창작과 비평

[文学評論] 『ヨーコ物語』が不愉快な幾つかの理由

 

 

孫鍾業(ソン・ジョンオプ) sju63@chol.com

 

文学評論家、鮮文大教授。著書に『文学の抵抗』『劇場と森』などがある。
 

1

『ヨーコ物語』(原題:Far from the Bamboo Grove)(文学トンネ、2004)が国内外において呼び起こした波紋はかなりのものであった。しかしこの小説に対する我々の関心は依然として単純な民族主義的な憤慨レベルであり、ファシズム的な国家体制、又は戦争状況下での少数者の心の傷と痛みを描いたものに過剰反応を見せているのではないかという反論を招いているだけだ。小説の中の「ヨーコ」を「ディアスポラ(Diaspora)」として読み取ろうとする脱殖民主義的な見解が後者に属する。そのような観点は我々が二分法的な考え方の中で加虐的なものへと変質する可能性や、或いは被害妄想に過ぎないということに気付かせ、そのメカニズムを洞察しようとしているという点においてそれなりの意義がある。

しかしどちらにせよ、最も重要な問題は表面化していない。慣例的な表現で言うと「偏狭的な民族主義」も問題ではあるが、全ての少数的な観点が価値のあるもの、といった空虚な脱殖民主義も問題である。そういった中でこの論争はジャーナリズム的な方法で拡大・再生産されただけである。この小説に対する「精密な読み」はどこにも見られない。その結果として、我々は依然として一つの堅固な二分法に捕らわれたままでいる。このような知的省察の欠乏は最近の我々の社会においての全般的な傾向であろう。精密な読みを伴わない主張は空虚なこだまとして戻ってくるだけである。しかし苦しい状況の下、我々が頼るべきものは主張(doxa)を超え、知ること(epistémé)への努力である。具体的で客観的な論拠を伴った細かい質問と省察が要求されるのである。

我々の論議はテキスト自体へと向かっていなければならない。筆者はこの小説が韓国語に翻訳され、なぜ『ヨーコ物語』という美しいタイトルとなったのかよく分からない。この小説を翻訳した出版社はこの作品が中国では勿論、日本においても翻訳されていないと自慢げに述べているが、そのような事実自体が韓国においては翻訳されるべきであるという反証にはならない。また今まで殆んどの論者が韓国語版『ヨーコ物語』をテキストとしているという点も問題として指摘されるべきであろう。本論文で具体的に触れる事はできないが、翻訳本はその内容と形式において原典とは幾つかの相違点が見られるからである。そのような理由をもって、我々は韓国語版『ヨーコ物語』ではなく、アメリカの青少年たちが直接接したテキストを通してこの小説を分析する必要があると思われる。著者のヨーコ・カワシマ・ワトキンス(Yoko Kawashima Watkins)は、毎年アメリカの学校へ招待され、小説の話を直接学生たちに聞かせているが、この小説が彼らに与えた世界―イメージはどのようなものであろうか。筆者が用いた本文はマックデューガル・リテル(McDougal Littell)出版社にて1986年に出版されたもので、原題は『竹林のかなたから』(So Far from the Bamboo Grove)である。本論文で引用された小説の内容は筆者が直接翻訳したものであることを明らかにしておく。

 

2

この小説には満州国の高官の娘であったヨーコが1945年に韓国から日本へと脱出し、新たな人生を歩むまでの込み入ったいきさつが書かれている。まずは読みやすいという点において『ヨーコ物語』は小説としてはかなりの長所を持っている。適当な長さに明瞭かつ簡潔な文体は読者を圧倒する叙事がうまく描かれている。この小説を読みながら時には涙を流すこともあった。しかし、問題はまさにこのように感動溢れる内容にあるのではないだろうか。何事においても分析されない感動というものは危険でる。それらが内包している波紋は大きく、又独善に陥る可能性があるからである。この小説ではそれがより隠密な形式の中に潜んでいる。12歳の少女という姿で。翻訳本はそのような魅惑に惑わされているのではないだろうか。

詳細は後述するが、この小説は緻密な叙事戦略の結果である。それは12歳の少女から自然に感じられるものではなく、作家による知的操作の産物であるのだ。これは精巧な操り人形を連想させる。小説を読みながら、我々は一人の少女が経験しなければならなかった痛ましい試練に視線を奪われてしまう。しかしその背後に彼女を操っている作家にも少女と同様の純粋さを求めることは出来ないだろう。

従って『ヨーコ物語』をしっかりと読み取るためにはこの小説に現れているものと現れていないもの、語られているものと語られていないもの、これらの全ての選択と排除が具体的にどのようになされているかを見極めなければならない。純粋な感動ではなく、緻密な政治学が要求されるということである。この小説が単に12歳の少女の無邪気さから生まれたものとは考えられない。ある意味での損傷や添削なくして一人の少女の記憶を過去からそのまま呼び起こすことは不可能であろう。だとしたら作家がなぜこのような記憶をこのような方法で過去から呼び起こさなければならなかったのか、我々は問わずにはいられない。

もし『ヨーコ物語』がただのフィクションであったならば、この小説においてどの部分が歴史的事実と一致しているのか問うこと自体無意味なことである。仮に、咸北(ハムブク)淸津(チョンジン)の羅南(ナナム)に竹林が存在しなくても、文学としてそれは十分に自然なことである。小説を読みながら風になびく竹林のこの上もない美しい音が聞こえるかのような錯覚を覚え、また日本へ避難するヨーコの家族を乗せた汽車が彼女の生まれ育った故郷の家を通り過ぎる場面ではその風景がまるで目に見えるように鮮明に感じられた。

 


しかしなぜこの小説においてこのような論争が起きているのか、我々は十分に理解すべきである。それはこの小説が本人の体験を偽りなく描いた小説であるという作家自身の前提から始まっているのである。この小説に関しての多くの論争において作家側からなされた最も効果的な反論は、彼女は当時それらを実際に体験し、また目撃したということ。そして当時彼女は幼い子どもに過ぎなかったということ。小説の内容は想像の産物ではなく、自身が直接体験したことであるが、もしこのような「事実」が意外にも韓国の国民に傷を与えるものであるならば、非常に申し訳ないことであると語っている。これが作家の老獪な回答であるならば、逆にこの小説の中に構築された世界が作為的であることを明らかにし、その裏に隠された意図を探り出すことが切実ではないだろうか。

 


このような意味でならば、あのような北方地域の羅南に果たして竹林が存在していただろうかという問いかけは決して意味のないものではない。まして人民軍の存在作品の中の「人民軍」に関する記述が正確な事実に基づいていないと思われる。原文には“Anti‐Japanese Communist Army”と書かれているが、これを「人民軍」と翻訳しているのは韓国という国をよく知らない無知な作家が作り出した幻想に対して、実際の歴史の中にそれに適した言葉を探そうと努力した結果であろう。西欧の人々がアフリカの原住民を適当に「マサイ(Masai)族」と呼んでいるように、作家は単に自分の家族を取り囲んだ脅威の対象に対してそのようないい加減な名前を付けただけである。従って筆者はこれを「抗日共産軍」とそのまま直訳したいと思う。や当時その地方にアメリカの爆撃があったのか、という問題などはそれなりに深刻な問題であろう。しかし小説の中の細部が歴史的事実と一致していなくても作家としては依然として言い分はあるはずだ。彼女は「私の目にはそう写り、当時私は幼い少女に過ぎなかった」と反論できるだろう。

 


まさにこの瞬間、12歳の少女の視線がある種の隠密なメカニズムの中で作動していることに我々は気付く。それは時には「邪悪な」無邪気さであろう。一つ例を挙げながらこの問題を考えて見たいと思う。小説の中ではヨーコと彼女の家族がなぜ自国の日本ではなく羅南にいるのか如何なる省察もされていない。それは生来のものであるだけだ。従って彼らの存在に陰を落としている帝国主義的暴力性――侵略性――は徹底的に括弧の中に隠れ表面には現れていない。しかし羅南での彼らの暮らしは――主人公ヨーコの父親が731部隊と関連があるかどうかは関係なく――それ自体が一つの原罪の下で生まれたものである。彼らの人生が帝国というベルトコンベヤーの上に乗っているため、彼らは止まっている時でさえ帝国の政略の一部であるしかない。こうした事情にも関わらず、主人公の家族は例外なくこのような矛盾に対して如何なる意識も持っていない存在である。

 


12歳の少女はこのような全ての問題を特有の無邪気さと無知により飛び越えてしまう。このような理由のせだろうか。小説の中でヨーコは12歳の少女ではなく、それよりもかなり幼い少女として扱われており、行動も幼い。少女は「小さな子」(Little One)と呼ばれたり、軍の慰問公演の際には軍人に「お前、まだオムツしてるのか?」などとからかわれたりする。このように幼く純真無垢な少女にはただ恥ずかしさだけが問題となっている。少女は誰がどのような目的で戦争を起こしたのか問わない。少女は戦争の中で自分らが如何なる罪を犯したのか語らない。そのような問題を括弧の中に隠したまま、侵略を通して構築された現実という基盤の上で非常に選択的な方法によって平和を訴えている。ここで戦争は彼らの家族の身体に加えられた暴力としてだけ認知されている。結果的にこれは歴史の歪曲へとつながるだろう。

 

 

3

これらをもう少し広い脈絡から捉える必要がある。多くの日本人が共有している一つの歴史意識、それは敗戦による被害意識によって自らが起こした戦争自体に対する罪意識を消し去ってしまったという事実だ。原爆による二つの都市の絶滅は彼らに歴史に対する反省を不可能にしてしまった。原爆の閃光のせいで彼らはそれ以前の歴史をもはや凝視できなくなった。ある論者によると、戦後日本では戦争に対する責任は専ら一部の軍指導者にだけ転嫁され、個人に対する免罪が行われたという。

 

 

 

このような構図の中で戦争の記憶を呼び起こそうとする日本国内の論議は被害者としての戦争体験という側面を強調する方向へと流れていった。加害者としての体験は糾弾の対象となるか、又はそれらに対して沈黙するしかなかった。東京大空襲をはじめとするアメリカ軍の無差別爆撃に関する話、広島と長崎に投下された原爆とその悲惨な惨禍をめぐる話、若しくは旧満州にて行われたソ連軍の暴行とシベリア抑留者たちの体験話、「死なないでくれ」という言説が広く流布した。その背後に国民一人一人の加害責任をめぐる記憶の想起とこれらを扱った話は抑圧され、「殺さないでくれ」という言説をめぐる記憶は公式的な場でほぼ論議されることはなかった。小森陽一 「文学としての歴史、歴史としての文学」、小森陽一 外 編『国家主義を超えて』、サムイン 1999、36∼37頁。

 

『ヨーコ物語』はこのような国民的記憶と正確に一致する。この小説にも被爆の悲劇性は繊細に描かれている。ヨーコがアメリカ軍の空襲により東京市内が焼け野原となったと知らせた時、母親はひたすら戦争の惨禍が家族にまで及ばないようにと祈る。ラジオを通して彼女は戦況を詳細に把握している。さらに彼女は韓国人が抗日共産軍を創設したという話をヨーコに聞かせる。インターネットではこの抗日共産軍が関東軍ではないかという主張もあるが、作品の中で韓国語を掛け声にしていたという内容からみて確実性に欠ける。これらは徹底的に日本人の視覚から捉えた状況把握であり、戦後日本人に公式化された「想像的」視線に近い。前述の引用文でこう語っている。「被害者としての側面のみを強調しているこのような話は気持ちと感情レベルにおいて反米ナショナリズム及び反共・反ソナショナリズムと結合して事実上国民個人レベルで行われた加害行為に対する論議自体を押さえ込み、従って個人レベルでの加害行為をめぐる責任の所在も曖昧になりざる得なかった。」同書、37頁。

 


彼らが感じる戦争の悲劇はひたすら彼ら自身に残された傷――負傷兵、太平洋戦争の過程にて体験した苦痛、敗戦後の試練――に限られている。ところが、興味深いのは母親の「戦況」要約の後、次のような荒唐無稽な陳述があるという事実である。「韓国人は日本帝国の一部であったが、日本人を憎み、戦争に対して幸せを感じていなかった。」参考にこの部分の原文は以下の通りである。“The Koreans were part of the Japanese empire but they hated the Japanese and were not happy about the war.” 文学トンネ版ではこれを「朝鮮は日本帝国の支配下にあった。だから朝鮮の人々は日本人を憎み、戦争を喜ばなかった。」と翻訳してある。これは翻訳というよりは創作に近いと言えるだろう。細かい部分は殆んど我々の立場に合わせて翻訳してある。しかし不幸にもそれは著者の考えではなく、アメリカの青少年たちが接している内容でもない。 多くの韓国人が憤慨の感を超え、悲しみさえも感じたこの文章は一体誰のものであろうか。母親が少女にそのように語ったのだろうか。或いは12歳の少女自身のものであろうか。或いは日本人の普遍的な認識がそうであったのだろうか。なぜ著者はもう少し成熟した観点をもってこの内容を修正しようとしなかったのだろうか。しかし問題はここに止まらない。

 

 

 

「恐ろしいことだわ。」母親が言った。
そして彼女は主題を変え、戦争から離れた。「明日は病院で公演がある日だわ。夕食の前に練習しておいたら?」

 

「恐ろしいことだわ」という言葉が前の陳述の次に続くことにより、派生する効果は明らかである。それは戦争自体ではなく、日本帝国に属していながらも日本人を憎み、戦争に対して幸せを感じていない韓国人に対しての感情表現として読み取れるだろう。彼らの主観的で都合のいい歴史解釈は他の側面でも見られる。軍部隊内の病院で負傷兵を相手に行う慰問公演であるにもかかわらず、病院での慰問公演を戦争から逃れる(away from war)行為として把握している点だ。ここでヨーコの関心は踊りたくないということにだけ向けられいる。そのようなヨーコに彼女の姉は「彼らは日本のために戦ったの」と叱っている。しかしなぜこのような行為が戦争から逃れることとなるのだろうか。食糧不足の中、おかずのことでただをこねる12歳の少女の台詞からだろうか。

 


ヨーコの目に映った日本軍人のイメージは専ら国家と天皇に対する忠誠心と悲惨な負傷に限られている。戦争の主体としての彼らがどのような戦争を行っているのかは全く語られていない。従って『ヨーコ物語』に平和に対する念願が込められているという主張は虚しい。戦争に対する深い凝視と省察のない平和主義というものが果たして意味があるのだろうか。しかも、その内部に曖昧な二重性が潜んでるとしたらなおさらだ。

 


この小説の中での平和主義は「予科練(海軍飛行予科練習生の略:日帝末期、神風訓練プログラム)」に練習生として志願しようとするヨーコの兄を止める母親からその形骸が読み取れる。「我が祖国は若い兵士を求めております」という兄ヒデヨの言葉に母親は怒りながらこう語る。「東條政府が戦争を始めようと真珠湾を攻撃したのは間違いだわ。あなたたちの父上も日本政府に同意しなかったわ。」そして、夫と息子を失うよりは日本が戦争に負けたほうがましだと語っているが、これが多くの人に平和主義として読まれているようである。しかしこの文章によって我々が確認できる事実は、却って真珠湾空襲以前の悲惨な戦争が彼らには戦争として映っていないという驚くべき事実ではないだろうか。

 


小説の中で重要な役割をはたしている負傷兵のマツムラも決して自分の参加した戦争については語らない。彼は最後まで人間的な姿として描かれている。終戦後、彼は日本へ戻って実家の家業を継ぐ。このような沈黙は作品のあちらこちらで見られる。なぜ一連の共産主義者の青年たちがそれほどしつこくヨーコの家族を探し出そうとしたのかについても明確に語られていない。ただ父親が満州国のために働いからとだけ書かれている。彼が具体的にどのような仕事をしていたのかも明らかにしていない。彼は戰犯ではない。なぜなら彼女の父親であるからだ。小説を読んでいるうちに我々は自然と彼女の父親が戻って来て彼女を困難から救い出すことを祈る。まるで『小公女』を読んでいる時そうであったように。しかし多くの我々の父親たちは彼らによって無理矢理連行され、その戦場から帰ることはできなかった。もし立派な作家ならば、ヨーコは自分の滞在した国に対してもっと成熟した視線を持つように努力するべきであっただろう。しかし小説『ヨーコ物語』は徹底的に日本人少女の「ペルソナ」の中に埋もれた戦争物語に過ぎない。

 


物語は兄の帰還によって巧妙に幕を下ろす。しかし我々はこの小説に書かれていないもう一つの帰還について知っている。あれほど切実に願っていたにも関わらず、作家が父親の帰還を省略したまま小説を終わらせた理由は何であろうか。単に美学的な理由をもってだろうか。若しくは娘は父親の世界を知ることができないからであろうか。恐らくそうではないだろう。彼女が無邪気な夢を見続けるためには父親は戻って来てはいけない存在だったからであろう。そうすることによって彼女は一人の殖民主義者の人生については沈黙したまま、彼女と彼女の家族が如何に苦しい困難を体験したかを語ることができるからである。加害者を被害者へと入れ替えたこの選択と排除の中に執拗ながらも一貫された政治意識が潜んでいることを我々は読み取ることができる。

 

 

4

これに反して、ヨーコの家族が目にする暴力は詳細に描写されている。即ち羅南から釜山(ブサン)に至るまで彼らが受けた苦痛は迫真のものであった。彼らの「疑わしい」移動を中心にこの問題について考えて見よう。彼らが「父親の指示」と「マツムラの忠告」に従って羅南の自宅を発ったのは1945年7月29日のことである。信じられない程の素早い脱出過程の中で彼らは想像を絶する緻密な計画の中で冷静に行動する。彼女の父親は手紙を通して、夏に冬服も持っていくように事前に言っておく。後に感動的な方法により明らかになるが、彼女の母親はこれより半月前に既に風呂敷の中に非常用の内ポケットを作り、かなりの額の現金を隠しておいた。又一人残された息子のためにミシンの上に器を載せて置き、その内側に草書体でメッセージを書いておく狡智を発揮する。

 


このような緻密さと用意周到さには確かに感動的な何かがある。しかしそれと同時に疑わしい面も少なからずある。避難の途中、彼らは執拗な生命力と環境適応力を見せている。彼らが軍人に捕まった時がそうである。突然飛行機が現れ、爆撃が加えられた時、自らを「よく訓練された私たち3人」と表現したように彼らは地面にぴたっとうつ伏せになって命を落とさずにすんだが、その一方で兵士たちはその爆撃で死んでしまう。そこで彼らは死んだ兵士の軍服を脱がして着替えたかと思えば、小さなハサミで自分たちの髪の毛を短く切ったりもする。しかしこのような訓練が一体いつ、如何にして可能であったのか疑わしい。

 

もしかしたら彼らはその年の7月29日に出発したのではないかもしれない。汽車の駅へと向かう彼らが抗日共産軍に追われる場面や、汽車の中で起こった一連の事件が全てそのような印象を与える。汽車の中で、ある避難民の赤ん坊が死ぬと、看護士と衛生兵は母親の懐から赤ん坊を奪い、何のためらいもなく汽車の外へと赤ちゃんを放り投げるが、しばらくしてその赤ん坊の母親も汽車の外へと身を投げる。この事件の悲劇性は涙ぐましいが、時期的に見ると、歴史的状況とは一致しない。一方、作家が事件の起こった時期を早めて記述しているのではないかと思われる他の証拠もある。最近、彼女のインタビューを通して自分が実際に朝日新聞主催の作文大会にて入賞した年が1947年だったと明らかにしているが、これは小説に書かれた時期よりも1年程遅いことが分る。ということは二つの可能性があるということだ。彼女が小説に記述した時期と同じ時期に出発はしたが、フィクション的な暴力――戦後日本の公的な記憶――を挿入したか、或いはもう少し遅く出発したにも関わらず何らかの理由によってその事実を隠しているのであろう。

 


何れにせよ、この小説の多くが小説的欲望によって書かれた架空のものであるという事実を認めるべきである。それにも関わらず作家は体験の産物だと主張している。このように彼女は信頼しがたい12歳の少女のイメージの後ろにさり気無く身を隠す。そして残るものはただ彼女の家族に加えられた受難の連続だけである。

 


彼女は自分が属した国家の恥部を露にしなければならない時は12歳の少女の観点からそれらを単純化したり、括弧の中へと隠してしまう一方で、自らが受けた暴力に関しては総体的な形式での記述を試みている。筆者は当時日本人の避難者に対して如何なる暴力もなかったと言いたいのではない。けれどもそれが作品の中でどう描かれているのかは重要な問題であろう。

 


避難の途中で3人の母娘は自分たちを「犯そうとする」韓国人から逃れるために必死に努力する。それはこの短い小説の中で執拗でさらに漸層的な方法で繰り返し語られている。1) 彼女らを捕らえた兵士の一人が姉のコウを見ながら言う。「今晩の相手に打ってつけだ。」しかし戦闘機の突然の空襲が彼女らを危機から救ってくれる。それ以後、彼女らは髪の毛を剃り、男装をすることになる。2)彼女らがソウル駅で兄のヒデヨを待っていたある日、姉のコウがやってきて話す。「私たちソウルから出ましょう。韓国の男性たちが女の子を林の中に無理矢理連れ込んで行くのを見たの。それにある男性が幼い子を犯すのも見たわ。女の子たちは日本語で助けてと叫んでいたわ。私の髪の毛をもう一度切ってくれる?」このように不安感は徐々に大きくなっていく。3) 釜山駅のトイレでも彼女らは似たような体験をする。「しばらくしてから助けてという彼女の叫び声がした。振り返ると彼女は私たちの列の一番後ろで4人の男性に捕まえられていた。私たちが出来ることは何もなかった。」 4) その日以来彼女らは立ったまま用を済ました。その度に服が濡れてしまったが安全だったと語っている。そして次のような事件が続く。「その日は悪夢のようだった。解放を祝いながら酔っ払った韓国人たちが私たちを取り囲んだ。一人の男性がコウに聞いた。「お前、男か女か?」「男です。」姉が答えた。「女みたいな声だぞ。確かめてもいいか?」「勝手にしてください。」誰かがやってきて私たちを助けてくれるようにどんなに願ったか分らない。誰も幼い女の子を助けようとはしなかった。それが韓国人をもっと怒らせて収容所や人々に火をつけるかもしれないと恐れていたからだ。その頃韓国人たちは日本帝国から自由の身であった。酒に酔っ払った男性が彼の大きな手をコウの胸の中に入れてきた。「ペチャンコだな。」彼が言った。「男なんてつまらない。」男性は私たちのところから去っていったが、人々の中をフラフラ歩きながら、自分たちの快楽のために女性たちを獲物にした。彼らは誰構わず女性を見つけると外へと無理矢理連れ出していった。女性たちの悲鳴がこだました。母親とコウはその晩一睡もできなかった。」5) そしてそのすぐ後にヨーコは草むらの中で犯される少女をまた目撃する。

 


帝国主義によって組織的に遂行されようが、そこから開放された民衆によって行われようが、このような行為が決して正当化されてはならないのは当然である。小説を読みながら我々はこの母娘が無事であることを心から祈るようになる。しかしそうすればそうするほど、韓半島(=朝鮮半島)は恐ろしい悪夢の空間として転落してしまう。それ程これらの事件は偶発的な現実として思われないほど巧妙に構成された小説的構造を持っている。さらにこの小説はそのような悪が何らかの制約もなく解き放された理由が日本の敗戦により韓国が解放されたからであることを暗示している。小説の中の12歳の少女の観点はこのように都合のよいものである。いくら客観的であろうとしても、彼女は決して客観性を持ち得ない。その視線は決して事実のありのままを記述したものでなく、敗戦後、日本国民が持つ被害言説を精巧化しているだけである。韓国人の助けによって命を救われたという点において一部の論者が前述の陳述と相反する肯定的な例として挙げている兄ヒデヨの体験談も例外ではない。抗日共産軍は避難民の日本人を殺し、金歯までも抜き取り、そのように略奪した物をお互いに奪い合って殺しあうという貪欲な存在として描かれている。このような暴力性はまた違った意味を含んでいる。暴力の主体が例外なく共産主義者であるという点である。 ここから一つの公式が成り立つ。共産主義者は暴力的で危険であり、共産主義者でない韓国人は日本人に好意的である。これらは彼らが誰と戦ったのかすら知らない無知の結果でしかない。

 

 

5

今我々の目には『ヨーコ物語』が12歳の日本の少女を主人公とした、偏見に溢れた自伝的な体験と虚構的な想像を巧妙に混ぜ合わせた小説であることが明らかに読み取れる。『アンネの日記』とこの小説の違いは明白である。即ち、『ヨーコ物語』は致命的に真実性が損なわれているのである。ヨーコはいつも被害者としての論理だけを語っている。そうすることにより彼女は加害者として彼らの人生が置かれた場所から目を背けている。彼女はなぜ自分の竹林の家が豆滿江(ドゥマンガン)の近くに位置していたのか、真剣に問いかけない。ひたすら「もう一度ここに戻って来られるだろうか。」と問いかけるだけだ。恐ろしい韓国から脱出しながらも彼らは家宝として代々受け継がれた「短刀」をコウの足に巻きつけた包帯の中にこっそりと隠し脱出を図る。些細な事のように思われるかもしれないが、このような場面は世間を見つめる彼らの観点が如何に主観的であるかを物語っている象徴的な場面であろう。敢えて、ルース・ベネディクト(R. Benedict)の『菊と刀』を引用しなくても、「刀」が日本人に意味するところは明瞭である。ヨーコの家族があれ程の困難に陥った理由もまさにこの「刀」のせいではなかったのか。それにもかかわらず「刀」を諦めることが出来ないほど、 加害者の視界から離れることができないでいる。そのような意味からも戦後の日本に対しての幾つかの不愉快な場面のためにこの小説が日本で出版されなかったという事実に筆者は驚きを超えた不安さえも感じる。

 


このような問題を省いたとしても、何よりも明らかなのは小説『ヨーコ物語』がアメリカの中学の教科書として採択されたという事実の持つ不当性である。アメリカでは書籍の終わりにへミングウェイ(Hemingway)をはじめとする幾つかの記念碑的な戦争文学を紹介した後、これらと『ヨーコ物語』を結び付けて討論問題を投げかけているが、このように小説『ヨーコ物語』は単に一冊の小説ではなく、アメリカの青少年たちに停戦の権威を持った小説として、一つの想像的な歴史を刻み付けることになる。なぜアメリカがこの小説を選択したのかについては『ヨーコ物語』が持っている一連のコードの中で一層深く探り出さなければならないだろう。しかし何よりもまずこの小説は太平洋戦争に対してアメリカがどのような見方をしているのかを思い起こしてくれる。なぜこの小説が彼らに問題を投げかけているのか、他の韓国の小説、例えば、許俊(ホ・ジュン)の「残燈」(1945)のような作品がなぜ『ヨーコ物語』の代わりになれなかったのかを逆説的に物語っている。即ち、この小説は彼らが関与した戦争のイメージを描いているのだ。真珠湾以降の太平洋戦争がそうであり、日本の二つの都市に彼らが投下した原爆がそうである。共産主義に対する敵意もまたそうである。

 


アメリカ人も日本人もその閃光に目が眩んでしまった。そこに韓国という国家が存在するだろうか。あいにくそうではないようだ。太平洋戦争に対するアメリカ人の心の中に韓国はまるで余白と同じである。彼らは日本帝国との戦争を行っただけである。そして歴史上、初の原子力爆弾を投下した。その戦争の終わりは共産主義との戦争の始まりであった。小説『ヨーコ物語』はこうしてアメリカ人の想像する太平洋戦争を具体化している。

 


両帝国が遣り取りしたこのような想像の取引きに対して我々は単に悲しんだり、憤慨したりしていてはいけない。彼ら自らは決して表に出さないもう一つの戦争について我々は記憶しなければならない。近代の始まりに韓国は周囲の強大国によって踏みにじられ、ついには国土が分断されるという悲劇を経験した。今も依然として周囲の帝国的視線には入っていない悲しい戦争があった。さらに悲しい現実は我々自らがそのような過去に対する解析学的な闘争が既に完了したと信じているという事実である。趙廷來(ジョ・ジョンレ)、黄晳暎(ファン・ソクヨン)、 朴婉緖(パク・ワンソ)、多少違った方法ではあるが、金英夏(キム・ヨンハ)や柳美里(ユ・ミリ)のような作家を除くと、我々の文学は既にあの時期から離れ、想像の中陰界を彷徨っている。小説『ヨーコ物語』に対する批判は二つの帝国的視線が見落としているもう一つの戦争を浮き彫りにしてくれる。勿論、そのために一層説得力、且つ意義のある文学的言説を生産するために我々自らが努力しなければならないだろう。戦争はもう遠い昔に終わったが、その戦争に対する解析学的戦争は依然として続いている。

 


最後に、この小説に関する論議の中で多くのマスコミを通して、少なからず論客が見せてくれた「あまりにも人間的な」寛大さについて一言述べたい。彼らはもうこれ以上硬直した民族主義を超えなければならないと主張する。最もな意見である。「全ての日本人は悪である」という考え方には確かに問題がある。全ての韓国人が善人でないことも確かである。しかしこれを根拠に彼らは余りにも容易く日本人も被害者に過ぎないと主張する。ある論者が「私は『ヨーコ物語』に韓国人が憤慨するだけで、痛みを感じない現実が悲しい。」と語っていたが、キム・ハクイ「ヨーコ物語の波紋」、『教授新聞』2007年3月13日。 彼はある意味では正しく、ある意味では間違っている。正しいというのは『ヨーコ物語』に書かれた話とこれに対する韓国人の憤慨する方法が全て国家の「公的記憶」を動員しており、全体と離れた、ある個人の痛みに対する省察がないという指摘である。そして間違っている点はその個人の痛みもまた全体に対する洞察を離れて存在することが出来ないという事実を忘却している点である。

 


『ヨーコ物語』は果たして真実を直視しているのだろうか。普遍的な価値を追求しているのだろうか。或いは日本の内部と、さらには部分的にアメリカと結託しているのだろうか。帝国の内部にも勿論その裏で苦しんでいる人々が存在するであろう。しかしそのような被害者の声を代返するためであるなら、ヨーコには帝国自体のメカニズムを告発し、生来的に刻まれた自身の存在自体を否定することがまず要求されるだろう。しかし小説の中で一度もアジアを対象として彼女の祖国が犯した侵略の歴史に対しての反対はなされていない。ひたすら彼女はその全ての構造から離れ12歳の少女が如何に困難に立ち向かい戦ったのかを語っているだけである。恐らく日本が太平洋戦争を始めなければ、若しくは敗戦しなければ、ヨーコの家族は団欒で幸せな生活を過ごしたことであろう。しかし我々が彼らの不運に涙を流さなければならないのだろうか。昨今の我々の知性界を支配している新自由主義的や脱殖民主義的観点は時に問題の核心を見逃したまま、構造を捨てたまま、明確に示さず遠まわしに言う場合がある。実際に『ヨーコ物語』を読んでみたが、特に問題となるようなところはなかった、といった言い方は望ましくない。何を読み取ったのか、詳細に表現し判断を求めなければならない問題である。

 

 

 

 

 


訳・申銀児

 

季刊 創作と批評 2007年 夏号(通卷136号)
2007年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2007
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea