창작과 비평

「東アジア資本主義」の現在と未来

2015年 春号(通卷167号)

 

 

李日榮(イ・イルヨン) 韓神大学校グローバル協力大学教授、経済学。著書に『開放化のなかの東アジア』(共著)、『中国の農業、東アジアへの圧縮』、『新しい進歩の代案、韓半島経済』、『韓国型ネットワーク国家の模索』(共著)などがある。ilee@hs.ac.kr

 

 

1. 「東アジア―朝鮮半島」という観点の重要性

 

2008年の世界経済危機以後、世界各国は目の前の危機を乗り越えることに尽力したが、根本的に信頼できる対策は出ていないでいる。2008年の危機は主にアメリカの金融システムから始められたが、米ドルとウォール・ストリート、そして新古典派数理経済学者たちのヘゲモニーはあまり揺らがなかった。しかし、危機感が高まっていることは明らかな現実である。西欧先進国では「長期沈滞」(secular stagnation)が差し当たった現実問題として登場した。

「長期沈滞」の概念は大恐慌期であった1938年、アルヴィン・ハンセン(Alvin Hansen)が提起したことがあるが、2014年2月、ラリー・サマーズ(Larry Summers)前アメリカ財務長官がこれを再び言及しながら、人々に膾炙されている。1970~90年代に主要先進国の表面上のGDP成長率は8%を上回ったが、去る10年間は4%以下へと落ちた。2次世界大戦以後の人口成長、金融的膨張と低い利子率に基づいた成長趨勢が挫けるのは、一時的な不振ではなく慢性的で構造的な現象だということである。[ref]Lawrence(Larry) H. Summers, “U. S. Economic Prospects: Secular Stagnation, Hysteresis, and the Zero Lower Bound,” Business Economics 49(2), 2014; “Secular stagnation: The long view,” The Economist Nov. 3rd 2014 (http://www.economist.com/blogs/buttonwood/2014/11/secular-stagnation).[/ref]

先進国らの沈滞状態は、「危機」の深化と資本主義の「終末」という歴史社会学者たちの論議に説得力を付け加える。だが、もう一方ではシステムの複雑性のため、資本主義の未来を単純に確定して語ることは難しいという指摘もある。社会は経済的・イデオロギー的・軍事的・政治的ネットワークの相互作用であり、多様な地政学的範囲と予測できぬ人間の行為という変数もあるということである。[ref]イマニュエル・ウォーラーステインは世界市場の過飽和状態と投資の社会的・生態的費用を取り上げる。ランドル・コリンズは情報技術の進展と中間階級の構造的失業が資本主義の政治的・社会的緩衝装置を除去していると見なす。一方、マイケル・マンは未来に対する予測は難しいと主張しながら、あり得る代案の提示を重んじる。イマニュエル・ウォーラーステインほか、『資本主義は未来があるか』、ソン・ベクヨン訳、創批、2014を参照。[/ref]

東アジア地域で展開された生産ネットワークは、資本主義の多様性と複雑性をより増大させた。主要先進国が沈滞を繰り返す間、東アジアは世界資本主義に活力を吹き込む場所であった。中国と韓国は2008年の世界経済危機の衝撃を、比較的短い時間で乗り越えたことがある。しかし、趨勢を見ると、2010年頃以後、東アジア経済の成長勢が挫けることとして表われる。2015年初めの現在、アメリカ経済は底を打ったという期待感があるが、ヨーロッパと日本の展望は相変わらず暗い。東アジア経済の低成長趨勢が次第に固まりつつあっていることと見なす見解が多くなった。 [ref]アメリカは2014年1分期にマイナス2.1%の成長率で墜落勢を示したが、この趨勢は再び反転した。2014年2分期に4.6%、3分期に5.0%成長という予想外の成果を収めた。2014年4分期には2.6%成長で躓いたが、2015年の内に3%の成長率と完全雇用を達成するだろうという期待感が大きい。中国は2014年国内総生産成長率を7.4%に確定して発表した。これは公式集計が始まった1990年以後、24年ぶりの最低成長率である。中国政府は経済が「ニューノーマル」(new normal、新常態)の状況から安定した状態へと発展したと説明したが、これは成長鈍化を正常的なこととして公言したことでもある。(拙稿、「「成長エンジン」が消えないためには」、京郷新聞、2015.2.5)[/ref]

韓国は低成長の趨勢がより明らかだ。統計庁によると、2014年の全産業生産は2013年に比べて1.1%増加した。ところで、これは5個産業群を包括した全産業生産統計を作成し始めた2000年以後、最低値に当たる。また、2014年の鉱工業生産増加率は0%で、2009年に-0.1%を記録した以後、最も低い数値へと下がった。このことに対して韓国の産業エンジンが止まったという刺激的な言及が出たりもした。

よい医者は予見と治療能力をあまねく備えるものだ。経済を扱うことにおいてもこのような能力が必要であるが、容易いことではない。経済を構成する主要変数が正確に計算され、予測されうるという観点は、新古典派右派経済学や国家社会主義左派経済学が共有するところであった。しかし、彼らの予見は既存のシステムに対するイデオロギー的信念を前提とした。信念に基づいた予測があまりによく外れると、その信念の効用性はむしろ弱化される。資本主義は次第により複雑となって、その本質的趨勢を論議することもそれほど難しくなっている。資本主義は地政学的範囲に添って互いに異なる課題と時間帯が設定されているのが現実である。

現段階の資本主義の核心問題は、格差拡大と大沈滞の不安である。ところで、成長と分配に関してもどのような位置とどのような範囲から問題を眺めるかによって診断と処方が異なりうる。一つの国家次元で、または世界全体の範囲で問題を眺める際、解決策が漠然となることもある。筆者の核心的な問題意識は、「東アジア―朝鮮半島」次元で問題を眺めることが重要だという点である。そうして本稿では1990年代以後形成された「東アジア資本主義」と連結された韓国および朝鮮半島次元で資本主義の現在と未来の問題を捉えながら、新たに展開された資本主義環境に対する適応と改善・克服の方向を考えてみたい。

 

2. 1990年代という転換点

 

取り敢えず、韓国の経済現実から捉えてみよう。まず分配の状況を見ると、全世界的に1970年代以来、不平等が深化したが、韓国はこれとは違って1990年代半ば以降になってこそ、世界的趨勢に合流した。世帯所得の分配が90年代半ばを基点として悪化の趨勢へと転換したし、外国為替危機以後、急激に悪くなった。成長率の趨勢は特定の時点を確然とした転換の切っ掛けとして捉えることが難しい。1997年の危機、2008年の危機が成長趨勢に衝撃を与えたが、直ちに反騰勢が現れた。成長率の水準で見ると、80年代半ばまでは高成長段階、80年代後半~2000年代半ばと後半は中間成長段階だと言える。2008年以後には低成長段階へと進入する兆候を示している。[ref]1970年代末~80年代初めの危機以後には、1986~95年が相当長い成長の高原地帯を形成した。1997年の東アジア危機以後には、2000~2007年の期間の間、5%代を中心にして騰落する趨勢であった。そして2008年、世界経済危機の下落と反騰以後には3%代前後の成長率が固着化することと思われる。[/ref]
分配と成長の趨勢変化と関連して、よくグローバル化、技術変化、労働市場の制度変化などの要因が多用に取り上げられる。ところが、これらの要因が皆具体的にどんな内容を含めるかも問題だし、各要因との間に如何なる関係が成立するかも明らかではない。これらの要因をひっくるめて「資本主義」や「新自由主義」のような概念で指し示すなら、それを通じてどのような実践的代案が導き出せるか。市場機能を制限する対策が如何に作動できるし、そのような対策でもって果たして成長と分配の問題が解決できるだろうか。

よく切れる刀でばさっと切ることができるほど、患部が明確なものではなければ、成長、分配、技術、制度などあちこちをもっと見てみ、手探りしてみる必要がある。ここで重要な変化の流れが捉えられるのは産業構造のほうである。韓国の成長および分配と最も強力な相関関係を持つものは、1990年代前半に進められた産業構造の変化を示す資料である。統計上で1988年までは製造業の成長が国内成長を牽引した。ところで、1988~93年には製造業の成長が全体成長率とサービス成長率を下回ることへと変わってから、1993年以後に再び製造業の成長が全体成長率より高くなった。サービス業や農業が全体成長を牽引する位置にまでは上れなかった。なので、1988~93年の時期に製造業の内部にある構造変化が成されたし、これが従前とは異なる内容の成長パタンを作り出したと推測することができる。

1990年代前半期は韓国経済に新しい構造変化が成された転換点であった。このことは成長要因として挙げられる巨視経済の指標を通しても観察できる。1970年代の成長は国内投資と海外部門の比重との同時的上昇の結果であった。ところで、80年代後半、しばらくの間国内投資の比重は相変わらず増大される反面、海外部門の比重は下落する内需主導型成長の姿が現れる。そうする中で国内投資率は1991年に頂点を記録した以後、下落したし、1997年以後再び急落した。国内投資率の下落を補ったのは海外部門であった。輸出入比重は1993年度に低い点を記録したが、以後爆発的な増加勢を見せたし、1997年の危機と2008年の危機の時により大きな幅で増加した。[ref]国民総所得に対する輸出入額の比重は、1993年度に52.6%、1998年に80.8%、2008年に110.7%を記録した。[/ref]

1990年代前半を経ながら韓国の資本主義は新しい方式に変形した。産業生産の部門で新しいシステムが形成されて、これは海外部門と堅く連結された。周期的な危機のなかで国内消費や投資が萎縮される際にも、海外部門は相対的に打撃を低く被って成長勢を後押しした。韓国の産業と成長の構造が変わりながら、相対的により強力な海外部門が存在することとなったと言える。

現実でグローバル化と技術変化を別々に見なすことは難しいが、経済学の計量分析モデルでは敢えてこのように分離する。そしてこのモデルに基づいた多くの分析結果は、韓国の不平等が技術変化よりは開放による賃金不平等のためだと語る[ref]ジョン・ビョンユ、「韓国社会における所得不平等の深化と動因に関する研究」、『民主社会と政策研究』23号、民主社会政策研究院、2013、21~22頁。[/ref]。このような論議は開放を制限しようとする治療策に念頭を置いたであろう。もちろん賃金制度は不平等深化を防ぐための重要な政策手段の一つである。ところが、開放を制限すれば、賃金が上がり、経済成長になるといったふうの因果関係が成立するかは不明である。賃金と所得が主導的役割をするならばよかろうが、どのような方法でそうできるかは知られていない。

よく危機以後、対外依存度が高くなり、国内部門と海外部門との格差が大きくなったことと言われているが、これは一種の錯視現象である。危機は問題そのものであって問題の原因ではない。沈滞が長期化し、成長勢が回復できなかったならば、分配構造はより悪化したであろう。1990年代以来、韓国資本主義の成長構造は海外部門と新たな方式で連結されている。輸出という強力なエンジンがより力強く稼動されることは難しくなっているが、急に国内で新たな動力を探すことも難しいことである。

 

3. 「東アジア資本主義」の進展

 

韓国の資本主義は1990年代を通過しながら新たな構造へと転換した。80年代末~90年代初めしばらく内需主導型モデルの兆候が現れたが、これは一時的なことであった。ある人はその時期に戻って開放を防ぎ、過去のモデルを復元すべきだと主張するかもしれない。しかし、このような主張を具体的な政策として作り出すことは難しい。

1990年代以後の変化は一国家次元のいくつかの政策でもってその流れを逆転させることは難しい巨大なものである。韓国資本主義の転換は一国次元で孤立的に成されたことではない。東アジアには世界経済、そして各国国民経済と一定に区分される自分だけのネットワーク型生産システムが作られた。生産・貿易におけるネットワークは移動・移住の増加をもたらしてきて、中国の役割が一層拡大された市場・金融制度を形成しようとする力が増加している。

全世界的に、特に東アジアでは1990年代以来、グローバル生産分業(production sharing)またはグローバル生産ネットワークが進展された。このような分業またはネットワーク化は製造業価値チェーンのグローバル化と関連して進行された。価値チェーンとは製品とサービス生産に必要なビジネス活動の連鎖的チェーンを意味するが、このような価値チェーンの活動が国家と地域次元の境界を越えて拡大される現象が現れたのである。価値チェーンのグローバル化によって生産過程はいろんな段階へと分割(fragmentation)、遂行された後、再び最終生産物へ集められるグローバル生産ネットワークを形成する。

ネットワーク生産には同一な生産物にいろんな国家が関係し、国家間に中間財投入の流れが介入されている。従って、現況を精密に捉えることが難しい。それでも、国家別資料を再組立てして部分・部品貿易の実体を捉える形で流れを推し量ってみることはできる。これによると、1990年代以来に東アジアでグローバル生産ネットワークが大きく進展されたし、このことによってグローバル分業の中心は先進国から東アジア地域へと移動した。アメリカとメキシコ、西ヨーロッパと東ヨーロッパとの間における生産過程の分割は、先進地域から後進地域へ中間財を送って最終財に組み立てる単純な方式である。これに比べて東アジアは開放されたネットワーク形態で産業集合体を形成する段階にまで到達した。[ref]東アジア生産ネットワークに対する叙述は、拙稿、「グローバル生産分業と韓国の経済成長:東アジア生産ネットワークと韓半島ネットワーク経済」第3~4章(『動向と展望:韓国社会研究』93号、韓国社会科学研究所、2015)による。[/ref]

東アジアで生産ネットワークはもう一般人にも体感される慣れた生産方式となった。韓国、台湾の企業は中国の長江と珠江三角州、タイ、マレーシアなどの地で最終組立品工場を建て、また他のところで原料と中間財を調達している。90年代初めの時点で製造業輸出品のなかでネットワーク産品の比重は、日本が圧倒的に高い水準であり、その次がアセアン(ASEAN、東南アジア国家連合)であった。しかしそれ以後、日本の比重は停滞し、他の東アジアの国々、特に中国、韓国、台湾のネットワーク産品の輸出比重が増加した。中間財の輸出比重は韓国、台湾、アセアンが相対的に高い比重を占めることとなったが、中国の中間財比重の増加勢も明らかだ。このことは特化パタンが地域全体に開放的・複合的に重なっていることを示す。

生産ネットワークを核心とした「東アジア資本主義」の進展に動力を提供したところは、アセアンと中国である。生産ネットワークの形成を制度的に後押ししたのは、FTA(自由貿易協定)ネットワーキングであったが、東アジアFTAシステムのセンター役割はアセアンが担った。アセアンは90年代初めに自体的にFTA体制を樹立したし、2000年代を通じて東北アジアの国家はもちろん、インド、オーストラリア、ニュージーランドともFTAを締結した。アセアンがFTAネットワークを主導しながら、生産ネットワーク形成に友好的な制度環境を設けたと言える。[ref]アセアンがFTAネットワークを主導する間、韓国、中国、日本の間は東アジアFTAネットワークの大きな穴として残っていた。2014年、韓中FTA妥結宣言はその穴が埋められる意味がある。韓・中・日間FTAが遅延され、韓米FTAと韓-EU FTAが先に締結された過程は、東アジア生産ネットワークが地域内では完結できぬ経済的・政治的条件を反映することでもある。[/ref]

もう一つの決定的な動力は中国がグローバル生産分割に有利な要素を供給したことである。東アジア地域は各国の発展段階がそれぞれ異なって、多様な分業を可能たらしめる労働供給条件を備えていた。その中で特に中国は巨大な労働力倉庫の役割を遂行した。中国東部・東南部沿海地域は政策体制、意思疎通体系、物流などでも費用優位を持っていた。中国が低費用で組立の役割を遂行すると、全体的に生産過程分割の利益が大きく増加した。

中国の浮上によって世界各国では競争が激しくなり、産業空洞化が起こるだろうといった不安感が広がったりもした。しかし、1990年代と2000年代を通じて東アジア生産ネットワークはプラスサムゲームの様相へと進展された。中国が東アジア生産ネットワークで主要組立センターの役割を担うこととなりながら、中国の中間財・資本財の輸入が増えた。これによって他の東アジア国家らは部分・部品生産活動に特化できる機会が得られるようになった。

アセアンと中国が動力を設けた生産ネットワークの拡張で、グローバル生産分業において東アジアの域内ネットワークが核心的役割を遂行することとなり、東アジアが世界に依存する程度は減少することとなった。ネットワーク貿易のなかで部分・部品貿易は最終財貿易より早く成長したし、韓国および台湾と産業基盤を持ったアセアン国家らはより大きな利益を得ることができた。東アジア生産ネットワークのなかで相互間貿易が増加しながら、1990年代初め以後、中国、韓国、台湾の貿易額が急速に増加した。日本とアメリカに集中されていた中国の貿易は韓国、台湾、アセアンなどへ分散され、彼らは各国に特殊な費用優位の条件に従って中間財・資本財の生産技術を発展させた。[ref]Prema-chandra Athukorala, “Production Networks and Trade Patterns in East Asia: Regionalization or Globalization?,” ADB Working Paper Series on Regional Economic Integration No. 56 (2010); Fukunari Kimura and Ayako Obashi, “Production Networks in East Asia: What We Know So Far,” ADBI Working Paper Series No. 320 (2011). 韓国は東アジア生産ネットワークの進展による利益を最も多く取った場合の一つである。韓国の電子・機械産業と企業らは生産ネットワークのなかでグローバル水準の技術追撃に成功した。中国の輸入額比重を見る際、韓国は1995年に7.8%、2005年に11.6%、2013年に9.4%を記録した。2013年の基準で見ると、中国は貿易パートナーのなかで韓国からの輸入比重が最も大きかった。西欧先進国のなかではドイツが中国との生産ネットワークをうまく活用した場合に当たる。[/ref]

 

4. 「東アジア資本主義」の偏重性と位階性

 

1990年代以来の東アジア生産ネットワークは、韓国、中国、台湾、アセアンの国々に生産・分割の利益を提供した。この時期に新自由主義的開放で東アジアおよび韓国経済が危機と苦痛を経験したという主張はかなり広く流布されている。しかし、これは現象を落ち着いてことごとく観察した診断ではない。「東アジア資本主義」は新自由主義的規制緩和とともに、位階的で集中的な性格を持ったネットワークの拡大という要素も持っている。

顧みると、アセアンのFTA推進、韓中修交、中国のWTO加入過程などは、生産分割に有利な条件を設けた。特に韓国は1992年の韓中修交以後、中国と緊密な生産ネットワークを形成した。多くの企業が生産過程の一部を中国に移し、国内で生産した中間財を中国に輸出した。中国と韓国の経済は共に成長して、「中国の輸出が1%ポイント増えると、韓国の対中国輸出は0.4%ポイント増える」という命題が人々に膾炙された。1997年の外国為替危機、2008年の金融危機を比較的早い時間のうちに脱したことには、中国と連結された成長の輪が大きい役割を果たした。

「東アジア資本主義」は生産と貿易における革新を通じて発展したが、改善が必要な部分も多い。東アジア生産ネットワークは世界で最も先進的で精巧な形で発展したが、産業間・地域間の分布で非常に非対称的な形態を帯びている。生産ネットワークが先立って形成された産業は主に電子・機械部門であり、このネットワークに参与するにもかなり高い敷居が存在する。2007年基準で製造業貿易のなか、機械工業貿易の比重を見ると、シンガポール、フィリピン、マレーシア、日本、韓国が70%以上であり、タイと香港を含めた中国が50%以上で高い方である。反面、インドネシア、ベトナムは20~30%の水準であり、インドは20%以下で非常に低い比重を占めた。このことは生産ネットワークが地域全体に拡大されたのではなく、一部の地域に偏重された形で存在するということを意味する。[ref]Fukunari Kimura and Ayako Obashi、前掲論文、10~11頁。[/ref]

趨勢を見ると、中国へのネットワーク集中が深化している。中国の主要輸出・輸入品には機械電子製品、先端技術製品、自動計算設備および部品が輸出入10代品目に共通的に含まれており、特に機械電子製品、先端技術製品が圧倒的比重を占めることとなった[ref]2012年の輸出額を見ると、機械電子製品が1兆1793億ドル、先端技術製品が6012億ドルを記録した。10代輸出品目に軽工業製品としては針織・編織衣類製品、非針織・編織衣類製品、家具製品などが含まれているが、これらの輸出額の規模はそれぞれ780億、550億、488億ドルの水準であった。[/ref]。中国へのネットワーク集中は最近より際立っているが、韓国でこの問題が大きく関心を集めたのは三星電子の実績のためであった。三星電子の主力製品であるスマートフォンは2011年から販売量世界1位を記録中であるが、中国市場でも1位を守ったものの2014年8月、中国企業に追い越されて占有率4位へと下がった。

また、東アジア生産ネットワークを主導したのは位階的大企業である。韓国の場合も三星電子、現代自動車、LG電子などが生産を分割し、これをグローバルネットワークに連結することに積極的であった。中国の場合、大規模国有企業が企業拡張の過程で企業活動の価値チェーンを拡張する一方、保護された市場を基盤としたベンチャー型民営企業がグローバル生産ネットワークのなかで革新大企業へと発展している。アメリカのシリコンバレーが独自的なベンチャー生態界を形成しながら発展したとしたら、東アジアのベンチャー企業は全般的に国家の支援体制と密接に連関を結んでいる。

中国でグローバル民営大企業が急速に成長した領域は、国家次元で技術・制度・文化的標準設定に影響力を発揮している分野である。中国はインターネット民族主義に基づいて国家が介入してマイクロソフト、グーグルなどを牽制してきた。中国IT企業の神話を書いているバイドゥ(百度)やアリババのような企業らは、すべてシリコンバレーのモデルを模倣した後、中国政府の積極的で黙示的な支援に負って中国市場からグーグルとイーベイを追い出した。中国のスマートフォン市場で突風を巻き起こしているシャオミ(小米)も、製造技術よりはソフトフェアのほうに核心競争力があると言える。

通信装備の製造において生産分割の典型的な特徴を見せてくれる事例はファウェイ(華爲)であるが、この場合は国家支援とより直接的に連関されている。ファウェイは人民解放軍出身の任正非が設立した民営企業で、通信装備とスマートフォン製造が主力事業である。ファウェイは製造の殆どをアウトソーシングしながらR&Dを始め、核心技術に集中して技術力を培った。その結果、CDMA(コード分割多元接続)、GSM(ヨーロッパ移動通信標準)、LTE(高速無線データ通信規格)技術において三星電子とノキアに近寄ることになったし、中国の通信技術標準設定にも積極的な役割を遂行している。アメリカ国防府が疑うようにファウェイが中国軍部と直接的関係を結んでいるかは不明であるが、とにかく中国政府の支援が高速成長の主要な要因であることは事実である。

「東アジア資本主義」が非対称的で位階的な姿を示すことには、生産ネットワークが地域内で自己完結性が持てないという点も作用する。中国だけ見ても、従来に比べて東アジア域内の国々との貿易比重は増えたが、アメリカへの輸出比重は相変わらず圧倒的に1位を占めている。せめて製品販売市場の場合、その依存度を下げる可能性が存在するが、エネルギーと食糧の外部依存はずっと構造的である。

 

5. 「東アジア資本主義」の未来はどうか

 

経済展望には常に「不確実」が重要なキーワードとして提示される。アメリカはこうで、ヨーロッパはこうで、また中国はこうだといったふうの展望は多いが、常に未来は混乱だという但書が付く。とにかく今まではアメリカ経済が墜落勢に流れはしないで、中国の成長鈍化は管理される範囲のなかにあるように思われる。従って、東アジア経済が近いうちに、ある日いきなり没落することが起こりそうはない。

このような判断にはこれまでの過程で現れた東アジアの力動性も根拠とすることができる。東アジア生産ネットワークは「革新」の動態的過程の産物であり、有名なシュンペーター( J. A. Schumpeter)の言及に典型的に符合する姿を帯びる。「国内外の新しい市場の開拓(…)、組織上の発展は絶え間なく古いものを破壊し、新しいものを創造して絶え間なく内部で経済構造を革命する、この産業上の突然変異―生物学的用語を用いてもいいなら―の同一な過程を例示する。このような創造的破壊過程は資本主義に対しては本質的事実である。」 [ref]シュンペーター、『資本主義・社会主義・民主主義』、ベン・サンジン訳、ハンギル社、2011、184頁。[/ref]

経済的次元のみから見ると、東アジアは西欧に比べてより成功的で「創造的破壊」の可能性が高いところだと言える。しかし、「東アジア資本主義」にも経済的・イデオロギー的・軍事的・政治的ネットワークの相互作用のなかで危機が現れうる。中国を始め東アジアはエネルギー・食糧の絶対的な部分を地域の外部に求めている。彼らの貿易には国家介入の程度が強く、海軍力を含む政治・軍事的要素も重要な条件となる。エネルギーと食糧を巡った地政学的葛藤が激化されると、「東アジア資本主義」を支えたいろんなネットワークが崩壊されることもありうる。

従って、場合によっては「東アジア資本主義」も危機に陥りうる。マイケル・マン(Michael Mann)は資本主義に対してあり得る、可能性の高い二つの代案的未来を語ったことがある。一つは構造的雇用が高く維持されながら、2/3は高熟練正規職従事者として暮らし、1/3は社会から排除される社会のシナリオである。もう一つは低成長する資本主義へと安定しながら、平等性を拡散して下層階級が10~15%に留まるようにすることである[ref]マイケル・マン、「終末が近いかもしれない、ところで誰に?」、『資本主義は未来があるか』、174~87頁。[/ref]。東アジアの場合にも同じような枠でもってシナリオが語れる。ところで、二つのシナリオの間における差異が西欧に比べてより大きいと言える。東アジアはより力動的な革新も可能だが、より深刻な社会的危機にぶつかることもありうる。

底のほうに転がって下の方の道に行くと、西欧よりもっと苦しい未来にぶつかることとなるだろう。1990年代以後進められた東アジア生産ネットワークの拡張が無限反復されるわけにはいかない。現在の経路をそのまま追っていくと、ネットワークの偏重性と位階性がより強化されながら成長力は減少することとなる。日本は1%の成長率でも何とか運行できるが、中国、東南アジア、韓国は低成長の苦痛が大きいしかない。発展段階の低い状態でより平等な方式で成長と雇用が拡大できなければ、1/3だけ包容して2/3は排除する不安定な格差社会が構造化する。人口の2/3が失業者、非正規職、零細自営業者として存在する社会を維持するためには、抑圧的な機構を作動しなければならない。このような体制は偶然的事件が重なると、突然災難を迎えるかもしれない。

より上の方に飛び上がる道も考えてみよう。まずケインズ( J. M. Keynes)の道がある。各国の政府が緊急な救済や景気扶養に対処する能力を保有し、賃金制度や社会保障制度をうまずたゆまず改善していくようにする。そして、ケインズを補完するポランニー(K. Polanyi)の道がある。ポランニーは市場の枠のなかにあった土地・労働・貨幣を、市場の外にある国家や社会の枠に預けることを構想した。ところが、可視的な時間範囲の中で国家や社会共同体が市場経済を全面代替するほどの能力を備えることと期待することは難しい。

従って、ケインズとポランニーが言わなかった部分、つまり市場経済と企業の「創造的破壊」に対してはシュンペーターの道も一緒に模索すべきである。これは市場・国家・社会次元で「新しい連結」を追求することである。シュンペーターの道は持続的成長を通じて新しい社会へ移行できる基盤を作ってくれる。シュンペーター的革新は誰が如何に遂行するかによってケインズ、ポランニーの道と衝突することもありうるし、互いに補完関係にあることもありうる。シュンペーター的革新が続く中で革新の余地が消え去る限界に達すると、その時が新たなシステムへ移行する時期だと言える。[ref]このことはシュンペーターが語った核心テーゼでもある。彼によると、資本主義は生存できないが、失敗のためではなく、成功のために崩壊する。資本主義の成功が土台を侵食して「不可避に」その存続を不可能にし、社会主義を志向する状態を作り出すということである。シュンペーター、前掲書、149~51頁。[/ref]

 

6. ネットワーク革新と「朝鮮半島経済」

 

現在では東アジア生産ネットワークが平等性を高めていっているとは言えない。ネットワークは位階・権威に基づいた組織とは区分されるものであるが、ネットワークのノード(node、継ぎ目・節)たちがすべて平等な関係であるわけではない。ネットワーク形成の法則に関する科学者たちの研究結果によると、連結は選択的に選り好みされるため、集中・偏重・非対称のネットワークが却って一般的である。このことはかつてロバート・マートン(Robert Merton)が述べた「マタイ効果」(Matthew effect)が確認してくれる。[ref]「マタイ効果」は「おおよそ持っている者はもらって豊かになり、持っていない者はその残っているものまで奪われよう」という聖書のくだり(マタイによる福音書 25:29)から命名されたものである。1999年、科学ジャーナル『サイエンス』に載せられたバラバシとアルバートの「無作為ネットワークにおけるスケーリングの出現」という論文では、ネットワークは個別的特殊性と関係なしに一方に厚く形成される尾を持った分布を示すことが一般的形態だという命題が提示された。ネットワークの中心的性格が強化されることが一般的傾向だということである。イ・ウォンゼ、「ネットワーク分析の社会学理論」、『情報科学会誌』(2011.11)を参照。[/ref]

しかし、ネットワーク上の不平等が独占を意味するわけではない。関係を結ぶ特定の相手が必要を充足できず、不均衡が累積すると、ネットワークから離脱する力も作用することとなる。このような点からネットワークは水平性を含めた集中性を特徴として持つと言える。ネットワーク内部の特定「地域」に関係が集中されるが、この「地域」はいろんな所となり得る。

ネットワークは地域的にクラスタ(産業集積地)を作る傾向がある。これは位階的関係ではない相互信頼に基づいたことであるが、外部からの進入を制限的でのみ許容する。こういう意味で地域は「小さい世界」(small world)である。だが、「小さい世界」は絶対的基準で小規模ではなく、内部に閉ざされているわけでもない。彼らは互いに「弱くて長い関係」(weak and long tie)を形成してこそ持続と発展が可能である。これこそシュンペーターが語った革新の本質的要素である「新しい結合」(new combination)と、ポランニーが考えた代案社会への「巨大なる転換」(great transformation)の糸口が互いに繋がる地点である。

「東アジア資本主義」はグローバル分業構造の変化とともに生産ネットワークの進展のなかで発展した。しかし、東アジア生産ネットワークは位階的で非対称的・非完結的な姿を帯びている。このネットワークをより水平的で対称的な形に改善することから、革新と転換の機会が生じうる。これには市場・国家・社会の次元でいろんな方案が推進できる。アセアン-東アジア経済研究所(ERIA)で提案した「包括的アジア開発計画」(CADP)も一つの例となれる。これは生産分割のメカニズムを物流およびその他インフラが足りない所の開発を助ける計画と連係しようということである。また、中小規模の企業らが生産ネットワークに参与するように支援する方案も検討してみることができる。[ref]Economic Research Institute for ASEAN and East Asia, “The Comprehensive Asia Development Plan,” ERIA Research Project Report No. 2009-7-1 (2010); V. T Thanh, D. Narjoko, and S. Oum, eds., “Integrating Small and Medium Enterprises(SMEs) into the More Integrated East Asia,” ERIA Research Project Report No. 8 (2009).[/ref]

ネットワーク理論によると、ネットワークには連結されない「構造的空白」があり得るし、これを連結すると、情報の流れを掌握する利益、ネットワークで連結された集団を統制する利益が得られる[ref]Ronald S. Burt, “Structural Holes and Good Ideas,” The American Journal of Sociology 110 (2), 2004.[/ref]。ところで、朝鮮半島の周りにはネットワークの集中とともに、ネットワークで連結されない空白がある。「位階・集中」形態の東アジアネットワークは、中国の産業構造の高度化によるネットワークの偏重、エネルギー・食糧部門での過度なる域外依存、東北アジアで制度的ネットワークの相対的不振という構造的問題を抱えている。「朝鮮半島経済」は「水平・分散」の方向へネットワークを革新し、新たな成長の機会を提供させる対策となれる。

「朝鮮半島経済」のビジョンを現実化する方案はいろんな話ができようが、本格的な論議は次の機会にして、大きい絵を構成する骨格のみをいくつか提示してみよう。一つ目、製造業部品素材装備の供給企業の、グローバルネットワーキング能力の向上がかなめである。また、サービス業と農業部門でも部門間の連結を通じた新しい商品とサービスを創出することが重要である。二つ目、中央政府は地域特性が活かせる専門化したロードマップを提示し、地方政府はこれに主導的に結合する方式で関係を再定立すべきである。三つ目、東アジア生産ネットワークの空白を埋める新たなネットワークの概念として、朝鮮半島ネットワーク国土空間を形成する。四つ目、朝鮮半島経済ネットワークのノードとして、まず開城-坡州-西海の新首都圏、全南北-済州-南海の西南圏、豆滿江流域-東海の東北圏を形成するようにする。

大宇宙と小宇宙とが互いに対応するということは、昔の人々が普遍的に信じた信仰である。今日にも病んだ人間、病んだ社会、病んだ自然は互いに離れているのではない。昔の人々の考え方を参考すると、ネットワークを解剖学的組織構造ではなく、流体としての機能だと見なすこともできよう。そうして見ると、朝鮮半島の人間、社会、自然には異物が滞積してしこったところが実に多い。この際、治療の核心は詰まったものを通し、しこったものを解すこと(通廢解結)である。これに照らして危機に対する治癒策は、ネットワークという機能を通じて「朝鮮半島経済」という構造を新しく作る革新と転換であると言いたい。

 

訳: 辛承模(シン・スンモ)