창작과 비평

村共同体政策と地域社会の市民生態系

2015年 冬号(通卷170号)

 

 

柳昌馥(ユ・チャンボク) ソウル市協治諮問官。前ソウル市村共同体綜合支援センター長。著書に『私たちは村で遊ぶ』、『都市で幸せな村は可能か』などがある。

 

 

なぜ村なのか?

 

近頃、村が大勢である。与野党を問わず広域・基礎自治団体長たちが村政策を全面に掲げている。民選5期を経て6期に入ってより際立つ現象である。何故か。21世紀の先端グローバル時代に農耕時代へと時間を戻そうとする浪漫的な試みなのか。だからといって宗教や特定の理念で武装した強力な共同体を作ろうということではなおさらないはず、果たして村が脚光を浴びる理由は何なのか。

金持ちの家の子女たちが勉強ができることはすでに常識となった。企画力のある母親と金持ちの祖父、それに無関心な父親が三位一体に合作してこそ、子どもたちは勉強ができるし、「in ソウル」もできるという。金持ちの家の子どもたちが顔立ちまでよいという愚痴に笑って済ましてみるが、金持ちの家の子どもたちが性格もいいという話には茫然となる。ほろ苦い。解放以来、国家が主導した圧縮的な近代化政策で春窮期が無くなり、通信強国の位置に上がり、盲腸炎の手術に千万ウォン代の病院費を支払う必要のない公共医療体系が作られた。一クラスに80名の越える子どもたちがうようよと、2部制で運営されていた、初等学校のバラック教室の記憶は到底信じられない遥かな昔話となった。

しかし、両極化が極端に達して貧富の格差はずっと惨くて深刻な社会問題を作り出す。一家族が一間の部屋に集って自殺し、ひそかに寂しく死んでいく年寄りたちが溢れている。勉強、勉強…… 子どもたちは試験と競争に浸って10代を送り、大学生活中ずっと就職の準備で青い青春を全部費やすが、就業は望みがたい。何とか職場を得ても非正規職であり、正規職だとしてもいつ辞めさせられるかわからず、不安な30代を送る。40代に入ると、家族を養うことだけでも手に余る。50代になると退職するが、息子は大学を卒業して軍隊まで行ってきても独立しない。このように不安定に生きていく疲れた家長を息子として持った年寄りたち、子女の教育に、両親の扶養に人生を全部捧げてきた、昨日のように生々しい去る時代が悲しくて空虚だ。100歳まで生きるというが、むしろ心配である。

今は成長をしても雇用を伴わない。むしろ自動化と構造調整で雇用は減り、それさえも柔軟労働制でますます不安となるばかりだ。すでに低成長軌道に進入した韓国経済、金持ちの人々にとっては本当に便利でいい世の中であるが、お金のない人々は勿論のこと、少しあっても充分でない人々も苦しいのは同じである。ぎりぎりと縋るように耐え忍ぶその水準からもっと追い出されるとどうしようと戦々恐々、不安であるばかりだ。

暮らしむきが楽でない人々、何とか生きる工夫をしなければならない。隣同士に一緒に交わって訴えたり、妙策を案じたり、そうして十匙一飯(ご飯10匙が一つの器になることで、みんなの力を合わせれば、人を助けることができるという意味―訳注)に互いに助け合って解決しようと努めるのだ。偶然に問題が解けたらそれでいいし、たとえ解けなくても解けようと努めながら結んだ親しい隣人との間柄がもう一つの解法の種となる。それで村を「至急で切実な生活の必要を一緒に訴え、工夫し、協同で解決する過程で形成される隣同士の関係網」という。

そうだ。伝統社会に戻ろうというわけでもないし、村が世の中を全部救うと期待するわけでもない。国家が主導し、官僚たちが乗り出しても確実に解けられる問題は次第に減りつつある。解くべき問題がさらに複雑となるからである。市民団体が乗り出しても市民が同行しなければ、やはり手に負えない。村で住民たちが隣人と共に問題を解決しようと自ら乗り出してこそ、市民団体も力を得るし、国家も市民の幸せのためにまともに機能するだろう。なので村が革新の火種であり、希望に満ちた未来の誘い水である。

 

 

登場と連結

 

3年前、朴元淳(バク・ウォンスン)市長がソウルに村を作ろうと提案した。だが、村は政府が作れるものではないと答えた。そこで村が作れる住民を作ることにした。去る3年、ソウル市の村政策の目標は村が作れる住民を登場させることにその焦点が合わせられた。3人条例[1]、小さくて容易い事業、随時公募制、包括予算制、事前事後支援システム、住民参与審査制などが住民の登場を促進するための核心的な手段であった。[2] その結果、およそ10万名余りのソウル市民が住民として乗り出して、3千個余りの住民の集いが登場した。

登場した住民の集いは隣接した村同士に、同じような議題別に互いに連結され始めた。そうだ。村とは私の必要が隣人の必要となり、ひいては村の必要となる際、始めて私の必要が解決できるようにしてくれる空間である。個人の必要を共感する数人の隣が集って始めた住民の集いが、いつの間にか他の住民の集いと連結される。集いごと直面する共通の難しさと課題を共有し、一緒に解決しようとする試みが続きながら問題が共に解ける経験が作られるようになったのである。

初等学校3年生の息子の放課後が心配だったんですよ。塾に送っても息子はうわの空で、ひょっとして道草を食うのではないか知るすべもないし、もう懐の息子ではないわけよ。たまたま知り合った同じクラスの子の母親と愚痴をこぼす中、同じ年頃の子供たちを持った母親たちが集まることになりました。私の義妹も近くに住んでいますが、その家も共働きだから同じ苦悶を持っていて呼んだし、義妹が知っている同じ年頃の他の母親をまた呼んだりして、こういうふうに5名の母親が集まることになりました。そして、週5日を分けて一日ずつ受け持って子供たちの世話をすることにしました。子供たちがもっと喜んだんですよ。週末には母親たちがみんな集まって先週子供たちと過ごした話を分かち合うんですよ。いつの間にか話題は子供たちの問題から「舅と姑」の話へ、夫の職場へと縦横無尽行き来することになります。あたかも女子高校の同窓たちに会ったかのように楽しく、実家の家族より却って負担がなくてよかったですよ。でも時間が経つにつれて少しずつ問題が生じます。子供たちの勉強を見てあげることが大変なのよ。この頃、初等学校の数学はとても難しいでしょう。男の子たちはまた外で遊びたがるが、それを母親たちが受け持とうとしたら手に負えないんですよ。ところが何より空間が問題でした。みんな同じような暮らしぶりで家も広くないのに、5人の男の子がめくらめっぽうに遊ぶから家が大騒ぎとなるのよ。空間が切実となるわけです。やはり村の年上の姉さんの紹介で村の他の集いと会うことになりましたが、子供たちのための小さな図書館を準備する父母の集いと合唱団をする集いだったんです。近くに私たちの集いの他にそういう方たちがまたいるということだけでも不思議に思われました。ところでみんな空間の問題で頭が痛いわけよ。安定的な空間が必要だが、費用が高くて思いもよらない状態でした。私たちと同じ悩みを抱えていたわけですよ。それぞれの集いに対する話が一回りしてからは論議が早く進んで共同空間を作ることに合意を見たんですよ。一瞬のことでしたよ。こんなに結論が出てもいいかなと思えるほど。ハッハ。今は共同で作った小さい図書館で放課後のプログラムを始めから統合して進行してます。専門の先生を一人招くから、母親たちの負担もずっと減りますしね。子供たちも合唱部を作って活動をしています。[3]

このように私の必要が隣人の必要として確認される瞬間、私の必要が解決され、ひいては村の必要としてより広く共有されながら、遮る障害物が取り払われるのである。これがまさに「村公共性」と言えるのではなかろうか。私の必要で始まるが、村の課題として解決されることが村公共性が実現される方式である。

 

村公共性と公論の場

 

公共性とは平等な住民たちが、公共の福利のために、公開的に合意し、協同で実行する過程で形成される。この公共性が再生産される原理がまさに「民主主義」ではなかろうか。去る歳月、国家が主導した公共性、市民団体が自任して代弁した公共性を超えて、今は村が生活世界から公共性を再び再構成すべきである。朝鮮戦争以後、1960~80年代に韓国社会の近代的課題は国家が主導した。エリート官僚と選挙を通して権力を委任された政治家たちが公共性の実現を担当した。爆発的な経済成長を動力として教育、医療、交通、住居など後発国家の近代的課題の殆どを早い速度で成し遂げてきた。しかし、「権威主義と画一性、既得権と両極化」が公共性の危機として診断される。

80年代の激動の民主化運動の時代を経てから、1990~2000年代に韓国社会の公共性創出の課題は市民社会にそのバトンが渡される。国家が主導した公共性の革新を自任した市民団体らは、手続き(形式的)民主主義を超えて実質的な民主的生の質の向上を目標とした。彼らは社会の多様な分野に入り込んで革新を試みた。だが、いつからか「市民運動に市民がない」という反省が出てくる。時代的課題を抱えるよりは分科的な「専門家主義」に閉じ込められているのではないかという心配がある。委任された権力に基づいた国家の統治的主導であれ、自任の真正性に基づいた市民団体の啓蒙的主導であれ、韓国社会の公共性は危機に処した。この公共性の課題を誰が再び抱えるだろうか。

必要な人が井戸を掘るべきである。生活の必要を隣人と一緒に訴え、共に工夫し、協同しながら自己の問題を自ら解決すべきである。このように自己生活の必要を公共の必要へと転換させながら、隣人たちと持続可能な協同的生活関係網を形成すべきである。これがまさに村である。村が公共性を主導する方式である。民選5期に種を播いて、民選6期に本格化している流れである。2010年代はまさに村公共性の時代である。村公共性は市民公共性を再び促し、国家公共性を正す力となる。それで村は公共性の革新である。村が革新である。だが、この過程は非常に多様な差異を越えることと横切ることを必要とする。普段親しい隣同士に「仲間同士」の親密性を盛り込みながらも、同時にそれを乗り越えるようにしてくれる「公共性」が日常の生活関係の中で浮かび上がらなければならない。疎通の難関が台頭する。「よいことがよい」を超える、「正義」は何か質問しなければならない難しい状況によく直面することになる。そこで個人の必要と欲求を基にして共通の議題を合意し、メタ議題を導出する「公論の場」が切実である。村の必要を合意し実行する村公論の場。ここは多様さが豊かさに熟成される「場」であり、この過程は住民が共同体社会の構成員でありながら国家共同体の主権者である「市民」として生まれ変わる過程である。なので村はわが社会の民主的・共同体的市民主体が成長する基盤である。

 

 

今は成長、村の形成

 

登場と連結、その次は「成長」である。成長は小さな住民の集いが連結されながら村の必要を議論し、その解決のために協同する隣関係網を作ること、つまり村を作ることである。今は住民が登場し、連結され始めたから可能なことである。だが、去る3年間作られた住民たちの関係網はまだ「村の種」に過ぎない。この種が根を下ろし、幹を伸ばさなければならない。そうしてこそ始めて村の形を備えることとなる。土壌と種子の特性に合うあつらえの支援が講じられるべきだ。

まず、政府の支援方式が変わらなければならない。多様な生活の必要に基づいた住民の集いの形成を支援した1期とは異なる支援戦略が必要である。言わば「点」と「線」の戦略から「面」の戦略へ転換すべきである。多様な議題に一々支援する百貨店式の多様性を強調するよりは「集中」をすべきである。集中を通じてインパクトを作り出すべきである。去る1期を振り返ると、何より住民たちが少ない支援金[4]にも「自由に想像し、自ら決定すること」を可能たらしめたことが成功の秘訣であった。1期が、個別住民が3人以上集まって登場したものであるならば、もう2期には彼ら住民の集いが連結された村の種が登場すべきである。そうするためには村の種が自由に想像し、自ら決定できるようになるべきだ。行政は各部署別に決めた支援金を各個躍進式に与えるのではなく、村の種たちが自ら村で何が最も必要なのか想像し、優先順位と実行方法を隣人たちと共に決定できるように手伝うべきである。そうしてこそ、自発性と持続可能な力が増えて、その力が村の形成を可能とする。

政府の支援が「腹の贅肉に行かずに筋肉に」行くようにすること、つまり政府の支援が住民の登場と連結に留まらず、村の形成へと帰結するようにすることがソウル市の村政策の目標である。「政府が乗り出して村が作られるのか」「Top downしてBottom upが出てくるか」[5]という、ソウル市の村政策の実効性に対する究極的質問は、「面(行政区画の一つ―訳注)単位の綜合支援と村形成」にその焦点が合わせられる。「面」次元で求められる切実で至急の必要を集めて、また面単位の支援が講じられるべきである。いわゆる綜合支援が必要である。そうしないと、細かく分けられた公募事業に対する疲労度が高くなる。さらにその支援が村の形成に帰結されることもできない。

個別住民の集いが近い村にあることを知って互いに連結して、各自の活動を分かち合いながら共通の課題を見つけて、全体が必要とするメタ議題を見い出す。その過程でより拡大された関係網でもっと能力を発揮する住民リーダーを発見することである。一人では思いもよらなかったが、集まったらやってみられるわけだ。私たちだけでは「その青菜にそのご飯(互いに同じような水準であって異なる点が見い出せないという意味―訳注)」であったが、大きな集いとなると、ありとあらゆる才能を持った人々がみな集って非常に豊富である。いよいよ村の登場である。村の名前も作ってみたり、村の望みも集めてみたり、ヴィジョンと希望を決めてみたりもする。村を呼ぶこと、しきりに呼んであげ、村という枠で内容を思い巡らしてみると、それが取りも直さず村となる道である。

 

革新の融合と地域社会の市民生態系

 

もうソウル村ネットワーク(以下、村ネット)[6]が本格的に登場する時期である。「住民の連結と村への成長」という課題を、責任を持って促進する役割がまさに村ネットの任務だからである。すでに村ネットは登場したし、3年余りの間実体として成長した。3年前、村センターが設立される前から私たちはソウル市行政と対等に向かい合う主体が取りも直さず村ネットだと見なした。それで村ネットはいくつかのNGO機関や草の根団体の代表たちの協議体ではなく、参与意思のある住民なら誰でも参与できる「開かれた公論の場」になるべきだと信じた。

現在、ソウル市25個区の中、23個区に村ネットが結成されて村暮らしを支援し、促進する公論の場として成長している。また、村ネットは最近2年間、25個自治区の殆どで中間支援組織を産み出したことがある。[7] 村ネットの機能は、一つ目、地域で繰り広げられる住民たちの多様な活動に対する情報が集まって共有されるハブの役割をする。そうする中で地域で互いに役に立つ活動や人々が多いということがわかり、プムアシ(互いに労力を提供し合って助け合うこと―訳注)のように実際的な助けを取り交わすことになりながら、地域社会の力を実感することとなる。さらに公共から支援するプログラムに対する情報もすぐわかることとなって、適時に活用できるようになる。二つ目、地域次元で切実で至急の課題が何かを共に議論し、力を合わせて解決してみようとする動きを生じさせたりもする。情報が集まり、人々が交流する中で、いつの間にか自己の活動分野を越える幅広い視野を持つこととなる。各自の努力では望みがたかった問題も、集まって大きな枠で論議してみると、その突破口ができる場合が多い。地域次元の公共議題を導出してその解法を具体的に論議する、言わば口論の場ができるわけである。だいたいこのような地域次元の公論の場は区役所と協力する必要性を切実と感じさせる。すでに区役所が実行している政策や事業に対して積極的な関心を持つこととなり、その改善方案に対する公論が作られたりもしながら、区役所との協力的関係を作っていくのである。

これから村ネットは区役所と対等に向かい合う協治の民間パートナとして成長するだろうし、地域社会で「住民自治」を実現することに積極的に乗り出す主体となるべきである。それで地域社会の「市民生態系」を構成し、活力を引き起こす有力な主人公となるべきである。

一方、去る3年、ソウル市の革新政策を主導的に推進してきたのは、ソウル市の村共同体総合支援センター、青年ハブ、社会的経済支援センター、人生二毛作支援センター、NPO支援センター、革新センターなど、革新部門の中間支援組織らであった。これらの組織はすべて市行政内の課単位の部署と連結されている。正確に言うと、課単位の行政機関がそれぞれ中間支援組織を設立して、その事務を民間に委託する方式で支援・管理している。

ソウル市の該当の課はこれまでこのような中間支援組織を通じて革新の事例を作り、革新の主体を登場させる役割を遂行した。その結果、村と青年、そして人生二毛作の領域では新たな市民主体たちが登場して革新の事例を作り出した。社会的経済とNPOは既存の革新主体たちの活路開拓を支援しながら新しい主体の登場を促進した。最も最近に設立された革新支援センターは、革新的ソリューションを社会問題に適用して解法を提示しようとするチームらを佛光洞革新パークに大々的に招待して本格的な活動の準備をしている。

ところで、このような多様な部門に渡った革新主体たちの「登場」という成果は、彼ら主体の「連結」という新しい現象に向かい合う。村ではすでに多様な小さい住民の集いが近隣地域同士に、同じような議題ごとに連結され、村企業へと進化を夢見る。社会的企業、協同組合、村企業など、社会的経済の色んな主体が村関係網に入り込んで、青年とベビーブーマーたちが村関係網の有力な主体として登場する。既存のNPO、NGOの活動家たちも地域社会で役割を探すため村関係網に関心を注ぎ始める。言わば「融合」が起こっている。それぞれ領域別に登場した革新の主体たちが互いに連結されながら、新たな融合の気運が地域社会に芽生えているのである。

 

 

協力的ガバナンスと融合的支援

 

地域社会で市民たちは互いに連結し協同しながら、差し迫った問題を解決する。すなわち、地域社会で市民のイニシアチブは「融合的生態系」として存在し、成長する。だが、中間支援組織は行政部署の仕切りとぴったり似た形でそれぞれ仕切りがされていて、もう融合の道に入ろうとする地域社会で部署別に各個躍進をする。衝突が不可避である。これは地域社会で行政に対する不信として、ガバナンスに対する疲労感として現れる。さらに行政は中間支援組織に対する「危険管理と成果管理」(行政の偏執)を強化することとなり、市長が任期を満たしていけばいくほどその管理の強度はより強化されるだろう。

中間支援組織に対する行政の仕切り管理が強化されると、中間支援組織の、地域社会に対する各個躍進が強化されることは当然だ。これがソウル市革新政策の現住所ではないか。ガバナンスの危機と診断しても言い過ぎではない状況である。「住民主導」(市民イニシアチブ)とは、市民がもうこれ以上「参与に事寄せた動員」の対象ではなく、市民の真の参与は彼らの「主導」に達してこそ可能だという判断から朴市長が強調した市政原則である。構造的な解法が必要だ。

そのためにはまず中間支援組織が融合されるべきである。行政の仕切りが崩れることを期待するよりは、民と官の協業地帯である中間支援組織らが、地域社会で現れ始めた市民生態系の融合的流れに調和するように変身することがずっと妥当だからである。広域単位の中間支援組織らの政策統合力を強化し、基礎単位では村、社会的経済、訪問する洞住民センター事業などの中間支援組織らが組織的にも融合したほうがよかろう。要するに、広域単位では常設的な政策調整会議に、基礎単位では民間委託型融合中間支援組織へと進んでいったらどうか。

一昨年から論議し、原則的に合意してきたことであるが、推進が容易くない。これからはソウル市が政策として融合と統合を促進すべきではなかろうか。このような変化が単純に組織統合というかさかさした論議に陥らないように、革新領域の「戦略事業」を中心に変化を推進するとよかろう。訪問する洞住民センター[8]事業、アパート共同体の活性化や地域再生のように多様な革新の主体たちが共に一団となって協業する時にこそ始めてその革新性が際立つ事業を集中的(戦略的)に推進しながら、革新の支援体系を融合し、地域社会の市民生態系の融合的進化を促進し、これを通じて市民イニシアチブを現実化するとよかろう。

行政の仕切り組織を崩すことは難しいとしても、部署間の政策的協業を促進する調整機能を強化する必要はある。だが、各部署が担当する政策領域の根幹をそのままに置いて行なう調整は、必ず必要な事案に最小に限定する消極的な方式となるしかない。女性、福祉、環境、建築、安全など、既存の部署別政策を超える議題が必要である。これは多様な領域の資源と解法が共に動員されてこそ、解決可能性が高くなることである。民間でも市民個人がその問題解決に参与できて、市民団体はもちろん企業も参与できる、それで皆各自の都合と条件によって自由に参与すればするほど、その解法が豊かとなる融合的なミッションが必要である。このような融合型ミッションを民と官が一緒に推進して行くと、行政の仕切りはもちろん民間の仕切りも飛び越えることになり、民と官の協力水準もずっと力動的で新鮮に進化するのではないかと期待してみる。

村2期を待っている市政および市民社会の環境には少なくない変化が予想される。一応、市長任期の半分を過ぎる時点なので行政の管理モードはより強くなるだろう。だが、ソウル市は「協治」を非常に重要な政策目標と立てていく予定である。単にスローガンに留まりそうではなさそうだ。協治市政を進化させるための制度的な装置を具体的に設けているから。それほど朴元淳市長の協治市政の意志が強いと判断される。このような両面的な市政環境をよく探りながら賢く切り抜けていく時である。伝統的な市民社会の主体たちはこのような協治市政の流れに乗って民官協力の実行計画を工夫することとなるだろうし、地域社会でも区役所と地域社会の民間主体たちが協治のテーブルに座って民官協力の実践計画を一緒に樹立して、実行に乗り出すことになるだろう。村は地域社会の一つの主力として、市民社会の生活現場として堂々たる歩みを踏み出すべきであろう。

翻訳:辛承模

[1] 村共同体の条例によると、ソウル市民3人以上なら誰でもソウル市が実行する事業に参与して、補助金を支援してもらえることにした。この条例が作られる前は、非営利民間団体、あるいは社団法人などの法人格がある場合にのみその資格が与えられていて、実質的に一般市民がソウル市の事業に参与することはできなかった。

[2] 詳しい内容は、拙著、『都市で幸せな村は可能か』(ヒューマニスト、2014)、2部を参照。

[3] 筆者がソウル市の村支援事業に参与した住民たちと行なったインタービュを再構成した。

[4] むしろ100万ウォン内外の小額支援金で住民たちは負担を減らして細々と隣同士の関係を作っていくことができた。このように政府の民間補助金は住民たちが村で村活動をすることを「容易い」ことと見なして、楽しくて自発的に村の集いを作っていくことに重要な呼び水の役割をした。

[5] 朴元淳市長の民選5期の任期の初め、村政策を民官が合同で作っていく際、一方的な官主導を脱皮すべきであり、政府の行政的・財政的支援を投入(top down)しても、その成果は上向き的(bottom up)に成長できるように行政支援方式の革新が重要だと結論を下した。

[6] 2012年、ソウル市の村政策を実行する初期に、ソウル市行政と向かい合う民間側のパートナの役割を担当する主体としてソウル村ネットワークを設定して、区単位の村ネットの形成に主力した。

[7] 自治区と地域社会の民間の都合により、民間委託センター型、行政直営センター型、民間主導ネットワーク型など三つの類型がある。

[8] ソウル市が去る7月から衿川区、城北区、道峰区、城東区の4個区に試して実施する事業として、洞住民センターに社会福祉士たちを新規に配置して、家から家へと直接訪問して福祉需要を能動的に探し出して、24ヶ月未満の乳児と65歳以上の住民皆を福祉需要者として見なして必要な福祉サービスを連結する政策である。この事業は洞単位で細かく訪問するシステムを通じて、福祉死角地帯を無くし、普遍福祉の枠を整えていくという政策目標を持っており、来年からは17個区に拡張実施する予定である。