창작과 비평

[対話] 韓国軍――民主的コントロールの圏外としての / 金鍾大·余奭周·李泰鎬

2016年 夏号(通卷172号)

 

 

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(2)

 

 

金鍾大(キム・ジョンデ)正義党第20代国会議員、前『ディフェンス21プラス』編集長。主著に『安保戦争』『シークレットファイル―危機の将軍』など。

余奭周(ヨ・ソクチュ)ウェルスグローバル(株)代表取締役。前・国政状況室情勢分析担当、駐米大使館武官。

李泰鎬(イ・テホ)参加連帯政策委員長、市民平和フォーラム共同運営委員長。共著に『封印された天安艦の真実』など。

 

李泰鎬(司会) 『創作と批評』は創刊50周年を迎えて、今年1年間、韓国の「保守勢力」を診断する連続企画を続けています。以前、「韓国宗教の保守性をどう見るべきか」という主題を扱ったのに続き、今号は韓国軍について語ってみようと思います。私は市民団体で多少関連した活動をしたためか、今日、司会者の役割を兼ねて出席することになりました。金鍾大議員は軍事専門家としてさまざまな活動をされましたし、まもなく国会に登院されることになり、より多くの活躍が期待されます。余奭周代表は軍にながらく身を置かれた方として、今日、特にお迎えしました。いいお話しをたくさん聞かせて頂ければと思います。

余奭周 創刊50周年、お祝い申し上げます。文芸誌『創作と批評』と軍は、遠くかけ離れた別個の空間にあると考えやすいですが、韓国男性の大部分が人生の絶頂期である20代に、数年間、身を置く軍服務時期をめぐって、韓国の文化を論じるならば、少なからぬ空白を避けることは困難でしょう。そのような脈絡で、『創作と批評』が軍関連の対談に誌面を割愛することに、非常に大きな意味を付与したいと思います。

金鍾大 『創作と批評』の座談にご一緒できて光栄です。軍に対して韓国社会が関心を持つべき部分は数多くあります。全般的に点検すれば非常に膨大になるはずですが、各界でより多くの議論を続けることが必要です。今日、この場がその契機になることを期待します。

李泰鎬 軍の性格についての話から始めようかと思います。国を問わず、軍隊は概して保守的な文化や体質を持っています。常に最悪のシナリオに備えなければならず、極端な状況で国民の生命や安全を保障しなければならないからでしょう。ですが、韓国の軍は歴史的に保守性という表現だけでは説明しにくい形態を示すこともありました。軍の政治介入という不幸な歴史が代表的ですが、前回の大統領選挙の時も、国軍サイバー司令部ウェブコメント事件などが、軍の政治的中立に対する不信を一層増幅させました。また、軍が莫大な予算を使い、徴兵制で多くの成人男性が入隊しなければならない状況に比べて、軍に対する監督がきちんとなされていないという憂慮が大きくなっています。武器購買スキャンダルや軍内部での人権侵害の事例が繰り返されるのも、ここから始まった問題です。作戦指揮権の返還関連の議論で見られたように、軍が対米依存的な形態から脱却できず、東北アジアをはじめとする国際秩序の変化に能動的に対処できるのかについても疑問を提起せざるを得ません。このことによって、軍が韓国社会の発展にとって障害要因であるという認識も少なからずあります。まず韓国の「保守勢力」を診断するという企画の趣旨と関連して、軍の性格や特性をどのように規定できるか、お話し頂ければと思います。

 

軍の「保守性」、どう見るべきか

 

金鍾大 軍隊というと、概してその核心主体を将校団と考えます。私は将校団に3つの性格があると考えますが、それは保守性、専門性、責任性です。この3つが備わって、軍隊の組織に集団精神と自己のアイデンティティが形成されます。ですから、軍が保守的かという問いには語弊があります。高い倫理的徳性としての責任性や、職業軍人としての専門性が要求されるのであって、だからこそ、どこの国の軍隊も保守的であるという点に異存はありません。ただ、その保守の内容がどのようなものかということでしょう。近代国家が常備軍制度を採択して以来、軍隊は民主主義や国家体制を維持する根幹になりました。それ以前は、王政、貴族の階級性を代表するのが軍隊だったんです。ですが、今は代理人としての国民の軍隊です。要するに軍の保守性は、近代民主主義の体制内における保守性であると申し上げることができます。

余奭周 私も同じ脈絡で考えています。「保守」という言葉を、前進し発展することに対する反動としての意味に限定するならば、軍の過度な保守傾向は明確に問題でしょう。そのようなことではなく、私たちが守るべき価値を守るという意味での保守だとすれば、当然、軍は保守でなければなりません。もちろん、これもまた国家で人材を提供し、予算を支援して、軍という集団を作った基本目的を実現するという点で、保守であるべきなのであって、それが軍を構成する国民、または市民ひとりひとりに対して、政治・社会的な保守性を強要してはなりません。軍人も結局、軍服を着た市民ですから。このような点を区別して接近するべきだと思います。

金鍾大 とすると、ここでいう保守の対比概念は、進歩でなく自由主義であると言えます。サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)が、アメリカ軍における対立項は自由主義と保守主義であると診断したこともあります。アメリカの自由主義の伝統において、建国の父は、軍隊を、戦争が起きた時に召集すればいいのであって、平和時には浪費であると考えました。南北戦争や独立戦争も、ともに義勇軍が遂行したもので、常備軍が戦闘したわけではありません。反面、にもかかわらず、平時にある程度の常備軍や防衛産業を維持することが、専門性の維持にもいいという立場が、保守主義において標榜されました。だから、ハンティントンが、軍隊は大規模常備軍として存在するかぎり、保守主義集団であると規定したわけです。結局、軍隊が維持されて、それなりに1つの専門家集団として尊重され発展するかぎり、その理論的土台があるべきですが、それがまさに保守主義になったわけです。

李泰鎬 おっしゃった通り、常備軍は近代国家とともに出現しました。近代国家が形成される過程で進取的な役割を果たすこともありました。たとえば、ナポレオンの軍隊は自由主義を伝播する軍隊でしたし、それ自体として近代的な組織でした。言ってみれば、歴史的に近代国家の産婆の役割を果たしたのです。ですが、軍隊が国家を守る存在であると同時に、次第に国家イデオロギーを代弁する、強制力を持った集団になって拒否感が生じたようです。軍隊が、すでに形成された国家という、とても抽象的な実体を保護するというわけですが、国家というものは、実は物神化されやすいでしょう。国家安保という名においてです。そうすると、どうしても全体的には社会的に保守的な役割を果たすのではないかと考えます。他方で、軍の保守性に関連した議論は、結局、軍は男たちが力を使う集団であるという点と、離して考えることはできないと思います。もちろん女性軍がありますが、家父長的なイデオロギーとしてもそうであり、上意下達をはじめとする運用・作動原理では同じです。そう考えてみると、たとえば性に対する認識も差別的で、性暴行の問題もしばしば発生するようです。

余奭周 軍で何年か前から「性軍規」という用語を使っていますが、私はこの用語にとても否定的です。軍規は見えないところで、自分に与えられた任務や軍が定めた規律を自らよく守ることと定義されています(「軍人服務規律)第4章)。たとえば衛兵所で憲兵が声を大きく出せば「軍規がある」といいますが、そのようなことも事実、正確な意味からは距離が遠いです。軍規は孔子がいった「慎独」(ひとりでいても慎め)に近いものです。ですが、突然、たとえば誰かをセクハラするのを性軍規違反であると告発するようです。ならば、性軍規の遵守とは何かということです。無前提に規定できない領域ですが、おそらく韓国だけにある用語でしょう。米軍はそのまま「sexual harassment」(セクハラ)といいます。人権に関する問題であって、軍規とは関係がない問題をめぐって、性軍規という用語で接近しているのですが、こうしたことは、保守性よりは人権に対する基本的な概念が足りずに発生した現象です。あらゆることに軍規の次元で接近すれば、むしろ逆方向に行くこともあります。下の人間は無条件に服従しなければならず、上の人間はいくらでも支配できるという錯覚に陥らせます。

金鍾大 本来、ブルジョアというと、最初は進歩性のある階級でしたが、今となっては保守と認識します。軍隊がまさにそうです。ナポレオンが他の王政の軍隊を破竹の勢いで撃破してヨーロッパ全域を制圧したのは、近代世界で初めて採択した徴兵制の力のためだったことは明らかで、その時期にフランス革命の結果として現出した進歩の革新的な産物だったと見ることができます。ですが、現代において徴兵制はそうではないでしょう。したがって、軍隊がある制度や組織を運営する時、それが進歩的か保守的かを一律的に語るのは困難であるということを念頭に置く必要があります。旧体制を廃止するために、徴兵制を通じて「国民に似た軍隊」を準備したという点で、ナポレオンの徴兵制には進歩性があるんです。反面、韓国の徴兵制は、国民に義務だけを賦課しながら監視・管理して、教化の対象として兵士たちを考えます。自律と創意を論じることがきわめて困難です。国家が国民をコントロールの対象として考えて動員しながら、使用者としての権力を行使する限り、イデオロギーとしての保守が軍に作用するだろうと思います。

李泰鎬 話が少し難しく聞こえますが、単刀直入に接近すれば、軍にいらっしゃった方には刺激的かもしれませんが、軍はとにかく戦争をする集団です。戦争を準備します。国民皆兵制で規模が大きくなったということは、殺戮の規模もまた大きくなったという意味でしょう。国民皆兵制以降の戦争で、人がかなり多数死にました。このような点で、軍をいくらいいものとして考えようとしても、そうできない人々がいるでしょう。

余奭周 私が市民運動家なら、軍が保守的であると批判するのも重要ですが、それよりもまず軍隊の内部で憲法や民主主義を少し教えろと主張したいです。あなたたちが守ろうとしているものは何なのか、国家や国民を守るわけですが、それでは国家の何を守ろうとするというのか。政府総合庁舎を守ろうとしているのか、太白山脈を守ろうとしているのか。軍が守るべき国家の本質とは何かを、軍にきちんと提示するべきです。笑い話ですが、旧日本帝国の軍人は死ぬ時、「天皇陛下万歳」を叫び、イギリス軍人は「女王陛下万歳」といいながら死に、韓国軍はただ「母さん」といって死ぬという話があります。

李泰鎬 最も人間的です(笑)。

余奭周 私たちが守るべきなのは、憲法、もう少し狭い意味でいえば憲法的価値だと思います。まさにこの大韓民国憲法が、私たちが今、このように自由に行動し、意思表現できるようにしている根本でしょう。ですが、軍の作動原理を見ると、憲法でいうところの価値と相反することが多いんです。人を支配すること、必要ならば人の命を手段として使うこと、誰かを殺さなければならないことなどです。このように相反する部分をどのように調和させるかという時の基本は、やはり民主主義を後押ししている憲法について、軍人に正確に知らせるべきだということです。たとえばサイバー司令部ウェブコメント事件も、韓国の憲法が軍の政治介入をなぜ禁止しているかを、軍が正確に理解していたら起きなかったでしょう。もう1つ申し上げたいのは、多くの戦史研究を通じて考えた私の信念ですが、兵士は絶対に敵愾心を優先して戦ったりはしません。兵士たちは戦友愛と表現してもよく、同僚意識や人間に対する愛情と表現できる何物かのために1つになります。ですが、軍ではしばしば敵愾心のために戦うと勘違いして、私たちの主要敵である北朝鮮は共産独裁国家で、北朝鮮軍は悪辣である、というような敵愾心の鼓吹に焦点を合わせています。それが戦闘力に昇華するだろうと考えるのです。ですが、当初、国民皆兵制の力も、私たちの人、私たちのもの、私たちの土地に対する愛情から出発したものです。だから、ナポレオンの軍隊が強かったのでしょう。周辺のオーストリアやイタリアやフランス王政の軍隊に対する憎しみではなく、「私たちのフランス」「私たちのもの」に対する愛情だったということです。そのようなことを軍で培う活動が必要です。特に報道宣伝の兵課で目標を敵愾心の鼓吹だけに重点を置いてはいけません。

 

民主的コントロールから逸脱する軍

 

李泰鎬 不幸にも韓国の歴史で、軍は政治的に大変重要な集団でした。軍がどのような立場に立つかによって、政治的結果が変わったりもしたほどです。その渦中に軍が政治的偏向性を示した事例は数多くあります。そのような問題がなぜ発生しつづけるのでしょうか? おっしゃられた戦友愛だけをとって考えても、私の印象では、これは自らの内部の動力でしょう。そのようなことのほかに、私たちは、軍に対する民主的コントロールや文民統制を強調しますが、巨大な物理力と、上司の命令に服従する体制と、機密性を持つ軍を、実際にコントロールする手段が、はたして私たちにあるのでしょうか?

金鍾大 一時、あらゆる非難の対象になった南在俊・前・国家情報院長が、陸軍参謀総長だった時、この問題に正面から取り上げて論じたことがあります。私は他のことは知りませんが、その論理にはかなり共感します。ある将校が命令を遂行する時、悩むべきことは正当性と合法性です。軍人は上官が正当でない命令を下したとしても、服従しなければならないというのが定説です。反面、合法性は追及できるということです。たとえば、いくら上官の指示だとしても、法に触れたり、ある法で定めた指揮コントロールの範囲を超越するならば、合法的ではない命令です。これに対して、軍人は当然、異議を提起して拒否するべきです。ならば、合法的だが正当でない命令の時はどうするべきでしょうか? その時はひとまず服従するべきですが、その渦中にも高位幹部は最大限直言をして、創意を発揮し、正当でない要因を最小化しようと努力するべきだと思います。

韓国軍は数多くの規範を有していますが、これほど複雑な国はありません。そのために急に差し迫った事態が発生した時、たとえば西海のNLL(北方境界線)で北朝鮮の艦艇を撃沈させるべきか否かを判断しなければならない場合に、将校が混乱をきたしたということです。純粋に軍事的に判断したとしても、外部では政治的な意味として考えたりもします。正当性の議論は常にあるんです。このような点で、軍人に一定程度の裁量権を与える必要があります。ですが、韓国の軍隊はそのような地点ではなく、主に合法性の面で問題を起こしました。誰が見ても合法性と正当性がともに欠如した状態で、言ってみれば、軍隊の権力の過剰行使があったんです。ですが、一方で私たちが軍隊に対して、おとなしくしていろということはできません。毒蛇に毒を除去しろと言えないようにです。それをどのようにコントロールするかが課題です。軍隊は国民の代理として安保を担当する一種のエージェントです。ですが、そのような軍が逆に権力になって、正当性と合法性の領域にまで侵犯して、結局、国民に敵対的な行為をする水準にまで行くんです。自分たちが国民に雇用されたエージェントであるという認識を持つのでなく、むしろ国民をコントロールしようとしたことから広がったことです。

李泰鎬 よくわかりますが、問題を若干狭めているのでないかと思います。憲法も法律も命令したりはしません。結局、命令は大統領や軍の指揮部がすることです。軍は本質的に上司の命令に服従する集団ですが、法はとても距離があり、命令を下す人は近くにいます。なので、規範的には軍が法の支配下にあって、文民統制に従うべきだといいますが、近いところでは、そのまま命令する側の利害関係に動員されうる集団だということです。軍部独裁のように極端な事例はもちろんですが、小さな問題でもそう言えます。アメリカも戦争宣布の権限は議会にありますが、実際に戦争を宣布してきたのは議会ではありません。軍事力使用の権限もまた大統領にあります。威嚇があるから軍事力を使った、それから後で追認を受けたり、これは戦争をするために追認される事案ではなく、ただの軍事力の使用でした、といって終わるでしょう。そのような形で軍に対するコントロールに本質的な限界があるのではないかということです。国会の国防委で資料を出せといっても、軍がきちんと出すことはあまりないでしょう。さらに防衛産業の不正監査の資料もみな軍事機密であるといいます。そのようにコントロールを受けない集団だとすれば、当然、命令を下す軍上層部や権力集団の利害関係、特に政治的な利害関係に動員される可能性が大きいのではないでしょうか?

金鍾大 私はこうした問題は韓国的な現象だと思います。事実、もっと極端な軍隊もあります。インドネシアの軍隊は最初から国会の議席を持っています。とにかく軍の政治的偏向は、軍が権力化される傾向が強いので起きるものと考えます。だから合法的に、または合理的にコントロールされれば、この問題は解決できます。ですが、韓国的な現状をよく見ると、3つの点で文民統制に違反しています。第1に予算のコントロールです。韓国の国防の核心といえる予算執行計画は中期国防計画ですが、これは法律にない過程です。中期計画というものを立てるのではなく、中長期予算が必要とされる事業は、企画財政部の予備妥当性の検討を受ければそれで終わります。法で定めた手続きを守らない名分が、軍で別途に作った中期国防計画によっているということです。これは大統領の承認さえ受ければ終わる文書です。それを持って記載部を圧迫します。第2に、軍は組織のコントロールも受けません。軍における将校の定員はどの法にもなく、単に「国防組織および定員に関する通則」に1行だけ出ています。「国防部長官は、国軍の定員水準や軍別・階級別の定員を、大統領の承認を受けて決める」(第6条1項)。A4用紙1枚に「大佐を増やします」「将軍を増やします」と書けば手続きが終わります。一般公務員は行政安全部のコントロールを経て、閣僚会議を通過してはじめて増員が可能ですが、軍人は組織と人材に対するコントロールがされていないのです。ですから、軍は政府のコントロール手続きにおいて例外となり、大統領と直接取引しようとします。韓国の憲法精神に触れる、とても誤った慣行です。最も基本となる予算と組織がこの程度ならば、あとの軍事計画や作戦状況などは語る必要もありません。予算と組織については、政府だけでなく国会のコントロールも不十分です。国会の国防部に対するコントロールは、毎年、政策の一番最後の段階、すなわち予算案の議決段階や、ある法律案の通過時点で可能にすぎず、計画樹立の段階でコントロールできる手段がありません。先進国の場合を見ると、例年、安保報告書、中期国防検討報告書のようなものが、すべて法定文書として決まっています。アメリカでは年例安保報告書を議会に報告する主体が、国防長官ではなく大統領です。大統領の軍統帥権も議会の承認事項です。国防権限法(National Defense Authorization Act)といって、議会は会計年度ごとに、いくつかの条件で大統領の国防コントロールを承認するという、強力な文民統制の制度を確立しました。ですから、政策樹立の段階から細かく関与できます。3つ目に、韓国軍は市民によるコントロールもできません。国民生活に直結した各種の許認可、軍事保護区域の指定、武器導入時の透明性、市民団体と関係した部分などで制度化された手続きは存在しないと考えるべきです。

このような現実は、正常な国家経営で国防が離島として存在するといえるでしょう。結局、韓国の軍事制度を厳密に診断しようとすると、基本的には民主主義を指向するものの、実質的な運営においては、軍国主義と民主主義の中間ぐらいの形態だと言えます。軍が外部のコントロールから逸脱しようとするのは、自己決定権を持つという権力指向的な属性のためですが、それが軍隊文化全般に影響を及ぼしながら、一般的に公の組織が持つ属性を超越してしまうんです。そのような超越的な存在として、韓国の軍隊は、公共組織の中でも格別に独歩的な権力集団の形態を維持することになるのです。

余奭周 お話しを聞いていて思い出したのですが、私は最近、日本の『坂の上の雲』(司馬遼太郎、1968~72年『産経新聞』連載)という小説をまた読み返しています。日露戦争をおこなった日本軍に関する話ですが、興味深い部分があります。おおおそ要約すると、明治維新の時期、日本軍は、国民が困窮しているにも関わらず、なんとか徴収した金で戦争をする集団だったため、国民の意思をいつも意識し、あわせて国民は、軍がどのように軍事力を行使しているかにかなり関心を持った、だから日清戦争の時、ある海軍の艦長が、きちんと攻撃任務を遂行しないので、一般国民がその艦長の家に集まって石を投げることさえあった、だが1900年代に入って、日清戦争、日露戦争で勝利して以降、軍の存在が浮上して国政にまで参加するようになると、軍人が、国民から財貨やサービスを提供されることを次第に当然のように考えた、それが窮極的に第2次大戦、太平洋戦争を起こして、国家崩壊にまで至らせた……このような一節が途中で出てきますが、とても胸に迫るものがありました。韓国の軍人の一部でも、似たような考えを持っているのではないかと思います。

 

「生活館」でも生活はない

 

李泰鎬 余さんがさきほど、軍人は「軍服を着た市民」といいましたが、今の軍隊の姿とは率直にいって距離があると思います。まず言葉の問題にしても、社会で使う言葉があって、軍隊で使う言葉があるじゃないですか。最近、流行しているように、「……しただろ、ということです」というように、無条件に最後を「です」「ます」で終わらせなければならないおかしなものです。軍服を着た市民であるということが、実際に軍で重要な精神ならば、日課を終えて「生活館」〔軍の下士官たちの居住空間。もともとは植民地時代の名残で日本と同様に「内務室」「内務班」と呼ばれたが、2005年に名称がこのように変更された――訳者〕に戻っても、階級によって尊称を使う習慣はなくすべきです。勤務時間中はそうするとしても、勤務外の時間に生活観に戻れば、作戦状況が再び到来するまでは市民として待遇するべきだということです。そのようにできない現実が、戦闘力を高めるよりも、むしろ思考自体をできなくすることによって、軍の戦闘力も落とし、結果的に政策の偏向ももたらすと思います。政治討論どころか、自己主張をすること自体が大変ですから。このような伝統は、すべての国の軍隊にあるわけでなく、日本で明治維新の時、国民皆兵制を施行する過程で、いまだ国民性などというものがなく、封建農奴に過ぎなかった人々をむやみに連行して、「おまえは何も考えるな、やれと言われた通りにやれ」としていた日本の軍国主義文化の残滓ではありませんか?

余奭周 そうですね。韓国軍の出帆当日から問題になったのは、人間は朝鮮人ですが、制服はアメリカのものを着せて、生活規範は日本軍のものを持ってきたといいます。今日、解放を迎えて何年目なのに、そんなことをしていていいのか――いけないのですが、現実はそうなんです。提起された問題に積極的に同感です。「生活館」という用語も本来「内務班」だったのを、数年前に変えたんです。

李泰鎬 「内務」という言葉は、「業務の延長」という意味で、「生活観」ならば業務が終わって生活に戻ったという意味なので、概念が変わっているんですけどね。

金鍾大 私が2008年度の国政監査の時、陸軍本部の業務報告資料で本当に印象的に目撃した一節があるのですが、将兵精神教育の目的の欄に「入隊前に社会で汚染された入隊将兵に対して、持続的かつ反復的に国家観を注入して矯正することをその目的とする」となっていました。

李泰鎬 おっしゃったとおり、脳を洗うという「洗脳」ですね。汚染されているわけですから。

金鍾大 ですが、これが実際に国政監査の日には削除されていました。本人たちもひどいと感じたんでしょう。このような思考の中では、軍服を着た市民という意識が、いや、そのような言葉自体も軍隊にはありません。軍隊が信奉する特殊権力関係理論によると、学校、刑務所、軍隊は、人間としての基本権が制限される空間です。ですが、これは過去の軍国主義の時期、特にドイツで発展した理論です。市民に適用されるのは一般権力関係です。市民も義務と責任を回避すれば、それによる不利益があるでしょう。警察に立件されて裁判所で処罰を受けてという具合にです。軍ではそれよりもさらに高い水準の規律を要求できるとなっていて、それが基本になる以上、軍隊は一般市民の権力関係から逸脱した集団になります。だから、軍隊も社会共同体の一員であり、1つの職業集団に過ぎないとして開発された言葉が、まさに「制服を着た市民」という用語です。単純に「内務班」の問題ではありません。基本権をコントロールするという意志をもとに、すべてのものが設計されているので、食事をすることから起居、余暇の時間まで、すべてコントロールの対象ではないでしょうか。

李泰鎬 今のお話しもそうですが、さきほど、軍が独立的な領域を構築しているという趣旨でなさった批判も常識的にうなずける話です。ですが、軍内部ではかなり異なった態度を示すかもしれません。

余奭周 軍はおそらく関連規定を持ち出して、そのような批判が不当だというでしょう。その規定が上位法令に違反するとしても、「私は規定通りにやった」というでしょう。たとえば予算の場合なら、国防企画管理制度に明文化されているので、本人はそれに従うわけです。それ自体が間違っているとは考えないでしょう。ならば、軍が持っている国防企画管理制度というものが、上位法令とどのように衝突し、何が間違っているかを国会が指摘して正すべきです。そのようにしなければなりません。

李泰鎬 すべての公務員が市民的な批判意識を持つのは少し大変です。それなりの職業規範のなかで暮らしていますしね。「魂のない公務員」という言葉もありますが、他の見方をすれば、そこまで卑下することではありません。ですが、軍人はそれよりもさらに深刻なこともあり、そのために並大抵の努力では、自己コントロールの装置を備えることがさらに難しいという話も聞きます。

余奭周 そのような批判を聞くと、自らの正当性や正直さが攻撃されるような印象を受けるでしょう。私が見たところ、もしかしたら軍の組織全体に亀裂を起こすほどの記事を、昨日、朝鮮日報が書きました。[ref]「「中隊長、うちの息子にスコップ仕事させないで」――軍隊も「ヘリコプター母」はとめられず」、『朝鮮日報』2016年4月25日付。[/ref] そのような意図ではまったくないと思いますけどね。母親たちが最近、軍隊に関心が高いという内容です。私が大隊長をしている時、親が少し関心を持ってくれたらと思ったときもありました。軍隊には空きの空間も多いですが、やってきて息子の洗濯をしたり食事も作ったりと(笑)……国民皆兵制ですし、どうせ家に帰る子供たちでしょう。国民が関心をもっと持つべきです。これまでは事実、関心を傾ける通路もありませんでしたが、実際にも関心外でした。軍隊に行って殴られれば、父親が「俺の時は、逆に殴られなければ夜も眠れなかったぞ。そんな、一発殴られたぐらいで」と言っていました。ですが、いまや関心が高くなって、兵士たちの生活にいい影響を及ぼすと思います。

金鍾大 前方で食事係をする母親たちも多いです。

余奭周 行軍に出ると、付いてくる父親もいます(笑)。

 

南北分断体制があおる軍の政治的偏向性

 

李泰鎬 政治的偏向の問題と関連して、もう少し確かめたいと思います。朝鮮半島が分断状況なだけに、軍が北朝鮮に対する敵愾心を利用して、軍の士気を鼓吹しようとする面が多いと思います。ですが、韓国の政治状況を見ると、同様にそのような面を重視する政治的集団があります。このような形の社会構造の下では、軍が本能的にも構造的にも北朝鮮との関係において、さらに強硬かつ敵対的な態度を強調する政治勢力に接近する問題が出てきます。まさにこのことが、軍の政治的偏向をもたらす1つの原因として作動するのではないかと思います。軍が上意下達でマニュアル通りに動くとはいいますが、保守政権の時、特に北朝鮮に対してより対決的な政権では、政府が指示しないことまでずいぶんとやりました。反対に、盧武鉉政権の時は、作戦統制権の返還問題と関連して、集団行動も辞しませんでした。もちろん、軍を改革しようとしていた政権ですから、既得権のためでもあるでしょうがね。

余奭周 その集団行動というのは、軍ではなく、在郷軍人団体で既得権を享受する人々がやりました。軍でそれに反対する集団行動をした人は、私の知るところでは1人もいません。韓国軍はそれほど度胸のある軍隊ではありません。

李泰鎬 もちろん明示的には反対できなかったでしょう。行動に出た人たちが動く時、反対に軍の作戦統制権を取り戻そうという予備役も結構多かったとすれば、そのお話しを私も受け入れられそうです。ですが、私が見るところ、その当時、予備役の将校はほとんど反対しました。

余奭周 賛成する人も多かったと思います。

李泰鎬 そうした方々は公開的に立場表明をあまりしなかったんですね。だとすれば、軍の作戦統制権の返還に賛成する人々が公然と出てくるには、かなり神経を使う雰囲気だったというのが事実ではないでしょうか。

余奭周 だから怖いんでしょう。あちらは何も区別しませんからね。私が盧武鉉政権の軍側の担当者に言ったことがあります。一般的に軍と民主勢力を対立的に見ますが、軍の大部分を占める若い将兵の多数が盧武鉉大統領を支持しました。つまり、盧武鉉政権は軍の全面的な支持を受けてスタートした政権だということを忘れてはなりません。この政権の主要なメンバーは、軍をよく告発しようとし、軍を反対勢力と考えますが、それは絶対に違うと思います。

金鍾大 私も関心のある事案ですが、保守政権になってこの数年間、野党に対する軍の認識がとても悪くなりました。これはおそらく簡単に元に戻せないでしょう。軍が政治的に偏向しましたが、進歩側があまりにもそのように考えるので、当然のことながら、その反対側で不安ないし敵対感を持ちました。それが李明博政権になって、軍人には、あたかも野党が政権をとったら、自分たちがみな死ぬかもしれないという恐怖心すら拡がりました。特に海軍の場合がそうでした。文在寅代表もそのような雰囲気を意識して西海第2艦隊司令部などに行ったりしましたが、私が見るところ、やはり準備不足の発言をずいぶんしました。結局、本来、生じる必要もない葛藤がますます大きくなったわけです。ある意味で、軍の持つ政治的偏向性を当然視して受け入れたのは野党です。だとしても、軍の一部の声の大きな将軍や予備役の意見を、軍全体の世論と考えてはいけません。軍隊も妙な側面があります。私たちがきちんと対すれば、いくらでもそれ以上の気持ちで報いようとする潜在力が見えます。軍はみな同じように見えますが、よく見ると、そのなかにも複雑な世界が存在して、それなりの多様性があるという事実を忘れてはいけません。

李泰鎬 私が外で感じるのですが、盧武鉉政権は軍に非常に友好的でした。国防費もかなり増やしました。李明博政権は果敢に削減しました。盧武鉉政権は国防改革の努力をしましたが、当時、私が非常に不満に思うくらい軍に一任して、軍が自ら政策を提示するようにと自立権も与えました。その過程で、国防改革に対する認識が、軍内でも陸・海・空軍の間でかなり異なると感じました。

 

社会の公論の場を崩壊させた「対内心理戦」

 

李泰鎬 さきほど少し言及された、国軍サイバー司令部の話に移りたいと思います。軍人が安保教育も担当していますが、最近は「対内心理戦」という言葉を多く用います。ですが、心理戦といえば作戦概念です。敵を相手にやることです。軍が国民を相手に心理戦を行うことをどう思いますか。また、既存の安保教育を含めて、そのような心理戦で軍が厳正に政治的中立を守ることができると思われますか。

余奭周 サイバー司令部は絶対にやってはいけない反憲法的行為をしています。

李泰鎬 対内心理戦をやってはいけないということですか?

余奭周 絶対にだめです。サイバー戦の主な舞台は、北朝鮮のサイバー空間であるべきです。もちろん、北朝鮮のサイバー空間は極度に狭く、対北朝鮮心理戦のような作戦ができる空間がないので、韓国内のサイバー空間に視線を転じることもありますが、これも戦闘力の一種と考える時、平時に自国民に戦闘力を使用できるかという点で、基本原則からはずれると思います。

李泰鎬 北朝鮮がサイバー戦争を韓国のサイバー空間でやっているので、ここに介入するべきだというのが軍の論理ではありませんか。

余奭周 韓国内の民間サイバー領域を防御することが、サイバー司令部の主な役割と見るのは無理があります。サイバー司令部の基本の役割は敵国のサイバー空間であって、上級部隊の作戦目的を実現するための任務や活動を遂行するものです。北朝鮮のサイバー部隊が韓国の民間サイバー空間で作戦を行うならば、その源泉を無力化させることが本来の任務であって、その対象である自国民にいかなる影響を及ぼそうとするのは、非常に危険な試みであり、民間に対する軍事力使用の是非を惹起する可能性があると思います。

金鍾大 提起された通り、対内外の問題で接近することもできますが、軍がそのようなウェブコメントをする表面的な名分は、北朝鮮が韓国内での葛藤を企んでおり、そしてそこに「従北勢力」〔北朝鮮に同調するとされる韓国国内の勢力。右派の政治攻勢に使用されるレッテルであることが多い――訳者〕が反応するので、対応しないわけにはいかなかったということではないでしょうか。ですが、本来のウェブコメントの内容を見ると、軍がやっているそのことが、まさに韓国内の葛藤をさらに拡大する格好になっています。そうした点でサイバー司令部は北朝鮮と呼吸がよく合った同業者ではないかという気もします。両者は同じ目的を指向していたわけですからね。それがどこでまた確認できるかというと、ウェブコメント工作の主な指針や方向を見ると、北朝鮮から国民を保護するための言葉ではないということです。かなり人格冒瀆的です。なぜこうなのか? 国家情報院のウェブコメント工作と同じ目的ですが、彼らは、進歩勢力に、野党に勝つためにやったわけでありません。彼らはサイバー空間で進歩勢力が優位を占めていると信じていて、その空間自体を無力化しようとすることに一貫して焦点を合わせているんです。そのやり方が、まさに嫌悪的で人格を卑下するような言葉だったわけです。今、裁判を受けている国家情報院の「左翼梟首」〔ウェブ上のニックネーム。「梟首」はさらし首の意――訳者〕という要員は相当なエリートですが、国防部でもサイバー司令部は、青年たちから真の羨望を受けている職場です。国家公務員試験の予備校の対策クラスまであるほどです。そのように有能な人間を連れていって、低質のウェブコメントを書かせて拡散させていたわけです。当事者にとってもものすごい苦痛だったと思います。ですが、これがそれ自体として公的な目的があると言った瞬間、それが可能になるのです。

サイバー戦は、2010年の地方選挙で保守が惨敗した後から始まりました。事実、その時、「国民疎通秘書官室」ができて、保守のインターネットメディアを育成し、ハンナラ党で別名「十字軍アルバイト団」(略称「十アル団」)に代表されるウェブコメント団体も組織して、そのうえ国政広報に至るまで、ものすごい資源が投入され、すでにサイバー上で進歩と保守の均衡は、相当部分、互角になってきました。過去において、インターネットメディアの影響力調査で、進歩側が9、保守側が1だったのが、このような努力を通じて保守が4くらいになっています。そのうえ、ある日から公務員がみなフェイスブックやツイッターに通じるようになりました。高位公務員の評価にも入っていて、このようになったんですが、ほとんど半強制で実施されたので、最初は不平を言って学んでいましたが、やってみるとおもしろいわけですね。その後、政府もSNSに直接行為者として入ってきました。このような状況なので、あえて国家情報院やサイバー司令部が動員される理由がなかったわけです。ならばなぜサイバー司令部がその後登場したのか? 申し上げたようにこれは目的が少し違います。初めは、文化体育観光部や国民疎通秘書官室のような会議のテーブルに、国家情報院や「機務司」(国軍機務司令部、Defense Security Command, DSC)もいました。ですが、国家情報院や国防部は、保守-進歩の均衡を合わせようとしたものの、結局、進歩勢力に勝てないという内部認識を持ち、別途の特別対策に逸脱するのです。完全にオンライン空間自体を崩壊させる方向にです。そのようにすると、保守自身も壊滅する側面が実際にはありました。ですが、それによって嫌悪の感情が韓国社会に広がり、葛藤指数が高まって、到底すべてを説明できないほどの被害をもたらしています。これはまさに北朝鮮が狙っていることではないでしょうか。同業者でなくてなんでしょう。

李泰鎬 このウェブコメント工作事件が、「イルベ」のような極右主義や嫌悪主義の成長に一助しましたし、事実、直接的な関連もあるという話がかなり出ています〔「イルベ」は韓国のインターネットコミュニティで「日刊ベスト貯蔵所」の略。極右的な政治的指向をもち、日本の2チャンネルとも比較される。女性蔑視、外国人差別、進歩系の人物への中傷が多く、オフラインではセウォル号沈没事故でハンストをしている遺族に対して妨害行為を働いたりもしている――訳者〕。最近話題になっている「親連合」にしても、大統領府や国家情報院が関連しているという説が出ています。私は、朴勝椿・報勲処長官に対して明示的に言いたいのですが、国家情報院ウェブコメント事件の時、報勲処もなかなか侮れない役割を果たしました。ですが、あの時から今までずっと長官職に居座りつづけています。報勲処も結局、軍と関連した政府部署ではないでしょうか? ですが、その役割を見ると、ただの報勲くらいで終わるものではないという気もします。

金鍾大 国家情報院やサイバー司令部はもちろんのこと、報勲処のような行為主導者も明確に問題です。ですが、もしかしたら、現在、さらに大きな問題は、彼らが拡散した嫌悪の情緒が、韓国社会の差別を正当化する新自由主義的な属性とよく合致していることかもしれません。そう考えてみると、現在は、当時の行為者などみな消えてしまったにもかかわらず、その作動のしくみはそのまま残ってさらに拡がっています。国家情報院や軍などにこの責任を厳正に問う一方で、セウォル号事件やカンジョン村などで、同じ問題が例外なく発生する事態の深刻性についても、私たちが省察的に接近するべきです。単に主犯を処罰する問題を越えているということです。犯罪行為が明らかになっても放置していたこの数年は、今後、市民の公論の場において、大きな苦痛として跳ね返ってくるでしょう。

余奭周 軍事機関は敵との戦いを専門に行う集団ですが、『孫子』に「兵は詭道なり」(兵者詭道也)と出ているように、戦いの基本は敵を欺くところにあります。言ってみれば、汚い手段を使うように要求されるわけですが、そのようなことを自国民を相手にすることはやめるべきです。そんなことをしていると、結局はその集団の没落をもたらします。今日、韓国軍が苦労しながら非難されるのも、みなクーデターから始まったことです。国家情報院には本当に立派な人が多いと思います。今も、中朝国境の丹東のような町で、夜もろくに寝ないで情報収集しながら苦労している人々もいます。その人々のすべての犠牲や努力が、ウェブコメント事件のせいで吹っ飛んでしまっているわけです。情報機関自体も同じです。

李泰鎬 いいお話しだったかと思いますが、にもかかわらず、結局これは不処罰の問題ではないでしょうか。処罰をしなければ責任を負う人がいなくなって繰り返されるからです。現在のセウォル号の問題もそうです。事実、法の支配というのは、単純に言ってみれば、法を犯した時、それを明確に処罰するべきということです。サイバー司令部のような場合には、軍内部で裁判をするので、処罰が軽かったというのがおおかたの評価ですが、結局は、軍司法制度の限界のせいで、ほとんどが見逃されて一部だけ起訴されて、その一部すら軍内裁判ですから、かなり処罰範囲が小さくなるようです。この点で軍司法改革は、軍を民主的にコントロールするための最小限の措置だと思います。これは軍の人権問題とも密接な関連があります。兵営で起きた銃器事件以降、軍の司法改革の問題が軍の人権法制定とセットで議論されましたが、結局、今回もうやむやになってしまいました。盧武鉉政権の時も失敗しましたが。急流に乗って進められた軍人権法の制定の議論も、盧武鉉政権の時期に議論されて中断した、軍改革措置の1つだったんです。結局、「軍人の地位および服務に関する基本法」という名の法が制定されましたが、「人権」という概念は受け入れられませんでした。核心内容の1つであった「軍人権保護官」制度も、別の法によって新設するといいながら、まだその動きがありません。ですが、軍は「人権」という単語をとても嫌がります。軍が「軍の人権」という概念をなぜ受け入れないのかわかりません。軍人は人間でないというのでしょうか……。

余奭周 盧武鉉大統領が当選した後、私がNSC(国家安全保障会議)の業務引継で業務引継委員会の安保チームと業務を行いましたが、兵営生活の改革は人権概念の導入から出発するべきだといったところ、当時、軍で最も理解力があるとされていた先輩さえもびっくりしていました。アカ(共産主義者)のようなことを言うと。ですが、もう一度話してみる必要があるのではないかと思います。さきほど新聞記事の話もしましたが、結局、親が願うのもそのことではないでしょうか? 自分の子供の人権が保障されることを、どのようにしてでも関心を持って見守りたいということです。人権概念で接近して、軍の諸般の問題を解決しようとする試みは、正鵠を得た方法だと思います。びっくりする人もいるでしょうが、雰囲気さえうまく合わせれば可能です。誰を攻撃しようというのでなく、人権を保護しようということですから。

 

韓国軍の軍事力の現住所は?

 

李泰鎬 軍の特性の1つは強い軍隊になろうとする属性です。これは結局、軍事力増強の欲求として出てきますが、多くの国民も、強い軍隊が安保問題を解決してこそ、平和は守られるという言葉に説得されていると思います。私たちはあたかも軍隊だけが国を守るように、あるいは軍事力や武器だけが国を守る手段のように思考することに慣れているのではないでしょうか? 平和や協力も国を守る方法であり、大小の紛争や葛藤を予防する方法なんですが。ですから、世の中は結局、強者が支配するといった主張が、「現実主義」という名で強要されたりもします。

余奭周 この世にあるすべての兵法書の論理を、ぴたりと四字で整理すれば「優勝劣敗」です。優れた者は勝ち、そうでない者は敗れる。ですが、この時の「優」が「強」と同じ概念かは考えてみるべきです。米軍がベトナムで戦闘に勝ったものの戦争で負けたようにです。武器水準がはるかに高いイラク軍が、IS(イスラム国)に連戦連敗している例もあります。韓国軍がいい武器体系を望んで、全世界の最高級の武器を購入しようと努力していることが、「優」に近づくことなのかについて、私は少し疑問を持っています。

李泰鎬 もしかすると、軍事的なことでなく、みな一緒に協同したら生き残るのだという兵法はないでしょうか?(笑)

余奭周 国家安保を目的とする国防は、軍事力だけでは成り立ちません。国防の中に外交もあるからです。一番いい方法は、敵国と親しく過ごすことです。戦わずに勝つんです。経済、社会、文化のような要素が、みな一緒になって相乗効果を出すことが重要です。

李泰鎬 軍があまりにも「備えあれば憂いなし」(有備無患)という言葉を使うので、その語源を調べてみたんですが、あらかじめ備えて葛藤をなくせば争いもないという意でした。軍備を積み重ねておけば争いがないという意味ではありません。葛藤が深刻になるまで放置せずに備えておけば、後で衝撃も少なくなるという意味にもなります。4月初め、アメリカの民間軍事力評価機関であるGFP(Global Fire Power)が発表した「2016世界軍事力順位」によると、126か国のうち韓国は11位、北朝鮮は26位でした。ですが、韓国軍はまだ北朝鮮より軍事力が優位であるということを認めないでしょう?

余奭周 その時々で違います。お金の問題について語る時は、私たちの方が劣勢であるといいます。軍の行事に行けば、世界最強の軍艦だ、戦闘機だといっています。ですが、これは軍の一般的な属性です。一例として、冷戦期、アメリカ国防省で発表したソ連の国防費規模が1年間に2倍に増えた例もありました。そのように大きくなった数字が、自国の国防予算の増額の正当化に活用されたりもしました。国防部が予算を増やせと言うのは、私たちが死んだ後もずっと続くでしょう。その適切な規模を決めるのは軍ではありません。ならばそれを誰がやるかといった時、大韓民国では主体が少し曖昧だということでしょう。戦闘力を増強させるのは軍の任務であり使命ですが、新型の外国製武器を買ってくることで、それが戦闘力の増強に直結するという錯覚に陥ってはいけません。この時代に合わせて新しい方法で戦争遂行をする、「ウォーファイティング」(war fighting)の概念で、それに合った武器体系を購入する構造にするべきなのですが、韓国軍は逆に武器が主導しています。ならば、担当の現役軍人は武器体系をどこで見るのでしょうか。業者の報告を持ってこいというでしょう。「何かいいものはないか?」というと、業者は、艦艇ではどんなものが出て、航空機には何があって……といって、そのようなところに不正も芽生えやすいんです。

ならば、その重要な「ウォーファイティング」の概念は、はたして誰が作るのか? 韓国の軍・官・学者がみな集まって作るべきです。これは実際にはかけ声に終わるだけですが、なぜなら大韓民国には米軍がいるからです。米軍の司令官が戦時作戦統制権を持っているから、しばしば戦時にだけ作戦統制をするのかと考えますが、実はこの司令官がいつも作戦計画を樹立します。過去に2年に1回ずつ、周期的に立てましたが、そのたびに私たちが追いつけないくらいの水準で、そのつど作戦計画を発展させます。その司令官の目の高さは米軍の戦力ですから、私たちはそれを遂行するだけでも手にあまります。ですから、韓国軍は作戦計画の遂行に、今、これくらい足りないといって、それを埋めろといって大忙しです。私たちが私たちに合った戦争遂行の概念を懸命に作ったところで、それはそのままお蔵入りになって、実際には他国の将軍が作った計画に、私たちは資金を供給しながら、それをずっと追いかけていくんです。

李泰鎬 とても重要なお話しを2つほどして下さいました。適正軍事力というのは、軍ではなく外部で設計すべきだということと、作戦統制権がない状況、特に現在の韓米同盟が軍備を触発する要因になるとおっしゃられました。ですが、適正軍事力を軍に設計させるべきではないとすれば、それ以前に、いったい何を威嚇と規定するのかについても、軍だけに依存してはならないでしょう。威嚇とは何か、それはどこからきてどの程度なのかを確実にして、はじめて優先的に、必要な対応態勢はどのようなものであり、そこにお金はいくら使って、というようなことを決められるはずですが、そのためには軍内部以外に、もう少し総合的な観点でチェックされるべきではありませんか?

金鍾大 それがNSCでしょう。すでに装置は準備されています。

余奭周 作動しないから問題なんです。

金鍾大 とにかく最小限の装置があるわけですから、それをうまく活用するという意志を備えるべきです。私たちがいくら国防費を多く使っても、アメリカや北朝鮮に引きずられざるを得ない理由はいろいろあります。まず北朝鮮は、旧時代の在来式の武器でも戦略的にうまく使いますが、私たちは最先端の武器も在来式にしてしまいます。どこに飛んで行くかもわからない、あちらの砲やミサイルが、私たちが設置している高価な武器に対して戦略武器になっています。2つ目に、武器導入というのは、本来、安保のためにやることですが、よくみると武器導入のために安保をやっているような面があります。このように本末が転倒しているので、作戦に失敗するとすべて装備か何かのせいにします。天安艦事件の時(2010)、警戒に失敗したのではないかと言ったら、不可抗力だ、このソナーはもともと魚雷を捉えられない、などといって、みな免責されてしまいました。そのために救助艦として統営艦を導入しましたが、セウォル号沈没事故の時(2014)は何をしていたのかと聞くと、今度は音波探知の装備に不備があったと言っています。延坪島砲撃事件の時(2010)、私たちの海兵隊が撃った砲弾が田畑にずいぶん落ちました。砲弾を撃つ時、風速や天気に、より標的補正をしなければならないのですが、その気象装備がなかったというのです。ついこの間も、「ノック亡命」[ref]2012年北朝鮮兵士1人が鉄柵を越えて韓国軍GP(休戦ライン境界警戒所)を通過してGOP(小隊単位の一般前哨)生活観門を叩いて亡命意思を明らかにした事件。[/ref]や「宿泊亡命」[ref]2015年北朝鮮兵士1人が韓国軍GP前方5メートルで一夜を送った後鉄柵を揺さぶって発見された事件。[/ref]事件が起きて、これは指揮官の誤りではないかと言うと、規定通りきちんとやったが、監視装備にまだ限界があって、などといって、またみなすり抜けてしまいました。それから、2014年に延坪島付近に北朝鮮の警備艇がNLLを越えて、韓国側が警告すると、北朝鮮が発砲しながら抵抗したことがありました。これに対して、韓国の合同参謀議長と第2艦隊司令官が撃破・射撃しろと言いました。ですが、私たちの誘導弾高速艦に不発弾がひっかかって失敗しました。海軍の弁解では、不発弾は15分以内に修理するように海軍の規定に出ているが、11分以内に修理をしたのできちんと処理したというのです。昨年の木箱地雷事件のような場合は、そこが監視の死角地帯でもありません。人が常時出入りする、最高によく見えるところで事件が起きたんですが、これについてはあまりにも何も言えず、とにかく怪我人を連れて立派に撤収したということで英雄視しました。このように、保守政権において、実戦と類似した軍事作戦が例外なく失敗した理由を見ると、90パーセント以上が装備や天候のせいです。失敗の人間的な要素はみな排除されるのです。ここに見られるように、韓国軍の武器導入や装備維持は不良だらけです。そのうえ、また別の武器需要が登場しています。ですから、私は、韓国と北朝鮮の軍事力を比較することは意味がないと思います。武器の数字を語ってどうするんですか。実際にある武器もきちんと運用できない軍隊がです。アンドリュー・マック(Andrew Mack)という学者が研究したのですが、これまで50年間、軍事力が弱い方が勝ったケースが55パーセントと、そちらの方が多かったそうです。整備態勢や戦闘の完全性のような側面に関心を持たずに、常に新しい武器で膨張させようとする業績主義的な思考で軍が管理される以上、私たちが知っている軍事力は虚像です。そうした点で、韓国軍がこのような問題を一斉点検して正そうとする努力がないというのも、まったくもって奇異な現象です。

 

過度な物量と度重なる不正、防衛産業の構造的問題点

 

李泰鎬 ですが、韓米同盟が、韓国軍が不必要な装備を購入すべく機能する場合が多いとすれば、議論が続いた「THAAD」(高高度ミサイル防御体系)もそのような場合に属するとお考えですか?

余奭周 これは私の表現ですが、戦う方法には富者の戦い方と貧者の戦い方があります。大韓民国はそれほど富者ではありませんが、世界でもっとも裕福な国であるアメリカの軍隊と数十年いっしょにいると、よく富者の戦い方を使おうとします。武侠小説などを見ると、毒を使う人が時々出てきます。何年も修練せずに毒で、途方もない武功を持つ人を制圧します。その人たちが平時にその毒の針を持ち歩くために、またそれに自ら刺されないように、ものすごい努力をします。朝鮮半島の安保環境を見ると、私たちはそのような戦い方を備えるべき国ですが、富者の戦い方を追求していると、いつも足りないのが装備です。THAADはすでに北朝鮮のミサイルを防御する武器ではなく、大韓民国の国民の不安な心理を防御する武器です。やみくもに反対することはとても難しい状況です。基本的に私たちの実情とは合わない武器体系ですが、これに反対すればすぐに「従北」勢力とされてしまいます。ですが、これを設置してくれという地域住民も、またどこにも見当たりません。

金鍾大 セヌリ党も最近はTHAADの話をしません。

李泰鎬 THAADを設置するという言葉だけで効果的だったので、もうさっと手を引いてもかまわないでしょう。

金鍾大 はい。少し誤解の余地がありますが、軍に不必要な武器というものはありません。戦争時は石ひとつ棒ひとつもみな使い出があります。なので、他の軍事作戦もあり、防御すべきさまざまな威嚇があるのに、こちらの方が優先的なのか、というように接近してこそ合理的でしょう。THAADがあるならば、せめて航空機迎撃やレーダーで空中を監視するには役立つでしょう。ですが、これに伴う他の費用がとても大きいので問題になります。また、今、私たちが戦争における勝敗を分ける最も決定的な作戦がどのようなものかを深刻に検討する時です。THAADでミサイル防御をするというと、前方で航空作戦ができません。開戦初期に最も重要なのが航空作戦で、そのときは場所をあけなければなりません。さらに軍内でも、今、武器体系同士が重なっていて、たとえば、陸軍が地上戦を遂行するのに、海・空軍が邪魔になるからどいてくれといった具合です。そうなると、敵ではなく味方が荷物になる場合が発生します。

李泰鎬 軍は武器を増強したいと考え、政府にはそれを牽制する装置がなく、そのうえ武器を作ったり輸入する人々が、毎日ショッピングリストを持ってきて、この武器もいいしあの武器もあればいいといえば、自然と武器を購入しつづけるサイクルになるのではないかと思います。話が出たついでに防衛産業の話をしてもいいでしょか。最近、防衛産業の不正もありましたが、武器を購入することの妥当性、購買以降の効果性、またそれを生産する業者の持続可能性のような問題に、別途、省察することがないようです。

金鍾大 防衛産業の不正と関連して、今、広がっている惨状については、その原因をきちんと診断するべきだと思います。武器仲介商のロビーにひっかかったのは、過去にも1990年代にリンダ・キム事件や栗谷不正の時もあったことです。しかし今回は、それを触発させた契機が異なります。今、防衛産業の不正は、事業費規模で1兆ウォンを超えていますし、該当装備の買入額だけでも2千億ウォンを超えますが、その個別の件を見ると、明確に発見される共通点があります。韓国内で研究開発したものをやめさせて、外国購買に変えろ、この会社をあの会社に変えろ、中期計画に本来なかった武器だが、今回、延坪島砲撃事件が起きて安保危機だから至急設置しろ、というような政治的決定が乱舞しているのです。不正はすべてそのような事業で起きました。空軍電子戦訓練場費、海上作戦ヘリコプター、統営艦のようなものはみなそうでした。既存の政策が動揺すれば、一発主義の勢力が割り込む隙間ができます。予算はバラバラだし、早く買えと言うし、どうやって政策的な能力が発揮できるでしょうか。情報を持っている武器仲介商に依存せざるを得ない状況が自然とできあがります。適切な予算が編成されて、何年かにわたった妥当性の検討を経て正常に進められる事業ならば、大きな不正が出てくるわけがありません。私が見るところ、軍だからといって、特別に腐敗しているわけではありません。最近、防衛産業の不正が保守政権に集中的に起きています。これまで発表されたところでは、すべてが2010年から2012年の間に行われました。その時期はまさしく安保危機の局面で予算が大幅に削減された時です。導入先が変わって、大統領府が武器購買に直接介入するこの渦中に、誰が力を発揮するでしょうか? 情報力や代案を持つ人々が主導できる場が開かれたのです。このような事態を防止したければ問題は簡単です。合理的に納得できる費用を決めて、辻褄が合うように体系的に事業管理をすれば、不正は自然と減っていきます。ですが、保守政権がこのような原因自体を診断できずにいます。

李泰鎬 李明博政権の防衛産業不正が、どのような原因で行われたのか、十分にうなずけるように整理して下さいました。ですが、だとすれば、国産開発で数十年間続けてきた事業には、はたして問題がないのでしょうか? たとえばタンク事業は国産開発事業で推進して30年を超えますが、毎回、開発単価をだましたり、部品価格を膨らませたり、不良品を納品したりするなど、問題が続出しているでしょう。むしろ防衛産業を育成するべきだと言いながら、国産開発に特典を与えて、専門化・系列化して事実上独占を保障して……。

金鍾大 主要事業はほとんど競争体制に変わりました。

李泰鎬 専門化・系列化はまだ残っています。たとえば、韓国型ヘリコプター事業の場合、経済性がないという専門研究機関の評価が出ているのに、無理に始めたのはKAI(韓国航空宇宙産業)の工場を運営するためだったという推測が出ています。ヘリコプター開発事業をなぜKAIだけとやろうとしたのでしょうか? この事業に大韓航空が参入できていません。ヘリコプターは本来、大韓航空の方に専門性があるにもかかわらずです。これは事実、IMFの時、倒産の危機にさらされた航空産業の企業を、国家主導で合併して作ったKAIにある程度の物量を与えなければならないから、このようなことになったわけでしょう。今、国産開発業者というのが、政府から組み立ての受注を受けて工場に回そうとして、むしろ外国から技術移転を受けることも敬遠してします。部品素材産業に投資することもせず、そのような余力もなく発展がないという指摘を受けてきました。KAIをみても、全世界に固定翼(飛行機)と回転翼(ヘリコプター)を同時に開発・生産する業者はめずらしいです。2つのうち1つだけに集中しても、生き残りが困難な航空産業の環境のためですが、固定翼1つだけでも思わしくないKAIが、経済的妥当性においても曖昧なヘリコプター事業に参入したのは、政府が防衛産業育成という名であらゆる独占的特典を与える状況を排除しては理解できないことです。問題は、それで航空産業が育成され得るのかということでしょう。巨大化して、さまざまな国の企業が提携する時代なのにです。今、不必要な受注をしているような側面はありませんか。防衛産業を育成する構造自体に、このように予算を放漫に使っているという問題があるということです。

 

韓国内の防衛産業の崩壊をもたらした保守政権

 

余奭周 国防予算の放漫な執行の部分は、明確に論議の余地が多いと思います。特に国内で開発した自走砲や戦車も世界最高の名品武器とはいいますが、業者に生産量を維持させるために、各部隊の戦場環境や戦時任務に適していないのに、過度に普及させている傾向があります。たとえば、山岳地域で伝統的な歩兵作戦を遂行する部隊に、そういう武器体系を普及させるのは、各機能別の戦闘力発揮の均衡性を破ったり、野戦部隊の整備支援の能力超過によって、戦時任務の遂行に悪影響を及ぼす可能性もあります。

金鍾大 保守政権は最初から国内の防衛産業の業者の不良ないし不正を疑いました。特に李明博政権は大きな不信を持って、外国に導入先をみな変えるのです。今でも事実、L-SAM(長距離地対空ミサイル)の開発をしていますが、THAADの方に熱中しています。申し上げたように、そのように導入先を片っ端から外国に変えたのが、みな防衛産業の不正として噴出しました。国内の防衛産業ではそのような類の不正よりは、不良品の問題が全面化します。企業が開発するとなると、時間をかなり引っ張り、お金はたくさんかかるので、政府が業者にパワハラを行い、納品単価を半額に値切って、苛酷に遅滞賠償金を課しました。それとともに、事業費を一律的に30~40パーセント削減しました。ですから業者は、その原価を合わせるために、新手の不正に近い方案を考案したり、不良武器をあたかも完成された武器のように、早めにシャンパンをあけて野戦に配置した結果、大規模リコールが発生しました。かなり無理に推進した計画が、野戦から抵抗となって跳ね返ってきたのです。そうなると、また不信に思うようになって、同じ失敗を繰り返すことになります。国内防衛産業の立場では、自らに敵対的な政権が登場するから、実績をはやく出さなければならなかったのでしょう。開発できないものも、あたかもできるようにふるまって、自らの生存を企てなければならない状況に追い詰められたのでしょう。このような問題が大惨事を招くかもしれません。K-11小銃からはじまって、K-21装甲車、黒票戦車……問題にならなかった武器はありませんでした。

李泰鎬 李明博政権の一般的特徴をきちんと説明して下さいました。この政権がこうなったのは盧武鉉政権に対する反感も作用しましたが、大統領が土木企業家の出身として自らの不正経験も多く、経済的な利害関係が離合集散する癒着のリンクもよく知っていたはずなのに、そうなってしまったようです。大型の土木事業や国家事業を展開して導入先を変えたり、公企業またはそれに準ずる企業に天下り人事を押し切るというやり方で、当該事業に対する掌握力を高めようとしたんでしょう。そうしたら、親族の不正や予算浪費の事例も急増しました。言ってみれば、ここに付け込む余地があると思ったらみな介入するんです。李明博前大統領の実兄の李相得・前セヌリ党議員や鄭俊陽・前ポスコグループ会長などがかかわったポスコ不正事件、代表的な天下り人事である李錫采会長に関連したKTの不正がその代表的な事例で、4大河川事業や資源外交事業も、予算の浪費と各種の不正で汚されることになりました。ですから、国防も、以前やっていたものなどを、みな導入先を変えたりパワハラをして、不正や不良を醸成したものと十分に理解できます。ですが、防衛産業のもう少し構造的な問題は、滅びる企業はそのまま倒産させるべきではないかということです。このような企業にさまざまに特典を与えながら、そのまま放置することが、全体的に韓国の防衛産業の生態系を歪曲させているのではないでしょうか?

金鍾大 それは誤解だと思います。外国業者がパワハラしている間に、韓国内の業者はほとんど庶子扱いを受けました。金大中・盧武鉉政権の時にうまくやったのが、研究開発費を増やしたということです。それを特典だと考えてもかまいません。ですが、その成果は後に出てきました。李明博政権がスタートして、韓国内の防衛産業の研究開発の基盤をみな瓦解させてしまいました。ロッキードマーティン、ボーイングなど、特典を受けた外国企業が数多くありますが、それによる費用を国内の防衛産業に転嫁してしまったんです。国内業者の立場では、防衛産業をあきらめる方向で対応できたと思いますが、実際にサムスンが防衛産業から完全に手を引きました。ですが、他の大企業の場合は、違うところでお金をたくさん儲けながら、防衛産業はしないといったら目をつけられるかと思って、完全に無視することもできずにためらっていた状態で、空気だけを読みながら過ごしていたんです。在来式の地上装備のような場合は、それでもまだ受注量が合うのでそれなりにやり過ごしてきましたが、事実、すでに国内防衛産業は、過去の金大中・盧武鉉政権の時と比較すれば、ほとんど焦土化している水準と見てもかまいません。

李泰鎬 それでは、今、国防部が言っている内容、防衛産業の輸出は増加していて、未来の成長動力になってということは……。

金鍾大 それは事実と違います。輸出がそのようにかなり増えたとすれば、なぜ防衛産業の業者の株価が落ちているんでしょうか?

余奭周 過去の努力が、今、目に見える結果として現れたということでしょう。問題は明日の実績が出てこないということです。

李泰鎬 私は、防衛産業と軍が共生関係になることで、全体的に軍備増強を引き起こしたり、不良防衛産業がゾンビ形態で維持されるという、悪循環の輪があるんじゃないかと思います。

金鍾大 今、軍でその問題を解決する一次的なカギは「所要」の問題です。そこで問題点を指摘しなければ、不良だろうと生臭かろうと防ぐことはできません。ひとまず所要がとても放漫に大きくなっています。その費用に耐えられないので、代金をむやみに値切って不良を産むことになります。防衛産業の不正捜査も、所要の決定を誰がおこなったのかから明らかにするべきです。そうでなく実務者ばかりを叩いているから、裁判になっても半分以上無罪で出てきます。

李泰鎬 威嚇の分析をして戦略を決めれば、所要が出てくるわけです。これをそのまま軍内部だけにまかせて、民主的な意味でのコントロールができなくなっているというお話しとして、理解してもかまわないでしょうか?

金鍾大 むしろ政権が一層、それを強めました。文民統制がとてもうまくいきました(笑)。大統領があれこれいってやたらとつつくので、軍人はそれならばと、当然、ショッピングリスト持っていくでしょう。ここに武器仲介商が加勢して、韓国の国防計画を完全にもてあそびました。

 

モラルハザードと過度な影響力行使

 

李泰鎬 武器体系の不正もありますが、軍内の基本的なことも問題が多いという認識が拡がっています。最近、報道も出て、人々が敏感に反応するのが、ベッドや防弾服の導入のようなことが正しく行われなかったという問題です。一般の人たちはこのような部分ですぐ反応します。余代表はどのようにお考えですか?

余奭周 多くの韓国の男性が軍を腐敗と感じています。ですが、腐敗と感じる理由を聞くと、ほとんど日常生活に関連したささいなことです。たとえば、乾パンを1袋くれるべきなのに半分だけくれたとかいう部分です。一般社会ではダイエットブームもありますが、兵士として服務する立場ではとても重要な問題でしょう。そのような日常生活に関連したところから出てくる腐敗は、金額では微小ですが、長期的に軍イメージに途方もなく大きな打撃です。ですが、事実、こうしたことは、軍が腐敗しているということではありません。商行為でそれを食べた人、軍に関連した人から腐敗が発生したということです。もちろん、波及効果を考えた時、そのようなことが発生してはいけないのですが。

金鍾大 私もそのように考えましたが、最近、在郷軍人会の年金不正を見ながら考えが変わりました。先日、不良防弾服事件がありました。弾丸が貫通してしまうということです。それは通弾服であって、防弾服なんかではありません。嘆かわしいことです。軍でこのような問題を清算しようとする意志が足りないのは、事実ではないかと思います。国家安保をやるという面で、自らの道徳的な問題はすでに解決されていると考えるようです。在郷軍人会は、軍では違うと言っていますが、毎日、軍の部隊に電話するのは彼らです。ゴルフ場の予約をしろ、イベントがあるから、軍部隊の指揮官が出てきて挨拶しろ、研究サービスをくれ、何々を納品するようにしてほしいなど、現役の軍人は、そこで全然身動きがとれません。現役の未来は予備役です。軍人がこういうことを模倣しながら、権力が大きくなるにつれて、より一層道徳的に武装すべき位置にある方々が、むしろそれが解除されてしまう傾向が明確にあったと思います。安保が重要だという保守政権になって、道徳性の問題もまた悪化したような側面があります。指揮官が犯す性暴行とか、各種の不当な行為を見ても、昨今になって軍が社会を恐れなくなり、社会的影響力が拡大したことを自ら消費して楽しむ部分があるならば、警鐘を鳴らすべきでしょう。

李泰鎬 軍でしばらくの間、軍人が否定的な世論のために臆して、士気が低下するのはもちろんのこと、誰も軍人になろうとしないと、大袈裟な態度を取ったことがありました。

金鍾大 最近見ると、軍が愛国心を名分にして、一線の学校に安保教育に行きます。何かというと親たちを集合させて指揮官が講演するのですが、このようにきわめて分不相応なことが多くなりました。

李泰鎬 軍で学生たちを呼んで射撃訓練もさせました。驚きました。

金鍾大 学生たちの入営キャンプもやって親も呼びます。そこで話すのは、子供たち(兵士たち)に最近、補給品を与えられない理由は、「従北」勢力のためだということです。福祉をあまりにも主張して補給品も出ないと講演したようです。予備軍の教育の場でも同じです。過去においてはコントロールされていた、ある種の装置のネジが、今、緩んでいます。一般国民に何をしてもかまわないという先民意識が拡大すると、道徳的な弛緩が発生して、結局、不正につながる面が、私が見るところ存在するということです。

李泰鎬 軍に勤めたという事実だけで、安保専門家になるわけではないと思います。教育専門家はより一層違います。にもかかわらず、この人たちが履修プログラムも受けないまま、市民に平和や安保について教育できる主体と見なされるのは問題があります。

余奭周 私が外に出てきて事業をしながら感じるのは、軍出身に2つあるということです外に出ても清廉に生きる人と、お金に対する観念が民間人よりさらに不明な人。軍では公私の区分を明確にするという話はとにかく聞いて生きるでしょうが、外に出てくれば公私の区別がないと考えるようです。在郷軍人会も私が見るところ、規律から自由になったという感じで、目に見えるお金はみな自分たちのものだと感じるようです。

李泰鎬 朴槿惠政権すら、セウォル号沈没事故以降、「官僚マフィア」清算を言っていましたが、韓国ではやはり、元官僚の礼遇の問題があります。在郷軍人会がもちろんそうですし、防衛産業の問題もそれと関連がありますが、現職で武器の購買をした人々の大多数が防衛産業関連の企業に行きます。もちろん、職業的なことですから、ある程度あり得ることですが、今、公職倫理法上の規定もよく守られない場合が多いようです。予備役の問題もそれと似ています。金鍾大議員がしばしば提起する問題の1つが、予備軍の部隊が完編師団でもないのに、あまりにも多すぎるということです。兵士はあまりおらず将校はあまりにも多いわけです。さきほどお話しした武器の所要問題にも大きく影響を与えます。将校を養うためのさまざまな構造が、既得権でがんじ絡めになっています。本当にこのような構造が必要だったのか疑問を感じます。

 

臨界点を越えた召集率と過度な将校数

 

李泰鎬 韓国の兵士の数が、今、それなりに減って63万といいます。盧武鉉政権も朴槿惠政権も、長期的には50~55万程度に減らすべきだといいます。ずっと減らせないでいますが、とにかく50万という数字も、そこまで必要なのかと言えそうです。

金鍾大 政策的な決断が必要です。63万のうち44万が兵士です。兵士中心の組織でしょう。ですが、召集率を見ると、80年代に平均51パーセントだったのが、今は87パーセントです。重症障害者以外はみな軍隊に行くということです。このような人が軍隊に来たのかという事例が、信じられないほどおびただしくあります。2016年現在、21歳男子の人口は36万人ですが、3年後から本格的な人口減少が始まって、2022年に11万人減ります。2025年頃になると、服務期間を延ばさない以上、50万の軍隊維持が不可能です。今、63万を維持するこの渦中にも、到底、軍隊生活ができない子供たちをみな入れていますが、事実、適正召集率のレッドラインは76パーセントです。ここで1~2パーセントだけさらに上げても、不適応者まで軍が受け入れなければならないわけですが、今、90パーセント近くに肉迫して、軍隊が正常でないということです。軍内の不適応者のために運営するグリーンキャンプに年間3000人が入所します。数字が問題ではなく、大多数はもう所属部隊に戻せません。過去には1~2週だけで戻しました。今はそこで除隊しなければなりません。でなければ、病院に送るとか各種の名目で部隊生活から隔離させます。相当多くの部隊が下部で崩壊状態になっています。指揮官、兵士、親がみな固く団結して、事故の予防をして、かろうじて維持されています。他の見方をすれば、軍も被害者かもしれません。戦闘力を発展させるために使うべき時間の大部分を、部隊の管理に注いでいます。本来、予定された国防改革を至急断行して、3年後から始まる人口急減時代に備えるべきだったのに、それをしてこなかった結果が、次の政権の時には巨大な災難になるでしょう。部隊構造の調整とか兵力の縮小のための顕著な措置は、この政権が終るまでまったくないという話です。これは保守政権が安保を亡ぼしている欺瞞的な形態です。保守が先頭に立って対応すべきことも、むしろそれを回避して安住していたというのは、洗い流すことができない誤りだと思います。

李泰鎬 もう少し具体的にお聞きすると、韓国の適正将校数や将軍数はどれくらいだとお考えですか?

金鍾大 そのような問題は、やはり軍隊がどのように戦うべきかによって決定されます。これを決めれば、そこに見合った組織ができ、その組織に見合った人材が算出されて、それに見合った人事がともなうわけです。これが正常な手続きです。ですが、今、私たちは多くの将校を進級させなければならないという人事上の要求が、人材政策を揺さぶっています。その人材政策が組織政策を歪曲させて、それが戦う方法にも悪影響を与えました。8・18軍制改編計画(1988)というのがありましたが、福祉と民主主義が発展した1980年代以降、小さく軽快な軍隊を作るということを表明しました。その精神に戻っても、最初から、今、それをそのまま導入して改革するとしても、おかしなことは何もありません。今、430人余りの将軍、3000人余りの大佐がいます。将軍を休戦ラインに一列に並べれば、おおよそ500メートルに1人ずつ並べられます。また合同参謀本部から野戦の末端の作戦部隊まで、指揮系統に干渉できる星の数字が100を超えます。指揮段階が6段階になっています。この過度なシステムを維持しようとすれば、浪費がとても多くなります。ソウルから平壌まで、戦闘機で全速力で飛んで行けば2分もかからないこの狭い国に、世界で一番複雑な指揮体系と放漫な人材を配置しているのですから、どのような結果が出るでしょうか? 野戦に行けば、戦う人は足りないのに後で指示する人はとても多いのです。それから司令部の乱立。輸送や指揮通信は参謀機能なのに、どうして司令部なのでしょうか。みな自分が指揮権者だといって司令部を乱立させました。このような形の部隊構造が、人材を過度に膨張させた主犯です。ですから、他の見方をすれば、人材を減らすのはその次の問題であって、まず部隊構造を合理的に変えるのが最優先の問題です。陸軍にありあまる高位将校ために、1軍―3軍の統合が何年も遅れています。結局、今より大幅に簡素化された部隊構造に見合った人材体系、それが適当なラインです。そしてすでに判断はみな終わっています。実行に移していないだけです。

余奭周 私も一般的に同意します。参考までに申し上げれば、1961年の5・16軍事クーデタのとき、「反革命」として追及されてアメリカに亡命したキム・ウンスという将軍が、1957年度だかに国防部の作戦側の局長としていながら、韓国軍を20万に減らす計画を進めたといいます。とても不安な時代だったのにです。私も規模に対してずいぶんと考えましたが、もしかしたら軍隊の削減は、人口が減ることで自然とうまくいくかもしれません。

李泰鎬 私の理解では、ドイツ、イギリス、フランスなどは将校が2万 7千~3万 7千人程度だといいます。私たちは7万 2千人です。イギリスは90年代に国防改革の過程で将校数を20パーセント減らしました。アメリカは30パーセント減らしました。この国はすべて90年代に全体の兵力も35パーセント内外削減しました。ですが、米軍は言うまでもなく、ドイツ軍、フランス軍、イギリス軍を弱体と言うことはないでしょう。韓国は90年代以降、将校の数がむしろ500人程度増えましたし、兵力も減らすといいましたが、これまで20数年間で、ようやく4万人余りを削減する程度で終わりました。将校と兵士の数を減らして、副士官の比重を増やせば、戦闘力の損失もあまりなく、国防費も大きく削減できると思います。

余奭周 そうですね。韓国に将校が多いとも考えられますが、さらに大きな問題は、将校団が本来の役割のほかに、部隊の管理に過度に関連しているという点です。その最初の理由は副士官の階層が虚弱だからです。副士官がやるべき部分が明確にあるのですが、それができないので、結局、将校を座らせるわけです。兵士管理のようなことは将校がすべき仕事ではありませんが、すべてそれに奔走させられています。毎日、中隊の中に座って、休暇者などに電話を回して……全国民が小卒水準だった創軍の初期に、それなりに優秀な人材を誘致するために、中卒の学歴を下士官の志願資格にしました。そのうちみな中学校は卒業するので、高卒に志願資格を引き上げました。ですが、今でも資格は高卒です。副士官は兵士より何かもう1つなければならないのに、今、副士官は階級だけが高くて、年齢も若く、学歴も低く、暮らし向きもよくない実情なので、そのまま兵士のそばにいる1つの階層になってしまったんです。米軍がよく言うのは、将校団が頭脳で、兵士は手足で、副士官が背骨や腰だということです。韓国軍はこの腰が不十分だから、じっとしている時は完全なようだけど、実際に動くときちんと歩けないんです。だから私たちが徴兵制から募兵制に移行する前にやるべきなのは、副士官の階層をしっかりさせることなのですが、その基本は、兵役の生活を終えた人を下士官として選抜することです。今のように、何か月かやって、これはいいと連れていくのでなく、兵役生活を終えた経験があって検証された人材が必要です。

李泰鎬 有給志願兵制度というのが、そのような概念ですか?[ref]兵役服務の期間短縮に備えて、熟練・専門担当者の確保のために2008年に導入された制度で、現役服務中に志願して、下士官として最大18か月まで延長服務する類型と、入隊前に志願して兵役の義務服務期間を終えて下士官として任官して3年服務する類型がある。[/ref]

余奭周 ですが、有給兵制にすると、優秀人材の確保という本来の目的がきちんと達成できず、そのまま社会に出ても、いい仕事がないからそこにいるのだろうと新兵に後ろ指を差されるといいます。方向を有給兵制にするべきではありません。その金で副士官の給与や処遇を改善して、兵士たちが副士官として職業軍人ができるようにするべきです。そのような副士官が1つだけあれば、経験のない初級将校よりも部隊をはるかによく管理できると思います。

 

人の価値を尊重すれば

 

李泰鎬 私たちの兵士の月給がわずかばかりなのも、批判的に考えることができます。基準として考える上兵の月給が17万 8千ウォンといいます。市民団体でおおよそ計算してみると、兵力を少し減らして服務期間も短くすれば、すぐにでも100万ウォンを与えることができるそうです。[ref]李泰鎬「軍服務1年、兵士の月給100万ウォン、いますぐ可能」、『オーマイニュース』 2016年4月7日付。http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002197114[/ref] 将校の数を少し減らし、それによって部隊を減らせば、予算がさらに追加されることもないと思います。

余奭周 ですが、月給をより多くやったら、兵士の生活がよくなるんでしょうか? もちろん給与がとても低いこと自体は問題ですが、それは根本的な解決策ではないと思います。

李泰鎬 私の焦点は、軍服務期間を破格的に短くしようというものです。12か月程度にです。普通、徴兵制国家は、ヨーロッパでも12か月内外です。

余奭周 義務服務期間を短縮すべきということには原則的に同意しますが、現在の運営体制をそのままにしたまま、服務期間だけ半分に減らせば、全体の兵力の規模も半分に短縮すべきだという話になります。実現性が非常に低いです。現代戦の様相や現在の韓国軍の武器体系などを考慮する時、義務服務する兵を中心に部隊を編成して、現代化装備を運用するのは問題だと思います。私もおよそ6か月程度訓練を受けて、6か月程度はこのようなものが軍生活だということを体験する程度にして送りだす方が正しいと思います。たとえば、前方警戒部門についても、過去のように人材中心でなく、科学化概念を適用した専門警備部隊であるとか、いい研究がすでにかなり出ています。とても破格的な話ですが、最近、50歳で引退する人も多いと思います。こうした方々を対象に、DMZ(非武装地帯)専門警戒の人材を補充するのも不可能ではないと思います。知的能力や体力的能力が人生の最高度である20代の若者たちを、スパイを監視させる仕事に縛っていてはいけません。また世界最強のK9、黒票戦車のような数十億の装備を、2年も勤務していない月給17万ウォンの兵隊が操縦しています。なんとか回っているようですが、数十億の装備の寿命に途方もなく悪い影響を与えます。ヘリコプター500MDのようなものは半額もしないのに、将校や准士官2人が操縦しています。このようなことはみな変えるべきです。最小限、副士官が専門性を持ってやるべきです。

金鍾大 これは30年近く出ている話ですが、変わらずにいます。まず、一線の戦闘員の生命価値がかなり低く評価されているのが問題です。それを前提にすべての軍隊組織が設計されているので、軍隊が専門家集団になれないんです。戦う方式も多く殺して多く死ぬ、現代戦ではみな無効になっている在来式の教理でしょう。命の値段が安いからです。人を尊く考えて、はじめて浪費をしないわけです。兵力が足りないといいますが、私が見るところ、まだ遊休兵力があります。生命の価値を高めれば、この大事な資源をどのように効率的に使うべきか悩むことになるでしょう。軍の運営の先進化の動力をとらえられる時代的な契機になると思います。

李泰鎬 軍はいつも、改革を行うためには軍を主体にするべきだ、軍の士気を考慮するべきだといいます。ですが、国防改革は、結局は同じ論理によって挫折します。軍に自らさせるべきだというから、では問題をどのように調整するつもりかと聞いたら、結局は既得権によって決定されます。たとえば、陸・海・空軍の間で陸軍が勝って終わるというような形です。これまでこのようになってきたのではないでしょうか?

金鍾大 覇権的な運営体系がありました。軍が文民統制からかなり逸脱した弊害が、ここにも及ぶんです。国防の株主であり顧客は、誰がなんと言っても主権者である市民でしょう。軍が、市民が合法的に選出した政治権力のコントロールを受けない例外集団に陥ったら、全般的に非常に不規則的に運営される現象が長期間つづき、いまや本当に解決することが難しくなりました。結局、軍自らが最も大きな被害者になるでしょう。

 

軍改革の動力をどこに見出すべきか

 

李泰鎬 そろそろ、まとめをしなければなりません。来年、大統領選挙があります。選挙の時は軍と関連した話も出てきますが、人々にとって最も敏感に感じられる問題は、やはり兵役の服務期間、そして募兵制のようです。その問題についてどう思いますか。その他に来年の大統領選挙で、軍の問題と関連して主題にしてくれたらいいと思われることを、おっしゃって頂ければと思います。

金鍾大 今回の総選挙で私が最もいい反応を引き出したのは、まさに軍の問題でした。初めは私も服務期間の問題として接近しました。ひとまず選挙の時に不可欠の話ですからね。ですが、服務期間の議論に重点を置くには、青年たちの状況がさらに深刻でした。高卒者の入隊待機期間が平均24か月です。その期間に誰が就職させるのでしょうか。ほとんどみな社会的余剰に転落します。それから一番短い陸軍基準の21か月で軍の生活をして、除隊して就職するまで、また31か月です。合わせると76か月でしょう。軍の服務による犠牲と社会的負担が重すぎるということです。ならば、これを半分に減らすのが可能かを考えるべきで、軍服務の短縮をいくら公約として出してもせいぜい3か月の短縮です。全体を減らさなければ、大学に進学した人たちとますます格差が広がるんです。永遠に追いつけません。青年たちの雇用政策、兵役政策、教育政策の3つがみな統合されるべきです。このような生涯周期の公約が出てくるべきで、そこに軍が協力するように要求するべきです。服務期間の短縮だけで利益を得るというのは、率直にいってポピュリズムです。

余奭周 さきほど12か月というお話しをされましたが、そのようになるには前提条件があります。専門的に軍生活をする集団と、訓練および経験する水準の予備資源とで二元化されるべきです。私は大統領になるという人たちが、自分が実現する安保戦略の大綱を大統領選挙の過程で提示するべきだと思います。国防改革も就任前にその根幹を完成させてこそ可能なわけで、毎回、明確な戦略もなくそのまま就任して、国防部に国防改革委員会をスタートさせれば、その人たちだけはいいでしょう。およそ3年を無難に送って、任期末期になったら誰も陳情にも来ないので、報告用の計画だけを作って出て行きます。今回の政権はそれもしないようですが。私が大統領ならば、このように言いたいです。国防部長官になりたい人は、国防改革案を持って私のところに訪ねてこい、そのようにして任命された国防部長官は、ささいなことで更迭することもないので、私と同じ5年任期の間に国防改革だけに専念しろと。合同参謀議長も現役のうちにどのような方法で軍事力を運用するのか、案を持ってこいと言って、大統領の統治哲学を実現できるだけの人を任命して5年間やらせるべきだと思います。あえてアメリカの話をする必要はありませんが、アメリカの合同参謀議長のような任命職の任期を見ると概してそのような感じです。士官学校の期数のようなものは考慮せず、自身の統治哲学を正確に実現できる軍令の専門家、軍政の専門家を任命することを、私は次の大統領に望みたいと思います。

李泰鎬 私はとにかく、軍改革の動力は外部からなされるべきだという考えです。そのように見る時、最も基本的な動力は、この青年たちひとりひとりが、みな家庭でとても大事な存在であるということから出発するべきだと思います。ですから、国家が青年たちを召集しようとするならば、正当な代価を与えるべきだということです。兵士の月給を最低賃金以上になるように現実化するんです。少なくとも市民社会は、その話を先に投げかけるべきだという立場です。それでは、これで今日の対話を終えたいと思います。長時間、いいお話しをして下さって、本当にありがとうございました。

(2016年4月26日/創作と批評社・西橋ビル)

 

翻訳: 渡辺直紀