやく選択議定書が批准された(選択議定書は「個人通報制度」と「職権調査制度」が含まれており、当事国の条約履行をさらに促すことができる装置である)。しかし、実質的な権利保障への道のりは険しく程遠い。というのは、昨年の1月にも「交通弱者移動便宜増進法」という法が国会で可決された。しかし、予算の編成は義務化されなかったため、低床バス(ノンステップバス)を追加導入し、地下鉄駅のエレベーターも追加設置すると公言した政府と自治体の約束は、結局予算削減を理由に殆ど守られなかった。これが、全障連がデモを起こした直接的な理由である。

 

「イギリスの障害者団体がバスと電車を占拠してデモを起こしたのが1995年なんです。それから約25年後の今の韓国で似たような運動が起こっているわけだから、少なくとも25年後には私たちも障害者の権利が少しは伸張し、障害者たちの声が響き渡るような社会になっているんじゃないかと願いたいですね。」

 

1995年に起きたイギリスの障害者の権利保障デモは、およそ10万人が参加し、障害者の活動家たちは線路に飛び降りて電車を止めたり、車いすでメイン道路を塞ぎ、バスが動けないように車両の下に体を押し込んだりして闘争した。イギリス政府は、その年「障害者差別禁止法」を制定した。25年前のイギリスと現在の韓国を結び付けて説明する彼女の表情にかすかに微笑みが浮かんだ。果たして25年後の韓国はどうだろうか。

 

 

「未障害者」という言葉がある。現在は障害のない人も予期せぬ事故や病気、老化などによって障害を持つ可能性が高いため、障害者と非障害者に分けるよりも障害者と未障害者に分けた方がより正確な区別の仕方という主張から生まれた言葉だ。障害者たちの移動権闘争のお陰で設置された地下鉄駅のエレベーターを、主に高齢者の乗客が利用しているという現実を思い浮かべると、一理のある主張だと思われる。ならば、現在の韓国は、自分自身を非障害者と「勘違い」している人たちの声で溢れているのではないだろうか。

キム・ジウさんは、先輩の障害者たちに借りがあると言ったが、未障害者の私にとっては、全ての障害者に借りがあるような気がする。ちょうど原稿の締切日の4月20日は「障害者差別撤廃」の日であった。今後、多くの障害者に優しい社会を作り上げるためにも、我々が具体的な実践方法を話し合うことができればと思う。「我々に最も必要なことは、単なる理解を超え、我々が心の奥で信じており、知っている真実を実際に暮らしの中で実践して語ることで、そのような真実を人々に知らせることです。(…)我々の手足を縛っているのは違いではなく、沈黙です。そして、打ち破らなければならない沈黙はあまりにも多く存在します。」オードリー・ロード(Audre Lorde、『シスター・アウトサイダー』、ジュ・ヘヨン、パク・ミンソン共訳、フマニタス、2018、51~53頁)

 

 

訳:申銀児(シン・ウナ)