창작과 비평

「社会を語る社会」と分断体制論

2014年 秋号(通卷165号)

 

金鍾曄(キム・ジョンヨプ)   ハンシン大学社会学科教授。著書には、『笑いの解釈学、幸福の政治学』、『連帯と熱狂』、『時代遺憾』、『左衝右突』など、編著には『87年体制論』などがある。

 

 

1.「社会を語る社会」

 

「○○社会」というタイトルが付けられている著書が、多数出版されている。ということもあるためか、『社会を語る社会』(ジョン・スボク他、ブクバイブク、2014年)というタイトルの本まで出版された。本書は、「○○社会」という名前で、国内において出版された本に関する書評を集めた本であるが、『ひもじさ社会』(ジュ・チャンユン、グルハンアリ、2013)、『怒り社会』(ジョン・ジウ、イギョン、2014)、『過労社会』(キム・ヨンソン、イメジン、2013)、『剰余社会』(チェ・テソプ、ウンジン知識ハウス、2013)、『住居身分社会』(チェ・ミンソプ他、チャンビ、2010)、『絶壁社会』(ゴ・ジェハク、21世紀ブックス、2013)など、そのような類の本が、いかに多く刊行されたことがわかる。『社会を語る社会』に取り上げられている本は、国内の著者によるものだけではない。すでに、古典になったともいえるウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)の『危険社会』(セムルギョル、1997)もあるし、在独哲学者のハン・ビョンチョル(韓炳鉄)の『疲労社会』(文学と知性社、2012)や、日本の『格差社会』(橘木俊詔、セウムとビウム、2013)のような本もある。

ところが、詳細に確認してみると興味深いところがある。本書で紹介している『浪費社会を超えて』(セルジュ・ラトゥーシュ、ミンウム社、2014)の原題は、「破壊のために」で、『自己コントロールの社会』(ダニエル・アクスト、ミンウム社、2013)の原題は「誘惑」である。また、『部品社会』(ピーター・キャペリ、レインメイカ、2013)は、「なぜ善良な人々が、職場を得られないのか」である。これは、韓国の出版業界の人々が、翻訳書の場合、「○○社会」というタイトルを付けて、原題の意図を注目させれば、もっと売れると考えているからだ。

『社会を語る社会』の最終章を書いたジョン・スボウ(鄭寿福)は、出版人の商業的な裏にある社会的な欲求をこのようにまとめている。「人々は、人文学の本を読みながら、「私は、どのように生きるべきなのか?」と問う。しかし、すでに壁にぶつかった人々は、「我々は、どのような世の中に生きるか?」という問いをしている」(258頁)。適切で誠実な指摘である。事実上、どのように生きるかという質問は、自身をめぐる世界が、ある程度安定性を持つ時にすることができる。他方、期待が充足されないことが日常化すれば、人々は自身をめぐる世界を世界に対する眺望不可能の状態に陥るのである。そして、このような状態が、どのような社会に生きるかという問いを刺激するのである。これに対する社会理論と、出版界の簡潔で凝集的な答弁の形態が、まさに「〇〇社会」であると考えられる。

このような状況であるため、ある時期から「〇〇社会」という表現も多数増えて、もうすでに飽きたという雰囲気さえも感じられる。しかし、我々を、「社会を語る社会」に導いた内的欲求は、なくなったわけではない。むしろ、セウォル号参事をはじめ、陸軍22師団の銃器乱射事件や28師団のユン一兵の殺害事件など、そうした欲求を一層強く作らせた可能性が高いかもしれない。イ・ミョンバク政権に続き、パク・クネ政権の1年半の間、我々がみてきたものは、民主化を通して成し遂げてきた民主的な法治国家が、「民主的」のどころか、「法治」国家以下へ退行したものであった。セウォル号参事は、民主的な法治国家からの退行が、基礎的な安全と公共財を供給していた行政国家の(もしかしたらもっと深刻な)解体を同伴していたことを見せてくれた。こうした状況は、不安を深化し、社会的な眺望に関する欲求を強化してきた。

以下では、「〇〇社会」の系列に属する著書の中で、いくつかを詳細に検討する。ソ・ドンジン(徐東振)の『自由の意志、自己啓発の意志』(ドルベゲ、2009年)、キム・ホンジュン(金洪中)の『心の社会学』(文学ドンネ、2009年)、オム・ギホ(嚴奇鎬)の『取り締まり社会』(チャンビ、2014年)、そして、キム・チャンホ(金賛鎬)の『侮蔑感』(文学と知性社、2014年)の4冊である。この4冊を選んだ理由は、これらがどの著書より、社会的な眺望に対する欲求に真剣に応えているだけでなく、様々な試みをチャレンジしていると判断したからである。「〇〇社会」論の一般がそうであるが、上記の4冊に共通されている意図も、「社会的な肖像画描き」といえる。ところが、肖像画を描く作業は、科学的な真理を追究することと異なる面がある。肖像画は、どのような人物を想起する力がなければならないが、その人物に関する排他的な描写ではない。複数の肖像画が可能であり、個別の肖像画は、それでなければ可能ではないという新しい対象の理解を牽引する。

このような点を考えると、そのような作業を食傷するより、より多様に試みようとすべきかもしれない。しかし、そうするためにも、批評的な作業が必要である。自身が生きている社会の肖像画描きは、やむを得ず自画像を描くからである。自画像には、自己に対する客観化された像とともに、客観化を遂行する主体のタッチもともに表現される。自画像は、他者が描いた肖像画のような理解に留まらず、自己との和解と自己修練、そして実践の方向調整まで含んでいる。そして、それが「社会的」な自画像である限り、批評的な検討を伴う集合的な作業になるしかない。

以下では、すでに言及した著書が、印象的な成果を成し遂げたにもかかわらず、どのような盲目と誤謬、もしくは過剰を見せているかについて検討する。そうした限界を克服するためには、より包括的で適合的な時間地平を持つ理論が要請される。その理論的な展望を分断体制論から得られるということが筆者の見解だ。この場合、分断体制論の方からも、新しい概念と論議を開発しようとする努力が必要であることは、当然のことであろう。

筆者は、まず、4冊の著書の問題点を、三つの側面から検討する(2節)。次に、そうした問題を新たに明確にするために、二つの予備的な概念を提示しておく(3節)。続いて、そうした概念に立脚した4冊の著書にあらわれた断片性を克服する力量が、分断体制論の中にあることを明らかにする(4節)。最後に、より良い社会的な自画像に関する欲求に応えられる潜在力が、分断体制論に内包されていることを簡略に論じておく(5節)。

 

2.社会的自画像に関する三つの批判

 

ソ・ドンジンとキム・ホンジュンの著者は、私たち社会に対する優れた分析を通して広く認められてきたし、後続の研究者によってよく引用されている。「自己啓発的主体」や「俗物化」のような概念を、いろんな分野の論文において見つけることは、難しくない。刊行されてからそれほど時間が経っていなかったため、広く引用されてはいないが、オム・ギホの「取り締まり」やキム・チャンホの「侮辱感」も、そのような資質を十分に持っていると考えられる。

これらは、政治構造や経済構造の面において、我々の社会を明らかにするより、個人の自己関係と他者関係の構造と特徴、もしくは行為の内面的な動機に注目する。ソ・ドンジンは、「新自由主義の韓国社会において、自己啓発する主体の誕生」を分析し、キム・ホンジュンは、歴史哲学的に傾斜された俗物概念を通して、「心の体系」を分析しようとする。キム・チャンホは、侮蔑の経験を、我々の社会の構成員が感じる中心苦痛を明らかにしようとし、オム・ギホは、「取り締まり」という同音異義語(断続/団束)を通じて「同一性に関する過剰接続」と「他者性に対する過剰取り締まり(団束)」という二重の様相を解明する。こうした論議は、社会科学的な分析の場を拡張したことであり、その分、読者の経験世界と接触できる面を広げてきたが、(1)因果分析の面において、(2)わが社会の全体的な様相を叙述すると主張しているが、これらを互いに対照することだけであらわれる断片性の面において、(3)彼らが描こうとした社会的な自画像の効果の面において、その問題点があらわれている。

(1)因果関係は、与えられていることであるため、我々が発見するだけのこととして認識されることが多い。しかし、そのような考える場合、因果関係は巨大な「縁起」の海に陥るかもしれない。なぜならば、ある事件が発生したり、特定な事態が存続されたりするのには、無数の原因が存在し、それらが独立的に作用するというより、互いに絡んでいることが多いからである。したがって、意味のある分析を追及する限り、我々は因果的な適合性と比重を考えることになる。この「考える」ことは、因果関係が与えられたことではなく、理論によって規律される因果帰属(attribution)作業の結果であることを示してくれる。

この点を念頭においている著書を検討してみよう。これらの中で、もっとも長い因果的な時間地平を設定しているものは、『侮辱感』である。キム・チャンホは「傲慢と侮蔑の構造」が伝統から由来する身分意識、権威主義、集団主義からきたと主張している。「身分制の崩壊、身分意識の持続」(2章3節)、もしくは「共同体の崩壊、集団意識の持続」(2章5節)のような小タイトルからもわかるように、互いに侮辱し、それによって侮辱を感じる我々の文化的な風習が、近代化過程において発生した文化遅滞から始まったこととして説明している。

現在を、このような伝統的な生活様式と文化から説明することは、慣れた方式である。しかし、文化的な要因が社会的な条件の消滅以後にも持続する現象は、他の現象を説明する前に、それ自体が説明されるべきであるし、そうした説明のためには、理論に基づいた経験的な調査と因果帰属の作業が遂行されるべきである。それができない場合、「伝統は」説明負担の転嫁のために召喚されるたけで、実際に説明力を持つことができない。

他方、『侮辱感』のほかの三つの著書は、韓国社会の現在の姿、すなわち、自己啓発的な主体の登場、俗物化、取締り社会の形成を、新自由主義と関連付けている。このように、新自由主義を持ってくることは、かなり説得力のある因果帰属の戦略である。国際的な比較を可能にさせたという長点もある。しかも、韓国社会は国際分業に対し、他のどの国よりも深く介入している貿易国家であり、それほど国際的なガバナンスと政策のレジウム(regime)の影響が大きいといえる。しかし、「新自由主義」は、一種の知的アリバイとなる恐れがある。近い例として、自殺者がうつ病を患ったという話を聞いた瞬間、まるで我々が自殺の原因がわかったような感じを持つ、ということがあげられる。しかし、うつ病の原因が何なのかがわからない限り、自殺のことはいまだに説明されていないことである。「うつ病」という言葉と同様、「新自由主義」は何なのかがすでに説明されたことのような雰囲気を作り出す言葉になってしまった側面が大きいといえる。

新自由主義に説明負担を課さないまま、それを通じて厳密な説明を試みるとしても、心の体制から、もしくは自己関係の水準は勿論のこと、他者関係にいたるため、どうして新自由主義化が、ある面においては新自由主義の発源地である欧米よりも、より強力的で破壊的に貫徹され、ある面においては、顕著に少なく作動していたかを問うべきである。これに関連して、魚が陸上生活に適応する過程に関する古生物学者のスティーブンJ.グルド( Stephen J. Gould)の論議は、示唆するところがある。魚は、進化過程において、生存条件上、陸に出てこなければならなかった時、重力を耐えながら、陸上生活に適応することができたが、それは魚にすでに重力を耐えられる丈夫な背中骨があったからである。しかし、陸上ほどの重力の負担がない水中で、魚が丈夫な背中骨を進化させたのは、陸上生活を備えるためではなかった。魚の背中骨は、海の中のNAとCAの濃度の不均質性を克服するために、体内で進化させたCAの貯蔵所であった。[ref]Stephen J. Gould & Elisabeth S. Vrba, “Exaptation—A Missing Term in the Science of Form,” Paleobiology (1982), v. 8, n. 1, 4~15頁参照。[/ref] それと同様、我々が新自由主義という陸地に到達した時、心の体制における変動、自己啓発的な主体の形成、もしくは取り締まる自己/他者関係の樹立を可能とした魚の背中骨は何だったのかについて問う必要がある。あとで検討するように、それは分断体制のエトスであったといえよう。

(2)ここで取り上げている4冊の著書は、直感に訴え、任意的に集まった事例に頼る傾向がある。このような方法論的な弱点があるにもかかわらず、事例の適合性が高かったために、現実の照らし出す力もかなりある。ところが、これらを一緒に読むと、やむを得ず、次のような質問が提起される。ある著書における説得力ある主張が、他の著書の主張と両立可能なのか。各々の著書がそれぞれの方式で特徴があるように、我々の現実をキャッチする面があるのにもかかわらず、各々は我々の社会の肖像画として、多少偏狭的であったり、または特定な部分を誇張的で表現したりするような、まるでキャリキャチャーのレベルに留まっているのではないか。

たとえば、もっと具体的にこのように問うこともできる。自己啓発的な主体は、どのような意味において俗物的であるか?自己啓発は、成功という世俗的な価値と媒介される時(ハン・ビョンチョルが指摘したように)、成果を創出するために、疲労した状態に陥っていき、過剰肯定性の重さに押し付けられるレベルにすぎない。キム・ホンジュンによれば、それは俗物的な自己二重化と省察自体の道具化を経由し、自己喪失とまで進んでいくが、なぜそうなのか?キム・ホンジュンが話す俗物的な自己関係が、他者関係を中心とするキム・チャンホの論議と、どのような相応性を持っているのか?侮辱感は、恥ずかしさと繋がっているが、俗物とは、まさにこの数値と自身を絶縁する「能力」なしでは維持できない。だとしたら、自己関係ではなく、他者関係から論議を展開すべきではないか?もしくは、キム・チャンホの論議を、オム・ギホの著書と対照しながら、このように質問もできる。我々は、同一性に過剰接続し、他者性を遮断するが、他者に対する無視と侮辱は、過剰接続された同一性から淵源するのか。そうじゃないとしたら、他者性の遮断の失敗によるものであるか。

まとめてみるとこうだ。我々の社会構成員の自己関係に焦点をおくソ・ドンジンとキム・ホンジュンの論議は、互いにどのように繋がることができるのか。我々の社会構成員の他者関係に焦点を合わせるオム・ギホとキム・チャンホは、どのような関係を持っているのか。そして、このように論議される自己関係は、他者関係とどのように連係されているのか?最後に、我々がこれらの著書における相対的な考察を融合するとしたら、もっと幅広い概念的な枠を必要としていることではないか。

(3)ソ・ドンジン、キム・ホンジュン、オム・ギホ、そしてキム・チャンホが描き出す我々の自画像は暗い。我々は、自己啓発に余念がなく、自由のイベントが隷属に帰結される逆説に落ちている。我々は皆、他者を見下し、囃し立て、差別し、無視し、侵害する。そして、我々は、他者からそのような待遇を受けながら、その結果、侮蔑感に落ちる。

我々の姿に、こうした側面がないことではない。しかし、本当にそれだけであるか問わなければならない。なぜならば、これらの著書が、我々の社会を総括的に規定しようとするからである。特定の社会集団がそうであることではなく、富裕層がそうであったり、貧困層がそうであったりするという話ではない。もしくは、男性または女性がそうであるという話でもない。明示的に話してはいないが、我々が、少なくとも我々の大半が、「相当」、そうであるということである。セウォル号惨事のような事件を考えると、彼らの暗い描写に、手を上げてやるしかない、のようである。しかし、まさにそのような事件のせいで、彼らの総括的な規定について、問い直してみる必要もあるのだ。彼らが正しければ、セウォル号惨事に憤慨し、悲しんでいる彼らは誰であり、その憤慨と悲しさの出所は何なのか。

彼らが描いた自画像が、我々自身に公正であるか、という質問につながるもう一つの質問は、自画像の機能の問題である。暗い自己描写は、覚醒のきっかけにもなりうるが、自己嫌悪を呼び起こす可能性もあるからだ。もちろん、彼らも後者として流れることを望まない。それで、社会的な覚醒を明示的に促していることもある。ソ・ドンジンは、自己啓発の意思ではない自由の意思を、キン・ホンジュンは、スノビズムの内部に亀裂を作る倫理的な企画を、キム・チャンホは、尊厳なる人生のための態度の鼓舞を、そしてオム・ギホは、他者に対する傾聴を勧告する。しかし、こうした覚醒の重要性があるのにもかかわらず、それ以上の作業、たとえば何が社会的に焦点をもった課題であるか、どんな実践的・制度的なビジョンが存在するかを明らかにしようとする具体的な作業に対する示唆がなければ、そうした社会的な自画像は貧困であり、当初に意図した機能を充足することはできないのであろう。

 

3.分担体制におけるエトスと、それの両価性

 

記述したように、因果関係は、因果帰属作業によって確立される。我々が、現在経験している主観性の危機を、伝統や新自由主義に帰属させることにはそれなりの妥当性があるが、片方は、あまりにも広く設定された因果帰属が、分析の焦点を弱化させている。また、もう一つの片方は、あまりにも狭く設定された因果帰属により、自体の複雑性を理解しにくくなる。現在の主観的な危機と選り好み体系の歪曲を批判的に分析するためには、より幅広い概念の枠、そして、もっと適合性があるように設定された時間地平が必要である。分断体制に注目することは、このような要求に応えられるという期待のためだ。

しかしこれは、視野の拡張をもたらしても、主観性と選り好み体系に関する分析能力を保障することではない。確実に、分断の成立及び再生産の過程は、政治・軍事・外交の領域のみならず、日常生活と主観性の形成自体にまで、深く影響を与えたかもしれない。しかし、分断体制に注目することで、そうした問題を解明するためには、理論的な枠と概念をもっと開発する必要がある。ここでは、(1)現在主義(presentism)と(2)連帯ない平等主義の概念を通じて、その可能性を打診しておきたい。[ref]分断体制のエトスは、ここで論議される二つに限定されない。この問題に関する包括的な論議は、次回の課題にする。また、論議を思い通りに展開するためには、当然のことながら、分断体制自体の歴史的な展開に関する分析、そして、その変動過程において分断体制のエトスが構成/再構成される様相を取り上げるべきであるが、この問題に関する詳細な論議も、今後の課題にしておきたい。[/ref]

(1)分断体制の形成と再生産の過程が、人々に体験のレベルにおいて、そしてそれによって条件づけられた認知図式と行動様式にどのような影響を与えたかを知るためには、多くの経験的な研究が必要であると考えられる。しかし、そのような研究が不足している状況においても、基礎的かつ理論的な仮説を樹立することは可能である。まず、焦点を合わせたいことは、分断体制が、時間に対する我々の経験様式に、どのような影響を与えたかについての点である。この問題が重要な理由は、我々のすべての行為が時間的な地平の中で調整されるためである。これに関連する核心的な概念は、経験と期待である。我々が生きる唯一な時間は、現在である。過去は、この現在の中で経験として現存し、未来は期待の形態として現存する。そうした意味において現在は、経験と期待が交差する場であるといえる。万が一、経験と期待が整然と連携されたら、未来は経験から容易く推論されることだし、それほど、未来は驚異的ではないかもしれない。

しかし、二つの間における連続性が壊れるのであれば、未来は驚異とともに不安として満たされるかもしれない。R・コゼレック(R. Koselleck)によれば、伝統社会では、経験と期待の間に連続性が維持されるのに対し、近代社会の到来とともに、その連続性が壊れる。[ref]ラインハルト・コゼレック著、ハン・チョル訳『過ぎた未来』文学トンネ、1998年、14頁。[/ref] しかし、連続性が壊れるからといって、両者が完全に断絶されることではないし、両者の間に発生する間隙がどの程度であるかは、歴史的に可変的かつ社会的に多様であると考えられる。この間隙のスペクトラムを前提とする時、我々の社会は、間隙がかなり広い方であろう。こうした経験と期待の間隙を広げたのは、一時的に植民地と分断、として韓国戦争である。とりわけ、内戦であった韓国戦争は、近い親族関係までも危険にさらしたし、「空気読み」の速さと愚鈍さが、生死を分ける要因となり、偶然の残酷さが合理性を崩壊させ、すべての種類の規範的な期待を脅威する過程であったといえる。

こうした経験の中では、現在が過去の重さと未来に対する企画を追い出しながら、圧倒的な重要性を持つようになる。こうした時間感覚を「現在主義」と呼ぶことができる。経験と期待の結束が施される時、現在は、両者の間における緊張が維持できる支点になりうる。この緊張を維持しながら、現実に対する充実性を堅持できれば、我々は時間の「ど真ん中」をひっつかむこともできる。そうする時、現在主義は驚くほどの社会的な伸縮性の源泉となる。経験に束縛されず、期待挫折をショックとして受け入れず、現在の急進的な可能性に自身をかけるようにしてくれるためである。我々の社会成員が、過ぎた数十年間の激烈な社会変動を耐えるだけでなく、主導できたエトスは、このような現在主義のポジティブ的な潜在力からくる。

しかし、このような伸縮性がどのような代価を要求するのか予想することは難しくない。経験によって蓄積されたことが失い、未来の「合理的」企画が難しくなると考えられる。合理性は、未来に関する計画と忍耐強さ、長期的な利益、迂回されたり延されたりした補償と関連される。現在主義は、合理性におけるこうした属性と対蹠点に立ち、そうすることで合理性全般を弱化させる可能性が高い。「食べてから死んだ幽霊が顔色も良い」という韓国のことわざは、おそらく現在主義の否定的な潜在力をよく証言している話であろう。分断体制の樹立過程は、こうした現在主義の両価的な時間経験を、社会成員の体験の中において散りばめた。[ref]ここでは取り上げないが、このようなエトスが、産業化と民主化の過程の中において、どのような変動があったか検討する必要がある。パク・チョンヒ体制時期の発展主義時代に期待の安定化が起きた方式については、拙稿「分断体制と87年体制の交差路において」『創作と批評』2013年秋号、466~489頁をご参照いただきたい。[/ref]

(2)分断体制が時間的な地平において現在主義を固着化したとしたら、社会的な次元において、どのようなエトスを誘発するのであろうか。植民地と戦争を経由した朝鮮半島の近現代史は、根がとられ、故郷喪失することを一般化する過程であった。分断体制の樹立とともに再定着が始まったが、それの形成にたどり着くまで発生した社会的な解体は、強力的なものであり、その効果は、二つの方向としてあらわれた。

一つは、社会的な連帯の深刻な解体である。植民地総督府もそうであったが、解放とともに、国作りに力を入れた朝鮮半島の住民が、分断と朝鮮戦争を通して経験したことは、抑圧的で戦争動員を中心として組織された国家であった。すでに指摘したように、内戦でもあった朝鮮戦争は、家族内部まで浸透し、連帯の資源を破壊する場合も多かった。このような連帯の解体によって、もっとも狭い範囲の血縁集団を除けば、個人を保護できる共同体が消滅した。停戦体制とともに、わが社会に残ったのは、危険でけち臭い国家、そして険しい世界に投げ出された家族だけであった。

もう一つは平等主義である。なぜならば、植民地と戦争を経由する社会的な解体の過程は、社会的な位階の破壊過程にもなったからである。植民地化で士大夫集団は、存在基盤を失い消え、植民地時期の上階階級は親日集団としての正当性を喪失し、農地計画による階級としての地主もほぼ消滅された。そして、戦争は、物質的な資源の破壊と移住をもたらすことで、すべての社会成員を混ぜて再整列した。そうした意味で、戦争以後、韓国社会においては、すべて位階のない平等な出発線から出発したといえる。もちろん、階層的な状況を綿密に検討してみると、戦争後にも、社会成員が持つ物質的・象徴的な資源では差異が存在し、それが今後社会変動の過程において差異が拡大されるのに重要に作用した。しかし、社会心理的なレベルで社会的位階は、完全に解体された。「我々は、火田民である」というイ・ウォリョン(李御寧)の戦後発言は、こうした破壊的な平準化をよく表現した言葉であった。このように社会的連帯の破壊と破壊的な平準化の結果として与えられたことは、連帯のない平等主義であった。

このような連帯ない平等主義も、現在主義と同様に両価性を持っているが、その両価性が連帯のなさの否定性と平等主義の肯定性の単純な結合として理解されてはならない。なぜならば、連帯なさまでも、両価的な面を持っているからである。予想できるように、連帯の弱化は、人間に対する事物化した態度、協同能力の後退のような否定的な結果を生むが、同時にすべての伝統と封建的な遺産もともに清算する効果も持っているためである。このような過程の中で、価値のあるものが破壊されたが、なかなか消すことができない否定的なものも解体されたといえる。

平等主義も「認定闘争」を強化し、それによる嫉妬のような否定的な感情を誘発できる反面、同僚の中で優れた者になろうとする競争をあおる。競争が激しすぎて、それに対する我々は否定的な感情を持つが、もっと優る者になろうとする「認定闘争」に、自己高揚のきっかけが入っていることは、否認できない。こうした情熱は、産業化に向けた集合的なエネルギの源泉になることができた。また、平等主義は、同等な市民的権利に対する要求を強化し、不平等を抑制するために民主化の内的動力になったといえる。

同線上において、現在主義と連帯のない平等主義がともに作動する時、どのような社会的な結果が生まれるが考えられる。おそらくもっとも否定的なこととしては、わが社会に蔓延している「食べてから逃げる」現象をあげられる。黄金の卵を産む鴨はもちろんのこと、普通の卵を産む鶏のお腹まで切断するという、この近視眼的で略奪的な態度は、今直面している他者との連帯感のところか、その人にまた会うこともないという考えから淵源している。これは、現在主義と連帯のない平等主義の結合が、深刻なるアノミを誘発できることを意味する。しかし、両者の結合がそれほど否定的なことだけではない。両者がともに作動する社会は、驚くほどの伸縮性と臨機応変が強烈な欲望と結合し燃える情熱な社会、自らも驚くことを創出する力動的な社会にもなるためである。[ref]外国人の視線で、このような両価性をよく表現したダニエル・チュードルの韓国文学論のタイトルは『奇跡を成し遂げた国、喜びを失った国』(文学トンネ、2013年)である。この本の英語版の原題は、一層時事的である「不可能な国家」(Korea: the Impossible Country)だ。[/ref]

 

4.社会的な自画像の再構成

 

これからは、分断体制論の観点に先だって論じされた著書の間に潜んでいる内的連携性を明らかにしておきたい。このような内的連携の解明は、彼らが描いた社会的な自画像が破片的であったことを表すだけでなく、それを克服し総合する有力な理論的展望が、分断体制論にあることも見せてくれると考えられる。論議は、社会成員の他者関係から出発するのであろう。人々は、自己関係の模型を他者関係、すなわち社会的な生き方のパターンから得られるためである。

(1)キム・チャンホの『侮蔑感』から考えてみよう。すでに指摘したように平等主義は、同僚の中でより良い者になろうとする競争を強化していくが、この競争を適切レベルで制御する連帯感がない場合、社会的な認定は、難しい課題となる。そして、まさにそのために、「認定闘争」が激しくなる。この闘争の熱気を冷ますためには、尊重されるほどの業績が、社会的に合意された標準として浮上しなければならない。この標準は、異議提起なし通用されるものでなければならないが、「認定闘争」が激しければ激しいほど、厳格で比較可能性の高いものが標準として選択される。そのようにして、お金と権力と学閥などが標準で浮上した。これに比べ、名誉や職業的価値などは、十分な一般性を獲得できなかった。

標準の形成は、尊重される道を開くが、同時に無視の道も開く。標準は、すでに尊重された席を案配する。この席を占める者は傲慢となり、傲慢となった者は他者を無視する。しかし、平等主義は、尊重することを嫌うが、無視されることも嫌う社会である。そのため、我々は、よく尊重しないし、容易く屈服することもしない。その結果、キム・チャンホが尊重と無視という多少平凡なる単語より侮蔑感という強烈な単語を選択するほどの「認定闘争」は、熱烈なものであろう。そのような「認定闘争」のマトリックスである連帯のない平等主義に戻ってみると、我々が経験する苦痛の相当な部分は、破壊的な近代史と分断体制のエトスに、我々が未だにとらわれているためであることがわかる。

(2)社会的な認定標準形成が可能となったら、我々はすでに認められたと信じられる席に到達するための、地位競争的な平等主義へ進んでいく。ある席または指標が、そうであったかは、絶えず変動してきた。学歴や学閥と関連してみると、70年代には名門校入学がそのようなことであっただろうし、80年代には大体名門大であっただろう。90年代の半ばからは、「特目高」が、新たに加わった。財産の領域においても、可視性が重要であった。おそらく、世界的に由来がなかったアパートブームには、認定標準に対する執着も、重要な役割をしただろう。アパートは、社会的な比較をもっとも容易くしてくれる住宅の形態であったからである。

こうした競争状況においては、認定標準を獲得するため、もっとも禁欲的な自己管理を遂行しなければならない。そうした面からみると、自己啓発的な主体は、新自由主義以後の新しい現象ではない。万が一、競争が徐々に僭越していく競争のための投資機関が長くなることが不可知なら、自己管理は総体化の傾向を持つのであろう。彼は、自己啓発のために、時間全体、社会関係の全部、感情の全般を管理すべきであり、自身の肉体も管理しなければならない。そして、すべての過程を投入と産出関係の側面において、綿密に検査すべきである。この場合、すべての社会的な行為を資本投資と収益の観点で把握する新自由主義的な概念体系は、禁欲的な行為主体の自己解釈を支援し、正当化するが、それがどれほど総体的に貫徹されるかは、談論ではなく社会的競争強度によって決定される。[ref]すなわち、新自由主義の文化が、自己啓発的な主体を生成することではなく、すでに存在する自己啓発的主体もしくは禁欲的で自己管理的な主体の自己解釈を、新自由主義文化が支援することである。新自由主義の文化的影響力を、このような観点において取り上げた論文として、 拙稿「概念の新自由主義化:資本概念の拡張について」『民主社会と政策研究』2008年第13号、253~277頁をご参照いただきたい。[/ref]

(3)そうだとしたら、そのような過程がどうして俗物性を誘発するのかみておこう。連帯のない平等主義から生じる激烈な「認定闘争」の中で、尊重を得る確実な道は、すでに指摘したように、認定標準の獲得である。しかし、認定標準を獲得した彼は、そうじゃない彼らの認めに満足しがたい。認められるためには、同類の上に立ち上るべきであるが、そうなる瞬間、他者はこれ以上私を、認める同類に届かない存在になるためである。

認定標準は、それを獲得した者の内的葛藤を誘発することもある。それに到達する過程が、犠牲として経験されると、主体は、補償を願う心理を持つようになり、それほど認定標準に執着することである。その場合、認定標準は、主体の業績ではなく、主体を隷属させる力になる。このように、認定標準と自身を同一視し、それに隷属された者に、我々は虚弱で空っぽの主観性を発見することとなる 。[ref]このような認定標準に関する執着の例として、ある大学生のレポートに盛り込まれた次のような発言がある。「私にとって修学能力試験の点数は、475点分の「商品券」のようなものであった。商品券は、その範囲内では品物を買えるが、おつりをくれない。我々が10万ウォン券の商品券を持ってショッピングをする時、できれば残さずに全部使おうとしたのであろう。当時私は、修学能力試験の点数が、浪人までして獲得した商品券だと考え、それを私が買える最大の値段表が貼っている西江大学・経済学科と延世大学・人文学科で使用した。(…)それが、本当に私が望んでいた品物ではなかったにもかかわらず、ということである」オ・チャンホ『我々は差別に賛成します』ゲマゴウォン、2013年、143頁から再引用。[/ref]

認定標準を得られない者も決して容易に承服しない。その結果、我々は、「私はここにいる人ではない」のような話をよく耳にする。しかし、こうした虚勢が多いのは、「自分の場所(席)にいると感じられないこと」が、殆ど普遍的な経験であることを証言することでもある。[ref]このような態度では、アメリカのコメディアンであるグルーチョ・マルクス(Groucho Marx)の有名なジョークである、「私は、私を会員として受け入れてくれるクラーブには、加入したくないです」のような力説も入っている。[/ref] 他方、承服しない態度を露骨的に表すことは、時々嫉妬の兆候として考えられる。よく、「羨ましければ負けること」という。しかし、羨ましくなければ、心が狭い、のように見えることもある。そのため、認めるふりをすることもある。ところが、我々は、どのような種類の、「偽物認定」も、驚くほどよく気づく。[ref]我々は、微妙な一つの瞬間の表情においても、無視もしくは不認定の兆候をチャッチする。ソン・ギョンドンの詩の一部をそのような例として挙げておきたい。「ある日/ある、自称マルクス主義者が/新しい組織の結成に一緒に参加しないかと尋ねてきた。/話の最後に彼が訪ねた。/ところが、ソン同士は、どの大学の出身なの?笑いながら/私は高卒であり、少年院の出身で/労働者出身であると話してあげた。/一瞬、情熱的であった彼の二つの瞳の上に/冷たくて少し生臭い幕の一つがかかることをみた。」(「ささいな問いに対して答える」、『些細な問いに対して答える』チャンビ、2009年、16頁。強調は引用者。)[/ref] 認定標準は、このようにして、それを獲得した者とできなかった者の両者を、内的不安定性の中に閉じ込め、それに対する我々の態度を俗物的であるとする傾向がある。

(4)オム・ギホは、『取り締まり社会』を通して、「我々の社会は、社会でもない」という。ところが、彼は、我々の社会がいつから、なぜそうであったかは、明確にしていない。しかしここで、分断体制に着目してみると、「取り締まり社会」の系譜を考えることができる。

停戦協定以後、韓国において意味のある社会組織は、生存の中心土台であった家族と、戦争を通じて肥大した国家だけであったとしても過言でもない。その間に、あるべき広い意味の市民社会の領域は、破壊されたり空けられたりしていた。以後、我々の社会における発展経路を簡略にまとめてみると、まず、国家は戦争国家から行政国家へ拡張し発展した。しかし、行政国家が福祉国家に進んではいかなかった。緩い親族範囲を包括し、個人を保護していた家族は、近代化の進行とともに、親族を切り離しながら、徐々に愛情的核家族に縮小され、最近には、出産率低下で、より規模が小さくなった。[ref]家族において、親族集団の社会経済的な意味がほとんど喪失されたことを見せてくれる指標の一つは、自身が保険料を出す補償保険が、親戚がしてくれていた連帯補償を代替しはじめたのだが、その時点は、大体1990年代の初めとみることができる。[/ref] それとともに、家族の平均的な福祉能力も急激に弱化した。こうした国家と家族の間において、企業、そして企業が活動する市場が成長した。産業化が成功的に発展していた時期に、大企業と中堅企業の正規職社員は、その中で人生の安定的な基盤を発見したが、90年代の半ばから、そして外貨危機をきっかけに、こうした中産層の基本土台も弱化一路を歩んでいる。

このような発展過程が作り出したことは、結局のところ、小さくて無力化した家族の中に閉じ込められた個人である。感情生活と経済生活、育児と教育と愛情、このすべてを成し遂げなければならない過負荷状態の家族は、オム・ギホが批判する企画された親密性の問題を生み、家族からの自由が必要であるコミュニケーション負担の状態などを作り出す。社会的な連帯が、虚弱である状態において、近代化への深化により、文化的な差異が大きくなることによって、家族の外からも、疎通と相互理解は、益々難しいこととなる。そうすればするほど、疎通を通して相互認定に至るという期待も低くなる。こうした状況の中で、人々は、同一性に対する過剰絶族と他者性に関する忌避という二重的な意味においての「取り締まり」へ進んでいく。認定理論的に換言すれば、取り締まりは、認定の内的強化と、認定に驚異的な他者に関する防御であるといえるかもしれない。

 

5.ナルシシズムでも自己嫌悪でもない……

 

これまで、2節で論議した三つの批判の中で、一つ目(因果分析の問題)と二つ目(断片性の問題)が、分断体制論における展望のなかで、どのように解明され総合されるのかについて論じてきた。これからは、三つ目の問題、すなわち社会的な自画像の効果について検討しておく。良い自画像は、既述したように、自身に公正であるだけでなく、まさにそうであるために、ナルシシズムと自己嫌悪を避け、そうすることでより良い方向感覚を鼓舞する。分断体制論が、そうした要求にどのように答えるかを見せるためには、長い論議が必要であろう。ここでは、結論の代わりに、そうした指摘展望が、分断体制論の中に含まれていることを簡略に提示する。

分断体制論は、分断が朝鮮半島の住民の人生に与えた根本的な制約に注目してきた。この制約は、地政学的で地経学的な制約のように、客観的に留まるのではなく、主観性の中に氾濫し入ってくる。そうすることで、主観化した制約は、我々の選り好み体系の中においても貫徹される。[ref]ペク・ナクチョン(白楽晴)が話したことがある「後天性分断認識欠乏症」は、分断体制における制約が、認知的なレベルにおいて貫徹される例である。同線上において分断体制の制約は、選り好みのように、審美的なレベルや価値のような規範的なレベルにおいても貫徹される場合もある。[/ref] このように、社会の構造的な制約の影響の下で、選り好みがそれに合わせ変更された場合を、「適応的な選り好み」(adaptational preference)と呼ぶことができる 。[ref]適応的な選り好みの古典的な例は、ラ・ポンテン(Jean de La Fontaine)寓話の一つである「渋い葡萄」である。この物語においてキツネは、高いところに実った葡萄を食べようと何度も試みたが、毎回失敗したあと、葡萄を諦めることにした。その時に、「あの葡萄は、渋いと思う」を言う。キツネは、自身が持つことができないことを願うことで生まれる苦痛を避けるために、選り好みを変えるほうを選択したこととなる。願うことを得られる機会の制約に直面して、機会構造を変えるよりは、選り好みを変えることで、内的葛藤から脱しようとする。この問題に関するより詳細な論議は、Jon Elster, Sour Grape: Studies in the Subversion of Rationality, Cambridge University Press 1983, 第3章をご参照いただきたい。[/ref]

我々が取り上げた自己啓発的な主体、俗物性、同一性に関する過剰接続や他者性の遮断、傲慢と侮蔑の構造などは、適応的な選り好みの様相を、相違な理論的な展望の中で批判的に解剖しようとしたといえる。しかし、そのような作業が、自己嫌悪の経路から容易く脱することができないことは、制約と選り好みが相互作業する方式に無神経であるまま、適応的な選り好み自体に対する分析に没頭しているためである。

そのようになった脈絡を理解することは難しくない。こうした論議は、87年体制が停滞状態に陥り、そのため、分断体制のエトスが否定的な方向に働いた時期に対する観察に基づいているためである。[ref]本稿で詳細に取り上げられない87体制論については、拙書『87年体制論』チャンビ、2009年をご参照いただきたい。[/ref] 民主政府の10年が、民主化の面においてより、新自由主義化の面において明確な「成果」を出すことで、民主派内部の勢力亀裂と知的混同をもたらし、それによる政治的敗退が、民主主義の後退、南北関係の敵対性の強化、そして新自由主義の進化をもたらしたためである。このような社会的変化は、現在主義と連帯のない平等主義の否定的な側面を強化し、個人の内面における病理的な自己関係と他者関係を強化した。社会構造のレベルにおける退行が、適応的な選り好みを強化し、再び適応的な選り好みが、構造的な制約を増大させる悪循環が起きたのである。

しかし、理論的な作業は、そうした適応的な選り好みの強化とともに、沈まない浮力を持たなければならないし、そうした浮力を維持するためには、二つが要請されると考えられる。一つは、時間地平をこうした悪循環が目立った最近の時期より、もっと広げることであり、もう一つは、適応的な選り好みの概念の裏面のメッセージ、すなわち構造的な制約が弱化されれば、それに応じて、適応的な選り好みから脱皮が起きうること、ひいては、その過程が素早いスピードの自己強化的な改善として進んでいけるのにも、公平に注目されることである。

このように視野を広げれば、4・19革命や現在におけるわが社会の構造的な枠を形成した6月抗争も新しく照明できる。それもともに、4・19革命や6月抗争のように、制度化の壁を乗り越えなかったとしても、機会の制約から自由になる時、大衆の潜在的な能力が行動に転換される、それももっとも爆発的な事件として凝集された多くの例を思い出すことができる。釜馬抗争や光州民主化運動のような場合もそうであるが、近い例として2008年のキャンドル抗争のことを考えてみよう。2002年・ワールドカップ、女子中学生の「ヒョスン・ミソン」の追悼集会、弾劾反対集会を通して整えられた新しい集会文化、民主政府の10年間に安くなった集会費用(「弱化した」集会統制能力)、情報通信技術の発展のおかげで向上された伝達能力などが、一旦、チャンスが開かれると、我々自身も驚くほど、愉快で「才気はつらつ」の選り好み表現と、それに立脚した行動の増幅を経験したことがある。キャンドル集会の何か月前に、イ・ミョンバク候補が圧倒的な票の差で、当選できたことを考えてみれば、これは確実に急激な変化であったが、このような事実は社会的なエネルギが調合される方式によって、我々の社会がつかつかと前に進んでいけることを表してくれる 。[ref]しかし残念ながら、このような自己強化的な変化の例が、最近あらわれたのは、むしろ保守的な整列の側面であった。パク・クネ政府の人事政策、とりわけ、ユン・ジャンジュン・大統領秘書室報道官の任命やチェ・ドンウク検察総長の例を考えてみよう。ユン・ジャンジュンの能力と性向については、内部においても批判があったにもかかわらず任命を強行したが、それは、官僚と与党側全般に、能力より忠誠を補償するというサインを送るためであり、チェ・ドンウクの場合は、忠誠しないことに対して、強力な懲罰サインを送ることであった。礼状だけあれば、我々の社会成員の中で、誰の個人情報も完璧に調べられる検察総長が、隠れた個人生活によって辞任した事態は、すべての官僚と政治家を不安にさせるのに充分であった。在任期間中、多発した軍器事故にも、キム・グァンジン・前国防長官が、国家安保室長として栄典したことも、過誤は度外視し、軍サイバー司令部の運営などにあらわれた、忠誠にだけ補償する例として考えられる。このような式のサインは、国家官僚全体が、補償と処罰回避のため、大統領に向かって整列されることとなる。しかも、官僚制や軍隊は、本来位階的な組織であるため、こうした整列は、自己強化的な過程を繰り返して、ほぼ一瞬に成し遂げられるといえる。その結果、我々がみることの中で一つが、セウォル号参事に官僚たちがみせた無能力な対処や陸軍22師団のユン一兵殺害試験であるといえる。[/ref]

したがって、時間地平を広げて、少なくとも分断体制の展開過程の全般を視野に持ってくれば、我々がおかれた社会的な制約と選り好みの体系の関係を、より力動的に把握できるし、そうした時に、我々は社会成員が見せてくれた退嬰的な姿だけでなく、革新においてもバランス良く注目することで、現在の選り好みに対する俗物的な肯定と、自己嫌悪的な批判から脱することができる。その上、分断体制論が強調してきたこと、すなわち分断というもっとも根本的な機会構造の制約を変えることの重要性と、それのために実践的な焦点を明瞭に整える作業の重要性を自覚することができるといえる 。[ref]これと関連して、分断体制論における他の軸たちを、たとえば、南北関係に対する展望を改めた「抱擁政策2.0」や政治的なプログラムを規律し、勢力連合のヒントを得ていく「変革的中道主義」に対する論議を考える必要がある。ペク・ナクチョン「「抱擁政策2.」0を向けて」『創作と批評』2010年春号、71~94頁(『2013年体制作り』チャンビ、2012年、95~123頁)、ペク・ナクチョン「2013年体制と変革的中道主義」『創作と批評』2012年秋号、15~35頁参照。[/ref]

冒頭に書いたように、「どのように生きるか」という問いが壁にぶつかった時、「どのような社会で生きているか」という質問が提起され、それから様々な種類の「〇〇社会」論が登場した。しかし、そのような質問の経路に我々がはまった理由の中で一つは、我々が一緒に生きてみたい社会は、どんなものであるかという質問、より良い共同の生き方に関する質問を失ったからかもしれない。果たして、我々がともに生きていきたい「他の世界」は、どのようなものなのか。名称が何であろうが、それがどのような方向へ帰一するかを知ることは難しいことではない。その最低限は、これ以上、セウォル号参事のようなことが起きない社会であり、「願い」を大きく立てるのであれば、分断体制を超えての「一流社会」であろう。そうした社会は、「認定闘争」が「相互認定」に変えられた社会にもなりうると考えられる。

 

翻訳:朴貞蘭(パク・ジョンラン)