창작과 비평

[インタビュー] 韓半島の新たな空間戦略を求めて : 都市設計家金錫澈に聞く

 



金錫澈
(キム・ソクチョル)都市設計家、建築家。明知大建築学部長、アーキバン(Archiban)建築都市研究院代表。

李日栄(イ・イルヨン)韓神大国際学部教授(経済学)。季刊『創作と批評』編集委員。

 

 

1987年以降、韓国では不完全ではあるが民主主義が前進した。それによって以前、労働や農業に一方的な犠牲を強いた蓄積体制が、ある程度、文明化し先進化した。しかし過去の体制の閉鎖的・硬直的要素が残存し、多くの社会勢力がたえず彷徨するという不安定な様相が見られる。これまで社会の各階層はそれなりに一定の政治的影響力を確保したが、統合的な社会経済的発展のビジョンを提示することはできなかった。グローバリゼーション、技術革命や生産方式の変化、社会主義圏の崩壊のような急速な環境変化によって複雑な世界が到来したが、新たに発生する社会・経済の諸問題に対する現実的な代案はあまりよく見えてこない。

 

改革の期待を抱いて出帆した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、政権の初期に平和と繁栄の東北アジア時代、国家の均衡発展、行政首都の移転など、大型のプランを提出した。しかし国策事業を推進する過程で、専門家や知識人らは派閥的に分裂し、国家ビジョンに関する人文学的な洞察力は失われた。現政権が慌しく進めた韓米FTA(自由貿易協定)交渉は、政権の華麗な言辞が矛盾に満ちた哲学にもとづいていたことが明らかになったケースである。それとともに専門家らの専門性というものも、実際には軽薄きわまりないものだという問題点も露呈した。

もちろん例外がないわけではない。都市設計家であり建築家である金錫澈がまさにそのようなケースではないかと考えられる。周知のように彼は、セマングム干拓地の問題に対して、環境も生かし地域も生かそうという代案を示し(「共存のプロジェクト、セマングム-錦江(クムガン)流域」、『創作と批評』2006年春号)、「地域均衡」というイデオロギーにたやすく屈せずに行政首都の移転を批判した。『創作と批評』では人文学的想像力と工学的現実性で韓半島問題を探求する彼と、私たちの社会の行く末について話し合ってみた。

 

 

 

李日栄  今年2007年は1987年6月の民主化闘争20周年、1997年の金融危機10周年にあたる年です。10年前、20年前に起こった2度の大きな社会経済的激動で韓国社会はかなり変わりました。過去のシステムでは社会がこれ以上うまく機能しなくなりました。そこで新たな体制は何をどうすべきかということが重要な問題なのですが、これに対して最近、人々の疑問や渇望が強くなっています。特に「1987年体制」の限界に対する議論では、民主派の政府にはなったものの、明らかな政策的な成果を示せなかったという不満が核心です。社会科学の研究者らもこれに対する明確な代案や展望を提示できていません。そこで今回は、建築と都市設計で一家をなし、国土・国家戦略分野にも多くのアイディアをお持ちの先生に、韓国社会の懸案と展望をお聞きしたいと思います。

 

まず先生がこれまで歩んで来られた経歴についてお聞きします。先生はある席で、建築は50歳を過ぎてようやく分かり、都市は60歳を過ぎてようやく分かったとおっしゃったことがありますが、建築とはいかなるもので、都市はいかなるものか、またどうしてこのような仕事を始めるようになったのか、お聞かせ願えればと思います。

 

 

 

金錫澈  知識人や専門家だからといって、私たちが生きる時代をきちんと思考できるわけではないと思います。自分が生きてきた歴史はよく分かるかもしれませんが、それも自らの周辺の状況だけに没頭してきちんと理解できない場合も多いですね。1972年に冠岳山(クァナクサン)で夜を明かしながら、果川(クァチョン)から奉天洞(ボンチョンドン)の入口、落星垈(ナクソンデ)までを大学都市化するという「ソウル大学マスタープラン」を作っていました。朴正煕(バク・チョンヒ)大統領が訪問するというので報告しようと一生懸命準備していましたが、そこで「十月維新」〔1972年7月の南北共同声明を契機に韓国内の政治情勢は流動化したが、これに対して朴正煕大統領は、同年10月に非常戒厳令を出して国会を解散し、国民投票を経て12月にいわゆる「維新憲法」を公布した。これによって緊急措置権を発布する権限など極端に権力が大統領に集中した。その後1979年10月に朴正煕大統領が暗殺されるまでの時期を「維新体制期」という―訳注〕が起こったのです。あのとき初めて都市というものは歴史や社会と深い関係を結んでいるのだと思いました。また他方で建築家として無力感も感じました。都市は歴史に参加する、より多くの可能性に関与するという気もしました。

 

そこで都市設計をやらなければならないと思いました。このように言ったらどうでしょうか。都市設計とはキャンバスを作ることで、建築設計はそこに絵を描くことである。もちろんそのように単純に区別できるわけではありませんが、都市設計は歴史や社会に深く参加することです。このような例はどうでしょう。ピカソ(P. Picasso)が「ゲルニカ(Guernica)」を描いたことは、ある意味ではものすごい参加だったんです。ですがマティス(E. Matisse)は2度の大戦の時期に生きていながらも、戦争が起こったということをかろうじて認識しているというような程度だったんです。都市はそこに生きる人々に対して、きわめて具体的な現在と未来を作って見せなければなりません。ちょうど「ゲルニカ」を描いたピカソのようにです。しかし、怒りではなく理性をもって、代案をもって参加するのです。一方、建築家はマティスのように自らを表現しても歴史に残ることができます。

 

 

 

 韓国建築史の2人の巨頭と結んだ縁

 

 

 

建築家として金錫澈の出発は、金重業(キム・ジュンオプ、1922~88)、金寿根(キム・スグン、1931~86)の事務室で6年間働いた経験である。周知のように平壌(ピョンヤン)出身の金重業、清津(チョンジン)出身の金寿根は、韓国モダニズム建築の基礎を築いた人物として評価される。金錫澈とこの2人との関係は、それで韓国建築史の流れが分かるような興味深い部分に違いない。

 

 

 

李日栄  十月維新が人生で重要なターニングポイントになられたようですね。ではそろそろ先生が建築家として名声を得ることになった履歴をお聞きしてもよろしいでしょうか。特に韓国現代建築を代表する金重業、金寿根先生らと一緒に仕事もなさり学ばれもしたとお聞きしました。その時の話も少しお聞かせ下さいますか。

 

 

 

金錫澈  私が人生を一生迷うことになったのは、すべてあのときの経験のせいです(笑)。大学3年生の時、学校に到底いられずに外国に出ようと考えました。そして2人の先生のところに行ったんですが、どちらの先生の方に行くべきか、ずいぶん悩んだんです。先に金重業先生のところに行って3年くらい働いて、軍に入隊してから事情があって戻って来ました。その次に金寿根先生のところに行ってさらに3年いました。この2つは全く違った体験でした。このように両方の事務室にいた経験のある人間は、私しかいないでしょう。

 

 

 

李日栄  そのように行き来することは、可能だったんですか?(笑)

 

 

 

金錫澈  常識的に不可能です。ですが、金重業事務室では建築ばかりしましたし、金寿根事務室では都市設計ばかりしていました。だからできたのかもしれませんね。はじめから考えて行ったわけではありませんでしたが……。金重業先生は日帝時代に日本で勉強して、解放後にはソウル大教授を歴任され、ル・コルビュジエ(Le Corbusier)という20世紀最高の建築・都市設計家の事務室で働いたこともある方で、金寿根先生はソウル大に入ることは入ったけれども勉強はほとんどせず、戦後日本の復興期に丹下健三というもう1人の世界的な建築・都市設計家に私淑された方です。2人の体験は異なるものでした。

 

私は2人ともある意味では植民地的だと思いました。建築や都市は両方とも土地と文明に深くしばられますが、そのようなものに対する理解は海外で勉強していたら得られないんです。私のDNAがここで作られたという土地と文明に対する愛情がある時にはじめて可能なのです。ですが、2人のところで学ぶ時、彼らは韓国に対して語りながらも、ひそかにヨーロッパや日本の先進性に対して語ることが多かったと思います。そのようななかで私は納得しにくいこともたまにありました。私は漢学と韓国学の勉強をして、大学に入る時には韓国哲学史を書くと言っていたほどでしたから、2人もすべてのことを知っているわけではないのだなという気がしました。そして6年ほどたって、独立をしなければならない、2人の下にずっといるのはむしろ危険だと思うようになりました。

 

 

 

李日栄  私は門外漢ですが、2人の代表作の中には、とてもすぐれた作品もありますが、議論の余地のあるものもあるようです。特にフランス大使館や空間社屋(コンガンサオク)のようなものはとても立派な建築物だと評価されます。また、ソウルという都市のイメージや性格を規定したものとして、三一(サミル)ビルや世運商街(セウンサンガ)などがあげられます。先生は2人の作品をどのようにお考えですか?

 

 

 

金錫澈  フランス大使館は、私が建築をすると決心した時、わざわざ訪ねて行きました。あの時は本当に感動的でした。建築はやりがいあるものだと思いました。空間社屋は初期段階のスケッチに参加しました。ともに建築物としては立派な作品だと思います。しかし建築は文明の連続線上で見なければなりません。民族的なDNAやその土地が持っている何か―私はそれを重力だと考えますが、そのようなものがなければなりません。そのような側面で2つの作品を見ると少し違うような気がします。建物が美しく完成度が高いのも重要ですが、周囲をどのように調和させるかも重要です。ですが、外来のものの受容から始まった建築物は、周辺をみすぼらしくしようという意図はなくても、結果的にはそのような印象を与えます。あまりにも目立ちすぎて周辺をみすぼらしくしてしまう、周辺がすべて自分のものだといって勝手に調和させようとしてしまう、そのような気がします。その建物だけならいい感じはするけれども、その建物があるからといって周辺がよくなっているような感じがしないということです。

 

 

 

李日栄  私の年代の青少年期には、鍾路(チョンノ)や光化門(クァンファムン)一帯にまつわる思い出が多いと思います。あの時、タプコル公園(パゴダ公園)の前にグンとそびえたつ世運商街が、どうも周囲と調和していないという気がしていました。

 

 

 

金錫澈  世運商街は金寿根先生も否定した建物です。建築は他の分野とは異なって共同作業ですから、プロジェクトが気に入らなければ建築家が途中で降りる場合もあります。もちろん責任は負わなければなりませんが、仕事の過程では往々にしてそういうことがあります。

 

 

 

李日栄  ならば世運商街は金寿根先生の作品でないといってもいいでしょうかね?

 

 

 

金錫澈 そうともいえます。あの方が責任を負わなければならないものではないと思います。

 

 

 

これまでの話によれば、金錫澈の建築観はル・コルビュジエの言葉のように「家は居住のための機械」というようなものではない。金錫澈は自らの著書で、コンクリートと自動車で一杯になった20世紀の都市を持続不可能な文明としながら、代案として「デジタル鉄鋼都市」「建築と都市が一体化した鉄骨のスペースマトリックス」を提示する。また多くの建築物で表現した韓国家屋風は、「瀟灑園」(ソセウォン)に見られるように朝鮮の儒者(ソンビ)の自然主義を感じさせもする。このすべてのものにはルーツがあった。先輩世代のモダニズムに追従しないという断固たる意志は感動的だが、建築家から都市設計家、国土戦略家へと進化できた動力も、このあたりにあるかもしれない。ここで話題を変えて、彼が本格的に世の中と対話することとなった国土戦略の骨格について話してみよう。

 

 

 

李日栄  私がこのインタビューをやろうと思ったのは、韓国経済の新たなモデルを探索することに関心があるからです。韓国の場合は、国家の中でシステムが完結するというよりは、外部の影響がかなり大きく、また地理的な位置も重要に作用します。ですから空間の問題がかなり重要です。ですが、学界では時間の問題、つまり経済や体制移行の問題などが主として考慮されていて、空間の問題はあまり扱われません。実際に経済学でも空間の問題を扱った研究は珍しく、たいてい空間的な要素は克服できるので排除してしまいます。私も同じでしたが、そうしているうちに先生の著書『希望の韓半島プロジェクト』(創批、2005)を読んで、多くの刺激と感銘を受けました。

 

本書をあえて経済学者の目で裁断してみるならば、一番下の元素的なレベルに都市農村複合体という要素があり、中位には国土の均衡開発という概念があり、それよりもっと広い上位概念として黄海連合や東北アジア共同体などが提示されます。本書のタイトルは「韓半島プロジェクト」ですが、国土の均衡発展と黄海連合との間に韓半島のレベルという要素が必ずしも詳細に出ていないように思います。刊行直後に本書に対して熱い反応があったとお聞きしていますが、ある程度時間がたった現在、先生ご自身は本書をどのように評価されますか? また新たに追加されたアイディアなどはおありでしょうか?

 

 

 

韓半島空間の再構成のためのプロジェクト

 

 

 
 
金錫澈  韓半島というレベルを前提にする計画や作業を整理しなければならないという考えは常にありましたが、その記録が今はあまり残っていないんです。ですから、どうであれ生かしておかなければならないと心に決めました。特に「漢江(ハンガン)マスタープラン」のようなものは重要な提案で、実際に汝矣島(ヨイド)開発において一部実行されました。ソウル大の大学都市案は成立しませんでしたが、意味深いと思いましたし、宗廟(チョンミョ)から南山(ナムサン)の間の現在の世運商街の場所をソウルの緑地帯にしようとした提案は、記録として残すべきだと思いました。また韓半島の西海岸と中国東海岸の間のPair FEZ、つまり、互いに対をなす共同の自由経済特区に対する研究も整理しなければならないと思います。またセマングム干拓地についても1990年代の初盤から研究してきました。そこでこれらを集めて本にして出しましたが、それが『汝矣島からセマングムへ』(セングガゲナム、2003)です。ですが、この本で整理した35年にわたる作業を見ると、その時その時で考えも違い、観点も一貫していませんでした。そのため『希望の韓半島プロジェクト』というタイトルでもう一度体系化したんです。今、お話しした「都市農村複合体」とか「アーバンクラスター」(urban cluster)、「韓半島三分之計」、「黄海共同体」のような概念や領域も、この本を書く時に構想して提案したものです。その後、韓半島プロジェクトが没頭するに値する作業だと考えました。そして以前は見逃していた統一問題を扱わねばならないと感じ、白楽晴(ペク・ナクチョン)先生の影響もずいぶん受けました。

 

あの時、私が企画した「希望の韓半島プロジェクト」は、実は韓半島というレベルでは中途半端ではないかという気もします(笑)。最近、この次の大統領選挙の候補者の間で「韓半島プロジェクト」と呼ぶに値するものが公約として出て議論されていますね。国民がともに考えられる枠くらい誰かが作るべきだと思って、そのようなものを新たに書いています。今日、申し上げるのは『希望の韓半島プロジェクト』を書く時よりも少し発展・進化した内容ではないかと思います。

 

 

 

李日栄  先生は、韓半島のハードウェアが限界に達しているので新たなハードウェアが必要だとして、韓半島の空間を新たに構成するべきだと主張します。これまで韓国は特定の産業と地域に資源を集中して、迅速に育成させる経済発展戦略を取ってきました。ですがすでにそのような戦略は内外の環境変化で難しくなりました。これからは空間的な再配置を通じた新たな産業戦略に向かうべきだと思います。新たな戦略を組もうとするならば、これまでの時期に対する評価が必ず必要でしょう。最近「開発独裁の政府は有能で全土を改造したが、民主派政府は無能だ」という言葉が流行していますが、先生は歴代の政権の空間戦略をどのように評価されますか?

 

 

 

金錫澈  私は空間形式として国土を見る立場ですから、経済学者らとは観点が違います。私は韓国近代経済史のような書物を読むたびにそのような気がしました。まず今、私たちが話している空間秩序は、日韓併合以前の韓末に日本の強力な介入と支配の下で成立したものです。換言すれば韓半島全体が日本と大陸の中間地帯として日本の大陸進出に焦点が合わされていたということです。そのうち最も核心的なものが鉄道と港湾です。ここでこれから私たちが議論する都市農村複合の問題も出てくると思いますが、それとともにソウルに人口が集中し、ソウルを中心に5つの港湾ができて(厳密に言えば新義州(シニジュ)は港湾というより川を挟んだ国境都市ですが)、これらの港湾とソウルの間に鉄道が敷かれます。それが京仁線〔京城-仁川〕、京釜線〔京城-釜山〕、京義線〔京城-新義州〕、湖南線〔京城-木浦〕、京元線〔京城-元山〕です。それらが軸になって韓半島が再編され、1つの新たな権力を構成することになります。
 

 

李日栄  鉄道を通じて空間が再編されたということですか?

 

 
 

開発独裁期の空間戦略の功罪

 

 

 

金錫澈  鉄道と港湾です。日本がある面できちんとやったのは鉄道を単に敷いたのではなく、つねに港湾と連結したということです。そうすることで港湾は互いにつながりました。だからかなり効率的に管理できたんです。歴史的・地理的理解と関係なく韓半島に対する効率的な管理方法を考えようとしたわけですから。ですが文化のつながりや地域特有のものは考慮しませんでした。それはイタリアの鉄道と比べてみてもすぐ分かります。その時から、各地域の固有性や文化的背景とは無関係に、効率中心で空間を経営する戦略が出てきます。日本と大陸の連結とからんで京釜線が主軸にならざるを得なかったんです。また湖南線と中国につながる海路がつながります。そして木浦(モッポ)、群山(クンサン)の方もそれぞれの役割を果たすようになりましたが、おそらく日本から満洲ではなくロシア本土の方にも行くことができたら、元山(ウォンサン)のような東の港湾がかなり発達したでしょう。そのように日本は韓半島を経営したんです。

 

ですが、解放後、このような空間戦略に決定的な変化をもたらしたのが、南北分断と巨大な人口移動です。38度線以北の人口が南側に越えてきて主にソウルに定着します。そして軍事政権になってから経済改革で地方の人口がソウルに流入し、ソウル集中化現象が起こりました。この過程で不均衡発展が始まったんです。とにかくそれなりの効率性は発揮しましたが、京釜線ラインと首都圏に投資が集中します。西海岸は完全に封鎖され、北は休戦ラインで遮られた状態で、東南海岸だけが開いており、首都圏にインフラが集中した状況で投資が行われたんです。それは分断とイデオロギー障壁を前提にしたものでした。その時に湖南(ホナム)人口が大挙して亀尾(クミ)、蔚山(ウルサン)、浦項(ポハン)など、慶尚道(キョンサンド)に移ります。

 

この時の成果は産業クラスターが作られたということです。日本の植民地政策が地域の固有性や文化の連続性よりは韓半島全体の効率的管理に重点を置いたように、開発独裁期の産業化過程でも、既存の投資地域に関連産業を集中させるというクラスター形式を取りました。浦項・蔚山・亀尾一帯、また首都圏周辺に投資を集中したのは、一方では南北が分断された状況において、アメリカと日本に属した立場を未来にわたって受け入れることを前提にしたものです。したがってある意味で効率的ですが限界もあります。きちんとした民主政権ならば、そうはできなかったでしょう。

 

 

 

李日栄  ということは、開発独裁期の空間戦略は、日帝時代に成立した効率的な管理のための空間構図を基本的に受け継いでいて、分断という制約状況を受け入れながらそれを発展させたと評価されるんですか?

 

 

 

金錫澈  制約を固定させて前提にしてしまったんです。

 

 

 

李日栄  80年代以降の政権はどのように評価されるべきでしょうか?

 



 

金錫澈  韓半島全体を舞台にした空間戦略と国家の主要インフラ建設という2つの側面があります。たとえば、ある経済圏域が強い競争力を持とうとすれば、空港と港湾と鉄道の連携装置を構築することが必要です。そのような点から見れば、仁川(インチョン)国際空港を建設したことや、高速鉄道を作って高速道路のネットワークを拡充したことまでは高く評価できますが、理解できないのは高速鉄道と空港と港湾を互いに連結させていないことです。日帝は鉄道を作る時、港湾と連結したんです。彼らは全国を効率的に機能させようとしたんです。等しくすべて搾取するためではありますが(笑)。80年代以降、韓国は国際空港を4つほど作りました。ですが、清州(チョンジュ)空港、襄陽(ヤンヤン)空港、務安(ムアン)空港などは、使えないものを作ってしまったという体たらくです。いくつかの集中的な投資が成功し、国家空間戦略として見た時は1か所に片寄っていますが、産業クラスターを達成した朴正煕政権時代ほどにはうまくできなかったと思います。高速鉄道などいくつかを力を合わせて作ったのはタイムリーでしたが、他の事業が韓半島の全体空間を組職化できなかったこと、また韓半島全体の可能性を極大化する方向に行けかったこと、つまり未来を見ていなかったのは問題です。

 

 
 

農村問題、いかに解決すべきか

 

 

 

金錫澈が政策当局や社会科学の研究者らを赤面させていることのうちの1つが、農村を生かす代案を懸命に提示しているという点である。一方では「韓米FTAのせいにするな、韓国の農業はどのみち絶滅することになるのではないか」といい、他方では韓米FTAを必ず阻止するという立場から、「時代は国民が農業開放に対立し総決起することを要求している」という。その渦中で1人の都市設計家が「農村が生きてこそきちんと生きる国」として、「都市農村複合体としての新たな都市」を提案しているのである。

 

 

 

李日栄  開発連帯の成果もありましたが、あの時の矛盾が蓄積し、またその後、解決の糸口を見出せなかった代表的な問題が農業・農村問題だと思います。最近、朴正煕モデルに対する肯定的評価が多いですが、すでにあの時代から都市・農村間の格差が広がって農業の没落が始まっていました。また1987年以降に民主政権が樹立されて対症療法を取りはしましたが、農業・農村の回復策を明らかに提示できませんでした。農民運動がその後かなり活性化しましたが、やはり責任ある代案モデルは提示できなかったんです。だから全国民がイライラしました。農業問題に対する先生のご提案は、社会科学の研究者らの貧困な想像力を刺激します。都市農村複合体としての新たな都市をおっしゃっていますが、かなり興味深いと思います。おそらくイタリアの中規模都市や中国の広域都市のように、都市と農村が共存する模型を念頭におかれているようです。実は農村の暮らし向きをよくすることはかなり難しいことなので、歴代の政権はほとんど放置状態でした。はじめは意欲を持っているふりをするのですが、ずいぶんと難しいので適当に管理してほうっておくという下心が見え、正面から対応しませんでした。農村を生かす代案は産業的・経済的な基礎と空間をセットにして提示するべきじゃないかと思います。ご著書でおっしゃられたこと以外の、それから先の構想をお聞かせ下さればと思います。

 

 

 

金錫澈  国家として、あるいは広域の地域共同体として、文化共同体として維持され発展しようとすれば、つまりきちんとした文明国家になるならば、農村と都市が共存するべきだというのが私の観点です。実は私は「農村」という言葉があまり好きではありません。普通、農村や都市というものを、韓国社会を大きく分ける2つの空間形式と考えますが、そのような区分自体に問題があると思います。また論者はみな、急激な経済成長の結果、首都圏への人口集中と農村の没落が不可避だったといいますが、それも問題にきちんと接近する視角ではないと思います。むしろまず首都圏と地方圏に分けて接近するべきでしょう。首都圏も首都圏の外郭と内部で分けることができますし、地方圏といっても地方独自の大都市があり小都市もあるんです。首都圏にも農村がありますし……。だからまず首都圏と地方圏という大きな範疇で分けますが、そのなかで大都市と中規模都市、小都市と分けてみるべきです。なぜならば、私たちが人間の集合形式を都市と農村とに分ける時、1か所の農業・農民・農村というのは実際の空間形式として存在するにはあまりに規模が小さいんです。しいて言えばそれは小都市の要素だと思います。

 

均衡発展の核心を土地ではなく人で見るならば、むしろ都市形式の方が簡単な解決策になり得ます。人口単位で見るならば、農村は大きな土地を小さな人員が管理せざるを得ず、都市は狭い土地により多くの人が集中しているので付加集中にならざるを得ません。今後どのように人口と土地を適切に配置し組織するかが重要ですが、都市というのはかなり優秀で効率的な組職方式です。また農村・漁村は都市文明とは違いますが、地域や国家に不可欠の要素だと思います。

 

ですが、均衡発展ができない最大の理由は、農村から人口が流出することです。絶えず人口が創出されて変化が続かなければ経済は成長できません。その次に都市間の移動性、都市と農村の間の移動性がかなり大きくなりましたが、私たちの場合には国道体系が完成する前に高速道路が先に作られて、高速道路でつながる大都市だけ集中的に成長し、小都市と農村は大都市に属することになってしまいました。だから全体的に新たなネットワークを構築して、そのなかで農村の役割を位置付けなければなりません。

 

 

 

李日栄  私も農村と都市が別途に存在するのではなく関係の中で存在するという方向で議論を展開し、政策を具体化するべきだと思いますが、問題は現実性です。土地問題だけを見ても、都市は建設交通部、農村は農林部で政策を作ります。地方レベルでは互いに異なる系統で作られた原理が混在しています。また農業と農村が重要だった時期に作られた教育体系がそのままなので、農村は農村で、都市は都市で、別々に思考するようになってしまいました。農村を開発する人々と都市を開発する人々は全く異なった方式で教育を受けているのではないかという気もしました。

 

都市と農村を総合的に見る出発点をどこで用意するべきかが問題でしょう。先生は農村があってこそきちんとした国なのであって、農村がなく都市だけがある国は不完全なものだと言いましたが、これは国家全体、または都市が農村を導くべきだという意味にも聞こえます。私は農村に暮らす人々が都市に暮らす人々を完全にする存在ではなく、農村に暮らす人々も自ら選択して暮らせる経済的・文化的な土台を持つべきだと思います。とにかく現実的な方案が問題なのですが、そのような流れをどのように作ることができるでしょうか? 集積された大都市ではなく、密度の低い農村的な生を選択させるきっかけはどのようなものでしょうか?

 

 

 

金錫澈  蔚山や浦項、昌原(チャンウォン)、亀尾のようなところが、はじめはすべて農村でした。それが世界的な産業都市になったのです。これからは新たな方式で農村や漁村を世界的な経済圏に作り上げることのできる事業をしなければなりません。農村だけでは、今の農村人口ではだめです。今の状態で周辺都市とネットワークを結ぶだけではだめだということです。どのようにしてでも海岸に沿ってアーバンリンクを作らなければならないし、中国の東海岸とつなげなければなりません。以前は農村と周辺の小都市の間に、または農村同士でネットワークを結ぶことを考えましたが、今、見れば、小都市は何の牽引力も発展動力もありません。

 

まずこのように考えて見ましょう。私が珍島(チンド)に「海オアシス」というプロジェクトを進めていますが、西南海岸一帯の島と内陸の都市をつないで、それと同様のものを中国の東海岸に作って、この2つが対になるようにしようというものです。このようにすれば市場ができて農村に人口が集まります。単に農業を科学化・企業化・産業化すれば解決できることではありません。韓国の農村の突破口を、昔の新羅坊(シンラバン)〔統一新羅時代に中国にあった新羅人居留地―訳注〕のような国際化した領域とのネットワークの構築に見出そうということです。もちろん農村の役割は農水産物の供給だけではなく違うものもあります。イタリアに滞在しながら地域文化に根ざした特有の産業をずいぶんと見ました。チーズも作りますが、染織業・デザイン業もやり、造船業もやるんです。それらが農村や農業・水産業と連携するためには市場が必要で、市場を確保しようとすれば国境を越えて、もう少し空間が大きくならなければなりません。

 

 

 

 西南海岸と済州をつなぐ「海オアシス」プラン

 

 

 

金錫澈は昨年末、個展で「海オアシス」プランを提案した。つまり経済的には砂漠に他ならない西南海岸にオアシスのような海岸都市を作り、これを内陸とつなぎ、多島海と済州島をまたつなぐというものである。そうすれば観光業と新産業が調和した、世界的な農村型都市群を作ることができるというものである。今回の対談で彼の提案はもう少し前進した。既存の観光団地開発プロジェクトとは異なる新たなビジョンを示すために、農村・農業との連携をもう少し具体化し、より拡大した市場形成のために黄海の対岸にある中国の東部沿岸にも「海オアシス」を作り、これとネットワークを形成すべきだというものである。

 

 

 

李日栄  2006年11月24日に政府が「西南海岸圏発展構想」を発表しました。務安、木浦、新安(シナン)を中心に人口60万人水準の都市を作り、そこに物流拠点、高度化した地域特化産業、新エネルギー再生産業、複合観光クラスターを育成し、2020年までに総22兆ウォンを投資すると言っています。先生の「海オアシス」プランと政府の西南海岸圏発展構想はどのような関係があるのでしょうか?

 

 

 

金錫澈  西南海岸圏発展構想案などというものは実際には存在しません(笑)。コピーライターたちが作り上げたものです。

 

 

 

李日栄  中身が全くないということでしょうか?

 

 

 

西南海岸「海オアシス」プラン

 

 

 

 

金錫澈  そうです。私は珍島だけでなく西南海岸一円、済州島まで含んで言っているんです。それがセマングム干拓地までつながっているのです。そのように広域化するべきだということです。今、政府で進めている革新都市のように、農村開発、漁村開発のために基盤施設を地方に送ったってそれが何になるんですか? 領域を広げなければ、今のように済州島だけが自由化して国際化しても成功できません。済州島だけではおいしい食べ物も見どころも足りません。済州島と珍島の間の距離はわずか100キロです。そして西南海岸のリアス式海岸を組職化すれば、世界的な観光資原になります。海岸と島が調和した南仏の海岸のようなものがずらっとつながるんです。だから済州島に来た観光客に西南海岸の食べ物が供給され、またこの人々が多島海に来られるようにするんです。そのうえで山東(シャントン)半島以南の連雲港(リェンユンカン)とつながれば、中国や日本からも来るようになるんです。そのように人口が集まって組職化すれば、首都圏に劣らない規模になるんですよ。

 

ですが、今、進められているのはそういうものではありません。務安空港の近くで何をしようというのか、また人口60万をどう集めるのですか? 首都圏から行かないのは確実ですから、残りの農村人口からまた連れてくるということになります。結果的には地方圏でまた農村が荒廃化するのです。また東海岸に見られるように、海岸は一度破壊されれば再生できません。観光業で観光客が主人になってしまうことは望ましい方向ではありません。昔日の偉大な文明国家ギリシアが、そのように観光客で生活しています。イタリアは少し違います。客も多いですが、まず自分たちの暮らし向きがいいんです。

 

 

 

 

国家均衡発展戦略と統合新都市案

 

 

 

 

話が出たついでに国家の均衡発展に対する議論に移ってみよう。首都圏への一極集中がますます深刻化している現在、地域革新の動力として地域産業クラスター戦略はかなり重要な概念であると同時に議題であると言える。しかし他方では、これに対して強力な批判を提起している。地域発展と関連する議論において、国家的・世界的条件とマクロ経済メカニズムに対する理解が足りず、過度なローカリズムに陥っているというのである。ひいては、均衡発展言説の背景には、地域に居住しながら専門職などに従事する新地域サービス階級(new regional service class)の利害関係があると指摘されたりもする。

 

 

 

李日栄 現在の均衡発展政策が、中央政府の政策資源の分配をより多く受け取ろうとする地方自治体の争奪戦に帰結しているようで心配です。開発を推進する地域単位もあまりに細分化されていて。ヨーロッパ連合の場合、人口10万内外の規模の上向き型地域開発を支援していますが、私たちとは少し事情が違いますね。私たちの場合、自治経験もあまりなく、農業と地域産業の発展水準が低くて、小規模地域単位では発展主体を見出しにくい現状です。もう少し範囲が広く国際的なネットワークを備えた自立可能な拠点を作ることができる方案が、重要な問題として考えられます。

 

 

 

金錫澈  私たちは金属活字と八万大蔵経を偉大な文明的成果であると自慢しています。これらを作るには工学的能力も必要でしたが、社会的な要求や需要も一役買ったんです。現在のように農村問題の深刻さに大きく共感したり、均衡発展に対する国家的な参加や国民的な同意があるのは珍しいことです。そのようなことが重要な契機になります。このような時、私は金属活字や八万大蔵経のような、人類の文明に貢献できる都市農村複合共同体を作るべきだと思います。

 

それがまさに都市農村のソフトウェアを都市規模に組職化して、既存の都市と農村を1つの人間の集合でくくった「統合新都市」です。ですが農村の間にある今の小都市ではだめです。統合新都市を中心に、自足的ではないけれども独立的であることを望む農村が、独自の産業圏域を構築しながら市場を確保できるようにしていこうということです。そのような中間集合体の例が、イタリアのモンテプルチャーノ(Montepulciano)など中世の諸都市です。そこには高校レベルまではとてもいい学校があります。そのような都市を私は中間都市と呼ぶのです。その都市が世界と疏通するようにするのです。そのような都市は一挙に建設しなければなりません。今、航空母艦のようなものは2、3年のうちに作ります。完璧な設計さえあればです。

 

 

 

李日栄  都市と農村の間に中間都市が必要だということでしょうか?

 

 

 

金錫澈  ええ。ですが、この中間都市は、都市と農村を疏通させるだけではなく、世界と通じていなければなりません。また地域の経済共同体に重要な役割をさせなければなりません。

 

 

 

李日栄  農村と中間都市はどのようにつなげばいいのでしょうか? 都市が農村を吸収し従属させるような、これまでのパターンが繰り返されないでしょうか?

 

 

 

金錫澈  農村が自然に集まるためには、川辺に沿ってつながっていなければなりません。洛東江(ナクトンガン)一帯、蟾津江(ソムジンガン)一帯にです。そのようになれば互いに自然につながりますし、農業とサービス産業が役割を分担できます。ライン(Rhein)川の近隣では海の方向に小さな製造業が組職化されています。だから個別の農村は川を通じて1つにつながるのです。ここで川というのは舟運の可能な川のことを言います。ですが、現在、韓国の川では舟運が不可能です。昔は可能でしたが、これまで管理をしなかったのです。だから今、韓国の農村は、全国に四方八方に散らばっているわけです。

 

 
 

 

京釜運河計画の決定的な限界

 

 
 

 

ちょうど興味深い話題が出た。今年、大統領選挙を控えて、国土開発に関連するイッシューが数多く提起されているので、ここでこの質問を逃すことはできない。

 

 

 

李日栄  舟運が可能な運河を通じて農村をつないで組織しようということですが、運河と聞くと、有力な大統領候補・李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長が提唱している京釜(キョンブ)運河のことが思い出されます。もちろん先生のお話しのように農村を組織する脈絡から出た話のようではありません。李明博氏が言っていることの核心は、洛東江上流と南漢江(ナムハンガン)上流をつなぐということです。そうなればソウルから釜山(プサン)まで600キロの水路ができます。これに対してはどうお考えですか? 経済学の常識から見れば、それは一種の物流のためのプロジェクトですが、物流には時間の要素がかなり重要です。ですが近現代に入って、いわゆる時間単位がかなり短くなったんです。だから中世までは重要だった運河が、現在では比重がかなり小さくなっています。中国の長江も過去に比べれば物流に占める比重が小さくなっています。ドイツのライン川くらいを除けば国際的なケースもそう多くはありません。先生がおっしゃった農村経済を再組織するネットワークという構想はかなり興味深くはありますが、水路の周辺から出る物流量はさほど多くないと思います。さきほど舟運が可能でなければならないとおっしゃいましたが、韓国は降水量が夏に集中しませんか? 冬はあまりありません。だから舟運を維持・管理することもかなり難しいと思いますが、このような問題はいかがでしょうか?

 

 

 

金錫澈  村と村、都市と都市をつなぎ海につなげていくことが川の顕著な特徴の1つです。川辺の都市農村複合体がそのように作られます。私が汝矣島マスタープランを設計する時、漢江が休戦ラインでふさがっているので掘浦川(クルポチョン)の方の京仁運河を提案しました。そしてセマングム干拓地と錦江流域を舟運可能な運河でつないだセマングム・錦江都市連合案、洛東江流域と南海岸をつなぐ洛東江都市連合案を作ったりしました。川で組職化された小都市と農村が海でつながり、海岸リンクとつなげるのが韓半島のもつ最大の可能性で、イタリアより優れているところです。世界でこのようなところはありません。

 

川と川をつなぐことも重要ですが、「先後するところを知ればすなわち道に近し(知所先後、則近道矣)」で、先にやるべきことと後にやるべきことがあります。洛東江・錦江・漢江流域の小都市と農村を組職化して海岸でつないだ後、3つの川をつなげば意味があります。しかし、まだ漢江も海につながっていないのに、漢江と洛東江をつなぐことにどのような意味があるでしょうか? ロッテルダム(Rotterdam)が世界最高の港湾になったのは、川と運河と海が都市と農村を合わせて都市連合を形成したからです。川が海と小都市をつなげば農村から海に出ることができます。社会的需要があれば技術的問題は解決できます。

 

 

 

李日栄  だから京釜運河を作るといっても、ソウルでひっかかってしまいます。でもこの大運河計画は他に何か利点はないでしょうか?

 

 

 

金錫澈  運河というインフラの性格を理解することが重要です。高速道路は大都市と大都市をつなぐインフラで、運河は流域の中小都市と農村を生かすインフラです。運河計画はこのような点を考慮して、地方の中小都市と大都市が共存共栄するモデルを提示するべきです。

 

韓国の物流は大部分、海を通じて韓半島の外に出るものです。ならば運河がどのように海に出るのかを研究するのが先で、洛東江と漢江がどのようにつながるかというのは後の問題です。そのような準備なく京釜運河を語ることは、嶺南(ヨンナム)や忠清(チュンチョン)の内陸圏に開発の幻想をあおることに過ぎません。川が海につながるようにするのが運河を作る目的であって、川に船が行き来させて都市農村複合体を形成できるようにするのが運河の機能です。運河でつながった都市農村複合体が、大都市に劣らぬ競争力と生の質を持つようにするのが核心です。

 

 

 

 

環境問題の解決には未来型都市が必要

 

 
 

 

金錫澈の「韓半島プロジェクト」に対して批判的な立場は大きく2つある。1つは果たしてどれほどの現実性があるかというものであり、もう1つは環境主義的な観点が足りなくはないかというものである。特に都市を作り空間を開発しようという彼の立場では、環境論的な問いを避けることができない。おそらく根本的な環境論者は都市自体を、エネルギーを浪費する装置として見るだろう。

 

 

 

李日栄  先生は韓国の新都市建設能力をかなり高く評価して、それを海外に輸出するべきだとおっしゃいますが、新都市に対して否定的な方々も少なくないようです。新都市が環境を破壊して建設され、都心への移動距離が増えてエネルギーが浪費されるおそれがあります。先生はエネルギー低消費型都市を提案したことがありますが、具体的に説明して下さればと思います。

 


 

金錫澈  今の都市では未来に耐えられません。エネルギー不足や過度の人口集中による不均衡など、問題が多いと思います。アメリカやヨーロッパの諸都市、特にアメリカの都市にいる5%の人口が世界のエネルギーの25%を使っているんです。エネルギーの相当部分を都市が消費しているのですが、現在、発展している東アジアの諸都市が先を争ってその方向に進んでいます。だから今の都市を構造改革する仕事も重要ですが、新たな未来型都市を作ることも必要です。果たして私たちにそれができるかが問題ですが、今、全世界的に韓国が多くの面で最も強力な競争力を持っています。都市建設の基盤である建設・電子・鉄鋼・造船産業が世界最高です。また需要が拡大していく世界最大の都市市場がすぐそばにあります。

 

首都圏のおびただしい不動産価格の高騰は都市スケールだけで解決できる問題です。マンション団地を作って済む問題ではありません。単純に住居を供給するのではなく、完全な都市を作って人口をそこに流入させるのです。政府機能を移して公共機関を地方に移転して済む問題ではなく、よりよい都市を作って人口を移動させてそこに住めるようにするんです。いいところに集中して住もうという需要が、首都圏の不動産価格の高騰と地方都市・農村の没落という結果として出ているのです。新たな都市に対する需要があり経済力があり産業能力があるのですが、問題は創造的な能力です。私たちが創造的な21世紀の東アジアの都市モデルを作れば、中国やインドの都市のモデルになるでしょう。

 

 

 

ドバイ(Dubai)はアラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうちの1つである。そこでは最近、これまで稼いだオイルダラーを投入し、中東の拠点として跳躍しようというプロジェクトが進んでいる。このような変化を象徴するのが160階規模の超高層ビル「バージュ・ドバイ」(Burj Dubai)の建設事業だが、この建物の施工社は韓国企業である。そればかりか、リビアの大水路工事、マレーシアのペトロナス・ツインタワー(Petronas Twin Tower)工事など、韓国の建設業の施工能力を世界に誇示した例は多い。しかしここに肯定的なイメージだけがあるわけではない。ちょうど日本のように「土建国家」の疑いも提起されている。土建国家は政治家および官僚、金融機関、建設業社からなる「鉄の三角構造」を中心とする。土建国家の典型といえる日本は、1972年に「日本列島改造論」(田中角栄)、1987年に「多極分散型国土開発計画」(中曽根康弘)を進め、不動産バブルと自然破壊はもちろん、経済危機までもたらした。だから都市建設で不動産問題を解決できるという金錫澈の主張はかなり異色である。

 

 

 

李日栄  先生は不動産問題も都市計画で解決できるとおっしゃっていますね。これまでは需要を税制で圧迫して緩和する解決策と、マンションをもっと多く供給して解決しようという両論がありましたが、先生は第三の道を提示されたわけです。自足的機能を備えた新都市を建設することで、人口を移動・分散させられるとおっしゃっていますが、そのような都市を一体どこに建てるのでしょうか?

 

 
 

 

 不動産・住宅開発の副作用をどう解消すべきか

 

 
 

 

金錫澈  新都市がいくつか挙げられていますが、このままでは問題がますます拡がってしまいます。盆唐(ブンダン)新都市を作っても住宅問題が解決されたわけではありません。むしろ交通はより混雑するようになり、漢江(ハンガン)以南の江南(カンナム)の不動産価格や家賃もかなり上がりました。重要なのは都市の核心部分が外に出ることです。ロンドン・ニューヨーク・東京が何とか維持できているのはそのためです。韓国は漢江(ハンガン)以北の江北(カンブク)に大学がすべて集中していますが、世界的な都市では重要な大学がすべて外に出ています。ニューヨークや東京も高等教育の核心機能が外に移動しています。ですが、大都市の一極集中を引き起こした大学群が、21世紀に入って都市競争力の核になっています。

 

21世紀型産業は製造業やサービス産業に次ぐ創造産業として大学を中心に形成されます。大学と関連産業体が集まって創造的な都市産業を起こすのです。政府と公共機関が地方に移転して行政首都と革新都市を作れば、首都圏集中と不動産問題が解決できるという考えは妄想です。私は著書『希望の韓半島プロジェクト』で、行政首都と革新都市の代案として、錦江流域とセマングム干拓地をひとつにする「錦江・セマングム都市連合」、洛東江流域の産学クラスターと海岸リンクがひとつになる「洛東江都市連合」を主張しましたが、問題はどこにそのような都市を作るかということです。内部構造改革でも新都市建設でも結局、土地の創出が問題です。これまでは京釜線の東の漢江側とソウルの漢江以南の江南地域を開発することで土地を新たに作り、これまで20~30年の間、経済成長による住居需要を確保しました。現在また新たな空間が必要ですが、封鎖されていた京釜線の西側の漢江沿と遮断されてきた漢江の北沿岸に新たな土地を作るべきです。このようにソウルの分断体制的な内部矛盾を解決する道と、江北に集中した大学人口を中心に江北を創造的産業都市として作る道が、江南の不動産問題を解決する道です。

 

 

 

李日栄  まだ疑点が残ります。これまでは都市を建設する時、はじめに土地を収容して開発して家賃が一度上がり、そこに家を建ててもう一度上がり、分譲してもう一度上がり、こうしてもとの価格よりも家賃が何倍も高くなっていきます。また都市ができると周辺の地価がかなり上がります。だから新都市を作ればその一帯の地代がかなり上昇するのではないか心配です。現在、均衡発展が語られていますが、地方のあちこちで問題が発生していますし、それで実際に工場を新たに作ることがかなり難しくなったと言います。結局、開発自体が不動産価格を上げ、地代収益を得るための経済活動に属するというパターンが繰り返されていますが、このような悪循環の輪をどう断ち切ることができるでしょうか?

 

 

 

金錫澈  このように考えてみればいかがでしょう? マンハッタン(Manhattan)やベニス(Venezia)は世界的な高密度地域です。ですが両都市ともに自然をよく利用したケースです。韓国で行政中心複合都市を計画する時、1千万坪を収容するというのを見て、私は政策推進者が陰険な心積もりでいるか、考え方が粗雑か、どちらかだと思いました。現実的に果川の政府庁舍の移転に50万坪以上も必要ありませんが、そのようにおびただしい土地を収容して、結果的に不動産投機資本を作り出したのが、どういう理由からだかわかりません。

 

今後、韓国が新たな空間戦略で韓半島を経営するならば、そして土地収容と補償が不動産市場を揺るがして経済を歪曲させないようにするならば、私は川に行かなければならないと思います。韓国の河床の幅はとても広いんです。あるところは1キロにもなりますが、そのような川を舟運可能にして水利を適切に統制すれば、土地を新たに作ることができます。そのうち一部だけ集中的にマンハッタンやベニスのように開発します。そうすればその地域では川がアーバンインフラになるので、外郭のインフラとつなぎさえすればいいんです。国土をできるだけそのままにして、既存のインフラと自然インフラが組職化できるところだけで高密度に集中的に開発すれば、農村と都市の間に土地を確保しながら都市と農村が共存できるのではないかと思います。

 

 

 

李日栄  お話しのようにするならば、土地市場に環境親和的な廉価の土地を供給できるでしょう。でも、そうだとしても、国内にあふれる流動資金が存在する限り、不動産問題を必ず解決できると考えられるでしょうか?

 

 

 

金錫澈  21世紀の競争力の基盤は創意力と金と市場です。世界で最も大きな市場がすぐそばにありますが、私たちの力量が不動産に群がっていることが問題です。だから私は10年前から黄海都市共同体と東アジア都市事業を提唱しているのです。都市事業の基盤である電子・造船・鉄鋼・建設産業の競争力が最高の国が、史上最大の都市建設市場を目の前にして何もせず、自国内の不動産に没頭しているのは、学者が政界に出入りするのと同様におかしなことです。創造産業や都市産業など、韓半島の跳躍をはたすことに集中するべきです。金と市場がなくてできなかったことを、金と市場があふれる今、できなければ、数百年に一度来るチャンスを逃すのです。

 

首都圏の一部不動産が経済規模に比べて低く評価されているにもかかわらず、首都圏規制、かなりの土地補償費用が不可避な新行政首都・革新都市の推進など、政策バブルを濫発したために不動産バブルが始まったのです。不動産の解決法は住宅需要の3つの要素、つまり家を広げようとする中産層の住宅需要、新婚と老後のための住宅需要、そして無住宅者の住宅需要などを、首都圏・地方圏の既存の宅地や開発可能宅地と連携した不動産マトリックスを土台にしなければなりません。漢江開発で東部二村洞(トンブイーチョンドン)や汝矣島、盤浦(パンポ)や狎鴎亭洞(アックジョンドン)、蠶室(チャムシル)を作りましたが、まだ漢江東部だけが開発されているのです。漢江西部と海岸地帯を開発すれば、今後20年間、首都圏中心部の都市化した土地需要に耐えられますし、地方圏大都市と中小都市の土地は、アーバンインフラと土地を結び付けた新都市で解決できます。

 

 

 
 

韓半島と中国東部海岸、日本列島をつなぐ黄海連合

 

 


 

黄海を天然のインフラにする戦略

 

 
 

 

いろいろな話題で盛り上がってしまい、かなり時間が経ってしまった。インタビューをまとめるためには、金錫澈が独創的に考案した「黄海連合」に関する話を聞かなければならない。残念だがここで話題を変えよう。おおよそ統合や連合は国民経済単位で議論されている。統合の段階は、締約国間だけで貿易障壁を撤廃する自由貿易協定(FTA)、締約国が域外国に対して共同関税を課する関税同盟(customs union)、生産要素の自由な移動を含む共同市場(common market)、会員国間の経済政策の調和と統一を追求する経済同盟(economic union)、会員国間の貨幤・財政および社会政策を統合した最終段階である完全経済統合(complete economic integration)の5つの段階に分けられる。だが金錫澈の「黄海連合」は、これとは全く異なった脈絡で提案されたものである。

 

 

 

李日栄  範囲を少し広げて、黄海共同体の話をして頂こうかと思います。先生がおっしゃった「黄海連合」において、北朝鮮はどのような役割を果たせるでしょうか? 数年前、北朝鮮は新義州特区計画を出しましたが、あの時、川の対岸にある中国の丹東(タントン)が萎縮するために中国がこれを牽制したという噂もありました。ですが2006年に北朝鮮が核実験、ミサイル試験をして、アメリカ・日本の反発はもちろんのこと、韓国・中国もかなり困難な立場に追い込まれました。東北アジアにおいて空間的レベルのネットワーク・協力・連合が進んで拡がるのはそう難しくないと思う人が多くなっています。だから北朝鮮を除いてやろうという話も出てきます。そのようになれば、これまでと同じく韓国は西と北が遮断された島のようになるでしょう。先生がおっしゃる「黄海連合」の概念において北朝鮮がどのような位置にあるのか、お聞かせ頂ければと思います。

 

 

 

金錫澈  「黄海都市共同体」、または「黄海都市連合」という用語の方が適切でしょうか。なぜならEUのような国家連合とは異なる組職方式だからです。中国は国家ではなく「天下」です(笑)。また日本は、私たちと比較できない経済大国です。現在、東北アジアでは国家対国家の形では問題を解決できません。私が黄海連合の話を持ち出すのは、地図を見たらここで何とかなりそうだという程度の考えではありません。たとえばベニスは地中海一帯を組職化してそれを自らの領域としながら、ヨーロッパとイスラムの間を仲介することで大きく栄えたんです。ならば私たちの可能性と潜在力を極大化できる道はどのようなものでしょうか? 私たちを通じてあちらこちらがつながり組職されることです。だから韓半島の可能性と潜在力を前提にした創意的な都市連合を提案しているんです。

 

ですが国家を超越した都市間の経済共同体が果たして可能でしょうか? 私はそれが可能だと思います。もちろん都市連合は放置しておいてできるわけではなく、以前から存在しているわけでもありません。だから創造的な構想と努力が必要です。はじめに私が考えたのは、海を強力なインフラとして活用することですが、海がインフラになるためにはマンモス都市とある程度規模のある都市連合が中心になるしかないということです。まずは大連(ターリェン)一帯、北京(ペイジン)と天津(ティエンジン)一帯、上海(シャンハイ)、そして日本列島の瀬戸内海一帯が、海で私たちの首都圏とつながります。

 

ですが、私たちの可能性と潜在力を極大化するために始めた黄海共同体が、もしかしたら韓半島の不均衡を深めるかもしれません。だから次の段階と考えたのが、西南海岸と連雲港一帯、山東半島とのネットワークを作ることです。また重要なのがエネルギー問題です。ロシアはどうしても南に下らなければならない状況です。エネルギーの軸が東シベリアの方にさらに移っていけば、結局、東海(トンヘ)ラインが重要にならざるを得ません。日本列島と韓半島の関係、また日本列島と中国の東海岸との関係が経済的にかなり重要になると考えたとき、私たちが重要な役割をはたせるのであって、そのような役割の中で北朝鮮とつながっていければ、韓半島の潜在力が大きくなるのではないかと思います。

 

韓半島という新たな人間集合の形を追求してみようということです。仁川とセマングム干拓地の沿岸を組織して中国の東海岸とつなげば、中国の方でも重慶(チョンチン)と北京がつながるよりはるかに生産的ではないでしょうか? 私たちがウラジオストク(Vladivostok)を元山や釜山につなげて、福岡、下関を経て大阪まで行けるようにするラインを作っていけば、それが歴史と地理の創造になるのです。そうすれば南北が互いにどれほど必要か、切実に感じるようになるのではないでしょうか?

 

 

 

李日栄  黄海をインフラとして使うようになれば、中国の東海岸の都市ベルトと韓半島がすぐに交通可能な状況、ネットワーク可能な条件になるとお考えのようです。ですが、そうなれば韓半島西部の陸路でつながる平安道(ピョンアンド)・黄海道(ファンヘド)もベルトの持つ重要性が減少するのではないでしょうか?

 

 

 

金錫澈  海岸の場合はベルトというよりはリンクです。それが内陸でつながります。まず連雲港から青島(チンタオ)まで見れば、現在、韓国が投資を最も多くしています。日本やアメリカよりはるかに多いんです。上海一帯は世界的な経済圏域として成長していますが、仁川とセマングムと西南海岸を組職化して連雲港の方までつなげていけば、それが徐州(スーチョウ)を通じて開封(カイフォン)、洛陽(ルオヤン)、西安(シーアン)を経て烏魯木斉(ウルムチ)に抜けます。それが中国を横断する中国横断鉄道(TCR、Trans China Railway)です。海岸リンクだけではなく大陸を横断するラインに私たちが介入するのです。韓半島の海岸が組職化されて、またそれが中国の内陸に貫通していけるビジョンが私たちにあります。全世界にそのような可能性と潜在力を持っているのは韓半島しかありません。

 

 

 

李日栄  結局、黄海をインフラにして中国の内陸に入れる道が開拓されれば、北朝鮮も早く参加する方がいいでしょうね。

 

 

 

金錫澈  リンクがつながって北朝鮮と私たちがひとつになれば、北朝鮮は私たちが救わなければならない対象ではなく、ものすごいことを可能にしてくれる宝庫になるんです。

 

 
 

 

 列車フェリー構想は現実的か

 

 

 

李日栄  先日、ある大統領候補が列車フェリーに対して言及しました。港とつながった鉄道を通じて貨物や用役を積んだ汽車が船に移動し、また鉄道に乗り換えるというものです。ですが報道によると、朴槿恵(パク・クネ)前ハンナラ党代表が「今すぐ仁川港と煙台(イェンタイ)、大連をつなぐのをはじめとして、平沢(ピョンテク)、釜山、木浦へと拡大できる」と言ったんです。先生の黄海連合構想から見る時、これはどのように評価できるでしょうか? また建設交通部では「どのみち港にまで鉄道を敷かなければならないが、小さな貨物を迅速に運送するには適当な手段ではない。だから青島と仁川の間には航空機と連携できる貨物フェリーを試みる方がいい」と言っています。やはりこれに対してどうお考えですか?
 
 
 
 
 

黄海連合(YU) 概念図



 

金錫澈  それもさきほどの京釜運河のケースに似ていると思います(笑)。内向けのプロジェクトではなく外向けのプロジェクトですね。やはり先にやることがあり、後にやることがあります。韓半島の西海岸も互いにアーバンリンクを形成できません。セマングムに港湾を建設しようとする時にも競争力が落ちるという指摘がありました。木浦港と仁川港も役割分担ができておらず、また光陽(クァンヤン)と釜山も整理ができていません。先にやるべき問題はこれです。次に海岸が川沿いに内陸につながることで組職化される経済圏域が作られるべきですし、その次に中国の東海岸と対になる経済圏域が成立するようにするのです。だから単純な交易だけではなく、ともに生産して市場と工場を共同で持った後に大陸鉄道を利用するんです。李明博氏のような「大運河」ではない「適地適所の小運河」が、川を通じた都市連合を形成した後に、農村と都市の集合を作るべきです。海を渡って中国とつながるのはその次にやるべきだと思います。

 

 

 

李日栄  韓半島の鉄道貨物を連雲港から始まる鉄道でつなぐフェリーが、あえて「列車」フェリーでなければならないという主張が、単に「前後」の問題にとどまるでしょうか? またどうにかして韓半島の西海岸をTCRとつなげるとしても、セマングムが競争力を持つことがあるでしょうか? 海岸リンクを形成するということは、港湾間に連携と役割分担が成立するということでしょうが、その具体的な様相があまりイメージできません。

 

 

 

金錫澈  現在は、私たちが中国に、金も技術も人もかなり送っている状況ですが、中国の力がある線を超えれば、私たちは周辺的な国家になるかもしれません。過密した首都圏がその力を受け止める容器になりうるかを考えなければなりません。列車フェリーは中国の東海岸と韓半島の西海岸の都市連合を前提とする時に、意味のある政策になりますし、単純な港と港ではなく、港と内陸がつながって鉄道で物流させることで、港湾の間をつなぐべきです。現在の主張のように、仁川と大連、釜山と福岡、木浦と連雲港をつなぐことは別に意味がありません。ですが湖南線、全羅線(チョンラソン)の都市産業と物流を益山(イクサン)で集合させて、これを群山とセマングム港を通じて連雲港に行くようにして中国の中部内陸とつなぐ時に、初めて列車フェリー構想が忠清圏と湖南圏の「百年大計」の一環となります。中国の東海岸の連雲港に注目するのは、そこがユーラシア鉄道の出発点だからです。大連と青島は大きな港ではありますが、中国本土のネットワーク上では本流からはずれています。連雲港は鄭州(チェンチョウ)、西安(シーアン)、蘭州(ランチョウ)に通じる、中原をつないでシルクロードにつながる鉄道の始発点です。特に韓半島と中国大陸をつなぐ「列車」フェリーなら、このような点が当然のことながら考慮されるべきでしょう。中国政府でも東部沿岸の改革・開放、西部大開発につづいて、中部の大開発を国家政策の目標として掲げています。しかし中国でも具体化した対策はなく、かけ声にとどまっている現在、韓国が核心的な役割を果たせる計画を提案すれば、本当に「国家之大計」を考える案になるでしょう。

 

 

 

李日栄  もっと多くの話をお聞きしたいのですが、もうかなり時間が経ってしまいました。韓国の社会科学の研究者が解決困難な問題だけを中心にお聞きしました(笑)。普段、いろいろと悩んでいたテーマに対して、全く異なった角度から考えられるようになり、新らしく勉強にもなりました。『創作と批評』の読者らにも多くの知的刺激になるだろうと思います。いつまでもお元気で、より多くのお仕事でますますご活躍下さい。

 

 

 

金錫澈は建築家であると同時に都市設計家である。建築と都市と空間から出発したためだが、社会科学者の常識的な考え方や既存の政策体系とは全く異なった主張や提案が多かった。だから社会科学的な概念で彼の「韓半島プロジェクト」を解説するのは、かなり危険なことになるかもしれない。そのような危険を冒してもこれまでの議論を要約して見るならば、彼の考えの核心は、海岸や国土の中で農村と都市が連携し、またそれらが接している海をインフラにして、国境を越えて他の都市と連携・共存することだと言えるだろう。

 

多くの葛藤を起こした戦時作戦統制権の移管、韓米FTA、国家均衡発展など、大きな国家的イッシューも、もとはと言えば空間の問題と関連している。しかし残念ながら、国民国家レベルの自主国防や均衡発展の議論がかなり稚拙に進められ、国家間の自由貿易協定の議論では多者的な「空間」に対する関心が抜け落ちている。通常の国家間統合や協力とは異なるレベルで、中間段階の統合と協力の経路を具体的に提示する金錫澈の提案は、まだ珍しいケースに属している。

 

近代社会では、自然地理的な制約が消えて、国民国家を単位にした空間が絶対的なもののように考えられてきた。そのうえ私たちの近代は植民地として始まり、分断国家を経て、韓半島という「地理的土台」(geographic referent)の意味を剥奪されている。いまや新たな時代と社会が到来している。国民国家と国民経済が不可分の、排他的な権力と領土を基盤した考えはますます力を失い、新たな権威の中心と新たな経済領域が形成されるに違いない。韓半島とその周辺が時々刻々と相互につながっていく地球的空間の中で、いまや私たちはどのように存在するべきだろうか。私たちに未来があるならば、そのうちの相当の部分は、複合的な新たな「空間」を発明することにあるだろう。だから韓半島の空間戦略に対する苦悩は、今後も長く続かなければならないのである。

 

 

 

訳・渡辺直紀

 

 

 

季刊 創作と批評 2007年 春号(通卷135号)

 

2007年3月1日 発行

 

発行 株式会社 創批

 

ⓒ 創批 2007

 

Changbi Publishers, Inc.

 

513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea