창작과 비평

韓半島の市民参与型統一と全地球的韓民族ネットワーク

東京国際シンポジウム(06.10.28)発題文

 

 

白楽晴 | ソウル大名誉教授、文学評論家

 


この文の基になったものは2006年10月28日、日本、東京の日本プレスセンターで‘東北アジアの平和のための韓国と日本の役割’という主題で韓国の民主化運動記念事業会が主催し、日本の諸団体 日本カトリック正義と平和協議会、日本キリスト教協議会・東アジアの和解と平和委員会、在日大韓基督教会、PEACE BOAT、6・15共同宣言実現在日同胞の集い。が後援した国際学術会議での基調発表文である。

それが本稿として完成されるまでにはいくつかの曲折があったのであるが、文章の序に若干の説明が必要なようだ。


発表文を事前に翻訳して日本側の討論者たちにも見せて、討論文などを再度、韓・日両国語で準備するために、原稿を早く出してくれという矢のような督促があった。しかし10月2日にようやく脱稿し渡したのであるが、まさにこの翌日に北朝鮮の核実験の予告があり、9日に核実験に成功したという朝鮮中央通信の報道があった。翻訳文の草稿を一瞥してくれと私に送り返してきたのがまさにその日だったのであるが、核実験に関しては発表の当日に私の立場を整理するだろうし、今すぐ私の基本論旨を変える必要は感じないとする脚注を添えることで満足しなければならなかった。

シンポジウムが開かれた10月28日は国連安全保障理事会の対北制裁決議案(1718号)が可決された後であり、6者会談再開の知らせはまだ聞こえてくる前だったので、緊張が最高潮に達した時期であった。約束通り私は講演の初めに私の考えを4項目に整理して発表したが、その内容をほとんどそのまま本稿の‘始めの言葉’の前段に掲載する。‘ほとんどそのまま’というのはそのときは原稿なく発言したために、話したのと同じ記録でないばかりか、その後の事態の変化についての言及も一部含めたためである。

 

その他その日の討論を勘案した内容を本文、あるいは脚注で補完したところもあり、原稿に若干の手直しも加えた。主催者側とその日論評してくれたすべての方に感謝の気持ちを伝え、修正、補完して活字化する機会を与えてくれた『歴史批評』の編集陣にも感謝する。

 

 

 

1.   始めの言葉

 

10月9日に北が核実験を強行することによって、韓半島の緊張が再び高まった時期に、ここ日本で発表することになった。当然多くの方々が韓国の知識人として、また6・15共同宣言実践南側委員会を代表する者として、私が今回の事態をどのように見ているか気になるであろう。前もって言っておくが、今日私は6・15南側委員会の代表として発言しようとするのではなく、あくまで個人としての意見を申し上げようとするものである。私の立場はだいたい次の4つに整理できると思う。

 

第一に、軍事的な観点から見るとき、今までアメリカの対北圧迫政策が続き、先制攻撃の脅しまで無くもなかったという状況下で、‘軍事的抑止力の確保’のための核武装という、北側の主張に一理があると思う。したがってこのような状態が来るに至ったアメリカ側の責任問題を抜きにして、北だけを一方的に非難するのは公正な態度ではない。しかも北の行為に対する責任追及を在日同胞たちに向けて、罪もない青少年たちにまで迫害を加える一部の行態については、日本の国民が深く反省する必要があるだろう。

 

二番目に、単なる軍事的抑止力のためではなく、究極的な韓半島の非核化を目標に外交的協商力を強化する手段として核を保有するということが、既存の他の核保有国が掲げていた名分とは区別される特徴であるが、今回の核実験が北側が望む協商カードとしてどれほど有効であるかは見守るべき問題であり、仮に協商が再開されるとしても、この時点でそのような選択をすることが最善だったのかは、これからも論議の対象として残るだろう。外交には相手がいるためでもあるが、外交の究極的目標が北側社会が抱えているあらゆる問題の解決にあるだけに、核実験によって問題が悪化する面もともに考慮する、総合的な政治的判断が必要だからである。(この点は北側が6者会談への復帰を宣言して、協商再開が予想される状況でも同じである。)

 

三番目に、私自身を含めて南側の民間運動が強調してきた‘市民参与型’統一運動の観点からは北の核実験ははなはだ不幸な事態だと言える。一般市民とともに成し遂げていく統一過程を重視するとき、核実験により多くの南の国民たちが6・15共同宣言の正当性と有効性について疑問を持つに至った状況はたとえ一時的であるとはいえ、重大な打撃である。それだけではない。普遍的大義を重視する市民運動の場合、例えば反戦反核の原則が生命である平和運動とか、南韓において核発電所の建設までも反対してきた環境運動は、北の核実験に対する明確な立場表明なしには南北交流を続けることができなくなった。実際に6・15共同宣言実践運動に参加してきたいくつかの団体が強力な批判を公開的に表明した。

 

四番目に、それにもかかわらず韓半島での市民参与型統一過程は進行中であるというのが私の判断である。他の代案がないことは本論でさらに説明するつもりであるが、核実験の衝撃で南側内部の談論地形が再整備されていることもひとつの希望的な事態展開だ。さし当たり反6・15の談論が大きく威勢を発揮してはいる。しかし結局それが代案なき談論だということが、時間が過ぎれば過ぎるほどはっきりしてくるし、古い統一至上主義と反米一辺倒の単純論理の国民説得力が落ちたこともひとつの前進だと思う。それに今まで韓半島の分断の現実と北の存在を差し置いたまま南韓のみの先進化、あるいは進歩と変革を主唱してきた談論もまた空虚であることが明らかになった。市民参与型統一が正しく進行するもう一つの契機が与えられたということである。

 

ひとつだけ付け加えるならば、前に提示した第一番目と二番目の命題は国家為主の観点である半面、三番目と四番目の命題は市民為主の観点を代表する。私は市民運動・民衆運動をする人は誰でも、そして政策立案者たちといえども、韓半島の場合には不可避的に後者の観点を重視する発想の転換が必要だと信じる。ところが民間活動家や民衆史観を支持する学者たちですら南北関係を扱うときには、国家為主の談論側にこっそり抜け出る場合がよくある。もちろん核武器のような軍事的な問題に民間が直接的に口出しする素地は小さい。しかし核実験がもたらす全般的な事態は広い意味での政治問題であり、韓半島式統一の特殊性のために市民為主の観点が特別に重要だということがこの発表の論旨でもある。
今日の国際シンポジウムは単なる韓日交流の次元を越える意義を持っていると考える。参加する韓国人(朝鮮人)を見ても韓半島(朝鮮半島)の南北で国籍が異なる人々がおられるし、在日朝鮮人も民団、総連、韓統連の所属と、そのどの団体にも属さない人士など多様に構成されている。また日本人の参加者も日本の公論界の幅広いスペクトルを代表する方々である。

 

このような集まりで基調発表を任されたことを嬉しく思う。特に尊敬する鄭敬謨先生と一緒に発表できることは大きな光栄だ。先生は一生を韓国の民主化と韓半島の統一のために献げてこられた。なのに、数多い南韓の民主化運動家たちが栄達の道に上り、海外の多くの統一運動家たちが南北を行き来しながら礼遇を受けるようになった今日まで、依然として日本の地で孤独にご自身の所信を守っておられる。私はこのような状況ができるだけ早く変えられるよう心から願うものであるが、先生の頑強な孤独が不義と屈従にまみれた私たちの現代史の不名誉を洗い直すのに大きな一助となったと信じている。

 

鄭敬謨先生の業績の中で1989年、文益煥牧師と共に訪北した事実は広く知られていることだが、彼が文案作成に直接参与した文益煥牧師と北側の許錟祖国統一平和委員会委員長名義の‘4・2南北共同声明’は世の人々の記憶からかなり忘れられてきているようだ。私はこの文献が‘韓半島式統一’の過程に重要な一つの里程標を打ち立てたと信じ、後ほどもう一度言及するつもりだが、鄭敬謨先生と共にする席でそのような機会をもてたことをひとしお嬉しく思う。ただこの問題に関しても他の問題に関しても、6/15共同宣言南側委員会の代表としてではなく、一個人としての発言だということを前もって明らかにする。

 

 

 

2.  6・15南北共同宣言と市民参与型統一

 

6・15南北共同宣言は韓半島がベトナム式の武力統一やドイツ式の併合、あるいは国家連合のような中間段階を省略したイェメン式の統一、そのどれとも異なる韓半島固有の方式で統一されなければならないという原則を提示した。このような‘韓半島式統一’は、結果的に‘市民参与型’ないし‘民衆主導型’となる確率が高いし、当然そうならなければならないというのが私の主張である。 拙著『韓半島式統一、現在進行形』(創批2006)第1~3章および創批ウェブサイトに掲載された5・18記念講演「韓半島式統一過程と市民社会の役割―5月から市民参与型統一へ」 参照。

 

‘市民参与’であれ‘民衆主導’であれ、その意味することは‘真の民主’と異ならないし、4・2声明に込められた“民主は民衆の復活”という文益煥牧師のキリスト教的な表現とも相通じる。ただ市民参与ないしは民衆主導の統一が現実的な路線として説得力を持つには、それが統一の過程で政府当局が当然下さなければならない措置までも、一般市民や市民団体が引き受けるべきという、ユートピア的な発想となってはならない。どこまでも与えられた条件の下での民衆の能動的な参与が極大化され、諸般の政治的決定において意味ある持ち分を占めなければならないという意味であって、‘民衆主導’を絶対化したものではない。いずれにせよ、片方の既得権勢力のみを強化したドイツの統一過程とか、双方の既得権勢力の談合の性格が濃厚であった南北イェメンの統一合意では、相対的な意味の民衆主導性すら発揮されたとは見ることができないし、ベトナム民衆の大々的な参与の場合は、それが武力統一のための戦時動員であったという点において、韓半島式統一が求める市民参与とは性格が異なるのである。

 

平和統一の原則自体は6・15南北共同宣言の前に、すでに1972年の7・4共同声明で合意したことがある。そして1991年に締結され、翌年に発効した南北基本合意書は“国と国の間の関係ではない、統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊関係”がしばらくの間続くということを前提に、交流・協力に関してかなり詳細な合意を作り上げた。それにもかかわらず2000年以前にはそのような合意の実行が極めて限られていたのは、国内外の環境による制約ももちろん多かったのだが、例の“統一を指向する過程”の具体的な性格をどう規定するのか、という‘根本問題’が解決されなかったからである。この問題を置き去りにしたままでの‘機能主義的接近’は、現実社会主義圏の崩壊以降、極度に不利な情勢を迎えた北の立場では吸収統一を自ら招く道であると認識されたのであろう。

 

“南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認めて、今後この方向で統一を指向していくことにした.”という、6・15南北共同宣言の第2項は、この根本問題についての明瞭な答えではもちろんない。しかし国家連合あるいはこれに類似した、ある中間段階を統一過程の一次目標に設定したことだけは明らかである。同時にそれ以上の明確な規定をしなかったこと自体が、韓半島の統一過程が市民参与の量と質によっていくらでも違ってくる余地を残す結果となった。実際、民衆の立場からは民族の根本問題が当局者同士の出会いによって一気に解決されることが望ましい現象だということでは決してないのである。 その日の討論で金栄作教授は、‘価値中立的な統一’があり得るのかと質問した。自由民主主義の原則に基づいた統一なのか、北韓式の社会主義に従うものなのか、あるいは両者をどのように折衷しようとしているのか、政治家ではない学者の立場としては明らかにしなければいけないのではないかという趣旨であった。(自分としては共同体志向的な自由民主主義を真摯に検討する段階だと思うという言葉を後に付け加えもした。)私はこの問題を当局者たちが事前に定めず、‘市民参与の量と質によっていくらでも変わり得る余地を残した’こと自体が民主的な方式であって、私の立場は決して‘価値中立的な統一’ではないということを強調した。それだけでなく長い分断と対決の歴史を経験した南と北が自由民主主義をするのか、北韓式社会主義をとるのか、前もって定めておいて統一過程を始めようとするのは統一しないで、これからも戦おうという意味にしかならないという点を指摘した。学者的姿勢に関しては、学問をする人が統一後の政治体制や社会構造についてあらかじめ研究して置くことはもちろん望ましいし、純粋な学問的集まりで自分の意見をはばかることなく開陳することもできるが、公人として公開の席上で発言するときはその時々の状況にふさわしい程度の自分の所信を明らかして、言葉を最も適切に調整して惜しむことがすなわち‘人文的教養’であると思うから、私がそのような教養をどれほど発揮したかは知らないが、学問する人として適切に発言するために最善を尽くしたのだと解明した。

 

もちろんこのような曖昧性は議論の素地を残しもした。ところでこれは連合制と‘低い段階’という修飾語をつけた連邦制の概念上の相違が、ーしかも‘高麗連邦民主共和国’の北側の公式の翻訳にConfederalという単語が使われてきた状況でー、絶対的という理由のためではなく、市民参与型統一に対する態度の差に起因するところが大きいのである。たとえば第4項の“南と北は経済協力を通じて民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保健、環境など、諸分野の協力と交流を活性化させ、互いの信頼を堅めていくことに”するという合意は、第2項のおかげで、南北基本合意書のもっと詳細な条項よりもはるかに大きい力を発揮することになったのだが、南側当局や一部の民間運動は第2項の実現のために具体的に研究し実践することより、第4項にのみ重点を置いて、彼らがはじめから好んできた機能主義的接近に没頭しようとする傾向を見せている。

 

北側は当然これを警戒することになるし、そうするうちに北の憂慮に共感する南側の統一運動家たちが‘連合制と連邦制の間の越えることができない川’を再び強調してくることもある。その代わりに彼らが主に頼るのは共同宣言の第1項、すなわち“南と北は国の統一問題をその主人であるわが民族同士互いに力を合わせて、自主的に解決していくことにした”という条項であり、そのなかでも‘わが民族同士’という文言である。もちろん民族自主は統一の重要な原則である。しかし韓半島の統一問題において“わが民族同士互いに力を合わせて自主的に”解決するという文脈を外れて、‘わが民族同士’が必要以上に一般化される場合、国際的な孤立と世界認識の単純化を自招し、市民参与型統一に不利な作用をすることもありうるのである。

 

とにかく第1項と第4項の中のどちらをより強調するかについて争っている間、6・15南北共同宣言の画期的な新しい内容であり、その核心とも言える、第2項がおろそかにされてきたという感じがしないでもない。第2項に背を向けたまま、交流・協力の拡大のみを強調することは経済力の優位を基に、相手の体制に対して国家連合という最小限の保障すら与えないという路線に後退する結果となりやすいし、国家連合、あるいは低い段階の連邦制を目指した実質的な準備をおろそかにしながら、第1項に排他的な意義を付与しようとするのなら、これもまた南北のどちらも相手が受け入れることができない名分に固執することになり、統一過程の進行を遅らせていた6・15以前の慣行に舞い戻ってしまうざまになるだろう。

 

南北の頂上が第2項の合意を見るまでには、北側の‘苦難の行軍’と南のIMF危機など、数多い民衆の苦痛があったし、北側は‘通米封南’政策を、そして南側は吸収統一路線を放棄する決断が伴われた。ところで少し違った次元から文益煥・許錟の4・2共同声明も重要な準備作業を遂行したということを覚えておく必要がある。

 

文益煥牧師と鄭敬謨先生が訪北された当時は権威主義政権が‘窓口の単一化’という名分で民間交流を遮断してきた障壁を突破した、‘闘士的’面貌が当時は主に浮き彫りにされていた。4・2声明の内容に関してもその頃まで南でタブーであった連邦制統一方案を受け入れたことが注目を引いた。しかし南側の禁令を犯したお二人が北に行っても、北側の公式立場とは異なる意見を堂々と主張したことを忘れてはならないし、このような主体性の誇示を通じて北側の構想の変化の可能性を開いたのである。

 

連邦制についての彼らの同調も当時の脈絡から見なければならない。1989年4月というのは盧泰愚大統領が9月の国会演説で‘韓民族共同体統一法案’を発表して、南北連合を提案する前であっただけでなく、連邦制を排除したまま完全な統一へ直行するという南側当局の構想には現実性がなく、統一意志が薄弱だという疑いが濃かった。これに立ち向かって文益煥牧師らが“連邦国家の段階的創設法案を模索することが緊急な課題だ”という、適切な問題提起をしたのであった。そうして4・2共同声明は“双方は、誰が誰を食べたり、誰が誰に食べられることなく、一方が他方を圧倒したり他方に圧倒されない共存の原則により連邦制方式で統一することが、わが民族が選択すべき必然的で合理的な統一方途であり、その具体的な実現方途としては、一気にすることもできるし、漸次的にすることもできるという点において見解の一致を見た。”という、第4項の合意を導き出したのであった。その後の進行を見れば6・15南北共同宣言で双方の頂上は‘一気に’する方式の代わりに、‘漸次的に’するという文益煥牧師側の主張を受け入れたことになる。

 

韓半島の現実を観察すると、南北が実際に追求しそうな‘国家連合ないし低い段階の連邦’はある意味では、ーかりに貨幣の統合とか住民移動の自由がまだ時期尚早であろうという点でー、ヨーロッパ連合よりも低い水準の連合となる公算が大である。しかし英連邦(British Commonwealth)も‘連邦’と呼ぶのなら、こんな水準の南北連合を‘低い段階の連邦’と呼べない理由はないばかりか、更に重要なことはこんなに緩やかな連合こそ、平和共存を最優先視する双方の当局、および大多数の住民たちの立場とも正確に一致するという点である。これをよしんば‘一段階’と付言して説明するとしても、統一とまで呼ぶのは言葉遊びでしかないのではないか、と反問することはできるとしても、ヨーロッパ統合とは全く異なる韓半島の再統合の過程では、その程度の国家連合を達成しただけでも、さらに高い水準の統一を目指した動きが不退転の段階に安着して、統一過程で生じ得るあらゆる危険を管理する重要な装置が作られるという点が、まさに韓半島式の統一の特徴なのである。 この点に関しては『世界』誌インタビュー(「私たちは今‘統一時代’の入口にいる」、高崎宗司、李順愛の白楽晴インタビュー、2006年1月号)を通して日本の読者に直接説明する機会があったのだが、その一部をここに引用する。“ヨーロッパ連合も今は非常にゆるい連合ですが、南北間の国家連合はある点でそれよりももっとゆるくなければなりません。例えば南北間の貨幣統合が国家連合の前提条件にならなければならないとすれば、それは難しいでしょうし、またヨーロッパの場合、ヨーロッパ連合内でとうに移動の自由がありますが、南北韓の場合はむしろ人口移動の一定の統制を前提にしてはじめて連合が可能になるだろうと思います。これに対して、それは国家連合ではあるかもしれないが統一ではないのではないか、という反論が理論上可能です。にもかかわらずこれを朝鮮半島特有の統一方式だと私が主張するのは、ヨーロッパ連合はそれぞれの国家が統一された主権国家としていったん成立した状態からそれらの国々が統合していく連合であるのに対して、南北の国家連合は、長い間一つの民族、一つの国家として生きてきた朝鮮半島の住民が外国勢力によって強制的に分断されて後、統合していく過程であるために、作用する動力がまったく違うということです。”(185ページ)

 

このように‘もたもた’と進行する韓半島式統一が一種の言葉遊びという批判とは別に、そのようにもたもたしながら進んでいるうちに急に統一でもされたら、それはすなわち赤化統一ではないのかという問題提起もあった。 たとえば去る9月29日、ハンギョレ統一文化財団創立10周年記念学術大会‘南南葛藤’セッションにおいて、私と共に発題した李仁浩教授の指摘(李仁浩「南南葛藤の解決への道―相互理解と協力、そして社会葛藤」、‘2006年韓半島の平和と相生のための学術会議’資料集『韓半島の葛藤をどのように解くべきか』63-4ページ) このような心配は、私が述べる統一というものが既存の統一概念に対する大々的な修正を意味するということを見落としたせいもあるが、‘根本問題’を(資本主義に統一する方向で)解決して出発しなければ相手に吸収されてしまうという論理が、北側が時に強硬に出てくる時の論理と、どうしてそんなに似ているのか不思議だ。北の場合は少なくとも南北間の経済力の差が甚だしいということに米国の圧迫が続いている状態を思えば、必ずしも杞憂とは言えないかも知れないが。

 

市民参与型の統一論について韓国内でよく提起されるもう一つの反論は、北には市民社会が存在しないから市民参与というものはせいぜい半分でしかなく、しかも分断体制に立ち向かう南北民衆の連帯を主張する分断体制論は空念仏にすぎないのではないか、というものである。北側民衆の生活状態や行動方式についての私の知識は極端に制限されており、私はこの問題を討論するにおいて、最もやりやすい位置に人ではない。しかし反論に答えて大きく二つの原論的な指摘のみをするとすれば、まず北の民間社会について南の市民運動ないし民衆運動の物差しで判断することは適切な接近法ではなく、次に‘市民参与’あるいは‘民衆主導’は先に言ったように相対的な概念であるから、南北を問わず韓半島式統一の過程に人々が能動的で効果的に参与する程度によって、その主導力が増大するのであって、南と北での参与の様相が対称的である必要はないということである。

 

 

 

3. 韓半島統一過程の現局面に関して

 

このような理論的批判より、この頃は一体、韓半島の統一過程が進行中とでも言えるのかという、現実的な疑問がもっと多い。それほど韓半島には再び緊張が高くなっているのだ。北京9・19共同声明が出てから一年が過ぎるのにその履行に何ら進展もなく、六者会談がいつ再開されるかも分からない状態である。米国は北が会談に出てこない場合、金融制裁に続いて追加制裁の動きを見せていると思えば、北は北で、金融制裁を先に解除しないなら会談に復帰しないと対抗している状態である。 この箇所は核実験の前に書いたそのままであるが、その後6者会談の再開合意という進展があったのではあるが、北の核実験と国際社会の制裁強化という新しい変数を抱えているだけに、韓半島式統一の展望についての一般の疑問は以前のような水準だと見るべきであろう。

 

6・15南北共同宣言および9・19共同声明の実践についての障碍要因はもちろん韓半島の内部にもある。南側の場合、去る5・31地方選挙で野党のハンナラ党が圧勝した後、特に7月の初めに北がミサイルの発射実験を強行した後、6・15宣言自体を廃棄しなければならないという主張が気勢を上げている。そのような色々な要因などがあるとしても、私は当面の最も大きな障碍要因は米国行政部の頑強な対北封鎖政策であると思うのだが、この問題をもっと具体的に論ずる前に、私は南北関係の一時的後退ないしは足踏み状態が、市民参与・民衆主導型統一にとって必ずしも全的な不幸ではないという信念を繰り返したいと思う。 2002年、すなわち9・11テロ以降の時点でも、私はこのように主張したことがあった。“私たちがどんな統一でもすべて良いという立場ではなく、真に分断体制克服に該当する変化、すなわち民衆の参与が最大限に実現される統一過程を目標としているならば、政府が主導する南北関係の一進一退は副次的な問題なのだ。政府の主導であるとしても、前進することが重要であることはもちろんである。特に分断体制克服の初期段階では6・15のような政府頂上間の決断と突破が緊要である。しかし継続する頂上たちの‘歴史的決断’に市民たちは拍手でもして、当局がお膳立てしてくれた離散家族の出会いの場面を見て涙を流しながらついて行くだけよりも、当局間の合意が時には破れるという不幸な状況を経ながらも民衆の取り分を拡大していくことが望ましいのだ。”(「韓半島の2002年」、『創作と批評』2002年春号:『韓半島式統一、現在進行形』に再収録、164ページ) もちろん今はミサイル発射の件で当局間の対話が断絶されているばかりか、南韓内での民間統一運動の立地も狭くなっている状況である。しかし南側の民間運動すらまだ市民参与型統一過程において従属変数の水準を超えていないという実情であるなら、“北・米関係や南北の当局者関係が簡単に解決されないのは一面では残念ではあるが、‘打撃を装った贈り物’という面もないでもない。民間統一運動が韓半島式統一過程の一主役としての自分の位相についての認識がまだ不足し、主役として行動する準備も十分でない以上、もっと鍛錬され、成長する時間が与えられているからである。 拙著「市民参与型統一と民間統一運動」創批週刊論評2006.7.25

 

当面の関心事は去る9月14日、韓米頂上会談で合意した‘共同の包括的な共同措置’がどのような形で具体化されるのか、である。(これに関しては北の核実験により無意味になったかのように見えたが、6者会談が再開されることによってどのような形にせよまた浮き彫りにされるだろう。)ところで私はこの場でもう少し根本的な問題に目を向けて、アメリカの対北圧迫政策を市民参与型統一運動の観点からどのように理解し、対応すべきかについて考えてみようと思う。

 

アメリカ政府が自ら提示する対北圧迫の一次的名分は、北の政権に適切な圧力を加えることによって六者会談への復帰を誘導するだけでなく、究極的に平和的な政権交代ないしは体制の変化を促進し、北側住民の人権と生活水準を改善するということである。しかし六者会談の再開がいつ、どのような経緯で実現されるかは別として、アメリカの圧迫と封鎖が北の政権をむしろかたくなにし、体制の進化を遅らせてきたことは歴史的な事実であり、封鎖の下での平和的な政権交代など、なおさら想像しがたいことである。

 

したがってアメリカの本当の下心は武力侵攻、または軍事的圧迫による政権転覆ではないのかという疑いが生じることになる。北は一旦これを米国の目標と受け取り、一戦不辞を主張している。また核武器を含む‘抑止力’開発に拍車を加えた結果、アメリカのこのような意図を挫折させるのに成功したと自負してもいる。

 

実際にアメリカのネオコンたちが武力攻撃と強圧的政権交代を公然と主張したことがあるし、ブッシュ大統領自身も時に彼らに同調する態度を見せただけに、北のこのような主張は一理があると見なければならない。ところでそれがアメリカの政策オプションの一つであり、ブッシュ個人にとって特に満足のいく方法かは知らないが、アメリカのような国の政策樹立者たちがそれを唯一の目標と設定して、挫折と失敗を繰り返してきたということはあまりにも安易な解釈ではないだろうかと思う。 金大中前大統領も『ルモンド ディプロマティック』韓国版創刊号(06,9,14)インタビューで“現実的に見るとき、アメリカのネオコンや日本の右派勢力たちには、北韓に対して強硬な政策を打ち出すこと自体が意味があるのだ。”と指摘している。徐東晩教授はアメリカ政策の焦点が‘韓米同盟の再調整’に以前からずっと合わせられてきたことにもっとはっきり目をつけている。(「アメリカの焦点は元々北の核ではなかった」、『プレシアン』2006.10.4

 

多くの人々がすでに指摘したように、北の政権転覆まで行かずに、韓半島の緊張が維持されるだけの状態であってもアメリカの立場として美味しい面が少なくない。ミサイル防御(MD)などアメリカの国防予算拡大にとって有利であり、日本の右傾化と日米同盟の強化に即効薬として作用し、南韓がアメリカともう少し対等な同盟関係を達成しようとする努力にブレーキをかける口実としても好都合である。アメリカとしては強いて北の政権転覆、あるいは体制の変化だけを求める理由がないのだ。

 

韓国人の立場から、特に市民参与型統一を主張する立場から、私はアメリカのこのような政策が南韓に対しての‘北韓カード’であるという側面に注目したい。元々‘北韓カード’というのは南北対決の局面で北を助ける意をちらつかせながら、南を圧迫するものであったが、南北が和解と協力を追求する状況においては、むしろ北を圧迫することによって南を縛り付ける方式に進化したのである。実際にアメリカの世界戦略において、北の政権の転覆よりは世界の10位圏に近づいた経済大国の南韓を隷属的な位置に捕らえておくことのほうがはるかに切実な問題であり、このために南側当局と民間の身動きの幅を狭め、‘南北和解対韓米同盟’などという二分法を助長して南韓内の崇米勢力を鼓舞しようとするとき、韓半島の緊張を高め北の強硬対応を誘発して、北側住民たちの生活条件の改善を遅らせるこれほどの効率的な方法も多くないであろう。

 

もしこのような解釈が正しいならば、アメリカの対北圧迫政策は長期的観点から、クリントン行政府の包容政策(engagement policy)ほど賢明なものとはいえなくても、‘対南政策’としてアメリカの短期的国益を取りまとめるには、相当成功してきた政策だと見なければなるまい。したがって我々の対応もまた、それに相応する高次元の思慮を盛り込まなければならないだろう。たとえば北に対する戦争脅威は断固として糾弾しなければならないが、アメリカの意図についての単線的な解釈に根拠して北を掩護することを最優先順位に据えるアメリカ批判は、南韓当局および民間運動の自主化を牽制しようとするアメリカのより大きな目標に貢献する結果となり易い。従属変数の水準から抜け出さなければならない市民参与統一運動の主体的観点から、アメリカの政策に反対する複合的な方案を開発することが必要である。

 

海外との連帯もそのような次元で追求すべきである。ここで韓民族ネットワークの問題を論じる前に、日本について一言付け加えようと思う。

 

日本の右傾化と対米依存の強化は対北圧迫を通してアメリカが得た収穫の一部であり、韓半島や東北アジアの平和に決して有利な事態ではないが、アメリカと日本の対北および対南政策を対称的に見るべきではない。たとえば日本は韓国に対して、アメリカの対北圧迫のような意味の‘北韓カード’を使うような位置にない。むしろ韓国との摩擦は日本国内の独自的な事情による教科書問題とか独島問題、靖国参拝などを通じて直接引き起こす場合が多い。だから韓国人(および朝鮮人)をますます憤慨させるのであるが、これはアメリカの高度の世界戦略より低い次元の自害行為に近く、アメリカの‘北韓カード’の行使が無いなら、韓半島民衆の共同の努力で相当な程度何とかなる性質のものである。

 

日本政府が朝日関係改善の前提条件として挙げている拉致問題も、アメリカの北韓人権問題の提起とは性格が異なる。‘普遍的人権’の問題でもない、ただ自国民に対する被害だけを、ーそれも植民地時代に大々的な朝鮮人拉致を自ら行った国がー、あれほど叫んでいることについて韓国人たちが批判するのは当然といえば当然ではあるが、アメリカの人権問題提起とは違い、自国の罪のない良民が実際に被害を被ったことについて家族たちとその他の国民が怒るのもまた当然のことである。この点を推し量ることができない道徳的感受性ならば‘先進社会’の水準に達していないと見るしかない。 日本人の拉致事件に関しては、上で言及した『世界』誌インタビュー190-193ページ参照。 ただ韓国社会がー特に市民参与型統一運動がー要求することは、我々が拉致問題についての日本側の被害者の心を易地思之しなければならないように、日本人もまた韓国人(朝鮮人)たちの痛みある歴史と憤怒を察しなければならないという点であり、同時に対北関係で拉致問題の解決を当然当たり前に追求するが、どこまでも実事求是的な姿勢で接近すべきであって、国内政治用に悪用したりアメリカの対北圧迫政策に便乗してはならないということである。

 

安倍内閣の出帆が韓日関係と日朝関係にどのような具体的な変化をもたらすかは、私の予測能力を超えるものである。ただ韓半島での私たちのやりようによっては、日本社会に影響力を及ぼす可能性がアメリカに対してよりも、はるかに大きいと言うことだけははっきりしていると信じている。

 

 

 

4.  全地球的韓民族ネットワークに対する期待

 

ここで述べようとする‘全地球的韓民族ネットワーク’というものは、以前私が韓民族の‘多国籍民族共同体’(multinational ethnic community)という名で提起した内容と異なるものではない。これは韓半島での国家連合など、新しい国家形態の創案構想と互いに補完する関係ではあるがそれとは別個の構想であり これについては、拙著『揺れる分断体制』(創作と批判社1998)に掲載された「ドイツと韓半島統一に関するハバマスの見解」183-5ページ(日訳本『朝鮮半島統一論』、李順愛・文京洙・鄭章淵・朴一訳、クレイン2001、199-201ページ)、および「21世紀韓民族共同体の可能性と意義」187-199ページ(日訳本206-217ページ)参照。 、世界市民の立場からもこのような民族共同体の存在が望ましいという私の主張に論難の余地があることは事実である。しかし今日、地球全域に広がって生きている韓民族の成員の中で圧倒的に多数は、各自の居住地で満ち足りた品格ある生を生きるためにも、韓民族としての一定の正体性と相互連繋を維持したがっていると思う。ただ彼らは居住地だけでなく国籍も多様であり、一つの政治的共同体をなすことは不可能であることはもちろん、経済的または文化的にも緩やかな連関を結ぶしかない以上、‘共同体’よりも‘ネットワーク’という表現がより適切であるようである。 『韓半島式統一、現在進行形』では“国籍と居住地域が異なる緩やかな汎世界的民族共同体(ethnic community)ないしネットワークとしての韓人共同体”(83ページ)という表現を使った。‘共同体ではない、ネットワークとしての模索’を強調した例としては、玄武岩「東アジアとコリアンディアスポラー共同体からネットワークへ」、『創作と批評』2006年 春号参照。

 

このようなネットワークを具体的にどのように形成・維持し、韓民族ディアスポラの成員たちが各自属している国家での多様な位置とどのように調和させるのか、さらには韓民族ネットワーク成員の基準をどのように定めるのかなど、数多い難題が散らばっている。しかしこの場ではどんな意味にせよ、一つの政治および経済共同体を目指して動いている韓半島との関係を中心に簡略に論じることで、締めくくりに代えようと思う。

 

南北対決の構図が維持され、民間統一運動の自由が大きく制約されていた2000年以前の時期には、南側当局と民間が各々自身の韓半島内の当面目標を主にして、海外同胞に接する傾向が強かった。すなわち当局は北との体制競争の次元で彼らを管理しようとしたし、在野運動は独裁政権との闘いで友軍を確保するための連帯運動に重きを置いた。どちらの場合も‘韓半島中心主義’が顕著であった。

 

しかし海外の観点から見れば、このような韓半島中心主義が必ずしも願わしいことではないだろう。もちろん初期の移住者たちは故国の状況に執着する傾向が強かったし、今も統一問題など韓半島の課題に献身する人々が少なくないが、歳月が流れるに従い、ディアスポラの成員たちには現地の生活上の課題がもっと大きな比重を占めるようになるものである。したがってこれらの課題と韓半島に対する関心をどのように調和させるかが切実な問題となるが、このとき韓半島中心主義は多くの成員たち、特に若い世代に対して説得力が弱くなるものである。

 

このような状況で韓半島問題の解決に彼らが継続して同参するようにしようとするなら、第一に、韓半島の問題が民族の問題であり、人類の問題であるという名分がはっきりしていなければならないし、次に、海外の生活において自身たちが日常的にぶつかり、解決しなければならない課題とも具体的に関連しているという実感が必要となる。たとえば韓民族ネットワークは当然民族を重視し、その中でも血縁関係を重視する性質があるが、各自が住んでいる国と地域において民族主義、特に種族的民族主義が強化されるのは警戒せざるを得ないということがディアスポラの現実でもある。このような時、‘わが民族同士’という自主的な姿勢と‘世界と共に’分かち合う価値を賢明に結合する韓半島統一運動の存在こそ、一段心安らかに連帯することができる対象であろう。

 

韓半島の観点ではー少なくとも南韓民間運動の観点ではー韓民族ネットワークが地球村の至るところに根を下ろし、韓半島の統一過程を直接的に助けるだけでなく、全世界の民衆の支持を引き出すのにも寄与してくれることを望んでいる。その具体的な方法はあまりにも多様なため一括して言うことができないが、市民参与型統一の必須条件であり、6・15南北共同宣言の核心的合意事項である、‘国家連合ないしは低い段階の連邦’の成就を優先的目標として共有する必要があるであろう。このような連合の一次的主体は当然南と北の政府と市民(公民)だろうから、海外同胞たちにはサポーター(応援団)の役割のみを任せる、もう一つの韓半島主義ではないのかと言う反論がでるやもしれない。しかしこのような統一過程を通じて構成される国家が、初めから民衆主導と汎世界的市民連帯を原理として建設された新しい形態の政治共同体という点において、そして海外同胞たちに提起される要求がどこまでも彼らの現地生活に対する尊重を前提とする点で、むやみに民族統一の大義に同参して犠牲になれとせき立てることとは性格が異なるのである。

 

最後に、この過程で在日同胞が占める特別な位置について強調しようと思う。‘在日’は数的にも中国とアメリカの韓民族の人口の次をいく大きな規模であるが、親北と親南および、中立的性向の人々が皆相当数を占める特異なディアスポラ集団でもある。これに日本が韓半島の隣国であり、世界第二の経済大国という点まで付け加えるならば、‘在日’社会の向方が韓半島統一過程の究極的な内容に大きな影響を及ぼす素地ははっきりしている。

 

そのような意味で去る5月の民団と総連の間の和解協約が破棄された事態はとても遺憾である。しかし南北の交流・協力と漸進的統合が逆らうことができない大勢であり、全地球的韓民族ネットワークの発展もまた韓半島内外の民族成員たち大多数の念願である以上、二つの団体の和解が早晩、再び進むことは避けられまい。もちろん北の核実験により二つの団体間の間隔が大きくなっただけでなく、朝鮮籍の同胞たちに対する日本社会の圧力が加重され、在日朝鮮人の間で帰化の性向が強化される現在の状況において、あまりにも楽観的な期待をしているのではないかという疑問が湧くかも知れない。しかし韓半島式統一が緩やかな連合体を指向するように、二つの団体の和解もまた各自の正体性を維持しながら、和解と協力を強化していこうというものとする時、韓半島であれ日本であれ、この大勢が変わるとは考えられない。

 

いつか新しい契機を迎えて再開される在日同胞たちの和解努力とこれに伴う在日社会の刷新は韓半島の市民参与型統一に対する海外参与の新しい次元を開拓するのみならず、‘韓半島中心’と‘在日中心’の間の創造的均衡を求めるのに寄与することにより、世界中の同胞たちの模範となって希望を与えることであろう。今日のシンポジウムがこのような発展に意味のある支えとなるよう望む次第である。

 

〔訳: 李哲〕