창작과 비평

総選挙の勝利以上のもの/姜敬錫[2020.4.8]

人々が家の外に出なくなると、野生動物が市街地に出没しはじめた。欧米で新型コロナが拡がって新たに表れた現象の一つである。とはいえ、本来野生動物が棲息していた場所をむしろ人間が無断占拠してきたのかも知れないという今更のような自覚も可能になる。新型コロナをはじめ、あらゆるウイルスの周期的な流行が長期間続いた生態系への侵犯と開発のためだとの指摘を念頭に置けば、こうした現象は確かにある種の象徴のように読める面がある。

 

 今までの日常が「正常」な作動を止めると、「新たに」見えはじめたのは野生動物だけではないだろう。人工衛星や航空母艦も手軽に作れるのに、マスクや防護服は必要な時に必要なだけ生産できない「先進国」と、ウイルスよりも失業と貧困を恐れる自国民を前に適切な防疫・移動統制手段を見つけえない「後進国」間の分業秩序が、実は、いかに虚弱な土台の上に置かれていたことか、日々目撃中である。国富のランクによる労働と商品生産のグローバルな分業構造は、国内的には大企業の下請け、再下請けの連鎖として複製されて現われるが、感染病に脆弱な低賃金かつ非正規な集合労働の現場が最近のように注目されたケースもなかっただろう。

 

 しかし、新型コロナ事態はあらゆる社会的・生態的な欠陥と危機の原因ではなく、その結果である。新型コロナが鎮静化してもコール・センター労働者の勤務環境が変わるわけでなく、一日も早くこの「疫病」を克服して正常に戻ろうという異口同音に言われるが、今日のような事態を助長したのが、まさにその「正常」ではないかと真剣に問わざるをえない時でもある。要するに、私たちは新型コロナ事態以前に決して戻れないし、戻っても面倒な状況に直面している。さて、もはや以前のようには生きられないだろうという、この共通感覚と非常時の気分は、他国ならいざ知らず、早々とキャンドル革命を経験した私たちにはさほど見慣れぬものではない。私たちが防疫先進国の扱いを受けられたのも、よく検討すれば、政府レベルの透明な情報公開と医療界の献身に加え、非常時の局面であるほどより高いレベルで発現される市民意識に支えられているからだろう。そうした政府と市民をつくりだしたものこそキャンドルであり、その炎が依然燃えているので、難局の中でもこの程度の対応ができたのである。

 

 総選挙がわずか1週間後に迫っている。新型コロナ事態がとにかく深刻で、選挙の雰囲気もいつもとは違うという話があちこちで聞かれるが、そうした中でも与野党の政治家と政治評論家の間では計算機を叩く音がとだえない。プロ政治家中心の思考法に埋没した計算が横行しており、未来統合党と「共に民主党」の比例版衛星政党のような政治的病理現象が表れてもブレーキがまともに作動しない。そこで、視角を有権者中心に、中でもキャンドル市民の立場に移して状況を診断する必要が今までになく高まった。今回の総選挙は4年ごとに当然再来する総選挙の一つではなく、議会内の積弊勢力を審判してこの3年余の「苦難の行軍」に終止符を打つべき、キャンドル後最初の総選挙なのである。今キャンドルは自分がどこまで来ているか、自ら評価すべき試験台に載っているわけだ。

 

 だが、キャンドル市民に与えられた答案用紙は、不幸にも主観式ではなく客観式である。心を満たす項目がなくとも、各自が考える模範答案に最大限近い選択をせざるをえないので、むしろ高度の集団知性が要請される時である。模範答案の基準は何よりも、どういう選択がキャンドルの完成により近いかになるべきだろう。非常時には非常な決定が必要だという言葉の通り、新型コロナ事態以前には理論や想像に過ぎないと見なされたアイデアやビジョンが一定の実感とともに実現可能という服を着て現れはじめた。災害支援金論争に触発された基本所得問題やグリーン・ニューディール公約など、一部可視化された生態的対案ももはや遠い将来の話ではなくなった。いかにして総選挙後にキャンドルの想像力を極大化させ、社会的エネルギーとして新たに集約すべきかがカギである。

 

 したがって、新型コロナ事態にうまく対応した現政権の健在と執権党の勝利だけでは十分ではない。文在寅政権がキャンドル政府を自ら任じ、与党である「共に民主党」はキャンドル革命の完成を選挙スローガンの一部に掲げているが、彼らは決してキャンドルのすべてではなく、その一部にも及ばない時が多かった。現実的には与党勝利なしにキャンドルの勝利は難しいだけに、彼らの善戦を一方で期待せざるをえないが、正義党をはじめ改革作業に積極的に合流した群小政党にも、それなりに躍進する機会を与えなければ、キャンドルを僭称した既得権勢力の旧態が繰り返されても議会内で制御する手段が乏しくなるだけで、キャンドル市民の勝利に準ずる選挙結果とはいえないだろう。保守野党が掲げた政権審判論がまともに相手にされない理由は、ただ現政府と執権与党があらゆる面で優秀だからではなく、キャンドルに支えられているからだという点をまともに認識したなら、与党も一生懸命作った準連動型比例制をボロボロにした過ちを反省し、進歩・改革陣営の少数政党に連帯の手を差し出すべきだった。遺憾ながら、その機会はすでにかなり手遅れになってしまったが、有権者の知恵ある選択という最後の、そして最強の手段が残っている。そうした手段が正当に、そして適切に行使されると、キャンドルは新たな前進の橋頭堡を作れるだろう。もはや以前のように暮らすことが可能でも、望ましくもなくなった舞台であるなら、なおさらに。

 

姜敬錫(文学評論家)

翻訳:青柳純一・青柳優子