[論壇]朝鮮半島情勢の新局面と分断体制
朝鮮半島情勢の新局面と分断体制
白楽晴
『創作と批評』名誉編集人、ソウル大学名誉教授。著書に『西洋の開闢思想家D.H.ロレンス』、『近代の二重課題と朝鮮半島式国づくり』、『白楽晴会話録』第1~8巻、座談集『開闢思想と宗教学び』などがある。
本稿の基になった韓半島平和アカデミー(以下、韓平アカデミー)の講演は、2024年5月9日盧武鉉市民センターで行われ、次いで録画された動画がユーチューブ「白楽晴ТV」で放映された。『創作と批評』2024年夏号での、文章烈・李承煥・鄭旭湜というお三方の対談「危機の南北関係、持続可能な平和を求めて」は、それに先立つ4月24日に行われたが、雑誌の刊行は5月下旬だった。したがって、双方がお互いに参照して生産的な対話を交わす機会はなかった。お三方の座談会から学んだ点を、私の講演で参照できたらよかっただろうし、また私の講演内容についてお三方の検討と論評をいただけたらとてもよかっただろう。南北関係の危機を懸念しながら、持続可能な平和を求めようとする意志を持った人々の間での対話と討論が必要と切実に感じるので、講演の一部を要約して収録し、その合い間に座談会の内容を紹介し、また論評しようと思う。講演は元来の口語体で、追加された脚注とゴシックで始まる論評は文語体で整理した。
*
韓半島平和フォーラム側で準備された講演のタイトルは「分断体制の克服と朝鮮半島式の国づくり」です。この間の私の作業で重要な二つのキーワードを選んでくれて感謝します。「朝鮮半島式の国づくり」というのは、私が2021年に刊行した書『近代の二重課題と朝鮮半島式の国づくり』(チャンビ、以下では拙著)のタイトルの一部でもあります。また、その本を出す前から私なりに究明してきたテーマです。ですが、今日の講演では朝鮮半島式の国づくりの経過というか、現行の課題については長くは話さずに、この概念に対して1・2点のみ説明して話を進めようと思います。[1]
“朝鮮半島式”と言ったのは、分断された韓国や朝鮮民主主義人民共和国――あちらで大韓民国と呼んでくれたので、私たちも朝鮮民主主義人民共和国、略して朝鮮と呼ぶことにしましょう――だけの国づくりではなく、わが民族が3・1運動や上海臨時政府を建てた時から目標に掲げてきた朝鮮半島全域にわたる自主独立国家づくりを、相変わらず私たちの目標と考えているという意味です。目標をそのように定めてみれば、この課題は今も完遂できていません。今も未完の課題であり、進行中の課題です。
3・1運動時は、“大韓独立”または“朝鮮は独立国”と表現し、“民主共和国”という用語を使いませんでした。ですが、目標は民主共和国と暗黙裡に定めていたし、上海臨時政府で臨時憲章をつくり、それを確かに明言しましたね[2]。
もう一つのキーワードが“分断体制”です。実は、この分断体制という用語は、私が30年以上主張し続けてきたので、かなり広まりました。それで、この語を使う人は増えましたが、果たしてどれほどその概念に同意して使っているのかは多少疑問です。
周辺でこの単語を使用する事例を見ると、分断体制は南にのみあるもので、南の反共冷戦体制に局限して使う方がいます。その反面、南北にわたる分断体制を考えてはいても、朝鮮半島の南と北だけで完結する体制だと見る方もいます。ですが、私がいつも強調してきたのは、分断体制が朝鮮半島全体を網羅していて世界体制の一つの下位体制だという点です。つまり、世界体制が朝鮮半島を中心にして作動している局地的な現象に該当すると主張してきたのです。またある方は、ただ分断を語るのに、体制という語が入っていればもっと恰好よく聞こえるので、そう使う方もいるようです。率直に申し上げれば、私たちの韓半島平和フォーラムに立派な学者や研究者、論客が多いのに、その方々の相当数が分断“体制”という概念にあまり関心がなかったようです。
だからといって、その方々になぜ分断体制という言葉を使わないのか、と私がフォーラムの共同名誉理事長だからといって、そのようにお話できるわけでもないでしょう(笑)。学者に私の概念に従えと強要もできないでしょう。そうした中、今年の初めに久しぶりに韓半島平和フォーラムの月例討論会に出席しましたが、新年の最初の討論会で挨拶をしてほしいと言われ、同僚を相手に初めてこの問題を提起しました。
この間、韓半島平和フォーラムでは「統一は過程である」という命題を強調してきました。統一というのは、ある日突然、一回性で起こる事件ではなく、長い間の漸進的な過程を経ることであり、その過程自体が事実上の統一に該当するというのは、林東源長官を始め様々な先輩・同学が強調したし、今はそういう認識が私たちの社会にある程度定着したと思います。それは、私たち韓半島平和フォーラムの功績だといえるでしょう。
ところで、私が去る1月のフォーラムで話したのは、統一が過程ならば、それだけ長くかかるだけでなく、その過程が分断を克服していく過程であり、そしてそれをきちんと進めようとすれば、朝鮮半島の分断が普通の分断ではなく、70年を超える停戦体制が持続しながら、分断が一種の体制へと変化した、だから「統一は過程である」にかねて「分断は体制である」という命題も今後普及させましょう、そういう提案をしましたが、数カ月ほどだからか、特に刮目すべき成果はありそうもないですね。
座談「危機の南北関係、持続可能な平和を求めて」でも、“分断体制”が登場したのは尹錫悦政権による“分断体制の再強固化”の試みを批判する李南周に言及した李承煥市民平和フォーラム代表の発言が唯一だったと記憶する[3]。全参加者がこの概念に冷淡だと断定するわけではないが、分断体制論にしっかりと基づかない情勢分析や代案提示は不十分になりがち、というのが私の持論である。以下、適切なテーマに沿ってもう少し詳しく論じようと思う。
*分断は体制である
私が前回韓平アカデミーで講義したのは2018年でした。6年前ですが、今振り返ると本当に今昔の感がします。よく使う言葉で、良き時代でした。私が講演した時が7月でしたが、2018年は平昌オリンピックから始まり、南北間に様々な意味深い、和解と関係の発展が実現しました。そのピークは講義後の9月に文在寅大統領が平壌を訪問して金正恩委員長と三度目の首脳会談を行い、一緒に白頭山に登って、9・19軍事合意というのをつくり上げたことでした。4月には板門店で第一次南北首脳会談を行って「4・27板門店宣言」を出し、6月にはシンガポールでトランプ米大統領と金正恩朝鮮民主主義国務委員長が米・朝史上で最初の首脳会談を行ないました。“シンガポール宣言”という極めて立派な文書を生み出しました。それから多少の曲折はありましたが、ともあれ9月には平壌訪問まで行ったのに、今とはあまりにも異なる歳月でした。その渦中の7月に私が行なった第5期韓平アカデミーの講演タイトルは「市民参加型の統一運動と朝鮮半島の平和」で、先ほど紹介した拙著の第11章に収録されています。
その2018年と2024年の間に、あまりにも隔世の感のように思えるこの間に、どういう変化が、なぜ起きたのか、私たちは究明して進まねばなりません。特に究明にあたっては他人のせいばかりではなく、私自身はどういう間違いを犯したのかを考察し、また適切な点は適切だと説明する、そうした作業がぜひとも必要だと思います。この機会に恵まれたので、そういう話をしようと思います。
私は2018年7月現在で、南北関係の改善が「ほぼ不可逆的な」過程に入った、このように大言壮語しました。もちろん、「仮説」という但し書きをつけ、また「ほぼ」という逃げ穴を開けはしましたが、今考えれば、かなり軽率な発言だったし、余りにも楽観的でした。もちろん私だけでなく多くの方々が、翌年のハノイでトランプ大統領と金正恩委員長が再会した時、会談が決裂する惨事が起こるとは思いませんでした。米国側では会談を惨事へと追いやろうとする勢力がかなりいたため、その人々はある程度予見もし、また希望もしたでしょう。しかし、金正恩委員長は予想できなかったようですし、また米国をよく知る南であっても、あれこれの情報をやり取りしていた文在寅政権もハノイでそのように決裂するとは思わなかったようです。
したがって、2019年にこうした反転が起こるのがわからなかったのは私だけの間違いではありませんが、私には反省すべき特別な理由があると思います。先ほど、他の人が分断体制の概念をあまり理解せず、共感してくれないと不満を吐露しましたが、まさに分断体制論を提起した私自身が分断体制というのが、どれほど解消しがたい体制であり、うまく解消できない限り、いつでも反転の可能性があることを十分に勘案できず、未熟にも楽観論を披歴したのです。私としては反省せざるを得ないことです。
この世の中には分断された国家の数は多くもないし、その分断が朝鮮半島のように体制にまで固められた事例はないと思います。しかし、分断体制に限らずどんな社会体制であれ、それが一度体制として固められれば容易には解消されず、自己再生産能力をもちます。だから、体制なのです。もう一つの特徴は、ただの“分断現実”ならば、私たちが分断自体だけを見ても大体どんな現実なのかわかりえますが、これが体制となると、社会全体のあらゆる要素とあらゆる方式が結合されています。それで、その体制を解消しようとする場合、その戦線は南北関係だけではなく多様に分かれています。それで、それを総合的に見て体系的に分析しなければ、きちんとした対応もできないものなのです。
もう一つ申し上げれば、体制がいくら悪い体制でも、よい面が全くなければ維持できません。自己再生産の能力をもったというのは、一定の生命力をもつという話であり、その生命力とはその体制なりに住民に何か利得を与えもするため、そのようになるのです。もちろん、私たちは分断のために苦痛を受けてきたし、元来私たち国民がもっていた統一に対する念願に背いた、そういう現実ですが、これが体制として固まった契機は朝鮮戦争だと思います。それで私は「分断時代」と「分断体制の時代」を区別します。
分断時代と言えば、1945年に私たちが日帝から解放されたのと同時に38度線が引かれ、国土が分断されましたね。その時からが分断時代なのです。これが分断体制として固められたのは戦争を経た後、ある一方の完全な勝利では終わらず、平和体制へ行くこともできないまま停戦状態で固められ、70年以上も経ってみると一つの体制になってしまったのです。これが南北を問わず、私たち民衆に莫大な苦痛をもたらし、双方ともに民主主義を制約し、また自主性を制限しています。こうした弊害があるのに、戦争を経た民衆の立場から見れば、それでも戦争をまた起こすよりは、このように分断されて暮らす方がましだという実感をもつようになったのです。実際、この間に大小の衝突がありましたが、朝鮮戦争のような戦争はありませんでした。そうした点では、分断体制が戦争再発よりはいいのです。だから、その程度の民衆的な支持というか、共感が土台になり、それを基盤にあらゆる弊害が根を下ろしたのです。
それで私は2018年の時点で、分断体制がほぼ後戻りできない解消過程に入ったと公言した点、分断体制論を提起しておいてそれに忠実ではなかったという点は反省しますが、分断体制論自体は依然として重要であり、もっと探求する必要があると思います。
分断体制を解消するために今まで韓国がとってきた政策は“包容政策1.0”だとすれば――その時は、わが政府は南北関係について“包容政策”という語を使いました――、今後は“包容政策2.0”へ進むべきだという主張を「“包容政策2.0”に向けて」という文章で述べました。それが2012年だったし、『2013年体制づくり』(チャンビ)という拙著に収録されています。“包容政策”という語は、今は当然廃棄せざるをえません。北では初めからこの言葉をとても不快に思っていました。お前たちが何で我々を包容するとかしないとか言うのか。今は包容を拒否するという程度ではなく、自分たちが南を抱擁しようと――あちらでは“抱擁”という語を使います――この間あらゆる努力をしたが、“大韓民国の奴ら”とは到底これ以上はなれないし、国家と国家の関係に変えて国家間の関係も敵対的な国家、主敵との関係だと、金正恩委員長は今年になって明示しました[4]。
ところで、私が“包容政策2.0”はその“1.0”と何が違うかを語りながら、一つは既存の政策も一種の南北間の国家連合へ進む道を追求してきたが、“2.0”にしようとすれば明確な設計と目的意識をもって南北連合の建設を推進すべきだと述べました。そして、“包容政策2.0”は徹底して市民参加型の統一過程になるべきだ、この二つを主張しましたが、今考えても、その主張自体を放棄する必要はないと思います。重ねて表明しますが、“包容”という言葉は今後もう使う必要がなく、また私が提示した二つの点ともに、現在は深刻な難関に直面しているのは事実ですが、目標自体は正当なものだ、とこう申し上げたいのです。
*朝鮮の路線転換と今後の南北関係
では、今日の状況と私たちの対応態勢について、もう少し詳しく申し上げます。
今日の状況を一瞥すれば、国内状況と朝鮮半島の情勢のみならず、世界情勢、東アジア地域の情勢も大きく変わっています。特に、朝鮮は非核化を含める米国との和解努力を断固清算し、南北関係も国家対国家、それも交戦国であり、敵対国の関係への転換を宣言し、各種の民族統一関連の機構を解散するなど、具体的な措置をとっています。
ところで、今は国家対国家の関係だとあちらで宣言したので、これは大ごとになった、彼らは統一しないで国家対国家で行こうというんだな、と驚かれる方もいるようです。また、統一運動にあまり積極的でなかった方々が統一や分断克服の作業をしていた人々に向けて嘲弄交じりに言うでしょう。あんたらは民族統一がお好きなようだが、北ではしないと言ってるじゃないか、国家対国家で行こうと言ってるじゃないか、このように話す方もいますが、国家対国家の関係は国家連合をつくるための大前提です。国家連合というのは、国家対国家の連合じゃないですか。
そしてこれは、わが大韓民国政府がとっくの昔に定めた統一方案なんです。1989年盧泰愚大統領は韓民族共同体統一方案というのを発表しましたね。平和共存で始まって南北間の国家連合へと進み、その次に完全統一へと進む、こういう段階的な統一方案でした。これ自体も意味のある事件でしたが、大きな成果を上げられなかった理由、その第一は後に出た南北基本合意書(1992年)とは異なり、北と会って議論して出された案ではありません。もう一つは、その前に北では連邦制を、つまり“高麗民主主義連邦”案を提示したのに、これを使わないという、北から見る時は極めて不純な意図が含まれていたんです。なぜなら、平和共存で始まるのは誰でも賛成することであり、それが国家連合の段階に進むなら、その次にはすぐに完全統一ではなく、連邦制を経て進むというべきなのに、連邦制をスッと除いて完全統一に進むというので、現実的な方案としても疑わしいが、北から見る場合は、ああ、これは我々が高麗連邦制をしようと言ったので、それをしないというつもりだな、このように受け取ったんです。
そうして1991年9月、ついに南北は国連に同時加入することにします。国連に同時加入したというのは、お互いに国家であることを認めて国際舞台で二つの国家として活動しようという意味じゃないですか。ただし、南北基本合意書には「双方の間の関係は国と国の間の関係ではない、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊関係」と規定しました。ですが、それは国連加入の以前ではなく加入した後に出した宣言であるため、国家対国家の関係が国際的にも認められ、南北双方がそれを外交政策として承認した後のことです。そういう前提の下に、私たちがそうだと永久に別々に暮らそうというのではなく、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊関係と語ったので、その時すでに国家対国家を前提にして国家連合と似たようなものを推進する側へ方向を定めたのです。
今年1月に北で最高人民会議が開かれましたが、そこで金正恩委員長は施政演説をしました。韓国の新聞でも大いに報道されましたが、今後は民族統一など、そんなものはなくし、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は国家対国家の関係として進むと語った時、国家連合を追求してきた立場ではむしろ歓迎する面もなくはありません。もちろん交戦国とか、敵対国とか、こういうのは歓迎できませんが、国家対国家の関係で進もうという話は、国家連合へ進むという大前提を公式的に承認したわけです。ところで、その時に多くの人が驚きながら、本当に驚いたのでなければ、心の中では喜んでだからか、もう民族統一は必要ないし、国家対国家の関係へ進むんだと言われ、困惑するような発言もありました。でも振り返ってみれば、それはその方々が国家連合の構想に対し、どれほど無頓着できたのかを示したんじゃないかと思います。
座談会の参席者も国家対国家の関係が必ずしも悪いものではない、という点には概ね同意しているようだ。
「私たちの統一政策は金大中政権後、南北連合―連邦制―統一国家という三段階統一論を堅持しており、実は、南北連合段階までは二つの国家を認める次元なので、二つの国家論によって私たちの統一政策が大きく動揺する部分はないと思うよ。」(文章烈、279頁)
「敵対的な関係を緩和して戦争状態が終息すれば、当然平和的な方式の統一へと進むのであり、そうした条件ならば、南と北という二つの国家の現実を認めることが、両主権国家の連合である南北連合へと発展していく道を促進することもあります。」(李承煥、280頁)
鄭旭湜平和ネットワーク代表は、この間「南北の特殊関係論が惨めに失敗した」と判断し、「特殊関係論であれ、二つの国家論であれ、核心は敵対性を緩和して解決していくこと」だと主張する(278頁)。これに対して李承煥は、「二つの国家論受け入れの核心は、それが分断国家主義へと進むのか、……平和と共存の関係へと向かうのか」が重要であると力説し、「現在の停戦体制、最小限で戦争の終息と関連させて明確に整理せずに、二つの国家論を単純に受け入れるのは問題がある」と指摘する(279頁)。
私自身はもう一歩進んで、分断体制論に立脚して諸般の問題を検討する必要があると考えるが、これは後で再論することにする。
朝鮮の路線転換に関連して、金正恩委員長が行なった演説を直接読んでみるのが重要なようだ。
今日の最高人民会議では、近80年間の北南関係史に終止符を打ち、朝鮮半島に並存する二つの国家を認めた基礎の上に、わが共和国の対南政策を新たに法律化しました。
党中央委員会の2023年12月の全員会議でも、厳粛かつ鮮明にしたように、わが党と政府と人民は流れ来たった歴史の長久な期間、いつも同族、同胞という観点から大様な抱擁力と堅実な忍耐力、誠意ある努力を傾けて大韓民国との祖国統一の大義を虚心坦懐に論じて来ました。
だが、心痛む北南関係史が与える最終結論は<政権崩壊>と<吸収統一>を夢見てわが共和国との正面対決を国策としており、日ごとに悪辣で傲慢無礼になる対決狂症の中で、同族意識が去勢された大韓民国の輩どもとは民族中興の道、統一の道を共に進むことはできないのです。
皆さんがもう少し研究なさる考えならば、全文を求めて読んで下さるように望みます。原資料を自分の目で見ることは極めて重要です。まず80年というのは相当長い期間であり、解放後から今日までと全く異なる道に入っていこうというのですから、この言葉に驚かれた方が多かったのも無理はありません。反面、もう一つ確認すべき点は、南北関係に関する部分が全体の分量の3分の1にもなりません。主に朝鮮の経済問題、民生問題、また北では比較的新たに提起される問題のようで、地方と都市の格差の話が多く出てきます。それで、南北関係の部分へ行くと、過激と言えば過激な言辞が出てきますが、全体の脈絡でこれが占める比重も考察し、この部分を虚心坦懐に分析してみる必要があります。
金正恩委員長の観点に問題がないわけではありません。「大韓民国の奴ら」「大韓民国の輩ども」、このようにまとめて悪態をついていますが、わが韓半島平和フォーラムの多くの方は、実際、この間政府やいわゆる保守陣営から吸収統一の話が出るたびに厳しく批判してきました。そういう方々から見れば、やりきれない、もの寂しいような表現ですが、これは北の思考様式と直結していると思います。北は党と人民の間が完全に一致するという主張でしょう。現実が必ずそうだとは大口はたたけませんが、それは北の理念ですね。でも、大韓民国は現実にそうではないだけでなく、政府と国民が完全に一致すると言ったら、みんなバカみたいでしょう。最近は特にそうです。それで、現政権がなすすべて、金委員長の表現によれば、「悪辣」で「傲慢無礼」な振舞いは、私たち市民とは関係ないと思いますが、北側ではわざとそうなのか、知らずしてそうなのか、「大韓民国の輩ども」「大韓民国の奴ら」、このように一まとめにして話しています。
「対決狂症で同族意識が去勢され」のような表現を、私たちの政権や当局者に局限すれば、話の他だとは言い難いでしょう。また、「敵対国であり交戦国」と言った点は、「交戦国」というのはまだ休戦協定が平和協定に変わっていないので、厳密な意味で、南と北は交戦状態、交戦中に休戦をしている状態です。また、敵対関係というのは、実はわが方が先に言いました。文在寅政権時はなかったのに、現政権になって主敵規定を国防白書に載せました。2022年国防白書に「北の政権と北の軍は我々の敵である」と明記しました。こちらで先にそうしておいて、あちらで主敵だと言ったからと、私たちがあれこれ言う理由はないようです。
同時に、私たちが考えてみる点は、私たちは吸収統一論を批判しましたが、では吸収統一ではない統一をどのようにするのか、具体的な経綸や設計を携えて南北関係の改善を追求してきたでしょうか。先ほども申し上げましたが、国家連合が段階的な統合の重要な過程であり、優先的に経ねばならない当面の課題なのに、この点に関心がない人があまりに多いんです。それで、あなたたちは速度を遅らそうというのは、結局は吸収統一をしようというんじゃないか、このように反問されたら答弁に困ることもありますね。
そしてもう一つは、この間南北関係の改善を推進する方の中に、米国との関係を良くして南北関係も良くなれば、結局は北が中国式またはベトナム式の改革・開放へ向かうだろう、こういう前提に立つ方が大勢います。ですが、私は昔からそれはダメだろうと言ってきました。『近代の二重課題と朝鮮半島式の国づくり』の第12章が「いかなる南北連合をつくるのか」ですが、その332~33頁に北は中国式やベトナム式の開放に進むことはできないと書きました。
中国やベトナムは統一戦争で勝利してから改革・開放をしたのです。ところが、南がピタリと頑張っている状況で、北がベトナム式であれ、中国式であれ、そういう道に進むか?私は初めからそれは実現性がない話だと見てきました。関心のある方は前述の拙著第12章や、その前に刊行した『どこが中道で、どうして変革なのか』(チャンビ、2009年)に盧武鉉大統領が金正日委員長に会ってきた直後に書いた、「2007年南北首脳会談後の市民参加型統一」を参照してくださればありがたいです。
さて、国家対国家の関係が敵対的な性格を脱しようとすれば、基本合意書の相手方の体制を認めることから新たに出発し、相手側の国号も正式に呼ばねばならないし、特に相手が自ら誇りに思う国家的な成果に対する理解あるいは認定が必要です。互いに良い関係になろうとすれば、相手側で何をうまくやったと考えているかを知り、そこに100%同調する必要はないが、少なくともそうした誇りを現実として認めなければなりません。
大韓民国が誇りに思うことなら色々あるでしょうが、一つは、私たちは4・19以来、市民が立ち上がって莫大な犠牲を払いながら民主化を進めてきたということです。もう一つは、よく言われる経済発展ですが、これも民衆の多くの犠牲があったし、立派な企業人と様々な人々の努力が合わさって、今日の経済的には大韓民国の位相が世界でとても高くなっているんじゃないですか。北でもこれを認めることが必要だと思います。反面、私たちの最大の弱点と言えば、軍事主権がないことです。といって、軍事主権もなしに米国の植民地役を務める者どもが、少し経済発展したといって何が大したことなんだ、民主主義というのも上っ面でしかない、このように言われたら対話になりません。
では、朝鮮が最も誇りに思うのは何でしょうか。私の推測ですが、一つは世界最強国の米国と数十年間にわたって対抗しながら、飢え死にもせず膝を屈しなかったということ、それは彼らにとってものすごい誇りです。私たちも同じ民族として本当にあっぱれだと認めるべき姿のようです。最近また一つあちらで誇りに思うのが、核武装です。あらゆる制裁と圧迫に耐えながら、米国も下手に手を出せない核抑止力をもつようになった、こう自慢していますが、核がいいか悪いかはさて置き、実際、簡単な業績ではありませんね。簡単ではないことをやり遂げたという事実だけは認めねばなりません。問題は、国際社会で北を核保有国と認めていないのですが、核保有のみならず、核強国になったと誇示するのを認めてやれば、どうなるのかというジレンマが発生します。
ただ、国際社会というのは非常に偽善的で、狡猾な社会なので、“核保有”と“核保有国”を区別する詭弁を弄しています。いわゆるNPТ(核拡散禁止条約)によって核保有国として認められる国があり、その他にインドやパキスタン、イスラエルについては核開発したということを皆が認めながらも“核保有国”としては認めない、妙な立場をとっています。
それなら、私たちもこの詭弁を利用する必要があります。北は“公式的な核保有国”ではないが、核兵器をつくったし、相当なレベルに達しているという事実を認めながら、それを始発点にして非核化なり、核武力の削減なり、核凍結なり、を推進する形で進めようというのです。核保有したから無条件で悪い奴だ、または初めから核保有を認めないぞ、そのように出るとしたら、将来朝鮮半島の非核化の夢は永遠に達成するのは難しいと思います。
次に、先ほど分断体制の認識について申しましたが、この分断体制について、もう少し新たに認識すべき時が来たのではないか、ということです。韓国の統一運動家の中には、分断体制という用語を韓国にだけ適用する傾向もなくはないのですが、この概念は初めから朝鮮半島の南北が各自異なる方式であれ、非常に特異な汎朝鮮半島的な体制に参与しており、したがって平壌政権も分断体制の一翼として体制内での自己の生存を追求し、これを脅かすあらゆる変化を警戒するのは当然だ、という結論になります。
これは、一方では、北が無条件に悪い、悪魔だという極端な立場と、他方では、北がとる政策は米国があんな風に圧迫するのだから仕方ないのだという無条件に擁護する立場の間の中間に位置します。どちらかの極端でもなく、単純な論理でもなく、問題を実事求是的に見る観点です。
6・15共同宣言の第2項は、「南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案に共通性があると認め、今後その方向で統一を志向していくことにした」でした。少々曖昧な表現ではありますが、南北首脳が会って初めて統一方案に合意したということは大きな意味があり、こうした合意があったから、共同宣言後は南北交流が非常に活発になりました。その前に、南側では「可能な交流からしよう」、北側では「いや、根本問題を解決しないでおいて枝葉的な問題だけを取り上げるのか」と互いに譲らなかったが、共同宣言で根本問題に対して原則的な合意を見たために、開城工業団地と金剛山観光をはじめとして様々なことが可能になりました。しかしその後、南側当局は第2項をさらに具体化するのに十分な誠意を示さなかったし、その点は北も同様だったと思います。
共同宣言の第1項は、「わが民族同士が互いに力を合わせて自主的に解決していくことにした」ですが、これは統一を他人がさせるようにはしないという原則の宣言であり、統一方案ではないですね。さて、第2項で統一方案に合意しても、北は「わが民族同士が力を合わせて自主統一をしよう」という話ばかり繰り返してきました。これは第2項に特に関心がない態度だと私は解釈しますが、韓国よりずっと深刻な生存の脅威に苦しんできた彼らの立場では当然と言えば当然です。その代わり、北は共同宣言の第1項を強調してきて、最近になって対米関係・南北関係が極度に悪化すると同時に、それに対抗して生存できるという自信が大きくなり、敢えて民族統一という目標自体を除くことに転換した形勢です。
さて、北の現在の立場を見れば、民族統一を80年間追求してきたが、今や全く引っ込めたといっても、そんなに完全に引っ込めたのか、あるいは今まで自分たちが言ってきた「わが民族同士が力を合わせて自主統一しよう」、これが現実的に希望がないと判断し、いつか第2項に含まれている国家連合、国家対国家の関係を基本にして敵対関係ではない、他の関係を追求する方へ進むようになるのか?私はそれが不可避だと思います。なぜなら、北は今の状態で米国の侵攻を防ぐとか、飢え死にせず、降参しないだけの力量は確保したが、金正恩委員長が常に強調する人民が豊かに暮らす国とか、社会主義強国を建設しようとすれば、対米関係も改善しなければならないし、南北関係もいつかは改善しなければならないので、これを完全に排除することはできないというのが私の考えです。いずれにせよ、今は国家対国家の関係が敵対国家の関係で永久に進まないなら、関係の改善を再び追求する時期が来るかは注視すべきですね。私は永久的な敵対関係は、まず北としても持ちこたえることは難しく、南側の場合は、そういう敵対関係をむしろ喜んできた政権に対して、最近の4・10総選で国民の審判があったために、状況は非常に可変的ではないかと思います。
この始まり部分で、分断体制論の視角をもう少し具体的に開陳してもよいであろう。分断体制は民族主義的な統一とも距離があるが、本質的に朝鮮半島住民の生活上の利益に反する反民主的・非自主的な体制であり、南北を問わず、民衆の暮らしを画期的に改善するためには克服しなければならない現実である。同時に、前述の指摘のように、それが一旦“体制”をなした以上、たやすく克服できない現実であり、ある不退転の契機を通過する以前は、解消に向けた進行はいつでも止まってしまうとか、後ずさりできる現実なのだ。座談会で、この間の“特殊関係論”が“二つの国家論”に転換したという主張も出されたし、そうした転換が“分断国家主義”、つまり分断を前提にした南北それぞれの国家主義へ進む可能性を警戒する発言もあった。まず事実関係の次元で、南北基本合意書の”特殊関係論”は南北の国連同時加盟で国際社会から二つの国家として認められ、了解された後に分断国家主義に反対するレベルで合意した特殊関係論だった。それから、6・15共同宣言第2項の合意と、それによる南北関係の画期的な発展で分断国家主義は南北双方で緩和された。
最近、朝鮮が発表した新たな立場は、分断国家主義を採択したものと見ることができる。しかし、これも全く新しいものではない。実は、「わが民族同士が力を合わせて自主統一」を叫んできた北の路線自体が、分断国家主義的な性格を多分に帯びていた。つまり、ひたすら自主統一に反対する米帝国主義と南朝鮮の親米・事大主義者たちのために統一ができず、民衆生活の改善が妨げられているという一種の分断国の統治イデオロギーだったのである。
今、南北にわたって気勢を上げている(それぞれ異なる形態の)分断国家主義が、長期的な平和共存を達成しうるだろうというのは、分断体制論の視角からは受け入れがたい。すでに、末期的な局面の大混乱期に入った世界体制の局地的な現実が朝鮮半島の分断体制であることを勘案するなら、一層そうである。今こそ、二つの国家論はずっと前に出されたものであり、低い段階の国家連合すら“第一段階統一”に該当しうるという認識をもち[5]、朝鮮半島の「漸進的で、段階的な、創意的な再統合」への努力に没頭すべき時ではないか。
*市民参加型の統一は依然有効である
ここで、市民参加型の統一という概念に戻ってみようと思います。金正恩委員長が、国家対国家の関係を宣言したのと同時に、南北間のあらゆる交流機構と装置を廃棄した現況で、市民参加型の統一とは何という戯言のような話をするのかと反駁される方もおられるでしょう。私は2018年の韓平アカデミーの講演で、「市民参加のうち、最近の歴史で最も重要な行為は南北関係の発展を阻害する政権を市民がひっくり返し、追い出したことです。これこそが市民参加型の統一運動の画期的な事件でしたね」(拙著、284~85頁)と述べました。韓国の市民が最近の総選を通じて再びそうした動きを始めたならば、その波及効果は簡単には予断できないでしょう。
第二次世界大戦後にイデオロギー的に分裂して統一したケースは3カ所で、ベトナム、イエメン、そしてドイツです。そのうち、市民参加がほとんどなく、最悪の事例になったのがイエメンです。双方の当局者たちの野合というか、談合でできた統一だったのが、その大きな理由の一つだと思います。ベトナムの場合は広範な民衆参加がありましたが、私たちがいう市民参加ではなかったし、武力統一であり、戦争でしたね。それでも統一して改革・開放をした成功的な事例ですが、私たちが模範として見習えるお手本ではありません。
ドイツの場合は、私たちはよく吸収統一の例として見ており、一回性の統一になったけど、そこまで行く間にかなり長い過程があったし、西ドイツ住民は西ドイツ住民なりに、また最後には東ドイツ住民が蜂起するなど、旺盛な市民参加がありました。それで、それなりにあの程度の統一が可能だったので、2018年の講義で私はドイツの統一に対して、このように述べました。「現実的に、ドイツの統一はただもう一つの強国を生んだだけで、新たな模範国家が誕生したわけではないんです」(拙著、286頁)。それで、市民参加型の統一をしたなら、ドイツは世界的に優れた模範となる国家になったのに、なれなかったのは残念だという話ですが、とても法外な欲たかりだと考えた方もいらっしゃるでしょうが、今日のドイツをご覧ください。
今のドイツは、ヨーロッパでは最も富強な国ですが、米国との格差が大きく広がり、その上ヨーロッパ全体がだんだん落後していくと思います。経済的にもそうですが、最近イスラエルがガザ地区に侵攻して大量虐殺をしているではないですか。英語ではジェノサイド(genocide)なのに、そういうイスラエルを米国はもちろんドイツ、フランスすべてが積極的に支援、支持しています。特にドイツは、自分たちが犯したユダヤ人虐殺を反省する国であることを名分に、イスラエルがすることは無条件正しいという調子で支持します。ユダヤ人がパレスチナの地を占めてきただけでなく、今はそこの住民をナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺したように皆殺しをしているのに、この事態を支持することでドイツは模範国家というには全く異なる国になっていると自ら立証したと思います。それで、市民参加型の統一がダメなら何かいい手立てがあるのか、と言った私の質問[6]は依然有効であり、中ではそれなりに最もよい統一をしたというドイツも、歳月がたつほど、統一をそのようにしかできなかった結果が露呈しています。
座談会で、市民参加によって今日の難局を突破口がつくられる可能性を、慎重にだが論じたのは李承煥である。「結局、変化は今後3年、あるいはもっと早く成立する新政府の課題」(284頁)だとさっと言及すると、最後の発言では「尹政権の政策転換を期待するより、一日でも早く国政の運営体制を変えることがやはり重要」(287頁)だと一歩踏み込んだ。文章烈もまた同じ考えを開陳する。「今まで論議した解法が立法府と市民社会の行動に局限されると前提にしたが、進歩政権が早期に生まれる場合、行政府まで加勢して平和の回復と定着を加速させうるでしょう」(284頁)。鄭旭湜は(見解がかなり違うとは思わないが)、「私たちの社会と政界で、有事時に武力統一案の排除を公論化」(285頁)することを強調し、そういう場合、「50万の大軍をこれ以上維持する必要はなくなる」し、「兵役制度の変化だけでなく、私たちの社会の深刻な問題として論じられる不平等、ジェンダー葛藤、低出産・高齢化問題についても生産的な論議の契機を提供できます」(286頁)という。ただし、尹政権の退治以前にはこれらすべてが望みのないことだという点を強調していない。分断体制では、すぐには南北関係と直結していないように見える、私たちの社会のあらゆる問題点がすべて不可分に絡まっていることを指摘した重要な発言であるが、まさにそのために「南北関係の発展を阻害する政権を市民がひっくり返し、追い」出すことこそ、「市民参加型の統一運動の画期的な事件」(拙著284~85頁)という分断体制の克服運動のもう一つの要諦を外した残念さがある。
その点をきちんと浮き彫りにできないのは、自分の分野にできるだけ忠実であろうとする専門家らしい姿勢のためだといえるだろう。高度の専門性を備えた南北関係の専門家が必要なのはもちろんだが、分断体制の克服運動には専門家は特にいない。この運動ではみんなが主人であり、多様な戦線でそれぞれに要請される専門性をもった人物が必要なだけである。全体として当面の懸案は依然として「国家と国家の連合」建設であり、その推進エネルギーは結局、市民参加から生じざるを得ないという論理によれば、4・10総選を通じて民意の審判が下された反平和・反民生政権の早期退陣の問題を避けては現実的な論議は不可能なのである。
講演はさらに続いて質疑応答の時間もあったが、残りの部分は削除する。講演の現場でも「近代の二重課題」と「後天開闢運動」などは論ぜずに省略すると述べるにとどめた。ただ受講生に事前配布した資料では、二重課題論と関連して拙著の第1章「近代、適応と克服の二重課題」を、後天開闢運動の関連では序章「キャンドル革命と開闢の世の主人になるために」の最終節「開闢を語る理由」、そして第13章「気候危機と近代の二重課題」を参照することをお願いしたが、本稿の読者にもそのお願いを繰り返すことで終えようと思う。
<注>
[1] 本稿を作成する過程で、主催側が定めてくれたタイトルを変えたし、“朝鮮半島式国づくり”についての簡略な紹介さえも大幅に削除した。当日の全体発言は、ユーチューブ“白楽晴ТV”[招請講演002]で放映している。
[2] 前述のように、この部分は大幅に縮約された。8・15解放後に朝鮮半島が分断されたことで統一された独立国家の夢は挫折したが、結局分断体制の成立と長期間の持続により、“朝鮮半島式の国づくり”は未完の課題として残ったが、それで分断された南北それぞれで展開された国づくり作業は無意味なものではなく、未完の段階的課題を遂行中という面があることにも言及した。
[3] 『創作と批評』2024年夏号、266頁。この座談会からの引用は発言者と頁数のみを本文中に明記した。
[4] 朝鮮の体制の性格上、2024年1月最高人民会議の以前、座談会で注目した2023年12月朝鮮労働党中央委員会の第8期第9次全員会議がより決定的な転換点だったと言えよう。
[5] これに関して、拙著『朝鮮半島式の統一、現在進行形』(チャンビ、2006年)、
20~21、35~37頁などを参照。
[6] 「ですが、一度逆にして考えてみましょう。市民参加のない統一運動が成功した事例がどれほどあり、その結果がどうなったのか」(拙著第11章「市民参加型統一運動と朝鮮半島の平和」、285頁)。
訳 : 青柳純一