[特集]変革的中道のときに再び描く南北朝鮮関係/鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)
特集
変革的中道のときに再び描く南北朝鮮関係
鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)
政治学博士、元市民社会団体連帯会議運営委員長。共著に『天安艦を問う』、編著に『変革的中道論』など。
hkmslove@hanmail.net
2024年の12・3内乱は、憲法裁判所による尹錫悦の罷免決定と憲法的手続きによる新大統領の選出をもって鎮圧された。内乱勢力の罪を適切に捜査・処罰すべき課題が残るなか、彼らが南北朝鮮の軍事衝突を継続的に試みた点で、韓国社会の民主主義の危機が脆弱な平和の中で育まれたことも確認されている。民主改革と平和は同時的な課題であることは明らかである。
そうした点で、2019年2月のハノイでの米朝首脳会談の「ノーディール」は今なお惜しまれる。その瞬間は明らかに朝鮮半島の平和プロセスが停滞した日でもある。当時の失敗によって、私たちはさらに強力化した北朝鮮の核兵器体系に直面することとなった。65発に達すると推定される核爆弾と大陸間弾道ミサイル(ICBM)、多弾頭ミサイル、極超音速ミサイル、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)[1]が、北朝鮮の保有する核兵器の高度化の実態であると見られる。その現実については、北朝鮮の核施設を数度にわたって視察したアメリカの核専門家ジークフリート・ヘッカー博士(Siegfried S. Hecker)の表現が適切と思われる。「北朝鮮は核兵器でアメリカとその同盟国を脅威に晒すことのできる、3か国の一つとして台頭した」[2]。
40数年ぶりに変わった、力のカウンターウエイト
社会主義諸国が体制危機に直面した1980年代の中・後半に、危機は間違いなく北朝鮮にも訪れた。北朝鮮は1984年に「8・3人民消費品生産運動」を発議し、海外資本誘致のための「合営法」も制定し、生産力の促進に乗り出す。しかし北朝鮮は、1987年、140の西側債権銀行団から債務不履行国家に指定されてしまう[3]。1989年のベルリンの壁の崩壊を皮切りに社会主義諸国が相次いで崩壊するなか、北朝鮮は体制を維持したものの、社会的・経済的に大きな困難に直面した。最も顕著な指標は1991年のソ連との貿易である。1990年に22億2300万ドルだった貿易額が、翌1991年には3億6500万ドルに急減する[4]。ソ連は経済だけでなく政治領域でも北朝鮮に衝撃を与える。1990年9月の韓国・ソ連の国交樹立がそれである。ソ連の動きによって韓国の国際連合への加盟が現実化し、北朝鮮はやむなく、反対していた南北同時加盟に同意することになる。1991年9月の出来事である。その後1992年8月には韓国と中国の国交正常化が続く。これによって南北朝鮮間の力の均衡は揺らぎ、その重心が特にアメリカの影響下で韓国側に急激に傾くことになる。
当時、北朝鮮は核兵器開発を梃子としてアメリカとの関係改善を試みる。南北朝鮮の国連加盟が実現した条件のもとで、米朝国交正常化や日朝国交正常化など、韓ソ・韓中の国交正常化に合わせたクロス承認を通じて、朝鮮半島の安定と平和が追求できるという見解も有力だった[5]。しかし、社会主義圏の崩壊の延長線上で北朝鮮を見る視点の方がより優勢だったため、その後の朝鮮半島の情勢は、「敵対的な米朝関係」という骨格によって規定されることとなる。
北朝鮮の核開発を巡って米朝間の緊張は持続したが、両者の関係をどう解決すべきかについての原則は比較的明確だった。北朝鮮が醸成する軍事的脅威と北朝鮮に対する安全保障が交換される「相互脅威の削減」、根本的解決策としての「関係正常化」、そして方法としての「平和体制」がそれである。こうした原則は相互理解の時間が積み重なって形成されたものだが、アメリカが常に同意したわけではなかった。代表例として共和党のジョージ・W・ブッシュ大統領は2002年に北朝鮮を「悪の枢軸」と規定し、北朝鮮がウラン濃縮で核兵器製造に接近したという疑惑を提起し、1994年の「ジュネーブ合意」[6]を覆した。もちろん2009年4月、オバマの対話原則に対して長距離ミサイルで応じた平壌の選択も問題解決を困難にした。それでも基本的に相互の関係正常化を基盤に平和を実現するという原則を目指した点で、過去30年間の米朝関係の歴史はクロス承認の趣旨と近接している。では核問題はどうか。この紆余曲折を経た時間を、クロス承認の完結へと向かう過程と見なすならば、核問題はアメリカにとっても北朝鮮にとっても、その過程を遅延させる変数であると言える。
さて、では現在、クロス承認の準備は整ったのか。これについては、昨年6月11日(現地時間)のホワイトハウス報道官キャロライン・レヴィット(Karoline Leavitt)の次の発言がヒントとなり得る。「2018年にシンガポールで開催された初の米朝首脳会談の時のような関係進展を望む」[7]。これは直前に、トランプが金正恩に送った親書が北朝鮮によって受領を拒否されたという報道を確認する過程で出た発言であり、トランプとしてはハノイで完結できなかったことを再始動させようとする意志表明と見なせる部分である。もちろん金正恩がこの出発点に並び立つことは容易なことではないだろう。それでも明らかと思われる点が一つある。朝鮮半島における力の均衡が40数年ぶりに対等な地点に達したという事実である。
北朝鮮の変化と内部の改革
北朝鮮は2018年、板門店での南北首脳会談に先立つ4月20日に労働党中央委員会を開催し、「経済と核武力の並進路線」を事実上廃棄し、「経済建設集中路線」に転換すると宣言した。このような経済中心路線は、2021年の第8回党大会で「最も重要な革命的課題」として「社会主義経済建設への総力集中」が強調され再確認された[8]。しかし核開発に対する制裁のために外部資源の流入が困難な北朝鮮の条件下では、数値で列挙される成果でその成否を知ることは難しい。労働意欲を高め、これが内部資源の利用効率を高めながら、小規模ながら生存の道が模索されているか否かが重要だが、これは経済改革措置の実現と効果にかかっている。
北朝鮮の経済改革は、金正日が立案した2002年の「7・1経済管理改善措置」が基準となる。農業と企業、貿易部門で収益性指標を導入し、生産性を引き上げ、市場を育てるという戦略である。国家の役割は最小限の生産指標を提示し、それに応じた納付義務のみを課すことで調整し、余剰生産物は販売して該当組織の財政に充てられるようにするという構想である。7・1措置は、金正日が2001年に中国の改革開放の象徴的地域である上海の浦東新区を訪問し、「天地がひっくり返った」と感嘆した認識に基づいて設計されたため、市場経済に対する実験と理解された。実際、コメなどの生活必需品はもちろん、中間財市場の許可や輸入品の流通まで進み、市場は拡大していった。
しかし当時の改革は、党計画財政部が設立された2005年7月からブレーキがかかる。市場経済の副作用を攻撃して計画経済の優越性を主張する党の意向が強まったためである。その後、北朝鮮は2009年に通貨改革を断行し、市場で得た個人の収益を没収するとともに、常設総合市場の廃止と個人営利企業の没収も実施した。しかし、このような改革への逆行は深刻な敗北に終わった。住民生活に直接影響する米価が暴騰し、供給不足問題は民心を爆発させた。
金正恩時代に入り、経済成長は最も重要な国家戦略となり、7・1措置が再び見直された。変わった点は大きく二つある。第一に、農業と企業、貿易部門において組織の自律性と市場をさらに拡大しつつ、それらすべてを計画経済の中に位置付けた点である。第二に、各改革措置を人民経済計画法、企業所法、資材管理法、貿易法、農場法など関連法律に盛り込んだ点である[9]。いまや市場は、過去のように許可と統制の狭間にある中途半端な補助的領域ではなく、経済の各部分を繋ぐ環のようなものになりつつある。北朝鮮当局は市場経済を育成しながら、これを国家体制内で運営する方法をある程度習得したと言える。
もちろん北朝鮮の経済改革をどの水準で見るかは議論の余地がある。社会主義経済改革は国家ごとに多様化しているが、一般的に三つの特徴は共有されているとされる。第一に、個別生産単位の権限および自律性を拡大し金銭的インセンティブ制度を導入すること、第二に、国家が計画する領域を縮小し生産単位の義務を軽減すること、第三に、市場の合法化および拡大措置を取り市場の制度的安定化を追求することである[10]。この基準に照らせば、北朝鮮の経済改革は社会主義経済改革の一般的水準に合致する。ただ、開放の水準が期待にまったく及ばないのは核問題の影響による。状況要因を除いて運営能力のみで今後の開放可能性を評価するならば肯定的である。朝鮮労働党の政策合意の水準が高く、生産・流通組織も収益指標を中心に運営した経験が蓄積されているため、開放に伴う体制不安要因を大きく懸念することはなさそうである。もちろんこれは投資開放に限定され、自由往来を保障する一般開放は依然として観光特区を中心に制限しようとする可能性が高い。
結局、金正恩時代の経済改革は自力更生に焦点を当てているが、開放のための耐性育成の意味も含む。しかし南北の経済関係の断絶の時間が長くなるにつれて、南北間で互いの必要性を減らす結果も同時に生み出す可能性がある。
二国家関係と特殊関係の相互衝突
現在の南北朝鮮の関係は「特殊関係」と「二国家関係」が競い合う構図である。特殊関係とは、南北が「国家間の関係ではなく、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であるという規定である。1991年12月13日に締結された南北基本合意書(南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書)に盛り込まれており、韓国の「南北関係発展に関する法律」にも明記された(第3条)韓国の公式の立場であると言える。
一方、二国家関係の場合、知られているところでは、2023年12月26日から開催された北朝鮮の労働党中央委員会第8期第9回総会において、南北関係を「交戦中の敵対的二国家」と規定した時からである[11]。二国家関係は事実上、1991年に南北朝鮮が国連にそれぞれ加盟したことで国際的にはすでに公認されたものであり、当時、国連加盟を推進した側は韓国であるため、韓国のもう一つの公式の立場でもある。その点で、北朝鮮が韓国のように二国家関係へ移行することは大きな出来事ではないと言える。同時に二国家関係と特殊関係の間も実は遠くなく、これは韓国の統一方案が二国家関係に基づく「南北連合」である点からも確認される。韓国としては二国家関係と特殊関係を併用してきたと言える。北朝鮮としても2000年の南北首脳会談当時、北の「低段階の連邦制」が南の「連合制」と共通性があると述べたため、特殊関係論の中に二国家関係を包含した形である。結局、特殊関係と二国家関係は、互いに排斥するよりも、現実の二つの様相であると見る方が正しい。
ただ最近、北朝鮮が言及した二国家論は、「敵対的」という表現を外して読むことはできない。敵対的関係は解消すべきである。実際、敵対的二国家関係は米朝間の関係規定としてより馴染みがある。アメリカと北朝鮮も幾度となく敵対的関係を解消し互恵的関係へ移行しようとしたのだから、南北が敵対的関係を解消すべきなのは当然の理である。では敵対的関係を解消した後、両国はどうすべきかという問題が生じる。1991年の南北基本合意書は、国際社会における「二国家」という基盤の上で、統一へと進むべき方向性を打ち出したと言える。そして2000年の南北首脳会談における「6・15南北共同宣言」に至っては、二国家関係の上で統一の方法論にまで言及した「南側の連合提案と北側の低段階の連邦提案が互いに共通性があると認める」という条項(第2項)である。しかし、いまや、北朝鮮が二国家関係をさらに強調する情勢ならば、南北連合の設計図も北朝鮮の条件をより考慮して作り上げていくべきだろう。
北朝鮮の態度の変化は、まず韓国に対する北朝鮮の必要性が急激に減少した点で確認される。経済的必要はもちろんのこと、政治的必要もほぼ消滅した。まず経済的次元で見れば、北朝鮮の生活必需品の需要は中国が代替して久しい。期待を集めた文在寅政権期にも、南北の貿易は米朝交渉とアメリカの対北朝鮮政策の影響を受け、ハノイ会談の合意不成立後は南北関係に極端な断絶のみが続いた[12]。
第二に、北朝鮮の戦略において、統一問題が順位の後方に押しやられる条件の変化が生じた点である。これは北朝鮮の統治方式の変化と連動している。北朝鮮の立場からすれば、統一問題は党・国家の方向性であり、未完の革命完成が統一によって完結するという意味を持つ。したがって統一問題の主導性を維持し、統治に正当性を付与することが、北朝鮮のリーダーシップにおいても重要な課題であった。統一問題は北朝鮮の経済難を説明する名分としても機能してきた。アメリカが統一を阻む実体であるという主張のもと、アメリカの侵略を防御するために軍事力運用に国家的資源を投入せざるを得ず、それが経済に悪影響を及ぼしているという論理である。この論理は1960年代、北朝鮮が四大軍事路線を打ち出して国防費を大幅に増やした時期に端を発しており根深いものがある。北朝鮮が体制危機に陥り核兵器の開発に乗り出した1990年代には、特にこの論理が極めて切実に必要とされた。北朝鮮がいまや統一問題を核心議題から除外するということは、統一問題を取り下げても構わない水準の、新たな統治方式が生まれたことを意味する。北朝鮮が統一問題を後回しにする二国家論を提起する背景に「わが国家第一主義」があり、わが国家第一主義が登場したのが、北朝鮮が核武力完成を宣言した翌日の2017年11月30日であった点は示唆に富む[13]。核兵器による対米防衛体制の完成が、金日成―金正日―金正恩へと続く首領体制に新たな正当性を付与しているという意味だからである。
特殊関係と二国家関係の有機的承認は、1991年の南北基本合意書から2000年6・15共同宣言に至る期間に南北朝鮮が築いた平和と共存の実体であり、その後20数年を支えてきた平和の秩序でもある。その点で特殊関係を除いた二国家関係は潜在的な危険が大きい。起こりうる危険のレベルは、過去の盧泰愚政権以前の時期、南北間の衝突が日常化していた敵対的状態とは比べものにならない。特に境界線にある西海(黄海)は、二国家関係においてはさらに危険な地域となり得る。
朝鮮半島において1953年の休戦協定体制が依然として変更されていない点も大きな問題である。これにより北朝鮮が核兵器体系を強化し続けるならば、二国家論はさらに危険になる。両国家間の軍備競争が避けられなくなるからである。朝鮮半島が火薬庫化していくならば、最も大きな損害を被るのは韓国側であろう。特殊関係を統一問題に即座に置き換えるのではなく、当面の緊急の平和管理の中に置く知恵が必要な局面である。
韓米合同軍事訓練が平和問題の第一の議題
朝鮮半島の平和問題の出発点は米朝首脳会談である。2019年のハノイの失敗ではなく、2018年のシンガポールの原則から再出発すべきである。現在の米朝関係は、不安定化したアメリカの指導力、ロシアの拒否権に阻まれた国連の対北朝鮮制裁、核兵器の高度化に加え、ロシアと同盟関係を回復した北朝鮮という新たな変化の上に成り立っている。何が議題となるべきか。注目すべきは2019年6月のトランプ・金正恩の板門店会談である。ここで扱われたのは韓米合同軍事訓練の中止の問題だった。その文脈はハノイ会談決裂後の北朝鮮の李容浩外相の記者会見での発言から推測できる。彼は、「制裁解除を要求したのは、それがアメリカにとってより容易なことだろうと思ったから」だが、非核化措置のための最優先課題は、北朝鮮に対するアメリカの安全保障である、と述べたことがある[14]。したがって、それから4か月余り後に、板門店で金正恩がトランプに提起したのは、まさにその安全保障に関する話であったと理解できる。しかし、その年の8月に韓米合同訓練の再開が決定されると、南北朝鮮の関係と米朝関係は本格的に膠着し悪化していく。
韓米合同訓練の問題は、韓国よりもアメリカの選択に左右される点で大きな困難がある。この訓練の歴史に照らせば、これは完全にアメリカの必要性と決定によるものだからである。実戦訓練の場所として韓国が選ばれた背景には、北朝鮮の脅威からの防衛という名分のもとで受容性が高かった点が作用したが、今となっては、この訓練が単に北朝鮮だけを狙ったものではなく、中国を圧迫するアメリカの戦略の中で作動していると見なすべきである。現在の、状況が変わった最大のポイントは、やはり北朝鮮が核兵器の高度化を完成させる段階で、中国やロシアの水準には及ばないものの、アメリカを脅威にさらせる国家になった点である。北朝鮮の軍事力は、中国とロシアがアメリカ牽制のために北朝鮮を活用できる戦略的価値となり、アメリカとしても北朝鮮を自陣に引き寄せなければならない動機があると言える。
私たちとしても、潜水艦を含む北朝鮮の海上戦力が、ロシアなどの支援を受けて急速に発展する事態は、西海(黄海)における軍拡競争を招く結果となるため、今こそ北朝鮮を止める動機が必要である。特に両国関係の中で、西海における領海境界線の問題が勃発すれば、朝鮮半島の危機の爆発力は増大する。
韓米連合訓練の中止は北朝鮮の核兵器凍結と交換される。北朝鮮は核物質・核弾頭を含むすべての核関連活動や大陸間弾道ミサイル、陸上装置だけでなく、潜水艦のような海上発射装置、ロケットエンジンの試験など、核兵器体系内のすべての活動を凍結することになる。韓米合同訓練がいつでも再開され得るように、北朝鮮の核兵器水準も現状で凍結されるが、各兵器システムの無能力化といった核軍縮の問題は、平和体制の段階の核心議題として議論されるだろう。議論だけが盛んだった過去を反省するならば、凍結状態を監視・統制できる体制を運営することが、信頼醸成措置の中心となるべきである。そして同時に重要となる問題が、まさに南北朝鮮の間の「9・19軍事合意」である。2018年の9・19軍事合意は、軍事境界線地域で南北の軍事力が展開されないよう統制する意味を持っていたが、軍備統制全般を議論できる機構の設立までには至らなかった。韓米連合訓練の問題が調整されれば、9・19軍事合意も南北共同の軍事協議機構を創設・運営する段階へと進むことができるだろう。結局、朝鮮半島平和における韓国の役割は、韓米軍事協力の方式転換と軍縮プロセスへの移行の有無によって決定されることになる。
分断体制の克服を目指す変革的な中道の視点
私たちの立場からすれば、朝鮮半島の平和の危機はひとまず大きな山場を乗り越えた。12・3内乱が南北朝鮮の間の局地戦の中で進行していたならば、韓国の民主主義は破壊され、南北が対決姿勢に入ることで、分断体制が再び固着化する道を歩んだだろう。しかし北朝鮮は反応せず、逆に南北の通路となる道を破壊して防壁を築いた。多くの分析では、ロシア派兵の条件のため、あるいは北朝鮮内部の経済成長戦略に照らして、韓国情勢に巻き込まれることが危険だと判断したためと見ている。それが正しいだろう。ただし筆者は、状況の要因だけではないと判断する。まず北朝鮮の指導部が、もはや軍事対決を志向する韓国の勢力を、自らの体制維持の対抗体として必要としていないように思える。これは核兵器体系の高度化がもたらす心理的な体制安全の効果だろうが、そこから捉えられる意味は別途にある。今後、韓国国内で自らの既得権益を守るために北朝鮮との軍事衝突を誘導する特定保守勢力の行動が繰り返されたとしても、それが北朝鮮の指導部レベルで利用価値があり利益となる現象として機能するケースはほとんどないだろうという点である。これによって「南北朝鮮の保守勢力が極と極で対峙しながらも、ある意味では巧妙な共生関係にある」[15]分断体制の重要な構造の一つが著しく弱体化しつつある。
では北朝鮮は今後どのような道を進むのか。極めて漸進的に社会主義一般の改革の道を歩むものと見られる。長期的には中国やベトナムを想定することも可能である。党主導の政治体制と市場経済を同時に運営するモデルである。だとすれば、経済的に発展した韓国の存在が北朝鮮の改革・開放を阻むという説明も説得力を失ったのだろうか。ここで北朝鮮が提示した対応策が二国家論である。二国家論の背景として、金正恩が直接、韓国の吸収統一論に言及したことは[16]、核兵器体系完成への自信とは別に、統一問題の枠組みにおいて韓国が依然として北朝鮮の脅威要素であるという意味である。結局、平和的な二国家関係に定着したとしても、統一問題の枠組みの中では、当分の間、韓国と会うことはないという点が、二国家論の政策的な含意となる。
分断体制の変革に関連して、韓国社会の変化は北朝鮮よりも動的である。その出発点が1987年6月の民主抗争であり、分断体制から養分を得る軍事独裁が退き、民主体制が成立した。韓国社会内部の改革の力が分断体制の一角を崩す瞬間であった。より重要な契機は2000年に初の南北首脳会談が開催されたことで到来した。北朝鮮の存在を脅威の対象から包容の対象へと転換させ、分断体制にも一大転換が起きた。しかし、韓国社会は持続的に改革を深化させつつも、分断体制の克服に決定的な力を生み出すには至らなかった。敵対的な米朝関係の軸が継続して作用して平和が揺らぎ、韓国社会の内部の守旧勢力も分断体制に依存して数度にわたって政権を維持したためである。その歴史的時間のなかでろうそく革命が位置づけられているのは、民主改革と平和の道に立ちはだかる分断体制の既得権益層の抵抗も頑強であったことを意味する。
2019年2月のハノイでの失敗と朝鮮半島の平和プロセスの中断で迂回した6年余りの中に、韓国の尹錫悦政権の誕生と没落がある。私的な利益に没頭し「反国家勢力」などと称する言動に見られる異常性に鑑みれば、彼らがろうそく革命で誕生した政権の後を継いで政権を握ったこと自体が、「変則的事態」[17]だったと言えるだろう。結局、彼らは分断体制に依存して長期政権を夢見て内乱を引き起こす。そのとき軍隊を阻んだ市民はもちろんのこと、命令を拒否した軍人、法と秩序を重視する一部の「保守」人士も内乱鎮圧の隊列に加わった。6月民主抗争の時期に「護憲撤廃」で結集したのと同様の幅広い勢力の結集だった。1987年6月の民主抗争が分断体制の既得権の核心にあった軍事独裁を退去させたように、2024~25年の光の革命も、分断体制の核心にある内乱勢力の没落を導いたのである。その点で李在明政権の誕生は、韓国社会において分断体制を解体してきた数々の時間の頂点にある一大事件と言える。
このように、韓国社会が内乱勢力を撃退して「変革的中道の時」[18] に到達した地点で、分断体制を虚無化する最後の作業が、私たちの前にあり、そのことが平和を成し遂げる仕事である。二国家関係の側面から敵対性を解消して、平和関係へと進む比較的近い入口は、まず対北朝鮮ビラ散布問題の完全な解決である。対北朝鮮ビラは敵意の実質的表現であり、戦争手段の一つである心理戦の要素であるため、平和状態の重要な変数となる。9・19軍事合意の復元については、米朝間の平和対話と連動して進められるものと見られるが、韓国が先制的に9・19軍事合意に盛り込まれた軍備管理措置を取ることで、平和問題に主導権を持つことも可能であろう。このとき重要なのが「南北首脳会談」である。
南北首脳会談、両国の正式名称に準じて「韓朝首脳会談」を行うことは、平和的な両国関係が実現したことを意味するため、今後の協力秩序を定めて進めるべきである。「朝鮮」が一般国家としての基準を作りつつある状況を考慮すれば、新たな関係の形は、南北それぞれが法的・制度的保証を通じて、相互の関係水準を定めていく方式になるだろう。韓国の立場でも、政府と議会の合意であり、かつ国民的同意を求める民主的手続きとなるのだから、望ましいことである。この過程で中・短期目標としては、首脳会談の定例化、政経問題の分離を通じた経済協力拡大、民間交流および協力強化などを議論すべきである。低段階の国家連合の秩序が法・制度の形をとって始まるのである。
「朝鮮」が掲げる二国家関係は韓国にとってもいい機会となり得る。分断体制が解体されつつある条件の下で、「朝鮮」にも独自の社会主義改革のための時間が必要なため、「韓朝関係」において性急な協力成果を期待せず、平和管理に集中できる。平和が十分に管理されれば、内部の改革もより弾みがつくだろう。このように87年体制を越えた新たな体制、「2025年体制」の内的基盤が築かれる時、分断体制の克服も目前に迫ってくるだろう。朝鮮半島の平和と民主改革の同時性を捉える視点を、私たちが共有する基盤として、「変革的中道の力」を結集させるべきである。今がそのような「変革的中道の時」であるならば、分断体制にも変革の瞬間が訪れつつあるのは当然ではないだろうか。
〔訳=渡辺直紀〕
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1.核爆弾数65個は2023年に提出された2024年の推定値である。ジークフリート・ヘッカー『核の変曲点』チョン・ジヒョン訳、創作と批評社、2023、558頁。北朝鮮の武器体系については、ホン・ミンほか「北朝鮮の朝鮮労働党第8回大会の分析」『KINU Insight』2021年1号、26-32頁。
2.ヘッカー、前掲書、555頁。
3.チョン・ギュソプ『北朝鮮外交の昨日と今日』イルシン社、1999年、195-196頁。
4.イム・スホ『計画と市場の共存』三星経済研究所、2008年、96頁。
5.クロス承認は、1975年9月の国連総会で、当時のアメリカ務長官キッシンジャー(H. Kissinger)が「北朝鮮およびその同盟国が、大韓民国との関係改善の措置を取れば、韓国とアメリカもそれに相応する措置を取る用意がある」と提案し、公式化された。「米日中ソの南北クロス承認を国連で提案:キッシンジャーの朝鮮半島との縁」『聯合ニュース』2023年11月30日付。
6.ジュネーブ合意は、核開発の疑惑を受けていた北朝鮮の5MWe実験用黒鉛減速炉を凍結し、代替エネルギーのための2000MWe軽水炉を提供する交換を基本とした。これによって将来、両国の関係を大使級に格上げしていくという合意を含んでおり、アメリカが北朝鮮に核兵器の脅威を持ち出さないという約束も含まれていた。イム・ドンウォン『ピースメーカー』創作と批評社、2015、607-611頁。
7.「ホワイトハウス『トランプ、金正恩との対話に前向き』」『ハンギョレ』2025年6月12日付。
8.ホン・ミンほか、前掲書、34頁。
9.イム・サラ・ヤン・ムンス「金正日時代と金正恩時代の経済改革措置の比較研究」『現代北朝鮮研究』25巻1号、2022年、75頁。
10.イム・サラ・ヤン・ムンス、前掲書、80頁。
11.金正恩委員長の発言は以下の通りである。「北南関係はもはや同族関係、同質関係ではなく、敵対的な二国家関係、戦争中の二交戦国関係として完全に固定化された」「金正恩、『南北関係の根本的転換』宣言:「敵対的な二交戦国関係」」『聯合ニュース』2023年12月31日付。
12.アメリカの制裁原則が南北朝鮮の関係をいかに制約したかについては、イム・ジョンソク前大統領秘書室長のインタビュー参照。イ・ナムジュ・イム・ジョンソク対談「朝鮮半島の平和プロセス再始動の道」『創作と批評』2020年夏号、321-46頁。
13.チョン・ヨンチョル「北朝鮮の二国家論」『統一と平和』16集1号、2024年、24頁。
14.ヘッカー、前掲書、531頁。
15.白楽晴『揺れる分断体制』創作と批評社 1998年、157頁。
16..金正恩は韓国に向けて「私たちの制度と政権を崩壊させようとする傀儡たちの凶悪な野望は、『民主』を標榜しようが、『保守』の仮面を被ろうが、少しも変わることはなかった」とし、「外勢と結託して『政権崩壊』と『吸収統一』の機会だけを歌っている連中」と述べた。「金正恩『南北関係の根本的転換』宣言」:「敵対的な二つの交戦国関係」」『聯合ニュース』2023年12月31日付。
17.「変則的事態の猟奇的終末」という表現を採用した。白楽晴「『変革的中道』の時が来た」『創作と批評』2025年春号、16頁;白楽晴『変革的中道の時が来た』創作と批評社、2025年。
18.同上。