창작과 비평

キャンドル革命という話頭/白楽晴[2019.12.30]

「キャンドル革命」は本当に革命なのか。そうだという意見を私自身が出したこともあったが、より重要なのはその質問を話頭として練磨することだと思う。仏教徒の話頭の勉強が悟りを得るために既存のあらゆる想念を空にする過程であるように、キャンドル革命に対しても正答を求めるよりも切に問い続けることが要諦である。「キャンドル革命というものが進行中ならば、今はどういう時代なのか」「そういう時期に私は何をなすべきか」、このように絶えず問いながら生きようというのだ。

 

 教科書の知識を掲げて「キャンドル」は革命の概念に適さないと教えようとするのは、一種の「時代遅れの先コーの説教」である。一方で、2016~17年のキャンドル抗争をすぐにキャンドル革命だと断定し、そう主張し続けるのもまた別の「時代遅れの先コーの説教」になりがちだ。

 

 この秋の瑞草洞でのキャンドル集会も話頭を錬磨する気持ちで評価する必要がある。改革が危機に直面すると、100万を超える市民が「たちまち」結集して文在寅政権に出口を切り開き、検察改革を国民の命令として固めてくれたのは大した事件であった。とはいえ、瑞草洞での集会自体も初期と後期の様相が違っていたが、久しぶりに再燃したキャンドルは革命が進行中であることを確認させてくれたのだが、弾劾を導き出した2016~17年の抗争に比べられる性質ではなかった。あの時には及ばなかったと卑下する理由もないし、あの時の再燃であるかのように過大評価すべきことでもない。キャンドル革命が実際に進行中ならば、そうである程、キャンドルを掲げずに遂行すべき課題が山積しており、同時にキャンドル・デモがどうしても必要な時なら、いつでも再登場できる形勢にあることを気づかせてくれたのだ。

 

・革命は怖いもの

 

 何よりも警戒すべき点は、特に考えもなく「革命」を持ち出して自己陶酔に陥ることだ。革命とは、本来凄惨で、怖いものである。フランス革命、ロシア革命ともに国内の流血事態のみならず、外国軍が介入した戦争と殺戮を経ねばならなかった。「キャンドル革命」の場合、その徹底して平和的な性格のために流血鎮圧や軍事的介入の名分が弱かった上に、何しろ朝鮮半島は一触即発の火薬庫なので、誰もそうした冒険を敢行しにくかった。だが、とにかく革命である以上、その清算対象がおとなしく退くと期待してはならない。あちら側は既得権をそのまま維持しようと決戦に出てくるのに、「和合」して「協治」しようと教え諭すのは間抜けた話である。

 

 その上、革命の目標が朝鮮半島の分断体制の克服というなら、反革命勢力の反撃には強力な外国勢力が参加するに決まっている。「キャンドル」は、世界的に極右のポピュリズム政治家が勢いを増す中で、例外的に成功した民主化運動でもあった。そんな民主化が朝鮮半島の南北にわたって、新たな体制を建設する道を切り開いたという点が革命的な面だが、これは既存の東北アジア秩序と米国の世界支配にも深刻な脅威になったことを意味する。日本の安倍政権のキャンドル政府への揺さぶりや米朝和解に対する米国の主流層の根強い反対は、ともに謂われのない意地悪ではない。

 

・そうであるほど、決定的な韓国内部の戦線

 

 革命が怖いもう一つの理由は、革命期の急速な変化に追いつけなければ、単なる停滞ではなく、前よりもっと悪くなるに決まっている点である。巨大な守旧政党が一時国民を騙してでも執権していた「誠意」さえ放棄し、国の恥、家の恥を曝すことも辞さない集団に変わった姿がまさにそうである。司法改革の時が迫ってくるや、何でもできる権力の素顔を顕わにした検察も同様である。既得権とはかけ離れた一部の老年層の反応は別に検討すべき問題だが、健全に見えていた紳士、淑女、知識人の相当数が極右集会で出てきそうな発言をためらわず、実際そうした集会に合流する事態もまた、革命期の歴史では見慣れた現象である。

 

 キャンドル政府を自認する現政府はどうか?この間の文在寅政権の行動形態がキャンドル政府らしからぬ面をたびたび表したのは事実であり、それで少なからぬ市民がそうした呼称は撤回すべきだと主張するのも理解はできる。だが、キャンドル政府なしのキャンドル革命をどのように引き継いでいくかに対する準備もなしに決別宣言だけしようとするなら、これもまた「キャンドル」という話頭をたやすく下ろしてしまうことになる。合憲的な手続きで執権した政府だから革命政府としての限界は厳然たる事実であることを勘案し、「それでもキャンドル革命に有用な政府なのか」という基準で、市民各自が国の主人らしく判断する必要がある。

 

 私は個人的に、文在寅大統領自身はキャンドル革命に服務するという初心を捨てていないと信じる。ただ、彼が率いる政府で「キャンドル」を話頭とする者がどれほどいるのかは疑問である。昨年の地方選挙の圧勝後、大統領は「背筋が寒くなるほど」の恐怖を覚えると述べたが、与党や大統領府の参謀の中で,実際に背筋が寒くなった人は何人いるのか。権力層の道徳的なほつれで様々な事故が起きている時点で、今からでも身震いする人が少し増えればと思う。特に最近の選挙法改正の過程で、与党は誰にも劣らず既得権を守る集団であることを示した。自分の議席を一つでも増やそうと群小政党を圧迫し、結果的には自由韓国党の議席がわずかに減るだけにしてやったのだ。

 

・2020年、「キャンドル」の新たな局面を切り開く年に

 

 しかし、ともかく「4+1」連帯を構成し、反キャンドル勢力の議会占拠をぶち壊したのは評価できる。今こそ、与党は主体的な対北関係・対外関係と知恵深い国内改革の善き循環構造をつくり、後ればせでも他の改革勢力とともに、次期国会を「キャンドル国会」として進行させるグランド・デザインを提示し、国民の信頼を回復すべきである。年末にファースト・トラック法案の一部が処理されたことは、その可能性を開いてくれた。実際、南北関係の進展に対する米国の妨害が激化した2019年に、文在寅政権がもう一歩主体的な対応に出られなかったのには、「韓国内の戦線」があまりにも不安だった現実も大きく作用した。政府が米国に少しでも対抗しようとすれば、直ちに「米韓同盟の破綻」を泣き叫ぶ勢力があまりにも強力だったのだ。だが、選挙制度の改革と検察改革の立法化だけでも、キャンドル政府らしい主体的な行動を示す余地が広がるだろう。

 

 もちろん70年、いや100年をはるかに超えて社会に何層にも積み重なってきた弊害が短期間に整理されるわけがない。だが、政争関連のニュースと検察発の捜査報道に隠された私たちの時代の現場を眺めれば、キャンドル以前とは全く違う気運が感じられる。あちこちで新しく創意にみちた勉強会、遊びの集い、事業の集いが進められており、Kポップと韓国映画、韓国文学、韓国語ブームなど各種の韓流の勢いもキャンドル時代の活力と無縁ではないだろう。女性差別、労働蔑視、安全無視などに対する抵抗も粘り強く展開されている。これに対する政府や企業の対応があまりにも旧態依然で市民の怒りを買っているが、この怒りを冷笑ではない、改革の努力につなげていこうという民主市民の隊列も健在である。底辺からのこうした気運が国家政策につながるのを妨げる遮断壁が今もあちこちに残っているが、その中で最も大きい壁の一部に隙間が生じはじめる新年には市民の立ち上がりがさらに高まり、大きな成果を達成すると期待してもいいだろう。このために、「キャンドル革命」という話頭に対する練磨を続けなければならないのはもちろんである。

 

*本稿は、『ハンギョレ』2019年12月30日付けに同時掲載された。(編集者)

 

白楽晴(ソウル大学名誉教授、『創作と批評』名誉編集人)

翻訳:青柳純一

 

<注>

  • 「4+1」連帯:「4+1」(共に民主党・正しい未来党の党権派・正義党・民主平和党+代案新党)連帯の汎与党が、12月末に選挙法改正案と高位公職者犯罪捜査処(公捜処)設置法案を国会本会議で可決、成立させた。
  • ファースト・トラック:60%の議員の同意の下、指定された期間内に法案の審査を終えて賛否を問う方法。

 

<訳者のコメント>

2019年を締めくくるに相応しい「論評」を翻訳できたことに感謝しながら、来年こそは「キャンドル革命」を話頭にして韓国の人々とともに「非核・平和の市民社会」をめざす日韓市民交流の芽を育てていきたいと願う。