文学の開かれた道--歪んだ世界と主体、そして文学
〔特集〕大転換、どこから始めるべきか
韓基煜(ハン・キウク)
文学評論家、仁済大学英文科教授。『創作と批評』の編集主幹。著書に評論集『文学の新しさはどこから来るのか』などがある。
1. 文学の道は開かれている
人生がそうであるように、文学も自明なものではない。重要な歴史的な局面を迎える度に「文学とは何か」と問いかけ、その問いに懸命に答えようとするのもそのためであろう。また、人生の正念場を迎える度に「人生らしい人生とは?」と自問するように、文学においても「文学らしい文学とは?」と問いかけるようになる。
過去50年間、季刊『創作と批判』は、あらゆる文学の危機に直面しながら、文学の場の内部で起きた二つの偏向と戦ってきた。一つは「純文学」又は「(純)文学主義」と呼ばれるもので、つまり時代の現実やイデオロギーに超然としたまま、純粋な美的価値を志向する文学的流れのことである。これは、文学の純粋性を前面に押し出すことで、民族もしくは民衆の立場から独裁と殖民主義を批判する文学を不純なイデオロギーと非難する。純文学は「純粋VS参与」論争を通して、自由主義というよりも、むしろ反共独裁順応主義といえる「純粋」自体のイデオロギーが暴露されたりもした。また、1980年代の民衆文学の拡散により評壇では自由主義の勢力が全般的に弱化された。しかし、ソ連・東欧圏が崩壊し、ポストモダン言説が流入した1990年代以降、現実順応的な自由主義が再び様々な形で影響力を拡大し始めたのである。
西欧の文学史における19世紀後半の芸術至上主義、20世紀初頭の英米学会の新批評、20世紀半ばから後半にかけての(後期)構造主義などもこのような流れを汲むものである。こういった文学傾向の問題点は、文学のテキストを自足的で自律的な一つの形式もしくは構造として見なすことによって生じてしまう。いわゆる「文学の自律性」を絶対化させ、文学固有のテキスト-空間を設定し、その形式と構造に没頭するのである。ここでの形式は完全なものでない。ブラジルの批評家であるロベルト・シュワルツ(Roberto Schwarz)は、新批評と構造主義が文学的な形式と社会的な形式の間の弁証法的な関連性を無視した結果、通念とは逆に形式の役割を過小評価したと見なしている。その一方で、資本に対する研究において形式と物質の弁証法を最後まで押し通したマルクスこそ構造主義的であり、形式主義的な思想家であると評価している。[ref]M. E. Cevasco, “Roberto Schwarz’s ‘Two Girls’ and Other Essays,” Historical Materialism 22:1 (2014) 162頁参照。[/ref] つまり、純粋主義の文学路線は同時代の人々の生き方とはかけ離れた「閉ざされた道」であり、よりよい人生を想像し、思索に必須的な文学を形式美学の問題へと還元してしまう。
もう一つの偏向は、文学が何かの大儀のために存在し、その大儀を実現させるために、ある特定の方法によって実行すべきという目的論的、及び道具論的な傾向である。このような文学も進むべき道が既に決められているという意味で「開かれた道」とは言えない。このような傾向は、多くが革命期の文学で現われるが、社会主義リアリズムなどがその代表的な例である。我が国では日帝強占期(日本植民地時代)のカップ(KAPF:Korea Artista Proleta Federatio)や1970~80年代の反独裁民主化時代の急進的な文学論においてこのような傾向が現われた。この傾向の基本的な問題は、文学が社会科学的・哲学的な革命論に従属しており、本来の想像力と創造性が失われ、無視されているところだ。俗流マルクス主義や「主体文芸」などを含め、現実社会主義の公式的な文学観で現われるように、こういった傾向の文学は、既に科学的に把握されている人間と時代現実の真実を文学的な想像力で形象化させるような立ち遅れた、且つ補助的な性格を帯びている。1970、80年代の民衆文学や労働文学の中で、幾つかの作品は文学史上、記念碑的な作品として評価されているが、多くの作品が硬直的で図式的な叙事から抜け出せなかったのは、そのためであろう。以降、民衆文学はこのような限界を乗り越えるために努力し、その成果も少なからずあったが、目的論的な文学観の枠から完全には抜け出せないでいる。
文学は社会科学や哲学的な理論によって既に認識されていることを文学ならではの方法で再び提示したり、接近したりすることではない。シェークスピアの戯曲が青年だったマルクスに知的インスピレーションを与えた理由は、シェークスピアが資本主義の政治経済学を学び、それを見事に作品化したからではない。自らの生きた時代の人々の生き方を通して、資本主義の核心と原理、そして反人間的な性格を直観し、それを生々しい言葉で表現したからである。文学は作家が意識しようがしまいが、与えられた人生と現実に全身全霊で体当たりし、思索と感覚において未踏の世界を開くことであり、批評はその創造的な行為が切り開いた新たな認識と感性の意味を解き明かし、その創造的な核心を守ることである。それゆえに批評は、これを誤った方向へと導いたり乱したりするような邪見とは妥協せず戦わなければならないのだ。
文学の道は、純粋主義と目的論的な偏向をなくし、自らを含めた具体的な個人と共同体の人生へと開かれた道である。文学の開かれた道は存在の開放性を前提とし、文学がある特定の空間と特定の規則に縛られないことが含蓄されている。だからと言って、普遍的な真理の空間に存在するという意味ではない。むしろ文学は「普遍的な真理」と言われている形而上学を解体しながら、一個人がその時々の具体的な場所と時間に生きていることを表現することで具現されるからである。文学を論じる場で時代と主体の問題について論じ合うのもそのためである。批評は世界と時代と主体の問題について(社会科学と哲学と理論を包含する)人文学的な論議と向かい合い、対話し、論争する必要がある。この問題に関する限り、文学批評は学問としての人文学と相接する領域であり、お互いの思惟と想像力に寄り添い合うしかない。
2. 歪んだ世の中、甲乙関係、そして変革の主体
シェークスピアの悲劇『ハムレット』(Hamlet, 1601)は、近代的な個人の典型を示すと同時に時代の問題を提起している。王子であるハムレットは、自分の生きている「今の世の中は歪んでいる(世の中の関節は外れている)」(The time is out of joint, 第1幕第5場)ことを認知し、このような世の中を正すべき人物が自分であることに嘆く。ハムレットの時代に収集がつかないほど歪んでしまったのは、王権と父権を骨格とした封建秩序であった。400年余りが過ぎた現在も、何人かの世界的な学者は「歪んだ(out of joint)」という表現で資本主義の現在を診断する。
ウォルフガング・ ストリーク(Wolfgang Streeck)は、資本主義の終焉を予測する著書の最後の節「歪んだ世の中」(The World Out of Joint)で、現在の資本主義の悪性病弊を5つ挙げ、治療薬はないと断言している。[ref]Wolfgang Streeck, “How Will Capitalism End?” New Left Review 87, May-June 2014, 62~64頁参照。彼の挙げた病弊とは「成長の衰退、寡頭制、公共領域の窮乏、腐敗、全世界的な無政府状態」である。[/ref] イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は、近代以降進行している歴史的な傾向が線形的な進歩か、両極化かを分野別に検討する書籍 ―この書籍の表題も「世の中は歪んでいる」(The World Is Out of Joint)である― で、現在の危機は新自由主義的な方法も社会民主主義的な福祉国家モデルも解決策にはなり得ないと判断している。[ref]I. Wallerstein, ed. The World Is Out of Joint: World-Historical Interpretations of Continuing Polarizations, Paradigm Publishers 2014, 168頁。[/ref] 現在の世界体制は平衡状態には戻れないほど歪んでおり、下層階級は勿論、資本家にとっても得にはならない支点に到ったということだ。その他にも、先端技術が管理労働の代わりを果すため中間階級の居場所がなくなり、資本主義が崩壊するか、或いは、たとえ革新を通して資本主義を維持したとしても核や気候変化による生態的な危機が体制を崩壊させるかもしれないという意見もある。[ref]イマニュエル・ウォーラーステイン他『資本主義に未来はあるのか』(ソン・ベクヨン訳、創批、2014)の2章のランドル・コリンズ(Randall Collins)の論議と5章のクレイグ・キャルホーン(Craig Calhoun)の論議を参照。[/ref]
勿論、資本主義の未来を楽観的に見通している見解も多い。しかし、楽観論が優勢である経済学会内でも資本主義が深刻な状態にあることを立証する研究が出ている。過去2世紀の間、全世界的に所得と富の不平等の推移を追跡したトマ・ピケティ(Thomas Piketty)は、両極化が深化する一方だという ―ウォーラーステインも指摘したように― 仮説が事実であることを確認させた。特に2008年の世界金融危機から2011年のウォール街占拠デモまで、大衆が肌で感じること、つまり資本主義がまともに機能していないという直観が事実であることを立証したのである。[ref]ピケティは貧富の格差の解決策として世界的な富豪たちに累進課税を行う「グローバル的な資本税」を提案したが、この提案は実現の可能性がほぼなく、結局彼の研究は今後資本主義が一層深刻な作動不能の状態に陥るであろうということを知らせのである。『オブサーバー』誌のオンライン版に掲載されたアンドリュー・ハッシー(Andrew Hussey)のピケティインタビュー記事“Occupy was right: capitalism has failed the world”参照。(http://www.theguardian.com/books/2014/apr/13/occupy-right-capitalism-failed-world-french-economist-thomas-piketty)[/ref] ウォール街占拠デモでの「1% VS 99%」というスローガンは、もはや厳たる事実となった。[ref]ある報道資料によると、国際協力団体であるオックスファム(Oxfam)が「昨年のダボス会議に先立って、まもなく世界人口の1%の富裕層の資産が残りの99%の人の資産の総額よりも上回ると予想したが、予想よりも早く、2015年に上回った」と明らかにしたそうだ。http://www.oxfam.or.kr/content/62 参照。[/ref] 即ち、現在は資本主義が崩壊しつつあるにもかかわらず、後続の体制は全く出現していないという危機の時代であり、それゆえに大転換の切実な時代なのだ。
視線を韓国内に移してみても、2014年のセウォル号事件によって表面化した体制上の深刻な病弊は治癒されるどころか、むしろ悪化してしまったことが分かる。その上、中長期的な問題は放置されたままなので、いずれ崩壊してしまうのではないかと懸念の声が高まっている。例えば、最近ソウル大学の社会発展研究所の所長張德鎭(ジャン・ドクジン)は少子化・高齢化、正規職・非正規職の二重化、民主主義、統一、環境などの問題が非常に深刻であることを力説し、「宿題の時間は7~8年しか残っていません。それ以降は人々がパニック状態に陥るでしょう。パニック状態に陥ったら、如何なる政策も役には立ちません」[ref]「残された時間は7~8年しかない、その後は如何なる政策も役に立たない」『ハフィントン・ポストコリア』2016.2.2(http://www.huffingtonpost.kr/zeitgeist-korea/story_b_9108486.html)[/ref] と警告している。このような危機を覆すような彼の解決法は政治を正すことであり、特に北欧のような「合議制民主主義」の強化である。取り上げている問題全てが緊迫した問題であり、その解決法が政治にあるという指摘には十分共感できる。しかし、韓国の「政治」を合理的で正常的な過程として想定しているという点で彼の診断と処方は現実的な解決方法ではないと思われる。朴槿恵(パク・クンヘ)政権はこれまで最低限の民主主義的な基盤さえも無視し、嘘と便法、そして不法を繰り返している。このような逆行中の政治的な流れを方向転換し、合議制民主主義を強化する方法があまりにも漠然としているだけでなく、朴大統領が崩そうとするものが「合議制民主主義」だという前提自体が87年以降の成果を過大評価し、分断体制を抜け出せない87年体制の限界を見過ごしてしまっていると思われるからだ。[ref]張德鎭は、朴槿恵大統領が「二重化の問題に対して放置してきたというよりは「不介入」の立場を宣言したとみるべきだろう」と主張したが、期間制法や派遣法などが含まれた「労働改革5つの法」を押し通そうとするのは労働市場に積極的に介入して「二重化」体制をより強化しようとする態度であると言えよう。世界化と脱産業時代に社会の内部者と外部者が区分される現象を称する「二重化」という用語も、韓国社会の中で著しく現われている正規職・非正規職の間の差別をただ単に世界的な現象の一つとして認識させるということも問題であろう。[/ref]
いつからか、社会のあらゆる分野で甲乙関係(主従関係)現象が現れ始めた。資本家と労働者の関係だけでなく、大企業と中小(下請け)企業も甲乙関係にある。権力者の前で立場の弱い人々は乙となるしかないが、大統領と閣僚さえも国民に対して「甲の横暴(パワハラ)」を行い、官僚社会でも同様のことが起こっている。最近の韓国社会で目に付く特徴は甲乙関係が社会の全ての領域で拡大し、多くの人々が乙となっているということだ。そして、その乙の中でもさらに甲乙関係が生まれている。現在、韓国社会は「甲乙社会」と言われても仕方ない状態であり 、[ref]これと関連した論議としては、カン・ジュンマン『甲と乙の国』(人物と思想社2013)参照。[/ref] それゆえに『持分のない人々としての乙』に注目し、乙を政治的な主体とする「乙の民主主義」という発想も生まれるのだろう。
「乙の民主主義」という表現は一つの概念というよりは一つの話題に近い。乙とは誰なのか、彼らが政治的主体、そして民主主義の主体となり得るのか、果たして彼らが従来の「歴史的な大韓民国」の共同体とは違う新たな共同体を構成できるのか、でなければ乙は時が経てば消えてしまう一時の流行語に過ぎなく、インタレグナム(interregnum)の時期を乗り越える新たな政治の主体は他に探すべきなのか、それは誰にも分からない。しかし、重要なのは、国民自らが自分を乙と感じており、社会が乙という平凡な言葉を深刻で重い言葉として、そして社会の深層的な現実を指す言葉として使用しているという点である。[ref]ジン・テウォン「乙の民主主義」、高麗大学民族文化研究院ウェブマガジン『民研』、2015年5月号(http://rikszine.korea.ac.kr/front/article/discourseList.minyeon?selectArticle_id=587)[/ref]
意義のある提言だと思う。ただ、乙の民主主の基盤となる「乙の連帯」がどうすれば可能かについては多くの討論が必要であろう。個人的な意見としては、まず乙を構成する「持分のない人々」に、その言葉の意味に合った少数者、つまり障害者、移住者、性少数者、脱北者、難民などが含まれるべきだと思う。彼らの「持分のない」もしくは「乙」の状態は従来の「民衆」概念においても、脱殖民主義の「下位主体」(subaltern)論議においても殆んど注目されることはなかった。カテゴリー化されていない周辺的な存在に目を向けてこそ、「乙」が(「甲」とも呼ばれる)「乙」を生み出す悪循環を食い止めることができるだろう。さらに、韓国社会の中で依然として弱者の立場にある女性も含まれるべきであろう。
集団的・地域的な主体としての甲乙関係も重要な問題である。例えば、現在の首都圏と地方は少なくとも社会文化的なレベルでは甲乙関係と言えるが、実際、これは首都圏の特権層と(土豪を除く)地方住民との関係であろう。集団的・地域的な甲乙関係が長期化すると、植民化を伴うことになる。現在の韓国の地方が首都圏の植民地のように感じられるのは恐らくそのためであろう。そして、このようなレベルでの甲乙関係は韓国社会の内部にだけ存在するわけではない。例えば、国際社会での韓国と米国の関係こそ、典型的な甲乙関係ではないだろうか。李明博(イ・ミョンバク)政権以降、韓国政府は韓米間の甲乙関係を緩和しようとした前政府の努力までも不安に思い、返還予定であった戦時作戦指揮権を自ら返上してしまった。
興味深いのは、南北関係である。現在の南北関係は特に甲乙関係とは言えないかもしれないが、南北の力の非対称は明確であり、国際社会での待遇の違いにより韓国は ―特に南北間の敵対関係も辞さない政権が韓国側に誕生した時― 北朝鮮に甲のように振舞おうとする。北朝鮮は(米国を後ろ盾にした)韓国のこのような態度を「甲の横暴」と受け止め、核武器やミサイル・人工衛星の開発などで対応する。これに対抗して、韓国は開城(ケソン)公団の全面中断(事実上の閉鎖)という自虐的でありながら典型的な「甲の横暴」に値する強攻策を取った。世界体制の覇権国の立場からすれば、南北の分裂と敵対は韓半島(朝鮮半島)を統制するには非常に都合がいい。韓国からイデオロギー的な朝貢を受け取るだけでなく、サード(THAAD)のような対中国用に転換可能な武器を韓国内に配置できるのである。南北の既得権層にも南北間の敵対は都合がいい。自分達の居場所を脅かす改革勢力に「従北」「反動」というレッテルを貼り、締め出すことで特権を維持、管理できるからである。朴大統領が開城公団の閉鎖措置に踏み切った理由を正確に把握することはできないが、自分自身の権力基盤を守るために決して損はしない政略的な判断が作用したことは間違いないだろう。
分断体制を甲乙関係で説明するならば、南北とも世界的な覇権国家との関係では乙の立場に置かれている。しかし、両国の関係では南北の少数の特権層が甲であり、南北の大多数の住民が乙と言えよう。韓国社会において乙の民主主義を通して「従来の「歴史的大韓民国」の共同体とは違った新たな共同体を構成」するためには、分断体制という甲乙関係の撤廃、もしくは解消の過程が伴わなければならない。分断体制の甲乙関係こそ、韓国社会のあらゆる甲乙関係を統制し、調節する重要な機制だからだ。逆に言えば、甲乙関係としての分断体制の克服を念頭に置かず、韓国社会の内部の複雑な甲乙関係にだけ焦点を絞ってしまうと、甲乙関係の相対主義から抜け出すことはできないだろう。
乙の民主主義が正常の状態で進行するのではなく「インタレグナムの時期を乗り越える新たな政治」という設定にも注目すべきである。「インタレグナム」(interregnum、王座空位期間)の概念は元々グラムシ(A. Gramci)の「危機」発言から由来したものであるが、ジグムント・バウマン(Zigmund Bauman)と陳泰元(チン・テウォン)はそれぞれ違った意味付けをしている。バウマンがこの概念を通じて注目したのは、国民国家の時代から世界化の時代への転換期において生じた権力と政治のズレである。つまり、政治は依然として国民国家単位で作動しているが、権力(特に世界市場及び資本の権力)は国民国家と国民的主権の力よりも大きいがゆえに引き起こされる危機局面を意味する。一方、陳泰元はセウォル号事件によって表面化した「黒い空白としての国家」というところに注目し、そのような空白を通して表現された「主体性を喪失した国家」を「如何に主体化するかという問題」を考える。
バウマンと陳泰元の意味付けは示唆に富むものだが、この概念が由来したグラムシの発言、つまり「危機とは正確に言うと、古いものが消滅しつつあるにもかかわらず、新しいものが生まれない状態のことだ。このようなインタレグナムでは、極めて多様な病理的な症状が現れる」[ref]上掲の文章から再引用。[/ref] という指摘を尊重しながら現在の危機(インタレグナム)について話すならば、大きく三つの層位の体制に分けて考える必要がある。一つは市民の力によって民主主義を勝ち取って築き上げた87体制の危機、二つ目は分断体制の危機、三つ目は前述した資本主義の世界体制の危機である。この三つの層位の危機はお互いに連動しており、古い三つの体制が崩壊した後、どのような「新たなもの」が誕生するかは未定である。
87年体制の危機から見てみたい。セウォル号事件を通して表面化したのは、国家自体の不在や空白というよりは、韓国を「乙のための国」にはしたくないという既得権-執権層カルテルの決然たる態度であろう。このような逆行的な動きが益々強化されながら、87年体制の根幹をなす民主主義的ガバナンスを覆す事態 ―李南周(イ・ナンジュ)の表現では「漸進クーデター」― が起きているのが現在の厳重な局面である。[ref]これに関する詳細な論議は本号の李南周(イ・ナムジュ)の「守旧の「ロールバック戦略」と市民社会の「大転換」企画」」参照。[/ref] 現在の分断体制の危機は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代に比較的円満な解体作業が行われていたのだが、それが李明博・朴槿恵政権に入って中断され、その後、分断体制を無理矢理復元しようとしているために発生したものだ。復元が不可能である理由は、何よりも分断体制の固着期とは違い、現在は東西冷戦の一つの軸であったソ連が崩壊したにもかかわらず、米国が覇権国家としての地位を失いつつあるためである。しかも、中国が韓国経済に決定的な影響力を与える国家として浮上している状態で、米国に「オールイン」し、南北対決を再び激化させるからといって分断体制が回復するわけではない。分断体制が一層危機に陥る可能性はあるが、だからといって無理に取り掛かると、一時しのぎで修理した建物のように一瞬の内に崩れてしまい、経済的な破綻や戦争のような大災難を引き起こす可能性が高くなる。[ref]金善珠(キム・ソンジュ)は、TVドラマ「応答せよ1988」の発想を借りて「2044年、その時も分断体制だろうか。分断100年を迎えることになるのだろうか。北は核を、南はサードを装着し、6者会合や4者会合を巡って周辺の強大国の利害関係によって依然として我が国の運命が左右されるのだろうか。重くて怖い」と韓半島の果てしない暗い未来を想像する(金善珠のコラム「応答せよ2016」、ハンギョレ2016.2.3)。2044年も分断体制ならば「重くて怖い」状況であろうが、十中八九分断体制ではないだろう。分断体制を克服し、よりよい体制を作り出したか、或るは分断体制よりもより最悪の、その重さと恐怖を想像することすらできない状態になっているかのどちらかだろう。[/ref]
到来する新たな体制を牽引するような政治的主体、例えば、乙の民主主義の主体となる人々は誰だろうか。87年の民主抗争の主役であった「386世代」は、今や既得権勢力の典型として非難されている。彼らとしては、悔しい面もあろうが、それなりの理由はある。彼らは民主化の主役という勲章を手にすると共に自由化の恩恵を受け、大多数が社会の重要なポストを占めている。それとは逆に今の若者たちは彼らが受けた恩恵(恋愛、結婚、人間関係、マイホームなど)を諦めなければならない状態にあるのだ。しかし、既成世代も体制の危機を避けることはできないため、彼らもまもなく中産層の地位を失うことになろう。いずれにせよ、志のある少数の人々を除いては、既成世代が自発的に乙の民主主義の主体となる可能性は低い。若者世代はどうだろうか。ソン・アラムは若者世代の立場を代弁する「望国宣言文」の中で次のように述べている。
ここを地獄と決め付けないでください。未来に一層悪化する可能性のある場所は地獄とは言えません。世界の終わりを確信しないでください。我々の想像力は最悪を想像するまでには到っていません。過ぎ去っていく全ての瞬間を私たちは今よりは幸せだった時代として記憶するでしょう。だから、過去とは別れを告げ、未来を受け入れる用意をしてください。私たちは近いうちに今のこの瞬間を懐かしがるでしょう。[ref]「ソン・アラム作家の新年特別寄稿「望國宣言文」」、キョヒャン新聞、2016.1.1。[/ref]
非常に共感できる内容である。もし、今よりも悪い体制が生まれてしまったら、我々の生きるこの国は我々が想像できないほど最悪の事態となるだろう。しかし、そうなる可能性が高いだけであって、そうなるとは限らない。この地獄のような世の中を変化させることに、若者が主体となるか、ならないかで状況は完全に変わってくる。しかし、「多くの青年はもはや夢を抱かず、不公平な生存よりは公平な破滅を願い始めました。私たちは国号を忘れてしまった百姓のようにこの国を「ヘル(hell)朝鮮」と呼んでいます」という宣言は、今の若者たちが如何に漠然とした不安を抱えているかを既成世代に伝えようとしているという意味では納得できるが、未来の主体としての発言としては納得できない。「不公平な生存」を変えようとはせず「公平な破滅」を願う存在ならば、世の中を変化させるどころか、自ら生み出した「心の地獄」さえも消し去ることはできないだろう。この地獄のような世の中で憤恨を乗り越えようとする志を抱くならば状況は完全に変わるだろう。例えば、今の行き詰まった現実を直視し、怒りを覚えながらも恨みや絶望や無気力に陥ってしまわずに生きている若者、世の中を変化させることに自分の力を添えようとする若者、そのような若者が大勢いる。若者だけではなく、あらゆる世代と階級で甲乙関係の変化を心から望んでいる人々が新たな政治的主体となるだろう。
3. 文学のアトポスと現在の韓国文学
歪んだ世の中で文学は何ができるだうか。文学の読者数が急激に減少したという報道が溢れ、文学は消滅したとまで言われている現在、このような問いかけは心苦しい限りである。しかし、このような問いかけと真正面に向かい合ってこそ、有意義な文学の論議ができるだろう。
昨今の文学危機論は人々が文学書を殆んど読まないという事実から出発している。以前は映画やテレビ、インターネットのような大衆文化メディアの影響が理由として挙げられた。それに加え、最近はスマートフォンの使用やSNSが日常化し、ウェブ小説やウェブ漫画という新たな大衆文化・文学のジャンルが活発になり、文学は益々居場所を失いつつあるという危機感が広がっている。けれども、情報技術とメディアの発達は文学の終焉を招く決定的な要因ではない。文学は元々文字言語に限られた言語芸術ではない。口承文学は別としても、シェークスピアの戯曲や我が国のパンソリなどもその台本が文字化され、書物として生まれ変わる以前から聴衆が享有する芸術であった。『未生(ミセン)』や『錐(ソンゴッ)』のような漫画も純粋な言語芸術ではないが、演劇や戯曲と同様に文学的享有と評価の対象となり得る。従って、紙に書かれた書物ではないオーディオブックや電子書籍、インターネットやSNS上の作品だからといって、文学の資格がないわけではない。問題は、このようなメディアの変化とは関係なく、文学が我々の人生にとって、依然として代替不可能で、掛け替えのないものであるかどうかということだ。
資本主義における商品化という問題も文学を脅かす要因だ。ご存知のように、近代の資本主義において、文学は市場に依存するようになり、資本主義が進展すればするほど、文学作品は芸術であると同時に商品という二重性を有するようになった。文学の読者も言語芸術の享有者であると同時に、商品の消費者でもある。芸術としての文学は資本主義の下での商品化に対して敵対的であるしかない。しかし、資本主義の文学的な支配方法は益々巧妙になり、文学が商品化の迷路へと入り込む可能性も否定できなくなった。全ての文学がそうではないが、一国の一地域の文学が文化商品のような娯楽品として扱われる可能性もある。実際、柄谷行人が「近代文学の終り」を宣言し、文学の場を去ったのは、日本文学が堕落してしまったという彼なりの判断からであった。
柄谷行人が韓国文学について詳しく知らないにもかかわらず、韓国文学も終焉を迎えたと性急な判断を下したのは、彼の目的論的な文学観のせいであろう。文学が国民国家の形成に主導的な役割を果したように、資本主義の世界体制の変革への寄与も期待したが、そのような文学を見つけることは容易ではなかったのだ。柄谷行人の終焉説が日本よりも韓国でより多大な影響力を発揮したという事実はアイロニーである。文学評論家の金鍾哲(キム・ジョンチョル)のような、1990年代以来、文学は社会変革の力を喪失したと判断する批評家にも、西欧のポストモダン言説の影響下で1970、80年代に民族文学の行きすぎた社会政治性を批判した若い批評家たちにも、終焉説は歓迎されたが、それぞれ理由は異なっていた。不思議なことに、文学主義の批評家たちは近代文学は終焉を迎えたと信じていながらも、柄谷行人や金鍾哲のように文学の場から去りはしなかった。その代わり、文学の場から立ち去った人々が、無意味であると批判した「近代文学以降の文学」(脱近代文学)を新たな時代の文学として提示する論理を導き出した。例えば、2000年代の文学の脱社会的・脱政治的性格を強調するイ・クァンホの「無重力空間の叙事」や、キム・ヨンチャンの「脱内面的叙事」「無気力な主体」などは、このような流れを代弁している。[ref]柄谷行人の近代文学終焉説についての詳細な論議はカン・キョンソクの「批評のロドスはどこなのか:「近代文学終焉説」から「長編小説論争」まで」『文学枠(ムンハットゥル)』、2015年夏号、及び拙稿「文学の新しさはどこから来るのか」の2章「「近代文学の終焉とそれ以降の文学」というフレーム」『創作と批評』、2008年秋号参照。[/ref]
2000年代の文学で頭角を現した金愛爛(キム・エラン)、朴珉奎(パク・ミンギュ)、黄貞恩(ファン・ジョンウン)の小説などは、1970、80年代の民衆文学とは異なるが、だからといって「無重力空間の叙事」や「無気力な主体」などの内容とも違う。彼らは脱社会的で脱政治的なものではなく、以前の小説とは違った方法と感覚で社会性と政治性を具現したのである。ランシエール(J. Rancire)の文学論を参考にした陳恩英(チン・ウニョン)の「感覚的なものの分配」(『創作と批評』、2008年冬号)が引き起こした「文学と政治」に対する論議は、未来派の詩以降の悩みを含みながらも、同時に新たな小説の政治性を解釈するためにも肝要であった。それ以来、白樂晴(ベク・ナクチョン)、李章旭(イ・ジャンウク)、シン・ヒョンチョルなどが参加し、一層活発になった「文学と政治」に対する論議は、柄谷行人の終焉説に対応する代案言説的な性格を持ち、それだけに韓国文学の批評的な活力を立証してみせた。
陳恩英が最近唱えた文学の「アトポス」(atopos)論は、「文学と政治」において表面化した悩みを深化させた概念である。彼女によると、文学のアトポスとは「正体の曖昧な空間、文学的と一度も規定されていなかった空間に流れ込み、その場を文学的空間へと変えてしまうこと、そうすることで文学の空間を変え、さらに文学に占有された、ある種の空間の社会的、感覚的空間を、また違った社会的、感覚的な人生の空間性へと変化させること」[ref]陳恩英『文学のアトポス』、グリンビー、2014、180頁。以後、この本の引用は本文に頁数だけを表記する。[/ref] である。 陳恩英のこの概念は文学が既に定められた特定の形式や空間、そして制度であると考える人々にとって新鮮な衝撃を与えた。しかし、白樂晴の指摘のように、このような作業は新たな文学的空間を創り出すこと(新たなトポス)であって、それ自体が「アトポス」(非場所)の具現ではないのだ。[ref]白樂晴「近代の二重課題、そして文学の「道」と「徳」」の2章「二重課題論と文学の居場所」『創作と批評』、2015年冬号参照。以後、この論文は本文に頁数だけを表記する。[/ref] さらに陳恩英の言う「このように彷徨っている空間性、ゆえに決して確定できない形で瞬間のトポスを生成し、破壊し、揮発させること」(同じ頁)も遊牧的で不確定的な方法ではあるが、「トポス」の生成、破壊、消滅であって「アトポス」の出現ではない。
むしろ、陳恩英がバディウ(A. Badiou)のマラルメに対する議論を論評しながら「マラルメが使用した踊りの類比に従って、我々は、詩を、詩的テクニックや詩を書く詩人の経験によって全的に還元されない、純粋な出現と考えることができる」(153~54頁)と語った時、そして「因果関係の鎖から抜け出した、純粋な発現の瞬間としての詩」(154頁)に注目した時、「アトポス」概念というものがより彷彿される。このような純粋な出現と発現の瞬間としての詩について、白樂晴は「現実の、ある「トポス」で起きる出来事であっても、そこから抜け出した「アトポス」を含蓄するといえる」と評価しながらも、「同時に、それが現実空間のあらゆる因果関係と筆記具の種々の特性を確保したまま「アトポス」を創り出すのか、或いは「純粋な出現」という、もう一つの観念で詩を単純化するのかは、より一層厳密な検討が必要だ」と条件を付け加えている(126頁)。白樂晴自身は、「作品が発現する時に生成するアトポスは、ただの「無」でもなく、「有」の領域 ―プラトンの「イデア」や、ある超越的な存在を含めて― でもないという思惟のあり方」(127頁)の重要性を強調し、これを東アジアの「道」という「アトポス」の次元から見つめ直している。
「文学と政治」に対する議論に引き続き、再び陳恩英と白樂晴の間で重要な対話が行われたのだが、ここで論じられている問題を詳論する代わりに、簡単な論評を付け加えたいと思う。陳恩英の「アトポス」論は、新たな文学的トポスを創り出したり、既存の文学的トポスを変化させたりする際に生じる生き生きしさ、活力、情動(affect)に注目する一方、 詩とは詩人のテクニックや経験だけによって還元されるものではない純粋な発現であり、特に「詩は書かれている通りに読まれるのではなく、詩を読む人との感応の中で出来事として発現するという点」(154頁)を強調している。このようなアバンギャルド的な態度のためか、一つの芸術「作品」として具体的な詩や小説の詳細には細かくこだわっていない。しかし、創作や読書、詩の朗読や聴取のような文学行為のトポスがどこかに関係なく、芸術言語としての作品が真実の輝きを放つ時、文学のアトポスが生成されると見ている。
このような意味で、英国の小説家D. H. ローレンスの「芸術言語が唯一の真実だ。芸術家は大抵がつまらない嘘つきであるが、彼の芸術はそれが芸術である限りはその日の真実を知らせてくれるだろう。永遠の真理など必要ない。真理はその日その日生きているのである」[ref]D. H. Lawrence, Studies in Classic American Literature. Ed. E. Greenspan, L. Vasey and J. Worthen, Cambridge UP 2003, 14頁。[/ref] という発言は文学のアトポスと関連付けても注目すべきであろう。芸術言語を通して明らかになるその日の真実を除いてしまったら、果たして文学のアトポスを論じることができるだろうか。実は、我々の心の居場所も「存在しているような、していないような」アトポスなのである。文学は究極的に心に働きかけるものであるが、文学がその日の真実を知らせてくれた時、心を揺さぶるような「出来事」が起こる。アトポスで起こる出来事がその日の世の中の様子を如実に物語り、よりよい世の中に変えてみようという気持ちを抱かせるのである。勿論、そのためには、心がお金の奴隷にならず、他の人々や世の中、全ての宇宙万物に心を開かなければならない。
最近の盗作騒ぎや文学権力騒ぎ以降、韓国文学は消滅したと断言されることが多いが、文学のアトポスを実感させるような作品は次々と誕生している。韓国文学は生きているのだ。多様多彩な作品の中で、前述の論議と関連して注目すべき最新作を幾つかご紹介したい。ベク・ムサンの詩集『廃墟を引き揚げる』(創批、2015)はタイトル通り「あの日の真実」を知らせることによって、文学のアトポスを実感させてくれる。[ref]ベク・ムサンの今回の詩集に対する論議としては白樂晴の上掲の論文、135~40頁参照。以前に筆者もフェイスブックでこの詩集について--「パニック」(2015年10月11日)、「花粉がそよ風に乗って飛んで行くように」(10月6日)—論じたことがある。[/ref] 詩人は時代の現実と体制のような大きな問題を抱えて悩んでいるが、詩人自らが生の身体で体験したことを表現しているため、観念的な発想が割り込むような隙はないように思われる。特に『ハムレット』のように、時代の問題を主体の内部から引き出している点が頼もしい。ハムレットの独白が「時代」と同じように歪み、分裂してしまった彼の「内面」を、そして追い詰められた彼の「心」を吐き出しているように、ベク・ムサンの「パニック」の話し手は具体的な理由を言わずに自分の荒廃した心を吐き出している。.
ふいに真夜中の山道で
見上げた夜空
手に届きそうな空一杯の星がパニックのように
白く降り注ぐ宇宙その風景が心に染み込むと
僕が明らかになる
僕が廃墟という事実が死が干潟のように暗く訪れ
愛が燃えるように染み込み
全ての秩序を覆して災いの赤い血が染み込む時
僕はパニックに熱狂する
―「パニック」 16頁
「僕が廃墟という事実」が明らかになったと告白する時、我々はその時代に一体何が起こったゆえに彼が廃墟となったのか、という疑問を投げかける。真っ先に脳裏に思い浮かぶのは、檀園(タンウォン)高校の学生250人を含む乗客304人を水葬させてしまったセウォル号事件だろう。詩集のタイトルの中の「引き揚げる」、そして上に引用した詩の最後に書かれた「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」という主張が、真実と共に水葬されてしまったセウォル号の引き揚げへの責任を連想させる。けれども、この詩集のあちらこちらで出現する「廃墟」はセウォル号事件に限られた問題ではない。この詩集の「廃墟」は『ハムレット』の「歪み」と同様の意味、つまり、世の中の崩壊の兆しを呈する役割をしている。上で引用した詩の3連にも世の中の破局を迎えるような黙示録的な雰囲気が漂っている。
「廃墟」と共に「パニック(panic)」を使用しているのも、話し手である「僕」の特異な態度の形成に効果的である。もし、訳語の「恐慌」や「恐怖」という言葉を使用していたら、不自然だったであろう。しかし、代わりに「パニック」という言葉を使用したことでしっくりくる。「パニック」が今の時代の言葉だからという理由もあるが、この言葉が牧神であるパーン(Pan)から由来していることを考えると、単純な恐怖というよりは、驚異的な恐怖、そしてニーチェのディオニュソス的な狂乱を連想させるからではないだろうか。つまり、破局を迎える「僕」の態度は近代的合理性を超えた直観的な熱狂に近い。ゆえに「僕」は世の中の破局を恐れているのか、歓迎しているのか、曖昧なのである。この曖昧さは「僕」と世の中の関係にも現われている。1、2連で宇宙の風景に映った「僕が廃墟という事実」がパニックのように明らかになるが、3連では「僕」が廃墟であるため、この世の中が廃墟と化す光景に熱狂しているのではないかという不吉な疑いが込められている。実は、詩の最後に書かれている「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」での「廃墟」には世の中の破局を見守りながら、パニックに熱狂する病的な面までも含まれているのではないだろうか。
ベク・ムサンはここで、我々の生きている不道徳な世の中に対する倫理的で当為的な批判をしているのではなく、資本主義の世界で可能な破局の前に立って、自らを正直に投げ出している。このような点こそが、資本主義が崩壊することはないという仮定の下、その否定的な面を洗練された方法で皮肉ったり、世の中が滅びたと大きな声で嘆いたりする多くの批判的な知識人とは質的に違う点である。資本主義の変化に対する洞察として「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」にも注目すべきだろう。「自由への新たな感覚」の意味をアイロニカルに述べた次の一節を紹介したい。
正規職の奴隷になりたい 非正規職の奴隷を廃止しろ
不安的な奴隷を正規奴隷化しろと叫ぼう人間に自由への新たな感覚が生まれたのだ
自由を売れば自由よりも大切なものを手に入れられると信じた
自由を返上すればより豊かな人生を手に入れられると信じた
野原での自由は敗者の慰めに過ぎないと信じた
新たに手に入れたものが自由なのかそうでないかなど重要ではない
鉄窓を取り除いても野原には行けない
―「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」 終結部
マルクスは、資本主義下での労働者にとっての自由とは中世の身分的な足かせからの開放を意味すると同時に、自分の労働力を売って生活を営むしかない状態、つまり賃金の奴隷と化していると指摘している。即ち、労働者にとって真の自由とは何よりも賃金の奴隷からの開放を意味するのである。ところが、この詩で自由とはどのような価値として表現されているだろうか。今の時代、我々にとって、自由は「より豊かな人生」を過ごすために自らを返上できるような小さな権利のようなものだ。このような社会では「非正規職の廃止と正規職への転換」というスローガンさえも「不安的な奴隷を正規奴隷化しろ」という賃金の奴隷たちによる利権闘争に過ぎないものになってしまう。
こうして見ると、「自由への新たな感覚」とは、資本が労働を極端に追い詰めたために、一時は労働者の理念的な武器であった「野原での自由」を「敗者の慰め」であると信じさせた結果、生まれたのである。資本主義が労働者の理念さえも崩してしまったのだから、資本主義の最終的な勝利と言えよう。しかし、これによって、危うい状態であった資本主義が安定したというよりは、何か本来の在るべき姿から離れ、何か他の物へと転化してしまったような気がする。例えば、従来の資本主義が労働と資本の対等な関係での対立を軸としているのに反し、この詩の中で表現されている体制は両者の対立関係が崩れてしまい、資本の支配が如何なる理念的な歯止めをかけられることなく、全一的になされている状態と言えよう。「自由への新たな感覚」は、もう既に我々の周りに存在している、より暗い未来を感じさせる。[ref]「もう既に存在している未来」という発想と関連した論議としては、ファン・ジョンア「「もう既に存在している未来」の小説的な主体」『創作と批評』、2012年冬号参照。[/ref]
今回のベク・ムサンの詩集には希望の伝言のようなものは見られない。だからと言って、悲観と絶望に陥っているわけでもない。希望も絶望もないまま、自分と世界を冷静に観察し、大切に守ってきた人生の原則が破壊されつつある事実を正直、且つ熾烈に語っているだけである。廃墟のような時代と自分自身に対する証言のような彼の詩は決して明るいとは言えないが、「草の闘争」や「完全燃焼の夢」でのような、人間の時間よりも長い時間、人間の領域よりも広い大地と自然に対する彼の幅広い思索と信頼が感じられるため、決して暗くは感じられない。労働者の観点からではあるが、偏狭な労働者主義から離れ、性少数者、動物との関係など、近代文明レベルの争点に対しても通念を覆すような省察を見せてくれている。
最近、文学に労働する主体が頻繁に登場しているのは、労働を人生の核心的な要素として再認識し始めたという意味でもあろう。特に、ベク・ムサンと共に、1980年代と90年代に労働文学の最前線で活動していたジャン・ファジンとイ・インフィが長い沈黙を破り、注目すべき作品を発表したことは歓迎すべきだ。ジャン・ファジンの「きょろきょろ見回す」(『黄海文化』、2015年秋号)とイ・インファの「工場の灯り」(『実践文学』、2015年春号)は、どちらも労働者が主人公の小説だが、性格はやや異なる。「工場の灯り」が労働現場に集中した典型的な労働小説である一方、「きょろきょろ見回す」は、労働の問題を重要な問題として扱いながら、男女の日常的な生活との関係が主軸をなしている。
「きょろきょろ見回す」の美徳は、日常で起こる些細な出来事を通して、資本に縛られない労働の本来あるべき姿を顧みさせるところにある。正規職と非正規職の差別を体験した男性と、大企業のインターンシップと失業(アルバイト生活)を繰り返してきた女性がお隣同士として出会い、壊れた便器を一緒に修理することで二人の関係が深まるという内容の小説だ。故障の原因である古いゴムパッキンをガムでくっつけて問題を解決するまでの過程が面白いながらも意味深長である。故障した便器を直すのも労働であるが、職場での労働とは違って楽しく心が温かく感じられるのは、資本主義の回路から離れた瞬間、労働は市場価格とは関係なく、楽しく有益な活動、多少の忍耐力と創意力を発揮すればある種の達成感を得ることのできるものだからである。主人公の男女の性格や彼らの関係が発展していく過程が自然に描かれてはいるが、何の葛藤もなく、あまりにも円満に描かれているため、理想化の跡が感じられるところが多少残念ではある。
「工場の灯り」は、色んな面で対照的な作品だ。ある合板工場の厳しい労働現場と非情な労使関係、労働者同士の葛藤と連帯感などが迫力のあるタッチで描かれていて、現代の「異郷」の一つであるように感じられる。合板が作り出されるまでの労働過程、社長が労働者をこき使う様子、その過程で首になったベテラン労働者の自殺、労働と宗教の繋がりなどを露骨に描くことによって、今日の労働現場が如何に劣悪であるかを鮮明に描写している。厳しい労働現場の雰囲気と力の論理を実感させるところがこの作品の美徳である。しかし、人物が多少類型化されており、小説の強烈な男性的な言葉が新たな世代の感覚を十分に表現できていない。両作品とも物足りないところは多少あるが、目的論的な文学観から脱し、これまでとは違った労働現実を直視しようと、それなりの手法で奮闘している点は評価したい。
金愛爛の『非幸運』(文学と知性社2012)以降、若者の文学においても人生の核心問題として労働問題が扱われている。その中でも非常に優れた作品として評価されているハン・ガンの「一片の雪が解ける間」(『創作と批評』2015年冬号)や、『センチメンタルも二日まで』(2014)を書いた金錦姬(キム・クムヒ)の最近発表された小説などが特に印象的だ。「猫はどうやって鍛えられるのか」(『文学村』2015年冬号)には大手キッチン家具会社の課長から「職能開発部」へと人事異動を命じられ、生産職の教育を担当することになった少し変わった人物が登場する。モ課長は同僚たちとの付き合いの悪い気難しい人物で、幾度もいざこざがあり、部下から「異常な人」と言われていた。彼が一般のサラリーマンと違っていたところは、工員出身で、そこから本社の管理職へと昇進したにもかかわらず、常に現場に出たがっていたという点だ。
皆、下請け会社を「虐めに」に行くと思っていたし、実際、そういう行動をしていたが、それが全部ではなかった。彼はただ単に肉体労働したくて出かけて行ったのだ。そうやって、たまに肉体労働をしたり、頭の中がガンガン響くほどの衝撃を与えたりしないと、一日中錆水のような何かが噴き上げてきた。生きるための活力のような、怒りのような、とにかく無気力であまりにも無気力でむしろある種のエネルギーになってしまったようでもあった。(207頁)
モ課長は「(肉体)労働中毒」なのだろうか。でなければただの「変人」なのだろうか。どちらかは分からないが、それ以外の可能性もある。それは元々労働とは「生きる活力」が具現される一つの方法であるという可能性だ。つまり、モ課長が「変人」だからではなく、今の資本主義社会が肉体労働を回避させるような雰囲気を作り出しているため、労働しなければ生きがいを感じないモ課長が気難しい変人に見えてしまっているのかもしれない。例えば、社長から「職能開発部」を任された時、つまり生産職の教育を名分に管理職を解雇する役割を任された時、モ課長は「私は肉体労働の方が合ってるんですけど」と言ったが、社長は「おいおい、モ課長、肉体労働が好きな人なんていないだろう」と軽くあしらわれた(226~27頁)。
モ課長の人生を構成するもう一つの特異な面は捨て猫の飼い主を探すという行動である。彼のそのような行動には事情があった。鬱病とアルコール中毒で自殺を決心した日、一匹の捨て猫が庭のゴム製のたらいに子猫を産んだからで、「死なずにもう少し生きて、最後は自分自身をそのまま猫に任せてしまった」(223頁)のである。だから、彼が猫の世話をしていたのではなく、「彼はこの家でただ猫の隣にいる「何か」であって、そんな生き方に満足していた」(222頁)。実は、彼は人間よりも猫に近い存在だったのかもしれない。あちらこちらの家を回りながら、その家の独特の臭いのせいで「家酔い」をしながらも、猫を見つけてほしいという依頼に応じたのは「12万ウォンの日給や依頼人の訴えのためではなく、ただ単に迷子になった猫たちの苦労を考えて」(210頁)であった。その上、彼は魚が好きで、特にサンマの缶詰が大好物であったが、食堂の女性がお皿にサンマをお代わりしてくれると「まるで、もう要らないといった振りをしながら、女性がテレビを見たり他のお客に視線を回したりすると、その隙に青光りする魚を素早くほじって食べたりした」(211頁)。このような行動まで猫にそっくりなのだ。もしかしたら、彼はドゥルーズ(G. Deleuze)式の「猫になる」ための修行をしているのかもしれない。このような意味で、「職能開発部」を任された時、彼が悩む場面も注目される。
ここから追い出された人たちはどうなるんだろう。家族が連れて行ってくれるのだろうか。彼にはいない家族が彼らを連れて行ったら、悪くはない暮らしができるのだろうか。多分彼らには猫はいないだろうが、猫は誰にでも必ずいないといけない存在ではないが、もしかしたら、追いかけられるのではないだろうか。彼が口を出すことではないが、それでも生きていられないのではないだろうか。(227頁)
彼は首になった会社の同僚たちがどうなるか心配しているが、その瞬間にも捨て猫との比較を通して同僚の追い詰められた状況を想像する。まるで、猫との関係を通して人間と接しているような感じを与えている。
この作品で提起された核心的な問いかけは労働問題だけでなく、動物との関係でモ課長が「異常」なのか、或いは、彼を気難しいと感じる他の人々が「異常」なのかだ。この問いかけにはっきりと答えることはそう容易ではない。どちらにも問題があると言えるかもしれない。モ課長は周りの人々と断絶しているだけでなく、他人との有意義な関係を持つことを諦めた人のように思える。一方、労働や猫への態度からも分かるように、彼は基本的にお金にこだわる人間ではなく、お金の価値を強要する資本主義的な生き方に「不適応者」であることが分かる。彼は半分は猫の立場から思索し、半分は資本主義の秩序の外での人生 ―「代案的な人生」というものとは少し違う感じがするが― を生きているのかもしれない。彼が「バートルビー」(Bartleby)のバートルビーを連想させるのは、存在的な断絶と閉鎖性を持ちながらも資本主義的な価値体系を拒否する態度のせいであろう。
金錦姬の「あまりにも真昼の恋愛」(『21世紀文学』、2015年秋号)は、主人公の男女の複雑で微妙な変化を詳細な描写で捉えている。この小説にもモ課長に劣らず変わったヤン・ヒラという人物が登場する。小説の中心にはピルヨンとヤンヒの恋愛関係、つまり恋愛が中心だが、その恋愛がすれ違い合うところに芸術(演劇)と労働が配置されている。恋愛、芸術、労働という三つの要素が繰り広げる複合的な展開は注目に値する。
小説は前述の作品と同様に、主人公ピルヨンが「責任を問われ、営業チーム長から施設管理職へと締め出される」(45頁)という事実上の辞職勧告を意味する左遷から始まる。ピルヨンは何とか耐えようと決心したが、ショックは大きく、職場の同僚たちの視線を避け、鍾路(チョンノ)のマクドナルドでお昼を食べていた。その時、偶然、向かいの建物に、16年前の大学時代の後輩ヤンヒが台本を書いた観客参加型の不条理演劇の垂れ幕を見て、「ピルヨンは自分が人生最大の危機の瞬間を迎えた時、なぜ鍾路にあるマクドナルドが思い浮かんだのかに気づいた。(…) ピルヨンが、よりによって今この時間、ここにいるのは、まさにヤンヒと出会うためであったのだ」(50頁)
実は、昔すれ違ってしまった二人の愛がピルヨンの左遷をきっかけに再び呼び起こされたのは決して偶然ではない。営業チームから施設管理職へと移動したピルヨンは徐々に表情が変わり始めた。「何よりも口元を引き締めさせていた緊張が消えた。その緊張は、誰かに対する尊称、笑い、咳払い、支持、推薦、回答などをするためのものであったが、当分の間必要なかった。10年近く顔の中にあった緊張が消えるとピルヨンの顔は透き通り、どことなく若くなったような印象さえ与えた」(53頁) こんなピルヨンの変化はそれまで催促されていた資本主義的な生き方に対する中毒性が明らかに消えつつあることを暗示している。
小説はピルヨンとヤンヒの過去と現在を行き来しながら、彼らのこのような存在的な変化を追う。16年前の彼らは、お互い性格が全く違った。その違いがよく分かるのが「ヤンヒの突然の告白」(55頁)と、その告白へのピルヨンの反応だ。同じ語学教室に通っていた時代、一緒に鍾路のマクドナルドでピルヨンのおしゃべりをじっと聞いていたヤンヒは、突然「先輩、私、先輩のこと好きなんだけど」と告白する。ヤンヒはその告白を「感情の動きがなく、まるで2、3千ウォンを渡しながらハンバーガーを注文するかのようなトーンで」したのである。慌てたピルヨンは笑いながらこう聞いた。
「好きだとどうなるんだ?」
「どうなるって?」
ヤンヒはどうしてそんなこと聞くのって表情で聞き返した
「だから、これからどうするかってこと」
「何でそんなこと考えるの?」(56頁)
別れを告げる時も突然だった。ある日、突然ハンバーガーを食べながら、ヤンヒはまるで言い忘れていたかのように「あ、先輩、私、もう感じない。愛を」だった。「感じない?」/「うん」/「何で?」/「なくなちゃった」/ ピルヨンは信じられなかった。昨日まで好きかって聞かれると、表情は変わらなかったが、頷いていたのに、あり得ないことだ /「感じないって?全然?」/「感じない」/「感じないんじゃなくて、前よりは感じないってことだろ?愛情ってそんなにすぐなくなるもんかよ」(64~65頁)。ピルヨンとヤンヒのこのようなやり取りは性格の違う人同士の会話というだけでなく、まるで違う世代、違う時代の人同士の会話とも感じられる。不思議なことに二人の会話は禅問答のように聞こえる。違う時代に生きている人同士の避けられないすれ違いからくる効果であるのだが、実は愛に対する二人の見方の違いは資本主義体制に対する考えと感覚の違いに合い通じる。
ピルヨンは今の時代を生きる平凡な人物であるが、ヤンヒに出会い、その体制の外部と出会ったのだ。そんなヤンヒは、以前自分が書いた不条理演劇を舞台に上げる芸術家になっていた。16年前は資本主義的な生き方を当然視していたピルヨンは左遷をきっかけに変わった。彼の中にもこの体制での生き方とは違う一面が奥深いところに潜んでいたのである。現在のピルヨンはヤンヒの演劇を繰り返し観覧しながら、結局はその舞台に参加する体験を通して、また違った方法での生き方や芸術や愛に気付くのである。
ヤンヒ、ヤンヒ。すごく素敵になったな。ヤンヒ、ヤンヒ。夢が叶ったな、という言葉を思い浮かべては消した。元気だったかという言葉も、恋はしているかという言葉も、助けてくれという言葉も思い浮かべては消した。そして、消してしまうとヤンヒの台本のように何も残らなかった。しかし、全くないわけでもなかった。時間が過ぎても、ある物は全くなくなるのではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけだという思いがした。でもそれは本当に実在する物だろうか。(75~76頁)
文学だけでなく、愛を含めて、人生の最も大切なものは「全くなくなるものではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけ」の一種のアトポスの状態で完成する。この小説は、このような人生の真実を繊細で明瞭に表現することにより、自らがアトポスの境地であることを証明する。
4. 終わりに
文学は三つの世の中と関連している。「今の世の中」と「次の世の中」、そして「違う世の中」だ。この三つの世の中は独自的でありながらも重なり合っているので、その複合的な関係を同時に思索する総合的な芸術がとても重要である。例えば、我々は資本主義の世の中に生きているが、既にその中に明るい未来と暗い未来の兆しが見えている。「今の世の中」の出来事と時代の真実を明らかにするためには、「違う世の中」を想像する作業を通して、既に「今の世の中」にある潜在的な「次の世の中」の性格を見極めなければならない。この作業は非常に繊細で知的な感受性を要する。そのような意味で、注目に値する新人作家たちは少なくない。特にキム・オンジ、キム・ジョンオク、チェ・ジョンファ、そして最近、国内で初の小説集を出した中国系韓国人のクム・ヒの小説などが期待される。
体制の転換期を迎え、長編小説に関する批評や理論も重要ではあるが、これらに対する論議は次の機会に譲り、ここでは簡単な論評を加えたいと思う。よく『創作と批評』の批評家は長編小説の「大望」論を主張してきたという前提で論争が行われているが、それは正確な把握ではない。筆者が絶えず主張してきたのは、長編小説はもう不可能であると決め付けずに、未来への可能性は開いておき、見守ろうということだ。長編小説の可能性に注目してから10年という歳月が流れたが、期待されたような成果は見られないという主張もある。しかし、これまで文芸誌やウェブマガジンの連載空間を通して、優れた長編小説が誕生していなかったら、果たして韓国文学がこれほどのパワーを持って持ちこたえられただろうか。そして、一時は注目すべき長編小説論を主張しながらも、デジタル人文学と進化論的文学論への転換により長編小説の不可能論の理論的根拠を提供したフランコ・モレッティ(Franco Moretti)にばかり偏らず、多様多彩な長編小説論に対する論議を拡大する必要もあろう。[ref]ファン・ジョンア編『もう一度小説理論を読む』(創批2015)、及びロベルト・シュワルツの小説論を検討した拙稿「周辺で中心の形式を省察する」『内と外(アンクァパク)』、2015年後半期号参照。[/ref]
今、我々は資本主義の世界体制が崩壊しつつありながらも、未だ未定である次の体制が形成される転換期にいる。それと連動している韓半島の分断体制もやはり、うまく乗り切るか、それとも最悪の破局に到るかの選択の岐路に立たされている。今の世の中はこれから数十年間、我々がどのような選択をするかによって未来が決定する。このような時期には、一人一人の小さな文学的・社会的実践がこの上ない重要な結果へと結びつくだろう。文学は自明なものではなく、未来は不透明である。このような不確実性の中で文学の開かれた道へ勇気を持って進んでこそ、今はどこかに潜んでいる、よりよい世の中を切り開くことができると信じている。もしかしたら、そのような勇気を持った人生自体がよりよい人生なのかもしれない。
[翻訳: 申銀児(シン・ウナ)]