我々のアメリカ認識、固定観念を壊そう
特集│アメリカという我々の難題
黄靜雅 jhwang6@snu.ac.kr
ソウル大学基礎教育院招聘教授、英文学。主要論文に「D.H Lawrenceの近代文明観とアメリカ」などがある。
1.我々にアメリカは何か。
アメリカをテーマにして何かを話そうとする時、「我々にアメリカは何か」という質問は、最も多く使われ、無難な出発点である。悲壮な語調さえ盛り込まれたようなこの問いは、それだけ答えを切実に求めるという印象を与えるが、同時に疑問文を作る「何か」という部分が、なんとなく心を押さえつけることが感じられる。これか、あれか、あるいはかくかくなことかなどとは異なり、「何か」は「歴史とは何か」や、さらには「存在とは何か」などを連想させながら、答えを得ようとする質問本然の意図を逆らい、まるで「決してわからないだろう」という暗示が染み込んでいるようである。一方、「我々に」という言葉も質問の漠然さを減らす効果があるように思われるが、実は、アメリカが「我々に」、「彼らに」または「他国の人々に」、それぞれ異なる何かであるかもしれないという曖昧さを残す。
そのような点から「我々にアメリカは何か」という問いは、アメリカの「アイデンティティー」を明らかにすることが可能な目標なのか、そして「我々」の主体的認識はここにどのように関連されるのか、という複雑な質問の要約本でもある。本稿は、屈曲の現代史を経、量と質において多くの成果を蓄積した我々のアメリカ研究に、依然として繰り返される問題点を検討することによって、「アイデンティティーを明らかにする」「主体的な」アメリカ認識というこのテーマを間接的にとらえたい。
アメリカ研究の範囲と水準が膨大で、多様なだけに、「問題点」に局限しても、対象を相当に制限せざるを得ない。アメリカに対する体系的で、学問的な認識を「アメリカ学」に通称すれば、その中でもアメリカ学そのものに対する包括的な議論と具体的な分野別研究に区分され、後者はまた人文学分野と社会科学分野に分かれる。そして、「大衆書籍」として分類される内容の中にも学問的成果を一定に反映しつつ、より大衆的な教養に焦点を当てた研究があり、まさに個人的な経験や旅行記に近い部類もある。ここでは「学術」と「大衆」、そして「総論」と「各論」の範疇のすべてを対象とするが、2000年以後発表された論文の中で、専門的で細部的なものや、非常に個人的な内容を除いて、大きく「アメリカ文化研究」と関連のある論文を中心にいくつかの論文を選んで検討したい。
2.アメリカ学のアイデンティティー
『韓国におけるアメリカ学:理論と実際』という本をみれば、アメリカ学は既存の文化学問のように明確な境界や体系が確立されにくい性格であるため、「それができた草創期からこれまでその学問的アイデンティティーのために多くの議論が続いて」いる実情である チョン・ヨンソン「韓国におけるアメリカ学:その活性化のために」チョン・ヨンソン外『韓国におけるアメリカ学:理論と実際』韓国外国語大出版部、2005、p.123.はしがきでは「本書は、2003年度韓国アメリカ学会が『韓国におけるアメリカ学:その現状と発展方向』というテーマで開催した3回のアメリカ学フォーラムで発表された論文を中心にいくつかの論文を追加で募集して刊行したもの」として紹介している。 。しかし、この点が否定的なことだけを意味するのではなく、アメリカ学がもつ「多様性、学際性、協同性、実用性などの特性が、むしろ今日展開されている多くの伝統的な学問分野の研究傾向ととらえる際、ある面ではアメリカ学が伝統的な学問分野が指向する方向において一つのモデルとなっている」ととらえることもできるといわれる(p.124)。そうであっても、このようなアイデンティティー問題は、韓国のアメリカ学が抱えている主要な関心事であると同時に課題であり、さらにアメリカ学がアメリカで「一種の国策学問」として始まり、「アメリカの国家機関である米公報院が持続的にアメリカのアメリカ学会または各国のアメリカ学会を支援して」(p.124)育成された点を勘案すれば、この問題はいっそう複雑になり、先鋭になると予想できる。
『韓国におけるアメリカ学』の執筆目的も「我々の実情に合うアメリカ学を定義し」、「韓国でアメリカ学教育のモデルを提示し、さらにアメリカ学を活性化させることに一つの参考になるようにするため」(はしがき)であり、したがって本の内容も大きく「理論」篇と「実際」篇に分け、アイデンティティーという理論的テーマと教育の実際内容を各々扱う。ところが、アメリカ学の起源と性格を考える際、少なくともアメリカ学理論を取り扱う場合、韓国の「アメリカ学」がどのような差別性を持つべきかという問題が最も核心的な話頭として提示されなければならないと思われるが、実状はそうでない。たとえば、「韓国におけるアメリカ学教育の望ましい方向」のような論文は、「アメリカで始まったアメリカ学という学問分科がどのようなものであるかを検討し、アメリカのアメリカ学が、韓国の教育においてどのように定着できるかを考えて」みることに焦点があると述べている イ・サンドン「韓国におけるアメリカ学教育の望ましい方向」、前掲書、p.88。 。それ故なのか、「冷戦時代にアメリカは、自国のイデオロギーを友邦に輸出するために、アメリカ学を道具として使った」が、「アメリカにおいて行なわれた研究の内容と方法論とは異なる輸出用アメリカ学を開発した場合はない」ので、「アメリカ学そのものが帝国主義的性格を持っているという主張は言いすぎであり」、また最近は「アメリカ学の冷戦的伝統に対する反省と矯正を要求する学者も」登場したという点を強調する(p.89)。
もちろんそのような過去があるので、アメリカのアメリカ学が当初そうであったように、いつまでも「イデオロギーの輸出道具」に止まるだろうという主張は根拠がない。アメリカのアメリカ学が単一の流れではないことを勘案すれば、いっそうそうであろう。しかし、問題は、その反対もいつも真実ではないというところにある。さらに、「反省と矯正」を要求する動きも大きくとらえれば、「国策イデオロギー」ではないという保障が最初からあったわけではないと思われる。この本でも多く指摘されたように、韓国のアメリカ学が「ヨーロッパとは異なって何よりもアメリカの主導的役割から始まり」 チョン・ヨンソン「韓国におけるアメリカ学:その活性化のために」チョン・ヨンソン外、前掲書、p.141。 、特に、「韓国アメリカ学会」が、創設当時から今日までアメリカ公報院と韓米教育委員団の後援を受けたという 「学会の主要活動は、アメリカ公報院と韓米教育委員団(フルブライト委員団)の後援の下で開催する年次アメリカ学国際セミナー」という。キム・ヨングォン「韓国のアメリカ学:過去―現在―未来」チョン・ヨンソン外、前掲書、p.159。イ・ヒョンソン「アメリカ地域学の概念と教育プログラム」チョン・ヨンソン外、前掲書 p.3。 「気難しい」事実を、韓国におけるアメリカ学の現在的限界程度として簡単にとらえるのも気がかりの部分である。後援を受けるといって、影響までを受けると断定することはできないが、様々な面においてアメリカと利害関係の葛藤を形成しているので、「中立的な」後援があるという仮定も非常に安易な態度と思われる。
一方、アメリカのアメリカ学と異なり、また異ならなければならないということを大きな前提として受け入れる時さえ、実際に差別性を議論する地点においては、またアメリカの事例に頼る傾向がある。これは、「他者としてのアメリカ研究」の対案として「地域学」を提示しつつも、その「学問分野と教育モデルを『アメリカ地域学』に設定」 イ・ヒョンソン「アメリカ地域学の概念と教育プログラム」チョン・ヨンソン外、前掲書、p.3。 するからである 上記の「韓国におけるアメリカ学:その活性化のために」にも、「アメリカ学が地域研究にならなければならないという前提を認めれば、我々はアメリカの大学で開設しているアメリカの外国研究プログラムを検討することによって、我々の設定を勘案した一つの対案を作ることができる」という主張がある。 。それ故、アメリカ(大学)の地域学教育プログラムを紹介することで、韓国の主体的アメリカ学に対する模索を代替する結果が生じる。ここにおいても一つの「参考事項」としてアメリカの地域学を検討することは、いくらでもありえ、また必要であるが、これを「主な」参照点や、さらには一つの「モデル」として採択するためには、少なくとも「アメリカ人が自らを研究する学問のアメリカ学と、他者を研究する学問である地域学を対比すれば、我々の場合、アメリカに対する研究は地域学の概念として受け入れるのが妥当である」(p.3)ということ以上の納得できる説明がなければならない。アメリカではない他の地域を対象とした韓国の地域学研究も参考する価値があり、もし国内地域学がアメリカ学ほど確固として定着されていない状況であるならば、むしろアメリカではない他国におけるアメリカ学研究はどうであるか。一瞬考えれば、むしろその方が「韓国における」アメリカ学研究により大きな示唆を与えることができ、またすでに蓄積されている成果も多いと思われる。しかし、『韓国におけるアメリカ学』では、日本の事例だけを、それも現状を中心に簡単に紹介されるだけで、本格的に検討する必要性さえ言及されていない。
このような傾向は、学問のアイデンティティーや主体的研究という理論的な難題を詳細に扱うには、アメリカ学に対する「実用的」要求が浮き彫りにされすぎているせいかもしれない。この本の筆者らも、アメリカの世界的地位や韓米関係の特殊性から始まった韓国人、特に韓国学生のアメリカに対する高い関心を前提とし、一次的にそのような現実的要求からアメリカ学の存在根拠を求めていると思われる。しかし、このような実用性という側面も自明な問題ではなく、アメリカに対する関心が高いといっても、それが必ずしもアメリカをより多く知らなければならない根拠として、さらに一つの学問として確立し、教育する根拠として解釈する必然性はない。アメリカという研究対象の影響力、そしてアメリカ学の起源とアイデンティティーの曖昧さを勘案すれば、研究の独自性と主体性を確保するためには、上記よりいっそう熾烈な模索が必要と思われる。
3.イデオロギーを作動する認識
それでは、具体的にアメリカの「何」を知るべきか、その認識の内容を検討したい。アメリカ学についての話を取り出したついでに、「アメリカ学講義のための教科書」(序文)を念頭において書かれた『アメリカ学』から議論を始めるのもよいと思われる キム・ヒョンイン外『アメリカ学』サルリム、2003。 。教科書を目指した目標にふさわしく、この本は、アメリカの地理や歴史から知的伝統、政治、外交、経済、言論、そして移民、南部、黒人、女性にいたるまで、非常に包括的なテーマを取り扱っている。その中で、比較的概観に近い「アメリカの地理的条件と歴史」は、前半をアメリカの多様な地域を紹介するに割愛し、後半ではアメリカの歴史及び歴史を見る視角を検討する。少ない分量に多くの内容を盛り込んだので、要約説明に止まってしまい、文字通りに「教科書」に近い点は仕方のない限界ではあるものの、始終一環「彼らの」主張を伝えるに力を注いだという印象は残る。
例えば、清教徒の歴史観を「イギリス政府と国交が腐敗し、その機能『神との契約移行』を遂行できないため、清教徒はアメリカへ渡り、神の意に適合する社会を建設しようとしたのである。神と歴史は、彼らの味方と考えた。したがって、清教徒にアメリカの土地は、神が願う「山の上のお城」であり、それ故、独特なものであり、彼らは使命感を持った」 イ・ジュヨン「アメリカの地理的条件と歴史」キム・ヒョンイン外、前掲書、pp.67-68。 と整理するが、どこまでが歴史的「事実」または彼らの「実際」の動機であり、どこまでが彼らの「主張」であるかが区分しがたい。例えば、当時イギリスの「腐敗度」を測定する基準が何か、また清教徒らが建設した社会の「純粋性」を測定する基準は何か、何の言及がないのである。このような最小限の根拠の提示を試みたならば、実際と主張との間の混乱はいっそう減っただろう。広く知られているように、清教徒は、アメリカ人の道徳的自負心の源泉であり、アメリカがその根から自由の土地であったという根拠として活用し続けられるが、上記の説明もそのような「自由なアメリカ建設の先祖」としての清教徒という基本図式の繰り返しである。
また、「合意の歴史学」を取り扱いつつも、「彼らの目には葛藤の要素より、むしろ合意の要素がもっと多くみえた。なぜなら、アメリカは封建制度がない自由な社会から出発したために、自由民主主義の価値についてだけは、アメリカ人の意見が一致したからである。そして、アメリカ人が自由で、寛大になったのは、豊かな土地のためと思われる」という部分は、この歴史観の基本内容を要約する脈略であるが、やはり何の距離もなく伝わるために、疑いの余地のない事実を記述するように読まれる素地が非常に多い。ところが、「封建制度がない」という事実が、「自由な社会」の唯一の基準にはなれない。また、自由民主主義の価値に「意見が一致した」というのが、正確にその価値の完全な実現を指向したということなのか、それとも一定の制約を前提にこの価値を認めたということなのかも曖昧である。
このように誤解(?)を冒してまで論評を自制するこの論文の態度は、我々のアメリカ認識においてよく露呈される一つの問題点を非常に典型的にみせている。要するに、アメリカが彼らの歴史と伝統について掲げる(それ故、我々にもある程度慣れている)テーマを踏襲するだけではなく、そのようなテーマを説明する方式もまた彼らの主張が確立された事実であるように、繰り返されるということである。外交分野を取り扱った「外交政策の伝統:例外主義歴史意識」において、アメリカの膨張主義外交政策である「明白な運命(manifest destiny)」を整理した部分も類似している例である。ここでは、南北戦争の前後に国務長官の座にいた時、膨張主義をより強力に進めたウィリアム・シーワード(William H. Seward)を言及し、領土拡張に対する彼の関心が「帝国に対する夢」と定義しつつも、まもなく「シーワードが夢見た帝国は、一次的にアメリカの政治や経済的力を増加させることであるが、それより重要なのは、アメリカの自由を拡大させることであった。上述したピューリタン(Puritan)と同じく、シーワードも、アメリカは世界に向けた使命があると思ったのである」というものや、「しかし、シーワードの夢は領土拡大が全部ではなかった。彼はアメリカ式民主主義を他国に伝播するのを願っていた」というような説明を付けている キム・ナンギュン「外交政策の伝統:例外主義歴史意識」キム・ヒョンイン外、前掲書、pp.162-164。 。これも、一次的にはシーワードという人物がどのような考えを抱いていたかを伝達する形式であるが、それが単に彼が「信じたいこと」であったのか、それとも彼を動かした真の動機であったか、また民主主義の伝播というのが、「明白な運命」が標榜することであるか、それともその実際内容であるか、全然評価しないことによって、彼の考えが実際起こったことのように叙述される効果を生んだのである。
アメリカの建国神話としていつも指摘される事案を取り扱う論文において、「神話的」側面、言い換えれば、イデオロギー的側面に対する考慮が完全に排除されていたという点は驚くべきである。アンケート調査をしたわけではないが、韓国の平均的な一般人においてさえ、膨張主義の核心が民主主義の伝播であるはずがあるだろうかという疑問は常識に近い。さらに、学問的領域においてなら、ある主張のイデオロギー的な性格を考慮することは初歩的な作業に属し、たとえそのイデオロギーをおおむね承認する立場といっても、必ず検討しなければならない過程と思われる。それにもかかわらず、どう思えば非常に「純粋な」態度でそのようなイデオロギー的叙事を繰り返すことは、そのイデオロギーを「作動」させる事態を生まざるを得ない。もし「明白な運命」によって「民主主義を伝播」するという論理が、今も強く作用し、ブシュ大統領のイラク侵攻にも活用される点を想起すれば、このような態度の結果はより厳重になる。
イデオロギーの話が出たので、その作動がみられる興味深い事例をもう少し検討したい。サルリム知識叢書で2003-4年にわたって出版したアメリカ学シリーズは、大衆教養書を標榜するほど多くない分量に、比較的平易に書かれているが、おおむね本格的な研究に基盤を置いた内容を盛り込んでいる。その中、アメリカ文化の核心要素を説明する本の中で、『アメリカのアイデンティティー:10コードでアメリカを語る』においても、上述した問題を確認することができる。題目にある10コードは、個人主義、自由、多文化主義、開拓精神などで、我々がよく知っている教化書籍項目であるが、事実、これらをもってアメリカの文化を説明しようとする試みは、いわゆる「弘益人間」をもって韓国の文化を説明しようとする試みほど空虚なことでもある。さらに、コードを読む方式も、例えば、個人主義に対して「民主主義の危険である多数の横暴を防ぐ解毒剤」であり、「すべての人々は同等な価値を持ち、自分たちの運命を支配できるという概念として定義」されるという キム・ヒョンイン外『アメリカのアイデンティティー:10コードでアメリカを語る』サルリム、2003、pp.9-10。 非常に漠然としており、単純な紹介に止まるだけで、そうであれば、個人主義が多数の合意を無視する危険はないか、このような方式の個人主義を通して、実際にアメリカ社会においてすべての人々が同等な価値をもっているかという疑問は考慮対象ではない。
イデオロギーの繰り返しを最も「純粋に」、また最も「極端に」見せる例は、同叢書の『アメリカの文化地図』にもみられる。「このような意味(アメリカの力は様々なものを包容する広い心と開かれた姿勢から出るという意味)で、アメリカは結局国ではなく、一つの価値であると同時に、理想ということができる。したがって、アメリカが祈り、保存し、追求し、発展させようとするその価値と理想をともにする人なら、誰でもアメリカの部分になれる」 チャン・ソクジョン『アメリカの文化地図』サルリム、2003、p.86。 という論評がそれである。この部分は「アメリカの夢(American Dream)」という「理想」を文字通りに繰り返しているといっても過言ではなく、理想と事実の境界をまったく考慮しないという点から一つの「宣伝」といっても言い過ぎではないと思われる。「アメリカこそが、人が生まれて人為的な制度や組織、政策に拘束されず、最も自由になれるところであるため」(pp.91-92)という断定も、そのような宣伝の延長である。
このように、アメリカの主張、より正確にはアメリカ「一角」の主張を単純に繰り返し、伝達することによって、「既定事実化」することほど、頻繁で明確なもう一つの問題点は、「(間違った)普遍化」という名で整理できる。それは、理解と評価を図るが、アメリカという脈略を基準とし、またそのようにして出た判断を、ある「普遍的」基準を通過したこととして取り扱う傾向を指す。対象がアメリカであるため、アメリカの内的脈略においてもつ意味を検討することや、その脈略で該当事件やテーマがもつ重要性を言及することは当然必要である。ところが、その時の重要性を他の視角で一度とらえる作業が省略されれば、それが「普遍的価値」に化ける結果を避けがたい。
「アメリカの知的伝統と危機」という論文において、他の宗教をもつ人々に非常に抑圧的であった清教主義の裏面を説明し、「荒野で新しい社会を建設するのが如何に難しいことなのかを理解するならば、清教徒聖職者が追求した法律と秩序の厳格さを単純に清教徒の硬直性と不寛容のせいにするよりは、ナショナリズムの完成に重要な寄与をした部分として評価するのがよい」 イ・ヒョンデ「アメリカの知的伝統と危機」キム・ヒョンイン外、前掲書、p.82。 と評価する部分は、このような方式の「普遍化」をよく見せている例である。アメリカ内のある観点からみれば、「ナショナリズムに対する寄与」が「硬直性と不寛容」よりもっと重要であるという判断も可能であるが、それがそのまま我々の評価基準になる根拠はない。さらに、「寛容」こそがより「普遍的」な基準ではないか。
『アメリカを作った思想』にも類似している傾向がみられる。この本は、「今日のアメリカを正確に理解するためには、アメリカの形成、すなわち、革命と憲法制定を通した国家建設をまず理解しなければならない」 チョン・キョンヒ『アメリカを作る人々』サルリム、2004、p.5。 という前提の下で、アメリカ革命と憲法制定をめぐった伝統的解釈、共和主義的修正論者の解釈、修正主義の批判を順序に整理し、憲法制定期の連邦主義者と反連邦主義者の論争までを紹介する。ところが、結論的に提示する「個人を国の権力から解放させるというアメリカ革命初期の原則は、憲法の新たな制度の中にもそのまま実現されているからである。そして、その原則は今日も生きている。アメリカ憲法は、まさにアメリカ革命の完成なのである」という評価は、外見では「普遍的」基準に依拠したという印象を与えるが、実は、この本が紹介するアメリカ内の理念的論争の脈略から一寸も脱していない。歴史が人々の主張にすぎないという信念があり、またはアメリカ革命を人類普遍価値の純粋な顕現としてみったらわからないが、客観性を指向するならば、「アメリカ憲法がアメリカ革命の完成」という評価は同語の繰り返しにすぎない。最小限アメリカ革命が「個人を国の権力から解放」させた面があるだけに、そのように「解放された」個人がきわめて制限的であったということ、さらに最初のアメリカ憲法は、奴隷制までを承認していたという点を考慮しなければならない。
アメリカの「多様性」も、このような方式の「普遍化」によく登場する項目である。ソウル大学アメリカ学研究所で「新しい世紀に進入する時点で、アメリカが経験する変化の流れと当面した課題を分析」し、「この方面に対する体系的知識だけではなく、我々自らを省察する準拠と知恵を」得ることを(「はしがき」)趣旨に編集した『21世紀アメリカの歴史的展望Ⅱ:文化・経済』においても、この点を確認することができる。一例としてアメリカの宗教を取り扱った論文で「事実上、建国初期の統一的信仰体系は、単純な盲信ではなく、一つの狂的な信仰に偏狭な没入を拒否するニューイングランドの公共的信仰伝統によって洗練される」という説明も、その焦点が把握しがたく、「このような中で、結局は宗教多元主義が拡大されるが、様々な個別宗教の相互に対する反応は否定的」であるという部分では、このように互いに否定的な個別宗教が単純にともに存在するという事実から「多元主義」という表現を引き出せるかという疑問が生じる キム・ゾンソ「アメリカ的宗教多元主義の独特性研究」アメリカ学研究所編『21世紀アメリカの歴史的展望Ⅱ:文化・経済』ソウル大学出版部、2002、pp.34-36。 。そして「すべての宗教多元主義の見本的なモデルとして看做されたりする」(p.37)というアメリカのこのような多元的宗教状況は、「他宗教に対して敵対的であると同時に、かつ開放的でありつつも、また同様の一つの大きな屋根を想定しようとする側面」を特徴とし、それが「緊張を通して弁証法的合一の成功の存在方式を創出できる特有の霊的財産」(p.48)という説明にも曖昧さは依然としている。「統一志向性」がアメリカ宗教多元主義の独特性なら、それが如何に「普遍的に」望ましい統一性なのかが究明されなければ、「見本的なモデル」という論理は成立しないにも関わらず、ここではそのような必須的な点検過程が省略されている。
このような傾向が「アメリカ例外主義」と関連があるのは明らかである。すべての国の例外主義を認める立場ではない限り、例外主義というのは、単純にアメリカがある普遍的経路の例外という主張に止まるのではなく、「例外的」に普遍的価値をよりいっそう担保するという暗示を同時にもつ。したがって、例外主義をそのまま認めるつもりでなければ、この暗黙的な主張を敏感に感知しながら、アメリカを基準に再びアメリカを評価する循環論理から脱し、「普遍性」の基準をより厳正に適用する必要がある。
4.暴露と均衡の限界
もちろんアメリカのイデオロギーを繰り返す認識を批判する声も少なくなく、詳述したサルリム知識叢書のアメリカ学シリーズの中でも、『アメリカ人の発見』や『マイノリティ歴史』などは、アメリカの文化と歴史を読む支配的コードが隠す裏面に焦点を当てる。我々のアメリカ認識がバランスをとることにおいて、批判的観点が重要な寄与をするという点は確かである。しかし、このような批判そのものがバランスのとれた認識を見せるかは異なる問題であるが、アメリカの「公式」イデオロギーを標的にしたせいか、それに相反される様相を現す「暴露」に止まる場合が多い。例えば、個人主義というコードに対比して、アメリカ人が、実は、如何に他人の視線を意識するかを見せる事例を取り上げ、または自由の土地という神話に対比して新しい移民者を抑圧した歴史を例示する方式である。言い換えれば、効果的な反論ではあるが、それほど自らが「他の面もあるのではないか」という再反論の対象になりやすい。
このような種類の批判の一部分として、「反米」という表現を使用して立場を明示した『考える韓国人のための反米教科書』を検討したい。この本は、「『反米』がアメリカのすべてのものに反対するのを意味するのではない。さらに、アメリカこそ『悪の帝国』であるので、この世の中から消滅しなければならないというのを意味することでもない。大半の場合に、「反米」はアメリカの限界と問題を批判し、正そうとする実践行為」 ホン・ソンテ『考える韓国人のための反米教科書』当代、2003、p.8。 と基本立場を整理するが、アメリカ認識の具体的な内容では一面的な態度が現れる。「アメリカ合衆国の歴史は『戦争によってなされた歴史』である。アメリカ合衆国は戦争を通して建国された国であるだけではなく、戦争はこの国を運営する一つの絶対原則である。この国が解体されない限り、この原則は廃棄されず」、「戦争国家のアメリカは(ブシュのような)このような戦争マニアを生み続ける」と述べている。アメリカが参加し、あるいは主導した戦争が、内在的動因による事件であることを強調する修辞的表現というには言い過ぎのこのような陳述が相次ぐことによって、戦争は経済と文化などのすべての面を包括し、最初からアメリカの「本質」のように描写される。
「戦争の歴史」という規定は、「民主主義と自由の歴史」という言葉ほど単純化した定義であり、アメリカという国が「唯一」「最初から」そのようになっていたと宣言した後、具体的な歴史的事実は立証事例としてのみ活用するという点において、一種の「覆った例外主義」ということができる。このような論理は、戦争以外の他の様相を説明することができない場合もあるが、戦争に関してもそれぞれの戦争が具体的にどのような条件と結果を持つかを究明することを疎かにさせる。また、戦争が、一方ではアメリカ主導の秩序を維持するための核心手段であるが、同時に秩序維持の安い代価であり、さらに崩壊条件であり、かつ兆候であるかもしれないという、より複合的な問題を遮断する面がある。したがって、このような方式の認識は、「アメリカだけがそうなのか」という冷笑的反応を生みやすく、運動の次元でも連帯の幅を狭める結果を惹起することができる。
他方、アメリカ内のアメリカ学研究において、脱植民主義や多文化主義などを通して、よりバランスのとれた認識に到達しようとする継続的な試みがあり、このような動きを反映する国内の研究も出ている。『差異を越えて:脱植民時代のアメリカ文化読み』は「アメリカ文化を正確に理解するためには、多数者と少数者の文化をバランスよく受容する必要がある」 キム・サンリュル『差異を越えて:脱植民時代のアメリカ文化読み』淑明女子大学出版部、2005、はしがき。 という問題意識の下、「多数者と少数者の文化」をそれぞれアメリカ内部の「植民性」と「脱植民性」とに説明する脱植民主義談論として、このようなバランスのとれたアメリカ文化の理解を試みる。
この本は、まずアメリカ内の脱植民主義アメリカ学研究の多様な視角、例えば、アメリカがイギリス帝国から政治的・文化的独立を成し遂げた(最初の)脱植民国家という点を一方的に強調し、「アメリカの歴史的複雑性と内的植民主義要素を看過」(p.129)する傾向、アメリカを脱植民国家と看做すことが、もう一つの文化的支配論理になれるという批判的観点、アメリカが脱植民国家ではあるものの、植民暴力も行使したという点において特別に道徳的優越性は持たないという議論をそれぞれ紹介する。その後、「アメリカ文化のアイデンティティーは、アメリカ独立革命がもつ歴史的脱植民性と、新生国のアメリカの19世紀帝国主義的膨張と国内少数人種の抑圧という植民性が併存する」と前提するが、アメリカ文化に対する脱植民主義議論は、後者、すなわち「アメリカインディアンの虐殺、黒人の奴隷制度と人種差別、女性人権の抑圧、多様な海外移住民に対する労働搾取など、内的植民主義を批判し、克服しようとする他者の人間化に焦点が当てられなければならない」という考えを標榜する(p.133)。「脱植民性」と「植民性」を同時に考慮しながらも、この二つを機械的に併置するよりは、現在的視角からより重要な内的植民性の克服問題に比重を置かなければならないという立場である。
このように、様々な偏向を意識しながらバランスを取ろうとする態度が目立つにもかかわらず、この本の脱植民主義は、アメリカの脱・植民性と関連されている一つの重要な項目、すなわちアメリカの「外的」植民主義要素を抜かしたという点において、最初から深刻な限界を抱えている。植民性の含意を広げてアメリカ内の少数者に対する抑圧まで包括したら、アメリカが外部世界との関係で行う各種の暴力を植民性に入れない論理上の理由がない。少数者に対する抑圧が依然として温存するが、「アメリカ人」を基準にするなら、アメリカの歴史においておおむね「脱植民性」が著しいため、「内的」植民性に限定された視野は、最初から一方的な路線に入りかねない。この本でも、9・11以後、アメリカ内の言論によるイスラム世界の再現がもつ暴力性など、「外部」に対する言及がないわけではないが、根本的にアメリカが内部の植民性と苦闘した「脱植民」の歴史が、外部的植民性を強化する側面があるのを看過する。脱・植民性問題において重要に考慮すべき点は、このように植民的抑圧の対象がその性格上特定集団に固定されておらず、必要によって替わることができるという事実である。したがって、ある範疇の集団、あるいは一国内のほぼすべての集団に行う植民主義的抑圧が相対的に減ったとしても、それが植民性そのものの克服に対する証拠になれないこと(またその逆も成立しないこと)を勘案しなければならず、そのためには内・外の緊密な連関を考察することが必ず必要である。
アメリカ文化に対する一面的観点を拒否し、バランスのとれた理解を追求するもう一つの重要な試みとして「多文化主義」を挙げることができる。人種、性、民族などの多様な範疇を包括する多文化主義を研究の具体的な面々で検討しようとすると果てしないので、多文化主義を「理論」で評価するところで生じる問題点を簡略に検討したい。アメリカ内アメリカ学の歴史を概括した「アメリカ学(アメリカ文化研究)の歴史的展開過程について」をみれば、「1990年代と2000年代、多文化主義を主唱するアメリカ学」の登場で、「アメリカ学が『文化批判』として、また『急進的批判』として生まれ変わった」 クォン・ソグ「アメリカ学(アメリカ文化研究)の歴史的過程について」『アメリカ論集』37.3(2005年冬号)、p.249。 というほど多文化主義は、アメリカの支配的談論の偏向を正し、アメリカ学内部の批判的伝統を継承した理論として紹介される。ところが、この論文は多文化主義を通して「アメリカがアメリカ文化の多様性を掲げて、もう一つの例外主義を産出しているのではないかに対する疑懼心を捨てることはできない」(p.250)と述べつつも、この疑懼心に対する特別な解答もなく、多文化主義を脱植民主義とともに「アメリカ文化の多様性と生動感、そしてその批判性が現在にも続いているという事実をあらわす方向計」と判断する。この論理によれば、アメリカ文化に対する「批判」としての多文化主義が、アメリカ文化の「属性」としての多文化主義を立証する証拠になるわけであるが、これは「もう一つの例外主義」という「疑懼心」が無駄なことではないことを逆説的に立証する。
多文化主義をめぐったアメリカ内の論難を取り扱った「多文化主義を越えて」も、多文化主義が階層問題に注目できなかったことや、制度化され、特に教育課程に多く反映されたが、「教育課程が多文化的に変わったといって、日常において人種間の平等が実現できたわけではないこと」はもちろんであり、認識上の変化も根本的な水準ではなかったということなどの限界を指摘する チョン・サンジュン「多文化主義を越えて」アメリカ学研究所編、前掲書、pp.158-159。 。ところが、「他の集団に属している個人の人間らしさを認め、ともに人間らしく暮らす社会を実現することが民主主義の目的であるならば、多文化主義の究極的目的は民主主義を実践すること」(p.160)という評価を下す。しかし、多文化主義と民主主義との関係は、事実上自明ではない。多文化主義が実際現実とは距離があり、また現実の問題に対する根本的な対応になれない可能性は、この論文でも指摘した点である。さらに、民主主義は結局多様性を尊重する方を向かうが、多様性の尊重が民主主義をごまかす状況もあり得る。脱民主主義と関連しても議論したように、より多様な観点が存在し、より多様な集団の文化がその価値を尊重されても、それが発言権を獲得した集団間の利害「調整」に止まるだけで、他の集団(の文化)に対する抑圧が残っており、さらにいっそう強化される例はいくらでも探せるからである。この点は、多文化主義をより主張し、個別文化主体の同質性を揺るがし、境界を横切るとしても変わらないだろう。
5.「アメリカ」認識から脱すること
「我々にアメリカは何か」という冒頭の質問に戻りたい。アメリカの公式イデオロギーはいうまでもなく、これを乗り越えようとする理論もアメリカに対する正当な認識として我々を直接案内できないという点において、「我々に」が含む「主体的」認識の必要性はより大きくなる。ところが、「我々」を掲げれば掲げるほど、むしろ「何か」が迷宮入りする事態も起こる。知られていないアメリカの裏面をみて、バランスをとろうとする努力が批判の対象であるアメリカ例外主義を再び暗黙的に追認することができるからである。
そうであれば、問題の核心は、「アメリカは」という部分にあるのではないか。アメリカに対する認識を論じているのに、認識対象であるアメリカが問題であるという言葉は多少突飛であるが、もちろんこれは、アメリカそのものを知る必要がないという意味ではない。我々のアメリカ認識において繰り返されるいくつかの問題は、結局「アメリカ」に視野を限定させ、あるいは「アメリカ」のアイデンティティーの究明に縛られているところから始まるということができる。したがって、一方では、認識の範囲を広げ、アメリカと(アメリカが重要な影響を及ぼす)残りの世界とを関連させ、他方では、折々の具体的事案に範囲を絞るが、判断の基準をより普遍化することが必要と思われる。
これは、アメリカ学研究者が提起した「地域学」としてのアメリカ研究を真心に実践することにもなれる。「地域」としてアメリカを研究するというのは、「世界」の中の一つの地域として対するという意味であり、世界に適用される基準をもって評価することを前提するからである。そうなれば、「アメリカ学」の境界は、いっそう曖昧になるかもしれないが、実際アメリカ研究の内容は、いっそう豊かになり、その中で「主体的」な認識の可能性も生じるのではないかと思われる。
季刊 創作と批評 2006年 秋号(通卷133号)
2006年9月1日 発行
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