国の主人になるということ/李南周 [2022.02.23]
5年前のキャンドル抗争の最も重要な意義は、平凡な人々が国の主人だという真実をあらためて確認したことにある。当時、広場の市民たちは言葉と現実の一致が与える解放感を感じることができた。刹那の感興に留まることもあった事件は弾劾と新政府の誕生へと続き、その瞬間に現れた真実を現実に具現するための路程、つまりキャンドル革命が始まった。これはすでに達成したことよりは、今後達成すべきことに傍点をつける現在進行形の革命であり、他の誰かではなく国の主人たちが率いていくものである。
それならば、今回の大統領選挙の過程で表れている言葉の“饗宴”で、キャンドルの不在は深刻な問題である。キャンドルを掲げたあの多くの人々はどこに行ったのか、という問いを投げかけざるを得ない。彼らはどこか遠いところに行ったか、消えたわけではない。広場を離れた後、再びそれぞれの場で自らの生活を持続している。国のことを決定するのにいつも参与するわけではないが、キャンドル抗争を経た市民が以前と異なる主体になったという事実は、キャンドル革命の持続を語りうる最も重要な根拠になる。こうした主体の登場を前提とせずに、今進行している私たちの社会の変化を説明することは難しい。
まず、第一野党の大統領候補が自ら属す政党に関連していかなる経歴もないだけでなく、その政党の前身を破壊するのに決定的役割を果たした人物だという事実は、波乱万丈な韓国政党史でも初めてのことである。これは持続中のキャンドル革命に抵抗する勢力が、自らの目標を達成するためにどんな手段であれ、すべて動員できるという決意の表出ともいえる。それほど、キャンドル革命が既得権を窮地に追い込んだという意味で、既得権勢力こそキャンドル革命がもたらした変化を誰よりも敏感に受けいれているわけである。
現政府に対する否定的評価も似たような脈絡で理解する必要がある。同時期の他の国に比べて、いま韓国政府が特に否定的な評価を受ける理由はない。朝鮮半島の軍事的緊張や米朝対立、新型コロナのパンデミックなどの危機も安定して管理してきただけでなく、国際社会における韓国の位相も多方面で高まった。それでも、政治的な反対者だけでなくキャンドル抗争に参加した人々の中でも批判的な視線が少なくない。自ら「キャンドル政府」と自任していた政権に対する期待が高くて、それに照らして不足した点や批判される点がなくはないからである。それにしても、キャンドル革命の成果を全否定するとか、現在進行中の選挙を冷笑的に眺める一部の人の態度は大きな問題である。
国の主人というなら、キャンドルの限界も自らが担うべき責任と考え、これを克服しようとする態度をとるべきだろう。現在の公論の場ではキャンドルが見えないが、キャンドルを掲げた国の主人が消えたわけではなく、依然として主人としての役割を果たそうとする意志は強い。歴代大統領の中で最も高い任期末の支持率も、大統領個人に対する好感度のためだけではない。キャンドル革命という概念を使おうと使うまいと、現政権に多少足りない面があると思うにせよ、キャンドル抗争を経て始まったこの変化を止めてはならないという意志の間接的な表現と見るべきである。こうした意志は、キャンドル抗争時まで前面に登場しなかった議題、特に性平等や気候危機への対応、不平等の克服などを私たちの社会が解決すべき核心課題とすることで現れた。
現在の大統領選挙の局面で、こうした意志が表出されうる活発な通路がつくられていないのは事実である。特定候補を露骨に支持するような言論の大々的な攻勢も公論の場の作動を委縮させている。与党候補もキャンドル精神に照らして私たちが進むべき方向を提示しようとする努力が足りない。だが、より大きな問題は、現在の選択はわが国が今後進むべき道とは無縁であるという調子の視線、「どれもこれもダメだ」に安住する態度である。こうした態度は主人の姿勢ではなく、好みに合う商品を選択する“消費者”に近い(白楽晴『近代の二重課題と韓半島式の国づくり』、16頁)。こうした形では現実を変化させる動力を生みだしにくい。
国の主人なら主人の役割をまともに果たす環境をつくることもすべきである。既得権構造の改革と朝鮮半島の平和定着が必要かつ重要な理由もここにある。選挙という制限された選択は不可避なものだが、いかなる選択がこうした道に進むのによりいいのかを判断することだけは私たちにかかっている。多少の常識さえ動員しても、その判断はそう難しくはない。もちろん、私たちの選択を受けた者が私たちの期待を満足させることはできないかもしれない。主観的な意志の問題ともいえるが、社会的力量が大転換に値する変化を生みだせるレベルに達していないせいでもありうる。だが、私たちの選択が国の主人が完全に自らの役割を果たす側に近づけば近づくほど、期待と現実の差を縮めることができるだろう。キャンドル革命を経た私たちは、その道にいつの時よりも近づいてきている。「百尺竿頭の一歩前進」の態度で、この大転換の時期を切り抜けて進むべき時である。
*本稿は、『創作と批評』2022年春号の「はじめに」の一部です。
李南周(『創作と批評』主幹、聖公会大学教授)
翻訳:青柳純一