창작과 비평

[対話] フクシマ問題、原発事故から汚染水放流まで / 南相旭·宋基昊·呉殷政·李憲錫

 

創作と批評 201号(2023年 秋)目次

対話

 

フクシマ問題、原発事故から汚染水放流まで

 

 

南相旭(ナム・サンウク)仁川大日本地域文化学科教授。共著書に『今、ここの極右主義』『日本、喪失の時代を越えて』など。

宋基昊(ソン・ギホ)弁護士。ともに民主党フクシマ汚染水院内対策団副団長。著書に『宋基昊の飯(パプ)と法(ポプ)』など。

呉殷政(オ・ウンジョン)江原大文化人類学科教員。共著書に『今日を越えるアジア女性』など。

李憲錫(イ・ホンソク)エネルギー正義行動政策委員。共著に『脱核』『エネルギー民主主義、冷静と熱情のあいだ』などがある。



南相旭(司会)今回の『創作と批評』秋号の「対話」のコーナーでは、「フクシマ問題、原発事故から汚染水放流まで」というテーマで話し合いたいと思います。去る7月12日に韓日首脳会談が開かれ、その後、韓日局長級汚染水協議会で放流関連の議論が行われました。日本ではいずれにせよ8月末に汚染水を放流することを基本原則としたまま、現在の事態が進んでいます。2011年3月11日の東日本大震災の余波で、福島の原発が核分裂を起こし、その時に起こった問題が今日まで続いています。これに関して今日は、フクシマ原発事故から汚染水放流の問題まで議論します。まずお三方の簡単な自己紹介をお願いします。


宋基昊 こんにちは。私は弁護士として働いており、民主党のフクシマ汚染水院内対策団に所属しています。法を学ぶ人間だからこそ、この問題を、一社会が危険性をどう規定するかという観点から見ています。私たちの法律共同体は、長い間、リスク評価やリスク分析など、さまざまな方法でリスクや不確実性を評価し管理してきました。環境政策基本法、食品安全基本法などの法の条文のタイトルに「危害性評価」のある法令の数字が54か所あります。ですが、フクシマの汚染水問題では、突然、議論がかなり退歩しました。このような退行がどうして起こったのか懸念しています。


呉殷政 私は広島と長崎で原爆被害を受けた在日朝鮮人たちが、解放後、韓国に戻ってきた歴史について博士論文を書きました。その時、私が特に興味を持っていた部分は、被爆者を規定するいくつかの条件でした。科学的・行政的・政治的な面でどの人を被爆者として認めるのか、あるいは認めないのかについて研究しました。ですが、私が論文を書いている間にフクシマ事態が起こりました。それまでも、広島と長崎で被爆された人々が相変らずその被害を認められず、日本政府を相手に数多くの訴訟を進めており、さらにこれまでも続いてきています。フクシマ事態も、このように長く続くだろうと思いながら、フクシマ研究を始めることになりました。最近では、地域住民やそこに暮らしている人々に、被爆の問題がどう迫っているのか、そしてフクシマ事態以後、地域の復興という名で投入されたかなりの予算が、どのように地域を変化させているのかを研究しています。実際の直接行動よりは主に研究を通じてこの問題を見ています。


李憲錫 私は脱核運動をしており、正義党でフクシマ汚染水TFの諮問委員をつとめています。「脱核運動」という言葉はフクシマ以降に出てきました。それ以前は「反核運動」と呼ばれ、私はこの社会運動を反核運動の時代から続けてきました。2009年、李明博政権当時、アラブ首長国連邦(UAE)に核発電所を輸出しました。そもそも進歩陣営内でも脱核という問題を無視する雰囲気があり、このテーマは少数の環境運動家の間だけでやりとりされる話題に、完全に縮小された状態でした。このように脱核運動が危機を経ていたなかでフクシマ事故が発生し、その延長線上で、現在まで続く汚染水問題も、脱核運動の立場から見ています。


南相旭 最後に私の紹介をします、私は日本文学の研究者です。ノーベル文学賞受賞者であり、最近他界した大江健三郎は、小説『晩年様式集』(2013)で、3・11大震災が起きた日、書庫が崩れ落ちるのを見て、私たちの知識が崩れたと思って反原発デモに参加したといいますが、このように文学作品にみられる関連の内容を追跡したりもしました。最近では、いくつかの小説を通じて、福島の地域住民の立場、被爆した動物の処分問題、福島出身の作家が書いている地域の変化の様相などを読んでいます。


フクシマ原発事故、どう見るべきか


南相旭 ある事件が発生すると、関連する文学作品は後で書かれるので、おそらく私が一番後ろに立っているのではないかと思います。フクシマ原発事故の意味を、直接行動や法律、あるいは歴史的な蓄積など、各学問分野や関心事ではどのように見ていますか? この事故を単に日本国内の問題に還元してもいいのか、それとも東アジア的な事件として見るべきか、議論することもできそうです。あるいは、地球文明に対する省察を求める1つの大きな事件とみなすこともできるでしょう。みなさんがそれぞれフクシマ原発事故をどうお考えか気になります。


李憲錫 脱核運動をしている立場で、この事件は事実、核産業界が長年やってきた慣行に対抗して戦う運動の延長線にあります。1945年のアメリカのトリニティ核実験と広島・長崎原爆投下以降、地球上で大気圏核実験だけで2千回以上行われました。核実験以外にも、世界中の核施設から排出された放射性物質が、現在、ほとんど海に流されています。そのために世界中のどの海でもプルトニウムが検出され、世界中のどの内陸地方の地層を検査しても三重水素が出てくる状況が作られたのです。IAEA(国際原子力機関)のラファエル・グロッシー事務局長は、今回のフクシマ汚染水の海洋放流が国際慣行に反していないと述べました。実際、IAEAや核産業界の立場から見ると、これまで数十年をそうしてきたように、今回の決定もきわめて自然なものです。私は、旧ソ連が原子炉や高レベル核廃棄物を東海(日本海)に捨てた事実が明らかになった1993年に、日本政府が、海に核廃棄物を捨てさせない国際的運動を行ったことを強調したいと思います。当時、日本が中心になって、すべての核廃棄物の海洋投棄を禁止する決議文を採択し、国際条約(ロンドン条約)を強化しましたが、今回の汚染水の放流問題は、その状況を再び想起させる事件です。かつて旧ソ連の核廃棄物の海洋投棄を糾弾した日本政府が、今や汚染水の放流を推進しており、近隣国家である韓国がこれを擁護する皮肉な状況が2023年に起こっています。


南相旭 事実、日本は世界で唯一の被爆国です。被爆国が原発を作って振興政策を展開することに対して、日本の学者や研究者たちも多くの指摘をしています。1993年にロンドン条約を補強し、すべての放射性廃棄物の海洋投棄を禁止したにもかかわらず、最近の朝日新聞の調査によると、日本国民の51%が汚染水の放流に賛成しています。とても矛盾しています。


呉殷政 日本がいかにして世界的な原発国家になったのかを考えてみる必要があります。日本は1950年代に原発開発を始めながら、唯一の被爆国なので、むしろ武器としての核を開発するのではなく、平和的な原発を発展させうるとして、日本できちんと原発を開発すれば、他の国を安心させられると宣伝しました。1952年のサンフランシスコ講和条約の発効で、既存の連合軍が禁止してきた日本の原子力研究が開始されようとしたとき、日本学術会議の若い科学者の中にはこれに反対する動きがありました。しかし、日本の政界は、原子力研究が、核兵器開発に関連する潜在的な利用価値が高いことを知っていたので、予算を編成して研究を積極的に奨励しました。そういう点で見ると、もともと原発と核兵器は緊密に繋がっているのですが、1980~90年代に入って、原発が商業的に利用可能な安価なエネルギーであるため、ますます原発と核兵器が異なる体制と考えられるイデオロギー的な分離が起こったようです。実際に進歩陣営でも核兵器と原発は異なる論理に従うという主張を展開し、この問題がかなり矮小化されました。ですが、実状の原発と核兵器産業は変わらないということを、フクシマ原発事故が示しており、私はそのような面で、フクシマ原発事故そのものが、20世紀の核政治に起こらざるを得なかったこと、ただし日本で起きるとは誰しも考えなかったことだと考えています。


宋基昊 2011年にフクシマ原発事故が起きたとき、実は私は「脱核」の感受性がありませんでした。私が注目したのは、その当時が日本の自民党の長期政権が頓挫して、民主党が政権をとっていた時期だという点です。事故以降、東京電力が事実を隠蔽し、またそれを日本の民主党政権がきちんと統制できない様相を見守ることになりました。日本が民主化されたと思われたその時点に、民主主義が国民の安全と保護に失敗しました。大きな失敗と挫折を経験するのを目撃したのです。どうすれば民主主義が可能かということをよくよく考えました。


呉殷政 日本で事故を収拾して地域を再生させる様相を見ていると、おっしゃった通り、事実、民主的な過程を通じて行うことは困難な状況でした。まず災害被害を復旧する過程で、予算、情報、人材がトップダウン方式で運営されざるを得ませんでしたが、地域の現実とは無関係な形が多かったと思います。たとえば、日本の復興庁(3・11大震災以降、日本社会の被害復旧を目的に臨時に設置された日本の中央機関)の災害復旧予算は、住民が戻らない村の道路、防潮堤、交流会館、スポーツ施設などを建設するのに使われました。住民たちには「被爆の危険はない」「被爆を心配する気持ちの方が危険だ」と言いました。東京電力や日本政府の対応を見ると、情報統制の様相や規模が少し異なることがありますが、原発事故とそれによる被害は、核兵器爆発後の被害と本質的に同様の方法で作動しているようです。


南相旭 日本の場合、洪水など自然災害が頻繁に発生しますが、ある災害が起きたとき、その出来事をきっかけに災害防止法ができました。災害防止法には事後対応だけでなく事前対策も含まれていますが、巨大地震やこれによる原発事故は含まれていませんでした。なので「想定外の事件」と言うしかありません。法と災難が分かれているように見えますが、今日は災難が政治を作り、法制化のような努力も真剣に考えるべき時点でしょう。


原発事故の裏面、核産業の本質的性格


南相旭 目前に迫った汚染水の放流ももちろん問題ですが、原発事故と原発の本質的な性格も見ていくべきかと思います。日本ではフクシマ事故以来、2010年代半ばまで脱原発の議論が続きましたが、徐々に稀薄になって現在はほとんどなくなったようです。


呉殷政 フクシマ原発事故が起きた時、日本の知識人たちの間で実に多くの反省と省察の声が上がりましたが、このような声もあっという間に消えてしまいました。日本の原子力産業界は原発を完全にあきらめませんでした。むしろ福島第一原発の廃炉を確実に終えて、原子力エネルギーを再生エネルギーとして広報するという意志の方が強かったと言えます。2021年に自民政権の菅義偉首相は、化石燃料を減らして再生エネルギーの比率を引き上げ、原発を利用すれば炭素の排出が減らせるとして、原発稼働率を2019年の6%から2030年には20%以上に引き上げると言いました。再生エネルギーという名目のもとに、段階的に原発を正常化させる過程で、汚染水放流は彼らにとって必ず解決し克服すべき問題なのです。


李憲錫 事実、核事故が起きたからといって、その国が脱核になる事例はむしろあまりありません。代表的な核事故であるチェルノブイリの事例を見ても、ウクライナでは依然として核発電所が稼働しています。またチェルノブイリ事故当時、かなり被害を受けたベラルーシも、現在、新規の核発電所を建設しています。日本も同じだということです。むしろ、ドイツやイタリア、オーストリア、スイスのような国々が脱核を実行に移しました。その違いは核産業・核兵器に対する政治経済的な文脈から来ていると思います。単に環境問題として接近したり、市民の要求や事故による被害だけで産業がなくなるほど、核産業は脆弱ではありません。この強固なカルテルを打倒するには、政治の領域が重要に作用していくしかありません。代表的にドイツが社会民主党と緑の党が連合政権を樹立することで変化が生じ、結局はメルケル首相のような保守政治家たちも、そのような流れを認めざるを得ませんでした。フクシマ原発事故が発生した当時、日本の民主党政権がもっと有能にきちんと事態を収拾していれば、状況が変わることもありましたが、それがうまくいかず、それ以来、日本の野党は支離滅裂な状態です。そうやって機会を逸したのではないかと思います。


宋基昊 韓国の原子力産業界の問題も考えるべきです。原子力安全委員会という名称自体に「規制」ではなく「安全」という言葉が入ったことからが問題ですが、日本に要請した、資料を公開しろという要求を、私は5回以上しながらかなり感じました。ある資料を日本に求めて受け取ったのか、一切公開を拒否した委員会を見ながら、「彼らは、原発事故があっても汚染水を海に捨てればそれで済むような世界を作ろうとしているんだ」ということを実感しました。ある意味で悲壮感すら感じられました。原子力産業を必ず生かさなければならないと考えているでも言いましょうか?


呉殷政 重要なのは、日本の政財界が、核融合のように先進国ですでに廃棄した核開発の施設に、半世紀以上にわたって執着してきているということです。このような状況が現在の問題と結びついています。一時、フクシマ事態で、人々の反省的で省察的な動きがあると予想しましたが、むしろ、現在、それに対する反動の方が強い状態でしょう。保守主義陣営の根底には、核開発、特に核エネルギーの軍事的利用に対する熱望が相変わらずで、日本も表面には出ていませんが、事実は同じだと思います。そのような武器と発電体系がつながり続ける状況において、現在の事態が進んでいるんです。


南相旭 おっしゃった通り核兵器と発電体系もやはり問題です。この2つの問題がエネルギー転換という大きな問題と絡み合っているようです。


李憲錫 日本の核産業の立場から見ると、フクシマ事故のために産業の扉が閉ざされたようになったわけです。事故が起きた日本の核発電所を誰が買うでしょうか。なので日本の核産業は完全に壊滅状態に陥ってしまったわけで、そのような状態をせめて自国内だけでも克服してみようと、原発再稼動の政策を展開しているのです。プルトニウムを生産する青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設を稼働する問題も同様です。1990年代末に稼働目標だった核燃料再処理施設が2012年までに竣工されましたが、まだ正常に稼働できていません。ですが、日本の核産業界の立場では止めることのできない課題になってしまいました。私は、核産業界が認めようと認めまいと、核産業自体が停滞していることは自らよく認識していると思います。核産業は他の再生エネルギー産業との競争で完全に後退してしまったのですが、私はこれがエネルギー産業の資本の流れにおいても非常に密接だと思います。グローバルな水準では、すでに再生エネルギーや二次電池という新しい転換へと資本が動いています。核産業で最後まで生き残ろうとしているのはロシア、フランス、韓国くらいです。私は現在、核産業界が最後の叫びをあげている段階だと思います。ここで後退すれば本当に先に進むところがないのです。


南相旭 その言われてみると一方で安心もできますね。実際、ドイツのような国家が脱原発に進むことができたのは、ヨーロッパには隣接する他の国家が多く、互いにエネルギーを供給しあうこともあるからですが、東アジアは互いに利益を共有したりエネルギーを分かち合うだけの政治的条件が揃わないので、常に自国内に何かがなければならないのでしょう。


呉殷政 イギリスの国際政治学者ドミニク・ケリー(Dominic Kelly)が、日本がなぜあれほど原発を熱狂的に導入したのかという理由を分析しましたが、その根にはかなり深いものがあります。日本は島国なので、明治維新当時から他国と交流したり、外部から資源を持って来ることが難しく、また自国内の資源も不足しているため、これを、科学技術を通じて克服すべきだというイデオロギーが強かったということです。実際、近代化の時期に、科学技術を通じた革新と進歩という理想は、日本という国家の民族的な脆弱性の言説と結合して、特に原発に対する熱狂的な支持につながりました。核エネルギーの潜在的な軍事的利用価値を知っていた政治指導者や原子力産業界は、そのような熱狂と支持を生み出すことに積極的で、実際にこれを実現したのです。


宋基昊 そのような点では韓国も同じです。原発を再び生かし、汚染水を海に投棄するのに韓国が同意する背景には、政治的・軍事的な動機があると思います。この過程で韓国の社会システムが完全におかしくなったことも明らかになりました。不確実性や危険性を管理するシステムは3つの段階に分けられます。第1段階では、客観的・科学的にリスクを規定して評価します。科学者の仕事です。第2段階では、特定されたリスクを社会がどの程度受け入れるかを決定します。「ゼロ・トレランス」(全面遮断)なのか、あるいはどの程度に受け入れるのか、保護のレベルを決めます。これは科学だけの領域でなく、社会が合意していく領域です。そして、これらすべての手順で関連情報を適切に共有し、十分にコミュニケーションしなければならないという原則があります。これらの3つのステップは普遍的な国際規範です。今回、日本の東京電力が汚染水投棄の放射線の環境影響評価報告書というものを何度も改訂して出しましたが、その内容に多くの問題があったとしても、日本の危険評価システム自体は稼働しているのです。ですが韓国ではどうでしょうか? 不確実性と危険性に対する認識自体を否定し、「おかしな話」であると抑圧します。去る7月、韓国の原子力安全技術院の視察団が日本に行って報告をしました(「福島汚染水処理計画の検討報告書」韓国原子力安全技術院、2023年7月7日)。ですが、韓国みずからが実施した危険評価についての報告ではなく、東京電力の報告書がよくできているという内容だけです。法的手続通りであれば、規制機関である大韓民国原子力安全委員会がその報告書を検討し、承認の可否を決定するべきです。ですが、そのような手続きはまったく行われていません。


汚染水の放流、何が問題なのか


南相旭 自ずから汚染水問題に入ります。日本はフクシマ事故以来、2011年4月ごろに汚染水が発生すると、貯蔵庫を作って1つずつ満たしていきました。2019年8月にグリーンピースの首席原子力専門家は、当時100万トン規模のフクシマ高準位放射性汚染水が、2030年には200万トンに増えるだろうと見通しました。このような見通しをもとに、日本は結局、汚染水を海洋に放出するという決定を下し、菅総理が2023年に放出すると発表することになったのです。まず、汚染水がどのような影響を及ぼすのか、確実にわからないという問題があります。


宋基昊 日本の東京電力が行った放射線環境影響評価報告書を見ると、2つの不確実性が挙げられます。1つは放射性核種組成における不確実です。私たちが言ったように、今回の汚染水問題は、過去に一度も経験したことのない事故のために発生しました。問題はこの事故で組成された汚染水の中で、どのような核種が出てくるのかわからないということです。なので多核種除去施設を使って「処理途上水」を作りますが、この処理途上水にもどの核種が組成されるのか不確実だというのが日本側の報告書の説明です。とにかく設備を通じて処理途上水を稀釈し続けると、自らが関心のある特定の核種が一定の基準値以下で検出される状態になりますが、それを「処理水」と呼び、この処理水を放流するということです。第2の問題は濃縮係数における不確実性です。少し前に近くで捕れたクロソイから基準値の180倍を超えるセシウムが検出されました。従来の理論によるとセシウムは蓄積されないため、この魚の中に基準値の180倍のセシウムが検出されるというのは、その海中に何らかの作用があるということでしょう。たとえば、セシウムの塊があるとかいうことですが、そのような濃縮過程を明確に説明できない不確実性があるということです。


南相旭 では、汚染水を海洋に放流せずに、貯蔵庫を作り続けることは不可能なのでしょうか?


李憲錫 もともと敷地内にあったサッカー場や野球場のような施設をすべて閉鎖し、その場所に貯蔵庫を設置したんです。事故以来、12年間で130~40万トン程度の汚染水がたまっています。はじめはもっと多かったのですが、凍土遮水壁も作り、遮蔽幕も設置しながら、現在は量がかなり減りました。近くの敷地の土地は出入りが統制され、汚染されて事実上使えない場所なので、その土地を買い入れて活用することもできます。ですが、東京電力は様々な言い訳を並べながら買い取りを遅らせています。日本政府と東京電力の立場でいろいろなことを考えてみました。これほど大騒ぎしてまで、あえて放流をしなければならないのだろうか? 果たして単に費用の問題だろうか? 最初に推定したよりもかなり費用がかかるのに?――私は結局、現在進行中の汚染水の放流は、今後のいくつかの手順の始まりだと思います。今より濃度の高い高レベル廃棄物を取り出さなければならず、その過程でより多くの液体・気体の核廃棄物が出ざるを得ないからです。日本政府のフクシマ復元計画をみたとき、日本政府は現在の水準の汚染水も放流できなければ、より大きな汚染の問題を解決できないと考えているのです。


宋基昊 私も同意します。まるで汚染水を放出すれば問題が解決するかのように言いますが、それは本当に巨大な悲劇を招く入口に過ぎないと思います。今後、原発事故が発生しても原発汚染水を海に捨てるでしょう。今、日本は自らの言う「処理水」で魚を育てる実験をしています。処理水でも魚がきちんと生きています。問題は日本が自ら不確実性と認めた濃縮係数です。日本は実験魚を飼料で育てています。外の飼料を持ってくるので、内部生態系の餌を通じた濃縮が起こらないのです。情報の歪曲です。グロッシー事務局長が7月に韓国を訪問したとき、直接会って次のように語りました。少なくとも日本の海底土や深層水、汚染水データに対して、韓国がアクセスできるようにするべきだが、それができていない、IAEAの安全規範にも違反している。――状況に何とか亀裂を生み出すためには、情報に対する粘り強いニーズが何よりも重要だと思います。


南相旭 今、教えてくださった内容をまとめると、汚染水の放流は始まりに過ぎない、その後、より大きな問題があるはずだが、それを備えた情報がまったく共有されないと考えられます。情報が共有されないというのは、結局、民主主義の問題であると言えるでしょう。私の意見を1つ付け加えれば、1945年に広島と長崎に原爆が投下されました。そして1963年に大江健三郎が広島を訪れます。原爆が投下されて、今後100年間は草ひとつ生えないだろうと言われましたが、直接訪問してみると、まだ人が住んでいて森も鬱蒼としているなんです。ですが、この頃から白血病患者が多数発生し始めました。投下から14年も経ってからのことです。日本のNHKのドキュメンタリー「被爆の森」(2018)を見てみましたが、取材員が様々な学者を呼んで森の被爆状態を調べました。その地域社会は、木材を売って生計を立てているところですが、森はすでに被爆していて半減期が100年だそうです。地元住民がみな呆然自失の状態でした。汚染水の海洋放流も、同様に、客観的な評価を下すには時間がきわめて足りないうえに、環境そのものを評価しなければならない状況で、寿命の短い魚1匹だけを見て安全であると判断したのはかなり性急なものと言えるでしょう。


李憲錫 広島と長崎に原爆が投下された後、日本政府が被害者に「被爆者健康手帳」を配りました。それが、長い時間が経って、放射線被爆が実際に人間にどのような影響を及ぼすかについて、きわめてしっかりしたデータになったんです。一方、今、海洋に放出された放射性物質がどのような影響を及ぼすかについての研究は、いまだ十分ではありません。ですから、セシウム基準値の180倍を超える魚が出てくる理由が説明できないんです。基本的にどのような状況が危険なのかがわかりにくければ、事前に予防するという原則が必要でしょう。今、やりとりされている様々な議論には、そのような危険を避けるための努力がないのです。


呉殷政 IAEAは、今回の放流水は基準値以下なので、人体に影響がないと主張するでしょう。こうしたIAEAの主張はICRP(国際放射線防護委員会)の資料に基づいていますが、ICRPの基礎資料となるのが、おっしゃられた広島・長崎の原爆以降の調査および放射線影響の研究資料です。ですが、歴史的に見ると、この資料にはいくつか問題があります。まず、ICRPの土台を作ったアメリカNCRP(アメリカ放射線防護委員会)は、基本的には、広島と長崎に投下された核兵器工場の労働者に対して、一定の線量までは放射線にさらされても安全だという基準の許容線量を定めるために作られた団体です。しかし、遺伝学的側面では、被爆はきわめて少ない線量であっても、一度さらされると遺伝子に変異を引き起こします。結局、NCRPやICRPは費用対効果の概念を導入し、核施設の運用による社会・経済・政治的利益が、防護安全費用や健康に及ぼす危険よりも大きい場合、放射線被爆が「正当化」できるという立場で放射線防護の基準を立てていきます。一方、放射線防護のための実際の人体影響データを提供する広島と長崎の調査の場合、基準となる被爆線量は原爆爆発当時に直接測定した数値ではなく、アメリカの学者が推計を通じて計算した結果による数値ですが、被害の内容はかなり過小評価されています。アメリカ軍部は、最初は爆弾が落ちた地点から半径2キロ以内の人々だけが、急性放射線の影響を受けるだろうと予測しました。しかし、2020年現在、爆心地から4キロ以上離れた地域の人々まで包括しており、10~20キロの外で「黒い雨」(原爆雲から生じた雨)を浴びた人々にまで拡大しました。また、初期の線量の推計も、様々な核種と放射線を過小評価したという指摘に基づいて、何度も修正されました。広島に投下された原爆のために黒い雨の被害を受けましたが、日本政府から被爆者として認められなかった人々が2015年に訴訟を提起し、最近は被爆者として認められました。でもこれも被害以来ほぼ70年が過ぎている時点です。現在、汚染水の放流による被害の問題は、IAEAが断言できるレベルの問題でないばかりか、広島と長崎の事例で見られるように、その安定性を現時点で確言すること自体が理屈に合わない話だと言えます。


宋基昊 形式的にIAEAが提起する安全規定がありますが、この規定で重要な原則は「既存の放射性リスクが存在すれば、それを減少させなければならない」ということです。問題は、今回の事件は、基準値以下であっても汚染水が海に放流されるということですが、それが決して安全ではないという指摘があるわけです。既存のリスクを減らすというIAEAの安全規定に反する、つまり、危険があるにもかかわらず汚染水を放流する決定ですが、そのこと自体が矛盾です。IAEAが自らの立てた最低限の安全規制さえ守らないのです。


南相旭 自らが立てた安全規制を破ることが、汚染水放流の意味するところであるという指摘を、本当に重く受け止めるべきかと思います。IAEAの主張を根拠に、汚染水の放流を容認しようとする韓国政府にも問題があるからです。さらに、単にフクシマの汚染水だけでなく、もっと大きな枠組みで、環境災害に対する総合的なデータの公開と評価を行う必要があると思います。


崩壊した災害対応システムと民主主義の危機


南相旭 2010年代の韓国社会にも様々な災害が起こり、政治環境を変えたり、大きな変化を引き起こしたりしました。現在の政権の場合は、まるで災難がなかったかのように取り繕おうと努力しているようです。単に汚染水の問題だけでなく、梨泰院雑踏事故(2022年10月29日)もそうで、今回の洪水被害の事故もそうです。現在の政治が災害を規定し評価し議論することに未熟なだけでなく、見ていて疲れるという気さえします。災害を隠すのに汲々としているという感覚を、私としては持たざるを得ません。


宋基昊 政府の対応は、まさにフクシマ水産物の輸入禁止措置から問題です。汚染水を海に流すことは大丈夫だが、その海に住む魚は輸入しないということです。この論理は科学的だけでなく国際法的にも矛盾します。自由貿易体制で水産物の輸入を禁止するときは、残念ながら、その禁止の科学的根拠を禁止国家の方で持っていなければなりません。私たちがフクシマ水産物の輸入禁止を主張できる、WTO(世界貿易機関)で認める唯一の論理は、日本の海に問題がある時だけです。ですが、汚染水の放流に賛成しておいて、どうしてその海が問題だと指摘して水産物の輸入禁止をするのかということです。それでも韓国政府はフクシマ水産物を輸入しないという言葉だけを繰り返しています。


南相旭 コロナの時も経験しましたが、今日、起こっている災難は、ある国で発生したとしてもその国の中だけで終わらないでしょう。一方で、私たちは科学を監視しなければなりませんが、また、放流後には、環境や人体への影響を確認するために、科学を必要とすることもある、そのようなジレンマがあるのではないでしょうか。原子力という科学カルテルを批判しなければなりませんが、それらを監視する科学的なシステムは受け入れなければなりません。


呉殷政 民主主義について語るとき、科学の問題を避けて通るわけにはいきません。今回の汚染水論争で、反対側でも賛成側でもともに「科学的に自分が正しい」と言っています。政治的な妥協や制度的な体系ではなく、科学で主張をすれば他のすべての意見を無視できるかのように、武器として科学を持ち出したのです。しかし、科学はそれ自体として、反論と反証に開かれた、民主主義的な知識生産とコミュニケーションの体系です。問題が政治的に過ぎるとき、むしろ論争に科学を持ち込むのですが、私はこの事態がそのことをよく示していると思います。事実、放射線被爆の人体への影響の問題は、短時間で結果を確認することが困難です。さきほど申し上げた、広島と長崎の放射線影響研究所で進められている、原爆被害者の生涯寿命の調査はいまだ進行中です。原爆投下後100年が経過してようやく結果が出るでしょう。フクシマ原発事故による被爆の人体への影響の研究はもう少し長くかかるでしょう。爆弾は理論上数万分の1秒ですべての核種が崩壊しますが、原発事故による被爆は数万年経っても続くからです。その影響を私たちの世代のうちに完全に把握することは不可能です。


宋基昊 私も危機を感じます。韓国海洋水産部の朴成訓次官が「汚染水の問題は科学と迷信の対決」と言いましたが、とても危険な発言です。自分が主張するのは科学であり、それと違った考え方をする人は迷信だというのでしょうか? 科学は危険性と不確実性を合理的に把握するツールです。しかし、海水部次官の主張のように科学を間違った形で煽動すると、むしろ科学という名で不確実性を抑圧する危険があります。相手を迷信やおかしな話を広げる集団であると蔑みながら、社会共同体の一員として考えないということです。


呉殷政 科学はこのような論争で参照可能な知識を提供することができます。ですが、それが他のすべての意見に先立つ唯一の基準であってはならないと思います。私たちが汚染水放流の有無に関する意思決定をするとしたら、そのリスクに関する科学的知識だけでなく、放流問題が提起する倫理的・外交的・社会的・地域的・経済的な影響を見極めなければなりません。汚染水の海洋放流のように論争的な事態はなおさらのこと、政治の領域でこの決定がもたらす影響について様々な側面から見て世論を集め、民主主義的に慎重に意思決定をするべきです。


李憲錫 今回の汚染水の問題は、これまで韓国政府がリスクを扱ってきた方法をよく示しています。しばしば核問題を扱うとき「安全」と「安心」は異なるものだと言います。参戦中の兵士は手榴弾を胸につけて寝たりもします。安全ピンが抜けなければ手榴弾は爆発しないことを知っているからです。現状は一般国民たちに手榴弾を配って「絶対に爆発しません」と言っているようなものです。安全規則を守れば手榴弾が爆発することはありませんが、平時に一般人はそのような危険に耐える必要はありません。このような状況を「無知」や「迷信」であると決めつけることと似ています。訓練を受けた兵士と違って、一般人は未熟なこともあり、しかも不特定多数が手榴弾を持っているだけでも、別の危険を内包するわけですが、このような点は考慮しないのです。何よりも「なぜ自分があえてこのような不確実性に耐えなければならないのか」が説得されなければ、国民は絶対に同意しないでしょう。


南相旭 お聞きしていると、汚染水の問題に過敏反応を示すのは国民よりは政府のようです。人々が災害により大きな関心を持つ理由は、まさに人間の脆弱性のためですが、政府はこの点を見落としているようです。特に災害が社会的弱者にとってより厳しいということはよく知られており、災害に対する社会的関心は、自然と弱者に対する関心や配慮につながります。民主主義はこのようなつながりを重視していますが、これが非科学的であるという理由で崩壊してしまうのではないか、とても心配です。一方、人文学的にはすでに私たちが新しい世界を生きていると感じられるのが、フクシマ以前に人々がまったく知らなかったのがシーベルト(Sv)という単位でした。しかし、私たちが微粉塵濃度を測定して汚染指数を見てみると、今となっては意外とこの単位に慣れています。指摘されたように、科学を根拠にすることが今は普遍的に行われていますが、科学を盲信しながらも不信感を抱く、この問題のバランス点を探すのも、市民教育の1つとして要請されているようです。


李憲錫 ですが、この問題はエネルギー変換と自ずからつながらざるを得ません。韓国は1978年の古里1号機を皮切りに、1980年代に核発電所を多数建てました。現在、計25基が稼働中で、2030年には全体で運転される発電所が30基程度になる見込みです。今でも韓国は全世界で核発電所の密集度や単位面積当たりの核発電容量が最も高いのですが、2030年になると圧倒的に1位になるでしょう。尹錫悦政権は原発最強国という選挙公約を守ろうと、ありとあらゆる方法を使っています。私は、このような状況が、韓国国内の再生可能エネルギー、特にエネルギー転換の面でかなりの毒になると思います。過去の他の政権でも核発電の割合を上げようとしましたが限界がありました。なぜなら、核発電所は稼動しようとすると0%か100%の出力しかないのです。一部だけの出力は不可能です。ですが、私たちが一日のうちで電気を使うパターンを見ると、日中にはたくさん使いますが、夜はあまり使わないようにバラつきがあります。なので、高価であってもLNGや揚水式発電のようなものを混用してきたんです。まるで核発電をもって完全なエネルギー転換ができるように説明しますが、これは技術的に不可能です。産業的な面でもきちんとした検討が必要です。世界中の太陽光パネルを作る10大企業のうち、中国のメーカー以外は大韓民国のメーカーしかありません。韓国はもともと半導体を作ったり、多くの諸条件のおかげで、再生エネルギー分野で成長する可能性があります。それでも政府は、再生エネルギーではなく核産業を支援すると言っています。世界的に核発電を減らし、太陽光や風力中心に進んでいる状況において、このように大きな再生エネルギー市場を捨てて核産業に進むことが果たして適切なのか、社会的な討論や議論が必要かと思います。単に核に対する賛成・反対の議論ではなく、産業的な側面、エネルギー供給の側面からの議論が必要です。


宋基昊 結局、このような事態の背景に核産業があり、また政治・軍事的な動因が作用していると思います。韓国の民主主義の急激な退歩と停滞を、市民の力で迅速に克服しなければなりません。今、私たちの国際的影響力がどれほど萎縮し衰退しているかは、端的な例として尹錫悦大統領と岸田首相の会談に見ることができます。韓国の大統領が日本の首相に会って要求した条件の1つが、そもそも設定された基準値を超える異常値が出たら、汚染水の放流を中断してほしいということでした。ですが、このような中断の手続きは、すでに日本の国内法によって進められているプロセスです。日本の規制当局の長官級が役割を果たす部分を、韓国の大統領が要求したというのは、韓国という国の格を急速に引き下げた出来事です。


南相旭 放流を遅延させたり遅らせたりすることが最善の方法ですが、もっと重要なのは、今回、私たちが原子力という産業とエネルギー源にどう取り組んでいくのか、おかしくなった対応システムをどのように回復させ、民主主義の危機を打開するのか、ひいては、地域とどう連帯するかという部分だと思います。このような部分を考えると、単に汚染水の問題や水産物の問題だけでなく、より深い議論が必要のように思えます。


ともに立ち向かう国際社会の連帯が必要


南相旭 放流が始まったら、それ以降はどのような実践が必要でしょうか?


李憲錫 まるで放流されればすべてが終わり、状況が急変するように語られていますが、私はそうではないと思います。日本政府が明らかにした内容によると、30年間で1日に最大500トン程度を稀釈して放流するといいます。毎日約200~300トン程度をゆっくり出すこともでき、途中で設備を維持・補修することもあるため、やむを得ず放流を中断することもあります。確信はできませんが、一次放流、二次放流のように分けざるを得ないと思います。そのような面で、この放流は、一度に130万トンを捨てるのではないという点が重要なポイントです。したがって、放流を始めたとしても、関連する数値が一気に上がったりすることはありません。そのようなことが見えないように稀釈しているんです。


南相旭 では、そのような状況で私たちに何ができるのでしょうか。


李憲錫 私たちは当然、司法裁判所の制度も活用し、国連にも提訴するでしょう。現在、ロンドン条約に基づくロンドン議定書は、核廃棄物の投棄(dumping)は禁止していますが、排出(discharge)は認めています。船舶や航空機、海洋人工構造物から捨てることを投棄として規定しますが、汚染水の放流トンネルがこれに該当するか法的な検討が必要です。つまり、汚染水の放流を明示的に阻む規定がないので、これを見直す作業もともに進めるべきです。放流して終わるのではなく、さらに30年にわたって放流すると言っているので、これについて検討して計画を立てる作業が並行されるべきです。ならば、放射性物質を液体で海に放出することを阻むための一連の過程と手順を、誰が進められるでしょうか。とにかく、近隣国家である大韓民国が、国際社会にそのようなことを本格的に提起すべきタイミングが来ると思います。そのような検討が、市民社会や国家レベルでもっとなされるべきだと思います。


宋基昊 日本政府が予想したよりも国内で強い反対と反発が起きているように見えます。なので、日本社会と韓国社会との国際連帯が重要だと思います。汚染水が放流されれば、それ以降の問題に対する計画が必要でしょうが、とにかく放出を阻んでいる現在の段階では、私たちの能力と民主主義を拡張すべきだという課題があり、そのような点で国際連帯が不可欠です。


李憲錫 そうですね。まずすぐに放流を阻むために戦うべきなのは当然で、この問題は国際連帯で解決すべきだということに積極的に共感します。汚染水の問題の初期に、私も市民社会にかなり問題提起しました。実際に放流反対の集会の現場で日章旗を燃やすパフォーマンスもありました。韓国で脱核運動をする日本人たちが、居心地が悪くて私に何度も別に話したりしました。汚染水の事件は日本という国家の問題ではなく、国際連帯を通じて私たちがともに解決すべき問題です。汚染水の放流国家は、日本でなく、アメリカ、中国、ロシアなど他の国であっても、同じように反対すべきだということです。本質は変わるところがないからです。そのような面で私は、この後を準備する過程はもう少し落ち着いてほしいです。今はあまりにも高揚しすぎています。


南相旭 関連して1つお聞きしたいのは、事実、エネルギー転換の実質的な主体は国家です。炭素中立も国家が配当を受けるものです。ですが、このような国家・政府単位で行われているから、むしろエネルギー転換を難しくしているのではないかと思います。アメリカがひっくり返ったら終わってしまいます。国家単位を越えるエネルギーや核などの問題に関しては、どのようなネットワークが可能でしょうか。


李憲錫 エネルギー、特に電力問題は、基本的に規模の経済が作動する産業です。再生エネルギーでさえ一定の規模になって初めて効率が高くなり、その過程で非常に多くの資本が投入されざるを得ません。個人ができる領域では限界が明らかです。なので、気候政治や緑の政治の領域が重要なのです。国家やテクノクラートたちに任せておくのではなく、市民が監視して積極的に介入する戦略が作られなければ、資本、利益、国家間の論理に引き込まれてしまうでしょう。市民が介入する方法についての検討が必要で、介入の過程における国際連帯が重要な媒介であると思います。汚染水の放流も、初期の局面では国際連帯がほとんどありませんでしたが、最近では状況がかなり改善されています。ただ、実際の現場で日本の市民団体と連帯してみると、困難を感じる地点が1つあります。韓国と日本の運動スタイルがまったく異なります。


南相旭 日本の研究をしている方はわかりますが、「私は漁業が生業なので、汚染された魚でも捕る」というのが日本人の価値観です。韓国の人々にはまったく理解できないでしょう。汚染された魚をなぜ捕まえるのかということです。ですが、私はこのように生きてきたからと考えるのが日本人です。汚染された場所でなぜ暮らすのかと聞けば、私が生きてきた町をなぜ去るのかと反問します。市民社会の雰囲気が私たちと完全に異なるので、連帯の過程でも葛藤が生じざるを得ないと思います。


李憲錫 そうですね。実は連帯というのは、互いに対する認定と尊重から来るでしょう。日本は本当に集会ひとつやるのも大変な国で、特に一人デモをするというのはかなり勇気を必要とすることです。韓国社会のように準備のできた闘士が日本にもいるだろうと思いましたが、そうでないことを見て失望し、言い争いがなされたりすることもあります。まだ韓国の市民団体の方が、国際連帯のための準備や理解の水準が足りないところもあるんです。


呉殷政 韓国において汚染水の放流に対する反対世論が、反日感情に過度に期待しながら進んでいるので、このような問題点が生じたと思います。宋先生がおっしゃったように、汚染水の放流そのものが持つ問題を、体系的な原則に従って解決していくことが必要ですが、日本がやっているすべてに問題があると考えると、国際連帯をするときにも葛藤が生じるのです。韓国の汚染水放流への反対運動は、単に反日感情だけに基づいてはならず、そこに暮らしている住民の生活に対する理解、原発というエネルギー体系の非対称的で犠牲的な構造に対する理解がともなって、正義に支えられたエネルギー転換を追求する、国際連帯の形態に進むべきだと思います。


宋基昊 私はこの時点で、東アジアの非核地帯を強調し続けるべきだと思います。汚染水の放流問題をはなれて、アジアにおける原子力密集に対する市民の懸念がきわめて高いです。実際に各国や地域別に、非核地帯体制や非核地帯化システムが模索されたり、一部はそのように戻ったりもしています。そのことを東アジアでどう実現するか考えるべきです。核発電所が密集し、また核発電を必要とするアジアの経済構造に対する根本的な問いを含めて、放出の問題だけにこだわるのではなく、アジアにおける脱原発、さらには安定的な非核地帯化という構想を体系化する努力も必要だと思います。


李憲錫 普通、非核地帯といえば、核兵器に対する非核地帯を意味しますが、今、おっしゃったのは発電所を包括するものでしょうか。


宋基昊 はい、武器と発電所は冷静に区別できませんからね。10年前、日本の弁護士たちと東アジアの非核地帯の話をしました。この地域にこのように多くの核発電所があってはならないという共感帯を持って、国際法的に東アジアの非核地帯を作る案を議論しました。今はむしろ状況が悪化して、放射能汚染水の海洋投棄を心配しているありさまです。回復のためのきっかけをあらためて考えるべき時のようです。私は、核兵器の非核地帯の概念を、核発電所の非核地帯に拡張したいと思っています。東アジアで核兵器だけでなく、このように多くの核発電所を子孫に残してもいいのか、みなが胸を開いて語ってほしいと思います。


いまだ福島に暮らしている人々


南相旭 私たちがフクシマという地域をよく理解しているのか、考えてみるべき問題だと思います。たとえば、私たちは古里原発とだけ言って、慶尚南道の原発とは言わないでしょう。フクシマの人々のほとんどは、原発から離れた内陸道路の周囲に暮らしており、原発だけでフクシマ全体のイメージが固着することを快く思わない場合もあるようです。


李憲錫 実際に放射能や事故を論じるとき、その地域の人に関しては意図的に避けたり、まったく考えないようになります。特にチェルノブイリの場合はかなり極端なようです。チェルノブイリと言えば、人々は奇形児や奇形家畜のような事例を思い浮かべますが、実際に発電所の事故を記録した国立博物館に行ってみると、そのようなことはほとんどありません。事故を収拾するためにきわめて多くの消防士が犠牲になり、住民がどのように暮らしていて、故郷を離れた人々はどのような人たちなのか、こういうことが主な内容です。ですが、私たちは事故地域を人と分離して他者化する傾向がとても強いのです。


南相旭 原発事故が発生し、日本国内で「第2の敗戦」という言葉が出てきて、その当時、津波で死んだ7千人余りの人々は忘却されました。経済的な利益となる「復興」の声が大きくなるなか、作家たちや人文学者たちによって2010年代の中盤から後半にかけて、本格的な追悼の動きが起こります。すると、今回はむしろフクシマの問題が後景化されたのです。興味深いのは、在日韓国人作家の柳美里が、福島東部の南相馬市に書店を開いて、そこに入って暮らしています。自らが日本社会で少数者として暮らしていたので、福島の人々に近づくことができたのです。このような動きが静かに起こっていることもあります。


李憲錫 韓国では東日本大震災が発生した3月11日頃に脱核集会を行います。一方、日本でその日は追悼し黙祷する日です。地震や津波で途方もない犠牲者が発生した日なので、騒々しく集会をしません。他者化を警戒して国際連帯をするためには、そのような情緒を理解しようとする努力も必要だと思います。


南相旭 フクシマ原発事故に関してよく言及されている話の1つは、結局、東京電力のために地方が犠牲になったのではないかという点です。首都圏の工場を回すために、資本主義の発展のために、地域共同体が犠牲になったのです。そのような意味で、いわゆる人新世のある臨界点を物語る出来事と見ることもできます。


呉殷政 フクシマ原発で生産される電気は、福島県の住民が使うのではなく東京で使用します。とにかく福島の人々は首都圏のエネルギー供給のために犠牲になっており、原発事故のために今や一部の地域では暮らしづらくなりました。実際、この地域の人々にとって、原発事故は依然として進行中であり、汚染水の放流はいくつかの問題の1つに過ぎません。いまだそこに暮らす人々の中に市民科学の活動をする人々がいます。フクシマ原発のすぐ南のいわきという地域では、子供を育てる母親たちが作った「たらちね」という市民科学団体もあります。飯舘村地域には「ふくしま再生の会」という団体ができました。この地域のおじいさんやおばあさんたちは、わざわざ大変な思いをして避難しなければならないのかといって、その地域でいまだ農業をして暮らしています。地域の人々は市民科学を通じて地域の安全を点検し、農業も建設し、子供も育て、食品も作りながら、食品や海水などについて測定活動を行います。これらの作業について行ってみると、政府が除染作業をした公共敷地や道路、田畑などは確かに放射能数値が低いです。一方、山や谷は除染できませんでしたが、そのために地域の方々が山々に行って山菜を取っていた、もとの生活を持続することができません。このような状況で、住民は再生エネルギーの転換や再生農業を試みるなど、新しい生活を作るための作業をしていきます。このような地域性や地域住民に対する理解が、国際連帯のためにも必要だと思います。福島県は原発事故以降、再生エネルギー100%を目指し、エネルギー転換を着実に履行しています。事故に直面し、問題がどれほど重要なのか体感したからこそ可能であったと思います。


南相旭 皮肉なことに、原発に非常電力を供給する発電所が、津波によって浸水して事故が起きてしまいました。地球が動揺し続けて熱くなり、津波が発生するなど、気候危機のレベルの問題もやはり考えなければなりません。エネルギー転換や多様な市民運動とどう結びつけるかという課題が残っているようです。犠牲になった方々、地域社会と住民の情緒を理解しながら、汚染水の問題もともに考えてほしいです。


汚染水の放流は終わりではない


南相旭 ここまでフクシマ汚染水の放流問題を、20世紀後半の核使用の歴史、エネルギー転換運動、民主主義の危機、そして現地住民の生活や国際連帯の可能性にまで関連づけて見てみました。私たちが今後生きていく21世紀は、20世紀に形成された負の遺産をどのように処理し管理するかによって決まると思いました。みなさんはどう思われますか?


呉殷政 20世紀の核の歴史を振り返ると、核というものを政治権力や経済的な側面から見てきたようです。汚染水は危険だと言って極端な反応を示しますが、いざ被害者に対しては漠然と、その人々は災害の被害者だと考えて自分と分離します。そうではなく、私たちはこのシステムの一部であり、いつでも同様の事故を経験する可能性があることを自覚する必要があります。私は広島の原爆被害者や福島の地域研究をしながら、武器としての核や原発としての核エネルギーというものは、結局、同じ線上にあることを確認し続けています。結局は、発展という領域を含む形の、東アジアの非核地帯へと進むべきだと思います。


李憲錫 韓国社会が汚染水の放流をきっかけに、より大きな問題の入口に立っているようです。この問題には、核兵器の発展など、これまでの核産業の歴史がすべて絡み合っています。汚染水の放流をめぐる賛否の議論やいろいろな問題が、今、韓国社会の1つの試金石のように感じられますし、ここで一歩離れて見る必要があると思います。誰が正しいのか、科学的に数値が合うのか間違っているのか、それはそれで議論が必要ですが、他にも多くの問題がこの問題の中に含まれています。一連の事態を見守っていると、2020年代に私たちは一度も経験したことのない世界に暮らしているようです。汚染水の放流をめぐる様々な議論を、私たちの社会のさまざまな裏面を見る契機として、この問題をもう少し客観化して見つめる態度が必要です。


宋基昊 私は、韓国の民主主義に対する根拠のない希望を抱くよりは、問題が何なのか、真剣に考えてみようということを申し上げたいです。私たちは経済的にかなりレベルが上がったかもしれませんが、民主主義の側面では急激な退行と退歩を経験しています。このおかしくなったシステムが、単純な誤謬や間違いから発生したのでしょうか? 漠然とした希望ではなく、基礎から根本的な議論が必要ではないでしょうか。なぜ韓国のシステム自体が止まってしまったのか、なぜこの矛盾が大韓民国で最も大きく浮上しているのか、この部分を痛切に振り返るべきかと思います。


南相旭 フクシマ汚染水の問題は、単に水産物が安全か否かという問題で終わるのではなく、これをきっかけに民主主義の問題、エネルギー転換の問題、そしてそこに暮らしている地域住民を他者化せずに、自分たちと同じ生を生きる人間として理解できるかにまでつながるようです。複数の地点が複雑に絡み合っています。ある意味で「汚染水の時期」といえる現在、私たちに求められるのは何なのかを考えます。韓国の民主主義の危機はもちろんのこと、その危機を許容する国際的な秩序も崩壊したようです。これをきっかけに、今後、私たちはどのような部分に集中すべきなのか、特に生活世界のレベルで自分に何ができるのかについて、私も一生懸命考えてみたいと思います。今日はお疲れさまでした。(2023年7月26日/創批西橋ビル)

〔訳=渡辺直紀〕