沈相奵(シム・サンジョン)第17代国会議員。民主労働党院内首席代表。全国労働組合評議会で組織局長を、全国金属労組で事務処長を歴任。
河勝彰(ハ・スンチャン)市民運動家。「ともに行う(ハムケハヌン)市民運動」政策委員長。経実連(経済正義実践市民連合)で政策室長を歴任。著書に『河勝彰のNGOの話』がある。
照度がよく変わってしまうので、写真撮影のためにあちこちに場所を移動しなければならないほど黄砂のかかった週末の午後、国会議員会館で沈相奵議員と面会した。あちこちで進歩陣営の危機論が叫ばれる最近、進歩運動のひとつの軸を担っている民主労働党の核心人物の一人とインタビューをするのは、とても時宜にかなったものと思われる。多忙な人なのでアポイントをとるのが容易ではなかった。議員になったばかりの時に一度会い、その後は儀礼的な挨拶をかわす以外はほとんど会っていないので、とにかく最近の生活が気になる。
河勝彰 最近、国会議員としての生活はいかがですか。
沈相奵 正直言って、労働運動をしていた時よりかなり疲れますね。一方で勉強することはかなりたくさんあります。やはり労働運動をする時は活動の空間が限られていましたが、国会というところは国政全般を扱うところで、社会のあらゆる領域にわたって接触する面が広いために、私たちの社会を総合的に認識し判断するのに役に立つようです。
河勝彰 2004年の国政監査の時、イ・ホンジェ長官が大変だったようですね。経済問題についての沈議員の識見はかなりのものだと評価されていました。おっしゃったように労働運動をするのと国政全般を扱うのには明らかに違いがあり、これまでに時間もなかったでしょうに、いつの間にそのようなことを勉強したのですか。
沈相奵 その評価については少し躊躇しますね。なぜなら経済を専門的に学んだわけでもなく、知っていることも少なくて、時間ができたら専門家をたくさんお招きして勉強したんです。特に経済パートの官僚の中でも、主として局長、課長など実務責任者たちと勉強したのが、実務の理解に役立ったようです。なによりも長い間、労働運動をしながら、労働者、庶民の視線で国政や経済政策を見る目を養ったのが、他の議員たちと一番違う部分のようです。イ・ホンジェ長官が称賛ならぬ称賛をされたのは、おそらくこれまでは経済官僚たちの聖域とばかり考えられていた領域で攻撃されたという危機意識の表現ではないでしょうか。そう思っています(笑)。
河勝彰 今日は民主労働党での沈議員の位置や、それと関連して民主労働党の話もできればと思います。現在、党の国会議員が9名ですよね。国会と党の最高委員会の間に円滑な協調があるとお考えですか。近くで見ている人たちはそうではなく、あるいは葛藤があるのではないかとおっしゃる方もいるのですが。
沈相奵:党と議員との間の葛藤問題がかなり取り沙汰されていますが、それは外から見られるような立場や路線の問題というよりは、空間を異にしているために生じる認識の差のせいが大きいと思います。民主労働党が国会に進出するようになって、国会活動が持つ政治的・組織的な位相に対する認識や実践が結束していく過程で生じる不可避の葛藤でしょう。
それまでは国会進出に対する党内の議論が主として議会主義に対する警戒に集中していましたが、いざ国会に進出してみると、制度を活用する力量や条件が整っていないことが大きな問題として胎頭したわけです。たとえば私は財政経済委員会の所属ですが、次の日に財経委の業務報告の日程があれば、その日は徹夜をしてでも内容を把握し、何か質疑するものを作らなければなりません。ですが、党に行けばスケジュールがありません。党でいくつかの政策や内容が支援されれば、補佐官たちがそれを加工して国会で対応しなければなりませんが、党の構造がこのような国会内での必要に追いついていないんです。そのような意思疎通の問題、システムの問題などが2年の間に露呈して、かなり議論されたりもしました。
党と議員団が対立しているという指摘が成立するならば、議員たちの活動が党議と衝突していなければなりません。私はむしろ民主労働党の議員たちが党議に過度に閉じこもっているという指摘に、もっと注意を傾けなければならないと思っています。議員たちが党議に忠実であるということは、党議を最大限に具体化して多様な方法で国民たちに説得力をもって近づくことであると言えますし、それが議員たちの役割だと思います。
試行錯誤のようなものだと強調するが、議員たちが過度に党議の枠の中にこもっているという指摘は、議員団がもう少し積極的かつ創意的に活動すべきという指摘のように聞こえる。そのような場合、国会の内と外の間に衝突がもう少し多くならないだろうか。しかし、そのような「衝突」が多くなることは、民主労働党がもう少し具体的な内容を豊富に獲得して発展できる可能性を持つことになる道だろう。
政策的な側面において本格的な質問を始めた。民主労働党が自らのアイデンティティをよく出せる議題が格差問題と税制改革だというのは言うまでもない。地方選挙を前にして足踏みしているような感もあるが、年初から格差解消のための増税と景気活性化のための減税論争が熾烈だった。民主労働党の場合、増税の立場を代表するといえるだろう。しかし、改革的あるいは進歩的立場にあるという人々や団体の中でも、増税より税制インフラ改革の方が重要だと主張する場合が少なくない。間接税中心の税制構造や高い税率を避けられる各種減免制度、不透明な税源など、きちんと整備されていない税制インフラによって税率を上げると言っても、その効果がなかなか表われない私たち社会の現実において、効果のない増税よりは税制インフラ改革が優先されるべきだというのだが、沈議員の考えはどうだろうか。
格差解消と税制改革の要求
沈相奵 まず、税制改革の目的が何であるか、「格差の解消」なのか、あるいは「税制正義を正すレベル」なのかをはっきりさせるべきです。税制は所得に比例しなければなりませんが、わが国は長い間、保守政治が独占してきて、高所得層の脱税を手伝ってきたような面があり、政治的に何かあるたびに人気取りの政策で税の減免を進めてきたので、税制がぼろぼろになってしまいました。だから税源を透明に把握するための税制インフラの構築と、不必要な税支出の整備は、税制改革の基本課題であることに違いありません。
ですが、格差解消のための財源整備は、部分的な税制改革のレベルでは解決できないと思います。格差解消のための税制改革を議論するならば、税制正義を正すレベルの部分的・段階的アプローチの視角ではなく、根本的な税制財政改革のマスタープランが必要であり、その方向は富裕層の増税、つまり直接税の強化で行かなければならないというのが民主労働党の立場です。もう一つの論点は方法論に関するものですが、「富裕層の増税」より不必要な人気取り税減免措置をなくす方が、租税の抵抗も少なく貫徹もしやすいという主張は事実と異なります。国会でも租税減免制度を縮小しようと努力していますが、ほとんどダメです。免税対象や理由はかなり具体的です。おおよそこれまで保守守旧の政界に影響力があった人々のためのものであるとか、政府政策の失敗を免れるために実施した人気目的の減免です。財経委で租税特例法を議論する時、労働者や農民は国会に入れないので国会の外で叫ぶしかないのですが、力のある利害集団は国会に入ってきて常任委員長から議員個々人にいたるまでロビーをするために、実際に法律よりも実力行使の方が近いと感じられるほど、租税減免の縮小は本当によく失敗します。それに比べて増税、特に所得税・法人税などの富裕層の増税は全国民を相手に説得できるので、むしろ簡単かもしれません。
と言って、増税を先行させるべきだと主張しているわけではありません。堅実な支出に対する点検、租税減免の制度整備や税制インフラの構築、富裕層の増税などが同時的課題として一つの総合的な改革案として提示されるべきだと思います。そうではなく個別的に接近すれば、事案ごとに異なる人々、得をする人々と損をする人々の抵抗にばかり会うこととなるので、戦術上でも効果的ではありません。
河勝彰 おっしゃるような税制改革に対する問題意識の程度や税制の内容において、与党のウリ党と民主労働党との間にどのような違いがあるのでしょうか。
沈相奵 私が国会に来て最初にやったのが、富裕税導入のための税制インフラ強化一段階法案を10法案も出したことです。民主労働党は最初から総合的な租税税制改革の必要性を提起して、その方向で直接税強化運動を繰り広げました。その象徴的な表現が「富裕税運動」です。一方でウリ党は増税に対する立場を表明したことがありません。ソン・ヨンギル議員が個別に増税法案を出しましたが、それは党の一貫した方針によるものではないと思います。ソン議員が出した所得税増税案は最高金額幅をもう一つ設ける案ですが、これは税額がかなり低く、私の法案でも検討はしましたが結局除外しました。廬武鉉大統領が年初に税制改革に言及しましたが、実は昨年中盤ですら政府与党は野党のハンナラ党と別段変わるところのない減税論で一貫していました。実際に2004年にはまったく効果もなく財政だけを縮小する所得税減税、特別所得税の廃止を政府案で貫徹させました。また与党の中心メンバーはつい最近まで小さな政府論を主張していました。少しあからさまに批判するならば、ウリ党はこれまで東西南北もきちんと区別せず、遅まきながら青瓦台で格差解消を政権後半期の中心課題に設定し、今回初めて税制改革を内部的に検討中の状態でだと考えるのが正しいだろうと思います。また、検討しても積極的な税制改革、直接税強化運動へと方向が定まる可能性はほとんどありません。
今年の新年記者会見で大統領は、国民が反対することはやらないと言って、一週間のうちに増税論をないことにし、その代わりに税支出の合理化、脱漏所得への課税、租税特例整備などを進めると言いました。問題なのは、脱漏所得を防いで租税減免を整備し、堅実な財政を追求するのは、実は恒常的に行われるべき行政課題だということです。結局、増税対象となる少数の富裕層の抵抗に屈したわけです。国民の租税抵抗が大きいのは、不合理なインフラに対する抵抗なのであって、富裕層増税に反対しているのではないという点を正確に認識する必要があります。世論調査の上でも70%近い国民が富裕税を支持しています。増税をやめるのは格差解消を解決する意志がないということです。
河勝彰 今回、富裕税法案を発議されていますか?
沈相奵 まだしていません。
河勝彰 そうでしょう。富裕税法案を発議できずにいるから、民主労働党を通じて税制改革をやると言ったユン・ジョンフン会計士が辞表を出したのではないですか?
沈相奵 富裕税法案はもともと2006年に発議する予定でした。富裕税運動に対する党の意志が足りないというのがユン会計士の問題意識だったと思います。
河勝彰 その後、キム・チャンヒョン前事務総長が富裕税に関心を持つよう努力すると発言したものと記憶しますが、その次はこれまで信頼できるほどの具体的な動きが見えません。なおかつ富裕税を税制改革の象徴的な表現であるとおっしゃるならば、これまで富裕税法案が出るものと考えていた流れとは違うと思うのですが……。
沈相奵 法案を作るのはさほど難しくはありません。
富裕税ははたして現実化しうるか?
河勝彰 ならば本当に富裕税は別途の法案としてお作りになりますか? その場合、先に触れたいくつかの内容は、実はこれまで市民団体が主張したものとさほど大きな違いがあるように思えないのですが、これまでおっしゃられた内容では、結局、富裕税という制度を新たに作るというよりは、税制改革に関する市民団体や学界の主張を富裕税という表現で一括したものと評価しなければなりません。
沈相奵 少し前に、富裕税運動のことを全般的な税制改革運動の象徴的な表現であると言いましたが、それは民主労働党の税制改革の方向が直接税強化であり、その頂点にまさに富裕税の貫徹が位置しているという意味でしょう。民主労働党は制度的側面において富裕税貫徹三段階ロードマップを発表したことがあります。一段階で高所得者で税金をきちんと納めない金融・不動産・自営業などの課税のために所得把握インフラを強化する10法案を2004年度に提出しました。そしてもともとの改革は、今、言った租税特例の改善や非上場株式の評価方法の改善、債権譲渡差益の課税のような二段階措置を行って、そのようにして基盤がしっかりすれば2006年に富裕税法案を発議するというのが私たちの戦略でした。ですが、一段階法案10種のうち、不動産実取引価課税などの一部法案だけ貫徹し、あとはみな与党のウリ党や第一野党のハンナラ党の反対で係留中です。二段階法案は一部だけ出した状態なので、富裕税法案をいつ提出するか悩んでいます。
これまで富裕税運動と関連して最も重要な成果は、国会内でいずれにせよ税制改革のアジェンダが増税・減税の論争にまで来たということでしょう。根気強く問題を提起して増税・減税の論争の構図を形成したのは、富裕税の議論の発展にとって重要な跳躍台になったと自ら評価します。一方、富裕税の税目を貫徹させるためには力学関係が核心ですが、税制改革のための大衆運動が組織化されない点は富裕税運動の最も大きな限界だと思います。そのような点で今回の地方自治体選挙を終え、大統領選挙や総選挙へとつながる過程で、大衆運動的な準備の中で富裕税の問題を提出しようということでしょう。そうしようとするならば、労働団体や農民団体、市民団体などとの緊密な協議が必要です。
民主労働党の富裕税法案は、これまで学界や市民団体が主張してきたものとさほど変わらないように思える。一つ違いがあるならば、一定の額以上の資産を持った金持ちに富裕税という別途の税目で課税するという点だが、税制改革ロードマップのうち三段階に位置しているからか、民主労働党が国会に勢力を持たない時とは違って、他の政治勢力の「主張」とはっきりと異なる対立的な議題のようには思えない。自己評価するように税制改革運動として民主労働党の富裕税運動は評価されるべきで意味あるものだが、富裕税という税目を根本的な違いとして強調し、具体的な議題にできないでいるのを見ると、沈議員の表現のように、民主労働党の税制改革運動を象徴する表現程度にとどまっていると言えるだろう。
韓米FTAとグローバリゼーションに対する立場
韓米FTA(自由貿易協定)が何らの準備なく交渉が始まったというチョン・テイン(鄭太仁)前青瓦台秘書官の「暴露」以降、賛否両論の対立構図が形成されている。これまで廬武鉉大統領を強烈に非難してきた保守勢力は、突然、大統領の味方であるかのように振る舞いはじめ、支持勢力であると考えられてきた改革あるいは進歩勢力は、それこそすっかり背を向けてしまった。民主労働党もほとんどすべての進歩陣営が集まった「韓米FTA阻止・汎国民運動本部」に参加している。だが、2005年、民主労働党の年例政策報告書を見ると、国会に勢力を持つ政党である民主労働党が、代案もないままWTOやFTAに反対ばかりはできないといっている。グローバリゼーション反対や開放反対は不可能であると判断しているように思われるが、実際の立場は反対ばかりにとどまっているように思える。民主労働党と沈議員の見解は具体的にどのようなものか?
沈相奵 私が国会議員になって2年の間、続けて無分別な開放、外国資本に対して問題提起をしたところ、多くの人々が「グローバリゼーションの時代に鎖国政策をしようというのか?」と攻撃してきました。それに対する答えは「ノー」です。グローバリゼーションの問題に対して私がアプローチするいくつかの原則があります。
第一にアメリカ中心の覇権的グローバリゼーションは不可避かつ固定不変の大勢ではないという点です。現在の状況は「アメリカの政略的選択」に始まったものであり、これはそれによって被害を受ける全世界民衆の抵抗、相手国の主体的な連帯戦略によっていくらでも変えられると思うんです。現在、ヨーロッパ、南米などの地域共同体の形成、ブリックス(BRICs:中国、インド、ブラジル、ロシアの新興大国)の協力のような努力は、アメリカのグローバリゼーションの覇権にとって重大な挑戦となっています。にもかかわらず、主要経済政策の担当者や主流の経済学者たちは「グローバリゼーション」イコール「アメリカ化」として、また「グローバル・スタンダード」イコール「ワシントン・コンセンサス」として認識していますが、このような認識が進歩陣営にも引き入れられて、新自由主義宿命論のような論理を作り出しているのだと思います。
第二に、通商と交易は必要ですが、開放はしても開放の原則は主体的選択とならねばならないというものです。わが国にどのような損得をもたらすのか正確に計量した貸借対照表を提示すべきです。FTAを含む地域協定を推進するかどうか、相手国の選定、条約の内容や範囲、推進時期や速さに対する判断は、韓国の発展段階を考慮した総合的な選択とならねばなりません。またアプローチの方法でも、アメリカ式FTAを進めるか、あるいはEU式に包括的な地域協定を進めるか、あるいは韓国の実情に合った独自のモデルを打ち立てるかに頭を悩ませるべきです。
第三に、しかし韓米FTAは、経済はもちろん、政治・社会・安保の側面で災難をもたらすものなので、私たちは明らかにこれに反対するというものです。わが国の諸条件を勘案する時、韓米FTAのように全領域にわたって90%以上開放する通商協定よりは、中位レベルの通商が望ましく、安保的な側面でも、韓米FTAは韓国と東アジアの平和を同時に脅かすことになるでしょう。現在、東アジアは中国対アメリカの対決構図へと進んでいますが、私たちはアメリカと中国の間でもう少し自由で独自の立地を確保する必要があります。そのような点で「ASEAN+3」体制を中心に、代案的な東アジア協力体制を発展させていく方向に、まず力を集中させる必要があると思います。
河勝彰 反対の場合はどうでしょうか。私たちより経済力の弱い国とFTAを結ぶならば、反対にあちら側から私たちに対してそのように考えることもあると思いますが。
沈相奵 覇権的な市場論理を拡張するのではなく、相互共存と協力を追求する共同体的なアプローチとなるべきだと思います。
河勝彰 共同体的な接近、ですか?
沈相奵 国家的な多様性を認め、経済領域では先進国と後進国との間の違いを認め、支援と開発に焦点を当てるんです。経済領域以外にも政治的な対話、社会・文化的協力に対する観点を持つことが大切だと思います。そのような点で2000年に発表された南アフリカ共和国とEUとの間の「貿易・開発および協力協定」は示唆するところが大です。経済力の違いを認めて多様な速さと範囲を両者が差別的に適用し、一部農業など敏感な分野も除外して、多様な経済・技術分野の協力や金融支援も協定に入れました。完璧ではありませんが、一方的な強要による韓米FTAとは質的に異なるモデルです。このようなものを含めて望ましい東アジア共同体モデルを研究しなければなりません。
河勝彰 共同体的な接近というアプローチ方法の重要性についておっしゃったようですが、一方で実際の外交関係や対外通商を担当する人々の立場からは、かなり理想的と考える可能性が高いと思います。
共同体的な接近というのは、反グローバリゼーションを主張する一部の市民団体が、自由貿易(FreeTrade)ではなく公正貿易(FairTrade)でなければならないと主張しているのと一脈相通じる。現在の韓米FTAは、チョン・テイン前青瓦台秘書官の発言から考えれば、準備もなく、協議の過程や手続きにおいて議会が排除され、国民的な議論や合意も不可能だった。今からでも協議を中断したり延期したりして準備を始めるのが望ましいだろうが、協議を中断できないならば、誰もが充分に予想できる公共部門の破壊や没落する産業分野に対する対処に、あらゆる努力を傾けなければならないことはあらためて強調するまでもないだろう。また協議の過程や手続きの問題も大切に扱うべきである。通商交渉本部に全権が与えられる危険千万な方式ではなく、公共部門や没落する産業に関係する部署や集団の意見や主張が充分に反映されるように牽制装置が設けられなければならない。それと関連して、民主労働党が国会に「通商協定の締結手続に関する法」を提案しているが、この法に対する真摯な議論も即刻始められなければならないだろう。
民主労働党の経済発展戦略と理念的志向
河勝彰 他の問題に移りたいと思います。サムソンや外換銀行の問題に対する民主労働党のアプローチを見ると、単一の事案では理解もしやすくやさしくて意味ある問題提起も多いのですが、それを通して民主労働党が描いている社会像・経済像は、実はさほどきちんと筋道がついていません。社会的に論争となった地点を見ると、「分配を通じた成長」、このようなものだけが目につきます。ですが、民主労働党の綱領には「労働者・民衆中心の民主的な社会経済体制」となっています。これを細かく見ると、労働者自主管理体制に近いのではないかという推論も可能です。ですが、民主労働党や沈議員の活動ではそのような問題意識があまり見られません。申し上げたように分配を通じた成長程度を例として挙げることができるでしょうが、分配の歪曲が成長まで阻むという意味なのであって、分配さえうまくいけば成長も自ずからうまくいくということではないと思います。
沈相奵 「成長戦略」と言うとイデオロギー的な介入があるので「経済発展戦略」と言うんです。まだ民主労働党の進歩的な経済発展戦略が具体化していないのは事実です。分配を通じた成長というのは、民主労働党の進歩的経済発展戦略というよりは分配と成長を対立的に考える成長主義に対する批判であり、また現在のような格差拡大の状況において経済発展戦略は庶民らの可処分所得を増やすこと、つまり分配を通じた成長が特に必要だと制限的に理解すればいいと思います。
最近、経済発展モデルについて多様な議論が進められていますが、望ましい現象だと思います。党レベルでも理論的な模索が行われるべきです。ただ私が国会でやっているのは経済発展モデルを構成するいくつかのアジェンダを帰納法的なアプローチを通じて具体化することで、その最も大きな主題が結局のところグローバリゼーションの問題です。はたしてグローバリゼーションは固定不変のものかという主題と関連して、グローバリゼーションに対する進歩陣営の立場、単純な立場ではなく代案と展望をどのように準備すべきかが一つあります。二つ目は金融の公正性の強化と企業モデルです。企業モデルと関連しては特に財閥構造を批判的に検討してアプローチしています。一部で財閥構造の弊害を批判しながらも財閥構造の持つ成長動力の側面を強調していますが、これを新たな企業モデルにどのように反映させるべきでしょうか。結局、ポスト財閥の代案問題でしょう。三つ目は現在、企業と産業と地域の格差拡大問題をどのように解消できるかという政策を検討しています。最後は民主的労使関係を打ち立てるための実践方向だと言えるでしょう。この四つの大きな主題で立法活動や政策活動を通じて具体的に検証していっているところです。
河勝彰 ですが、実質的にみると、新たな社会体制に対するモデルを作っていっているとは感じられません。また少し前、党の特別委員会でも社会主義論争があり、また民主労働党の綱領も、表現はどうあれ、そのようなパラダイムにもとづいていると見るべきですが、そのようなものが現在も実現可能な体制かという問題もあります。具体的にサムソンや外換銀行、外国の投機資本の問題にアプローチする時、この2年の間に受け入れられた側面と民主労働党の綱領が表現するものとは別個のものであって、民主労働党が本当に実現可能な世の中を夢見ているのかという問いを、投じさせ続けているのではないでしょうか?
沈相奵 私は今回、ドイツ、フランス、イギリスに10日間ほど行ってきたのですが、特にフランスのソルボンヌ大学の近くでは闘争に参加したりもしました。その社会では2年後の解雇を許容している点に怒るというよりは、使用者に労働者をいくらでも解雇する権利を与えるということは、それが1年でも2年でも根本的に受け入れられないものなんです。ですが、私たちの社会は企業主に解雇権を与えなければ企業が滅びるかのように思われています。私たち社会の保守集団の基準から見れば、フランスは完全にアカ(共産主義者)の社会です。私たち進歩陣営が考えるよりはるかに強固な社会公共性のパラダイムの中にその社会が構築されているということを感じました。むしろわが国の進歩陣営の哲学的基礎がかなり脆弱なのではないかと反省もしました。もちろん民主労働党の綱領が、検証されない多くの用語、既存のイデオロギーや理念から借用した用語を羅列している側面はありますが、そこで主張する社会主義の理念や原則を継承するという大きな精神は、やはり進歩政党として最も重要な価値志向としてあるべきではないかと思います。ただ、異なる社会ですでに経験した社会主義体制やモデルを移植しようとする試みは挫折せざるを得ません。それゆえに敢えて「主義」に言及するならば、社会主義の理想と哲学を継承する進歩政党のプログラム、私たち社会の発展モデルのようなものは、メイドインコリア、メイドイン民主労働党でなければならないと思います。
沈議員は民主労働党の綱領を、具体的な目標というより精神として理解してくれと注文した。対話をしていて終始感じたことだが、社会の変化に対する具体的な目標と像がないのは、民主労働党だけの問題ではなく進歩陣営全体の問題だということだ。分断体制、あるいは87年体制が動揺しているという問題意識は、進歩陣営をして今後、私たち社会のビジョンや展望を作り出すよう要求している。これまで進歩陣営が自ら作り出した環境問題、平和、人権、自治、ジェンダーのような新しい価値にもとづいたオールタナティブな社会発展に対する具体化は、結局、進歩陣営を新たに再構築する過程と同一であろう。これまではこの新しい挑戦にまともに応戦できなかったことは事実である。そのことが進歩陣営の自ら感じる危機の根源ではないだろうか。もちろん民主労働党も例外ではない。民主労働党の危機はどのようなものだろうか。
民主労働党の危機論は正当か?
沈相奵 ひとまず進歩陣営が危機であるという部分は同感です。その反映として、またその一部として、民主労働党の危機を語るならば同じ考えです。しかし、党内で危機論争がある時、私は危機という表現に同意しませんでした。党の内外で指摘される多くの問題点に同意しないという意味ではありません。今、民主労働党には改善すべき点、内部の改革課題がたくさんありますが、そのようなことを理由に危機であると規定するならば、おそらく民主労働党は政権党になるまで常に危機であらざるを得ないと思います。そのような点で危機という言葉を濫発することに距離を置きました。私たちはまだ少数政党で、力が弱い時にいつも難しい状況を乗り越えながら発展するのですから、党の存廃に言及するほどの状況でない以上、危機という表現をむやみに使わないつもりです。
河勝彰 民主労働党が国会に進出すれば労働運動の主張が結束し、それで労働者・使用者・政府が相対的に制度的な解決装置を作れるだろうという期待がありましたが、現実はそうはなりませんでしたし、労使政委員会さえだめでした。これをめぐって単に民主労働党議員の数が少ないとか党の力が足りないからではなく、たとえば民主労働党が労働運動に対して政治的なリーダーシップを発揮できないからだという疑心があります。あるいは今の労働運動があまりに多様化し分化しているために、民主労働党だけでは国会に充分な意見が反映されないという意見もありますが、どのようにお考えですか。
沈相奵 まず、それは、民主労働党が国会に進出はしたけれども、労働運動陣営の闘争方式の変化を誘導するほど力を持てていないからだと言わねばなりません。国会に入ったから極端な闘争は慎むべきだという話がかなり出ますが、力と闘争戦術は反比例するんです。現代自動車労組の場合は、ストライキの賛否投票をするという発表が出ただけでもテレビのニュースにまで出る状況なので、敢えて極端な行動をする必要もないのに、今、極端な闘争をしている人々は、大部分、非正規職で、1年12か月籠城したりしても解決の兆しがまったく見えない立場にあるんです。と言って民主労働党が具体的に解決能力を持っているのか、よくご存知のように、現在、政府与党とは労働問題について少しの対話も可能ではありません。民主労働党に対して妥協と共存のリーダーシップを発揮しろと注文する人がいます。妥協と共存は譲歩しなければならない方で譲歩する意思がある時、間違った方で過ちを認めて反省する時に初めて可能なことですが、居直って反駁までして、これまで譲歩ばかりして来た側方にまた譲歩を強要するのは屈服を要求することです。力不足の民主労働党の議員たちにできることは、悽絶な闘争を展開する彼らの有能なスピーカーになってあげることです。
これとは別個に、今、民主労働党が全体の労働階級を代弁するというより、民主労総や組職労働者たちの代理人の役目しかできていないという指摘があります。結果的にそのような側面があります。それは組織的な側面で民主労働党が民主労総を基盤に誕生したのに、その借りを返しても余るほどの成長ができなかった過渡期的状態に起因する問題で、より主要な側面は、民主労働党が全体の労働者を代弁して利害を集約していける労働戦略をいまだ体系的に準備できていないということです。この問題は、非正規職問題の解決のための実践と相俟って具体化されなければならないと思います。
これは今後、労働関係改編の企図と関係して、党の発展戦略にかなり重要な問題です。たとえば、政府の「労使関係ロードマップ」は、労働組合運動の側面では事実上、87年労働体制の解体と見なければなりませんし、複数労組が許容されれば、民主労働党を支持する労総、与党のウリ党を支持する労総、第一野党のハンナラ党を支持する労総、このように政治的に分割される状況を生む可能性が高いと思います。そのような点で民主労働党としては党の存立と発展のためにも、組職労働者に依存するより、多数の非正規職労働者、特に未組織労働者の全体を相手にする組職戦略が至急必要です。そのような内部的な悩みをしているところです。
河勝彰 起亜自動車の問題や民労総の不正問題もあり、民労総内部の闘争のせいで代議員大会がまともに開けなかったことも2度あって、労働運動が深刻な危機に瀕しているという話をかなりします。現在の労働運動をどのように見ていて、問題があるとすれば、どのような方向で乗り越えるべきだと思いますか。
民主労総は時代の要求に合わせて再生すべき
沈相奵 現在、労働運動の内部的危機は、大企業・正規職・企業別労働組合主義に始まったと思います。労働運動の主体である二大労総を中心に見ると、産別組織化を通じて企業分断的な労働階級内部の相互衝突を解消できる社会的交渉を成就させるための内部改革が至急です。産別労組運動の過程では非正規職の組織化、非正規職・零細労働者・女性・障害者などの代表性の強化、また指導部選出などにおいて現場への介入力を高める民主的改革が伴わなければなりません。
しかし、党レベルでは1500万の労働者、特に非正規職労働者の組織化問題に対するマスタープランを持つことが何よりも重要です。6年前にスウェーデンへ行った時、スウェーデン労総委員長に「この国の企業主はどうしてあんなに紳士的なのか?」と聞いてみたことがあります。その人いわく、「世界の資本家はすべてみな同じだ」というのです(笑)。スウェーデンが世界最高の福祉国家に発展したのは、1930年代から5年間を除いて70年もの間、社会民主党が長期政権を維持することで可能でしたが、実は議会を通じた政権というよりは、現場の80%以上が組職化されており、基本的に労働側が現場で掌握しているのです。いわば社会改革の動力として、労働運動の組織化に対する党のマスタープランが出てこなければならないと思います。また、現在としては、民主労働党が民主労総の改革に対して強制できる何らの手段もありません。党が民主労総を批判するといって解決できるでしょうか。民主労働党が労働組織化に対するマスタープランを持つ時、民主労総改革を牽引できる力も備えるようになるはずです。
河勝彰 労働運動の場合、産別への転換も重要なポイントだと思いますが、それだけで現在の問題を乗り越えることができるでしょうか。
沈相奵 産別労組への転換が単に企業別労組の統合を意味するだけでは、労組運動の革新要求に呼応しにくいと思います。産別運動は企業別の利害と要求から階級的利害と要求への内容的転換を意味します。産別運動が意味を持つならば二つの側面で内容が満たされなければなりません。一つは産別運動の主体的側面において非正規職の組織化が併行して行われ、非正規職労働者が産別運動の中心に出てこられるようにしなければなりません。これまで民主労総傘下の産別労組は、その主体が企業別労組の統合を越えられなかったために、かなり限界があります。もう一つ、交渉と闘争の議題において、経済的組合主義を越える内容的発展があるべきですが、これと関連して民主労働党の役割が非常に重要です。いわゆる産別組職運動は、これまで正規職大企業労働者中心に進められてきた二大労総運動を、多数の非正規職労働者中心の運動へと転換していく実践方向であると考えられます。政治的には進歩政治の大衆的動力を拡張していく労働者の政治的組織化の過程へと発展させなければなりません。
河勝彰 今、おっしゃったことは、非正規職労働者が実際的主体でなければならず、民主労総がそれに忠実でなければならず、そのような時代的要求に忠実な時、民主労総が正統性を持つことができ、そうできなければ民主労総も時代的・歴史的限界に至ったものと規定されざるを得ないということだと思います。
この話の最後に、市民運動に対する沈議員の見解を聞けたが、紙面の関係でそのまま掲載することはできなかった。沈議員は、市民運動は単に現実可能な話ではなく、もう少し価値志向的な運動をしなければならないと注文した。たとえば昨年、非正規職保護法案の国会通過の是非をめぐって、一部の市民団体が当時提出されていたウリ党の法案に「賛成」はできないが、非正規職の苦痛を続けることはできないと、非正規職保護のためにまず法案準備が必要だという認識のもとに調停案を出したことがある。これに対して沈議員は、その主体の要求が前提とされなかった状況において、市民団体がそのような案を出すことがはたして適当かという問題を提起した。市民運動は労働、環境問題、女性のような多様な価値を政治的利害関係と関係なく一貫できるように進めるべきなのに、最近はかなり政治工学的な実践行動を見せているというのである。かなり手痛い指摘と言わざるを得ない。
非正規職問題をどのようなに解決するのか
河勝彰 非正規職問題と関連してもう一つだけお聞きするならば、非正規職の正規職化が可能かという主張があります。マルクス主義理論家の中にも労働形態の根本的な変化に対して語っている人が出てきているじゃないですか。介護労働、趣味や芸能労働、いわば非物質労働が一般化している状況において、正規職が過去と同じわけにはいかないのに、これにこだわることに意味があるのか、そのような状況においては変化に見合った他の代案が必要ではないかということです。また、非正規職の圧倒的多数が女性であるにもかかわらず、実際に民主労働党や民主労総が非正規職に関心を持つようになった過程は、親女性的なものと距離があるという評価があります。むしろ、女性民友会のような場合、早くから非正規職問題に関心を持って話をしてきました。ひょっとしたら民主労働党では数年前から男性の非正規職が増加してようやく関心を持ったのだと思われます。とにかく正規職化が代案になるかという質問に対してはどうお考えでしょうか。
沈相奵 非正規職問題にアプローチするもう少し根本的な視角は、労働の価値、差別に対する認識だと思います。現代自動車の11年次労働者の年俸が4500万ウォンほどになりますが、この人がこのお金をもらおうとすれば3000時間働かなければなりません。それは1年に7日くらいしか休めないという話です。私たちの社会には弁護士も医者もいますが、年間3000時間、現場で労働した代価として受けとる4500万ウォンが、その労働の価値として見る時、過度なものなのかという根本的な問いから出発するべきだという気がします。このことが非正規職問題を正規職の責任論に転嫁しようとする一部の見解に対する答です。
正規職化問題はその通りです。無条件に正規職を主張するのではなく、労働の条件や効率面で非正規職の雇用形態が必要であれば、それはいくらでもかまいません。それがすなわち「事由制限」の意味です。デンマークモデルのことをみな言いますが、デンマークは非正規職が40%を超えます。女性たちが子供の面倒を見ながらパートタイムで働きますが、これらのパートタイムは正規職と同じ労働の価値として評価を受けます。非正規職の時間制勤務ですが、休みもあり、働かない時間に対する賃金が削られるだけで、残りは正規職とまったく同じ待遇を受けるんです。いわゆる職務の性格、季節的要因、労働者の勤務条件によって、要求される勤務形態は多様にしていくことができます。ただ、その労働の価値は同等に保障されなければならないでしょう。それがまさに事由制限として非正規職問題を取り上げようという主旨です。
河勝彰 ならば、それに対する表現も、「非正規職の正規職化」というよりは、労働の価値が同等に保障されるならば、多様な勤務形態の導入が可能だという主張をもう少し強調する方が問題を解決できると思いますが……。
沈相奵 まさにその問題なのですが、民主労働党の主張を政府や財界が知らないわけではありません。社会的に合意をしようとしているのに、社会的合意の前提は労使間の力の均衡です。ヨーロッパにおいて社会的合意は、労働者たちが最も重要と考える雇用を保障して賃金を凍結することですが、労使政委員会は労働者に最も重要な雇用も放棄し賃金も放棄しろというものでした。わが国の労働者が過激だからではなく、そのような理由で労使政委員会が破綻せざるを得なかったんです。また、ヨーロッパで社会的合意が可能だったのは、社民党でも労働党でも労働者政党が政治的な力の均衡を保障したからです。私たちの社会で労働階級全体の政治的な力学関係は、民主労働党の国会9議席が象徴しています。労使関係の発展は労働者の政治的な力の拡大が前提とされる時、可能なものです。
民主労働党が唯一の進歩政党でなければならないか
この間の社会フォーラムで「緑の政治連帯」のウ・ソクフン室長が、民主労働党を「親父」政党だと言った。派閥争いや権力争いにかなり関心があると批判しながらこのように称したのだが、その議論の過程で民主労働党のチェ・ジンウォン室長は、環境保護的な価値や少数者などに問題意識を持って活動する人々が、党に入ってきて党を変化させてくれという提案もした。実際にそうするような感じでもないが、仮にそうするしても、そのような人々が入って行く空間が、今、民主労働党の中にあるのかという問題が残る。基本的に代議員構造が労働者や農民に主として割り当てられており、少数者や環境問題の方はほとんどないからである。はたして今の民主労働党は、彼らが党に入ってきて活動できる空間を作れるだろうか。
沈相奵 民主労働党を取材する進歩メディアの記者が、民主労働党中央党の人々は対話の大部分が内部政治に関する話だという指摘をしたことがあります。今、おっしゃったように、まだ民主労働党が、非正規職労働者、農民、女性、障害者、あるいは環境や生態系、人権や平和のために何をするべきか悩むというより内部政治に関心を置いているという指摘です。そのような点で党を変化させろという主張に適当な条件が裏付けされるのかという指摘は妥当な面があると思います。
過去、民主労働党の前史の時代に、進歩陣営運動の各グループが集まって党を作り、今、民主労働党は進歩政党として、実践を通じて大衆と呼吸し、新たなアイデンティティを形成していく過渡期にあると私は理解しています。重要なのは、この過程ではたして民主労働党が、環境活動家、女性活動家、あるいは人権活動家など、民主・進歩政治に合った価値志向的な活動家を受け入れられる度量があるのかということです。そこでもっとも重要なのは党の指導路線でしょう。私は比例代表に出馬する時から、市民運動領域として区別された市民運動的な議題を進歩的価値として統合することが、進歩政党の発展にきわめて重要だという点を指摘しましたが、そのような面で民主労働党がもう少し発展した姿を見せられていないことは現実です。それゆえにウ・ソクフン氏の問題提起は耳を傾けなければなりません。
河勝彰 その点と関連して、現在、民主労働党の構造や姿を振り返る時、むしろ複数の進歩政党として方向を定める方が望ましくないかという話も出ました。
沈相奵 進歩政治は進歩陣営内部の主観的な努力だけでなく、主として守旧保守勢力との闘争を通じて発展するという面を考えるならば、力を単一化し集中させる方が望ましいと思います。にもかかわらず民主労働党がそのような能動的な役割をできていないために生じる多様な政治的噴火は、発展的統合の過程を経て結束させていかなければならないでしょう。進歩陣営が双方向の努力を通じて機会費用を減らすよう努力しなければなりません。
河勝彰 現在の民主労働党でない他の形態の進歩政党を作るべきだという見解に対してはどうお考えですか。
沈相奵 結局、運動主体の問題ですが、民主労働党ではなく他の政党を作れば最も望ましい進歩政党のモデルになるのだろうか――それはそうではないと思います。結局、進歩の内容をどのように拡張して大衆的な力を強化していくのかということですが、これはどの政党かという選択の問題ではなく、進歩陣営の実践と成長の問題です。民主労働党の場合、結党以来6年になりますが、子供が生まれれば言葉を学ぶ時があり、よちよち歩きを学ぶ時があるものです。そのような点で、進歩陣営の実践的成果を民主労働党の枠にすべて入れようとするのは度の過ぎた欲張りというものです。また一方で民主労働党の発展速度を予想してみる時、大人の目で6歳の子供を見つめながら要求する視角とは、かなりの期間、一定の緊張を持たざるを得ないと思われます。
河勝彰 ならば、新たに作らずに民主労働党を含む新たな形態の進歩政党を作ってはいけないかという考えはいかがでしょう。
沈相奵 いいか悪いかの問題ではなく、民主労働党としては当然そのような政治勢力を包括するために努力しなければならないでしょう。
河勝彰 それが単に民主労働党の延長ではなく……。
沈相奵 新たな形態の進歩政党が進歩の内容の再構築を意味するならば同意しますが、方法論上のアプローチならば現時点で検討することではないと思います。たとえば進歩勢力のトップダウン式の拡大改編方式は警戒すべきだと思います。むしろ、進歩的価値と内容を拡張するためにさまざまな努力をして、その成果を総合するためのシステムを発展させていく過程が先立つべきでしょう。
河勝彰 沈議員はそのようにお考えですが、外では民主労働党が本当にそのように考えているのかに対してかなり疑っている人が多いと思います。先ほど私が話した代議員大会の件もそうですし……。
沈相奵 私は民主労働党がその仕事をやりとげることができ、またそうしなければならないと思います。たとえば現在の指導部はその点に対する理解度が過去に比べてかなり高いと思います。また、民主労働党が発展しようとするならば、今後は党のリーダーシップの内容も変化・発展せざるを得ないのではないでしょうか。
河勝彰 可能性があるということですか。
沈相奵 国会の中でも常任委別に当然、環境団体や人権団体など市民社会団体や専門家たちと連携せざるを得ません。ですが、このようなインフラを党レベルで持続的にネットワークとして包括できずに、議員室の水準で連携しているのがその場しのぎで非効率的だという問題意識を、党の内外で多くの人たちが持っています。
彼は可能性があると言うが、進歩陣営の一部は相変らず民主労働党に一定の距離を置いていると言わざるを得ないだろう。今後の民主労働党が進歩の再構成にどのような役割を果たすかによって、生まれかわるべき進歩陣営の名実兼ね備えた進歩政党になるのか、それとも新しい進歩政党にその地位を譲ることになるかが決まるのではないだろうか。
派閥問題もやはり民主労働党が解決すべき課題である。今の派閥構図が、民主労働党の新しい市民運動が志向する価値をすべて包括し、新しい進歩政党として再生できるかという問題につながり得るからである。
派閥を越えて実践の力量を育てるべき
河勝彰 今の派閥構図というのはかなり退行的です。チン・チュングォン氏のような場合、NLは農耕時代、PDは産業時代の感受性だと表現しました(笑)。少し極端な表現と見ることもできますが、とにかくそのような指摘は、今、時代の進歩とはどのようなものかを語る必要があるということだと思います。現在としては、民主労働党内で二つの派閥の連合が不可能だという評価も多いようです。対外的には互いに友情出演しながら、「私たちは何の問題もありません」というのは正直でない態度だという指摘もありますが、どのようにお考えですか。
(※)NL、PDともに1980年代の学生運動の勢力の名称。前者はnational liberation(民族解放)の頭文字で、階級矛盾よりも民族問題を優先させるべきだという考え方。時に当時の北朝鮮の主張にも同調した。後者はpeople democracy(民衆民主)の頭文字で、階級矛盾を民族問題に従属させるべきでないとした。1980年代から90年代にかけて両者はつねに論争を繰り広げたが、運動の局面で大きく対立したり相互に攻撃するようなことはなかった。(訳者注)
沈相奵 民主労働党の選挙構図を見ると、いつもNL対PDになるじゃないですか。ですが、私は実際に民主労働党の中でNL対PDの構図自体が本当にそのように大きな問題なのか聞いてみたいと思います。そのように言えば人々は政治的発言だと思われるかもしれませんが、NL対PDの問題がないのか?――あります。ですが、NL、PD勢力が存在することが問題なのではなく、NL対PDの構図を決定的な問題として考え、その対決構図にこだわる過剰政治に問題があると思います。退行的な派閥構図を乗り越えるためには、NL対PDの戦線を強化することではなく、民主労働党が戦略的に同じ船に乗るべき大衆と深く呼吸し、そうしようとするならば、どのような手段や政策が必要なのかを中心に実践し論争する方が、むしろNLとPDのリモデリングも可能であり、党の発展過程において肯定的に結束することもあり得ると思います。実際にもNLとPDが持つ主観的な考えが当面、実践に否定的な影響を及ぼすとは思いません。党内でも討論をしていると、ある人たちがNLを主張したりPDを主張したりするから問題なのではなく、進歩政治を行う能力と力量がまだ備わっていないことからくる悩みの方がはるかに大きいということです。それが現実に対するより正確な診断だと思います。もちろん、路線差が鋭くぶつかる論争もありますが、日常的には事業をするにあたって、NL対PDの意見の違いのためではなく、最も望ましい進歩政治の価値や哲学、あるいは実践方法がどのようなものかについての内容の準備に相当時間がかかるということが最大の問題です。
河勝彰 最後の質問です。とにかく政治家でいらっしゃいますが、政治家として個人的な計画や意欲があるとしたら、どのようなものでしょうか。
沈相奵 インタビューをしに来る人々が、私のことをよくつまらないと言います。出題者の意図に合った政治的な発言が下手なんです。
河勝彰 最後までとても真摯でしたよ(笑)。
沈相奵 私は民主労働党が進歩政党として成功すべきだという信念を持っていますし、民主労働党の成功は政権をとれば終わるのではなく、政権奪取を通じて私たちが約束した大韓民国の未来を作り出すことだと考えています。そのような民主労働党の成功に最も多く寄与する有能な党員になりたいと思います。
河勝彰 それではこの先、2年後にはどうなるでしょうか。比例代表を2度やることはできないようになっていますね。地方区から出馬なさるんですか?
沈相奵 党の方針で2年後には地方区から出馬することになっています。ですから一生懸命やらなければなりません。出馬はとにかくしなければなりませんし、また当選が党の目標であるだけに、最大限、当選するよう努力します。
補充のためのインタビューまで含めて、合計2回の出会いがあった。インタビューの過程を通じて、民主労働党が私たちの社会において進歩陣営の多数を包括する代案の位置を持たせたいと考える気持ちと、そうすることに寄与したいという意志を、沈議員の発言から充分に読みとることができた。彼は、結党して何年にもならない今の民主労働党が、まだそのような準備ができていないことは明らかで、外部からの批判に耳を傾けなければならないという点も重ね重ね強調した。
進歩を再構成していかなければならないという、沈議員のような考えを持った民主労働党内の認識の大きさと、党外部の進歩陣営の認識の大きさがどれほど交流し結集できるのかによって、民主労働党が一つの代案として存在できるかが分かるのではないだろうか。希望を捨てようとする人々に、それはまだ早いという沈議員の言葉は、より良い世の中のために解決すべき幾多の課題を前にした人々をして、民主労働党のことをもう一度考えさせる契機になるだろう。
訳‧渡辺直紀
季刊 創作と批評 2006年 夏号(通卷132号)
2006年6月1日 発行
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