論壇と現場
文学評論家、ソウル大名誉教授。今年出版された著書としては、社会批評書『韓半島式統一、現在進行形』、文学評論集『統一時代の韓国文学の価値』がある。
1.はじめの言葉
死んだ社会には葛藤がない。しかし葛藤が生命現象の一部であっても、消耗的な葛藤をなるべく減らし、不可避な葛藤を生産的・創造的な動力として活用する社会こそが立派な社会であり、他の見本となるような先進社会であるだろう。韓国において社会統合を語ることも、あらゆる葛藤が取り除かれた状態を狙うというよりは、消耗的葛藤を生産的対話に変えようとすることであるのはもちろんだ。そのような主旨において「中道改革主義」 「中道保守」「和解と共存」「社会的大妥結」といった中道を標榜する多くの路線が提示されたのであり、私自身、「変革的中道主義」 拙著『韓半島式統一、現在進行形』(創批 2006) 30‐31、58‐69頁参照。 というものを提出したりもした。
ところが韓国社会内部の葛藤を、敢えて「南南葛藤」と表現する時には、南北間の葛藤を含んだ南北関係を念頭に置いている 実際に6・15共同宣言以後の国内葛藤を対象にこの表現が登場したりもした(慶南大極東問題研究所編『南南葛藤の診断および解消方案』、慶南大学校出版部、2004年、13‐4および102頁)。 。 2000年6月の南北首脳会談と共同宣言は南北和解のための画期的事件だったが、南側内部の葛藤をむしろ激化させる結果を生みもしたのである。その上、これが南北問題をめぐる争いだけでなく、たとえば医薬分業をめぐっての「医療大乱」のように、国内問題に関する利害対立が大々的な社会混乱に至ったりもした。もちろん、当局の未熟な対応などさまざまな他の要因が介在したが、大きく見れば分断体制の抑圧的装置に押さえ付けられた諸矛盾が表出されたものであり、過去には 「安保次元」で抑制することもできた葛藤が表面化したという点で、先進化の一過程でもあった。実際、その点は南南葛藤という表現が出る前の1987年にも、6月抗争によって独裁政権の鉄拳統治が緩和されるやいなや労使葛藤が爆発した「7・8月労働大闘争」の場合もまた同様だ。
しかしこのように、1987年以後、特に2000年以後になって表出した数々の内部葛藤が解決されるだとか、生産的に進化されないまま持続したケースが多くなることで、韓国社会は消耗的論争と対決があふれる危機を経験している。これを87年6月抗争とその直接的後続事態の所産である「87年体制」が限界に達した現象として診断することもあるが たとえば『創作と批評』2005年冬号、特集「87年体制の克服のために」を参照。 、別のことばで表現すれば「87年体制」から一歩進む契機に該当する「2000年体制」 ないし「6・15時代」が今なお十分な力を発揮できていないと診断することも可能だ。
その点は、去る10月9日、北が核実験を強行したことで南側の内部葛藤が以前になくひどくなったところにも確認される。私自身は10月末に六者会談再開合意の知らせが伝わる前にも6・15時代と韓半島式統一が今なお進行中であることをあちこちで公言してきたが、南南葛藤の一方の当事者として南北の和解と協力を擁護した人士さえ、ひととき6・15時代の存続を疑ったほど、共通の認識が不足しているのが実情である。そのような中でも、今回の――もちろん今なお未解決である――韓半島の核危機が分断の現実およびその一部として北の存在を排除したまま南側社会の多くの問題と葛藤の根本的解決を論ずるのは空虚であることを悟らせてくれた点は、不幸中の幸いに違いない。 私の創批週刊論評「北の核実験で暇になった?」(2006年10月24日)。 (参照:weekly.changbi.com)。
とにかく、機械的な中間地帯探しではない真の中道は、当然、時代の現実に対する正確な認識に根拠せねばならないはずであり、そのような中道だけが不必要な葛藤を解消し適切な社会統合に寄与しうるだろう。
2.「大韓民国のアイデンティティ」に関する中道的視角
「保守」と「進歩」が白黒論理を掲げ消耗的論争を育てているしるしの一つが「大韓民国のアイデンティティ」をめぐる論難だ。もちろん、これが空虚な論争だというだけではなく、現実的利害関係がからみ合う争いでもあるが、どうせなら、もう少し次元の高い論争を通じて争うべきことを争うのが、先進社会へと向かう道であるはずだ。
国家アイデンティティを好んで曲げようとする勢力の中には、1987年以前の強圧体制とそれを基点とする既得権にしがみつく人が少なくない。これらの現実的威勢は決して無視することができないが、言説次元では「保守」と区別される「守旧」に回しても構わないだろう。それに比べて1987年の意義を認め、6月抗争以来の民主化過程が国家アイデンティティの重要な一部をなすと認識する新たな保守論客たちは、大韓民国のアイデンティティを全面的に否認する極端論に比べてかなりの説得力をもつのが事実だ。
問題は、これらも自ら設定した「大韓民国のアイデンティティ」に同調しない人々を、「反大韓民国勢力」と銘打ち公認された言説の世界から排除するのが常だという点である。次のような発言を最近の一例としてあげることができるだろう。
私は韓国社会の勢力を大きく三つに分けます。反大韓民国勢力と進歩、保守です。反大韓民国勢力は、大韓民国の歴史的正統性自体を否定します。これらはよく左派的歴史観あるいは修正主義歴史観をもっています。基本的に、歴史を民衆と外勢の対立に、持てる者と持たざる者の葛藤として把握します。(…) これらの人々を除いた残りの勢力において、進歩・保守を論じなければなりません。 「京郷との出会い――朴世逸「先進化国民会議」共同常任委員長」、『京郷新聞』、2006年9月19日、29頁。
本人が直接書いた寄稿文ではなく対談記事であるだけに厳密な分析の対象にする性質のものではないが、こういった三分法が守旧勢力の二分法とよく似た結果になるだろうということは簡単に想像できる 当日の討論で羅城麟教授は、朴教授が名指す「反大韓民国勢力」は大韓民国を全面的に否定する極少数に限定されるほかないと解明した。ところが韓国社会の3大勢力の一つとして名指された点や、「左派的歴史観または修正主義歴史観」といった包括的な表現を見る時、朴教授が果たしてどれだけ「極少数」だと言っているのかも不明だが、仮に大韓民国のアイデンティティを否定する人士であっても彼らが(行動を通じて国家転覆をはかるのではなくて)言説の場で活躍する限り、対話し疏通するのが自由民主主義の基本原理であるだろう。後者に関する議論としては『韓半島式統一、現在進行形』、62‐3頁参照。 。包容と統合および民主的疎通の論理というより、排除と葛藤を助長する論理として作用するものと決まっているのだ。
もちろん、このような白黒論理は保守陣営にだけあるのではない。朴世逸教授が批判するように、大韓民国の奇形的出発を問題視し、今日までもその国家的存在を認めないという態度が、いわゆる進歩陣営の一角に垣間見えるのは事実である。さらに進歩言説の別の一角では、むしろ朴世逸教授と同じように――しかしもちろん朴教授のようなかたちで「排除」を主張したりはしないが――「分断時代的視角」対「大韓民国認定」という二分法を駆使してもいる。 後者に関する議論としては『韓半島式統一、現在進行形』、62‐3頁参照。
このように、一見多様に分けることができるいくつかの立場が、結果的に互いを強固にし、育てて合う状態になるところに、国家のアイデンティティ(正体性)というものをあまりに単純に理解する思考方式が作用している。一国家のアイデンティティは「歴史的正統性」と「現在的正当性」を含む複合的な内容をもち、複數の物差しで評価した結果をも戸籍に嫡子として載せてしまうような、白黒で分けられるものではない。歴史の進行によって相対的比重が変わる事案だということだ。大韓民国の場合、日帝植民地支配から脱しつつ、国が他律的に分断された状態で親日勢力が社会的優位を占めた国家として出発したことは厳然たる事実であり、引き続いての暴圧と戦争および分断固着の状況において、このような国家の正統性と正当性を疑うあれやこれやの抵抗論理には、それぞれそれなりの合理的根拠があったと考えねばならない。
もちろん、今日の韓国の状況は大きく異なる。多くの国民の血と汗を流した努力を通じて韓国社会は民主化と経済ではっきりと成果をおさめ、2000年6月を期して政府が韓半島の平和と民族統合に主導的な役割を自ら担って先頭に立つまでになったのだ。実際にこの過程で直接争って犠牲になった抵抗勢力こそ、大韓民国のこのような成就に対して自負心をもって当然であり 私はこのような自負心を幾度も個人的発言を通じてだけではなく、6・15共同宣言実践南側委員会常任代表としても、今年の8・15記念挨拶で次のように表現した。「1945年8月以後の61年間こそ苦難と通恨の入り混じった歴史だったが、私たちは1948年に建立された奇形の分断国家をこれほどまでに民主化し経済的自活力をもった国家へとつくりあげてきました」(http://i615.org/zboard/zboard.php?id=report&no=30)。 、むしろ私学法(私立学校法)が若干改定されたりアメリカさえもが合意する戦時作戦統制権の還収が論議されたりしたことのみをみても、「国基」が揺れると絶叫する人士こそ、大韓民国のアイデンティティに対する信頼があまりに弱いのではないかという疑問が生じる。 これに対して羅城麟教授は「右派の憂慮をあまりに軽く見る視角」だと批判した。私は、私学法や作統権問題に関する右派一角の真摯な憂慮を捐下するつもりはない。ただ、政策レベルでの問題提起にとどまらず、「国基」を揺り動かす相当数の人士の行動が、大韓民国に対する信頼不足をあらわしていることを指摘しようとしたのだ。
同時に、非常に驚くべき、かつ誇らしい成就にもかかわらず、大韓民国が今なお分断国家であり、一種の欠損国家であることもまた厳然たる事実だ。これは「自主性」や「民衆性」といった曖昧な物差しをあてて理念的に裁断するものではなく、たとえば「領土」という国家構成の基本要因についてさえ国内外を問わず合意できないでいるという初歩的な事実を指している。
韓国の憲法第3条は、この国の領土が韓半島とそれに付随する島々からなると規定しているが、大韓民国は休戦ライン以北を実効的に支配する朝鮮民主主義人民共和国とともに主権国家として国際連合に加入した状態である。それでも二つの間の軍事境界線が国際的に公認された国境線であるというわけではない。両当局も自らこれが国境線であることを否定しており、大韓民国の国務総理が署名して盧泰愚大統領が裁決した南北基本合意書は、南北関係を「国と国との関係ではなく統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」と規定することで、「大韓民国のアイデンティティ」に対する短答式判定を要求する人にはまさに何が何だか分からない混乱を生んでいる。もちろん、法理上のこういった混乱は安保国家の存在を含む分断体制のあらゆる欠陷を端的に表象したところにすぎない。
基本合意書のこういった曖昧な現実認識を追認しつつ「連合制」と「低段階での連邦制」が相通じうるある地点でこの混乱から脱する道を示したのが、まさに6・15共同宣言だ。私自身、両者の接点は、いったん国家連合の中でもかなり緩やかな連合制だということに見出すほかないことが時の過ぎるほど明らかになると信じるが 連邦には英連邦(The British Commonwealth)もあり、このように緩やかな連合を「低い段階での連邦制」の一類型と呼べないこともないだろう。実際に「連邦共和国」に対する北側の公式翻訳では、Federalの代わりにConfederalという表現が用いられていることをかんがみるとき、呼称問題は決定的ではない。このように、政治学教科書にしたがうのなら到底統一として認められえない緩やかな国家連合が、韓半島の現実という脈絡においては「一段階統一」と見なされうる理由については拙稿「韓半島の統一時代と韓日関係」『韓半島式統一、現在進行形』、35‐7頁を参照。 、要は6・15共同宣言自体も大韓民国のアイデンティティが弛みなく向上する過程を代表する事件だという「親大韓民国的」認識が必要だということだ。
6・15共同宣言の大韓民国史的意義は、1997年の経済危機、いわゆる IMF事態との関係を考察することを通じて確認してみることもできる。IMF事態は87年体制の限界に対する何らの反省もなしに、むやみに先進化を追求した国家経営の破綻にあたるが、社会の両極化の深化など、そのあと腐れは長らく私たちを悩ませている。しかし、韓国社会の底力によって、それも比較的短期間に救済金融事態は収まり、2000年には「6・15時代」ともいえる新しい転機を用意するのに成功した。これこそ例の「底力」を端的に見せてくれた一幕であり、経済危機が、独裁体制への回帰や新自由主義に対する完全投降ではなく、危機を契機に南北対決状態からの独自的先進化とドイツ式統一という虚しい夢を清算し、南北の和解・協力および漸進的統合過程における先進社会に向けた新たな突破口を見出したのである。 孫浩哲教授は学術会議当日に配布された別紙の論評で、「実際、白教授が新自由主義に対して批判的見解を提示しているが[資料集 54頁]、基本的に新自由主義に対する問題意識が不足しているという感じを消すことはできない。上で批判した6・15宣言と新自由主義に対する関係分析もそうだが、より根本的には、もはや大部分解体された87年体制(そして6・15時代の2000年体制)を語りながら、1997年体制に対してはまったく言及しないことがその証拠である」(7頁)と批判した。もちろん私は、孫教授の名付けたとおりの「1997年体制」には言及しなかったし、87年体制がたとえ限界に至っても「今や大部分解体」されたというところには同意しないし、「2000年体制」に孫教授よりも積極的な意味を付与していることは事実だ。しかし、6・15が開いてくれた可能性を十分認識し活用しないままに「1997年体制」を乗り越えることは不可能であり、韓半島次元の変革に対する視角を欠いたまま新自由主義の拒否を南側でのみ言い立てることが、必ずしも新自由主義に対してより忠実な問題意識を表現したことにはならないという考えである。 もちろん6・15共同宣言の順調な実践を阻む国内外の障害物が依然として列をなして立ちはだかり、宣言に対する両政府の解釈にもかなりの距離がある 6・15南側委員会内部でも見解の違いがひどく、連合制と低い段階での連邦制の間の接点に対する私の言及があくまで個人の意見であることは言うまでもない。 。しかし、大韓民国の歴史からみるなら、6・15共同宣言の発表は朝鮮戦争の惨禍が断じて繰り返されてはならないという国民的共感と、4・19をはじめとした長きにわたる民主化闘争、1960年代以来本格的になった産業化の成果、1987年6月抗争の成就、そしてIMF事態の試練と教訓の延長線上において、平和志向と民族統合を国家アイデンティティの重要な指標として設定するに至ったという、もうひとつの画期的進展である。このように、先進社会建設の基盤がいっそう丈夫になった契機がまさに6・15共同宣言である認識こそ、「大韓民国のアイデンティティ」をもっとも正確かつ積極的に認める姿勢だろう。
3.南北関係と「北韓問題」
南北首脳会談と共同宣言のこのような「大韓民国史的」位相に対して、「大韓民国のアイデンティティ」をとりわけ強調する保守論客らがあまり認めていないのは事実である。特にその点では斬新な右翼を自認するいわゆるニューライト(New Right)人士が、87年以前の勢力よりもさらに否定的であり、南北交流そのものに反対する主張さえ出ている。おそらくここには政権交替以前の時期に国政の主役として分断の現実を管理し、時に北側と裏取引をしてもみた経験者たちと、自由主義を掲げ北韓人権問題などを中心に理念的接近をする論客たちの間との差異も作用したであろう。
とにかく、「北韓問題」をめぐる立場の違いは、南南葛藤を激化させるもうひとつの主要争点だ。そして、これももう少し精巧な論理と精密な現実認識を通じて最大限の接点を見出してみたい部分である。
「北韓問題」に対する保守陣営の問題提起は、進歩陣営の一部人士が未だに2000年以前、いや、1987年以前の「北韓を正しく知る運動」レベルにとどまっていることに対する批判としては有効な面がある。それにしても、南北の交流と協力自体に反対する立場が、国家安保と経済成長という保守陣営固有の課題をどれだけ上手く処理することができるのかということをまず問うてみる必要がある。
たとえば「現在、韓国現代史の基本課題として認識されている先進化と統一のうち、先進化のほうが排他的国政課題であることを正しく認識し、6・15南北共同宣言を廃棄しなければならない」 安秉直「韓国の政治経済動向―先進化モデルの定立のために」『時代精神』2006年秋号、69頁。 という断固たる主張が出たことがあるが、共同宣言の発表とこれに対する国際社会の全幅的な支持がなかったなら、韓半島の戦争脅威が高まり北の冒険主義的行動が強化され、西海交戦といった衝突事態が繰り広げられるだけでも、株式市場が暴落して外国資本が撤収する「第2のIMF事態」をもたらすことになっていたのではなかっただろうか。緊張が緊張を呼ぶ悪循環の中で、「テーハンミングッ」〔日韓ワールドカップの時、ある特定な拍子に合わせた「大韓民国」という韓国語の叫び声〕を誇らしく叫びたてた2002年ワールドカップさえ危うかったのではなかっただろうか。歴史のなかで実際に起こらなかったことを仮定することは論証の効力をもちえないが、韓半島の緊張が再び高まった現時点においても南と北、アメリカなどの主要当事者がすべて6・15共同宣言と9・19共同声明の有効性を認めているからこそ、大韓民国の国際信頼度がそれだけ維持されているのであり、韓国経済が持続的に成長できているということは常識だとみるべきである。 安教授は前掲論文の結語において「先進化は国際協助路線をもってのみしても遂行されうるし、統一は金正日体制を前提にする限り、自主路線としてしか追求されえないがゆえに、この二つの課題は互いに排他的だ。そして統一は、金正日体制が崩壊するとしても南北間に異質化が非常にひどいかたちで進行したがゆえに、今すぐ遂行できる課題ではない。このため、先進化こそ韓国が今すぐ追求できる唯一の国政課題なのである」(88頁)と重ねて強調する。私は安教授をはじめとした多くの極端な北韓批判者が6・15共同宣言の解釈や「〈民族自主〉対〈国際協助〉」といった排他的設定など、多くの問題で北側と立場をともにする点を見るたびに、まことに生憎だという気がしもするが、とにかく、統一(すなわち単一国民国家への統一)が「今すぐ遂行できる課題ではない」というもっともな命題から出発して「このため、先進化こそ韓国が今すぐ追求できる唯一の国政課題なのである」へと移行する論理の飛躍と、「先進化」に対する非現実的断定を指摘しなければならない。「このために先進化という国政課題を韓国が追求するためには、6・15共同宣言が提示した漸進的・段階的統一を遂行する方案を模索せねばならない」というほうが(当初の両極端的設定を修正せねばならないという負担はあるが)いっそう円満ではなかったのか。
6・15時代のこのような底力は、北の核実験という非常事態を迎え、さらにはっきりと立証された。にもかかわらず包容政策を廃棄して米・日の対北制裁に積極参加しろという要求で騒がしくなっているのをみるとき、私たちの社会のいわゆる保守陣営に例の「国家安保と経済成長という保守陣営固有の課題」を処理しうる能力が果たしてあるのかどうかが、今更ながら疑わしくなる。もちろん、この間の韓国政府の対北和解協力政策に対してはその一貫性の不足や安易な情勢判断など多くの批判が可能であり、同時に核問題は――6・15共同宣言のなかに平和体制に対する言及がないところに端的に現われているように――本質的には南北関係よりも朝米関係の磁場に属しているという根本的な限界も指摘せねばならない。さらに、軍事的対応を優先視する北側体制の作動原理が厳然たる現実としてあるが、この論理とアメリカの対北圧迫路線が相乗作用を起こすなかで、それだけに韓国経済の安定を守ってきた和解協力政策を今後改善し補うことはあっても、今になって放棄する理由はない。
6・15時代が韓国経済に対してもつ意味をこのような消極的な次元でのみ見ることもないだろう。多くの人が指摘するように、開発独裁時代に驚異的な成長をなした韓国経済は、世界的には脱冷戦と新自由主義、東アジア地域では中国経済の急成長などに特徴づけられる新たな局面を迎え、さまざまな構造的限界をあらわにしている。いまや世界的な趨勢と地域情勢を勘案した新しい発展パラダイムが要求されており、ここには6・15共同宣言第4項で言及された「民族経済の均衡的な発展」という韓半島経済圏に対する戦略が必須である。もちろん、6・15宣言が段階的統一を明示したように、経済も一挙に南北を合わせた単一国民経済を形成しようという話ではない 当日の討論で「南韓だけでも先進化が難しいのに、北韓まで一緒に先進化することがいかに可能だというのか?」という問題提起(羅城麟)が出たが、こういった問いは、第一に北と共に歩む先進化を南北の単一国民経済建設だと誤解しており、第二に先進化を、たとえば1人当りのGDPの増加といった物量的成長を基準とする古いパラダイムから脱せずにいるという感じが色濃い。(計数に重点をおいて考えるのなら、南北の経済を合算した瞬間、1人当りのGDPは急落することが明らかだ。かわりに、円満な南北協力が進められる場合、年間GDP 成長率ははるかに高まるだろうが、焦点はそういった計量的な問題ではないのだ。) 。南北が「民族経済の均衡的な発展」を長期的な目標として共有しながら交流し協動するだけでも、南韓の先進化や東アジア地域協力体制の構築作業における決定的な障害物の一つが除去されるのだ。ただ、政治共同体としての南北連合構成を韓半島の実情に合わせて賢明に推進せねばならないように、韓半島経済圏の漸次的実現もまた南北経済にもっとも有利になる同伴成長という観点から、周密な計画をもって進めることが重要だ。そうする時、北側は単純な支援や包容の対象ではなく韓国経済のための共生の新天地になりうるのである。
さらに、先進化は単純に経済成長や国民所得の平均値の増大を意味しない。他より先に進む立派な社会に進化するのが真の先進化であるだろうが、実際、私は大韓民国の先進化が踏みとどまっていることに対して朴世逸教授が感じているもどかしさに共感するところが少なくない。
あんなに誇らしかった大韓民国が、21世紀に入った今、先進国の入り口に立って踏みとどまっている。一体なぜ踏みとどまっているのか? 5千年の苦難の歴史を経て、いまや世界に堂々たる先進国になりえる栄え栄えしい機会がすぐ目の前に迫ってきたのに、一体なぜ私たちは躊躇しているのか? なぜここまできて、ひどく揺れているのか? 私は大変もどかしく、息苦しかった。何が私たちを揺り動かし、国家が解きほぐさねばならない当面の課題は何で、どうすれば先進国になることができるのだろうか? 朴世逸『大韓民国先進化戦略』(21世紀ブックス、2006年)、「はじめに」6頁。
もちろん私は大韓民国の歴史が誇らしいだけではなく、誇らしい成就に対する正当な誇りと私たちがおかした不義に対する適切な反省を並行する必要があり、そうする時に、また別の誇るべきものが生ずると信じる側だ。しかし、より重要なのは、大韓民国が先進国の入り口で立ち止まっている原因が、未だ分断の荷を背負い分断体制からの脱出戦略に合意できていないということではないのか。南韓だけの先進化はいくらでも可能だが、一部「反大韓民国勢力」のせいでダメになっているという発想こそ、私たち知性界の後進性を語ってくれる兆票のひとつだろう。
したがって、北の現実や政策が不適切だからといって私たちが南北対決構図へと復帰するのなら、これが大韓民国の先進化計画における決定的な敗着になることは言わずと知れている。経済発展を離れても、たとえば韓国社会における女性や移住労働者、障碍者、同性愛者、良心的兵役拒否者、韓国国籍をもっていないとか韓国語を母国語として使わない海外同胞たちに対する関心は、国家の経済発展水準や国民の教育水準に比べて世界的に遅れているのが実情なのに、これらの権利を獲得しようとする運動が(女性運動の場合は始まってから相当長いが)、ここ何年かのうちに非常に活発になったことは決して偶然ではなかった。分断体制が崩れ始めたことで韓国社会の後進的画一性にも、その分これほどの変化が到来したのであり、6・15共同宣言が廃棄されるかその実践に深刻な後退が起きる場合、家父長主義と軍事文化、成長至上主義といったあらゆる弊害は、より強化されるほかない。 この一節に関して孫浩哲教授が「分断還元論」というおなじみの批判をもってきたことには失望した。「たとえば、家父長主義の原因を分断体制と反共主義に見出す分断還元論的主張に女性活動家たちが同意するか疑問だ」(別紙資料、6頁)と述べていたが、家父長主義が分断以前にもあり今日の分断されていない社会にも存在することはあまりにも初歩的な常識であり、分断体制が自己完結的な体制ではなく近代世界システムの諸矛盾が韓半島を中心に具現されている一つの様態であることは、これまでに幾度も説明してきた。実際、家父長主義の諸問題が分断体制によって加重されているという主張は、李効再先生をはじめとした数多くの女性活動家が提起しており、責任ある社会科学者なら「女性活動家たちが同意するか」を待つまでもなく、自ら分析と点検を試みるべきことである。
上に列挙したさまざまな集団の権利を語る時、当然ついてくるのが北側住民たちの人権問題だ。知られているように、いわゆる「北韓人権問題」はニューライトを含めた保守論客たちが特別に強調する懸案であるが、南側で民主化のために闘ってきたいわゆる進歩陣営がとりわけ北側住民や北韓脱出同胞たちの人権に対して無関心であるならば、これは当然に批判されて正しい。実際、私はそのような「二重基準」と「偽善」に対する批判の的中する事例が少なくないと考えている。ところが「二重基準」「偽善」などは、言葉では普遍的な人権を語りながらも特に北韓の人権問題にだけ熱をあげる国内外の相当数にのぼる人士にもそのまま適用される諸刃の剣という点をさておいても、「北韓人権問題」への関心が完全に真の関心であるなら、その表現方式に対する悩みも真剣かつ深刻でなければならない。銃口を定めて相手の生計手段を封鎖しておいた状態で道徳的非難を浴びせる事が応分の効果を出すかも疑問だが、なによりも人権の中身とその実現方法に対する人々の真摯な悩みを取り入れ、各自が置かれた境遇によってその時その時の最善の解答を見出すことを要求してこそ正しい。
さらに、「北韓問題」にいかなる視角からアプローチするのかを根本から考えなおしてみる必要がある。南北を合わせたひとつの「分断体制」が韓半島に作動しているという観点は 「分断体制」という用語は、近年かなりよく使われるようになったが、私自身の概念規定の試みが広く受け入れられたとは考えにくい。ここで長々と説明することではなく(拙著『韓半島式統一、現在進行形』、他に『揺れる分断体制』創作と批評社、1998年を参照のこと)、先に明らかにしたように、「分断体制」あるいは「分断時代」と述べたことが、「大韓民国のアイデンティティ」そのものを否認する論理ではないことを想起されたい。 、南韓社会の問題であれ北韓の社会の問題であれ、分断体制を離れてはきちんと糾明できないという立場でもある(重ねて言うがこれは南北の社会が必ずや対称的だとか、あらゆるものが分断のせいだという単純論理とは無関係だ)。したがって「北韓問題」の場合もその具体的内容が何であれ、分断体制全体に帰属する側面とこの体制の作動に加担する多様な行為者それぞれの責任に該当する面を同時に考慮し識別してこそ正しい。もちろん、休戦ライン以北については北側政権とそこの住民が一次的行為者である。しかし、たとえばアメリカのように、国家単位で見る時には外部として分類される主体も北側住民の生存権や福祉を左右するのに強大な影響力をもつ「分断体制の行為者」であり、実際に先制攻撃の脅威と各種の封鎖措置を通じて北韓の人権状況を大きく悪化させている責任は免れえない。
南韓の政府と住民もまた、当然、重要な行為者だ。ところが分断体制論の視角に関連して特に強調したい点は、北側が単純な接境地帯であるとか「敵性国家」だという理由、またはそこの住民が「同胞」だという理由とはまったく異なる次元で、北韓の問題が南側に暮らす私たちの問題になるということだ。南韓社会で繰り広げられるあらゆる問題が、自分の直接・間接的な責任事項になるというには程度が劣るが、同じ分断体制に連累し暮らす主体的人間として、「北韓問題」もまた原則的には自分の問題である。したがって、問題の解決もそのような自分自身に対する省察と自らの責任に対する反省から始めねばならず、分断体制の各行為者の責任を計算するという行動も、この脈絡で遂行されねばならない。
ところが現実には「北韓問題」がかえって個人や集団の政治的・道徳的自己省察を阻む盾の役割をするのが普通である。大韓民国の歴史や南側の既得権勢力に対するいかなる批判も、「北はもっとできないじゃないか」「北に行って暮らしたいのか」という応酬になったりするのだ。もちろん、こういった抑圧的言説行動が保守陣営の議題に限られたものではなく、ともすると相手を「反統一勢力」として押しつぶす習性も同様である。そして、特にこのように露骨的ではないとしても、似たかたちの抑圧と自己抑圧が分断体制の中に暮らしてきた私たち誰もの腹中にとぐろを巻いていることを、謙虚に認める必要があるだろう。このような省察から「北韓問題」に対する知恵深い対応が出ることを願い、同時に「北韓問題」の提起がそういった心の勉強の契機になることを期待する。
4.なぜ「変革」なのか
かつて私たちの社会で「変革」は、「革命」の同義語ないし偽装表現として使われた。しかし、社会構造の急激で暴力的な変化という意味での革命が――それが1980年代の二大急進勢力が叫んだ「民族解放」と「南韓民衆革命」のうちのいずれにせよ――、今日の韓国で可能だとか望ましい懸案であると信じる人は、今や極少数になった。地球上のあらゆる所で革命が過去の事になったとまでいうのならそれは過言であろうし、いつか世界レベルでもうひとつの革命が懸案として登場しないと速断する必要もないが、とにかく、殺伐と武装した諸勢力が一触即発の危機状況を管理している韓半島では、南北どちらも暴力で相手を併合することはできず、韓半島と東北アジア全域を危険に陥れることなく内部の暴力革命を成功させる方途もないと考えねばならない。
そう考えると、今のように分かれて暮らすことで、南韓はアメリカに依存したまま少しずつ「先進化」し、北は「北韓問題」として残り、国際社会の頭を悩ませながらも南韓がどれだけよりよくやっているのかを絶えず喚起させてくれるありがたい悪役を引き受けるというシナリオが、甘ったるくも考えられうる。しかしこれは、北の失敗が、分断体制にともに絡まりあっている南側社会の先進化にとって致命的な障害となる上に、ややもすると分断体制の破局的崩壊に帰結しうるということを看過したロマンチックな幻想だ。さらに新自由主義という地球レベルの常数に対しても、極度に安易な計算をしているものである。
南韓単独の先進化を主張する人々が公然と新自由主義者を自認するのは珍しいケースだ。大概は、「自由民主主義と市場経済」の絶対的重要性を強調するとか、「自由主義」「共同体自由主義」「共和主義」などを標榜しつつ、グローバル化の不可避性を力説するかたちになっている 李仁浩教授のような人物は、「市場経済」に対してもこれを「資本主義」と同一視する態度を警戒し、「社会主義」を無条件に否定するわけでもない。「我が国ではよく市場経済と資本主義を同義語として使いますが、それは分けるべきだと思います。実際、資本主義は誤った体制だと宣告されて久しいです。資本主義の問題点はマルクス以前からすでに指摘されているし、特に20世紀に入ってからは非マルクス主義の系列からも非常に多くの批判が出ました。/いい意味で、社会主義が成功して共同体全体によい効果を発揮しようとするなら、今、北欧や英国といった国で見られるように、健全な意味での個人主義が発達した上で社会主義が発達せねばならず、個人主義の伝統がまったくない中では、真の社会主義が花咲くことができるとは思いません。(「李仁浩――保守的ロシア学の開拓者」、対談・韓貞淑、『歴史批評』2002年秋号、224頁) これに関しては拙稿「再び知恵の時代のために」『韓半島式統一、現在進行形』、104‐5頁を参照。 。問題は、これらすべてが資本主義の発展過程で新自由主義が台頭した必然性とそれによる威力を看過するか過小評価していることである。これに関して私は深く研究をしたわけではないが、近代初期の自由主義が絶え間ない進化を経て民主主義と結合することで自由民主主義あるいは社会民主主義へと発展し、このような共同体主義的性格が加味された自由主義としては、資本蓄積が困難になった危機状況に至ると、そもそもの(すなわち民主主義以前の)自由主義理念へと帰っていったのが新自由主義といえるだろう。言い換えれば、そもそも自由主義がそれ自体としてもっていた歴史的進歩性さえ欠けた反民主的・反共同体的理念だということであり、自由主義が強調してきた「個人」の権利を、ある程度の国家より巨大な実体である多国籍企業法人に保障してやることに力を注ぐという点で、健康な個人主義とも距離がある。
それでも新自由主義を声高に糾弾し、一つ一つに反対してばかりいるのは、むしろ新自由主義的変革への究極的投降を急き立てる守旧的姿勢であるといえる。いや、韓半島の統一が達成されても、それがすなわち世界市場からの離脱や世界体制の変革を意味しないだろうというのが私の持論であるが、言い換えれば韓半島の漸進的統合が円満に進行するためにも、新自由主義が支配する世界市場に能動的に参加する必要があるということだ。ただそれが一方的投降ではなく、真に能動的な参加をはかろうとするなら、新自由主義を牽制して独自の活動空間を用意する汎韓半島的プロジェクトが必須なのだ。言い換えれば、分断体制がもう少しよい体制に変わる「変革」の過程でのみ、自由民主主義、社会民主主義、共同体自由主義、「真の社会主義」などの美徳を含んだ代案的価値を実現する隙間が確保され、そのための大衆の積極的参与が可能になる。
この過程での市民参加こそ、韓半島の統合と先進社会建設が真に「変革」の水準に至るか否かを見定める核心事項である。漸進的・段階的に進められる韓半島式統一に対する既得権層の不信と抵抗も、まさにこのような市民参加が切り開いていく前人未踏の境地に対する無理解と恐れに起因するところが大きいと思われる。ひとつひとつを権力者とエリート層が決めることを前提する時、漸進的な統一が、結局、一方では機能主義的接近を通じてなしくずしに吸収する過程と映り、他方では――はるかに非現実的な展望だが――赤化統一に帰結される水準とみられる 実際に私と一緒に基調発題をした李仁浩教授がこのような疑問を表明した。「白樂晴教授は合意しにくい問題をあれこれはじめから計算するのではなく『四角とも三角ともとれる表現で絶妙に』折衷された6・15共同宣言第2項の公式にしたがって統一のための交流を 『もたもた』と進めているかと思えば、『ある日ふと、「あ、かなり統一されたな、これから会って統一されたって宣布しちゃえ」と言ったら、それが私たち式の統一になった』のだと語る。しかし不幸にも、いわゆる保守‐右派勢力が一番心配しているのが、白教授がもっとも望ましいと考えている、まさにそうした状況が来ることだ。閉鎖的世襲独裁体制と開放的民主主義体制が、表面的な交流はたくさんなされているとはいえ、突然ひとつの「連邦」に統合されたら、そうやって統合された体制は、結局、北韓式独裁になりはしても民主主義体制にはなりえないからである。」(資料集、63頁) 李教授のこうした疑問は、私のいう「一段階統一」が連邦制にも達しない緩やかな連合体制として、北韓式であれ南韓式であれ、ひとつの主権国家を形成するものではないという解明を通じて、かなりの部分が解消されたと理解している。ところが、万一、より高い水準の統合といっても、それが「北韓体制に吸収されてしまっての統一になること」(同頁)と予断するのは、前述した「大韓民国に対する信頼不足」を再びあらわにしているのではないかと思われる。一つ付け加えるなら、終着点を決めずにもたもたと進む統一過程を私が肯定するのは、あくまでも市民参加型統一を前提しているからである。統一を執権者のみが左右する時、いかなる統一をするのかもわからないのに進めるのは無責任なことであり、内心知りながらも国民に隠してぬらりくらりとしていけば、国民を欺くことになる。しかし、統一の中身が市民参加・民衆主導で決められるように任せるから、当局はあらかじめ結論を出す必要がないというのなら、これこそ民主主義の原理に忠実な姿勢であり、市民の責任はそれだけ重くならざるをえない。 。もっとも、市民参加の拡大によって少数の富裕層のみがますますよりよく暮らすようになる新自由主義の世界に歯止めがかかること自体を「赤化」現象とみなすのなら、これ以上言うべきことはない。しかし、分断体制に対する省察と中道主義的対応を通じて大衆自らが責任ある市民として成長する過程を伴った統一事業ならば、その結果は民主の原理に充実ながらも既存のいかなる類型の民主主義にも限られない新たな創案になるだろう。
その時、韓半島に実現する社会があらゆる面で他より優越するだろうということではない。ただ、新自由主義という資本主義の殺気だった新しい局面において、分断体制の桎梏とあらゆる後進性をふるいにかけて成就した新しさという点で、真の先進社会の名に値するであろうし、韓半島は人類文明の一大転換を駆動する一つの拠点として位置づけられるだろう。これは、「先先進化、後統一」でもなければ「先統一、後先進化」でもなく、私たちに与えられた唯一の活路であり真の中道である「先進化と統一の併行」だ。より具体的には、6・15共同宣言の和解・協力および漸進的・段階的統一路線に根拠した先進化戦略なのである。
* 本稿は「韓半島葛藤、いかに解くべきか」というテーマで開かれた「2006韓半島の平和と共存のための学術会議」(民族和解協力汎国民協議会とハンギョレ統一文化財団共同主催、2006年9月29日、ソウル汝矣島63ビルコスモスホール)の第2部「南南葛藤解決の道――相互理解と協力、そして社会統合」で発表した内容を修正し補完したものである。当日、口頭発表が時間に追われて不本意に終わったうえに資料集の私の発表文の脚注がすべて抜け落ちるという事故まで重なり、このように補完する機会ができて幸いだ。会議中の討論と以後の事態の進展を勘案して追加した内容を、本文と脚注の双方に若干盛り込んだ。論評してくださったすべての方々に感謝する。
訳‧金友子
季刊 創作と批評 2006年 冬号(通卷134号)
2006年12月1日 発行
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