창작과 비평

[卷頭言] 持続可能な開放戦略を模索しよう (2006 夏)

李南周・李章旭

 

 

 

今年, 韓米 FTA(自由貿易協定)の公式交渉の開始が宣言され、社会の争点として浮き彫りになっている。民衆陣営は、新自由主義の拡散や両極化の深刻さをもたらすとし、韓米FTAに対する反対戦線へと集まっている。一方、韓米FTAの推進勢力は、開放か鎖国かという二分法で民衆陣営を責めている。今、韓米FTAは、国民に対して二者択一的な判断に追い込む一つの記号となっている。このような対立構図は、少なくとも一次交渉の期限である来年の春まで続く可能性が高い。

 

グローバル化が進むにつれ、開放問題はつねに論争と葛藤を巻き起こしてきた。世界経済における韓国経済の占める地位が10位圏に入り、それが世界経済へ積極的に参加した結果である点において、開放に反対することは、説得力のない状況になっている。にもかかわらず、開放をめぐる議論は、政策のレベルを越え、極端の対立と分裂という退行的な状況につながるおそれがある。

このような事態に関してはまず政府に責任がある。韓米FTAが社会に構造的にもたらす深刻な影響にもかかわらず、国民的な合意に至っていない時期に一方的な交渉を進めているからである。現在の状況において韓米FTAの締結は、経済面でアメリカ式の標準の受け入れになる可能性が高い。政府はサービス産業の発展こそ韓国経済の活路であり、そのため、この分野に競争力をもつアメリカとFTAが必要だと主張している。さらに韓米FTAは 外交面で韓米同盟が経済同盟に拡大されるのだと説明している。アメリカ側も北朝鮮の脅威に対する対応としての韓米同盟から、地球的なパートナーシップへと発展する契機になると評価している。

 

しかし、経済改革持続の必要性は認めるにしても、その改革の方向がアメリカ式モデルの受容という一方的なものになっては困る。なぜならば、ヨーロッパ式や日本式、あるいは別の成長モデルや開放のモデルがあり得るし、むしろアメリカ式モデルは例外的であると思えるからだ。さらに韓米関係の安定的な発展が重要であるにしても、現在の状況のなかで韓米同盟の強化だけを強調することには同意できないのである。それは、他の東北アジア諸国との関係において緊張局面に追い込まれることになるだろうし、周知の通り、ブッシュ行政府との「地球的パートナーシップ」というのは、結局、アメリカの必要とする戦争における同盟を意味するからである。

 

慮武鉉政府の登場は、社会を統合する経済発展や、アメリカとの水平的な関係、また均衡のとれた対外関係を望む国民の支持を得た結果である。そのような慮武鉉政府が、国民の共感を得られない使命感や不十分な根拠の主張を繰り返しながら、強引に韓米FTAを進めようとするなら、それは民主主義の危機といえよう。まもなく公式交渉が始まるが、政府はこの問題に対する国民の合意のない今の状況下で、交渉の妥結を急ぐことは避けるべきであろう。

 

さらに、韓米FTA反対闘争において、進歩・改革陣営側が戦闘に勝っても勝負に負けるという愚かな結果を出してはいけない点を強調したい。世論調査によると、多くの国民は、開放に対しては肯定的な態度を示しながら、韓米FTAに対しては慎重な立場をとっている。とくに農業および映画市場などに及ぼす韓米FTAの短期的な衝撃や経済システムの変化にともなう不安定性を気にしつつも、開放が韓国社会の発展に役に立ったとし、今後目指すべき方向であると認識されている。したがって、もし韓米FTA反対闘争が開放反対という言説の枠に囲いこまれたら、国民の持続的な支持を得ることが困難なことは間違いなく、未来志向の発展モデルをめぐる議論においても敗北する可能性が高い。だから、進歩改革勢力は力を集め、来年の初頭という期限内に韓米FTAの交渉が妥結することを反対し、また、開放に関する進歩的な代案を出すように努めるべきである。その努力の出発点として次の三つの方向を提案したい。

 

第一に、開放は国内の福祉政策の整備や社会安全網の構築をもって推進されるべきである。これは単に開放に伴うリスクの補償というレベルの問題ではなく、社会発展の基本方向として推進されるべきである。第二に、南北の経済統合の進展を考慮し、それに寄与する方向での開放にならなければならない。それは南北の経済統合が内部市場の活性化や、東北アジアの地域協力を基盤にした開放、また国内改革の好循環構造を作り上げる可能性を提供するからである。第三に、開放と経済統合は、国際的に多様な地域協力体によって管理され、漸進的なやり方で進められるべきである。

 

以上のような開放戦略が非現実的だと批判されることもあるだろう。だが、開放という一見現実的に見える選択さえ、その前提に適切な福祉や社会の合意がなければ多くの問題をもたらすことになる。また、開放に対する抵抗が増えるだけでなく、社会的な葛藤と混乱を統制することが困難になるであろう。多少遅れても長期的な福祉や民主主義、そして地域協力、平和に寄与できる持続可能な開放戦略こそ、真の「現実的な」方法といえよう。この社会には外部からの衝撃ではなく、内部の議論や合意を経て未来を選択する権利と能力があると信じる。この開放問題も例外ではない。

 

今月号の特集は、文学の分野として「2000年代の韓国文学に刻印された時代的兆候」というテーマにした。タイトルの通り、この特集は、今日において韓国文学が、同時代をいかに読みとってきているのかを見るために企画されたものである。これは私たち創批にとって一貫した関心テーマではあるが、多少古いアプローチという気がするのも事実である。だが、編集部としては創批の基本的な文学観に忠実でありながら、新しい表現と文法による斬新な作品の読みが求められていることを念頭に置き、この企画のような特集を編んだ。読者の愛情ある関心を期待する。

 

韓基煜は、2000年代の韓国文学を、境界を越える視点や6・15時代――2000年6月15日の南北共同宣言を受けた時代の視点から見据え、2000年代に登壇した若手作家たちにおける新しい傾向の想像力や、1990年代の作家世代における自己革新的な姿について言及する。文学をめぐる環境は厳しくなる一方だが、我々の文学の対応力や活気は依然として保たれていることを論証し、新しく提起される時代の課題と文学的な成就の問題をバランスよく検討する。黄光穂は6・15以後、南北関係や分断問題を取り上げた多数の小説を調べ、蜘蛛の「巣作り」と「消化法」という隠喩でその困難と可能性を検討する。金亨中は最近の文学における性と愛、家族といったテーマが、どのような表現として見られるかを考える。とくに小説と詩を含め、家父長的で男性中心主義的な世界を越える「倫理のまなざし」を強調する。車美怜は、朴玟奎とチョ・ハリョンの小説に見られる幻想の問題に注目する。彼らの作品において幻想は、ジャンル文学の痕跡でありながら、切実に現実の「外」を夢見る文学的な本能として高く評価している。申亨徹は「スキゾ」(分裂者)や「アナーキー」(無政府)という表現をもって若き詩人の世界を説明する。前者は「私」のアイデンティティを痛烈に問いつめて変種や変声に向かい、後者は世界の統一性を攪乱しつつ新しい表現の精緻さを獲得していくものである。

 

以上の五篇の論文が、我々の文学における時代の座標として有効な案内役になると信じる。次号は今回の文学特集に関するレビューを企画している。異質の視点からの議論が生産的な批評文化の形成に寄与するものと期待する。文学特集の以外にも、今季号には注目すべき評論が多く寄せられた。理念的な指標としての「民族文学論」が直面した問題を批判的に検討する辛承燁の評論、最近の叙情詩のめぐる問題や可能性を論じる嚴景熙の詩評、それから金仁淑、金薫、尹成姫、趙善姫らの作品を繊細に読み解く鄭弘樹の小説評も一読の価値があろう。

 

わが文学をめぐる現況と位置を見つめるのが特集であれば、今号の詩と小説はそのまま文学の地形図を示しすものである。詩欄では元老詩人の閔暎からキム・クン、姜聖恩らの若手詩人にいたるまで個性溢れる詩に出会えるであろう。またさらに豊かになった小説欄は「新鋭小説家七人選」という企画で、独自の作品世界を作り上げた1970年代生まれの作家たちの短編で編んだ。金倫永、李起昊、金重赫、片恵英、白佳鈴、孫洪奎、金美月など、旺盛な活動をしている若手作家らしく、彼らの多彩なまなざしと表現で現実の裏面が描き出されている。ほかにも多くの新人作家を招こうとしたが、紙面の制約で次回を約束するほかない。

 

文学特集のため、政治評論部門の紙面が少なくなったが、「挑戦インタビュー」や「論壇と現場」、また寸評欄の文章がそれを埋めてくれた。今季号の「挑戦インタビュー」では、市民運動家の河勝彰が民主労働党の沈相奵議員に会い密度ある議論をした。格差解消、租税改革、韓米FTAなどの主要懸案において、民主労働党をめぐる多様な争点にいたるまで、このインタビューをとおして進歩政党の直面した課題などが理解されるであろう。

 

時事性に富む人文社会批評を試みる「論壇と現場」欄において、崔元植の文章は、最近議論になった『解放前後史の再認識』の問題を批判的なまなざしで細密に問いかけたものである。かれは保守史観の「反撃」というべきこの書物の企画者と論文の筆者との間にある亀裂を大きな問題点と指摘し、また進歩陣営の生産的な議論が必要だという苦言も忘れない。前号の成田龍一の『未来を開く歴史』批判に対する反論として提起した辛珠柏の文章、日本の六ヶ所村の核再処理工場を中心に日本の核脅威を喚起する洪性泰の文章は、その実践的な次元において注目を要する。ジジェクの「反人権論」は、西欧列強による第三世界への政治的軍事的な介入の根拠として用いる自由主義人権論を反駁し、同時に人権を虚構的なイデオロギーと断定する一部の理論家の問題点についても明らかにする。人権という普遍の価値こそ強力な政治性の根拠になるべきであるというのが、この論文の結論である。そして韓流にかんする国際シンポジウムにおいて議論された日本の知識人の二編の文章も一読を進める。板垣竜太と小倉紀蔵の文章は、東アジア全域に広がりつつある韓流について日本知識人の文化史的な省察という点で関心を集める。寸評欄では、「黃禹錫」論争から新自由主義的世界化への対応まで多様な争点が扱われた。貴重な文章を書いた筆者たちに再び感謝申し上げる。

 

創批は先の5月初からオンライン・メディア「創批週刊論評」(http://weekly.changbi.com)を発刊し、季刊紙としての時間の制約を補おうと試みた。韓国社会をめぐる課題について時事的な論評や深みのある文学・文化論評が出され、創批の運動性もより強化されると期待される。また4月には『創批』インターネット日本語版(http://jp.changbi.com/) を開設し、東アジアの各国における批判的な言説を生産的に流通させるきっかけを提供した。これとともに、創刊40周年記念の特別事業として推進される、東アジア国際シンポジウムも予定通り6月9~10日、ソウルで開催される。韓・中・日の進歩的かつ批判的な雑誌の編集人が集まり、東アジアの連帯を模索するこの事業が有意義なものになるように、読者の関心と声援をお願い申し上げる。

 

今年の春、40周年記念号を出した後、創批は周囲からさまざまな励ましと批判の声を賜わった。創批の編集部は、愛情のこもった励ましだけではなく、批判的な提言も大切に受け止め、同時代の言説の現場をより内実のあるものにしていくことを約束申し上げる。

 

 

 

 

 

訳: 洪善英

季刊 創作と批評 2006年 夏号(通卷132号)
2006年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2006
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea