창작과 비평

安倍殺害と「統一教ゲート」、日本の改憲政局はどうなるか / 南基正 [2022.08.03]

 

安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した後、日本の政治は混迷状態に陥っている。この事件で露呈した日本の長年の患部は思ったより深く、それによる波紋も大きく広がっている。日本社会の主流は、この事件をハプニングで終わらせようとした。容疑者は統一教会への莫大な献金によって破産した家庭環境について語り、その背後にいる安倍を標的に定めたと述べたが、警察は容疑者が標的にした対象を「宗教団体」とだけ述べて統一教の存在には口を閉ざし、安倍との関連についても誤解だとごまかした。メディアは、事件発生後の数日間、取材する代わりに警察の発表のみを伝え、事件を元自衛隊員である社会不適応者が犯した偶発的な犯行と規定して急いで終息を図った。そして、「最長記録の首相」安倍の足跡と実現できなかった改憲の夢を語り、参議院選挙後の流れを改憲政局へもっていこうとした。

 

が、日本の一般国民はこれを冷めた目で眺めている。事件後、テレビ局が編成した安倍関連の特集番組の視聴率は低迷した反面、平常編成を維持した放送局だけが高い視聴率を記録し、安倍の国民的な人気が蜃気楼に過ぎなかったのではないかと疑われた。その後、統一教の存在が確認されて公然とこれに言及できる環境になると、テレビ局は一斉に統一教と自民党の癒着関係を連日取りあげて報道しはじめた。すでに公然の秘密だった統一教と安倍、その周辺の自民党議員間の関係があれこれ露見し、その癒着関係の幅広さと深さに日本社会は驚いている。ついには、自民党最大派閥のトップとして安倍は必要な候補者に統一教の票を配分していたという証言まで出てきた。事件は安倍を貫通して日本社会の雷管に触れたのだ。

 

統一教と自民党右派との癒着の歴史は、安倍の祖父である岸信介元首相の時代にまでさかのぼる。戦後日本の右翼の大物・笹川良一と児玉誉士夫が岸と統一教の文鮮明教祖を取りもったといわれる。当時の日本は社会党と共産党が一定の影響力を持っていたし、革新系の学生運動や社会運動が活発に展開されていた反面、韓国では反共を越えて勝共や滅共が国家イデオロギーになっていた。韓国から見ると日本の進歩・革新運動は極めて危険に思えたし、日本の右翼から見ると韓国の反共政権は極めて信頼できると思われた。1965年日韓の国交正常化後、日本において反共陣営の構築を課題にしていた彼らには自然と連帯の名分が与えられた。統一教は日本で、1964年反共右翼の青年団体「全国大学連合原理研究会」、1968年反共団体の「国際勝共連合」を相次いで発足させた。

 

ソ連崩壊によって冷戦が終結して主敵を喪失した日本の反共勢力を再組織化する際に、北朝鮮と中国の問題が両軸になった。日本人拉致問題に対する強硬な対応を通じて政治舞台の前面に登場した安倍は、北の核ミサイル開発と中国の浮上を背景にして自由主義国際秩序の守護者を自負し、国際舞台で日本の存在感を高めることに力を注いだ。改憲のために安定した長期政権が必要だった安倍に、統一教が接近して共生関係を形成した。長期執権が実際に実現して共生関係は強固になり、安倍とその周辺人物の行動には隔たりがなくなった。ついには、統一教の関連行事に参席して教主を礼賛する安倍や自民党議員の姿が統一教の関連メディアを通じて流れ出し、これが銃撃事件容疑者の目にとまった。

 

事件前、陰謀論と見なされた日本を動かす「黒い力」の存在は、いま続々と事実として露呈している。特に最近、このネットワークの一端にウクライナ問題がうごめいている。「勝共ユナイト」「世界日報」など統一教関連メディアと極右の嫌韓企業として有名なDHCがつくった「虎ノ門ニュース」のような右翼メディアには、ウクライナ戦争を素材にして日本での改憲の必要性を訴えるウクライナ人が相次いで登場している。保守右翼系の雑誌『Will』オンライン版に載ったウクライナ人の名前で発表された文章は、「韓国は地理的に自由主義陣営の大陸の軍事拠点であり、対馬海峡をうまく統制するためには朝鮮半島の南を統制することが必要不可欠だ」という内容である。こうした韓国認識は、文在寅政権が国際法に違反しており、彼の対北和解路線により休戦ラインが玄界灘に下りてきたとして、朝鮮半島の平和プロセスにずっと反対してきた「産経―正論」グループの対韓認識と軌を一にしている。いま日本で最も強くウクライナ支援を訴える人々の偏向した言論活動は、ロシアの侵攻に抵抗するウクライナ人の正統性を疑わせると同時に、これを利用して改憲政局へと導きいれようとする日本の保守右翼の本音を示している。

 

しかし、安倍の死によって改憲の動きは一時的に後退すると思われる。安倍の死は参議院選挙に微風程度に作用しただけで、改憲の動力にするほどの威力にはならなかった。岸田文雄首相は、改憲勢力が参議院議席の三分の二を確保した選挙結果を確認した後で改憲政局へ導く意思を披歴したが、すぐに「三分の二」の意味は改憲可否の内容ではないとし、時間が必要なことを示唆した。

 

ウクライナ戦争の渦中で迎えた憲法記念日にあたって実施された世論調査では、改憲に躊躇する日本国民の姿が示された。日米同盟が強化される中で、日本がウクライナ戦争に奥深く関与するようになり、国民の間では捨てられる危険よりも巻き込まれる危険に反応する同盟ディレンマが作動しているのだ。連立与党だが、今回の選挙で議席数を減らした公明党もまた改憲政局に突入する場合、存在感を確認するためにも「唐辛子粉」役をすると示唆している。それでも、改憲のロードマップは当分、日本の政局の前面に配置されると予想される。岸田首相は自民党内で伝統的にリベラルの立場で改憲に慎重だった派閥・宏池会の出身だが、改憲の意志を再確認しているからである。安倍の死亡で求心力を失った安倍派をなだめて長期政権の道を固めるためにも改憲の旗は降ろせないのである。「国葬」論議が出てきたのも、そうした脈絡で理解できる。

 

改憲論議の出発点は、今年改定する予定の3つの防衛関連文書、いわゆる国家安全保障戦略、防衛計画大綱、中期防衛力整備計画である。具体的には、防衛費の増額と敵基地攻撃能力の保有問題をめぐって展開されるだろう。だが、こうした論議とその終着駅である改憲問題は日本国内の問題だけではない。現在の日韓関係の基礎である1998年日韓共同宣言の精神を考えれば、韓国が改憲に対する日本の立場を確かめるのは内政干渉ではないことが理解できる。共同宣言で確認した「過去直視、未来志向」の原則は、平和と民主主義に対する日韓の共同認識を前提にして成立したからである。共同宣言で日本は韓国の民主的発展を、韓国は戦後日本が平和憲法下で専守防衛と非核三原則を堅持して国際社会に平和的に寄与した点を高く評価した。両国がこうした友誼に基づき、過去の歴史問題を未来志向的に解決できることを確認したからで、その前提が崩れるならば、私たちは日本政府を相手に日韓関係の基本価値を再確認し、基礎を再確立せざるを得ない。尹錫悦政権があれほど強調する金大中―小渕共同宣言の基本精神を、尹錫悦大統領と朴振外相はきちんと理解しているのか。それなら、いま私たちの対日外交は大きく変わらなければならない。

 

 

南基正(ソウル大学日本研究所教授)

翻訳:青柳純一