창작과 비평

[寸評]趙孝濟『燃える地球で異なる生を生きる勇気』

創作と批評 2026年 春号(211号) 目次

寸評



趙孝濟『燃える地球で異なる生を生きる勇気』、創批、2025。

緑色民主市民の指針書

 

宋鐘元(ソン・ジョンウォン)/文学評論家 renton13@daum.net

 

 

地球が燃えている。記録的な酷暑を始め異常気候はもちろんのこと、地球の所々で持続中の戦争や過熱的な乱開発によって破壊されていく生物圏(biosphere)がこのことをよく示している。それだけではない。経済的両極化と嫌悪の情動が人々の鬱憤を極大化するなかで、相変わらず帝国的生活様式を生の標準として南半球に対する搾取に明け暮れる行態が破局と終末の叙事をけしかける。このすべての問題は国際的に連合して解決すべき共同の課題であるが、それより経済的に同質的な集団――巨大グローバル資本と企業――が「不足化」してとりでを築き、危機を深めるし、世界を揺さぶっている。このような問題の底から抜本的に再び思惟すべきことは何なのか。危機の主な原因というべき資本主義は、自然と人間、人間と人間の間の分離を加速化してきた。個々人の生が市場秩序のなかで取引の対象になっただけでなく、われわれ存在の基本条件である地球もまた、搾取の対象となった。今日、われわれは地球とも、他人とも、そして何より自分自身とも遠のいているのではないか。これからは新たな関係を作り、公共のものを蘇らせるべき時期である。 

趙孝濟(チョ・ヒョゼ)の『燃える地球で異なる生を生きる勇気』は破局の叙事に取って代わる「転換の叙事」を語る。著者が見るに転換という言葉は政治的革命とは違って、「意図的で計画的であり、非暴力的な変化を通して経済・社会・文化・行動をくまなく変えるというニューアンス」(146頁)を孕む。彼は炭素資本主義文明から逃れて生態文明へと進んでいく「社会生態転換」を志向する。 

著書において最も興味深いところは、よく知られた破局と終末の叙事を解体する瞬間である。 趙孝濟はすべての生命がそうであるように、地球の文明もまた「成長―保全―弛緩―再組織」という一種の生涯周期を持つという「惑星段階転換理論」に頼って資本主義の周期を見てみる。彼によると、18世紀の産業革命を通じて成長し、黄金期を迎えた資本主義が、現在は経済・金融・エネルギー・食糧など多重の危機を迎えて弛緩(release)段階に差しかかっており、われわれが経験する各種のシステムの退潮と破局・終末に対する不安がつまりこの弛緩段階の混乱像である。こういう分析のおかげでわれわれは破壊的展望を超えて、今の資本主義文明を次の文明の段階へ「軟着陸」させるべきだという人類的課題と向き合うことになる。「炭素資本主義文明の終末は生態文明へ行く過程」(204頁)でもあるわけだ。 

説得力のある叙事を展開するため著者は適材適所に「叙事的里程標」を配置する。本文を始める前、議論の基本方向として設定した14個のキーワード(「はじめに」)と、各章のタイトルを成す15個の質問がすべてそのような里程標だと言える。ここには共通的に内蔵された思惟の方式がある。単純論理で対象を弁えることから脱して、一見矛盾に見えたり、全く異なる領域と考えられることを創造的に結合し、総合する思惟である。「つなぐべき知識の玉」と表現された生態社会主義、エコーフェミニズム、生態経済学、正義にのっとった転換、エネルギー民主主義などの談論が豊かに紹介されるなかで、著者はそれらの協業を可能とさせる創造的視線――著者の表現によると、「非線形的視角」――を堅持する。社会システムと地球システムを「社会―地球システム」に結合する主張が代表的であるが、ここで彼は民衆の解放と自由のために戦ってきた社会システムパラダイムと、生態・環境のために戦ってきた地球システムパラダイムとの相互転換が必要だと述べる。このため多様な学問的智慧と視角を集めるべきなのはもちろんのこと、この際、「変革的中道」の認識があるべきだというのが、著者の強調するところである。近代に適応し、克服する「二重課題」的思惟と実践もまた重要であるが、例えば、技術をわけもなく排斥するより「生態界に脅威とならない水準で」管理し、「最大限、脱商品化して公益的・社会的に善用」する「適正技術」の活用が必要である(243頁)。 

よい叙事がそうであるように、この本には読者の耳目を集める細部もまた豊かである。一つの例として著者は韓国で外国人家事管理士の示範事業の議論が最中であった2024年当時に、フィリピンは11月の一カ月間だけでなんと六つの台風被害を受けて数多くの死亡者と被災者が出たという事実を伝えてくれる。気候危機と政治的・経済的困難さがかみ合い、海外移住が増えるにつれて「フィリピン労働階級の不安定性」(163頁)が急激に深化しているというわけだ。それだけでなく、シンクホール事故の例を挙げて、われわれが自然環境ではなく「建造環境」(built environment)に住んでおり、「技術権的人間」となったという分析も実感を呼び起こす。社会的急変を予測し、介入する叙事に参考となる「ティッピングポイント」、「最大介入地点」などの概念や、MZ世代の消費における積極的な主体性に注目するミーニングアウト(meaning out)、ポスト資本主義の実践方案の一つとして挙げられる学習棄却(unlearning)などの概念もくっきりと刻印される。その他にも冷笑と不安を超えて、新しい生を苦悶するように導くいろんな概念が里程標の所々に登場して生々しい現実感を提供する。 

何よりもこの本はつまるところ生きている人間に向かった言語で成されている。叙事の里程標の果てには地球限界のうちで「すべての存在のよい生」(260頁)を夢見る心がある。誰かは遠大な抽象だと責め立てることもあろうが、趙孝濟はそれが実は多くの人々が心の中で夢見る姿だと肯定する。彼が見るに人間は「笑いながら協力する道が見い出せる存在」(50頁)であり、「社会文化的世界のなかで意味を追い求め、政治的行為主体性を発現しながら生きていく存在」(70頁)であり、「現実が大変でも時間の流れのなかで『適応的対処』ができる存在」(212頁)である。これと同じような定義がこの本によく登場するが、その度われわれは人間に対する著者の信頼が確認できる。そしてこの信頼は著者が人間を記述した文章を逆さまに覆す際により正確に現れる。笑いながら協力する道で人間に出会い、現実の困難さのなかで適応的対処の労働をしながら人間になっていくという意味である。実際にこの本はそのような過程の報告書でもある。  

気候生態危機に霊感を与えてくれる「しっかりした依然さ」を見せたリンゴ農夫の手紙から、資本主義の「邪悪さ」を直視せよと語ったある教授の退任の弁、最終目的地に到達する賢い戦略を知らしてくれたある自転車ライダーの言葉、巨大企業を相手に気候災難の責任を問う闘争を繰り広げてきたペルー農夫の逸話など、数多くの彼らの名前と物語がこの本に登場する。このことは著者がどれほど「民主市民の視角と精神」(15頁)を重視しながらこの本を著したかを証明している。『燃える地球で異なる生を生きる勇気』は文明転換の時期に合わせて届いたプレゼントのような地図である。炭素資本主義の文明を超えて緑色民主市民の生を生きる道に入る時、この地図を手に取った者は確かに勇気を得るだろう。すでにその道の上に多くの人々が行進しているという事実がわかるのはもちろんのこと、自分と似たような顔の人々もまたその道で出会うことになるはずだから。 (翻訳:辛承模)