창작과 비평

[巻頭言]権力が「統治」を放棄する時にしなければならないこと

創作と批評 205号(2024年 秋号) 目次

巻頭言


権力が「統治」を放棄する時にしなければならないこと


李南周


韓国は今、経済・社会・安全保障などで一度ミスをしたら取り返しのつかない結果を招く挑戦に直面しており、それに伴う危機感も高まっている。しかし、最近まで内外の挑戦に能動的に対応し、少なからぬ成果を上げてきたのも事実である。危機意識を高めるのは、挑戦そのものよりも挑戦に対応しにくくする政治状況である。尹錫悦政権の失政を最も重要な原因として挙げることができるが、それだけでは状況をきちんと診断したとは言えない。政権の失政に牽制と監督が作動することができ、周期的に行われる選挙を通じた変化も可能である。今もその可能性に期待する人が少なくない。しかし、問題が単純な失政ではなく、権力が「統治」を放棄したところにあるとすれば、事情は大きく変わる。

民主主義において統治は不可欠であり、それは支配や統制とは異なる。特に、代議民主主義は選挙を通じて選出された人または政党に国家統治のための相当な権限を委ねる。その権限は、共同体の構成員の安全を保障し、生活の質を高める目的で行使されなければならない。権力が常にこのような基準に従って行動するわけではないが、それに従って行動していると認められるための努力はする。そうしてこそ統治を可能にする正当性を持つことができ、そのような正当性を得られなかった権力は抵抗に直面することになる。それゆえ、これまで主要な選挙で敗北した政府与党は民心を尊重するという意思を示し、国政運営の基調を調整する誠意は見せてきた。

4月の総選挙で惨憺たる敗北を喫した尹錫悦政権には、そのような誠意が少しも見られない。民心に関心がないのは、総選挙前から国民多数が要求していた「特別検察官の任命等に関する法律」(特検法)を大統領が依然としてほとんど拒否していることから確認できる。人事はもっと深刻である。言論の公正性を阻害する放送通信委員長、南北対話を不可能にする民主平和統一事務処長、独立運動を事実上否定する独立記念館長など、自害の人事を繰り返している。梨泰院惨事に対する責任がある行政安全部長官や総選挙敗北後に辞任の意思を明らかにした国務総理も現職を維持している。このような状況下で国家機構がまともに作動するはずがない。民生危機に対応しようとするいかなる真摯な努力も見せていない。自営業が崖に追い込まれ、類例のない税収不足が発生しているが、政府与党は無責任な減税だけを主張している。信頼しがたい企業の調査を根拠にした油田開発の発表、収益性の保障もできない原発建設の受注など、バラ色の幻想を前面に押し出し、民生不安への懸念を払拭しようとする行動は、ブラックコメディの一場面のようである。

実際、この点は政権発足直後、韓国社会に対するいかなるビジョンも提示せず、前政権のせいにすることに一貫していた時から予見されていた問題である。総選挙後の政権の行動は、もしかしたらという一抹の期待さえ捨てさせ、統治を放棄した権力という属性は、より露骨に表われた。これは紆余曲折の多い韓国現代史でも経験したことのない初の状況である。キャンドル革命を経験した国で、どうしてこのようなことが可能なのか疑問に思うかもしれないが、これもまたキャンドル革命が変化させた状況と関連がある。保守勢力は、キャンドル革命を経験した国民を説得するビジョンやアイデアを出すだけの能力を失った。それによって保守勢力の寄生性がさらに強化された。つまり、彼らは国民ではなく、他の力に頼って権力を維持しようとするのである。「共産全体主義」のような仮想の敵を設定したり嫌悪を助長することにより、自分の過ちを覆い、検察と言論を活用して民心を押さえ込んだり、操作できるという非現実的な信頼を抱いて行動している。

権力が統治を放棄したからといって、何もしないわけではない。権力を利用して私的利益を追求する行為は、より熱心なのである。このような状況は、外国勢力への依存性も増加させる。そうでなければ、尹錫悦政権が日本との関係で屈辱的な態度で一貫する理由は理解し難い。「力による平和」を叫び、戦争危機を高めながらも、実際戦争遂行能力はなく、米国が問題を解決してくれると信じる無責任な行動は、寄生性の最も極端な様相である。こうした寄生性がもたらす最も危険な事態は、南北対立や強大国対決の構図に便乗し、国内の危機を覆い隠そうとすることである。

民主、民生、そして平和を破綻に追いやる事態を中断させるために、何よりも国民が国家の主人としての役割を果たすために、尹錫悦政権の早期終息を早く導き出さなければならない。保守勢力でさえ、尹錫悦政権の昨今の行動が続くかどうかを懸念している。総選挙前後に保守メディアや保守政党内で早期退陣や弾劾の可能性が言及されたりもした。しかし、問題の一部でもある彼らが問題解決の先頭に立つはずがない。結局、歴史の転換点ごとに底力を発揮した国民、そして総選挙でそのような国民の支持を受けた政界が創造的な知恵を発揮して方法を探さなければならない。

現政権の早期終息の方法として、政治的妥協、弾劾、そして抵抗権の行使などがある。これは現政権に対する懲罰ではなく、幅広い勢力が参加した秩序ある政治転換の方法にならなければならない。

政治的妥協は、合意によって尹錫悦政権の任期短縮と改憲を同時に推進することである。このような妥協は自然に行われるものではない。まず、尹錫悦政権の本質的な問題と早期終息の必要性に対する共感を広げていかなければならない。弾劾世論が増加したり、政権支持率の下落が臨界点を超え、権力を維持することが難しくなると、政治的妥協の可能性が生まれる。その過程で統治行為の不法性や深刻な腐敗問題が確認されれば、国民が直接乗り出して抵抗権を行使することもできる。しかし、抵抗権の行使は政治的不確実性を高め、秩序ある転換という経路から離脱する可能性があり、直ちに追求する方法ではない。それよりは政界から最大限幅広い勢力が結集し、現政権の不法な統治行為に対する責任を問う作業と弾劾を含む政治的転換を同時に進める道をまず模索しなければならない。政治的妥協であれ強制による退陣であれ、保守の革新があってこそ秩序ある転換がより容易になる。そのために、保守は今のように統治の反復的失敗に帰結する寄生的行動と権力ゲームから抜け出し、新しい国づくりの要求に符合できる統治哲学を作らなければならない。

抵抗権の行使をはじめ、どのような経路で事態が進展しても、最も重要な点は政治転換が混乱と暴力ではなく、民主主義的な方法で進められるという信頼を形成することである。そうしてこそ、その過程に多数の参加を導き出し、また圧倒的な力で完遂することができる。政治過程の不確実性が高まるという懸念があるが、民主主義の核心は民心を反映することであって、選出された権力の既得権を認めることではない。選出された権力が民心に反する道に固執し、国家を深刻な危機に追い込まないように阻止することは、民主主義がまともに作動しているか否かを示すもう一つの試金石である。私たちにはその過程を創造的に、平和的に、そして民主的に成し遂げた歴史的経験がある。それが、現在我々が直面している危機を克服させる韓国社会の底力なのである。


「第2期キャンドル政権、どうつくるか」をテーマに特集を組んだ理由も、こうした底力を発揮する道を探ろうとするところにある。市民メディアの「ミンドゥルレ(タンポポ)」編集委員の田智潤は、不公正で偏った報道を日常的に行っているレガシーメディアに対して、国民の不信が高まり続けている現実を指摘する。同時に、キャンドル革命以後、重要な局面ごとにメディアの影響が強力だっただけに、第2期キャンドル政権の誕生のためには、何よりもレガシーメディアの否定的な影響力を遮断しなければならないと強調する。

レガシーメディアの一部になった「進歩言論」が「機械的中立」から抜け出し、進歩的ニューメディアとともに反尹錫悦戦線に共に立つべきだということを主要課題として提示する。そして、第2期キャンドル政権建設の最も先頭に立つべき共に民主党と祖国革新党の立場を垣間見ることができる2本の論文が続く。民主党の閔炳德議員は尹錫悦政権で行われている民政破綻の様相を具体的に説明し、授権政党(次の政権を受け継ぐことが主な目標である政党−訳者)として民主党が追求すべきビジョンと戦略を明らかにする。生計問題を解決する具体的な政策の提示と民主党の実行能力に対する信頼向上が、第2期キャンドル政権に向かう道を促進できると主張している。祖国革新党スポークスマンの金補協は、祖国革新党が尹錫悦弾劾推進を公式化した背景とそのための戦略を説明する。今後「3年は長すぎる、特別委員会」(別名「弾劾推進委員会」)が尹錫悦政権の早期終息のための活動において中心的役割を果たせるよう市民の関心と参加を要請する。ひとまず、議論の糸口をつかんだといえる。状況の変化を反映した後続議論が続くことを期待する。

「論壇」には重みのある論文2本を載せた。白楽晴名誉編集者は、分断体制の観点から見ると、金正恩朝鮮国務委員長が南北関係を国家間関係と位置づけたことに対し、改めて驚くことではなく、分断体制の克服という方向でこの問題を解決していくことができるという評価を出している。特に、北朝鮮の新たな路線が分断体制克服の主な方向として提示されてきた国家連合という大前提を受け入れる道を開いたという点では肯定的な面があり、核心は今後、国家と国家の関係を基本にして敵対関係ではなく他の関係を追求する方向に進むことができるのかにかかっていると主張する。「K-言説を模索する」連続企画の3回目の論文として「K-文学」の資産と伝統の中で黄晳瑛の長編小説『鉄道員三代』が持つ成就と意義を立体的に分析する白智延の文を紹介する。韓国の近代産業労働者の暮らしと歴史を「民談的リアリズム」という固有の方法で捉えたこの小説が、「国づくり」の変革的想像力を通じて世界叙事の活路を新しく開拓する地点に注目する。

「対話」は、白英瓊の司会で医療部門の現場で活動する金龍進、朴建熹、白在中が参加し、現在の韓国医療の現実を診断し、問題解決の方向性について議論する。医学部の増員問題で始まった医療界と政府間の葛藤が長期化する中で、医療公共性の拡大という核心については議論されない状況を問題とし、1次医療の強化をその主要方向として提示する。

「創作」欄には秋をより豊かに迎えられる作品が掲載された。詩人12人の感覚的な詩とともに創批新人詩人賞の受賞者である金珍先の詩も紹介する。「小説」欄では金ビョンウン、金成重、朴文映、申京淑、尹成姫の新作短編、そして創批新人小説賞受賞者の文韶異の作品に接することができる。私たちを現実の苦痛と対面させたり、その苦痛を癒してくれたりする多彩な作品が優しい慰めとして訪れる。

本号の「作家スポットライト」は、9年ぶりに小説集『ここは大丈夫です』を発表した小説家の全成太に文学評論家の田己和が会う。作家の率直な話と落ち着いた作品分析を結合させ、異質に見えるが韓国現代史の中で互いにつながっている多様な人生を優しく検討するこの小説集の美徳をよく見せてくれる。羅喜徳は、「文学評論」欄において韓国の現代詩に著しい足跡を残した故申庚林詩人の70年の詩歴を丁寧に整理する。詩人の生涯を「泣く者」「さまよう者」として再検討し、歴史共同体から生命共同体へ進んだ詩の世界を見せることで、「詩の父」を失った喪失感を癒す。

「現場」欄には、数多くの国家的論争やイシューの中で少しは埋もれていた10・29梨泰院惨事の真相を糾明するための市民社会の努力と現在の主要争点を明瞭に説明した李美賢の文が掲載される。大統領の拒否権行使の中で唯一通過した争点法案である「梨泰院惨事特別法」が趣旨に合うように運営されることに、市民の持続的な関心が必要だと強調する。「散文」連載「私が住むところ」の本号の背景は京畿道果川である。宋浚圭は「古い新都市」の果川市を舞台にマンション団地の「避けられない」変化の中でも残っているものと残すべきものに対する悩みを盛り込んでいる。

「文学フォーカス」では、金寿伊が車図霞、李昭延、李永光の詩集を、南相旭が金起台の小説集と金異説の長編小説を、権熙哲が韓永仁の評論集をそれぞれ検討する。筆者たちの視線がこの季節に注目する作品をより興味深く有益に読める刺激になってほしい。「寸評」欄には、読者の注目を集めている本はもちろん、私たちの社会に意味あるメッセージを発信する本をまんべんなく紹介しようと努力した。

第42 回申東曄文学賞は 朴世美詩人、金起台小説家に贈られた。受賞者にお祝いの言葉を申し上げる。また、本号には萬海文学賞の最終審査の対象作品も含まれている。冬号に続く受賞作の発表にもご関心をいただきたい。


自然の摂理に沿って蒸し暑さももう過ぎ去りつつある。ところが、私たちを苦しめる問題は自ずと消えることはない。尹錫悦政権の行動を見れば、今よりさらに大きな困難が私たちを待ち受けているかもしれない。しかし、歴史では民の摂理が作動するという信念を持って『創作と批評』の秋号を作り上げた。新しい国づくりを夢見て、困難な時代を耐えている読者の皆様に勇気と力になれることを願う。


訳:李正連