[新年コラム] 「金正日以後」と2013年体制
白楽晴 /『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授
* 韓国語原文は創批週刊論評で読めます。(原文)
金正日国防委員長の突然の他界は、韓(朝鮮)半島全体にとっても大事件である。普段は韓半島に関心がうすい西側メディアも、これを大々的に報道して「金正日以後」がどのように展開されるのか、多数の論評があふれ出た。後続の金正恩時代がどういう様相になるのか、誰もが気になるようだ。
ところで、こういう懸念もある。北の指導者交代と南における2013年体制のうち、どちらがより大きな変数になるのか。北の同胞にとっては領導者の急逝が当然最大の事件だろう。しかし、韓半島全体の長期的展望では2013年体制の成否、つまり1987年6月抗争で韓国社会が大きく変わったように、次の政権がスタートする2013年をそれに劣らぬ新たな転換点となしうるのか否か、がより重要かもしれない(“2013年体制”に関しては、『実践文学』2011年夏号に収録された拙稿「“2013年体制”を準備しよう」を参照)。
最高指導者の急逝と「急変事態」を区別すべき
そう思うようになったのは、指導者の急逝が国の急変事態に直結しないシステムを北側が準備していたことが次第に明らかになっているからだ。そのシステムが民主的か、あるいは社会主義的か、というのは別問題である。むしろ、王朝的な性格が際立つ。米国のオルブライト前国務長官の回顧録には、金正日委員長がタイの立憲君主制に強い関心を表明したと書かれている。そこには北朝鮮の体制が形式と内容すべてでタイとは大きく異なるが、金正日から金正恩への交代が年老いた国王の崩御に備えて、冊封しておいた皇太子の即位と似た面があるのは事実である。こうした備えに注目していたなら、あれほど安易に「急変事態」を予測しないだろう。
北の体制の「王朝的性格」に留意するというなら、金正恩党中央軍事委員会副委員長の歳が若いとか、後継者としての研修期間が父親の時より短いというのは事実としても、すぐに大問題を起こすようには思えない。最初の世襲(第二代の世襲)の場合、国祖に該当する金日成主席の比重が何しろ大きく、彼の死があまりにも急だった上に、共産主義革命を標榜して建設された国家の「王朝的」変形を初めて確認する過程だった。そのため、一層多くの準備が必要であり、もしかしたらより激しい陣痛を伴ったかもしれない。その反面、第三代の世襲は金日成の家門(いわゆる“白頭血統”)でなければ、最高指導者の地位に上がれないことが通念化された社会で、第二代の世襲によって既に作られた道に沿って進行している事件なのである。
他方、同じ唯一体制にあっても金日成と金正日の権力が異なったように、金正恩体制も、多かれ少なかれ、変容をとげて形成されるとみるのが正しいだろう。金正日委員長が絶対権力を振るっていたとはいえ、先代とは違って、彼は「首領」でも「主席」でもない地位で「先軍政治」という軍部との一定の妥協を前提にして権力を行使した。同様に金正恩は、かつての日本の天皇を彷彿とさせる神聖不可侵の存在として擁立されても、彼の実質的統治は党や軍のエリート集団とのまた異なる関係の中で進行する可能性が高い。その新しいシステムがどれほど現実に適応し、「大将同志」自身がどれほど政治力を発揮するかによって、金正恩時代の命運は分かれるだろう。
2013年体制の建設が核心的変数である理由
とまれ、金正日委員長の肉体的な生命に対する不確実性を、すぐに北の体制の「急変事態」の可能性と同一視してきたシナリオが色あせて、韓半島情勢の「不確実性」がかえって減少した面がなくはない。同時に、南の民衆が2013年体制を建設できるか否か、という変数の比重がそれだけ高まったと言える。
基本的に、その比重は南北の国力の違いと無関係ではない。南北は経済力と国際社会における影響力があまりにも違うため、結局南の社会がどういう選択をするかが、一層大きな重みを持つようになったのである。こうした原論的な考察を抜きにしても、この間李明博政権が韓半島情勢をこじれさせるのに、いかに決定的な役割を演じたかを振り返れば、「韓半島問題で韓国政府の主導力」を実感することができる(韓半島平和アカデミー、2011年11月1日講義「2013年体制と包容政策バージョン2.0」を参照)。
もちろん、北で急変事態が実際に起きるというなら、話は異なる。そして、遠い将来にどんな状況になるのか、誰がわかろうか。とはいえ、中期的にも北の急変事態を防止しようとする中国の意志と能力に大きな変動はないはずだし、今は内部的に比較的秩序整然たる継承作業が進行している模様である。そして、中国のみならず米国、ロシア、日本すべてが、ひょっとして順調な進行が危ぶまれるかと思い、一斉に「安定最優先」を叫びたてている形勢である。その上、李明博政権も特有の無定見と無教養を露呈はしたが、結果的に安定維持を選択したのは明らかである。
韓国以外の変数を語るなら、むしろ2012年の米国大統領選挙で共和党候補が当選する可能性が心配の種である。共和党の候補指名選挙に出馬した人々の中で穏健派だというマサチューセッツ州のロムニー知事でさえ、極右的な公約を乱発しているからだ。だが、最悪の場合共和党が政権を取ったとしても、2013年体制がほぼ不可能になるだろうとは思えない。ジョージ・W・ブッシュが当選した2000年代の初めとは異なり、現在の米国は国家経済がほとんど破綻し、国際社会での影響力が著しく弱体化した状態である。こうした状況で合理的な国家経営をあえて放棄したような政綱・政策を掲げて当選した大統領が、韓半島と東北アジアでブッシュと同じ腕力を行使するのは難しいだろう。韓国国民が2012年に新たな出発を選択した場合、邪魔をして手を焼かせることはあるにせよ、完全には挫折させえないと思われる。
2013年体制の建設における北朝鮮変数
あちこちで論議や勉強が進められているようだが、2013年体制は韓国社会の一大転換を期している。87年体制における民主化を新たな段階に躍進させて、この間の激しい格差拡大の傾向を反転させ、国家モデルを生命親和的な福祉社会に変え、正義・連帯・信頼のような基本的徳目を尊重する社会的雰囲気を再生するなどの課題を設定している。その際に核心的議題の一つであり、ある意味では、他の議題の成功を左右するのが、分断体制を克服する作業の画期的な進展である。
「克服作業の画期的な進展」であって完全な「解消」を注文しないのは、1953年の朝鮮戦争の休戦以来、固定化した分断体制の完全な克服はまだ遠い先だからである。とはいえ、2013年体制成功の一つの前提が、停戦協定を平和協定にとりかえる作業である点だけは明らかである。新政権がそれすらできなければ、87年体制の民主改革作業を妨げてきた勢力を制御するのは難しいだろう。もちろん、平和協定だけでもそう簡単ではなく、北の同意と周辺国、特に米国の同調が必要である。6者協議が再開されて核問題の解決に最小限かなりの進展を見せながら、南北間および米朝間の信頼が築かれてこそ、可能なのである。しかし、このすべては「金正日遺訓」の範囲内にあるもので、北も金正恩時代の安定化のために当然追求するであろうと思われる。
その反面、南北連合の建設という2013年体制のより大きな目標は、多少次元が異なる。これも金正日委員長の遺産である(2000年)6・15共同宣言に含まれたものであり、実際に(2007年)10・4宣言を通じて、その準備作業は開始されたが、いざ南北連合を受けいれようとすれば、新たな戦略的決断が必要であろう。金正恩体制がそうした意志と実力を持つようになるか否かは、現時点では未知数である。だが、周辺の条件が改善され、特に南の国民が北との和解と協力を確実に選択して賢明に推進する場合、新大統領の任期内における実現は必ずしも不可能ではないと信じる。
とにかく、李明博政権の残された期間でも対北支援と金剛山観光を再開することが急務である。経済協力を拡大して高官クラスの接触を進め、「北朝鮮変数」を大韓民国の利益と韓半島の大多数住民の念願に合致する方向へ管理しなければならない。そうするなら、政権の不名誉はそれだけ少なくなり、87年体制の克服がそれだけ順調に進むだろう。その反面、それすらできないというなら、政権交代を通じて新体制をスタートさせる必要性が一層高まるだけである。
2013年体制は近づいている
2013年体制が近づいている兆候は、2011年韓国のあちこちに現れている。何よりも10月のソウル市長補欠選挙の勝利と「安哲秀現象」がそうであり、韓進重工業の巨大クレーンの上で309日間の籠城闘争を貫徹した金鎮淑(女性)が「希望バス」をはじめとする汎社会的な支援を得て勝利できたのも、そうした兆候の一環だろう。変化の中心には、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)という新しい媒体を通じて今までになく緊密に連結して、意思疎通する大衆がいることは様々な分析家が指摘している。彼ら大衆は、いざとなれば、オフラインでも動き出す態勢ができているという事実が決定的である。これに加え、金正日時代の終焉はともかく変化が不可避であることをあらためて悟らせてくれた。北でも「ジャスミン革命」が近づいたという虚妄な期待ではなく、韓国の守旧勢力が北の事情を正確に把握して分断の現実を賢く管理する能力をほとんどもたないことが再確認され、時代転換に対する韓国民の欲求をさらに刺激しているのだ。
与党の有力な大統領選挙候補である朴槿恵議員(朴正熙元大統領の長女)が、与党非常対策委の委員長として早めに前面に登場したのも、2013年体制を予感させる兆候ではないかと思う。何しろ、「李明博の継承」を掲げて選挙を行えないのは幼い子供でもわかることで、したがって朴委員長がいつか登場するのは予見された手順だった。しかし、大統領と距離を置きながらもう少し長い間神秘のベールの中に留まっていて、総選挙が迫ったら彗星のように現れるというのが、当初の戦略であったと推測される。だが、急変する世の中はそうした優雅なイメージ政治をもはや許さなかったのである。彼女はソウル市長選で仕方なしに与党の羅卿瑗候補(女性)の支援に関与して傷だけを被り、非常対策委員長としての「早期登板」でさえ紆余曲折を経ざるを得なかった。とにかく、エースの救援登板によって接戦の様相は変わった。今後朴槿恵体制が実際に党内の疎通と問題解決の能力を発揮して4月総選挙を勝利に導くならば、彼女の大統領選挙の展望も一層明るくなるだろう。その反面、そうできなかった場合、大統領選挙の勝利のために与党最大のカードは早々と力を失いかねない。
野党勢力が分裂によって自ら敗北を招く可能性も厳然と残っている。この間、民主統合党と統合進歩党の結成でそれぞれ部分的な統合を実現し、少なくとも連合対象の政党の「個体数」を減らす成果を確実に収めた。しかしながら、これら両党の追加統合ないし選挙連帯は相変わらず確信できない。国会議員選挙において異なる党が連合するということは、共同政権を前提にして大統領候補を単一化することよりも何倍も難しいからである。その上、どの政党も支持しない有権者の威力を象徴する「安哲秀現象」が追加の変数として残っており、連帯さえできない野党勢力が彼らを引きこむのは難しいはずである。
関鍵はやはり2013年体制である。顔だけ代えて「李明博との差別化」に成功した旧執権勢力で満足するのか。あるいは、韓国だけではなく南北が共有する画期的な新時代への転換を達成するのか。困難とはいえ、胸高まる冒険の道に向かって多数の国民が情熱と知恵を集めさえすれば、総選挙という最大の難関を突破する現実的な方案を準備できないという法もない。政界の惰性や小さな利益の確保が一段と難しくなると同時に、分断体制の中で暮らしながらあまりにも完璧ですっきりした解決策を期待するのも、また違った惰性であることを冷徹に認識するようになるからだ。
誰よりも私たち一人一人が2013年体制の到来する兆しに心を開き、信念に満ちた努力を持続することである。英国の詩人シェリーは「冬来たりなば、春遠からじ」と吟じたが(「西風の賦」、1819年)、私たちは表現を少し変えて「春近づきて、いずくんぞ冬長からん」と詠めそうである。
翻訳:青柳純一