창작과 비평

[現場]島の発展とは何か (現場探訪②) / 白英瓊・Ju Hyun Woo

 

創作と批評 213号(2026年 秋)目次

 

島の発展とは何か

 

 

 

白英瓊(ベク・ヨンジョン)・Ju Hyun Woo

 

ソウルから飛禽島へ行く道程は遠かった。西海岸に沿って5時間ほど走って到着した新安郡岩泰面の南江船着き場は、差し迫った出航時間に合わせて寄り集まった車両と人々で大騒ぎだった。陸地で用事を済ませて帰っていく島の住民から、家族単位や登山服姿の観光客たち、各種の装備や資材を載せた人夫たちまで、様々な人々が長く列をなしていた。立ち遅れて着いたので番号札がもらえなかった人々が、窓口越しにもしやと空席があるか待ち焦がれている間、切符売り場の中を見回すと、壁面に一日16回、飛禽島・都草島を行き来する船便のダイアルと「島住民1000ウォン旅客船」1の案内文が貼ってあった。窓口の職員が新安郡の住民なのかどうかを繰り返して聞いたのも、そのためであったようだ。船に載せる車両まで島嶼地域の車両なのか一々確認しなければならないから、列はその分、のろく縮まった。

筆者たちは前々から南海岸一帯における沿岸地域の生活が変わってきた過程を見守ってきた。一人は10年前、飛禽島と都草島に仕事で滞在したことがあるし、もう一人はこの頃観光地として人気だという「パープル島」半月島と朴只島、そして歳越号惨事の現場から近い鳥島に数回往来した。なのでこの海がそれほど不慣れではないわけだが、同時にそれほど多くの変化が起きていることを体感したりもした。新安郡は総14個の邑・面の行政区域で成されているが、干拓事業で事実上陸地となった智島邑のように陸地と直接つながったところを除くと、ほとんどが島地域である。10年前には飛禽島に行こうとすると、木浦から船に乗って都草島で降りてから、橋を渡らなければならなかった。2019年に押海島と岩泰島を繋ぐ天使大橋2が開通されて、岩泰島で船に乗れるようになったおかげで飛禽島へ入っていく移動距離と時間が大幅に減った。だからといって、船路が常に開かれているわけではない。海の天気がよくないと船が出せず、入ることも出ることもできないし、危急な状況における患者移送の問題なども相変わらず残っている。

新安は最近多方面で熱い関心を受けている。島嶼地域の地域消滅を克服している事例として、また島の住民のための福祉と生態観光、再生エネルギーの拡大のような興味深い実験が繰り広げられているところとして取り上げられている。地域住民が太陽光発電事業に協同組合の形で参与し、発展の収益を定期的に分配する利益共有型福祉制度として話題を呼んだ「日差し年金」が代表的である。生態と開発と福祉が一つに出会えるという話は興味深い一方で、果たして本当にそうなのか確認してみたいことでもあった。そういう渦中に行われた地方選挙で、新安郡守時代、その政策を立案し、主導して名声を得た人が5選に挑戦したが、失敗したという便りが聞こえてきて、その裏にもっと複雑な事情があるのではないかとも思われた。

今回訪れた飛禽島は木浦の西側30~40㎞にある、約51㎢面積の島である。岩泰島の船着き場から飛禽島の佳山港までは、船で40分余りで着く。晴れた日には船路の左右に秋浦島、沙雉島、水雉島と無人島である老大島が肉眼で見られる。東海のように開けた茫々たる大海ではなく、大小の島々が並んだ西南海の風景が視野に入ってくる。飛禽島は島の南西側に仙王山とグリム山があり、中央には平地が東西に広く広がった地形である。衛星写真で見ると、あたかも島全体が大きい鳥〔禽〕が 飛んでいく〔飛〕かのように見える。もともといくつかの島が隣接していたが、長い間堆積で一つの大きな島になったというが、そういうわけで東南側に広い干潟地(満ち潮の際は水に漬かり、引き潮の際は現れる平たい地)が形成されている。そして四方が開けたそこに、多くの塩田と太陽光パネルが位している。解放以後、新安で初めて始まった天日塩田である亀林1号塩田が代表的である。

 

 

島はどうやって生計を立てているか

 

亀林1号塩田は新安天日塩3の始祖と見なされて「始祖塩田」とも呼ばれる。樹林村出身で平壌一帯で天日塩田の技術を覚えた孫鳳勲(ソン・ボンフン)と、彼の甥である朴三萬(パク・サンマン)が故郷の飛禽島へ戻ってきて、村の青年たちを募って作ったのが1946年のことだと伝えられる。4 そして1948年、村の住民30余名が加わって天日製塩組合を結成し、塩田を広げていって「大同塩田組合」を作った。植民地期、天日塩田のほとんどが京畿以北に集まっていたせいで、分断以後、塩が足りなくなると、解放以前から天日塩を生産していた仁川朱安塩田と共に飛禽島の塩田が、民間主導の天日塩田開発の成功事例として注目されることになった。このことから都草島・慈恩島・智島・曾島など周りの島に塩田ができ始めた。5

実際に飛禽島佳山港の船着き場に降りて、車で移動してみると、まもなく塩田が見られるし、宿所に入る道に大同塩田を知らせる案内石も見い出せた。ところが、案内石越しに先に目に入ったものは、塩田ではなく太陽光パネルだった。後の住民たちとの対話においても海外から来た天日塩バイヤーたちが、塩田より太陽光パネルに驚くという話を聞いた。飛禽島佳山村出身で、佳山港船着き場の近くに塩田があるヤン・ボンジュ氏は、自分の塩田の一部を太陽光発電に賃貸した事業者でもあった。日が昇る前から塩田に出て、鹹水(海水から塩の濃度を高めた濃い塩水)を薄く広げて水路を整備してきたという彼は、海を渡ってくるに苦労したと慰めながら、いろんな話を聞かせてくれた。

彼と会ったところは、過去自治体が少なくない予算を入れて作った「塩田体験場」であったが、観光客の誘致が難しくて今は村のカフェであると共に憩いの場として使われるところだった。建物の所々には塩田がどう運営されるか、過去から現在までを見せてくれる展示があったが、ヤン・ボンジュ氏はそれらを一つずつ説明しながら、以前は塩田の仕事をすることが本当に大変だったと回想した。自分の父親の時代にはしょいこで塩を運び、足で水車を踏んで水を引かなければならなかったが、今は機械が多くのことを手伝って幸いだと言った。それにも関わらず、天気によって時々鹹水の蒸発を調整し、品質を維持するためのチャングジル(薄く押し伸ばす農機具で塩を散らすこと)をする際は、塩田から目が離せないのが現実だという。6 問題はそれを受け継ぐ人がいないということだ。 

地域に人手が足りないという話は常にあったことだが、塩田の仕事は特に人を雇うことが難しい。明け方に出て夜も再び働かなければならない時があるし、天気がよければ、数日を続けて働かなければならないが、天気が悪いと仕事ができない。決まった時間に決まった分働いて賃金をもらう方式ではないので、労働者を正式に雇うよりは、家族の手に頼ることになる場合が多い。

新安というと、塩田奴隷事件から思い出す人々が多いほど、塩田の労働条件が悪いのもこのような与件と無関係ではない。当の事件については塩田が島や遠い海岸にあって、外部の目に触れにくかったという点、塩田主が地域有志である場合が多くて、行政の監視が届かないし、問題提起も難しかったという点が指摘されるが、近代的形態とは合わない労働自体の時間的・空間的特性も否めない。一角では塩田労働者の劣悪な状況が報道される時ごと、外国人季節労働者を雇って人手を補おうという方案が提起されたりもするが、どのような雇用の形で仕事が任せられるかは、それほど容易く判断することが難しいようだ。ヤン・ボンジュ氏も人手不足の問題を吐露した。「塩田一つを3丁といいますよ。1丁が3000坪だから、3丁ならほぼ一万坪ですね。だから塩田一つを一人でやる場合はほとんどなく、数人が分けてしますが、その中の1丁だけやるとしてもどれほど多くの人が必要でしょうか。」

塩田があったところに太陽光パネルが増えつつあるのも、塩田の仕事をする若者がほとんどいないためだ。それにそのような労働と苦労をして塩田を維持するには、塩の値段があまりに安いのも問題である。一時、20㎏の俵一つに2万ウォンが超えた天日塩の値段は、今年の初め頃、7000ウォン代に半額以上落ちた。7 新安の数か所で会った関係者と住民たちは、福島原電の汚染水放流の際に大挙市中に出された塩が残っていることに加えて、中国産を始め輸入産塩が流入されながら国産の天日塩の消費が減ることになった訳だと言った。ヤン・ボンジュ氏が塩田を太陽光発電用に賃貸することになったのも、低い収益を理由でとても塩田を売り払うわけにはいかなかったからであった。当時、売却値段より20年の賃貸料がもっと高くて下した決定でもあったが、それでも塩から収益が得られた時と比べると、非常に悪い安値だったと、賃貸を後悔するという複雑な心境を示したりもした。韓国戦争後、島で生き残るための努力の結果であり、生存の基でもあった塩がもうこれ以上安定した未来を保障できぬという危機感が広がり、太陽光パネルがその場に取って代わっているのが今の新安、そして飛禽島の現実である。

塩田だけの問題ではない。飛禽島には塩田より多くの田畑があり、農家の人口が島全体の人口の半分を超える。ヤン・ボンジュ氏も塩田とほうれん草農事を並行している。飛禽島のほうれん草は冬の海風に当たりながら、凍ることと解けることを繰り返して甘みもあり、歯ごたえがいいと知られている。飛禽農協が1996年、飛禽島のほうれん草を「島草 (ソムチョ:新安郡を中心に冬季に生産されるほうれん草のこと―訳注)」としてブランド化して以来、人気が高くなり、ほとんど全量が首都圏で消費される飛禽島の代表作物である。しかし、最近は気候変化により秋雨がよく降って、種蒔きがむずかしくなったし、異常高温で農事がだめになることが頻繁になっている。その上、人口減少と高齢化が重なりながら全体的に新安の島草栽培面積が縮まった。8 その空き地に太陽光パネルが雨後の筍のように入ってきているわけだ。

 

 

開発はどこへやってくるか

 

一時、塩田と田畑があったところに太陽光パネルが入ってくるという話は、所詮「空き地」だから活用することになったという次元に聞こえがちだ。だが、先述したようにその場は初めから空いていたところではない。人が暮らし、塩を作り、農作していたところが空いていくことになったならば、その訳は何なのか、新たに入ってきた太陽光パネルがその場を占めて、より多くの人を呼び寄せるのか、それとも今ある何かを追い立てているのか問う必要がある。しかし、そのような質問はなかなか聞こえず、他の話だけがざわつく。「消滅危険地域」という言葉もその中の一つである。人が減りつつあるところを、もうすぐ無くなるところとして定義すると、今もそこで暮らしている人々の時間は計算から抜けてしまい、何であっても一応入ってきたほうがましだという結論のみ残る。島地域の生が陸地と異なる条件を持つのは当たり前だが、異なるということが直ちに生きるに値するところではないという意味に歪曲されないためには、陸地中心の視角から脱して島の生を理解する必要がある。 

よく島とは周りが水で囲まれた地を意味するが、こういう定義に従うとオーストラリアのような大陸や水面上の小さい岩礁もまた、島でない理由はない。9 さらに測量技術の変化や潮干満の差、人間の居住可否などによって島に対する分類が変わったりもする。行政安全部・海洋水産部・韓国島振興院の合同調査によると、韓国の島は有人島480個、無人島嶼2910個であるが、持続的な人口減少で向後20年の内に有人島のなかの一部が無人島化する可能性が高いという点を考慮すると10、このような区分も一時的でしかない。

島に対する定義と基準は、社会政策的必要および関連法規によって定められたりもする。一例としてヨーロッパ統計庁(Eurostat)の場合、1㎢以上の最小面積と常住人口数、トンネル・橋のような陸地との固定した連結施設の不在など、いろんな基準を根拠にして「島地域」(island region)を定義している。11 一方、韓国の場合、1986年に制定された「島発展促進法(旧島嶼開発促進法)」に従って「満潮の時、海で包まれた地域」が島として定義されるが、特異にも済州特別自治道本島および防波堤・橋梁などで陸地と連結された地域は除外される。12 従ってこの定義によると、連陸橋(陸地と島を連結する橋梁のこと―訳注)で連結された莞島・巨済島・珍島などは事実上、島でなくなる。このことについて当の法の趣旨が立ち遅れた島嶼地域の支援にあるのだから、済州特別自治道法の支援を受ける済州や、陸地と連結されたところの除外は妥当だという見解と、そういう理由だけで島に対する支援策から排除されるのは正しくないという反論が長い間繰り返されている。このような現実は島に対する定義と認識が、一つの概念では説明しにくい、具体的で複雑な社会経済的、そして歴史的脈絡のなかにあることを示している。

歴史上、島は小さくて孤立された、特殊な空間として「強制」されたりしたし、その結果、いわゆる本土または陸地の植民支配と収奪、搾取の対象となってきた。端的に大西洋時代以来、数多くの島が帝国主義本土の植民地に転落したし、二次世界大戦以後、陸地の植民地が独立した後もプエルトリコのように「自治領」として残っているところが少なくない。エペリ・ハウオファ(Epeli Hau’ofa)は海に孤立した島々という視角を変えて、海自体がつながった島々の空間という視角、つまり「島々の海」という観点を提案した。13 岩泰島から飛禽島に渡ってくる船路の左右に並んでいた島々の姿がそのようなことであろう。彼は植民地当局が島をあまりに「小さくて貧しい、孤立されたところ」として描写して領土拡張の正当性を確保したし、海に国境を引いて島々の連結を断ち切ったと批判する。だから空っぽの海に点々と島が存在するわけではなく、海を島々の間の連結が成される空間であると共に、生命の源泉として見ようという視角の転換には批判的意味がある。不毛で辺鄙なので発展の対象だという認識が、逆説的に特定の発展のみを可能たらしめたことで、既存の生の方式を毀損し、島を陸地に従属的な状態に作ってきたからである。 

そしたらその発展は具体的にどこへやってくるか。空いていたり捨てられた地を開発すると掲げるが、実際はそうでない。人が住まなかったり船があまり来なく、道が通っていなくて電気を運ぶ線がない島には発電設備を立てない。生産された電気を送り出す方法がないからだ。なので開発は誰も住まないところではなくて、人がすでに港と道と電線を作っておいたところに行われる。その中でも値段が安く人口が減って本来の姿を守り続ける力が弱くなった方へ先に向かう。「豊富な再生エネルギー」という言葉が正確でないのはこのためである。豊かさは自然から自ずと存在するわけではなく、人々が暮らしてきたところで時にはその人々を追い出しながら得られるものである。 

塩田はその中でも目立つところである。四方が広々と開けて影が差さず、海岸から吹く風がモジュールを冷やすなど、塩田が太陽光発電の最適地として注目されるのは事実である。ところでその条件はそのまま塩田の条件でもある。陰がなく風がよく通ってこそ水が乾き、塩が「できる」。斜陽化しつつある産業が立ち去った所を、再生エネルギーが受け継いだというよりは、同じ地で塩と電気が争い合い、塩が追い出される形勢である。海に立てる海上風力もまた、同じようだ。水の上で作った電気を運ぶ変電所と送電設備は結局、人が住む島の中へ入ってきて居座る。 

田畑のところに太陽光パネルが容易く入ってこられるわけは、2019年改正された農地法の結果でもあるが、過去、土地転用が禁じられていた「絶対農地」であっても、塩気が残っている地として分類されると、太陽光事業が可能となったからである。ところが、実際は問題なしに耕作中の干拓地でさえ、地に残った塩気のために「塩害農地」として分類されて、太陽光設備が入ってこられるのが現在の状況である。14 気候危機の時代に再生エネルギーの重要性は否めないが、法を直し、認許可の手続きを減らして、住民参与型事業だといいながら意見収斂の手続きも簡素化する方式で事業者たちに早い道を明け渡している。15 これが果たして住民のためのことなのかについて確かめてみる必要がある。 

太陽光の設備が「どこまで」入ってこられるかに対する規定も変わっている。離隔距離に対する規制は、一般的に道路や住居地の一定の半径の中に発電設備を設置できないようにすることだ。129個の基礎自治体が条例に離隔距離の規定を定めているが(2024年11月基準)、太陽光の場合、主に住居地から300~500メートルの外、道路から100~300メートルの外位にして規制する場合が多かった。ところが、すでに住民参与型事業には当の条例の適用が除外されたし、今年の初め頃、再生エネルギー法が改正された上で、気候エネルギー環境部も去る6月、施行令の改正案を出した。自治体が条例を持っていても、太陽光の離隔距離を住居地基準200メートル、道路基準100メートルに緩和したわけである。改正案がそのまま定まったら、相当数の自治体が既存より基準を下げることになる状況であった。論難が繰り返されたが、7月21日、最終的に再立法予告された再生エネルギーの離隔距離の規制は、当初の草案に比べて太陽光の規制を緩める方式で整理された。道路には離隔距離を設けず道路と関係なく設置できるようにしたし、観光地と自然集落地区などは地方自治団体が自律的に適用の可否が決定できるようにしたわけである。16

規制を緩める側の論拠は明白である。自治体ごとまちまちだったし、根拠が明白でない規制のせいで、再生エネルギーの普及に地域別偏差を大きく広がり、事業者と住民と自治体との間における紛争と行政費用も増えたということだ。政府もまた、離隔距離がもともと廃棄物の処理施設や家畜の飼育施設などに適用されていた規制なので、太陽光にそのまま適用する根拠が弱いという指摘を何回かやってきた。17 それに反して農民団体は去る数年間、離隔距離が住民の健康と生活環境を守る最小限の安全装置であったし、それを画一化することは住民の生活より事業の推進速度を優先することだと批判した。特に今回の改定案については根本的に規制の下限線を提示することではなく、上限線を決めることで再生エネルギー事業者たちの便宜を図ることにのみ関心を示していると批判する。18 例えば去年の末、全南康津では住居地から500メートルである離隔距離を縮めようとした条例改定が、農民たちの反対で霧散されたが19、施行令が変わると、そのような改定まで自然と成されてしまうだろう。

ここでこのような過程を通じて開かれる場がどこなのかを問う必要がある。空き地ではなく、すでに人が住み、道と電線が設置されたところであり、その中でも守れる力が弱くなったほうが開かれる。そして、その場は道路と家から設備が一定の距離以上離れていなければならないという規定を通じて守られてきたところでもある。なので問題は太陽光発電そのものだというよりは、発電を巡った時空間にある。そうして生産された電気が飛禽島で使われることを超えて、送電線に乗って海南へと繋がるという事実は、地産地消(地域生産―地域消費)という再生エネルギーのの原則を顧みさせる。実際に飛禽島の住民たちは送電線路を地に埋めながらめちゃくちゃになった道路を見て、どの観光客がこんなデコボコ道に再び訪れるかと哀訴した。その渦中にすでに作られた80万坪に次いで、30万坪の太陽光設備が新安の所々に設置される予定だという。入ってくる場を許可するほうでは、このように法と手続きが素早く動く。それに比してその地に暮らしていた人々自らが、何がどのように行われるべきかを決めることは、ずっと遅くて複雑である。 

 

 

どうしても算用が合わない

 

そしたら開発の分け前は如何に分配されているか。島観光の活性化、無料公営バスと旅客船運賃の支援事業を始め、移動権改善など新安郡が成功事例として数えられる理由はいくつかあるが、何より大きく注目された政策は断然「日差し年金」である。発電収益を住民に定期的に分けるというこの制度は、開発の利益が島の外には出ないようにするという意味として見なされ、なので新安は再生エネルギーを地域がどのように取り扱えるかを示してくれる事例としてよく取り上げられた。特に2023年以後、人口の反騰に成功しながら、地域消滅の克服の事例として全国的な関心を受けることになったのだ。 

新安郡は1969年、務安郡から分かれたところで、その頃の人口は16万3000余名であった。1980年に13万名、1990年に10万名ほどであったが、1995年には6万名代に下がり、2020年には3万9000名に及ばなかった。20 持続可能な生の条件を再び模索せざるを得ない状況であった。船賃を下げることも、発電の収益を分けることもこのような苦悶から出てきた政策である。もちろん最初から反騰の幅は大きくはなかった。郡によると、出入りする人口を総合した純増加数値は2023年に179名、2024年に136名であった。速度がついたのは農魚村基本所得示範事業の対象地として選ばれてからだ。2025年9月末(3万9883名)と比べて、今年の7月末(4万2837名)は人口が3千名位増えた。21 島が空いていくことが決まったことではなく、当然な手順ではないということを、新安は数字で示して見せたわけである。

事実、日差し年金と通称されるが、これを一つの制度として見なすことは難しい。新安郡は2018年新再生エネルギーの開発利益の共有に関する条例を作り、発電事業の許可を得るためには住民の参与比率と利益の共有方案を提示するようにした。住民参与の道は共同組合、あるいは投資という二つの方案として開かれ、地域商品券として支払われる配当は、発電所からどれほど離れて住んでいるかによって変わるよう設計された。 

ところが、外に知られた内容と食い違う地点がここだ。太陽光の収益で新安郡民の「皆」が「年金」とも同じような恵沢を受けるということが、広く広がった話である。だが、日差し年金という名で発電利益に添って配当金をもらった人は、これまで太陽光設備が入ってきた島の住民であった。2021年、安佐島で支払い始め、2023年には全体郡民の28%、去年の基準では49%が配当をもらった。全体郡民が毎年一人当たり600万ウォンをもらうという数字は、再生エネルギー10ギガワットという目標値に達した際の数値でしかなく、再生エネルギーを風へも拡大して2030年、海上風力が設置されてから月50万ウォンを支払うという構想のその一環である。22 さらに同じ島の中でも日差し年金の参与方式が異なったが、1万ウォンの会費で協同組合に加入して設備との距離によって配当をもらう人々がいる一方で、まとまった金の持ち前を入れる投資の形で参与した人々もいる。ところが、われわれが会った人々の中で大きな持ち前を入れた側は、これまで手中に入ってきたものがないと言った。互いに異なる方式がすべて日差し年金と呼ばれるせいで、自分が投資をしたのか、組合に入ったのかでさえ当人ごと違って知っていた。 

もちろん郡民全体を対象とするものがなくはない。再生エネルギーの利益を財源として18歳未満の児童に与える「日差し児童手当」がそうだし、政府の支援金と地方費に再生エネルギーの利益配当金を結合した「地域財源創出型農漁村基本所得」がそうである。23 農漁村基本所得示範事業の施行は今年から始まったが、新安が当の事業の対象地に選ばれた主な理由は、日差し・風年金を結合する地域財源創出型モデルのおかげであった。国費支援の15万ウォンに郡が5万ウォンを出して、毎月一人当たり基本所得20万ウォンを支払うが、郡支援金の総額240億の中で、135億ウォンほどを日差し年金から取り付ける。新安郡の説明によると、これまで太陽光設備に対する被害補償の性格で運営されていた利益共有金を、郡の税収入に入れておいてから再び分け合う方式であり、利益共有金が年60万ウォンに及ばない地域は郡費用で保全し、それより多い地域は既存の収益が維持できるように設計したという。その説明通りなら、損害を被る側はなさそうに見える。24

ところが、これまで配当をもらってきた島から反発が出た。25 去る6月行われた地方選挙を控えて、一方ではこれまで配当の恵沢が太陽光設備がある島にのみ配られたと、彼らだけが郡民なのかという不満が爆発したし、当の島々ではこれまでもらった日差し・風年金の配当は単なる現金性福祉ではなく、当の住民たちが開発の過程で持ちこたえた犠牲と不便に対する最小限の共生装置であったと主張した。わずか1000票余りで分かれた郡守選挙で、この争点がどれほど決定的であったか弁えることは難しい。でも、少なくとも飛禽島で出会った住民たちは5選に挑戦した候補が負けたことは、直接的な景観被害はもちろんのこと、電子波・光反射などによる暫定的な健康への危害など、いろんな負担を甘受してきた島住民たちを無視した代価だと語った。太陽光発電設備を通じて所得が増えるとしても、それが島の未来のためによいことばかりではないし、「補償」があって然るべきだという住民たちの認識が露になる話であった。

「太陽光を設置した島住民だけが郡民なのか」という話と、「被害を甘受した代価をもらうこと」という話、両方とも不当だとは言えないだろう。問題は分け前を配る方式をめぐった混乱から生じる。島ごとどれほど開発を受け入れたか、否、初めから開発の機会が与えられたかどうかによって分け前が分かれる瞬間、同じ海に面して生きてきた島々は互いに争うことになる。実際に島の連結性を無視した行政単位的対応は、島共同体が持った様々な関係網を活用できないまま、むしろ共同体を孤立させる傾向にある。 

食い違うことはこれだけでない。人口減少と高齢化克服の対応策だとして、自治体では数百億ウォンを入れて有名海外芸術家の造形物を設置し、観光客の誘致に乗り出すと言ったが26、町ではまともな銭湯を一つ作ってほしいというのが長い間の請願である。開発を持ち込んでくる側も、それを分けようと言う側も、反対する側もそれぞれ根拠はある。それなのに互いにぴったり合わないなら、その理由は何か。

筆者たちは開発であれ、発電であれ、代案であれ、答えを常に外から、そして新しいことから探そうとしたためだと考える。差し当たり必要な銭湯や講堂を建てることよりは、観光のための施設を先に設置し、夥しい予算を造形物の設置に投与しながらも、海辺の白い砂原へ押し寄せる海洋ゴミを片付けることは地域の義勇消防隊に任せる。地域問題の解決を約束しながらも、新たなものが入ってくる時ごと、その地で暮らす人々は再び新たに適応しなければならなかった。誰かには再生エネルギーの宝庫として呼ばれるが、いざそこで暮らす人々にとっては容易くない生存の現場を島の視角から見てみ、理解すべきなのは取りも直さずそのためである。

 

 

耐え忍ぶことが希望になるために

 

飛禽島で太陽光の用地を賃貸してあげた所有者たちから共通に聞いた話は、「後でどうなるか心配」という話であった。太陽光発電は施設の空間を20年間長期賃貸する方式で進行され、賃貸期間が終わると原状に復することを原則にして契約される。だが、パネルは消耗品なので途中で交替が必要だし、その過程で費用がもっとかかったり、会社が破産すると原状に復することを塩田の主が引き受けることもあり得る。20年後にパネルを撤去する当事者が残ってはいるだろうかという恐れも回った。もう子息たちは島で暮らそうとしない。差し当たり周りの島に立ち遅れないためにも、より多くの開発が必要に思われるが、以後、その空間で引き続き生きていくことが可能なのか、今まで生活が維持できるようにしてくれた生活方式の変化が本当に持続可能なことなのか、何一つも確実ではないという話や、この島ひとつが生きられないところになるとしても、誰一人気にするだろうかという自嘲的な話が島の不安を物語る。 

消滅危機だというが、実際に来て見た飛禽島は克服の希望が溢れるところでも、大変な危機の現場でもなかった。むしろ島の所々には帰農帰村した人々が建てたというきれいな住宅が見え、素敵な韓屋(韓国古来の建築様式で建てた家屋―訳注)ペンションが散在し、島草栽培がだんだん難しくなっているとは言え、都市からの需要がもう溢れていてその農事をどうやりこなせるか心配なところであった。塩の値段がよくはないが、それでもまとまった金を儲けるためには農事より塩のほうがましだが、人手不足が問題であり、太陽光設備工事が終わったらどうなるか知らないが、今のところ設備技術者たちが数多く入ってきていて島に数少ない定食屋は、朝夕席がないほど込んでいた。 

飛禽島で目撃した困難さは、よく陸地の視線が推測するような、この空間が「立ち遅れたり貧しいから」ではなかった。むしろ与えられた条件の変化にあまりにがんばって適応し、何とかして生を持ちこたえようと絶え間なく努めてきた結果に近かった。オーストラリアの原住民共同体が定着植民主義の現実をどう生き抜くかを研究する人類学者のエリザベス・ポヴィネッリ(Elizabeth A. Povinelli)は、暴力的な災難がないところにおいて疎外された生が維持される方式を分析して、「耐え忍ぶこと」(endurance)が逆説的に身体と生活の基盤の「消尽」(exhaustion)へとつながる構図を指摘したことがある。27 生を崩すくらいの大型事件がないところで、人々は変わっていく条件に絶え間なく自分を合わせながら耐え忍ぶ。ところが、そのようにうまく耐え忍んでいるという事実自体が、徐々に生を摩耗させる条件をそのまま置いておいても構わない名分となってしまう。飛禽島の日常もまた、同じである。その日常は生活を続けていく能動的な我慢であるが、同時に外から押し寄せる開発の波に、選択権なしに適応するため自らを少しずつ消尽していく過程でもある。

なので、耐え忍ぶことが消尽を超えて希望となるためには、何かは変わらなければならない。住民たちに今よりもっとがんばって適応し、もっと粘り強く生き抜けと要求することは答えになり得ない。いくらかの支援金や基本所得で耐える生の時間を、少しずつ延長させてあげることもまた、根本的な解決ではない。支払われる金の裏面で、実際に彼らが一生営んできた生業と生活の基盤の条件は、斜陽産業という名で徐々に消されているからである。現場の具体的生とリズムが汲み取れないまま、遠くから巨大な「代案」と「転換」の名分だけ唱える知識人の談論もまた、このような構造的放置から自由でない。

再生エネルギーの資源がどれほど豊かであるかを掲げる巨大な修飾語の代わりに、われわれはその豊かさが果たして誰の、どのような犠牲の上に成り立っているかを問うべきである。島に本当に必要なことは、外地人に向かった巨大な開発の呼びかけではなく、すでにここで生を耐え忍んでいる人々が生業と日常を安定的に維持し続けられるように助ける生の丈夫な土台である。完璧な発展とは存在しなくとも、少なくとも彼らがやってきた労働と生のリズムが崩されないように、継ぎを当て、重ねて当てる修繕(repair)28の努力が先行されるべきだ。島で持続可能性を問うということは、巨大な代案の名を呼び寄せることではなく、今ここで日常を守り続ける人々の生に思慮深く答えることであるべきだからだ。 (翻訳:辛承模)

  1. 新安郡では島住民の移動権を保障し、定住の与件を改善するため、2021年から「1000ウォン旅客船運賃支援事業」を試行している。「島住民の生活、画期的に変化させた…全南道『1000ウォン旅客船』の力」、時事ジャーナル、2025.4.28。
  2. 新安郡は2012年条例を通じて、1004個の島がある天使の島という意味を込めて、「天使(1004)島」をローカルブランドとして掲げた以来、ずっと関連呼称を活用している。
  3. 塩は大きく分けて五つの方式で生産されるが、海水を浄水した後、ナトリウムと塩素の成分だけをこす精製塩、日差しと風で海水を蒸発させて作る天日塩、天日塩を水に溶かしてから沸かし直して抽出する再製塩、海水を沸かして蒸発させる煮塩、鉱物化した塩を抽出する岩塩がある。
  4. 朴三萬は最初の天日塩の生産者として記録される。佳山港で見られる水車を回す塩夫の造形物のモデルが彼として知られている。キム・ファン、パク・チャンイル、イ・ハナ、ジュ・ウン、『塩は生きている』、ジンインジン、2026。
  5. その中の一つが単一塩田として最大規模である曾島の太平塩田である。飛禽島の大同塩田と曾島の太平塩田は、2007年にそれぞれ近代文化遺産に登録された。しかし、2014年と2021年、「新安塩田奴隷事件」が発生した以後、2025年、太平塩田側が文化遺産としての価値の維持が難しいという理由で、遺産登録の抹消を申請するなど、論難が発生したりもした。
  6. 一般的に海水の塩度が3度だとすると、蒸発を繰り返した鹹水は最大25度まで濃度が濃くなるが、雨が降ると塩田所々に設置された鹹水倉庫へ水を入れて保管し、日が昇ると再び放つ作業を繰り返しながら濃度を調節する。  
  7. 「新安の天日塩価格暴落…生産者の廃業危機相次ぐ」、KBS 2026.1.28。
  8. 「新安の冬を支えてきた島草、今は『危機』」、木浦MBC、2026.1.16。
  9. 全世界的に面積が1㎢以上の島が2万個余りなら、1000㎢以上の島はそれに遥かに及ばない390個余りに過ぎない。代表的な島研究者として陸地中心の観点を転換することを主張したバルダッキーノは、小さくて特殊だと想像しやすい「島」より「陸地」または「本土」と呼ばれるところが、かえって特異で変則的な空間だと指摘したことがある。Godfrey Baldacchino, “Studying Islands,” Island Studies Journal Vol. 3 (1), 2008.
  10. 「韓国島振興院、生存と可能性の『島』を探して…根本的対策の設けが切実」、韓国日報、2024.1.3。
  11. キム・ゼホ、「島の体系的管理のための島の基準設定に関する研究」、韓国島振興院、2025.5参照。
  12. ハ・ヘヨン、「島地域の管理現況と向後の課題」、国会立法調査處、2023.5.22参照。
  13. 白英瓊、「『島』の視角から見た人類世」、『人間・環境・未来』28号、2022;Noralis Rodriguez-Coss, “An Intersectional Analysis of Island Feminist Praxis in Puerto Rico,” Gender and Island Communities, Routledge 2020.
  14. 「[再生エネルギーの明暗]① 太陽光によって無くなった塩田と田…居場所のない賃貸農民たち」、KBS 2022.10.29。
  15. 「地方工事、再生エネルギー投資の閂をはずす…出資・債権の規制を大幅に緩和」、ソーラートゥデー、2026.5.18。
  16. 「再生エネルギーの離隔距離の規制緩和…太陽光の道路離隔距離を除外」、エネルギー経済新聞、2026.7.23。
  17. 「太陽光・風力の『離隔距離規制』を原則的閉止…再生E法国会通過」、エネルギー新聞、2026.2.12。
  18. 全国農民会総連盟声明書「全国農民会総連盟議長のユン・イルグォン、再生エネルギーの便益は業者に、転換の費用は農山村住民に」、2026.8.3。
  19. 「康津郡議会、太陽光発電の離隔距離の縮小を推進…住民反発」、ハンギョレ、2025.10.1。
  20. 統計庁人口住宅総調査。
  21. 新安郡公式ホームページ(www.shinan.go.kr)参照。
  22. 「[日差し所得町④]厄介者から大事な資産に…太陽光が変えた新安郡『安佐島』の日常」、ソーラートゥデー、2026.2.6。
  23. 「新安郡、今年の下半期『日差し児童手当』19億支払う」、連合ニュース、2025.10.27;「新安郡、再生エネルギーの利益で基本所得実現…農村エネルギー所得モデルに注目」、ライブニュース、2026.7.6。
  24. 「[農漁村基本所得実験、現場に行く]日差し・風年金結合…『月20万ウォン』安定的財源の設計に注目」、韓国農漁民新聞、2026.4.21。
  25. 「(単独)新安『農漁村基本所得』…被害補償金を『住民の同意なしに』財源へ?」、ニューストマト、2026.3.3。
  26. 「新安郡、飛禽島に世界的彫刻家のアントニー・ゴームリーの作品設置」、連合ニュース、2024.1.6。
  27. Elizabeth A. Povinelli, Economies of Abandonment: Social Belonging and Endurance in Late Liberalism, Duke University Press 2011.
  28. 生のケアと修繕に対する議論は、「現場探訪」連続企画一回目である白英瓊、ジュ・ヒョンウ、「慶北の山火事1年、復旧と回復の意味を問う」、『創作と批評』2026年夏号を参照。