창작과 비평

[卷頭言] 危機と希望 (2006 冬)

李日榮

 

 

 

 

朝鮮(韓)半島の運命に嵐が迫ってくる。北朝鮮はさる7月にミサイルの発射実験に続き、10月9日には地下核実験に成功したと発表した。これよりは劇的ではないが、10月27日には韓米FTAの4回目の協商が終わった。これらの状況展開を見ながら、最近見た映画に出る詩を思い出した。「雨が風に聞いた/君は押し付けろ。僕は降り注ぐから…」

朝鮮半島には二つの体制が存在している。一つは生存を最優先の目的とする「失敗した体制」であり、もう一つは新たな発展のきっかけが見つけられていない「膠着の体制」である。不完全な国家、不安定な体制から変化と履行はやむ得ない。古いものから新しいものに履行する過程は、一種の過渡期であるからそれには、当然、ある程度の混乱が生じがねないない。問題はこのような混乱がその社会が耐えられる臨界水準を越えるかどうかである。それで混乱が耐えられる時間と能力、混乱などが管理できる安全装置を備えることが大事である。

北朝鮮の核問題をめぐる国際的葛藤は、朝鮮半島に国家連合という安全装置ができる前には「急進的履行」が起きる可能性をなお高くなっている。中間選挙の敗北にもかかわらず、ブッシュ政権が北朝鮮を「不良国家」としている基調は引き続き維持されるだろう。中国も北朝鮮の崩壊を望んでいないが、核実験に対しては強い懸念を抱いている。北朝鮮の指導部が生存を確保するための手段として選択した核武器が国際的な孤立を深め、内波の可能性を高めている。北朝鮮の住民は、この冬、例のない寒さに追い出されるだろう。
 

望んでいなくても、戦争と崩壊が「急進的」に行われる可能性があるが、再建や体制形成、そしてそれに従う費用と苦痛はやむ得なず「漸進的」である。体制履行は無数に相互関係でつながっている複合的なシステムの変換過程であるため、長期間の複雑な理解調整を必要とする。順調に履行するためには精巧な理解調整の装置が求められる。朝鮮半島で無秩序状態が爆発する前に、国家連合のような調整装置が切実であるが、現実が望んでいる通りになされていない場合に対しても具体的であり率直な議論が続くべきである。

 

北朝鮮のように市場化の水準が低い場合には、市場を形成するにおいて莫大な費用と時間が必要となる。大国であれば、多い人口を基により簡単に競争力を確保できるだろうが、相対的に小国である北朝鮮としてはそれも如意ではない。さらに、海外市場と接することによって市場化に対する理解と認識を持つ機会も極めて制限されている条件から、市場体制が正常に働くまでには相当の長い時間と苦痛を耐えるべきである。

 

韓米FTAを心配するのも急進的な変化の危機性のためである。韓国の開放能力が手強く、何を得て何を失うかが確定されていない状態であるから、結果をなまじっかに断言できない。しかし、確かなことは急に高い水準の市場統合を断行することに、資源配分・再配分の速度が合わせてくれないなら、巨大な社会的費用が発生するということである。

 

今回、アメリカの中間選挙で民主党が勝利して議会の保護主義が強化されることにしたがって、韓米FTAの協商で彼らの要求はなお強化されると思う。韓国でもバラバラである集権勢力と派党的な反対勢力がFTAでは野合しあい、アメリカ側の要求をそのまま全部受け入れる場合、幅広い社会的な抵抗が起こるだろう。混乱と衝撃が続いて、政府が管理能力を失った場合、まるで1997年のような経済危機が爆発するかもしれない。

 

しかし、すべてが悪くて悲観的なことばかりではない。嵐の中でも希望の芽はあり、それが育ちながら歴史は漸進する。

 

北朝鮮の核実験をきっかけに怪物のように再び姿を現した分断体制は、我々の日常に垂れた桎梏をより明らかに認識できるようにしてくれた。葛藤と対立こそ、韓国と北朝鮮、そしてアメリカと日本にある冷戦型の勢力の宿主であることが改めて明らかとなった。彼らはいつも戦争も辞さないと主張している。また、北朝鮮問題が複雑で難しいから韓国だけが先進化や平和を模索しようという考えを現実ではないという事実も明らかになった。いつ、どこでも「我々民族同士で」を思い出し、「アメリカ帝国主義」のせいにするとすれば、進歩・改革勢力となるわけには行かないという点も知らされた。

 

何よりも進歩・改革の新たな価値を開拓していくような市民社会の覚醒が大事である。市民団体「参与連帯」は北朝鮮の核実験が朝鮮半島の住民を致命的な核脅威の担保として、東北アジアの平和と安定に真っ向から背馳することと直ちに批判した。「環境運動連合」は核武器が北朝鮮と韓国市民の安定と平和を保障できないと主張し、「緑色連合」も北朝鮮が以前に約束した「朝鮮半島非核化宣言」にもどり、核を放棄することを強く求めた。

 

過去ソ連や中国は核実験と核保有を「国家生存」の問題として正当化したことがあるが、これは平和と反核を念願する世界市民の要求を封鎖することだった。 北朝鮮の核もそれほど違っていない。これから韓国の市民社会は、「良い核武器は存在しない」という点を認識しながら、分断克服と平和の問題を大衆の力の基に置こうと実践し始めた。さらにここで市民参加を通して単なる北朝鮮責任論とアメリカ責任論を乗り越え、東北アジア市民の責任による平和体制の建設を強く提起するとすれば、アメリカの道徳外交と北朝鮮の被包囲意識の衝突による急進的履行の可能性をなお減らすことができるだろう。

 


付け加えて、韓米FTAでも政府関係者の何人かが定めた「高いレーベルのFTA」の原則を修正できるだろうとの希望を捨てない。協商に直接かつ間接に参加している数百人の専門家、そして反対論と慎重論に立っている市民・民衆の汗と集団理性に期待してみる。

 

アメリカと北朝鮮がいったんそれ以上の衝突をやめて、再び「六者会談」の場に出ると約束した。民主党が過半数を占めたアメリカ議会では、北朝鮮問題に対して異なる意見を言い出すこともあろう。情勢の変化可能性がまったくないわけではないし、市民参加による朝鮮半島の平和体制と統一への道がまったく封鎖されたわけでもない。しかし、これからの道が南北の民衆、とくに北朝鮮の民衆に必ず平坦なことばかりではないであろう。それで、この詩が頭に浮かぶ。「彼らは庭園をむやみに踏みつぶして/花は折れ、そして落ちてしまった/幸い死ななかったが/花の苦痛も分かりそうだ」 (R. Frost) 「倒れている」(Lodged) 嵐が来ると花は折れ、そして落ち倒れて苦しむ。死なないで嵐がやむと花は再び咲く。朝鮮半島の民衆は死なないのである。

 


*

 

 今回の文学特集は夏号で取り扱った「2000年代韓国文学が読む時代的症候」の続きである。 2000年代の半ばを過ぎてから、韓国文学で可視化されている新たな現実を読む様相をさらに深く検討しようとした。まず、久しぶりに文学座談を備えた。評論と創作の現場で活発に活動している金英姬、金永贊、朴瑩浚、李章旭が参加した、この座談は最近の問題作をさまざまな角度から検討し、最近の文学における論点を検討した。参加者らは互いに異なる観点を提起する中でも、韓国文学をめぐる共通の地盤を探しており、「6・15時代の文学」や民族文学論のような創批の文学的議題に対しても興味深い論争を展開した。

 

 

 

座談に続き、別個の部分については評論として特集を組んだ。まず、陳正石はIMF危機と6・15宣言で要約される2000年代前後の状況を背景として、我々の時代における小説文学にあらわれた社会的想像力の変化様相を検討した。最近、若い作家の政治的な無関心や共同体的な感覚の欠如に対する分析を通じて、単数の理念に代わる複数の想像力がどのような地形図を描いていくだろうかを検討したのである。柳熙錫は分断体制が徐々に蚕食されていく、今日の状況を「統一時代」と規定しながら、作家らの文学的対応を幅広く考察している。韓国では「半国」的な想像力から逃れようとする文学的意志を、時には批判的に時には愛情を込めた視線で分析している。

 


これらの文章が小説に集中しているとすれば、我らの詩の可能性を考察した金寿伊の文章は「労働」と詩との関係にスポットライトを当てている。「民衆」という主体の問題を「労働」という営みと事件の問題に代えることによって、「労働詩」の新たな可能性を探ろうとする努力が目立つ。林奎燦の文章は文学評論に割愛されている。最近、活発に活動している評論家達と彼らの批評ディスカッションをめぐる問題点を検討しながら、筆者はなぜ「批評の倫理」が必要かを力説している。

 

特集のほかにも今回号の文学欄には読むに値する詩や小説などが豊富である。詩欄には新人詩人15人選として組んだ。2004年の夏号を次ぐ企画であるが、多彩な若い声が我らの詩の明日を予備していることを確認できた。小説欄には全成太、鄭泳文、李明娘、尹成姬、朴馨瑞など、それぞれの多様な個性と色を持つ作家を招待した。それとともに、創批新人詩人賞と新人評論賞の受賞者の若い力が溢れる作品も注目してほしい。惜しくも小説部分には当選作を出していないが、さらなる力量があり、挑戦的な予備作家を待ち受ける気持ちは相変わらない。

 

今回号でも「挑戦インタビュー」は熱い論争の場となった。世界化、両極化、知識革命の行われる中に、どの国でも教育を改めるのが国家的な課題である。教育が新たな社会的排除に対応して、機会の平等を提供できることを期待しているのは間違いない。しかし、状況はますます悪くなっていくため、我らの視線は自ずと「全敎組」に向けるようになる。張恵玉全教組委員長は、現在教育政策の本質と既存組織活動の正当性を力説し、河昇秀教授は教育現場に密着した新たな努力を語った。教員評価制に対する熱い論争とともに、差等成果給制、体罰、夜間自律学習、放課後学校など、懸案に対して密度のある診断がなされた。

 

「論壇と現場」では重い問題意識が溢れる。朴淳成は北朝鮮の核実験で南北韓主導の脱分断過程である6・15時代が挑戦を受けられているという前提で、朝鮮半島の平和と統一んの経路を再点検した。白樂晴は「大韓民国のアイデンティティ」と「北朝鮮核問題」をめぐて行われる論争で左右の論客らを実名をあげ批判し、「変革的な中道主義」による朝鮮半島の先進化の道を模索した。崔元植は「親日反民行為真相糾明委員会」の出帆をきっかけに、再び水面に現れた「親日」問題に対して、性急な判定や解決よりは真実の多様な側面を重く思惟する討論が大事であることを指摘した。ビル・マッキボン(Bill McKibben)は、気候変化と地球温暖化に関する最近の議論を振り替えながら、生態危機とその対応策に関する真摯なる省察を訴えている。

 

この季節にも読書界で注目を浴びた社会科学や人文学の本、文学作品に対する寸評が、読者の関心を引くことを期待する。とともに、今年、本誌に固定筆者として寸評欄に寄稿してくださった金基沢、朴明圭、洪性旭先生と季刊評の厳景熙、鄭弘樹先生には格別に心から感謝を申し上げる。

 

今年も去っていく。創批は今年で季刊誌創刊40周年を向かえ、春号(通巻131号)から誌面を大幅革新しただけではなく、インターネット日本語版を新たに作り、読者層を東アジアへと広げた。また『創批週刊論評』 (weekly.changbi.com)を創刊して、より一層早い呼吸で情勢と文化の流れを読もうと努力した。これらのすべてが読者皆さんの声援にあずかって順調に進んでいることを心から感謝している。その感謝の念に答えるためにも、それぞれの事業に対してより一層奮発し、希望の朝鮮半島作りにおいて先頭に立つことを誓う。

 

 

 

訳 : 朴光賢

 
季刊 創作と批評 2006年 冬号(通卷134号)


2006年12月1日 発行


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