창작과 비평

〔対話〕 韓国宗教の保守性をどう見るべきか――プロテスタントを中心に

2016年 春号(通卷171号)

 

 

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(1)

 

 

姜仁哲(カン・インチョル)韓国・韓神大宗教文化学科教授。著書に『韓国キリスト教会と国家、市民社会―1945~1960』『戦争と宗教』『韓国プロテスタントと反共主義』『韓国の宗教、政治、国家―1945~2012』など。

朴露子(パク・ノジャ)(ロシア名:ヴラジーミル・ティホノフ)ノルウェー・オスロ国立大東アジア学および韓国学教授。著書に『あなたたちの大韓民国』(全2巻)『白い仮面の帝国』『私たちが知らなかった東アジア』『私を裏切った歴史』など。

 

*この記事は2016年1月5日から29日まで朴露子と姜仁哲、二人の対談者が電子メールで交わした対話を纏めたもので、二回行われた書信交換を基にして作成された--編集者。

 

進歩と保守、プロテスタントの分岐

 

朴露子 『創作と批評』誌は今号が創刊50周年記念号です。このように意味深い場で、韓国のプロテスタントについて、この分野の専門家である先生にお聞きし、ともに韓国的近代、資本、そして宗教という大きな脈絡と結びつけて議論する機会ができてとても光栄です。『創作と批評』で、私どもの対談に続き、韓国社会の保守性の問題を持続的に扱っていますが、後続の議論も興味深いと思います。私は韓国仏教を専攻してきましたが、プロテスタントについては事実、門外漢に近いです。ひとまず総論的な部分から申し上げるならば、たいてい仏家の中では「仏教近代化の失敗」をしばしば嘆いたりするのをご存知でしょう。どうしても近代民族主義・民主主義の発展に寄与した僧侶といえば、萬海・韓龍雲(ハンヨンウン)(1879-1944)の他にほとんどいない仏教の立場では、プロテスタントの境遇がうらやましいということはあります。初期の民族主義活動家を見れば、金奎植(キムギュシク)(1881-1950)、徐載弼(ソジェピル)(1864-1951)、安昌浩(アンチャンホ)(1878-1931)から始まって、プロテスタントの寄与度が目につきますし、病院や学校設立などで物質的・制度的近代化に寄与したのも、ひと目ですぐにわかります。また1970~80年代の社会運動では、民衆仏教より民衆神学の比重の方がはるかに大きかったので、「プロテスタント」と「モダニティ」を同一視する態度も、ほとんど常識になっているだろうと思います。競争者と言える他宗教の立場でも事実そうです。
ですが、一面から見れば、プロテスタントにはそれぞれ異なる2つの宗教が存在するようです。一方では少数ですが、ハンベク教会などに代表される民衆神学のキリスト教、すなわち急進的なキリスト教と、やはり一部ですが多少自由主義的な傾向の牧師がいます。ですが、残りの、すなわち「一般」のプロテスタントを見ると、まったく異なる構図があります。たとえば、基本的な信仰形態の次元では、そのような「一般」のプロテスタントが、果たしてそこまで現在的な意味で「近代的」なのか、すなわち、他の韓国の諸宗教とそこまで異なっているかという問いが自ずと出てきます。事実、科学的合理性が確立された近代では、「神に祈って、お供えを捧げて、福を得る」という「交換型接神」というか、一種の恩恵授与/恩恵的絶対者との関係というようなもの自体が、どの程度、依然として意味があるのかと自問することができます。伝統的な「祈禱」というものが、結局、自身の恐怖心ないし不安心理を鎮める心的装置であるということも、宗教人は概して認識するでしょう。そのようなことならば、祈禱も瞑想も心を鎮めることも、様々な方法で可能ですが、祈るとしても、これ以上、その祈禱が超自然的効果をもたらすとは信じないのが「近代」ではないかと思います。近代、特に資本主義後期の都会人の宗教とは、結局「心の調節」の一方式として位置を占めるというのが、宗教学における定説のように思えます。ですが、韓国のプロテスタントは、先に言及した仏教などとさほど異ならず、依然として「祈禱」と「恩寵」の宗教のようです。すなわち、伝統社会や近代の都会の消費社会の発達以前の、近代初期的な「超自然的な力への依存、また物質的恩恵の授与期待」という集団心理をそのまま保有しているようです。このような祈福宗教としての韓国のプロテスタントの、さほど「近代発展的」でない姿について、その中では果たしてどのように認識しているのか、また学術的にどのように解明するべきか、ご意見をお伺いしたいと思います。

姜仁哲 私も、やはり朴露子先生と、意味深い対話の機会を持つことになり、とても光栄です。朴先生のおっしゃる通り、祈福主義の信仰がプロテスタント全般に広まっていて、それが近代社会と齟齬をきたして、様々な否定的結果を生んでいるのも事実です。ただ、この主題を本格的に扱う前に、これまでの数十年間、韓国プロテスタントの核心的な特徴として定着してきたこと、あえて名付けるならば、「2つのプロテスタント」現象と呼べることについて、あらかじめ言及しておくのが、不必要な誤解や議論を起こさないための一助になるだろうと思います。韓国社会のプロテスタントが、単一でも同質的でもないということは広く知られた事実です。同じキリスト教でありがらも、韓国に伝来してからずっと単一教団体制を維持してきたカトリックとは対照的な、プロテスタントだけの特徴でもあります。プロテスタントの教派主義は、布教初期から有名でしたが、1950年代以降も教派分裂を続けて体験し、より一層激しくなりました。文化体育観光部が把握しているところでは、2008年現在、プロテスタントとして分類される教団の数はなんと291か所に達しています。様々な類型化の方式が可能ですが、政治的・社会的指向を基準とみなす場合は、プロテスタントを2つのグループに分けるのが有用かと思います。換言すれば、これまで半世紀の間、政治・社会的に明確に区分される、プロテスタント内部の二つの流れ、ないし勢力が、葛藤的に共存してきたと見るということです。

 

保守優位への勢力関係逆転

 

姜仁哲 私の判断では、韓国で「2つのプロテスタント」現象が明確に現れ始めたのは1960年代後半からでした。それ以前は、プロテスタント内部で神学的・教理的な違い――主として自由主義的な進歩神学と原理主義的な保守神学の間の違い――がますます顕著になりましたが、政治・社会的な指向の面では特別な違いが見られませんでした。したがって、この時期には「神学的進歩性」が必ずしも「政治的進歩性」を意味してはいません。その反対も同じでした。むしろ現世的な救援と教会の社会的責任を強調する進歩神学(参与神学)の方が、親日・親独裁など、退行的な政治活動にさらに積極的に出る可能性が高かったのが事実です。参与神学の空虚さとでもいいましょうか、社会参加・政治参加を支持する参与神学は、一種の器のようなもので、その中には最も反動的な内容物から、最も急進的な内容物まで、すべて入れられるということです。
そうするうちに、1960年代に政治指向の分化と神学的・政治的指向の収斂という2つの変化が重なりながら、「保守プロテスタント」と「進歩プロテスタント」という二大勢力が姿を見せることになります。以降、保守と進歩陣営は、それぞれ自らの政治・社会的な立場を正当化する、洗練された神学的基盤さえ備えることによって、比較的一貫した態度を維持することになります。韓国キリスト教教会協議会(NCCK)を中心に結集した進歩プロテスタントが、反体制的な民主化運動・人権運動・民衆運動に出た反面、保守プロテスタントは、表面では聖俗二元論―政教分離論を前面に出しながらも、既存の体制に対して支持と順応の態度を示したのが、1960~80年代の支配的なパターンでした。興味深いのは、プロテスタントの70~80%を占めるほど、保守プロテスタントの量的優位が明白だったのですが、この時期に韓国プロテスタントを対外的に代表したのは、少数派である進歩プロテスタントだったということです。保守プロテスタントを構成する教団の分散性・分裂性・非組織性と対照的に、進歩プロテスタント勢力は固く結束していましたし、世界教会協議会(WCC)や外国系宣教会など、プロテスタント国際ネットワークも掌握していました。もちろん、当時、NCCK内部にも保守指向の人々がかなり多く存在しました。しかし、軍事政権との激烈な衝突で犠牲者が続出する状況において、彼らは自らの保守の声を自制しながら、進歩的少数派に「静かな同調」を示すような状況でした。このような要因が「抵抗的少数の主導性」を後押しし、それによって当時のプロテスタントの社会的イメージも進歩側により近い形で形成されました。
ですが、韓国社会が民主化の履行期に入った1980年代末から、保守と進歩のプロテスタント間の勢力関係が逆転し、それによって韓国プロテスタントの対外的代表性も、プロテスタントに対する社会的イメージも、すべて保守の側に明確に傾きました。1960~80年代と、保守と進歩のプロテスタントの間の量的な格差は一層広がりました。この期間の保守的な教団および教会は、進歩的な教団・教会に比べて、はるかに早い量的成長を謳歌しました。また、この時期に多くの教会が世界的な超大型教会に成長しました。たとえば1993年にアメリカの雑誌『クリスチャン・ワールド』が選定した「世界50大プロテスタント教会」のうち、半分近くの23か所が韓国の教会でした。同年に信者数70万人を超えて世界最大の教会としてギネスブックに載った汝矣島(ヨイド)純福音教会をはじめとして、世界最大の長老教会、世界最大の監理教会がすべて韓国にあります。ですが、この超大型教会のうち「進歩プロテスタント」指向はたったの1つもありません。
これまで30年間、韓国のプロテスタント界で起きた変化は、「保守ヘゲモニーの拡張」として圧縮的に表現できます。その要因として4つのことがあげられるでしょう。最初に、保守プロテスタントの組織力が前になく強くなりました。特に1989年に創立された韓国キリスト教総連合会(韓キ総)が、分裂した保守プロテスタントを強く統合する求心体として登場しました。2つ目に、NCCKの内部でも教会と国家の衝突の時期に沈黙した保守派が、「独自の声」ないし「自ら権利の獲得」に出ることによって、進歩的少数派の位置づけをより一層萎縮させました。3つ目に、NCCKが1996年に保守教団であるキリスト教大韓ハナニム義聖会――汝矣島純福音教会に代表される――を会員として迎え入れることで、NCCKの内部でも保守ヘゲモニーが確固不動の現実となりました。4つ目に、韓キ総はNCCKとのプロテスタント代表性競争でますます優位に立つことになり、このような状況を背景に、2000年代初めは成功しませんでしたが、NCCKを最初から吸収・統合しようと試みるほどになりました。NCCKがアメリカなど西洋の教会の支援減少で財政難に苦しむなかで、2000年代以降、保守プロテスタントが組織や財政など、ほとんどすべての側面で進歩プロテスタントを圧倒することになりました。
私たちが見逃してはならない1980年代末以降の他の変化は、保守プロテスタントが従来の聖俗二元論・政教分離論を捨てて、直接的な社会参加・政治参加の路線に旋回したという事実です。まさに韓キ総が、保守プロテスタントの社会参加を主導し、盧武鉉(ノムヒョン)政権がスタートした2003年初めからは、都心の広場で大規模集会やデモを行う「政治的行動主義」の段階へと進みました。実際に超大型教会2~3か所が力を結集すれば、数万人が参加する時局的な祈禱会の雄壮なスペクタクルを作り出すことも、さほど困難ではありません。これらが政治の舞台に頻繁に出現することになり、自然と保守プロテスタントが報道機関や大衆の集中的な関心を引くこととなりました。これを背景に「宗教権力」言説も登場しました。「愛国キリスト教」という保守マスコミの賛辞があふれる中で、保守プロテスタントは(延べ人数が多い、在郷軍人会、自由総連盟や他の政府系団体を除いて)「市民社会の最大の保守勢力」として華麗に登場しました。このような現実を勘案して、今回の対話でも「2つのプロテスタント」という現実に留意し、議論の焦点を保守プロテスタントの方に合わせたらいいだろうと思います。

 

祈福主義の拡散と韓国的資本主義への包摂

 

姜仁哲 このあたりで、本来の主題であるプロテスタントの祈福主義の信仰の問題に戻ってみます。祈福主義に対する学界の関心は、ほとんどその歴史的な祈願の問題に注がれています。これと関連して、外来宗教であるプロテスタントが、朝鮮の現世求福的な宗教文化と出会って、土着化ないし文化接触を経る過程で、独特の祈福主義信仰が形成され広がったというのが、最も広く知られた見解のようです。この場合、プロテスタントの祈福主義の信仰の開始は19世紀末まで遡及するわけです。ですが、私が見たところ、韓国の伝統的な宗教文化が果たして現世求福的なものかは疑わしく、同じキリスト教でありながらも、プロテスタントより100年も先に入ってきたカトリックでは、なぜ祈福主義の論議が少ないのかを説明することも困難です。ですから、祈福主義信仰の起源を、植民地期の外国人宣教師の聖俗二元論・政教分離主義に求める方が、それなりに少しはより説得力があるのではないかと思います。宣教師が聖俗二元論・政教分離を前面に出して、現実参加自体を罪悪視するので、来世指向的な神秘主義や現世指向的な祈福主義など、内向的で個人主義的な信仰形態に流れやすかったのではないかということです。
ですが、私が見るところ、プロテスタント祈福主義が本格的に拡がったのは、解放後、特に急速な産業化が進んだ1960年代からのようです。要するに、プロテスタントの祈福主義は、時代に遅れた「前近代的」な信仰形態ではなく、むしろ「韓国的近代」に成功裏に適応した信仰形態である可能性が高いということです。1960年代の韓国では、聖霊体験を通じた再生を強調しながらも、健康や財物のような現世的祝福を同時に強調する、新五旬節主義(neo-pentecostalism)信仰が早く広がります。世界最大のプロテスタント教会に成長した汝矣島純福音教会の趙鏞基(チョーヨンギ)牧師の「三拍子救援論」や「三重祝福論」が代表的な事例ですが、イエスを信じて救援される霊的祝福が、財物・物質の祝福、治癒・健康の祝福まで伴うという救援論です。富の追求が貪欲で非難されるどころか、神の祝福の証拠として肯定的に再解釈されるなかで、韓国プロテスタントは「富と健康の宗教」として再生したのです。1970年代以降、プロテスタントは富裕層の地域でとりわけ勢いを示しています。先に韓国のプロテスタント教会特有の「超大型化現象」について言及しましたが、大型化した教会は、ソウルの汝矣島(ヨイド)・江南(カンナム)・盆唐(ブンダン)新都市など、首都圏と全国大都市に広がっています。2000年代以降に発表された韓国上場会社協議会の年例報告書によると、「上場企業役員の典型」は、「ソウル・江南に住む50代の男性プロテスタント」であり、宗教を持つ上場会社役員の半数ほどがプロテスタント教会の信者でした。
祈福主義は、このように韓国的近代に適応した信仰形態のみならず、プロテスタントが「韓国的な資本主義秩序」として、一方では適応し、他方は捕獲されたことを立証する指標です。資本主義秩序における適応と捕獲というこの側面は、私たちが個人――祈福主義的な個々の信者――よりは、集団や組織、すなわち教会に注目する時、はるかに鮮明に見られます。上層階級の構成員が教会組織の上層部を占める形で、資本主義的な階級秩序が教会の中にそっくり移植・再現されています。また、祈福主義という肥沃な土壌の上で、市場論理が宗教の領域に深く浸透しながら、宗教の商品化および産業化の傾向が広がっています。教会がますます企業組織と似てくる「教会の企業化」の様相も、また様々な姿で見られます。ある人たちは、教会を株式会社(霊魂株式会社)と遠回しに言いますが、多くの大型教会はむしろ財閥体制に似通っていくようです。一部の超大型教会の実質資産価値が数兆ウォンに達したり、「愛の教会」が礼拝堂の建築だけで2千億ウォン以上も注ぎ込んだ事例に確認されるように、超大型教会の資産と資金動員力は莫大なものです。多くの超大型教会が、宗教領域の内部では、あちこちに支教会(支聖殿)を立てて「垂直的系列化」を達成し、宗教領域の外部では、新聞・放送社、大学・学校法人、民営刑務所、社会福祉機関、病院、納骨霊園などを設立・買収して、「水平的系列化」を達成することによって、財閥のようにタコ足的に拡張を続けています。教会信者の共同資産であり公的資産である教会を私有化して、家族に世襲し、引退後も元老牧師として残って権力を行使するのも財閥と似ています。会社の資金を思いのままに使う財閥の会長のように、担任牧師が何の干渉もなく教会の資金を使うのも同じです。
多くの教会が、乳児教育機関、教育館、駐車場、教会墓地・納骨堂、修養館などを完備した「規模の経済」を追求することによって、宗教市場における競争力強化を企てていますが、この競争の敗北者は(他宗教の教会でない)近隣地域の群小プロテスタント教会になります。プロテスタント教会が停滞ないし退歩を始めた1990年代以降も、小型教会の信者が大型教会に「水平移動」するに伴い、大型教会がより一層肥大化して、ますます裕福となり、貧しい教会はますます貧しくなる、教会の格差拡大が深刻化しています。結果的に、周辺のプロテスタント教会が、協力対象でなく競争相手と見なされるわけですが、プロテスタントの内部ですら市場競争の論理が貫徹されたのです。この他にも「教会ビジネス」に過ぎない教会売買が盛んに行われ、前任者に餞別という名目で巨額の金品を提供して、担任牧師の地位を事実上買収する行為も広がっています。韓国プロテスタント特有の深刻な教団分裂のために、多くの教団が財政的に貧しくなり、若い聖職者が教会を新設しようとしても、教団から何らの財政的支援も与えられません。このような状況で、ひたすら自分の力だけで、すべて自己責任の下で、耐えがたい巨額を投じて教会を開拓した若い牧師は、切迫した生存圧力のためにも、自然とビジネスマインドや投資・収益の観点に染まりやすいのです。幸いにも教会の量的成長に成功する場合、この教会の牧師は、結局、教会を自らの私有物のように考える可能性が高いでしょう。

 

排他性の根源、「霊的戦争」論

 

朴露子 政治的次元で「モダニティ」とは、おそらく今日の意味では、たとえば自由主義、手順を踏んだ民主主義、国際平和や多様性尊重、および他者理解にあたるのではないかと思います。資本主義後期である今日において、伝統的なキリスト教地域の中心である立場から見るならば、やはり「十字軍」のようなイスラム観よりも、キリスト教とイスラム教の共存を模索する方が、より近代的であるでしょうし、総動員式の権威主義秩序よりも、各自の権利を保障できる自由民主主義的な秩序の方が近代的でしょう。ですが、韓国のプロテスタントの場合、数多くの保守教会の立場はこれと正反対です。韓国の主たる「他者」である北朝鮮に対しては、「理解しようとする」立場というよりは、攻撃的な布教などで、北朝鮮の主体(チュチェ)思想をキリスト教に変えようという攻勢的な立場で、手順を踏んだ民主主義や自由主義を軽視してきた朴槿恵(パククネ)政権を支持しながら、朴正熙(パクチョンヒ)政権の総動員型の権威主義に対してはまったく批判しません。やはりプロテスタント集団の内部におけるこの部分に対する意識や、これをどのように分析できるか伺ってみたいです。

姜仁哲 ご指摘に深く共感します。概して韓国の保守プロテスタントは、グローバル時代の規範である、寛容と共存の多元主義的な倫理とは距離が遠いです。彼らは絶えず、他者を、ひいては「他者の他者」を作り出し、否定的な烙印を押し、呪いを振り撒いて攻撃的態度を示します。いったいどうしてこうなるのでしょうか。私は保守プロテスタント教会の信者の間に広く広がった「霊的戦争論」(spiritual warfare)がこれと深い関係があると思います。霊的戦争論は、善悪二元論に基づいた、私たち/彼らの対立の両極端の世界観、戦争という状況の定義、そしてこの世における霊的戦闘は、究極的な善/悪、および真/偽の巨大な力が衝突する、「宇宙的戦争」の一部であるという認識などで構成されます。霊的戦争論から見る時、韓国プロテスタントが韓国内外で戦うべき主敵は、断然、共産主義とイスラム教の2つです。韓国国内ではときおり仏教や同性愛も、プロテスタントのライバルないし敵の位置に置かれるようです。左翼、ムスリム、仏教徒、同性愛者はすべて「悪の霊」の支配下にあると見なされます。ですが、サタン・邪鬼のような邪悪な霊の操縦を受けたり、その手先の役割をしている人たちとは、対話や妥協・共存の努力自体がまったく無駄で危険とされるので、このような論を内面化した信者のアイデンティティは、「霊的戦死」や「潜在的殉教者」にならざるを得ません。
特にムスリムに対する好戦的な態度は、保守プロテスタントが主導する海外布教と関連が深く、そのような面で比較的最近見られる現象です。韓国プロテスタントの海外布教は1980年代末から急激に活性化し、2000年代初からは、韓国プロテスタントがアメリカに続いて「世界第2位の布教大国」になったという報道がありました。2009年末には、いよいよ「海外宣教師2万人時代」が幕を開けることになりました。急膨張期に入った1990年代以降、プロテスタントの海外布教の特徴の1つとして、いわゆる「未伝道種族」を対象にした「前方開拓布教」の戦略が急速に広がった点をあげることができます。一言でいえば、クリスチャン人口比率の低い地域で、布教の人材と資源を集中的に投じるということですが、結局、それはイスラム教・仏教・ヒンズー教地域、また現在と直前の社会主義地域にならざるを得ません。しかし、多くのイスラムおよび社会主義国家は、外国人の自国人対象の布教活動自体を不法化して処罰し、海外布教に伴うリスクと緊張がきわめて大きくなります。宣教師はあたかも秘密工作員のように、企業家・社会事業家・教育者などとして身分を偽装せざるを得ず、逮捕・投獄・追放される宣教師が続出しました。イラクやアフガニスタンでは人質として捕まって処刑される宣教師まで出ました。海外布教の現場で霊的戦争論に符合する戦闘的な状況が、ほとんど日常化されているのです。そして、まさにこの点が、ほぼ同じ時期に海外布教・布教を活性化しながらも、その候補地域の中でイスラム・社会主義社会の比重が低く、現地韓国人対象の宗教活動と、土着現地人のための非宗教的奉仕活動に力を注いだ、カトリック・仏教・円仏教・甑山道(チュンサンド)とプロテスタントの決定的な違いでした。
緊迫した現地状況を伝達したり、霊的戦士の武勇談も紹介する、宣教師の手紙や映像資料、帰国報告会、告白集会などが、布教献金を提供する信者と布教現場の間で媒介体の役割を担います。毎年数千名の信者が休暇を利用して、直接、短期宣教旅行に行ってきます。ですが、たとえば帰国した短期布教団員が日曜礼拝の時間に出てきて、自分たちがカイロやチェンマイの由緒深い寺院を取り囲み、「崩壊しろ」と祈禱をともに捧げた後、声を高めて「十字架軍兵」のような賛美歌を歌うと自慢げに報告すれば、信者は果たしてどのような反応を示すでしょうか。たびたび伝えられる宣教師の逮捕や暴行、礼拝所の放火などのニュースは――攻撃的で征服主義的な布教による不必要な衝突でなく――残忍で野蛮な現地の宗教指導者によって一方的に犠牲になるという、「迫害・殉教論」を通じて解釈されます。現地衝突の犠牲者は「殉教者」として崇められ、周期的な記念事業の対象になります。このような雰囲気を背景として、2008年頃からは韓国国内でも、反イスラム宣伝、イスラム嫌悪(Islamophobia)の煽動が保守プロテスタント界で本格化しました。国際結婚の戦略や移住戦略など多様な陰謀説バージョンがありますが、ほとんど「オイルマネーを前面に出したイスラムの韓国征服の陰謀」がその核心です。李明博(イミョンバク)政権時のイスラム債権(スクク)導入に対する反対運動でも、最近のハラル食品団地建設に対する反対運動も、同様の陰謀説に基づいています。韓国国内に居住するムスリムの大部分が、貧しい国から来た外国人労働者であるという点で、彼らに対する攻撃は人種差別や外国人嫌悪の性格すら帯びています。
霊的戦争論は、多元主義的な価値観と衝突するだけでなく、民主主義的な価値ともあまり符号しません。敵との激しい戦争で勝利するためには、司令官を中心に一致団結するのが重要なので、霊的戦争論はむしろ全体主義的思考と親和的です。教会組織に対する忠誠心と全員一致は美徳であり、民主的牽制と討論文化は、貴重な時間と資源を浪費するだけの悪徳に置き換えられやすいのです。民主的な教会運営を主張する内部批判者は、霊的戦闘をおそれる臆病者か、顔色をうかがう利己的な日和見主義者にされることもあります。伝来以来、ながらく「民主主義の訓練場」として賞賛された韓国のプロテスタント教会において、なぜ内部の民主主義が後退しているのか、ひいては韓国社会の民主化が進展した1990年代以降に、なぜ「プロテスタント民主主義の弔鐘」に過ぎない教会の世襲が急速に広がるのかを理解するためにも、霊的戦争論は重要だと思います。教会の世襲は「教会の私有化と聖職者の独裁の奇妙な結合」という点で、教会内部の民主主義の完全な破綻を意味します。歴史は比較的短いですが、特定の牧師が設立、あるいは赴任後数十年間、長期にわたって在任しながら、権威主義的支配体制を構築した「自手成家型」の大型教会において、教会の私有化および世襲が最も頻繁に起こります。説得や懐柔がよく通じない時、宗教的な独裁者は、自ら霊的戦争の司令官の位置に立って、世襲に対する反対者を敵やサタンの勢力として攻撃し、恐怖の世論を醸成して信者の集団的な排除を誘導したりします。教会世襲の重要な効果の1つは、元老牧師の「終身支配」を保障するということですが、(大型教会で、世襲でない正常なリーダーシップの交替が、たびたび元老牧師と担任牧師の葛藤につながる反面)世襲の場合には、元老牧師・担任牧師の葛藤がほとんどありません。信者はそのように静かに世襲体制に飼い慣らされて行きます。

 

反共・反北朝鮮主義と十字軍式海外布教の弊害

 

朴露子 今のような時代に、反共や反北朝鮮の話を聞くのは何より驚きです。反共は共産主義反対を意味しますが、北朝鮮が過去に果たして共産主義を実践したのか、あるいはただの左派的な開発主義政権だったかという問いはさておき、今日、共産主義が何を意味するのか、私としてはひたすら不明です。今の北朝鮮は、一部の経済単位に労働者解雇権から対外貿易自立権まで付与している混合型経済の国家です。共産主義と無関係なことはもちろんですが、過去の現実社会主義よりも、むしろ1990年代中盤の中国の方に近いでしょう。だとすれば、反北朝鮮の根拠はどうあるべきでしょうか。北朝鮮の世襲独裁が反北朝鮮の根拠ならば、先におっしゃった大型教会の世襲牧師のことを、果たしてどのように見るべきか、また独裁嫌悪が核心ならば、ともに権威主義的な「北の金正恩、南の朴槿恵」から、等しく距離をおくのが論理的ではないでしょうか。

姜仁哲 まったくその通りです。攻撃する相手自体がほとんど消失しているという点で、世界史的に見ても明らかに死滅しつつある反共主義を、なぜ韓国のプロテスタントは生き延びさせようと苛立っているのでしょうか。結論から申し上げるならば、プロテスタントが長い歳月をかけて、膨大な「反共インフラ」、換言すれば、反共主義の活力や生命力を維持させる、反共主義の再生産の仕組みを自主的に構築し、きちんと運用してきたからだと思います。プロテスタントにおける反共主義の教理化の過程は、植民地時代にすでにある程度完結していました。プロテスタントの猛烈な反共闘争のために、朝鮮戦争を経て、十字架は反共の卓越した象徴として位置づけられましたし、同じ時期に、韓国のプロテスタントの圧倒的多数の勢力である長老教では、反共闘争の主役である、北朝鮮出身で南にやってきた人々が教権を掌握しました。ここでプロテスタントの反共インフラをいちいち数え上げることはしませんが、各種の戦争記念儀礼や関連教会暦、西部聯会や平壌老会、黄海老会をはじめとする、いわゆる「亡命」聯会・老会など、プロテスタントだけに見られる独特の反共インフラが1950年代から登場しました。1980年代には殉教者記念事業が本格化し、殉教聖地の開発や聖域化、聖地巡礼などが活発になりますが、問題は、プロテスタントの殉教者や殉教聖地のほとんどすべてが、「反共殉教者」や「反共殉教聖地」だったということです。1970~80年代に民主化運動を導いたプロテスタント指導者も、やはり反共主義者でしたが、「反共主義の政治的な不正乱用」の問題を粘り強く提起するなど、自ら反共主義に対して批判的な省察をしてきたのに比べ、保守のプロテスタント指導者は、反共主義や反共闘争を聖化し、そこに宗教的性格を吹き込むことに没頭してきたわけです。1988年2月、NCCKが、「反共イデオロギーを宗教的な信念のように偶像化し、北朝鮮の共産政権を敵対視したあげく、北朝鮮の同胞や、私たちと理念を異にする同胞を呪い、罪を犯したことを告白」した「民族の統一と平和に対する韓国キリスト教会宣言」を発表すると、これに対して反発した保守プロテスタント界が総結集して「韓キ総」を結成したのは、そのような点でとても意味深長です。
1990年代には、プロテスタント反共主義に「生命水」を無制限に供給する新たな源泉が生じました。まさに先に述べた海外布教です。社会主義圏の崩壊や冷戦体制の解体、韓・中国交正常化や南北交流の拡大を背景に、韓国人プロテスタント宣教師がソ連や東ヨーロッパなど、旧社会主義諸国や中国に怒涛のように集結しました。やがて中国は最も多くの韓国人宣教師の密集する地域となり、彼らのうち相当数は、北朝鮮・中国境界地帯で直・間接的な北朝鮮布教や北脱出者の支援活動に従事しています。ですが、中国や北朝鮮当局の厳格な外国人布教禁止政策のために、中国布教と北朝鮮布教はともに現行法上、非合法で、したがって宣教師は身分を隠したまま、最大限、隠密に活動せざるを得ません。その結果、私たちは、このような危険千万な活動を行った宣教師の逮捕、投獄、失踪、強制追放が絶えず続く様子を目撃しています。ですが、保守的なプロテスタント教会の信者の視線から見れば、これは北朝鮮や中国を舞台に広がる、崇高で英雄的な迫害・殉教のドラマの生々しい場面、反共主義に新たな現実性と緊張感、活気を吹き込む出来事になり得ます。反共主義と共産圏布教が結合することによって、北朝鮮・中国布教がプロテスタント的な反共闘争の新たな方法であり領域として浮上しているのです。
さらに考えるべき大きな課題は、韓国社会の既得権層の反共・反北朝鮮の言説がたびたびそうであるように、プロテスタント反共主義も他の利害関係や動機――既得権の体制維持のための手段、政治的な反対勢力を制圧・排除する手段、恥ずかしい過去の行動に対する自己合理化の手段など――を隠すための便利な名分に過ぎないということです。ならば、私たちは、1945年の解放直後の親米・反共主義が、親日派の生存および権力争奪の手段として活用されたという事実を、反民特委(反民族行為特別調査委員会)に召還された親日宗教家のなかで、プロテスタント教会の信者の比重が著しく高かったという事実とも一緒に考えるべきです。そして、プロテスタントの猛烈な反共主義は、プロテスタントが韓国社会の既得権構造の一部として強固に編入されたことを立証することでもあると思います。

 

普遍的価値および人権言説との衝突

 

朴露子 ですが、「保守性」とは、必ずしも政治的立場だけをいうわけではありません。政治的な反北朝鮮とともに、韓国教会の保守性を象徴するのが社会文化的な保守性です。事実「保守」と見るより「守旧」という用語の方が適当かもしれません。朝鮮朝時代に「家を代々継ぐこと」を連想させる、牧師の世襲について先に述べましたが、もう1つは同性愛に対する盲目的な反対です。同性愛に対する宗教的排斥は、性を「代を継ぐこと」の手段として認識した伝統社会や、男性性を軍事的に画一化した1960~70年代以前の産業社会でも自然なことでした。ですが、今日の社会では、「繁殖」と「生存」が直結するわけでもなく、男性を画一的に「戦死」ないし「産業の働き手」と考えたり、同性愛者をこのような規準に不合格の失格者として見るわけでもまったくないわけです。韓国プロテスタントの同性愛嫌悪は、特に、すでに性の多様性の尊重に慣れた若い世代として、たった1つの「退行」程度に見えるに過ぎません。教会の中では、果たしてこの部分をどう考えているのかも気になりますが、「いったいなぜ?」という問いも投げかけてみたいです。いったい彼らは、なぜ、聖書に登場する同性愛タブーについて、デジタル時代の現代にもこれほど執着するのでしょうか?

姜仁哲 私は神学者ではないので、この問題に満足に回答することは困難です。ただ、先に提起した論点の延長線の上で、若干、他の解釈を試みられないかと思います。私が見るところ、戦争や同性愛こそ、逐字霊感説、あるいは聖書無誤説に代表される、プロテスタント原理主義信仰の影響が最もよく見られる争点のようです。聖書を文字通り受け入れるならば、おそらく旧約のエホヴァ(ヤハヴェ)は「戦争する神」となり、同性愛者は「不義の審判」を避けられないでしょう。一方では、戦争と同性愛に対する原理主義的な解釈が互いに整理されるように見えたりもします。いわば、保守プロテスタント側は、先に言った霊的戦争論を通じて、同性愛の問題を理解する傾向が強いということです。
私が見るところ、霊的戦争論の有無こそは、同性愛問題に対するキリスト教的な接近として決定的な違いをもたらす要因です。たとえばカトリックの場合、保守プロテスタントと同様に同性愛を教理的に断罪しますが、それでもこの問題に霊的戦争論として接近することはしません。それゆえに若干ではありますが、人間的な憐憫の間隙が生じ、そのような限りでは、現実の差別・冷遇・抑圧による、同性愛者および家族・知人の痛みを包み込み、改善しようと努力する余地が存在します。ですが、同性愛の問題を霊的戦争論として接近するとなると、話がまったく変わります。この論は、私たちの/彼らの敵対的な二分法に基づいて、他者(彼ら)を「非人間化」する傾向があります。また、このような考え方が強く内面化された人ほど、人権の感受性や生命の感受性は鈍化し、攻撃性と好戦性が増幅される傾向があります。ここには、同性愛者に対する社会的抑圧・差別を正当化するだけでなく、彼らに対する暴力的な対応を許容したり、直・間接的に誘導することによって、憎悪の犯罪につながる可能性もまた存在します。結局、保守プロテスタントが同性愛問題に接近する方式は、「霊的戦争論に基づく他者(同性愛者)の非人間化」として圧縮的に表現できます。この時、同性愛者は悪の霊(悪霊)に捕われた人々や、世の中を堕落させ支配しようとするサタンの道具なので、強制的にでも除去されるべき存在に置き換えられやすいのです。万一、ある同性愛者がプロテスタント教会の信者ならば、その人がこのような「非人間」の烙印から自由になる唯一の道は、「正常でない人間」という新しい烙印を受け入れることくらいでしょう。
同性愛は、プロテスタントの社会的保守性を示す、数多くの事例の1つに過ぎないと思います。保守プロテスタントは、憲法をはじめとして、韓国社会の公共領域を支配する、自由・平等・博愛・寛容などの普遍主義的価値や自由主義的な人権言説としばしば衝突してきましたし、それによって社会的な非難に直面することも数多くありました。宗立学校における強制的な宗教教育、「赤い悪魔」応援団の名称に対する是非、檀君像の撤去運動、週5日勤務制反対、開放型の理事を導入するための、私立学校法および社会福祉事業法改正反対、過度な親米形態、聖職者の所得税納付拒否、特権的なキリスト教財産管理法制定の時にも、特定書籍・映画・歌手の販売・上映・公演の禁止を推進、放送社の大型教会聖職者の不正告発番組に対する猛烈な反発などがまず思い浮かびます。保守プロテスタントの国家保安法の改正反対、朝鮮半島大運河と4大河川事業に対する支持、アメリカ産牛肉輸入交渉支持、戦時作戦統制権の返還反対なども、少なからぬ批判に直面したことがあります。これに比べて、保守プロテスタントが世論の相当な支持を受け、公的影響力を発揮できるいくつかの数少ない状況がありますが、それがまさに韓国国内のムスリム、良心的兵役拒否者、同性愛者など3グループの社会的弱者を攻撃することです。これを勘案するならば、同性愛者に対する保守プロテスタントの攻勢は、今後も持続する公算が大きいと見るべきでしょう。

 

強大な影響力と不充分な公信力の結合

 

朴露子 ひとまず、それらの質問を総合的に考えてみましょう。過去に「モダニティの旗手」と思われた韓国プロテスタントが、今日では「時代に遅れた祈福、北朝鮮・同性愛嫌悪、世襲と不正」の宗教というイメージを与えています。資本主義後期において私たちの前にはだかる各種の社会・政治・環境問題の解決の一助となるというよりは、それ自体が大きな社会問題として評価されています。なぜそうなったでしょうか。「モダニティ」に対する社会の観念が進歩しても、韓国プロテスタントの「近代」理解の水準が、軍事主義、画一主義、内部権威主義、超自然的な呪術力に依存した祈福の水準に、依然としてとどまっているということでしょうか。あるいは権威主義政権下で、1960~80年代の反共主義イデオロギーやと現世求福を中心に成長してきたプロテスタントが、依然として経路依存的な次元で、そのモデルを克服できずにいるということでしょうか。姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 ご指摘の通り、韓国でモダニティの旗手として公認されたプロテスタントが、最近では残念なことに、「前近代的近代」を象徴する問題のように映っています。振り返って考えれば、西欧社会と比較する時、韓国ではモダニティと宗教の関係がかなり異なる形で展開してきました。特にヨーロッパでは、近代化と世俗化が同時に進行しましたが、韓国では、近代化が宗教の衰退を意味する世俗化と並行することはありませんでした。衛正斥邪を標榜した一部の儒教守旧派を除けば、仏教や天道教をはじめとする、韓国の主たる宗教の大部分が、モダニティとの肯定的な関係を結ぶことを追求しました。もちろんプロテスタントがその先頭にいました。このような状況において、韓国社会が近代化されるほど、宗教人口は増えましたし、それによって主な宗教には、より多くの力や資源が蓄積されていきました。特にプロテスタントは、世界が注目するほどの輝かしいサクセスストーリーを韓国の地で演じました。プロテスタントは、1950年代初めには、仏教を追いかける韓国第2の宗教になり、1980年代には、仏教と同じほどの勢力を誇示するようになりました。プロテスタント側では信者数が1千万人を超えたと主張しますが、信頼度の高い人口センサスの統計にも、プロテスタント教会の信者が1995年にすでに876万人に達していることが確認できます。いずれにせよ、明らかな事実は、20世紀後半の圧縮的近代化の過程で、プロテスタントの社会的影響力がとても大きくなったということです。
ここで、宗教の「社会的影響力」と「社会的公信力」の相関関係について、しばらく考えてみます。私たちは社会的影響力を「特定の宗教が、他の社会部門に変化をもたらし、その変化を阻止できる能力」として、社会的公信力を「特定の宗教に対する肯定的な社会的認識と評価」として簡単に定義できるでしょう。先に申し上げたように、1960年代後半から「2つのプロテスタント」の現象が明確に見られましたし、この時から1980年代までは、進歩プロテスタントが韓国プロテスタントを代表し、プロテスタントに対する改革的・進歩的イメージを主導的に形成してきました。この時期に、少数派である進歩プロテスタントは、社会的影響力は少ない方でしたが、公信力は非常に高かったです。そうするうちに、1980年代末からプロテスタント内で「保守ヘゲモニーの拡張」傾向が貫徹され、それに歩調をそろえて、プロテスタントの代表性や社会的イメージも保守の方にいち早く傾きました。すでに多くの普通の人は、「韓国プロテスタント」といえば、自然と「保守プロテスタント」を連想します。ですが、今日の保守プロテスタントの典型的なイメージは、「社会的影響力は強いが、公信力は非常に低い宗教」であるのが現実です。まさにこのことが禍根になっています。特定の宗教が、影響力に応じた公信力の水準を維持する場合、その宗教は、社会発展に寄与する要素と認定され、社会全般から歓迎されるでしょう。特定の宗教の公信力が低くても、影響力もともに下落する場合、あるいは公信力と影響力がともに低い水準にとどまる場合、その宗教の否定的側面が社会全般に加える衝撃は弱いので、大衆の関心も惹きつけられないでしょう。しかし、特定の宗教の影響力が増加しても公信力は減少するという場合、強い影響力のために、その宗教の否定的な側面が社会全般にあまねく悪影響を及ぼさざるを得ず、その宗教が大衆によって「問題集団」という烙印を押される可能性が高くなります。保守プロテスタントが主導する韓国プロテスタントが、最近、まさにこのような状況に置かれているのです。これからどうなるでしょうか。韓国プロテスタントは、市民社会の表通りや裏路地に、堅固な陣地を築いて退行的な価値を生産して伝播する、そうすることで保守既得権の構造の永続化に寄与する、強固な保守の草の根組織としての役割をはたしていくことになるのでしょうか。結局、「選択」と「勢力」の問題でしょう。1990年代に、保守プロテスタントですら社会参加路線に切り替えて、2000年代には政治的な行動主義に進むことによって、「2つのプロテスタント」がともに政治参加に打って出ました。再び申し上げれば、参与神学や政治神学は、いかなる内容物でも入れられる器に過ぎません。プロテスタントは、今後、いかなる政治参加を選択することになるでしょうか。普遍的な価値を追求する「共同善の政治」を選択するでしょうか、あるいは、狭く定義された教会の制度的利益を目標にする「派閥政治」を選択するでしょうか。21世紀の韓国プロテスタントを主導する勢力は、「保守プロテスタント」でしょうか、「進歩プロテスタント」でしょうか、あるいは、中道的立場の「改革プロテスタント」でしょうか。宗教、特に半分以上の韓国人と宗教人口のほとんどすべてを占める3大宗教――仏教、プロテスタント、カトリックは、市民社会で最も古く最も大きく最もよく組織され訓練された部門です。のみならず、宗教は多くの社会において、民主主義を育て支える中間集団ないし小グループとして、社会的弱者の頼りの対象として、保護者として、信頼・互恵性・連帯性のような社会資本の主要な源泉として機能してきました。楽観は難しく、プロテスタントに許された時間も、わずかのように思われますが、だからといって、韓国プロテスタントが、このような機能を回復するだろうという希望を、最初から捨ててしまうには少し早いというのが私の考えです。
朴先生、私たちの対談は、これまでプロテスタントの方に焦点を合わせてきましたが、プロテスタントのライバルであり、韓国最大の宗教である仏教については、どのように評価できるでしょうか。植民地期の寺刹令から、仏教財産管理法、伝統寺刹保存法などを経て、政治的な従属性と順応性を大きくした仏教の保守性も、きわめて根深いように思われます。最近では、東国大の総長・理事長をめぐる葛藤、手配中だった民主労総委員長の曹渓寺(チョゲサ)逃避に関連した微妙な緊張状況が、大衆の関心を引いたりもしました。特に2015年11月16日の夕方に、国庫補助金が大部分を占める数千億ウォン規模の「総本山聖域化」仏事のために、曹渓宗の総務院が、ソウル市内のあるコンベンションセンターを借りて盛大な募金行事を開催しましたが、それからわずか3、4時間後に、ハン・サンギュン委員長が予告なく身辺保護を依頼して曹渓寺に潜入し、曹渓宗側を困惑させました。1か月近く続いた仏教・国家、仏教・市民社会の間の、拮抗したせめぎ合いの始まりでした。そのとき私は、韓国仏教の現住所をこれほどよく示す場面があるだろうかと思いました。とにかく、私たちの討論の主題を、韓国仏教に適用するならば、どのような話が可能か気になります。

 

宗教が再び「希望の工場」になるためには

 

朴露子 姜先生のお話しを聞いて、多くのことが理解できました。おっしゃられた内容を私なりに消化するならば、高度成長期とその後に、韓国プロテスタントは韓国資本主義と相互に作用しながら、一面で資本主義に独自の資本蓄積の正当化のイデオロギー(「富者は神の祝福を受けている」)を提供し、また一面では、特に制度的に資本主義の多大な影響を受けたようです。おっしゃられた教会売買や相続などは、他の見方をすれば、企業の一般的な形態を彷彿とさせますし、霊的戦争論は、資本主義社会の日常である競争という土台から出発するとも考えられます。
仏教が果たして基本的にどれほど違うだろうかと思います。主流仏教では、業説や功徳論が、公開的に資本主義的の不平等を合理化するイデオロギーとして利用されています。ですから「前世において、仏・法・僧の三宝に帰依し、布施を多く行った功徳で、業障が消滅して、現世で富者になった」といって、経済的な成功を「霊的生活」とつなげて考えます。特に、財産の多い巨刹は、大型教会のように「経営」の対象になります。曹渓宗の宗立大学である東国大では、「寺刹経営専門指導者」課程が開設されていて、関連の教材も出版されています。
企業に従えば、企業家の日常も自ずと熟してきますが、これは仏教の戒律と相反する場合が多いです。マスコミでときおり高級僧侶の酒宴、賭博場、不法土地売却、ひいては蓄妻(戒律違反の男女同居関係)など、性関連の疑惑が報道されますが、企業界と大きく異ならない形態でしょう。もちろん、一般のマスコミではときおり報道されますが、曹渓宗など、仏教界の影響下にある宗教界のマスコミは、はるかにこれらを自制しています。下手をすると「怪我をする」こともあるからです。企業も「反企業の情緒をあおるマスコミ」に広告面の圧迫を加えますが、曹渓宗のような場合には、もう一歩踏み出して、高級僧侶の行動に批判的だった『仏教ドットコム』『仏教フォーカス』など、一部の宗教界批判のメディアを「解宗的なマスコミ」と規定し、そこに寺刹の広告掲載などを全面的に禁止したようです。
おっしゃったように、国家補助金などの様々な懸案が、国家との協力に関わっているので、仏教界は政権との正面衝突を回避します。ハン・サンギュン委員長に自主出頭を勧めてきた仏教界の一部の行動は、概してこの部分と関連づけて解釈できます。ですが、もう一方で、仏教界は、社会的な問題点として転落した、保守キリスト教との差別化戦略の次元で、労働問題に労働親和的な立場で介入する試みも行っており、また、統一問題に相当な積極性も示しています。他の見方をすれば、「進歩性のある宗教」として評判があり、この20数年間、急成長してきたカトリックを「ベンチマーキング」するような雰囲気です。そして、少なくとも表面的には、ハン・サンギュン委員長に公権力からの「保護」を提供する立場を表明してきたのです。ですが、社会で非難されてきた保守キリスト教と、明確に「異なる」歩調を表面的に取っているからといって、現在の仏教が果たして進歩的宗教として発展できるでしょうか。仏教集団の中では、民衆仏教期の問題意識を一部堅持しており、ひいては特に環境問題に鋭利な関心を示してきた、一部の進歩勢力も実存します。ですが、多くの寺刹が、主に祈福儀礼に依存して経済的に維持され、教団の権力者が主としてこのような「寺刹経営者」の利害を優先的に考慮せざるを得ない状況において、このような少数の影響力は不可避的にかなり制限されています。
結局、キリスト教も仏教も、実際に資本化の過程を経て、同時に資本主義の弊害である搾取や疎外、経済的不安、不平等、競争などに疲弊した人々に、「ヒーリング」ないし逃避など、個人的「解決」の可能性に対する幻想を提供することになります。人生に疲れた個人が、教会に立ち寄って祈ったり、寺刹で祈禱ないし瞑想をすれば、また「元気を取り戻し」、また同様の壮絶な生存闘争の場に戻るのが、韓国における庶民信徒・教徒の日常ではないかと思います。もちろん「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」の世の中で、祈禱に対する信頼は、もしかしたら脆弱な個人に与えられた、精神健康の最後の砦でもあるでしょう〔「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」は2010年頃に登場した韓国のインターネット新造語。「hell」(地獄)と「朝鮮」の合成語で、韓国が地獄に近く、まったく希望がない社会」という意味で流通している――訳者〕。ですが、万に一つ、仏ないし観世音菩薩が、大学入試の祈禱を捧げるすべての母親の願いを聞いてやるなら、ソウル大の入学定員はおそらく数十万人にならなければならないでしょう。違う表現をすれば、額が擦り減るほどに祈っても、「地獄朝鮮」の構造は少しも変わりません。ならば、信徒層の大部分を占める、サラリーマンないし庶民の苦痛が、より一層激しくなる状況になれば、韓国の宗教が、今日、世界のカトリックのように、本格的な「資本主義批判」に出る可能性はないでしょうか。今でも低成長ですが、あるいは成長はまったく終わり、韓国経済が一層本格的な危機、ないし恐慌の状況に陥る場合のことです。誌面の事情でそろそろまとめなければなりませんが、「民衆」宗教への部分的な回帰なども一部で可能か、姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 資本主義体制を批判して変革しようとする民衆宗教の可能性は、本当に展望も実現も困難な問題です。人類の長年の伴侶として存続する間、宗教が進歩と保守を行き来する「多機能的な」制度であることを誇示してきたのは明らかな事実です。しかし「長い保守、短い進歩」とでもいいましょうか、韓国を含むほとんどの社会で、宗教の社会的機能を見る時、保守の時間は非常に長かった反面、進歩の時間は短かったといえます。朴先生のおっしゃる通り、信者の社会的構成と態度が同質的になるほど、換言すれば、既存の政治経済秩序と葛藤する潜在力を持つ争点について、信者がより一層、同様の態度を取ることになるほど、民衆宗教への転換は容易になるでしょう。また、支配勢力の宗教思想と明確に異なるばかりか、それと対立する自律的な宗教思想も必ずや必要でしょうが、プロテスタントの民衆神学、仏教の民衆仏教や参与仏教の思想、カトリックの第2次バチカン公議会神学や解放神学などがいい例でしょう。合わせて、このような代案的な宗教思想を発展させて、信者に伝播・教育する「有機的な知識人」の役割を担当する人々も必要でしょう。代案的な宗教思想が、公式の「社会教理」の形に制度化され、それを実践するための専門化された公式機構――私はこれを「宗教内の社会運動部門」といいますが――が存在する場合、民衆宗教の可能性はそれだけ大きくなるでしょう。この方面の後発走者である仏教側でも、最近、社会労働委員会や和諍(ファジェン)委員会のような公式機構が、次から次へ登場しているところです〔「和諍」は新羅の僧侶・元暁(617-686)の中心思想で、色々な対立的な理論を調和させる仏教思想。「和諍委員会」は、この用語をとって、2010年に大韓仏教曹渓宗に設立された組織――訳者〕。ひいては宗教組織が、国家権力や支配勢力の影響から、組織的にも政治的にも自由になるべき民衆宗教への転換が容易になるでしょう。いくつかの宗教でますます激しくなる「国庫補助金中毒症」は、かなり憂慮のおそれがありますが、「特典と従属性の交換」に特徴づけられる国教制度は韓国に存在せず、仏教・儒教に対する国家の法律的統制も、最近かなり緩んでいます。このような点を考えれば、韓国の宗教状況が、民衆宗教への転換に必ずしも不利なことばかりではないと思います。
新規信者の補充減少や、既存信者の離脱増加など、明確な危機の兆候が漸増する中で、宗教指導者たちが、何か画期的な革新が必要だという危機意識を共有するとき、進歩への転換の可能性は一層大きくなるでしょう。2005年度の統計庁の人口センサスで、プロテスタント人口が減少し、仏教人口が停滞しているという結果が出ると、すぐにプロテスタント全体がざわめき始め、仏教界もやはり騒々しかったですが、近い将来、発表される2015年度の人口センサスの結果がどう出るか、注視しなければなりません。総人口の半分近い膨大な無宗教人口が存在するというのが、韓国の宗教の地形を特徴づける重要な要素ですが、一時、宗教人口の急成長を後押しすることによって、一種の「宗教予備軍」の役割を担当した無宗教者が、これまで20年余りの間、既成宗教や宗教家に対して、ますます否定的で冷淡な態度に変わったのも、宗教指導者には相当な革新圧力として作用しています。世俗的な市民運動など、宗教外部から加えられる革新圧力も、やはり時には民衆宗教への転換を促進するでしょう。ですが、このような外敵圧力は、たびたび両刃の剣のように作用することもあります。たとえば、相当数のプロテスタント指導者は「反キリスト教運動」や放送社の教会不正告発番組、宗教財政運用の透明性を高める宗教法人法の制定運動などを、革新のための肯定的な刺激として受け入れますが、大多数の保守プロテスタント教会の信者は「左派と倫理的自由主義者のキリスト教迫害」という形で便宜的に解釈し、固く団結して自らをより一層閉鎖させています。ですから、結局、宗教内部の改革の力量が成長し、連帯して組織化するのが最も重要です。ですが、内部の不満勢力がいくら多くても、信者としてのアイデンティティは維持したり、宗教組織の外側にとどまる「休眠信者」、あるいはまったく異なる宗教に行こうとする「改宗者」が多数になれば、宗教の変革の展望はむしろ暗くなるでしょう。教団勢力の弾圧を甘受しながらも、最後まで残って宗教の変革運動に参加する「改革家」が増えるべきです。今でも宗教は、随所で暴力と分裂を助長することによって、私たちの生活の場をディストピアに追い込んでいます。同時に宗教は、随所で「絶望の大量生産体制」に対抗して、困難ではあるものの、ユートピア的な夢と想像を不断に生産する「希望の工場」としても機能しています。正義の平和(just peace)に向かう希望を世に絶えず供給することによって、宗教が人類の作り出した最高の発明品であることを、自ら立証して示すことができればと思います。

朴露子 一言でまとめるならば、韓国の宗教、特にプロテスタントは、韓国的近代のすべての問題をそのまま、または場合によっては、一般に比べてかなり深刻な形で包摂しながら、もしかしたら、いつかこの問題を解決する糸口を提供する可能性も排除できません。私もそのように希望しながら、韓国の仏教について学んでいきたいと思います。今回の対談で、貴重な知識を共有できたことに感謝します。ありがとうございました。

 

〔訳=渡辺直紀〕