창작과 비평

残っている大統領の時間のために/姜敬錫[2020.6.24]

朝鮮半島の南北は今も同じ言語を使っているが、その文法まで共有しているわけではない。南では予想外の、北による共同連絡事務所の爆破とそれに続いた対南声明などで、これはあらためて明らかになったが、強いて南北の当局者や専門家でなくとも朝鮮半島の住民なら誰でも、次の二つの問いを提起してみるに値する。南北のうち相手の文法に無知な方はどちらなのか。それは本当に知らないからなのか、あるいは知りながらも知らないふりなのか、否認しようとするからなのか。後者はもちろん、その理由は何かを含めた質問になるだろう。

 

北が既に実行したか、実行を予告した一連の措置と対南非難の表現の強さで見る場合、当面の状況の反転はとにかく容易ではない。南で選択できる手段も大きく制約されており、それ自体が北の意図するところである。この隙をついて、守旧・保守勢力の対北圧迫―北の崩壊シナリオがひそかに蠢めいているが、適当な手段もそれに見あう能力もないので、支持層内部向けのメッセージ程度だと誰もが思っている。これ以上の状況悪化を抑えながら、新たな転機をつくる方が常識に適うだろう。こうした事態がなぜ起きたのか、不可避となった当分の間の冷却期間をどのように送るべきか、態勢を整えることが優先される。そうした脈絡で、最近『朝鮮中央通信』に公開された金与正談話文(6月17日)を真摯に読解してみることだ。ハノイでのノー・ディール後の南北関係と相互理解の現実を反映する「逆説の鏡」として、これほど適した文件はないように思えるからだ。

 

この談話文の表面的な核心は主に二つある。第1は、金正恩委員長を冒涜する内容の対北ビラの散布をこれ以上黙過できないということ、第2は、南の政府が「親米事大主義」に捕らわれるあまり、板門店宣言と平壌共同宣言の合意事項を全く履行していないという批判である。度を越えた批判的修辞を除いてメッセージだけ見れば、かなり不合理な指摘とするには難しく、別途の底意を習慣的に疑うよりも文面に表れた比重を尊重して読むことがまずは重要である。第1との関連で、「板門店宣言第2条第1項には、軍事分界線の一帯で拡声機の放送やビラ散布をはじめとしたあらゆる敵対行為を中止すべき」ことと明記されているのに、対北ビラ散布を拱手傍観している底意が疑わしいという要旨で、世論の分裂を意識した南の政治的日程を勘案しても、2年という常識的に極めて長い時間停滞させてきたわけである。後悔先に立たず式にすでに光を失ったにせよ、立法手続きがもたらす退屈な消耗戦を冒してでも、具体的行動に出る必要がある。ある意味で、むしろこれは解きやすい問題ともいえる。むしろ問題は第2の事項である。

 

「自他が公認するほど見事な北南合意」という表現に、「歴史的な板門店宣言と平壌共同宣言」に対する北の評価が明らかに盛られている。そして、「北南合意文のインクが乾く前に主が強迫する『韓米実務グループ』」という一節に、韓米関係を眺める彼らの状況認識が盛り込まれている。いわゆる韓米ワーキング・グループが南北協力事業の度ごとにブレーキ役を果たしてきたという事実は、最近南でも非難されている。南北当事者間の関係の進展と、いわゆる韓米共助をはじめ国際共助の調和が理想的ではあるが、現実的に両者は絶えず衝突してきたし、そうせざるを得ない環境が続いてきた。だがそれは、文字通りの衝突というより、韓米共助の優位に収斂されてきたというのが北の診断といえるわけだ。こうした問題は、早くから南でも相当数の専門家によって提起されている。この談話文が金与正副部長の名義で発信され、金正恩委員長が対南軍事行動の保留を指示(6月24日)したことで、両者の役割分担が明らかになった。米国もまた再選の危機にもかかわらず、依然金正恩委員長との親交を誇示しているトランプ大統領と、高圧的な態度を維持している実務グループ間で役割を分担している。それに比べて南の外交、安保、統一部署は互いに異なる意見を出せない方である。南北協力事業の進展と非核化を通じた米朝関係改善の二大課題が相互作用する関係であるのは明らかと思うが、これを単一課題として接近する場合、どちらの側であれ、南の主体的な行動半径を狭める結果を招きうるという面で、根本的な解決が必要だと思われる。韓米ワーキング・グループの解体が対米関係に負担を加重する結果を招きうるなら、統一部(省)の自律性を強化させる方式などで外交、安保、統一間の機能と位相を再編して態勢を整備する方案も考えうるだろう。まだ残っている大統領の時間を拡張するためにも、という話だ。

 

今回の談話文で、文面に表れたメッセージ以上に重要と思われる点は、「南のー引用者)そのザマを独りで見物するにはもったいなく、わが人民にもちょっと知らせようと、今日私がまた言葉の爆弾を破裂させようとしたこと」という談話発表の理由を提示した一節である。北特有の強い語調の批判的修辞は「わが人民」の不満を代弁する意味もあったのである。先代の核―経済並進路線を果敢にも廃棄し、経済建設への総力集中路線を採択した北が南の大統領の平壌演説まで催してやって「わが人民」に投じた希望のメッセージは、ハノイでのノー・ディール後、膠着局面の継続により相当部分薄められたのは事実である。三代世襲の独裁体制といえば、住民の生活上の要求など何でもないかのように錯覚しがちだが、北の人民を何か案山子のように考えることから、すべての過ちが始まるのだ。王朝時代でさえ、民衆がひたすら奴隷であった歴史はなかった。

 

しかし、北の言語には「わが人民」があるだけで、南のキャンドル市民に対する考慮がないか、稀薄である。南北当局が当事者として主体的認識を共有すべきであるなら、その主体性の土台となる南北の住民に対する同様の考慮は不可欠である。これは「わが人民」の将来のためにも正されるべき惰性である。今までと異なる未来のために新たな路線を大胆に選択したならば、「わが人民」を新たな言語と文法の場に牽引すべき責任もあり、それを南のキャンドル市民に更なる説得力をもって伝える必要もある。とはいえ、今度は南の番である。南北住民のすれ違った文法を同時に考慮すべき必要はいつの時よりも高まった。残っている大統領の時間は、そうした責任をどれほど果たせるのかにより、その成果が左右されるだろう。

 

姜敬錫(文学評論家)

翻訳:青柳純一・青柳優子