[論壇] 「現下の思想」が示した近代の出口: 白樂晴の『 西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』 / 金炯洙
1. 韓国精神史の一筋の光について
人間の視野には、時折、明白な精神史の一筋の流れが、時代的な断絶によって断片化される現象が生じる。私が依ってきた韓国の民族文学運動は、「自主的な近代文学」を捉えようとした潮流であり、これに飛び込んだ作家たちは、母国語を使用する集団の実存様相と向き合うために孤軍奮闘した。そのなかで、参与文学、リアリズム、分断体制、第三世界文学、民衆文学などが激しく議論された。注目すべき点は、白楽晴がその根底に流れる「精神史の一筋」を、早くから予見していたという事実である。
私たちが、東学において一つの大きな山をなし、それが義兵運動や日本統治下の独立運動へと続く民衆運動の大筋を意識するとき、「衛正斥邪」か「親日開化」かといった二者択一論の虚妄に気づくように、民族文学の進路もまた、李人稙か黄梅泉かという分岐点とはまったく異なる「王道」があり得ることを、私たちは、過去の民衆文学の伝統の再発見を通じて実感することができるのである。――白楽晴『現代文学を見る視角』(ソル、1991)、25頁
1974年に発表されたこの文章は、『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』(創批、2020)に添えられた「白楽晴の50年にわたる研究の集大成」という紹介文に深い意味を与えている。編集者が付け加えた言葉だろうが、その標語が引き起こす反響は、はるか昔の記憶の回廊を駆け巡り数多くの想いを呼び覚ます。2016年から17年のキャンドル革命、1987年の六月抗争、さらに遡って1980年の5・18光州民衆抗争や1960年の4・19学生革命、そして1919年の三・一運動や東学に至る精神史の文脈を、当時の熱狂に加わらなかった者が一目で把握するのは困難かもしれない。しかし、このことを省略すれば、2024年12月の「光の革命」へとつながる軌跡も理解困難である。引用文で白楽晴が「王道」と明かした、まさに長い間「隠れた神」のように見えない場所で影響を及ぼしてきた微かな光の一つを、私は「宿命の光線」と呼びたい。
『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』は、半世紀以上にわたり韓国の民族文学運動に多大な影響を与えてきた知的研鑽の結晶である。ソウルには優れた高等教育を受けて国際的な識見と眼力を兼ね備えた碩学が少なくないが、暗く惨憺たる現実を貫く自主的な「意識の光学現象」はなかなか起こらない。韓国の知識人たちは長い間、先進国の事例を輸入する「オファー商」(輸入業者)の役割を誇らしげに果たしてきた。エリート集団の大多数が留学組であるという事実、そして一つの文化・生態共同体が二つの政治体制とイデオロギーによって対立する分断国家であるという点は、集団的世界観における対米・対日従属を深化させ、思惟の受動性を強化する構造的装置であった。ヨーロッパの経験で世界を解釈する西洋式の認識と思考は、近代的な権力体系を維持する枠組みである。1960~70年代の産業化を主導した独裁政治を「朴正煕神話」という言葉で美化していた韓国の野望は、文明化・近代化・グローバル化などというパッケージが変わっても、自発的にオリエンタリズム化された認識体系を修正しない。このような土壌において、帝国主義に抵抗し、固有の方式を放棄しようとしない「認識的不服従」運動が起こるのは、容易ではないが、かならずや必要なことであった。
韓国の抵抗文学は、創作と論争を前面に押し出した驚異的な生命力で、認識的不服従運動の歴史を継承してきた。戦後文学から参与文学へ、参与文学から民族文学へ、民族文学から民衆文学へと対立軸を調整しながら、作家たちが政治的受難さえも辞さずに対決したのは、世界文学ではなく、封建性と植民地性の残滓として残った文学、すなわち創造を阻む認識論的従属主義であった。白楽晴は、「人類共通の遺産を無視するどころか、むしろ世界文学の堂々たる一員を自任して出発したのが、私たちの民族文学論であった」(『現代文学を見る視角』8頁)と述べている。
私は、韓国の民族文学運動が一定程度「世界市民的な地域主義」を獲得した時点で、近代が終焉の兆しを示し始めたと考える。それゆえ、近代文学の危機と終焉が提起される過渡期を、しばらくの間、寂寞が埋めたのは事実である。新型コロナウイルス(COVID-19)がこの沈黙を象徴していたと見ることもできる。人類の文明史において重大な事変が発生したのは間違いないが、みながマスクをして口を塞いだまま通り過ぎてしまった。本書が登場したのはまさにこの場所である。白楽晴がイギリスの小説家、D・H・ローレンス(David Herbert Lawrence, 1885~1930)を「西洋の開闢思想家」と名付けた事態は、自我の深淵を這うかのように見えた韓国的思惟の道が、まったく異なる次元の軌道を通過していることを暗示している。周辺部の社会で注目されていなかった遺産が、ある日突然「古い未来」として、主流の普遍性に取って代わる兆しを示すという驚くべき逆転である。私はこのことがまるで一編のドラマのように見える。
2 人類共通の問題を見る世界市民的な観点
この予想外の軌跡を読み解くには、その発端を探ることから始めるべきだろう。白楽晴を「民族文学運動の旗手」と言うときに最も際立つ逆説は、彼を「英文学者」と言わねばならないという事実である。西欧的な様式が世界を支配し、文化的標準として通用していた時代に、英語は後進国の教育の本領に属する一種の「啓蒙機関車」であったと言える。それだけに英文学自体がすでに帝国主義的属性を内包せざるを得なかったが、戦後の韓国においても依然として英語の重要性を否定することはできず、世の中が騒々しいほどその地位も高かった。そのような点で、英文学をアジアの辺境において「世界史から疎外された自我史」を復旧するための非常口として用いた事実は、実に驚異的な逸話と言わざるを得ない。
白楽晴は、英米文学の現場で世界文学の流れを体得し、第三世界の悲哀を客観化しただけでなく、人類の普遍的な問題をも直視した。近代国家の経験もなく、民族の自主性も享受できなかった辺境の青年がアメリカへ留学し、自らが経験し学んだ文明と精神を、「弱小民族の悲哀」といった言葉が濫発される自国の地で展開する過程は、少なからず荒涼としたものだったに違いない。外勢の一方的な被害者であった韓国には、帝国主義と資本の力が干渉する現場において、人類共同の問題に立ち向かえる世界市民的な視点が欠けていた。白楽晴が韓国の文壇に参入した頃、参与文学と純粋文学の論争が真っ只中だったが、同時代の作家たちが文学の社会的機能を巡って争った理由は、「賤民性」と「没価値」の克服を社会の最優先課題に据えるべきという切迫さのためだった。伝統の価値は解体され、新たな道標は見えなかった。この時、文学は虚偽と虚栄の温床ではなく、世界を解釈し創造する社会的言語の激戦地となるべきであった。白楽晴はそのための文学の「フィールド」を必要とし、同時代と疎通をはかるメディアの確保に進み出た。『創作と批評』創刊号(1966年1月15日)に発表した「新たな創作と批評の姿勢」は、新生雑誌が進むべき目的地と方向性を明らかにする出陣の宣言に属する。これをもって彼は、20世紀の近代が招いた韓国精神史の惨めな風景画を転覆させて描き直すために、一挙に抑圧的な現実との絶え間ない闘いの精神的基礎を提供する市民意識を力説することで、当代の限界を乗り越えたのである。彼の「市民文学論」は4・19精神の回復のための新たな知的闘争の一つであった。しかし、そのような知的闘争の中でも、彼の肉体は地上にあった。その途上で、西洋の普遍性と自国の固有性が食い違う乖離が生じたらどうするべきか。白楽晴は、西欧社会の安定と繁栄が全的に植民地経営に依存する現実において、まさに「強烈な市民意識の表現」である文学作品が、「帝国主義の不吉な前兆」を証明するという矛盾を発見する。次は、アルベール・カミュ(Albert Camus)の歴史的現実への無感覚に対する指摘である。
『異邦人』において主人公は明確な動機もなく殺人を犯し、作家の実存主義的思想を披歴する機会を提供しているが、この出来事を具体的に言えば、フランスの植民地アルジェリアで、フランス人がアラブ人を「理由もなく」射殺した出来事である。――『現代文学を見る視角』29頁
分離していた自我と世界が初めて統合される瞬間は、もう一つの世界が誕生する瞬間である。白楽晴は、真の意味での世界文学に参加するために、生の場所において生の意味を見出すことに基盤を置く民族文学運動を強調し始める。この過程を理解するならば、彼のリアリズム論、分断体制論、近代の二重課題論などが、世界文学と通底しながら展開された経緯が、まったく乖離していないことが分かる。したがって、韓国に維新独裁が宣言された1972年に、彼がD・H・ローレンスについて思惟し始め、朴正煕の「祖国近代化」が強制性と圧縮性の強度を高めていた韓国において、社会運動に邁進することがローレンスの深層を探求する過程となり、ついに時局事件で声明文を書いたり教授職を失うなど、繰り返された試練が、ローレンスの思想を検証するもう一つの実践であったという逆説が完成するのである。
3 D・H・ローレンスというベースキャンプ
D・H・ローレンスは、西洋的教養派の作家というイメージで片づけるには、あまりにも突出した人物である。彼は、T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)が「私たちが通常「思考」と呼ぶ能力の欠如」(『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』22頁より再引用、以下、本書の引用は頁数のみ表記)と指摘するほど、認識論上の異端者に属していたため、霊魂、肉体、知性のいずれの系譜を見ても「近代の嫡子」ではなかった。このような不穏さがかえって「謙虚でもなく敬虔でもなく、ただ自分たちの理性だけを神格化していた時代」1を超越してしまう、大胆かつ壮大な思索の冒険を生み出したのかもしれない。白楽晴はローレンスが「思想的遍歴の幅が広く、鋭い洞察に富んだ」(8頁)精神世界を持つに至った根拠を、彼の「長篇小説論」に置いている。ローレンスが、長篇小説こそ「繊細な相互関連性の複合体の中で人間が発見した最高のもの」(327頁より再引用)であると称賛するように、白楽晴は、ひたすら小説のみが「その属性上、「世の中のあらゆる場所」に対する具体的な形象を要求する」(247頁)と見なしている。
ローレンスが人間の表現形式の中で最高のものと称賛した長篇小説を「生きた全体」を扱う枠組みとして捉える見解は、ミラン・クンデラ(Milan Kundera)にも見られる。彼によれば、古代ギリシャ哲学以来、ヨーロッパの精神は、常に世界を「解き明かすべき疑問の対象」と見なし、実際的な必要性とは無関係に「知への情熱」に囚われてきた。それゆえに近代は、世界を単に技術的・数学的な開発の対象へと縮小し、生の具体的な顔を除去してしまう。このように科学の跳躍が人間を専門化された分野の洞窟へと追いやり、知識が進歩すればするほど人間自身の全体像を失い、ハイデガー(M. Heidegger)が指摘した「存在の忘却」へと陥っていく現象は深刻である。この時、小説はセルバンテス(Miguel de Cervantes)の出現とともに別の道を切り開き、「忘却された存在の開発」を始めるが、近代の初期から小説は一貫して人間の実体に寄り添い、具体的な生をのぞかせ、人間を存在の忘却から守ってきたのである。それゆえにミラン・クンデラは、ヨーロッパの近代精神が生み出す凄まじい縮小化現象と全面戦争を続けてきたのが近代小説史であると主張する2。
このような認識は、ローレンスの長篇小説論を理解するうえでおおいに役立つが、議論の次元は同じものではない。ミラン・クンデラがセルバンテスの道とデカルト(R. Descartes)の哲学をヨーロッパ近代を支える精神と見なすのに対し、ローレンスはヨーロッパ小説の伝統を継承し、西洋文明に対する全面的な批判者となる。白楽晴がこれを重視する理由は、ローレンスが西洋文明に背を向けて「自然へ帰ろう」と叫ぶ一種の原始主義者ではなく、「反デカルト的洞察」と「卓越した心理学的透視力」を発揮して、新たな世界を切り拓く認識的尺度を提供している点にある。そして、彼の西洋文明批判が、存在性、真理観、民主主義論といった独自の根拠を持っていると見なしているが、要約すると以下の通りである。
ローレンスは、万物の動きを「BEING」(存在)3の観点から捉える。ここでいう存在とは、「歴史的実存を通じて現れ、成就される、真に生きるべき生」であり、「自分らしさの完全な実現」を指す言葉で、名実ともに存在の実現は、人間だけでなく、世の万物に与えられた生命の課題である。ゆえに、自らの真の姿を花咲かせた状態としての存在の完成は、「計り知れない核心的な神秘から出現し、定義し得ない現存を成し遂げることに懸かっている」(469頁より再引用)。私はこのような説明を、金素月(1902-34)の「山の花」(1924)を思い浮かべながら、私なりの方法で意訳して読んだ。たとえば「山には花が咲く」「山に/山に/咲く花は/あちらでひとりで咲いている」のように、花はなぜ咲くのか、なぜ散るのか、誰が見ているのかに関係なく、急な斜面の隙間でも咲く。語り手と花との間の視覚的距離であり情緒的距離を明示する「あちらでひとりで」は、あらゆる存在には、見つめる者が介入できない領域があることを確認させる。それゆえに、各々が「測り知れない神秘」として存在するという点こそが、「社会生活のあらゆる巨大な計画が土台とすべき事実」(同頁より再引用)に他ならない。
ここで必然的に「他者との関係」が問われることになるが、ローレンスの「真理観」はそれに対する答えではないだろうか。すなわち、「山で歌う小鳥よ/花が好きなのか/山に住んでいるのか」のように、ひとりで咲いて散る花が好きで山に住む鳥は、また一つの存在として、単に「歌いながら」「山にいる」ように見えるとしても、それこそが自己実現の過程であると言える生を生きる、もう一つの主体なのである。まさにこのような生への愛着と信念を、ローレンスは「男性的なものと女性的なものの結合が完成される、生の瞬間的な状態」(516頁より再引用)と呼んでいるが、陰陽の調和と合一を夢見ることが真理であるというローレンスの見解は、西欧的認識が見落としていた問題を提起する。存在がそれ自体で完成態ではなく「BEING」(存在)である理由は、その空白を埋めていく生の過程を内包しているからである。だとすれば、すべての生命は生を通じて、陽は陰を、陰は陽を埋めていく実存の様相を示すというのが、生きていることの真理である。
ローレンスは、民主主義もまたこの存在性と真理観に基づいた秩序として捉えるため、彼の民主主義は単なる平等や自由を超え、「開かれた道を歩む霊魂と霊魂が出会う」方法に属する。であるから、「朝鮮ヒッピー」の頂点に立った申重鉉の歌「美しい山河」(1972)の歌詞のように、空、雲、木の葉、川の水、そよ風、そして自分の心が「永遠に」、そしてすべてが果てしなく「親密な」秩序を成すことを、民主主義と呼んだわけである。この出会いは、ローレンスの表現を借りれば、「霊魂のあいだの喜びに満ちた相互認識であり、偉大な霊魂と、それよりもさらに偉大な霊魂に対する、より一層の歓びに満ちた崇拝である」(441頁より再引用)。このような生の条件において、もはや桎梏が生じない次元に到達することを、ローレンスは「新しい天と新しい地」と見なした。
私は、新しい天と新しい地が、今まさに実現しようとしていることを知っています。(……)ただ、これは単なる領土ではなく、霊魂の新しい大陸なのです。(19頁より再引用)
この箇所こそが、白楽晴がローレンスに「開闢思想家!」と献辞を捧げる場面である。そしてこれは「一つの地獄」を捨てて「一つの天国」を得る事柄であるため、十分に、水雲・崔済愚以来、甑山・姜一淳や少太山・朴重彬に至る聖者たちの「後天開闢」を想起させる境地であると言わざるを得ない。
4 「現下の思想」が注目するところ
D・H・ローレンスの「長篇小説論」は、ローレンス自身の思想を超え、白楽晴の世界観と一体化しているように見える。白楽晴は小説家ではないが、彼がローレンスの「長篇小説の精神」と言える価値観を一貫して堅持してきたことは、これまで築き上げてきた「フィールド」の性格を通じてうかがえる。私はこれを、白楽晴のリアリズム精神が見られる証拠と考えているが、この点はまさにローレンスの小説論、「すべてのものはそれ自体の時と場所と条件においてのみ真実であり、それ自体の時間、場所、条件を離れては真実ではない」(327頁より再引用)へとつながる。それゆえに、白楽晴はいかなる場合でも、何かを強調するために実事求是の線を超える飛躍を容認しない。さらに「体系化された知識としての科学」が「代案」とかけ離れていても成立するという点に、「近代学問」の限界を見出す。このように、常に具体的な「時」と「場所」と「条件」に合致する「真」を重視する精神を、私は「白楽晴リアリズム」の本質と見なし、これをひとまず「現下の思想」4と呼びたいと思う。
白楽晴の「現下の思想」がD・H・ローレンスの長篇小説と接する部分はかなり広く、その分野も多岐にわたる。その中でも目を引くのは、近代の象徴とも言える技術時代の問題を解釈する箇所である。白楽晴は、ローレンスの長篇『虹』(The Rainbow, 1915)において近代化の問題に注目し、「近代への適応と近代克服という二重の課題」という言説を引き出し、長篇『恋する女たち』(Women in Love, 1920)について論じる中で、第三世界的な視点を調整する必要性から「開闢思想家ローレンス」を導き出す。その中で登場するテーマこそが「知恵の時代」であり、以下はその源流を確認できる文章である。
しかし、技術工学が人間の生活を全面的に支配する時代をどのように捉え、どう対応すべきかという問題は、人工知能(AI)が人間の知能をある分野ではすでに凌駕し、日増しに発達している今日、誰もが無視できない問題となっている。国内では、コンピュータの囲碁プログラムが世界最高レベルの達人たちを破ったことで、世間の関心を劇的に集めることになったが、要は、人間の特別な地位を知性(すなわち計算能力としての合理性)に置く立場をもはや堅持できず、人間固有のまったく異なる次元の知恵(あるいは思惟能力)を体得して磨く必要が切実になったということである。(107~108頁、強調は引用者)
続いて、「私自身はこれまで「知恵の時代」という言葉がタイトルに入った文章を二度書いたが、いわゆる現実社会主義の崩壊以降の新たな状況に注目しつつ、科学的認識を収斂する「知恵」の概念を提唱しようとした」(108~109頁、強調は原文)と述べている。社会主義圏崩壊当時、私は民族文学運動の上層部が突然進路を変える現象を、どう理解すべきか判断できなかった。加えて、若い活動家の誰一人として、これに再考を求めたり論争的な問いを投げかけたりすることができなかったが、それは「文明史的な大転換」という激流の前で、みなが無策で解体されていったからであった。中には環境・生態問題に取り組んだり、「階級」から「平和」へと主題を移して姿勢を変えようとしていた中で、むしろ民衆の階級的視点を失わなかったのは白楽晴であった。彼はこうした複雑系の前で、間違いなく「開闢思想」を検討していたに違いない。白楽晴が注目した技術時代の問題は、今日のAI問題をはじめ、拡大の一途をたどる状況を迎えている。この問題は「現下の思想」が照らし出した核心部分に属するため、私なりの読後感を述べるのが妥当と考える。3つの段落に整理すれば、以下の通りである。
第一に、技術時代を見通す眼。
私は偶然、アビー・スミス・ラムゼイ(Abby Smith Rumsey)の『記憶が消えゆく時代』(クァク・ソンヘ訳、ユノブックス、2016)を読んでいるうちに、白楽晴が技術時代の問題に深く取り組んだ理由を知ることになった。ラムゼイは人間を「非遺伝的手段を用いて情報を、時空を超えて伝えられる唯一の種」と評し、それによって人間社会が「知識が、その知識を所有していた人とともに消滅することを防ぐことができた」(79頁)と敷衍する。彼女は、人類が体験的に悟った知識とその記憶を「外部化」する技術が、少なくとも4万年にわたって発展してきたと述べるが、人間が発明した道具は道徳的想像力を育てることができない。小説や映画でよく見られる「秘訣の物語」を連想すれば、それが問題となる点を捉えることができるだろう。先覚者が遺言のように残した知恵、すなわち秘密の記録は、善人が受け継げば共同体に有益に作用するが、逸脱者の手に渡れば利己的に悪用されてしまう。これは、文字という道具でさえも人間に依存する「副造物」であり、それ自体は責任を感じることができないことを証明している。記憶するということは道徳的行為であり、存在の本質を構成するものである。しかし、人間の記憶を保存する技術メディアが、真の知恵ではなく、「知恵の外見」のみを提供するのであれば、そのような知識を存続させることによって生じる物理力は、誰が引き受け、どのように責任を負うべきなのだろうか。
第二に、近代への適応と克服の問題。
技術時代の問題は、西欧列強が台頭して以来、帝国主義や世界大戦を経て、社会主義革命や現実社会主義の崩壊、世界市場経済体制の成立に至るまで、制御不能な軌跡を描いてきた。その甚大な後遺症を前に、地球規模の省察の時代が到来するのは当然である。だが、白楽晴はこの問題について語る際、「近代の克服」とともに「近代の適応」にも言及している。
今日の現実において、第三世界の民衆が自己防衛のためにも産業化・技術化を実現すべき必然性はきわめて切迫している一方で、彼らが人間解放の真の主役となり得るかどうかは未知数である。技術時代の真の意味を悟り、その悟りを人間らしさの本質を具現する実践へと結びつけられない限り、ひいては機械的な反発や模倣の次元を超えた「適応と克服のという二重の課題」を遂行し、「後天開闢」の時代を切り開けない限り、いつの間にか彼らもまた、洋の東西の新たなジェラルドたちによって追い越され、取り残されてしまったことに気付くことになるだろう(128頁)5。
ここで重要な言葉は「技術時代の真の意味」である。人々は往々にして、産業化・技術化を機械という物質的な道具が氾濫する問題と見なし、それだけを近代の実態であると考える。たとえば、白楽晴が梃子として用いる少太山の思想の標語「物質が開闢されたのだから、精神を開闢しよう」を想像する際にも、「物質」を「物質的道具」という意味に狭め、近代の人文学が誇る認識の道具は「精神」の要素として見ているのである6。しかし、白楽晴の解釈は異なる。少太山が物質開闢と称した近代を形作ったのは当代の文明であり、文明とは人間が依って生きる集団的な知恵の総体である。したがって、文明は構成員一人ひとりに世界を解釈する「見本」と精神的モデルを提供することで、人間の経験のすべてを仲介する。それゆえ、人間が文明を放棄してしまえば、家を失った子供のように生存の条件を失ってしまう。同時に、そこで発生する暴力の被害は、弱者であるほど大きく被ることになる。非難の矛先を単に道具や技術だけに向けられない理由である。少太山は、万物が天と地の徳によって息づき(天地恩)、生み育ててくれる者の恩恵を受け(父母恩)、同時代を共に生きる者たちと調和して暮らす(同胞恩)だけでなく、それぞれがまたそれぞれの秩序に依存している(法律恩)という四恩思想に基づき、人間と道具が主従関係を失わない文明を獲得すべきだと考えた。物質と道具の責任は、それを作った人間の精神にあるため、「反文明」ではなく、精神の開闢、すなわち「代案文明」が必要と考えたのである。
今日、誰にとっても明らかな事実は、人類がもはや近代の成果に陶酔し続けられない段階に達したということである。事前の警告もなく突然到来した「デジタルデータの新しい世界」では、人間が記憶を外部委託することの代償がさらに深刻になっている。たとえば、かつて電話帳にぎっしりと載っていた個人の連絡先や住所が、商業的なデジタルプラットフォームに保存され、それによって大きな道徳的問題が引き起こされる事態を、私たちは時折経験している。インターネットは秘訣などではなく、粗末な私生活に至るまでことごとく記録してどこかへ持ち去ってしまう。そしてそこでは、自然災害に近い「文明の災難」が頻発するが、放出され流出された情報がどこに集まり、匿名の個体にどのような作用を及ぼすのかはわからない。個人の落書きさえもすべてビッグデータの一部となるため、今や道具は存在にとって世渡りのナビゲーション役を務めるだけでなく、運命を決定する審判までをも下すのである。たとえば、Aがみずから本能だと信じている衝動は、実は自然人であるAのものではなく、ビッグデータによって分析・提示されたキャラクターAの欲望なのである。しかし、記憶を外部委託する道具は、その瞬間にも制御されず、また制御できない技術を日々実験している。人間が過去の一部を壊さない程度に、迅速にこれに適応する道は見当たらない。利便性の極限が不幸の暴走を人質に取っているわけである。
第三に、知恵の時代を提唱する理由。
振り返ってみれば、「ソクラテスは、記憶をパピルスに外注化することが知恵を失わせると警告したが、外部の記憶体系が人間という種を損なうだろうという彼の予測は、的を完全に外していた」(『記憶が消えゆく時代』128頁)。「秘記の神話」が流行していた時代に、人間は図書館文化を構築・管理し、これをかなり成功裏に克服した。文字疎通の社会的形式である出版メディアは、専門会社の助けを借りるという「参入の障壁」を越えなければならないため、正体不明の知識がむやみに量産されることはなく、その管理も図書館司書という専門人材を育成することで公益的に成し遂げることができた。だがデジタル時代になると、あらゆる防御壁が崩れ去ってしまう。技術工学は、人間が行動を予測できる速度をはるかに超えるだけでなく、知識が使用されるシステムに責任を持つ主体が蒸発してしまう危険さえも生み出すのである。それによって、人間は過去もなく未来も失ったまま、自らが何者かもわからず、ただおそるべき影響力を行使するだけの状況に直面することになるだろう。だとすれば、「近代の二重課題」が、より明確な「知恵論」の登場を促さざるを得ない。
白楽晴はかつて「知恵の時代」(1990)の中で「現代世界の莫大な生産力を平等な分配の中で維持すること」が解決策を必要としていること、そして「そのような生産力の維持そのものが自然環境を破壊する」(『現代文学を見る視角』317頁)という現実に注目し、「人間らしく生きるために必要な分だけを所有しながら、その「所有」に縛られない訓練」(同書、321頁)を進めるべきと述べている。そのための概念を「知恵」に見出す理由は、物質文明が生命に対する畏敬の念を失っているからであり、これは心の問題であって制度の問題ではない。大地の文明が大地を毀損するという、主客と本末が転倒した現象は、生き方の形式を変えずに制度改革だけで解決することはできない。白楽晴の知恵論が、少太山の精神開闢に対応する「近代の二重課題」を想定する理由は、このように近代文明を「対決すべき敵」として見るのではなく、「治癒すべき病」として理解している点にある7。
5 宿命の光線
白楽晴によれば、D・H・ローレンスは「血と肉体が知性よりも賢明であるという信念」(23頁より再引用)を生涯にわたって堅持し主張した。このように、ヨーロッパ文学の中心において、西洋の精神史に捕捉されていない作家の精神世界を、白楽晴がアジアの辺境の言語で照らし出す行為は、見方によってはきわめて突出した逸脱として映るかもしれない。しかし、西洋近代の喧騒から抜け出し、単なる西洋の子でなく人類の子となる道を切り拓いたローレンスを「開闢」と評価する冒険には、すでに枯渇した近代の想像力を、朝鮮半島の開闢思想がある程度克服しているという信念が根底にある。開闢は西洋の精神史においては異端に属するだろうが、私たちにとっては近代の星の光よりもはるかに鮮明な宿命の光線であった。今こそ、その問題を判断するときである。
この言葉が登場した舞台は朝鮮王朝末期である。19世紀という大混乱の時代、中国がアヘン戦争で敗北し、北京が西洋諸国に占領されて、東アジアの価値体系は足場を失った。特に朝鮮では、疫病、旱魃、洪水などの被害が甚大な状況の下で大小の民乱が相次ぎ、貧農の村に至るまで世界資本主義体制に強制的に組み込まれ、破綻の危機に直面していた。この時、再婚女性の息子として家門の差別と社会的疎外で科挙を受験できなかった儒者(水雲・崔済愚)が、世の根源的な意味を模索し、49日間の祈祷を捧げた末、東夷族の思想と言える東学を創始する。東学の中核は、すべての人のうちに天が宿るという「侍天主」の精神だが、これは誰もが自らの中の天を悟り、きちんと奉じるべきという万人平等思想と、自らの中に神霊が宿り、万物の中にも神霊がおり、それゆえに自らは宇宙のあらゆる生命とつながっているという、万物平等の思想を強調するものである。当時の社会体制で蔑まれていた人々は、世の中を平等に対する礼法を教える東学を学ぼうと押し寄せた。既得権層は身分制が棄損されることに憤怒したが、天下の理に目覚めた民衆は歓喜に沸き立ち、弾圧を恐れることはなかった。彼らに救いはどう訪れるのか。水雲は「再開闢」を説いたが、その意味するところは、生きて苦労し死んで天堂へ行くという来世中心の信仰ではなく、現世の生命を尊び、地上の世界を天堂に変えようとする、修養と変革の解放思想であった。
ここで留意すべき点は、東学があまりにも大きな歴史的苦難に見舞われることで、大地の霊性や現世の救済といった思想的本質が後回しにされたという事情である。崔済愚が世を乱した罪で処刑された後、教祖の名誉と宗教の自由を勝ち取ろうとする示威が起こり、民乱の時期に彼らの指導力が革命を組織して、二度の大きな農民戦争を経験しながら残した逸話は、近代の外部を限りなく刺激する。しかし、朝鮮王朝体制に立ち向かった第1次蜂起で勝利し、民衆が参加する地方自治機構として「執綱所」まで設置した農民軍は、第2次蜂起で日本帝国主義が動員した西洋近代文明の威力を制圧できず、惨めに敗れ去る。今日の立場から見れば、その出来事はどう説明しても、朝鮮民衆の心が後天開闢の思想を実践し検証する血の試練の場であった。それは当初、全琫準が率いる民衆蜂起によって点火されたが、続いて姜甑山に象徴される「意識革命」の道を歩み、さらに少太山の時代に至って、代案的な共同体運動の性格を帯びることになる。広範な農民大衆が後天開闢の思想を、一度は儒家的方法によって、次は道家的方法によって、続いて仏家的方法によって実践するという驚くべき歴史が実現されたのである。振り返ってみれば、このような思想が集大成されるまでに大地に積み重ねられた民衆の経験と歴史の恨(ハン)、このような思想が出現して対決することになった文明の敵との試練の軌跡、また当時の農民たちが歩んだ道と虐殺の現場を巡り、東学の痕跡を踏査・研究した後学の記録物が積み重なり、近代以降の代案思想として検討される過程は非常に感動的である。これは未来の世代にどのような意味を投げかけることになるだろうか。
今日、地上に満ち溢れる「生滅」の波を乱す破綻の正体を表わす表現として、学者たちは「人類世」(anthropocene)という用語を用いているが、これは人間が存在の基盤を超えて、地球上の全生態系に影響を及ぼす問題的な存在へと昇格したことを意味する。ある場合には、自らの存続のために天体の安全さえ脅かす厄介者となってしまったのである。ならば、人間はこれまで崇拝してきた文明そのものが、「大地を読むこと」に失敗したことによって生じた副作用の根源を洞察し、それを根源から断ち切らなければならない。たとえば、近代が試みた改革や革命といった企画は、単一の文明の中で政治や経済が機能する体制を改める大事業を意味していた。しかし、現代の人類にとって差し迫った課題は、文明内部の秩序だけでなく、現在進行中の近代の解体以降の問題に分布している。制度だけが病んでいるのではなく大地が病んでいるのであり、理性の欠如だけがいけないのではなく、霊性の回復が切実なのである。それゆえ、私は『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』を読みながら、韓国の民族文学運動が人類世を前にして、意識の光学現象を生み出すことができる、宿命の光線を引き起こしているという事実に、このうえなく喜びを感じた。その理由を、私が特に感動した本書の後半部を考察することで明らかにしたい。
まず、D・H・ローレンスが『アメリカ古典文学研究』(Studies in Classic American Literature, 1923)で示した読み方について、白楽晴は本書の第9章で次のように述べている。
たとえば、序章で述べられている、国や大陸ごとに異なるという「場所の気運」あるいは「場の霊」(the spirit of place)を、非歴史的かつ迷信的な概念として受け入れてしまうと、本書全体がかなり滑稽なものになってしまう。(403頁)
ローレンスがアメリカの古典の拠点を「場所の気」や「地の霊」をかかげて掘り下げる過程は、開闢思想でなければ評価できる尺度がないだろう。さらに驚くべき点は、白楽晴の視線がローレンスの見解に同調しているという事実であり、いわゆる「大地の想像力」と呼ぶべき土着的な認識でアメリカの精神史を考察するならば、アメリカン・ドリームは相当に憂鬱な色合いを帯びざるを得ない。たとえば、ローレンスは「人間は生命のある自らの地にいるときに自由なのであって、彷徨し、脱出するときに自由なのではない」(464頁より再引用)と述べ、アメリカ建国の父たちの中で最も典型的な人物として挙げられる模範市民ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)の先住民に対する態度を批判しているが、白楽晴はこれに次のように同調する。
ヨーロッパからの移民たちがアメリカ大陸を「発見」し、「何もない」大地を誠実と勤勉で開拓し、豊かな生活を送るようになったことが「アメリカン・ドリーム」の実現だと言われるが、このとき見過ごされがちな事実の一つは、黒人奴隷たちの労働であり、もう一つは大陸自体が決して何もない土地ではなく、先住民インディアンたちの居住地であったという事実である。(413頁)
自らの大地を愛せない者たちの夢はこのうえなく空虚である。アメリカ文学について、「アメリカは今なお、アメリカ人にとって「血の故郷」ではなく「精神の故郷」に過ぎず、それゆえに郷土や祖国などを軽んじる超越主義がアメリカで発生する」(430頁)と指摘する一節は、あまりにも痛烈である。そこでは、「BEING」(存在)と真理観、そして民主主義論が息づく新しい天と新しい地が保障されることはない。それゆえに、ローレンスは「陸地でできる限りのことを成し遂げた人生が、今や大地よりもさらに広大で原初的な海への探検」(429頁)へと乗り出す姿を描いたハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の『白鯨』(Moby Dick, 1851)の成果を高く評価しているが、私が『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』を読み終えながら「ハーレム・ルネサンス」8の余韻を想像した理由はここにある。大地から根こそぎ引き抜かれた生を称賛するだけで終わる歴史が、どこにあるだろうか。だからこそ、1920年代のニューヨークの新世代の知識人たちは、アメリカ先住民やアフリカの人種的遺産、そしてルーツから霊感を得ようとする一種の「アメリカの民族文学」を興したのである。しかし、これには白楽晴のような精神と冒険心が欠如していたため、まさに必要な場所に到達することができなかった。
たとえば、1960年代の「ヒッピー運動」は、近代を病む地球規模の文化において、最も強力な影響力を行使した反文明運動であった。1967年にサンフランシスコに集まった数万人の若者が、道具的理性の過剰と資本主義的な貪欲が生み出した対立の兆候、すなわち人種差別、マッカーシズム、ベトナム戦争などを克服する遺産として、先住民の文明に憧れたことはきわめて象徴的である。しかし、ヒッピー運動は残念ながら、合理性の統制、絶対的理性の崇拝という牢獄から、ハーバード大学医学研究チームの臨床実験室から派生した科学的逸脱の産物であり「存在の忘却」を駆動する麻薬へと脱出しようとした。ヒッピー運動の落とし穴は、噴出と発散の力に過度に陶酔したために、大地の上に置かれた生命体の謙虚さを基盤とした霊性の神聖さを見失ってしまった点にあるだろう。
一方で、アメリカ先住民の文化は、大地と一体となる生の総和によって成り立っている。だからこそ、1960年代末から1980年代にかけてもなお活動していた「アメリカン・インディアン運動」(AIM)の問題意識をここに当てはめてみると、今なお胸が痛む。彼らの土地に対する「略奪」行為を糾弾し、先住民文明を擁護したAIMの指導者ラッセル・ミーンズ(Russell Means)は、後日、人民解放思想に出会った際にも一線を画す。いわゆる「マルクス主義やアナキズムといった「左翼」一般の理論でさえ、それぞれ人間の存在の霊性を一片ずつ切り取り、それをある規則や抽象へと改造してしまうという点で、「ヨーロッパの他の知的伝統とは別個のもの」とは信じていない」と述べているのである。
ヨーロッパ人はこれを革命的なものと見なすかもしれない。しかし、アメリカ先住民たちは、これを単に古くから存在してきたヨーロッパ式の「存在」と「獲得」との間の葛藤が、さらに深刻化したケースに過ぎないと見なしているだけである。――ラッセル・ミーンズ演説文(1980年7月)9
資本主義者たちの富を分配しようとしたマルクス主義も、近代産業体制を前提としているという指摘は鋭い。これを、私たちが注目する開闢思想の文脈に引き寄せれば、その躍動感は一層増す。特に、白楽晴がローレンスの詩「死の船」(The Ship of Death)を読みながら、仏教的な開闢思想と言える「弥勒の世」に通じる内容を明らかにしていく第11章は、文体からして異なっているが、彼は妻との死別や自身の老いを語りながら「霊的な世界や死について、しばしば思索するようになった面もなかったわけではない」(490頁)と告白する。今や「白楽晴の精神」は、「無知」や「未知」の領域と出会う冒険を情緒的に敢行する。
ローレンスの「死の船」は、人生の終わりにおいて、「終結」ではなく、別の次元を見据えている。
短剣、針、銃弾によって、人間は
自らの生から脱出するための、傷や出口を作ることができる。
だが、それが終結なのか、おお、教えてくれ、それが終結なのか?
――「死の船」(493頁より再引用)
まさにこの箇所で、「ローレンス的思惟に具現化された東アジア仏教思想との相通性が、単なる知識の伝播や「影響関係」の交換を超えた、洋の東西の真の出会いの稀有な事例」(521頁)であることを指摘しつつ、白楽晴は、このような着想を可能にした重大な事柄について次のように言及することで、本書の締めくくりとしている。
真の東西の出会いとは、それぞれが前人未踏の領域へと踏み込み、真の思惟の冒険を進める中で生じる収斂現象である。(同頁)
ローレンスの「長篇小説論」や白楽晴の「現下の思想」が、地上のあらゆる土着思想と出会い、過去の「普遍」を再構築すべきだということが、私がここで言いたい核心である。これを韓国の民族文学運動の立場から考えると、金素月(1902-34)の心性が申東燁(1930-69)の詩や李文求(1941-2003)の散文を取り入れ、金芝河(1941-2022)の思想を獲得したとしても、果たしてそれが国境の外の知性と通じ合えるものかという課題が残る。たとえば、私たちの開闢思想は、その意味をすべて包含し切れない「生命運動」のような言葉でしか表現できないのだろうか。いくら韓流ブームを語り、その威力を誇っても、なかなか解決されなかった問題は、世界を見る尺度を自らの物差しで語ることができないという点である。これは韓国の知性が抱える重度の集団的コンプレックスの一つであった。『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』が私たちに与えた影響は、まさにこのコンプレックスを取り除いたことであり、国際英文学界に与えた影響は、彼らが、ローレンスが歩んだ道を理解するための通路を開拓したことではないだろうか。そしてそれは、韓国の東学が地上のあらゆる精神的思想と交流する窓口を開くことでもある。
帝国を経験した存在と植民地支配を経験した存在の間には、異教徒の眼差しのように越えられない深淵の海が広がっていた。それゆえ、互いは共同体内部に蓄積された文明の産物だけでなく、その内面を構成する生活世界の実感までもが隔絶されるに至った。白楽晴の国籍とD・H・ローレンスの国籍も、そのような危険な過去を隔てて、これまで本格的な思想的交流を持ったことはなかった。しかし、それぞれ異なる場所で形成された健全な問題意識があるならば、それは限界に達した近代的様式を克服する人類共通の資産であることは明らかである。特に、西欧の対立項としていまだ消費されたことのない数多くの認識の地平が巨大な堆積層を成している周辺部において、その「捨てられたもの」が中心へと湧き上がり、転換される光があるならば、それは新しい文明の様式が何であるかを指し示すことができるだろう。このとき、他文化を通じて新たな認識の地平を獲得した者たちの連帯は、自らが生まれた大地の時間と言語を超越し、普遍的で超越的な共通の基盤を創造したり、認識の枠組みを提供したりすることになるだろう。人類史の真っ只中で模索された普遍的な認識、普遍的な価値が「達磨」のように「東」へと歩みながら、土着の知恵、土着の知性へと至る道を見出すこと。もしかすると、これは人間の文明が再び大地の息吹と一つになるための脱出路を見出すことのできる唯一の方法なのかもしれない。私は、白楽晴が晩年にもなお、その道を歩んでいるのだと思う。
〔訳=渡辺直紀〕
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- シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)は、現代の心理療法の始祖であるフランツ・アントン・メスマー(Franz Anton Mesmer)が生きた時代を、「謙虚でも敬虔でもなく、ただ自らの理性だけを神格化していた時代」と述べている。シュテファン・ツヴァイク『精神の探検家たち』アン・インヒ訳、青い森、2000年、18頁。↩
- ミラン・クンデラ『小説の技法』クォン・オリョン訳、民音社、2008年、16頁。↩
- ローレンスの「BEING」は、西洋形而上学の枠組みには収まらない独創的な概念である。白楽晴はこれを「存在であること+存在であろうとすること」と理解し、「BEING」を可能な限り原文のまま用いている。↩
- 白楽晴の精神を「現下の思想」と名付ける着想は、彼がある時、少太山の言行録である『大宗経』を指して、少太山が常に「現下」を指して説いていると評価した際に得られたものである。特に、少太山の悟りを第一大覚と第二大覚の2度に分けて捉え、仏法研究会という道場共同体を創造した瞬間を第二大覚と評価しているのを見て、私は白楽晴の民族文学運動が、批評活動に劣らず『創批』というフィールドを作り、守ることにも尽力した理由を知ることになった。「現下の思想」という言葉は、このような「いま・ここ」の実践を捉えるためのものである。↩
- 引用文で言及されている「ジェラルド」は、『恋する女たち』に登場する、成功した実業家でありながら虚しい最期を遂げる人物である。白楽晴は、無限の生産を追求する彼の事業が、「一つの巨大な時代的運命を代表するもの」(123頁)となり得ると見ている。↩
- 少太山・朴重彬は1891年生まれで、後天開闢の歴史において姜甑山の後学に属する。1916年に大覚し、万海・韓龍雲の仏教維新論を実践していた白鶴鳴禅師と連合戦線を組もうとしたが、制度化された寺を飛び出して仏法研究会を設立した「街角の聖者」である。彼は朝鮮語抹殺政策が支配していた時代に朝鮮語で、それも激しい思想弾圧を受けながら活動し、死後に円仏教という名を得た後天開闢の共同体を完成させた。「近代文明に対する仏法の対応」を学んだ弟子たちが掲げた開校の標語は、「物質が開闢されたのだから、精神を開闢しよう」であるが、重要な点は、少太山が近代の中で文明の波をくぐり抜けながら「開闢」を主張したという事実である。↩
- ここで注目すべき点は、少太山の「精神開闢」が、「巨大な生命体として存在する宇宙において、人間がその生命とどれほど合一するかによって、人類社会の運命が決まる」(48頁)というローレンスの近代文明批判と通じている点、そして「芸術の役割は、人間とそれを取り巻く宇宙との関係を、その生きた瞬間に明らかにすることである」(306頁より再引用)というローレンスの言葉が、「真の芸術作品が一つ誕生するたびに、大小の精神開闢が成し遂げられる」(『文明の大転換と後天開闢』モシヌンサラム、2016、378頁)という白楽晴の見解と結びついているという点である。↩
- 北米大陸で流配されたアメリカ先住民の文化的伝統は、近代的な知性を備えた黒人知識人たちに霊感を与え、驚くべき「黒人文学」の成果へとつながった。ごく少数の者だけが記憶し、また別の少数の者だけが保存しようと努めていたことを、1960年代から批評家たちが追跡し、「ハーレム・ルネサンス」という用語が生まれた。マーク・ヘルブリング(Mark Helbling)『ハーレム・ルネサンス』イ・ギョンシク訳、駐韓アメリカ大使館広報課、2007、参照。↩
- サウスダコタ州ブラックヒルズで行われたこの演説は、一般に「マルクス主義はヨーロッパ的思考様式の産物である」(Marxism Is a European Worldview)というタイトルで知られている。先住民の抵抗哲学の真髄として挙げられ、1980年代の韓国のオルタナティブ共同体運動やエコロジー運動にも反響を呼んだ。全文の翻訳は「大地の未来について」『共同体文化』創刊号、1983年を参照。↩