창작과 비평

[寸評] ピョン・ジェウォンの『障がい市民の不服従』 / 趙亨根


 創作と批評 201号(2023年 秋)目次

寸評


ピョン・ジェウォン『障がい市民の不服従』創批、2023

恐れずに世界と向き合うためには


趙亨根 

町内社会学者



『障がい市民の不服従』は著者ピョン・ジェウォンが全国障がい者差別撤廃連帯(全障連)の政策局長として活動した500日余りに対する記録である。新型コロナウイルス感染症の流行時に始まった施設コホート隔離(医療機関封鎖措置)に対抗する闘争から近年の移動権闘争、そして団体の構成員と内部状況に至るまで障がい者運動団体の常勤者として体験した事件を振り返っている。当然ながらこの闘争記は障がい人権運動、障がい解放運動の視線を通じて韓国社会の矛盾と不条理を暴露する告発状でもある。

本の中には公的な生活を送りたかった「模範障がい者」がいつのまにか街を徘徊する闘士になっていく過程が生々しく描かれている。政策と戦いの間で、家族と同志の間で、戦いの当為と病気に苦しむ身体の間で悩み、挫折し、進んでいく。すなわち、この本は世に出たばかりの若者の成長記でもある。成長記という表現があまりにも凡俗であるというならば、変化の話と言っていい。その変化の叙事を読んでいると、自然と自分を振り返ることができる。

清道デナム病院という名前を覚えているのか? 2020年2月19日、韓国初の新型コロナウイルス感染症死亡者がこの病院で亡くなった。病院に入院していた精神障がい者だった。まもなく2番目、3番目の死亡者が出た。そして韓国社会はコホート隔離という見慣れない用語に接することになる。ソーシャルディスタンスが最善の予防策だと言いながら、この政策はむしろ人々を狭い空間に閉じ込めて最大限密集させた。患者が続出した。2月25日までに7人の精神障がい者が死亡した。政府はむしろコホート隔離の必要性をさらに強調した。「死は不平等だった。災難の扉は断絶した世の中を生きていく人々、孤立した人々、力なく弱い人々に先に開かれた」(52頁)。それ以後もコホート隔離は伝家の宝刀のように乱発された。防疫マスクの支給、新型コロナウイルス強制検査の行政命令、災難支援金の支給、集会及びデモの自由の制限など重要な政策の実行過程で公然と「差別」が行われた。清道デナム病院事態は、いわゆるK-防疫の神話が障がい者とホームレス、移住民など最も脆弱な人々の犠牲の上に積み上げた砂の城のようなものであることを示す前兆だった。

障がい者の犠牲を当然視する韓国人と韓国社会の視線と態度は時にはぞっとするほどで、その中に私が含まれているという事実が怖くなったりもする。ここにそのような事例が一つある。2019年、重症障がい者雇用モデル事業に参加した1994年生まれの障がい者活動家ソル・ヨハン氏が実績の圧迫に苦しめられ、自ら命を絶った。脳病変障がい者である彼が引き受けた仕事は同僚の重症障がい者を説得して公共雇用事業に参加させることだった。月66万ウォンを受け取る代価として毎月新しい障がい者4人を発掘しなければならず、1人当り5回の相談及び8件の書類を、4人基準で各20回、32件の実績を履行しなければならなかった。実績が足りなければ、あらかじめ支給した月給を回収するという脅威を受けた。結局、彼は「実績が足りない」というメモと「申し訳ない。迷惑ばかりかけた」という言葉を残して投身した。誰かを説得して働かせるのはそもそも難しい。さらに重症障がい者を説得して働き口を斡旋する業務は「労働政策を担当する雇用労働部職員もやり遂げられない難題」(199頁)である。それを同僚の重症障がい者にわずか1ヶ月66万ウォンで外注を出して解決しようとし、それさえも回収すると脅迫したとは。

いまや障がい者運動の「不法性」について話す時である。著者はラジオに出演して「なぜ規則を破って法を破るのか」という質問を受けて説明したり抗弁したりしない。「現在、障がい者の移動権運動は市民不服従の形です。そのせいで、市民の皆様には大変ご迷惑をおかけしていると思います。 (…)皆さんの忍耐のおかげでこの社会がここまで変わることができました。(…)障がい者同士で政治家を訪ねて『エレベーター、低床バスを設置してください』と話すだけでは聞き入れてもらえません。ところが、共感する市民が共に不便さを訴え、早く処理しろと要求する瞬間から政治家や官僚が動き始めます。 (…)市民の皆さんが不便を感じてくださったおかげで、韓国社会がここまで来られたという感謝の言葉を伝えたかったです。」(223~24頁)

本書には次々と論理的な主張が付け加わる。単なる溌剌としたハッシュタグ付け運動程度では成果が得られないと、まだ存在しない制度を作るためには現在の法制度の限界を越えなければならないと、法体系に順応する人間はそれ以上のことを想像できないと。堂々とした反論の前でうなずけるようになる。ラジオでは一言自己弁護もなく、申し訳ない気持ちと感謝だけを伝える。そのどうしようもないことに感情が込み上げてくる。

この本を若者の成長記として読む時、最も印象的なエピソードの一つがそれだった。悔しいのに自分を下げざるを得なくなる話。著者はもともとそのような人ではなかった。むしろ障がいを克服して素敵な成就を成し遂げる「スーパー障がい者」になる道を歩いていた人と見てもよい。彼は「障がい者差別の問題を構造ではなく個人の観点から理解した。私に与えられた苦難を乗り越える努力があれば、成長と成功という補償が与えられれば、自己啓発という業績が認められれば、私は自分の障がいから抜け出すことができると思ってその時まで生きてきた。」(128頁)名門大学院まで終え、障がい者に対する不当な差別に対しては対抗することもできた。しかし、あくまでも個人的な戦いだった。「構造的差別に抵抗するというよりは、私までは入場させてほしいという訴えに近い葛藤」(249頁)だった。

不平等な世の中を生きていると、悔しくて腹が立つことも経験する。どうすればいいのか?不平等な世の中の上座に上がって世の中を直せというのが世の中の教訓である。私を含むいわゆる「86世代」の大多数が選択した道でもある。個人的な解決策である。その道を歩んでいたある若者の行路が偶然変わる過程で、パク・ギョンソク、イ・ギュシク、パク・オクスンのような様々な活動家の名前が次々と登場する。その意味でこの本は「出会い」についての本でもある。恐れずに他の世界に出会った話、いや他の世界に出会うことで恐怖を乗り越えた話なのである。このように出会いの中だけで私たちは個人的な解決策を越え、社会的連帯に進むようになる。

訳:李正連