[寸評]民主主義の危機に届ける李泳禧の精神
寸評
民主主義の危機に届ける李泳禧の精神
文睿讃/歴史教師・ソウル大学歴史教育科博士課程
yechan0226@naver.com
正直に言えば、12月3日の昼間に何があったのかはよく覚えていない。少し肌寒かったが、ひどく寒かったわけではなかったという程度の記憶がある。年末特有のときめきと、一年を振り返る反省、新しい年への期待が入り混じる気分で、普段通り出勤し、授業をし、ご飯を食べ、人々と話した。夜に「彼」がニュースに登場するまでは。非常戒厳の知らせを聞いてからの状況は、すべて鮮明に覚えている。国会に入っていく軍人たち、ヘリの姿、市民たちの抵抗。その夜の温度、感情、匂いまでもがはっきりしている。そのとき私の頭に浮かんだのは二つだった。1980年の光州、そして李泳禧(1929〜2010)。李泳禧とはそういう存在だ。民主主義を語るときに避けて通れない名前であり、1970〜80年代の暗闇の中でも知性史を照らした灯火。投獄と弾圧に抗しながらも執筆を続け、知識人としての使命を貫いた人物。その李泳禧が2024年、しかも90年代生まれの私の頭に真っ先に浮かんだということは、それだけ12月3日の夜が異様であったということ、同時に民主主義の危機のたびに彼が呼び戻される運命にある人物ではないかと思われる。
李泳禧財団が企画し、高秉権ほか計30人が参加した『私と李泳禧』は、李泳禧を記憶する人々、李泳禧から影響を受けた人々が、それぞれの方法で彼を称える物語を集めた本である。序文にもあるように、人生の後半期に李泳禧は、自身の著作の影響で若い頃に投獄された人々に対し、何度も「申し訳ない」という思いを語っていた。だが、それは投獄された者に限らない。元大統領、政治家、学者、ジャーナリスト、あるいは名もなく日々を生きる多くの人々が李泳禧の本を読み、時代と自分の関係について思索したはずである。彼らが李泳禧を記憶する理由は何か。今日、李泳禧が韓国社会で繰り返し語られ、再び呼び起こされなければならない理由とは何か。
アメリカの哲学者リー・マッキンタイア(Lee McIntyre)は今日の社会を「ポスト真実(post truth)」という言葉で規定する。ポストモダニズムが極限まで進んだ社会では、私たちが信じてきた絶対的価値や信念体系までもが相対化されてしまった。そしてその流れは、自明の真実さえ相対的価値の一つへと貶めてしまった。今日の韓国も同じである。いわゆる不正選挙を主張し、戒厳令を「啓蒙令」と呼ぶこの国の「愛国保守」は、自らの城に閉じこもり、多くのフェイクニュースや虚偽の言説を拡大・再生産している。進歩陣営でさえ、フェイクニュースが力を得る場面がある。虚偽が明らかになっても訂正も謝罪もせず、「全体の利益になるのなら部分的な嘘は目をつぶれる」という言い訳は卑怯でしかない。こうした「脱真実」に李泳禧は断固として反対しただろう。真実とは、彼が全身全霊を捧げ守ろうとした最後の価値だった。
李泳禧は、逆説的にいえば「自由ゆえに不自由」な知識人だった。彼は権力と偶像に挑み、革新的な想像力を追求した。アメリカ批判が“冒涜”とされた時代にベトナム戦争の真実を追い、帝国主義と植民地の終わらない搾取関係、ベトナム民衆の苦痛と思想を冷戦の枠を超えて見つめた。韓国・北朝鮮・アメリカの関係をバランスよく見据え、望ましい統一像を描こうともした。民主主義、統一、言論の自由などの時代的課題に真正面からぶつかり、独裁を批判し、真理の松明が消えないよう、次の世代へ受け継がれるよう尽力した人物である。
そのため彼は思想的には最も自由な知識人だったが、その自由ゆえに本来守られるべき自由を侵害された。『私と李泳禧』は、それでも彼に従いたいと願い、喜んでその道を歩んだ人々の記憶と追憶を紹介している。彼の生涯と思想を通史的に整理した評伝(権台仙『真実に奉仕する』創批、2020)が「縦の歴史」を描く作業だったとすれば、本書は周囲の人々の視点から彼を「横から」見る作業といえる。「ドグマ、固定観念、その時代を支配する誤った常識を信じるな」と助言した李泳禧を通じて考える方法を学んだというジャーナリスト(愼洪範「正義なき戦争を批判した記者」)、李泳禧を「批判的中国研究」の源として学問的成果を継承している知識人(白永瑞「私の人生のバランスを取る錘、李泳禧」)、李泳禧の人間的な側面をそばで見た、先生より結婚式での主礼辞を初めて受けた弟子(兪弘濬「李泳禧先生の主礼辞」)など、彼と同行した人々の多様な物語が収められている。1970年頃に共同通信ソウル特派員として赴任し友情を築いた江口宏の病状を聞き、2009年に見舞いで訪日した彼にインタビューを求めて語り合った日本人記者の回想(平井久志「李泳禧先生と共同通信ソウル特派員たちの友情」)も特別である。
これらは李泳禧と同じ時代を歩んだ人々の貴重な物語である。では、彼に直接会うことができなかった新しい世代にとって、李泳禧はどのように記憶されるべきだろうか。民主化がすでに「前提」となってから生まれた私を含む90年代生まれにとって、李泳禧とはどのような意味をもち、なぜ彼の思想は継承されないのかを問わなければならない。本書で李泳禧を回想する筆者たちは、みな少なくとも40代以上である。彼らの語りが次の世代に大きな響きを与えられるだろうか。もしそうでないなら、それは今日の主流となった既成世代のスローガンと、若者世代の実際の生活が乖離してしまったからではないか。政治、文化、経済、言論、学界──そのどこに新しい世代のための席があるのだろうか。
もちろん、90年代生まれは恵まれた世代である。思想の自由を侵害されて拘束されることもなく、デモをしたからといって連行されることもなかった。物質的豊かさや教育の機会は、歴代の朝鮮半島のどの世代よりも多く享受した。それでもなぜ、私たちの世代は幸福ではないのか。ひょっとすると私たちは「失敗した世代」になるのではないかという恐れが先走ってしまう。熾烈な競争に耐えながらここまで来る間、私たちは父の世代が作った枠組みの中で、新しい想像力と価値を奪われてしまったのではないか。そして残念ながら、その偶像を打ち破るコペルニクス的転換を成し遂げられないまま沈んでいる。私たちは不幸の理由を男女間や障害者、社会の少数者に向け、権力の仕組んだゲームの中に閉じ込められていく。
問題の原因を個々の他者に求めるのではなく、舞台裏にある巨大な構造を見つめること。その矛盾をありのままに告発し、社会的責務を担い、時代の中の個人を思索すること。これこそが、今日の李泳禧の姿勢が90年代生まれに与える知的教訓ではないか。1970年代の産業化、1980年代の民主化が時代の課題であったように、私たちの世代は新たな時代的課題を掘り起こし、その解決策を健全に模索していかなければならない。それこそが民主化のために闘った既成世代と現代の青年世代の隔たりを縮める方法でもある。私を含む90年代生まれにとって、この本は李泳禧が追い求めた価値が今日どのような意味を持つのか、私たちは何を成し遂げていくべきかを考える契機を与えてくれる。
訳:李正連