冨山一郎『流着の思想』
我々、離れてきた者たち
--冨山一郎『流着の思想』、グルハンアリ、2015年。
高秉權(ゴ・ビョングォン)
『流着の思想:「沖縄問題」の系譜学と新しい思惟の方法』[ref]日本では2013年に出版された。冨山一郎『流着の思想―「沖縄問題」の系譜学』(インパクト出版会、2013年10月)。[/ref] (シム・ジョンミョン訳)が取り上げている「沖縄」という「時空間」は、私にとってとても馴染みの薄いところである。私は、そこに一度も行ったことがないし、その歴史を勉強したこともない。ところが、本書の著者である冨山一郎が、副題において「」をつけて提議している問題は、不思議なことに馴染みの薄くないものである。「沖縄問題」が「沖縄との問題」だけに見えないということ。この感覚がなかったら、私は沖縄に対して何もわかっていないまま、「沖縄問題」についてのこの短文を書くことができなかったかもしれない。
6年ぐらい前、沖縄との運命を「越南」(ベトナム)の名前として、朝鮮に送り出した独特なテキストを読んだことがあった。それは、「乙巳條約」(1905年)の直後、朝鮮に翻訳された『越南亡国史』という本だった。この本は、フランスによる「越南」の敗亡と植民地化に関する話であるが、当時の日本による、同様の運命を予感していた朝鮮人にとって大きな反響を及ぼした。しかし、この本を書いたベトナム人のファン・ボイチャウ(潘佩珠)は、これより前に日本による琉球の敗亡を取り上げた『琉球血涙新書』を書いた人だった。彼は、「琉球人」が、どのように敗亡し植民地化されたかを「越南人」に伝えようとしたのである。このように琉球の敗亡は、「越南人」に「目撃」され、「越南人」たちの敗亡は、朝鮮人に「目撃」されたことになる。「琉球人」を眺める「越南人」、「越南人」を眺める朝鮮人。同一の運命を予感したからこそ、一方では同情し他方では逃げたくなった「目撃者」。彼らに、異なる歴史という夢や、現実化されたものとは異なる歴史の可能性があったのか。本書『流着の思想』を読みながら、以前考えていたこの問いを再び思い出した。
カント(I.Kant)は、晩年に書いたある文章で、革命は「目撃者」の心から起きるとしている。言い換えれば、フランス革命は、自分のことではないにも関わらず、自分のこととして受け入れていた「見物人」(フランスのことがまるで自国のように考え支持した人々)の共感する熱情から生まれたということである。しかし、よく知られているように、魯迅は「見物人」を軽蔑した。彼は、自分のことになる可能性があるにも関わらず、他人のごとく考えている「見物人」から奴隷の形象を見つけていた。誰が正しいのか。カントであるか魯迅であるか。もちろん、この問いは可笑しい。事件の瞬間、「見物人」には、本書の著者がよく使っている表現のように、一種の「帯電」が起きるからです。巻き込まれや追い出し、固く握りしめた拳と冷や汗、プラスとマイナスのようなものが同一の運命を予感する「目撃者」に同時にできる。そのため、カントの「見物人」と魯迅の「見物人」は、まさに「紙一重の差」である。
私は、沖縄の人々から彼らをみていた「越南人」を、また「越南人」がみていた朝鮮人たちをみることができる。「沖縄」は、彼らすべてが予感していたある場所、世界の色々なところに偏在するある独特な「時空間」を示す名前ではないのか。それは、爆発的に成長していた製糖業が一挙に崩れ始めてから、いわゆる「蘇鉄地獄」以後、故郷を離れなければならなかった沖縄の人々はもちろんのこと、今、この瞬間においても、故郷や国の「喪失」を、すなわち植民地化された人生を、予感したり実感したりする人々の、その上、自国においてさえも「国のない」、捨てられたり追い込まれたりする人生を生きる人々の、「時空間」ではないのか。
「沖縄」がこうした「時空間」の名前であるとしたら、我々はそれを「国境」と呼んでも良いかもしれない。私にとって「沖縄の問題」は、「国境自体」を思考する問題(沖縄はある意味、丸ごと国境である)であり、「国境における人生」、著者が引用したホミ・ババ(Homi K. Bhabha)の表現を借りるのであれば、「国(故郷・家)においてではない人生」(unhomely lives)を思考する問題としてみえてくる。周知のように、国境から「離れてきた」人々の「時空間」である。国境に「来た」人々は、「ホーム(home)」を「離れた」人々である。彼らの留まりは、離れることからスタートし、彼らの定住は、離脱の予感の中においてだけ行われる。こうした人生の形式を、著者は「流着」としている。
ところが、「国境」を思考することは容易くない。なぜならば我々は、国境を地図に表示された「国家と国家の間に引かれた境界線」とよく混同するからである。国家間に引かれた線としての国境は、国家の中に存在する国境を思考できないようにし、何よりも国境自体が一つの「時空間」という思考ができないようにする。まるでそれは、ある「人生」の平面を折った上、そのまま封印させた「縫合線」のようである。そのため、「国境」を思考するためには、何よりも国境を一つの「面」として、それもあらゆるところで存在する「人生」の一定の「時空間」として「確保」しなければならない。
韓国にきた脱北者たちが、平均3~4年、長くは10年近くの時間を、中国などで過ごすという報告書を読んだことがある。韓国へ来るまで、脱北者にとっては、中国が丸ごと「国境」であるだろう(しかも彼らの大半は、国境を越えても、言い換えれば韓国においても未だに国境での人生を生きている)。これと同様、ある未登録移住者にとっては、韓国が丸ごと国境である。このように考えれば、国境は事実上すべての領土において、すべての時間の間に存在していると言える。すなわち、すべての領土は、常に国境である。
また、国境は「領土の外」であるが、領土(territory)が法的概念である限り、「法の外」、すなわち治外法権(extraterritorial)地帯である。だからといって国境が、国家の何らの権力も及ばない自由地帯であるという意味ではない。むしろ、その反対である。法の効力が停止された戒厳状況がそうであるように、ここでは国家権力の「超法的」な尋問が行われる。いつ、どこでも、自身が誰であるかが尋問されることができる場所、その場所が国境である。ここで身体は粒子となる。軍人の制服だけをみても、筋肉が緊張され額には汗ができる。身体は何かを知っていることに違いない。緊張した筋肉は、身体の(を)知ることであり、身体の言葉である。これは、概念以前に起きる「作用」(affect)の揺れであり(言葉以前の言葉)、精神の思惟以前に起きる身体の思惟(思惟以前の思惟)であり、身体が運動する以前に身体の中において起きる運動である(運動以前の運動)。
『流着の思想』においては、このような「言葉以前の言葉」、「思惟以前の意志」、「運動以前の運動」、「知ること以前の知ること」を確保しようとする意志が感じられる。本来、西洋語における動詞(verb)という言葉(ラテン語verbum)を意味する。ところが、私が思うに、本書が語ろうとしていることは、単純な「言葉=動詞」ではない。著者は、自分の文章に「動詞」を概念化したことが多いとしているが、私はそうして確保しようとする言葉自体は副詞(adverb)のようであるという印象を受けた。それは「言葉にくっ付く言葉」(ad-verb)であり、もっと厳密に言えば、言葉がそこにくっ付く、そのような言葉(「言葉の存在論的な新体制」)であるためである。
沖縄の人々、言い換えれば、「我々、故郷を離れてきた者たち」、「我々、国を離れてきた者たち」が、植民地化された「人生」を、仕方ない運命として受け入れるしかできない時さえも、その身体は未だに戦いが終わっていないと話している。ある違和感を出しながら、身体は絶えずここが「故郷ではない」としている。身体のこうした言葉は、ニーチェ(F. Nietzsche)が、「到来する」哲学者の言葉として考えていた「若しかすると」(vielleicht)という副詞、「根拠の根拠なさ」を疑うその不穏な仮定と予感の副詞を思い出させる。現在とは異なる歴史の可能性を、事前に排除するある不可能性の前において、疑いと問いの場所を確保することが重要である。なぜならばこの場所が、抵抗と覚醒、政治と思惟の場所であるからである。そして、この場所が未来を取り戻すこと、未来へ帰郷することを可能にさせるためである。まさにここが沖縄であろう。私は、このように解釈したのである。
翻訳:朴貞蘭(パク・ジョンラン)