창작과 비평

[巻頭言]民の気勢から / 宋鐘元

創作と批評 2026年 夏号(212号) 目次

巻頭言


民の気勢から


宋鐘元



 

「なんと愚かなことか/あの海が永遠に/眠り続けると思い込むとは/なんと陶然たることか/あの波が一斉に立ち上がり/咆哮しながら押し寄せるのを見るのは/なんと胸のすくことか/荒れ狂うその波が、ひと息に/この世のあらゆる穢れを/洗い流そうとしているのだと思うと」

これは『道』(創批、1990)に収録された申庚林の詩「波」である。短い詩の中に、民衆の運動性とそれを感知できない世間の偏見を鮮やかに描き出している。詩の副題は「汝矣島の農民デモを見て」である。1989年の汝矣島農民デモは、日帝の残滓である水税(農業用水の使用料)を主要議題として掲げた。詩人は、デモの波が農民を抑圧してきたあらゆる汚れたものを「洗い流して」くれることを期待し、民衆の協同的な動きの中で変革的な気勢が活性化されることを感知した。しかし、水税が完全に廃止されたのは2000年になってからのことであった。

近頃、私たちは小説家・韓江(ハン・ガン)の「死者が生者を助ける」という言葉と、その深い意味を「光の革命」の中で実感した。ところが、マルクスは『資本論』序文で類似の語彙を用いて正反対の意味を表現したことがある。「私たちは生者だけでなく、死者によっても苦しめられる」。いわゆる積弊(長年にわたって積み重なった弊害-訳者)は、思ったよりも長い時間人々を苦しめる。古い課題が一瞬で解決されたり完遂されたりしないという当然の事実を改めて認識することとともに、デモ現場の声を現実化するためには、現場が終わった後も「現場性」を拡張して思索し、つなげていくことが重要である。

内乱が起きてから1年半が過ぎ、新しい大統領が選出されてから1年近くが経過した。短期間で内乱による極端な混乱を鎮静させた成果は明らかである。しかし、内乱勢力に対する複雑な審判の過程、そして国際関係の平和的秩序を脅かす米国主導の非常識な戦争を思い起こせば、国内外で依然として混乱した事態が続いている。さらに、新政権発足後に韓国総合株価指数(KOSPI)という金融指標の成長だけに集中したメディアと大衆の関心、米-イラン戦争による生活上の不安、急変するAI技術を目撃する恐怖などを考えると、急場はしのいだものの、私たちが希望した「あらゆる汚れたもの」の消滅と浄化に向けた期待感と実践力は、ややぼやけてしまった面も否めない。

内乱勢力を明確に懲罰することが依然として重要である。この時点で強調すべき点は、彼らを罰することだけでなく、彼らが頼ってきた古いシステムを変革することである。内乱に加担した者たちが反自主・反民主勢力であったことは、これまで私たちが目撃してきた通りである。守旧既得権益層が危機に陥るたびに示してきた米国依存的な姿勢と、分断体制を再強固化しようとした醜態は、彼らが頼る古い秩序を撤廃することが、自主的で平和的な共同体の繁栄にもつながるものであることを考えさせる。また、内乱審判の過程でも依然として内乱勢力に同調的な性格を見せる司法権力の問題を考えれば、87年体制の憲法を改正することが、民主主義的な価値を守護し、新しく更新する結果につながるはずである。おそらく私たちは今、「自主」と「民主」、そして「平和」の価値を共同体内部でよりいっそう強固にできる岐路に立っているのかもしれない。

私たちは民の力で民主主義を守護する経験を通り抜けながら、互いの顔を見て学び成長してきた。互いを他人だと見なす距離感の代わりに、政治的な親密さを生成する集合的主体としてつながっていることを確認した。南泰嶺で農民と女性と制度政治の人事が出会った場面を特に記憶している。普遍的価値を考える力が大きくなり、互いを身近に感じる心の動きが活性化するにつれて、より良い現実を導く、多様性を内包した民の気勢が私たちの周囲を漂っている。イスラエル軍がパレスチナ民間人に対して行った惨劇を批判し、普遍的価値と人間の尊厳を守護すべきだと述べた李在明大統領の発言と、それに対する市民たちの歓迎と同調が、その証拠の一つであるかもしれない。

私たちはこの気勢に乗り、世の中のあらゆる汚れたものを洗い流す多様な考えと想像を続けていかなければならない。民の気勢に乗るということは、民の力に頼るということでもあるが、韓国社会が完遂すべき任務の方向性に「民の観点」という視野を確保するという意味でもある。民の観点とは、自分の人生を高めることと共同体を変えることが別ではないと知る主権者の視点であり、決められた規則に縛られているよりも、共同のより良い生活のための挑戦的行為と、その行為を調整する創造的秩序を新しく作ることでもある。積弊の根本的な原因を取り除くためには、積弊を当然視する秩序そのものを相手にする、一段階高い現実の秩序が要求される。光の革命を経験し、人々の知恵と実践的行動に感動した人々に改めて共有することはもちろん、近来6月に行われる地方選挙にのみ特別に集中している政界に聞かせたい話である。

 

今号の「特集」では、共同体の歴史と記憶を盛り込んだ作品を考察する。歴史的事件と記憶は、現在の視線に連動して運動性を帯びる潜在的な性格を持つ。逆に言えば、過去の時間をどのように扱うかを見れば、現在の私たちの視線と立場を確認できる。3編の特集記事は、過去と現在を行き来する動きの中で、知(知識)で生(生活)を眺め、生で知を再調整する作業を繰り広げている。共同体の時間を思考の地平の上に据えることで、私たちの現実をより鮮やかにし、共同体の中で共に作り上げてきた特別な価値と、現在の問題を再び見つめ直せるよう導く。

鄭珠雅は、2本のドキュメンタリー『ほこり、舎北を問う』と『1980舎北』を中心に、「舎北事態」(1980年4月、舎北(サブック)地域の東原炭鉱で発生した労働争議-訳者)と命名された事件を掘り起こす。炭鉱労働者たちが権利と尊厳を求めて立ち上がった争議の過程で、偶発的に発生した事件の複雑な実体と、その間に意味を失っていった争議の本質を問い直す。舎北労働争議をなぜ民主化運動の文脈で眺めるべきなのかを丁寧に問い詰め、産業化の過程で人生を奪われた人々の問題を共同の問題として眺めさせる。

韓永仁は、自身の人生はもちろん、共同体の歴史と記憶までも採掘と搾取の対象と見なして叙事(ナラティブ)を作り出す現象を「個人叙事市場」と命名して考察する。「叙事の倫理」という古い規範が崩壊し、「叙事の経済」へと焦点が移ったように見える状況で、彼は歴史的記憶を私的所有に変質させるこの市場の威力を批判的に眺めると同時に、個人の経験に還元不可能な文学の再現能力を噛みしめてみる。

尹銀晟は、許秀卿と趙晶の詩を媒介にして、韓国詩史の中に持続的に描かれる生態共同体の光を捉える。許秀景の過去の詩編の中で、今日私たちが経験している生態危機を感知させる疎外された地域性、人間中心文明の暴力性などを注意深く考察する。趙晶の詩を通じては、生態的な価値を慈しむ実践が、人と自然の間はもちろん、人と人の間をどのように統合的に感知させ、その中の苦痛を解消する次元にまで進んでいくかを語る。

「対談」は李南周の司会で、文喜楨、イ・ヘヨン、鄭鉉坤が参加し、米国のベネズエラ侵攻とイラン戦争という現実を土台に、戦争国家と変わらない米国の面貌を辛辣に明らかにする。さらに、世界史的事案となる極右政治の蠢動に対抗できる「変革的中道の国際連帯」の可能性を模索する。戦時作戦統制権の転換、南北連合の進展の可能性などを具体的・現実的に議論する過程は、現時点で私たちが国際秩序の変化に合わせてどのように能動的に対応し、またどのように私たちの自主性を増大させ、国際社会で「良き国家」としての責任を果たすかを打診させる。

前号の「対談」を通じて予告した通り、今号から60周年特別企画「訪ねて行く現場」が連載される。その第一弾として、人類学者の白英瓊、チュ・ヒョヌが、1年前に大きな山火事を経験した安東地域を訪ねる。山火事で被害を受けた地域の住民、そしてその生活が回復するのを助ける活動家たちを訪ね、彼らの声を注意深く聞き、現場の実質的な困難と解決策を考える。補償金支給などにのみ焦点を合わせた行政措置を越えて、回復のための村単位の実践を支援する努力を強調し、以前と同じ状態への「復旧」ではなく、自治的な生活を「繕い直す」契機を設けなければならないという主張は、特に傾聴すべき点である。現場を訪ねる前には聞くことができなかった物語を聞き取り、多くの困難の中でも生きている地域的生活の活力を感知させる文章である。

同じく60周年特別企画の「韓国文学とK思想の可能性」は2回目を迎え、黄晳暎の小説『ハルメ(おばあさんの方言-訳者)』が、世界の生態叙事の地平をどのようにさらに広く開いていくのか、またその土台にどのような韓国的な思索と心根が根付いているのかを鮮やかに紹介する。連続企画の中で続く今後の評論に対する期待と応援が込められた文章である。

また、「論壇」、「作家スポットライト」、「文学フォーカス」、「寸評」など、さまざまな紙面を通じて、今の多様な声を取り上げた。この季節に出会う嬉しい新作をはじめ、深い洞察を与える作品を紹介し、多彩な思索をお届けする。連載コーナー「私の生を世話したもの」で人生の秘訣を告白してくれた白温柔の散文が静かな余韻を伝え、新作詩・小説を収めた「創作」欄も充実している。

申庚林の詩「罷場(パジャン、市などが終わること-訳者)」(『農舞』創批、1975)には、「みんな一様に友人のような顔」という一節がある。私たちは、あのような顔が増える世界に住んでいるのか、それとも減る世界に住んでいるのか。「一様に友人である顔」が、共同体の豊かさを測定する一つの基準となってくれるはずである。この季節、互いの顔を親密に見つめ合い、夢見る未来を繰り上げて、今この場所で感じ取る日々が読者の皆様に繰り広げられることを祈る。

 

訳:李正連