[特集] 守旧(勢力)の「巻き返し戦略」と市民社会の「大転換」企画 / 李南周
〔特集〕大転換、どこから始めるべきか
李南周
聖公会大学・中語中国学科教授、政治学。著書として、『中国市民社会の形成と特徴』、『東アジアの地域秩序』(共著)など。編書として、『二重課題論』(チャンビ談論叢書1)などがある。
<訳者の読後感>
本質において選挙公約を「空約」(束)化させるような選挙を通じ、匍匐「漸進」する「(選挙)クーデター」政権。日韓両国政権の驚くほどの類似性、同質性が日韓市民社会双方における「大転換」への自覚と連携を促している。幸いにも、「漸進(選挙)クーデター」を「逆クーデター」で阻止した総選結果は、2~4年以内に安倍政権を直撃するだろう。近づきつつある「大転換」の時に向け、日本の市民社会は何を、どう準備したらいいのか、議論を深めていきたい。[青柳純一]
「じゃあ、ドイツではこれからどういうことが起こりそうですか」と尋ねた。「ナチのクーデター、あるいは共産主義革命が起きるんでしょうかね」。
ベルンハルトが笑った。「まだ情熱を失ってないんですね、本当に!私はただその質問があなたのように、私にも重大だと思えるように望むだけですよ……」
――クリストファー・イシャウッド『ベルリンよ、さらば』、272頁
クリストファー・イシャウッド(Christopher Isherwood)の『ベルリンよ、さらば――ベルリンの話2』(ソン・ウネ訳、チャンビ、2015年)は、同性愛者ながら外国人(イギリス人)である作家が「シャッターを開けたまま考えもせずに、受動的に記録するだけ」という態度で、ナチスが権力を掌握する直前のベルリンの風景を描写した作品である。上記の引用文は、作家(私)とナチから脅迫状を受け取っていたユダヤ人のデパート管理人(ベルンハルト)との対話である。このシーンで「私」は普段の注意深い態度をとらずに当時のベルリンの政治状況に憂慮を表明し、ベルンハルトの反応に「最近の様子からとても重大な問題だと思われるのに」と反駁する言葉を発する。ナチス運動に賛同した人々と一部の共産主義者を除いて、この小説の他のドイツ人登場人物は終始一貫して当時の状況を、文字通り、受動的に見物しているだけか、受け入れているという印象である。今日の観察者の視点という優位に立ち、他にどんな選択が彼らに可能だったかを問うのはあまり意味がないかもしれない。だが、現在の私たちに同じ質問が投げかけられたら、他の反応や選択をなしうる機会は存在している。
1.危機の深化と危機言説
朴槿恵政権3年にあたる時点で国家は深刻な危機局面へと進んでいる。経済的な突破口は全く見えない。この間、不公平な分配と低成長の悪循環は固定化した。今年になって世界経済の不確実性が再び高まっており、韓国経済の高い海外依存度を考えれば、これはパーフェクト・ストーム(perfect storm:二つ以上の台風が衝突し、その影響力が爆発的に高まる現象)へと突入することもあり得る。のみならず、北の4回目の核実験で南北関係と東北アジア秩序の土台も変化した。北の核能力がゲーム・チェンジャーになりうるレベルに向かって発展しているのに、政府は相変わらず制裁強化という古い放送ばかり繰り返して、韓半島の平和定着のために実行可能なプログラムを提示できないからである。いつ偶発的な軍事衝突が発生してもおかしくない状況である。いま国民の暮らしと生命が直接的な危険にさらされており、国家危機という現局面に対する診断に異論を提起する人を探すのも難しい。
だが、危機言説の広がりは民主改革勢力に有利にのみ作用していない。危機意識が政権によって効果的に活用されているからだ。危機言説は野党側や市民社会はもちろん、政府・与党によっても叫ばれている。朴槿恵大統領が「ゴールデンタイム」という表現を乱発してから長い時間が経ち、金武星セヌリ党代表も今年の年頭記者会見で「危険と不安の時代」というフレーズを持ち出してきた。政権審判論を政治審判(事実上の野党審判)論へと逆転させ、国家的な危機状況を政局主導の好材料にしようという常套手段である。新年になって野党審判論を総選挙の核心テーマとして浮上させようという意図がより露骨化しており、これは単なる総選挙用にとどまらず、今後より深まる可能性が高い国家危機の責任を野党と市民社会に向けようとする戦略の一環でもある。
民主改革勢力は朴槿恵政権が犯したこの間の様々な失政を批判し、反対する活動を真面目に行っているが、国民レベルの共感をあまり広げられなかった。各種の世論調査に現れた朴槿恵政権の支持率は依然40%前後と安定している。高い支持率ではないが、議会や野党の支持率より高いという理由で、政治的主導権を行使し続けうる水準である。その上、議席数で与党内の圧倒的多数を占めるだけでなく、与党の風向きを左右する嶺南(慶尚道)における支持度は全国レベルよりもはるかに高い。したがって、与党の侍女(従属)化を強要し、これを通じて議会と野党まで無力化させるメカニズムを作動させている。国家危機の深化の中でも、危機に第一の責任がある勢力の政治的支配力がむしろ高まるという逆説的な状況である。最も深刻な危機はここにある。なぜこうした状況が起きているのか、深い考察が必要である。これに対する解答を見つけ出せないまま進める実践が、良い成果を上げるのは難しい。
こうした状況が出現した主な原因中の一つは、朴槿恵政権に対する民主改革勢力の批判が現局面への科学的な分析に基づくよりは、「朴槿恵政権は根源的に“悪”だ」という前提から出発する場合が多い点である。独裁者の娘というイメージと、朴槿恵大統領自身の維新時代に対する郷愁、権力機関の選挙介入とそのおかげでの候補者の当選という正統性の問題などが、少なくない人々にこうした前提を自然な形で受け入れさせている。しかし、これは多数の国民と有権者にとって説得力のある批判ではなく、陣営の論理に縛られた「批判のための批判」と見られる場合が多い。歴史教科書の国定化の試みで現れたように、政府は根本的な原則に関わる問題ですら、政派的な見解の違いによる退屈な争いへと転落させるやり方で、自らへの批判を鈍らせてきた。こうした手法は御用メディアの支援を受けてかなりの成功をおさめた。さらに、これは危機の責任を野党と市民社会に向けさせうる原動力ともなった。
したがって、現在の国家危機の本質が何かを究明することは、朴槿恵政権を効果的に批判し、かつ危機克服の方策を作り出す出発点にしなければならない。この過程で主導的な役割を果たすべき野党はその時々の反射利益に寄りかかり、現状を維持するのに汲々としているとの批判を免れがたい。いや、大局的な現実認識と対案となるビジョンの欠如により、全般的な無気力症に陥っている政治家個人や系派(派閥)の利益以上の何かを考える余力を失っているようだ。今年1月、当時の文在寅新政治民主連合代表が年頭の記者会見で、朴槿恵政権3年は国家の「総体的危機」を招いたと一喝したが、状況の深刻さがどれほど伝わったのか疑わしい。これもまた、野党側のよくある批判と受けとめる人がより多いだろう。もし、野党側が危機の本質をもっと明確に認識し、これを克服するビジョンを持っていたなら、政界の分裂も今のようには広がらなかっただろうし、もし選挙を前にして分裂状態になったとしても、政治的中心は揺らがなかっただろう。これまでの状況を見ると、政界から今後も新しい変化の契機が生み出されるとは期待しがたい。私たちがこれに関する論議を急いで始めるべき理由がここにある。
2.守旧勢力の「巻き返し戦略」VS大転換
現在の危機局面は李明博政権の成立とともに始まった。その過程に韓国社会で民主的ガバナンス(governance)がどこまで進展しうるのか、あるいはどの程度まで容認されうるのかをめぐる対立が再び全面化した。わが国の憲法が主権在民を原則とし、国家の性格を民主共和国と規定している点で、民主的ガバナンスは原則的に論争の対象ではないと言える。1987年6月抗争を経験した後は一層そうである。だが、民主主義自体が極めて論争的な概念であり、これにガバナンスという概念が加わって事態はより複雑化した。特に、権力の構成と構成された権力による統治との間の関係に解決しがたい多くの問題が存在する。[ref]ジョルジョ・アガンベン「民主主義という概念に関する手引書」、ジョルジョ・アガンベン他『民主主義は死んだのか:新たな論争のために』金サンウン他訳、ナンジャン、2010年。[/ref] 民主的ガバナンスに内在した、一般的かつ概念的な問題に対する論議を再びしようというのではない。より注目すべき事実は、ある程度合意がなされたといえる、わが社会の民主的ガバナンスの内容と形式が、実は、これを否定する土台の上で作動してきたという点である。つまり、分断体制下で民主的ガバナンスを制約する制度的・イデオロギー的装置が裏門から政治体制に導入された。何度もの憲法改定にもかかわらず、思想と表現の自由を広範に制約する国家保安法が代表的な事例である。これは批判の自由を根源的に封鎖しうるものであり、法の作用が法の中断を通じて完成される「例外状態」の日常化が作動しているという最も重要な証である。[ref]ジョルジョ・アガンベン『例外状態』金ハン訳、新しい波、2009年、24~27頁、を参照。洪ミンは「分断―安保フレイム」によって例外状態が創出され、日常化されるメカニズムを分析したことがある。洪ミン「分断と例外状態の国家」、東国大学分断/脱分断研究センター編『分断の行為者:ネットワークと随行性』、ハンウル、2015年。[/ref] 民主主義の守護という名の下に反民主的な統治行為が許容される逆説的な状況は、私たちにとって決して見慣れないものではない。韓国社会の守旧ヘゲモニーも、これを土台にして構築された。[ref]わが社会で「守旧」とは、保守よりもさらに退行的かつ極端な理念的傾向を指す。特に、保守は近代民主主義の枠内で活動するが、守旧はこれを否定する傾向を意味する場合が多い。金ホギ「2000年以後の保守勢力:守旧的保守とニューライトの間で」、『記憶と展望』通巻12号(2005年)69頁。こうした区分は依然意味を有するが、より重要だと指摘せねばならない問題は、なぜ他の民主主義国家では周辺的な傾向にとどまっている極右などの守旧的勢力が圧倒的な影響力を行使しているのかである。これは分断体制の作用と切り離しては説明しがたい。[/ref]
韓国社会のこうした特徴を念頭に置けば、1987年以後韓国社会で民主主義の進展による成果と限界を一層客観的に評価しうる。1987年6月の民主化大抗争を経て民主主義は逆らえない国家運営の原則であり、目標としての位置を確保した。これは保守政権下でも否定しえなかったし、保守勢力内部での守旧ヘゲモニーも明らかに弱体化した。しかし、時間が流れるにつれて守旧勢力は民主的ガバナンスを不都合と感じ始めた。民主的ガバナンスの進展が「例外状態」の作動空間を侵食し、これが守旧勢力の基盤を脅かしたからである。彼らの不安は金大中政権期から南北和解の政策が本格的に推進されて最高潮に達した。
こうした危機意識により、保守勢力内部で守旧がヘゲモニーを再強化するための試みを始めた。その主な手段は分断体制の敵対的な相互依存メカニズムを積極的に動員するものだったし、「従北論」の広がりを突破口にした。これは自らへの批判者の発言権と政治的生存権を剥奪することを目標とする言説という点で、他の政治的な論争構図とは性格を異にした。李明博政権の成立とともに、1987年から進展した民主化の成果を無力化しようとする試みが執権層の主導によって始められた。つまり、守旧・保守連合政権の成立とともに守旧勢力が民主主義に対する一種の「ロールバック(roll back:巻き返し)戦略」を本格的に推進したのである。したがって、李明博政権を1987年以後の盧泰愚・金泳三政権と同じ性格の保守政権と分類するのは適切でない。南北関係に対する彼らの態度に根本的な違いがあるのも決して偶然ではない。南北対決/分断体制の強化こそ、自らの既得権を維持するのに最も効果的な方式という、守旧勢力の戦略が作用した結果である。
民主改革勢力は、李明博政権の成立後に登場し始めた後向きの現象を「逆走」と規定し、その延長線上でいわゆる三大危機論(民主主義・民生・南北関係の危機)を提起したこともあった。これを通じ、李明博政権以後の変化が「87年体制」の大きな流れを逆転させようとする試みの結果という事実を喚起させた。しかし、こうした説明は二つの点で限界があった。第一に、なぜこうした現象が現れたのかという構造的原因に対する説明へと発展できなかった。第二に、新政権の行動の特性の羅列であり、守旧勢力のヘゲモニー強化と民主的ガバナンス変更のための体系的な戦略とは把握しなかった。
李明博政権下で進められた守旧勢力の「巻き返し戦略」は、ロウソク・デモ抗争などの抵抗に直面し、思い通りには進展できなかった。2010年天安艦の沈没を契機にして「例外状態」を呼び出し、守旧ヘゲモニーを強化しようと試みたが、[ref]拙稿「李明博政権の統治危機:民主的ガバナンスとの不調和」、『創作と批評』2010年秋号、を参照。[/ref] その直後の地方選の敗北によって順調にはいかなかった。しかし、この時に発表された5・24措置は南北関係の進展に錠をかけ、従北論理と南北対決の意識を助長するのに強大な威力を発揮した。のみならず、御用メディアの許可や国家情報院の政治化など「巻き返し戦略」を推進できる政治・社会的装置を構築した。この時期、守旧・保守同盟内でも守旧的傾向と不調和を感じる流れがなくはなかったが、全体的には守旧ヘゲモニーが大した困難もなく復元されていった。これには他の対案に比べ、守旧ヘゲモニーが自らの既得権をより効果的に保護してくれうるという判断も作用しただろうが、守旧勢力に掌握された国家情報院、検察などの統治機構が保守勢力を極めて効果的に統制できたからでもある。そして、守旧・保守同盟が2012年総選挙と大統領選挙(以下、大選)で勝利を重ねると、「巻き返し戦略」を全面的に推進しうる政治的・社会的条件が整えられた。したがって、民主改革勢力としては勝利することができた、そして「巻き返し戦略」に決定的な打撃を与えることができた2012年の総選挙と大選での敗北は極めて手痛いのである。
こうした変化から、私たちは次の二つの事実に注目すべきである。第一に、韓国社会における民主主義の進展は「例外状態」の日常化を許容する法的・制度的・理念的な要因を解決せずして新しい局面へと進展しがたい。これは私たちの社会を規定する根源的な対立である。韓国社会がもう一歩前に進むために必要なのは、単なる行政府の交代ではない。「例外状態」の日常化を遮断しうる社会の「大転換」が伴わねばならない。[ref]白楽晴は、時代交代の熱望を集めてこそ、政権交代という第一次的な目標を達成することが可能だという考えから、2012年選挙を前にして単なる政権交代ではなく、「2013年体制の建設」という目標を提示したことがある。選挙敗北によってその企画は水泡に帰したが、こうした認識は新たに2017年大選が近づいている現時点で依然有効であり、最近は「大転換」という概念へとその問題意識を進展させている。これについては、白楽晴「大きな積功、大きな転換のために:2013年体制論以後」、『創作と批評』2014年冬号、および『白楽晴が大転換の道を問う』、チャンビ、2015年、を参照。[/ref] 危機に陥った民主主義も「民主対独裁」の枠内で理解される民主主義ではない。民主改革勢力自らも民主主義の意味を「民主対独裁」の構図に矮小化する傾向がある。しかし、私たちが進展させようとする民主主義は極めて抜本的な転換の土台としての民主主義である。
第二に、こうした大転換を目標とする努力は、守旧勢力の深刻な挑戦に直面せざるを得ない。守旧勢力の極めて積極的な政治的動員は偶発的かつ情勢に応じた対応ではなく、切迫した危機意識から出発して韓国社会を自らの構想通りに再編しようとする試みである。そして、彼らのこうした試みを防ぐことは私たちの社会の最大課題中の一つである。他の社会で有効なある政治戦略も、こうした課題の遂行に助けにならなければ正しい方策とは言えない。
守旧勢力が「巻き返し戦略」を推進できる状況が展開しているのは不幸であるが、これを通じて私たちの社会を規定する根源的な対立が現れたという点で、一方で「歴史の奸智」による進展がなされると見ることもできる。しかし、「大転換」に至るまではより困難かつ大変な過程を経ねばならないのが現実であり、守旧勢力の巻き返しを許した原因に対する自己省察なしには「大転換」への道はほど遠い。さらに、私たちは「巻き返し戦略」が新たな局面、より深刻な局面へと進展する事態にまず直面している。
3.「巻き返し戦略」の新たな局面:漸進クーデターの特徴
2012年総選挙と大選で守旧・保守同盟が勝利した後、民主的ガバナンスに対する全面的な挑戦が始まった。この選挙で守旧・保守勢力が経済民主化や福祉のような時代的要求を積極的に受け入れる態度をとったことが勝利に決定的だった。しかし、朴槿恵政権は成立直後に主要な公約を廃棄し始めた。こうした手法ならば、それなりに有効な民主主義の形式として存在する選挙がいかなる意味をもちうるのか問い返さざるを得ない。大選当時の事件(ネット上での不正告発)とそれに対する処理過程で現れた問題まで考えれば、そうした疑問はより高まらざるを得ない。特にセウォル号事件の発生と、その収拾過程で見られた問題は「一体これが国なのか」という根本的な問題を提起するに至った。
これに対する国民的な抵抗がなくはないが、朴槿恵政権は政治的空間を委縮させて閉鎖する手口で対応してきた。統合進歩党の解散、集会およびデモに対する弾圧、韓尚均民主労総委員長に対する騒擾罪適応の試みなどが、その代表的な事例である。事態がここに至れば、朴槿恵政権の行動パターンを単に逆走が続いているという形で規定するのは、現状に対する正しい診断であるか疑わしくなる。この間の変化をめぐり、二つの相反する理解方式がある。一つは、現状況を民主主義の幅とレベルをめぐる葛藤局面と見なす立場である。こうした理解方式に従えば、現局面は他の国の政治で現れる保守と進歩の間への枠内で出現する変化と大した違いがない。韓国社会の退行的な現況も「いつか」選挙を通じて権力が交代すれば解決する問題である。野党側の支持層でもこのように考える人が相変わらず多数だと思われる。もう一つは、民主主義の基盤はすでに崩れた状態という主張である。こうした論理は、民主主義を救うために市民は総決起のようなより直接的な抵抗と行動に出るべきだという主張へとつながりうる。
だが、こうした二つの説明はともに状況の一側面のみ見るものである。第一の説明は、李明博政権成立後の守旧勢力の動きを民主的ガバナンスを前提にして進行する政治的競争という枠組で解釈するが、彼らが民主主義のガバナンス自体を否定しようとする、一貫した目標を追求しているという点を見過ごす。特に、「巻き返し戦略」が全面的かつ多面的に推進される状況に対する適切な診断にはなりがたい。第二の説明は、この間の市民社会の進展、そして民主主義的な効果などを見過ごす。守旧勢力のヘゲモニー強化と民主主義的メカニズムの無力化などを目標とする行為は大問題だが、これはこの間に達成された民主化の成果を一晩で否定することはできない。民主的ガバナンスを根本的に崩そうとする試みに抵抗する力は侮れないものがあり、このために活用できる制度的手段も依然少なくはない。
現在の状況は上記の二つの説明では捕えがたい特徴を有しており、こうした特徴を筆者は最近「新種クーデター」という概念で説明した。[ref]拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」2015年冬号、および『チャンビ週刊論評』2015年11月25日。[/ref] だが、「新種」という修飾語ではその新しい種類の内容を示すには限界があり、今後は「漸進クーデター」(creeping coup d`état)という表現に統一して使用したいと思う。この表現はすぐに軍事クーデターを連想させ、それにより総決起のような積極的かつ直接的な抵抗が必要だという主張に聞こえる面もある。だが、漸進クーデターは軍事政変とは全く異なる事態の進展であり、その違いに注意して対応方案を考えねばならない。[ref]こうした点に対する強調は、白楽晴「新年コラム――新種クーデターが進行中というなら」、『チャンビ週刊論評』2015年12月30日。[/ref] 漸進クーデターは背景、目標、方法と手段、内容と効果などにおいて、次のような特徴をもつ。
まず、ある社会で支配連合は内容的に民主的ガバナンスとの全面的な不調和を感じてはいるが、民主的ガバナンスの作動を電撃的には中断させえない場合、漸進クーデターのようなガバナンス変更の試みが出現する。深化する共同体の危機意識を民主主義に対する攻撃へと転化させうるなら、こうした試みが成功する可能性が高い。これに関連して、過去の進歩勢力内で進行された民主化と「民主政権10年」に対する批判的な論議を再評価する必要がある。私たちの社会の民主化の過程に限界がなかったわけではないが、それに対する批判が民主化の過程全体を否定するものであってはならない。そうした批判は主観的な意図とは関わりなく、民主主義一般に対する否定的な態度を助長し、民主的ガバナンスに対する守旧勢力の挑戦をより容易にしてしまうからである。
ここで、朴槿恵大統領の統治方式の問題と守旧勢力の企画を区別して考えなければならない。前者の問題が前面に浮上しやすいが、漸進クーデターは守旧勢力全体の企画として朴槿恵個人の権力延長ではなく、守旧勢力の永久的なヘゲモニー確保を追求する。つまり、漸進クーデターは1987年6月民主化運動を経て作り出された国家運営の基本原則に対する否定であり、分断体制下で形成された既得権を永続的に維持しようとする試みである。もちろん、87年体制も克服されねばならない。だが、これは87年体制が全的に否定的なフレイムだからではなく、前述したように、87年体制内部にこの体制が志向する価値の完全な実現を妨げる要素が内在するからである。87年体制は社会の根本的な転換を夢見る国民の熱望の相当部分を反映したが、既得権勢力との妥協を通じて作り出されたため、守旧的要素を完全に清算できなかった。その上、1997年金融危機を経て既存の発展国家モデルが解体された反面、新たな発展体制を作りだせないまま独占的な大企業の力が急激に増大した。経済的には自由化が民主化を圧倒し、保守的なヘゲモニーがより強化される結果を招いた。こうした側面から、87年体制は克服されるべきだという要求が増加した。[ref]これについては、金鍾曄「分断体制と87年体制」、『創作と批評』2005年冬号、を参照。[/ref] しかし、87年体制の基本精神である主権在民、経済民主化、平和的南北統一は、今後もわが社会が志向すべき主要原則である。87年体制の克服はこうした原則を完全に実現することを課題とすべきであり、これは分断体制の克服過程と関連する時に可能であることを、私たちはこれまでの経験を通じてより明確に意識すべきである。これとは反対に、漸進クーデターはこうした原則を無力化させるための試みである。
漸進クーデターは民主的ガバナンスの土台を弱体化させ続け、選挙手続きを通じてこれを正当化する方式で推進されている。選挙とクーデターは互いに矛盾する概念のように見えるが、ヒットラーや日本のファシズムの台頭もこうした過程を通じて進められた。漸進クーデターの帰結が必ずやドイツや日本のファシズム体制のようになるだろうという話ではない。[ref]もちろん、朴槿恵政権の性格を「類似ファシズㇺ」と規定する主張も少な くない。ただ、漸進クーデターが成功裏に進むにせよ、過去の軍事独裁やファシズムとは異なる手法で守旧勢力の永久執権を実現させようとするだろう。[/ref] ただ、ガバナンスの性格の根本的な変化は、必ずしも電撃的かつ急進的な破壊を通じて実現されるのではないことは明らかである。
漸進クーデターを通じた民主的ガバナンスの急進的な否定は可能ではない。このためにはまた別の質的飛躍が必要である反面、こうした変化に対する国民の警戒心を弱めて受け入れやすくする場合、その漸進性はより効果的である。つまり、憲政の急進的な廃棄ではなく、自らの統治を脅かしうる政治・社会的勢力と制度を無力化して永久政権の土台を構築するのが一次的な目標である。民主的ガバナンスの法的形式を全面的に廃棄しなくても、その運営により自らのヘゲモニーを強化する方式によって目標を達成できるのだ。
こうしたガバナンスの質的転換が推進されているならば、その性格をどのように規定すべきかについて、もっと多くの論議が必要である。[ref]廉武雄はこうした時代認識を共有しながらも、クーデターが現局面を説明する適切な用語か否かについて疑問を提起している。廉武雄特別寄稿「“新種のクーデター論”について」、『ハンギョレ』2016年1月15日。[/ref] ただし、いかなる場合にも現状況を日常的な変化、よく言われる「日常業務(business as usual)」と見てはならない。例えば、セヌリ党が総選挙で180議席以上、さらに200議席以上を確保すれば、どのような変化が発生するかを考えてみる必要がある。180議席までは行かなくても、与党側が安定的過半数を確保する場合にも状況は油断ならないだろう。つまり、今年は逆走が本格的に臨界点を超える転換点になりうる。
したがって、次の総選挙はもちろん、その後の変化についても事態の深刻さと課題の重大さを考慮した対応策づくりが急がれる。再度強調すれば、単なる独裁反対のフレイムを逸脱できない「民主主義の守護」のような防御的かつ守勢的なビジョンでは、漸進クーデターを阻止する動力を作り出すのは難しい。その上、セヌリ党の圧勝を防ぐことで漸進クーデターの阻止に一助となるという謙虚な姿勢ではなく、自分の党の勝利はそれ自体が韓国社会の大転換を意味するという調子でいるなら、有権者の顰蹙を買いかねない。
前でも強調したように、民主的ガバナンスの進展は韓国社会のより根本的な転換を実現する時にこそ可能である。大転換の糸口を、次の新たな3つの領域でつくらねばならない。最も重要な第一は、民主主義の進展と分断体制の克服過程の間に好循環を作り出すことである。こうした過程に進入する時、他の領域における質的転換が可能になる。第二に、経済民主化を中心にして経済社会の構造転換を積極的に推進すべきである。最後に、生活領域において民主主義を進展させることである。民主主義は制度的レベルだけでなく、職場を含めた暮らしの領域において作動すべきである。もちろん、こうした変化は制度的レベルでの民主主義の進展とかけ離れたものではないが、これに対する特別な関心と努力なしに達成できるものでもない。今や単なる「独裁反対、民主主義の守護」ではなく、わが社会の「大転換」のための大ビジョンを提起し、これを担いうる政治主体を形成していかなければならない。
4.市民社会の対応:連合政治と「市民政治」の再活性化
現局面で民主改革勢力の対応を難しくする最も大きな要因は、野党側の危機と分裂である。漸進クーデターのようなガバナンス転換の試みは、選挙を通じて事後的に自らの行為の正当性が承認される方式で進められるため、総選挙は単に政府の「独走を牽制」するのにとどまらず、漸進クーデターの動力を急速に弱めうる絶好の機会である。反対に、最近数回の補欠選挙で与党が勝利して以前の深刻な失政とスキャンダルを覆い隠しえた事実を見ても、野党側の分裂は逆走が臨界点をたやすく超えうる可能性を広げている。
したがって、野党側の危機に対する正確な診断が必要である。野党側の危機の根源は、2004年の総選挙で多数党になったヨルリン・ウリ(開かれた私たち)党体制の退化にある。現在の野党側の土台と性格は、基本的に2000年と2004年の総選挙を経て形成された。特に、2002年盧武鉉大統領の当選と2004年の総選挙を経て、支持基盤としては湖南(全羅道)と首都圏および他地域の改革的性向の有権者が結集し、政党運営において上向式の意思決定方式と参加が強調された。これは野党側の改革的性向を強化させ、野党側の支持勢力を政治的に活性化させたという点で、韓国政治に肯定的に寄与した。同時に、この体制がその後の主要な選挙で大方の期待に達しない成績を残したという事実も見過ごすことができない。
2006年地方選挙で敗北した後、ヨルリン・ウリ党の基盤は弱体化し不安定さも高まった。それでも李明博政権の成立後に展開された逆走に対する国民の憂慮が高まり、2010年地方選挙を契機にして野党の支持基盤は相当な部分が復元され、2012年総選挙を前にして過半数の議席確保を自負しうるほどに勢いを拡大させた。これは野党内部の力によるものではなく、市民政治と連合政治の活性化が大きいと思われる。結局、2012年総選挙と大選で光と影がともに現れた。一応、民主改革勢力が政略的な地域連合や保守の分裂に期待しないで、守旧・保守連合と事実上の優劣を分けがたい一対一の対決構図を作り出した点は成果である。だが、勝利が予想された選挙に負けて朴槿恵政権の誕生、そして現在のような漸進クーデター局面への進展を招いたという点で限界も明らかである。2012年の選挙敗北を経て、その原因が何であり、これを克服する方案は何なのかについて真面目な論議が進められなかった。これに対する評価は、依然重要な意味をもつ。
なぜこうした後退現象が出現したのか。まず韓国民主主義の土台が守旧勢力の反撃にいかに脆弱かに対する認識が不在であり、そこでこうした挑戦に対決するための政治主体の強化を主要な課題としなかったことが大きい。例えば、盧武鉉政権の大連立構想はいかにナイーブなものだったか。ナイーブなだけでなく、韓国社会に対する根本的に誤った認識がこうした発想を生み出した。守旧ヘゲモニーの強化と、それが招く民主的ガバナンスに対する脅威を見過ごしたまま民主主義の進展を楽観視した。それにより、守旧勢力および守旧ヘゲモニーから脱皮できない保守に手を差しのべ、守旧ヘゲモニーを克服するために協力すべき勢力とは葛藤を招いた。その結果は、支持基盤の急速な崩壊だった。李明博政権の成立後、韓国の民主主義はいかに脆弱な基盤にあるのか、そして守旧の影響力がどれほど強大かに対する認識が深まりはしたが、野党側の内部で韓国社会が直面する危機の性格と克服方案に対する共感がどれほど広く形成されたかについては依然として疑問が多い。
その上、野党側の党内では変化の要求と新たな社会的エネルギーの受け入れを妨げる既得権構造が強化された。そして、2011年から安哲秀現象として表出した有権者の要求とエネルギーをまともに消化できなかった。強調したい点は、野党側内の既得権といえば湖南という地域基盤に安住した政治家を思い浮かべやすいが、首都圏の現役議員や地域委員長の既得権も見過ごしてはならない事実である。彼らの構成と性格も2004年以後大きな変化がない。党員増大など党の組織的な基盤が広がらない状況では、上向式の政党運営さえ既得権の保護装置に転落しうる。新しい勢力が入って公正に競争できる環境が作られなかったのは、湖南でも首都圏でも同様である。小さな既得権に恋々としてより多くの人々と大きな連帯を作れなかったこれまでの過程こそ、果たして野党側は韓国社会が直面する危機を厳しく受けとめているのかという疑念を起こさせる主要な点である。
こうした状況で受権政党あるいは受権勢力としての信頼を得るのは難しい。受権勢力として信頼を回復するための具体的な対案を提示できなければ、統合論議の意味も半減せざるを得ない。もちろん、この問題を何も破壊的な方式で解決させる理由はなかった。最もたくさん持っている者が他人に背中を押されてではなく、自ら決断して最も多く差し出して内部の足りない点を補完していたなら、[ref]前掲、拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」。[/ref] これによって受権能力と大転換を担いうる能力を育てていったなら、現在の分裂事態には至らなかっただろうし、また一部の離脱が大きな衝撃にはならなかっただろう。問題は、この間の革新作業が内部的には受権政党としての再誕生、外部的には反動的な流れの阻止と韓国社会の大転換を明確な目標としなかった点にある。その渦中で進められた様々な革新作業が派閥争いの火種となり、むしろ分裂を促す結果を招いた。2014年3月、新政治民主連合の結党とともに試みられた革新作業は、地方選挙が続けて行われた関係で選挙対応の後に回され、7月補欠選挙の敗北によって党代表が辞退し、その方案が実行されうる機会を逸した。その後、文在寅代表体制で比較的十分な時間と意志を持って革新作業が進められたが、当初から公選規則にあまりに集中して覇権主義の疑念を払拭できなかったために系派間の葛藤が激化した。特に革新方案の最終発表の段階で、主要な指導部の出馬問題に対して革新委員会の立場を発表したのは、革新委員会が公選作業を特定系派に有利に進めようとするとの批判を自ら招いた面がある。結局、革新委員会の活動は党内分裂を煽る結果に至った。分党事態後の人材受け入れと、その後の非常対策委体制を通じて刷新を推進しているが、こうした作業が一時的な支持率上昇をもたらすとしても、わが社会の危機克服の方向をきちんと提示するとは考えがたい。
このような状況で市民社会が担うべき仕事は増えざるを得ない。自らの力を考えずに、あまりの大仕事を夢見るのも問題であるが、逆に自らの力をあまりに軽視する必要もない。また、私たちは国民と有権者がいつも予想できない方式で自らの要求を噴出してきた歴史的経験を持っている。漸進クーデターの試みに対する認識が高まるにつれ、有権者は自らの要求を表現する企画を積極的に模索するだろう。市民社会は「大転換」のビジョンを作り出し、潜在的エネルギーが表出されるようにする作業を進めなければならない。
短期的には、選挙に先立って野党側の競争を生産的な方向へ導いていく努力をすべきである。これは2010年当時の連合政治論とは異なる構想である。全国的に与野の「一対一」対決構図が当時よりさらに難しくなった現実を直視しながら、分裂した野党側が出血競争ではなく競争と連帯を調和させ、総選挙における圧倒的勝利という執権勢力の目標を挫折させ、漸進クーデターに亀裂を生むという発想である。これによって国民に希望を与え、2017年まで続く政局で主導権を回復する可能性を残そうというのである。このために市民社会は各野党に対し、2004年以後に累積した内部の問題をいかに克服して漸進クーデターを阻止するのか、説得力ある答えを要求すべきである。そして、誠意をもってそうした作業を進める政党が、結局は有権者の支持を得られるようにしなければならない。例えば、湖南地域はそうした競争に適した舞台になりうる。もちろん、これだけで野党側が総選挙に勝利するのは難しい。現行の選挙制度で全国的に「一与野他」構図が形成されれば、野党側は惨敗を免れがたい。
したがって、首都圏と忠清道、嶺南などの地域では、公開であれ暗黙であれ、全国的な範囲であれ地域的な範囲であれ、いかなる方式でも選挙連合が推進されなければならない。少なくとも、標的公選とか相手側の出血を狙った「無条件で出馬」のような争いは避けねばならない。このためにはまず、首都圏でより強い勢力を有する「共に民主党」の責任ある身の処し方が必要である。そして、他の野党の場合は首都圏と嶺南で知恵のある選択と集中戦略を駆使すべきだ。比例代表の得票率を高めるためには、可能な限り多くの地域区に候補を立てるのは不可避だという主張もあるが、過去の進歩政党を見れば、比例代表の得票率を高めた地域区の候補者の数と直結はしなかった。選択と集中を通じ、総選挙の勝利のための犠牲的かつ賢明な姿勢を示す場合、むしろ野党支持者に政党名簿制の投票では自分の政党を選んでほしいと、より積極的に訴えることもできる。そして首都圏、忠清道、嶺南で象徴性が高くて全国的な影響が大きい選挙区の場合、共同選挙運動まで含める連帯を実現すべきである。こうした連合のために、市民社会もなすべきことをやらねばならない。政界のみに任せていてはこうした結果を得難い現実において、市民社会の力量が選別的とはいえ、どのように、どれだけ効果的に介入するかによって総選挙の結果をめぐって国民が希望を堅持できるか否か左右されるだろう。その方法も「ダメもと(ダメでもともと)」式の選挙連合を叫んだり、候補に対する道徳性または政策評価などで自己満足する市民団体版の「日常業務」的な思考を越え、今日の状況に照らして新たに創案されるべきである。全国的な次元では連合の意味、必要性、そして具体的な実現方式に対する論議を組織すること、地域別では地域の事情に応じた連帯を実現するための作業に取り組むことから始めうる。
中期的に、市民社会は2017年の大選が大転換のための重要な契機になりうる条件をつくり始める必要がある。特に、今回の選挙を市民政治の力量を復元して強化する場にしなければならない。2012年総選挙まで活性化されていた市民政治が2012年の大選後は急速に委縮したことを忘れてはならない。
わが国の政党の落後性は歴史的かつ構造的な要因が作用した結果なのであり、政党政治が発展すべきだという当為論だけでは短期間に克服しがたい。このような条件で市民政治が新しいアイデアを政治社会に供給し、有権者と政党間の距離を狭めるのに大きな役割を果たしてきた。こうした市民政治は政党政治を対立するものではなく、政党政治の発展のためにも必要である。[ref]これに関しては拙稿「市民政治の浮上と政党政治:危機か機会か」、『歴史批評』2012年春号、を参照。[/ref] だが、2012年の選挙敗北に対する失望感、政治は政党に任せるべきだという当為論が相乗作用しながら、政治社会に対する市民社会の関心が減少していった。市民社会は組織的な力量が地域的とはいえ、個別領域で着実に増大してきたが、わが社会の大転換のためのビジョンを生産する上では大きな成果を上げられずに、むしろ後退した面もある。実際、本稿で提示する漸進クーデター論や大転換論を含め、わが社会のビジョンに対する様々な発信があったが、市民社会内部にはこれに対して無関心な場合も多く、自分のことでも一生懸命やろうという態度が蔓延しているようだ。その結果、草の根組織の活性化が市民の政治的参加と影響力の増大に大きな助けになりえずにいる。こうした中で、漸進クーデターが順調に進展すれば、市民社会が最初に打撃を受けるだろう。
したがって、漸進クーデターを阻止してわが社会の大転換を実現する作業は市民社会が直面する最も大きな課題であり、このために市民社会を活性化すべきである。迫りくる総選挙はこの重要な契機である。その上、漸進クーデターを阻止して新たな政治的地平を開くことは1987年までの民主化運動以上の意味があるという使命意識も必要である。分断体制に内在した矛盾が前面に現れ出たことで、これの克服は大転換に値する変化を触発しうるからである。このためには、市民社会の活動家がまず大転換に対する認識を深化させ、大転換のために市民社会内部でどういう共同の努力が必要であるかに対し、持続的に模索すべきである。
長期的に、市民政治は草の根次元における力量の強化に基づいて発展すべきである。実際、最近の市民社会の発展が主にこの領域で達成されてきたが、これは今までの市民政治よりより直接的かつ効果的に政治に影響力を発揮しうる通路である。野党側は、何人かの市民社会出身者を迎え入れる方式で市民社会との関係を管理しようとする傾向があるが、政治と市民社会の真の協力のためには、草の根市民政治の活性化が鍵である。こうした土台が構築されてこそ、過去の民主政権10年が反動の時代へと続いた前轍を再び踏まないようになり、韓国さらには韓半島のアップ・グレイドを実現しうるだろう。