창작과 비평

[インタビュー] 韓国社会、市場万能主義の罠にかかる

挑戦インタビュー

 

 

 

李廷雨(イ・ジョンウ) 慶北大 経済通商学部教授、経済学。前大統領自問政策企画委員会委員長。著書に『所得分配論』、『ヘンリ ジョージ(Henry George) 100年ぶりの再会』、『開発独裁と朴正煕時代』(共著) などがある。

崔兌旭(チェ・テウク) eacommunity@hallym.ac.kr

翰林国際大学院大学校教授、政治学。著書に『世界化時代の国内政治と国際政治経済』、『韓国型開放戦略』(編著) などがある。

李廷雨慶北大教授にインタビューをすることにしておきながら、実際にその日が近付くとかなり心が落ち着かなくなっていった。彼が参与政府(=盧武鉉政府)の初代青瓦台政策室長を経て、大統領諮問政策企画委員長を勤めた大物だからというわけではなく、大韓民国政府の中心的なブレーン役を引き受けたくらいに秀でた知力をもった大御所学者だからというわけでもなかった。

ただ、彼の清潔で謙虚な人柄を平素から尊敬してきただけに、その彼を相手に「挑戦インタビュー」をすることが決まり悪い感じがするからだった。挑戦インタビューだということは、ある程度挑戦的あるいは挑発的性格が期待されるのではないだろうか。むしろそもそも彼と見知らぬ仲だったらよかったという気がした。実際、知りたいし訊きたいことも多かった。しかし、そのかなりの部分が彼にとっては非常に敏感な質問でありうるし、もしそうならば、彼にそのような大きな負担を与えるのも怖かった。

ともあれ、とうとう挑戦インタビューは始まった。韓米FTA 交渉を妥結した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府に対する彼の批判は客観的で鋭かった。それは驚くほどだった。官僚制と権力構造など政治改革に対する態度も断固としていた。明快だという感じがした。代案としての社会民主主義に対する評価と展望は、分析的かつ力強かった。我々の社会の未来に対して、はっきりとしたビジョンを持っていると思われた。彼はどんな質問に対してもためらうことがなかった。最初から最後まではっきりとしており、誠実だった。わざわざ「挑戦」や「挑発」をする必要もなかった。自らすべてを語ってくれた。

崔兌旭  青瓦台にいらっしゃった後に学校にお戻りになってから2年が過ぎましたね? 教授に在職した方々が高位公職者生活をしてから学校に戻ると寂しさを感じるという方もいますし、息苦しさを感じる方もいるようです。また、例外的ですが、ある方々はよく適応なさる(笑)。先生はいかがですか?

李廷雨  私は学校にだけいた人間だからそうなのか、むしろはるかに気楽で楽しく、水を得た魚のような感じですよ。引継委 (=大統領職引継ぎ委員会)で働いていた時、勤務を終えて夜10時頃に宿舎に歩いて行くのですが、自然に口ずさむ歌が「私の故郷に私を送って」という曲でした。ようやく故郷に帰ってきたのです(笑)。後になって知ったのですが、尹東柱(ユン・ドンジュ)が日本の京都にある同志社大学に留学していたときの愛唱曲が「私の故郷に私を送って」だったんですよ(笑)。

崔兌旭  我が国には教授生活をしてから高位公職を経験した方々がそんなに多くはないでしょう? 先生はそのことについてどう思いますか?

李廷雨  私はよかったと思っています。いつも本だけを見ていましたが、現実の政策に接してみると理論と異なる点も多く、それを通じてたくさんのことを学びました。学校に戻ってきて教えるのにも役に立ちますね。だから学者たちが政府と学校を行き来するのはいいと思います。そのようにしている国がアメリカですよね。日本やヨーロッパでは珍しいようです。実際、朝鮮時代もそのようなアメリカ式のやり方でした。士大夫というのが何かご存知ですか? 「士」を経てから政府に入って行くと「大夫」になり、また在野に出れば「士」になるんですよ。ある士はそのように何十回も行き来したといいますが、そんなモデルがいいと思います。

 

学校にいる時にはよくわかりませんでした。多くの人々が考えているように、学者が入って行ってきちんとやり遂げられるのか、机にかじりついていた奴が市場に行ってやり抜けるのかということをたくさん聞きました。ところが実際にやってみると、学者が入っていき、大きな方向を示してやる必要があります。それが解放後から今まであまりにできていなかったんですよ。小さなことは失敗するかもしれないけれど、大きな方向を捉えることには学者が必ず必要だと思います。
 

 

 

韓米FTAは参与政府の自己否定

 
崔兌旭  はい、そうですね。では、本格的な質問にはいりましょう。まず韓米FTA 問題ですが、結局、交渉は妥結されました。もちろん政府の方では自画自賛していますが、問題意識をもった人々が見るところではそうでもありません。得たものもそんなにないのに、あげたものが多すぎる、そして私たちがもらったものの中には、致命的な毒素条項がかなり含まれているといった憂慮があります。韓米FTA 交渉が開始されたのは、先生が学校に復職なさって数ヶ月後のことです。交渉初期に大統領を直接訪ね、愼重論を進言したと聞いています。中心的ブレーンとして政策決定過程で大きな役割を果たしつつ、退いた後になってこのような大変な事が起こったことについて問題提起をなされたのでしょう? 特別な思いがありそうですが。
 
李廷雨  政府で2年半も働いていたので、できることなら政府のやることに対しては協調すべきでしょうし、また、沈黙を守るのが常識でしょう。しかし、韓米FTA の場合、私はとても深刻で重大な問題だと思い、〔大統領に〕お会いして愼重になるべきだと申し上げました。数ヶ月後に民教協(=民主化のための全国教授協議会)で教授たちが反対声明を発表したのですが、私も名前を連ねました。ところが、それが意外に大きな波紋を広げました。ある保守言論では、それを指して「背いた、裏切りだ」というように表現し、利用することもありました。ところが昔、我々の「士」たちは、内にいる時でも外にいる時でも、常に国事が間違った時には批判します。それが士の役目です。
 
私は、韓米FTAは他のFTAとは違うと思います。他の国とのFTAは比較的被害が小さい。そして長所や実益がかなり大きいですね。しかし、アメリカとのFTAは性格が根本的に異なります。十分な準備なしに、そしてロードマップでも中長期的に推進するとしていたものを、急に繰り上げてあのように速度を上げたのを見て、私は相当心配しました。それで反対声明に名前を連ねることになったんです。
 
今、わずか1年のあいだに妥結まで行ったのです。とんでもない速さですよ。たとえば韓日FTAやシンガポールとのFTAの前例を見ても、これはスピートの出しすぎです。アメリカのTPA(貿易促進権限)の時刻表に合わせるためだといわれていますが、そのように速度を出す事ではないと思います。ある詩人の表現に「速度は魂をだめにする」というのがありますが、私たちがあらゆる事に速度を出しすぎたために、後になって後悔する事がたくさん生じています。今は、甚だしくは盧武鉉バッシングを4年間に渡って行ってきた保守言論までが先頭に立ってほめたたえていますが、これもおそらく長続きしないでしょう。そしてあちこちで問題が起こることで、国民も本質を理解するようになるはずです。

 

私は 参与政府を今までずっと擁護してきたし、今なお愛情を持っています。成功してほしいという考えです。しかし、韓米FTAは方向を大きく誤ったものだし、実際、参与政府が今まで4年間やってきた方向を根本的に、反対に旋回させるという、自己否定をしたのではないかとさえ考えています。
 
 
崔兌旭  アメリカとFTAを締結することが、他の国とのFTAとは根本的に違うとおっしゃいましたね。その中で特にどのような副作用を心配していますか?

李廷雨  韓米FTAは高レベルの統合です。たとえば関税撤廃とか貿易次元にのみ限るのではなくて、他の制度や政策、法律まで国内の多くの制度の修正を要求します。いわば深層統合を要求するとういことですが、それがアメリカのいわゆる「競争的自由化(competitive liberalization)」の核心です。このような過度な要求に対して私たちが同意してFTAを結ぶということですが、それは我が国の国民経済の基本枠組みをアメリカ式にしていく、アメリカ化するということです。ところが、果たしてアメリカ経済が望ましいモデルかといえば、全くそうではないですよね。多くの短所があり、アメリカモデルより良いモデルがいくらでもあるのに、どうして私たちが問題の多いアメリカモデルに同意するのか、ということです。そして、一度そっちの方に行けば、引き返すことはできないのです。国家の運命をこのように他の国との条約を通じて決めてもいいのでしょうか? 私は根本的に懐疑的です。ある点では私たちの憲法と衝突するかも知れません。特に、経済体制に関するいくつかの条項の中には、市場経済モデルを採りながらも社会的市場経済の哲学を受け入れる内容がありますが、そういったものなどと根本的に衝突することになる素地があります。

それゆえ、ある産業の被害や利得、例えば農業、製薬業の被害、自動車や纎維の利得レベルをはるかに越えているのです。根本的な我が国の未来体制を決めるものなのに、果たしてこの道が正しいのか、ということですよ。むしろ今より右旋回する道に進んでいくようなものですが、私の見解では、我が国は今よりずっと左旋回する道のほうが正しい。左旋回とは、北欧型モデルを念頭に置いていう言葉です。今まで人類はあらゆる市場経済の実験を経験してきました。その実験の中から、これまで最も優秀だと判明したのが、私の考えだと北欧モデルです。韓国で今すぐ行うのは難しいでしょう。しかし、そっちの方に進まねばならないし、その道が遠い将来の私たちの理想でしょうが、その道から遠ざかったのです。韓米FTAはその道とは反対の道へと進もうとするものです。それが私にとってはもっとも痛い点です。一言で「夢は消え……」です。進歩の夢をあきらめ、とても殺伐とした、非人間的なアメリカモデルのほうに我が国の運命を決めようということです。
 
 

 

アメリカ化が私たちの生きる道か

 

崔兌旭  アメリカ式FTAは、おっしゃられたように単純に交易を自由化しようという程度のものではなく、相手国の制度、政策、はなはだしくは慣行までも修正することを要求しますが、これは結局、長期的には私たちの経済体制のアメリカ化、したがって私たちの社会体制のアメリカ化に行きつくだろうという憂慮があるというお話ですね? ところがこれを推進する人々は「まさにそれが私たちの生きる道だ」と主張するじゃないですか。通商交渉本部や財経部(=財政経済部) の高位官僚たちの相当数がそのような確信に満ちているようですね。たとえば、私たちはこれ以上日本式や他のやり方ではなく、アメリカ式にいくべきだ、それが民族の未来の力量を極大化できる道だ、このように主張しています。私たちが外から見ても、参与政府の初期には、お話されたとおり、北欧型モデルがたくさん研究され、学界でも、全部ではなくてもかなり多くの学者が、実際にそれが最も優れた代案だというところに同意していたと思います。ところが韓米FTAによって北欧型ではなくアメリカ型に進むことになると、参与政府内にあったアメリカ型モデルと北欧型モデルの葛藤と対立において、結局、アメリカ型モデルが勝利したのだと解釈してもよいのでしょうか? そして、もしそうなら、勝利の要因はどこにあると思いますか?(笑)

李廷雨  そのように解釈できるのかよくわかりません(笑)。私は参与政府の初期に働いていたので、前半期の参与政府内の雰囲気は知っています。学者と官僚の間に、そういった考えの違いは確かにありました。学者たちは若干進歩的·理想的で、官僚たちは若干保守的·市場志向的で……。もちろん、すべてがそうなのではなくて、私が会った一部の官僚はとても改革的でした。問題は、その数がとても少ないということです。アメリカで訓練された官僚が多いでしょう。通商や経済部署に特に多いです。その人たちは非常に有能ですが、アメリカで訓練されたためにアメリカ式の主流経済学に深く嵌まっています。アメリカ式市場モデルは、実現可能な全体市場経済モデルの中でも一部にすぎず、必ずや正しいというものでもなく、非常に問題点の多いモデルです。ところがアメリカの大学で教える経済学の教材は、市場主義が理想的であるかのように、とても緻密な論理で、きらびやかな論理で人々の魂を抜きとります。そこで訓練された経済·通商官僚たちはそれに夢中になりがちです。だからといって、私はそのモデルの長所を否認しはしません。革新力量や、成長、雇用、働き口の創出、こういったものはアメリカ経済の長所です。しかし暗い影があまりにも濃いがゆえに、私たちが簡単に採れるようなモデルではありません。ところが官僚たちはアメリカで訓練され、それにとても惚れ込んで帰ってくるようです。

以前はそうではありませんでした。過去の韓国発展モデル、朴正煕式の官治経済下では市場主義のほうがむしろ異端でした。たとえば金在益(キム・ジェイク)経済首席が初めて市場原理を主張した時には異端だと追われて、官界で全く認められずに「公共の敵」のようになったと言われています。ところが、20年を経た現在はこれと正反対で、市場主義が幅を利かせて別の声を出すことがむしろ異端になるという構図です。

参与政府前半期には学者と官僚の二つの哲学がそれなりに均衡を取りながら、どちらか一方が優位を占めることもなく建設的な競争をしたのではないか思います。そういう状態が持続するべきなのに、後半期に入ってからは急速に学者たちが退潮して官僚たちが力を得ながら、市場主義が再び確固たる優位を占めたという気がします。

崔兌旭  韓国の経済体制がアメリカ化されるという際に、一般市民がもっとも心配することのうちの一つが両極化〔格差社会〕です。韓米FTAによって、少なくとも中短期的には私たちの社会の両極化が深まるのではないかという市民社会の批判に対して、当初は、政府もその可能性があるが結局は克服していけると、多少注意深く応じました。ところが最近はより攻勢的に、むしろ韓米FTAを通じて両極化が解消されうるという話をしていますね。この点をどのようにお考えですか?

李廷雨  そうですね。大統領もそんな発言をしていましたね。「農業と製薬業は確かに被害を受けるが、それを除けば被害を受けるのはどの分野なのか? それに両極化がひどくなるというが、その根拠は何か? それについて誰も言えていない」と、テレビを通じて聞きました。両極化されるのはある特定分野、たとえば農業、製薬業分野の被害が大きいので、そこには生じるかもしれませんね。それよりむしろ重要なのが、アメリカの体制がもつ性格です。アメリカ式経済体制の特徴は、革新速度が速く、R&Dがすぐれており、経済成長が比較的きちんとしているほうだという点です。北欧に比べてはそうでもありませんが、フランス、イタリア、ドイツといったヨーロッパ諸国に比べると高いです。とりわけ働き口をたくさん創出するので、アメリカのニックネームは「the great job machine」です。働き口をつくる機械ということですね。しかし別の側面から見れば、所得分配がOECD国家の中でももっとも悪い方に属しているし、高所得国家だけれども貧困層が15%前後にもなります。そして、社会保険、社会安全網がきちんとしておらず、ホームレスの人々が路上のベンチに横になっている殺伐とした風景が見られます。それに、最近バージニア工科大の銃撃事件もありましたが、犯罪がとても多い国ですよ。アメリカ成人男性労動力のうち100万人が今、監獄に入っています。アメリカは失業率が比較的低い方ですが、監獄にいる100万人の成人男性を思えば、決して低くはないと指摘をする人もいます。社会連帯が脆弱で、砂屑みたいな国がアメリカです。ひとことでいえば、人間が住むに値する素晴らしい理想郷とはほど遠い。両極化が最もひどい体制がアメリカ式市場体制です。

これからは私たちがそれを強要されるでしょうが、韓米FTAを締結した後には、関税や貿易次元の問題ではなく、制度、政策、全てがアメリカ式に進みます。特に危ないのが投資者―国家提訴権です。これが毒蛇の牙のように前にぴったり張りついているのです。「そんなの何件にも満たないんじゃないか?」と話す官僚たちを見ました。件数では数十件に過ぎませんね。しかし重要なのは、その毒蛇が張りついているという事実です。それが睨んでいるからこそ、こちらは身動き取れません。毒蛇にかまれないために、あらかじめ気を付けて目の色を伺う「萎縮効果(chilling effect)」が生じるのです。つまり、今までは自由に政策、制度を作って私たちだけで討論して決めることができましたが、これからはそうできないのです。制度ひとつ変える時も、アメリカにご機嫌を伺うようになります。そうやって、どんどんアメリカ式モデルに進むことになるのです。それが一番もどかしいことで、韓米FTAの致命的な問題点です。大統領は両極化がどこから来るのか、もどかしいといっていますが、両極化はアメリカ式モデルから生まれてくるのです。

アメリカは去る30年間で両極化が深刻になりました。1970年代末から「グレートUターン(Great U‐Turn)」といわれる貧富格差が起こり始めて、30年間とどまることがなかった。多くの政策的努力にもかかわらず、ますます不平等が深化して貧困が解消されていないのに、その体質に私たちが近づいていくのであれば、今後、両極化問題をどのようにするか、ということですよ。それこそまさに、韓米FTAが我が国の両極化を深化させる根本的な理由です。それは産業の問題を越えた次元です。

 

 

本当に度胸のある大統領なら……

 

崔兌旭  韓悳洙(ハン・ドクス) 総理が韓米FTA締結支援委員長だった時、あるシンポジウムで会ったのですが、会議後にこんな話をしていました。国内被害に関しては参与政府の 「ビジョン2030」のようなものがある、と。先生も青瓦台にいらっしゃった時、同伴成長政策のために非常に努力をされましたね。両極化を解消しつつ成長と分配をともになしていくことができるということでした。ところが同伴成長がなされるためには、いわゆる「トリクルダウン効果(trickle‐down effect)」〔経済の染み出し効果〕を保障してくれる機制や制度が必要ではないでしょうか? 例えば開放による追加利得が特定部門に生ずる場合、これをその他の部門に「流れていくように」してくれる装置や構造が必要だということです。我が国にも、大企業がもっと儲ければ中小企業も便乗してもっと儲けるようになり、交易部門が大きくなれば非交易部門もそれだけ発展できるようになる構造、そして何より所得再分配効果がはっきりと確実に起きる租税政策や福祉政策などが確立されなければならないでしょう。韓悳洙総理や政府で韓米FTAを推進する人々は、「ビジョン2030」などを通じて、このようなトリクルダウン効果を、韓米FTA発効以後にも作って行くことができないだろうかと考えているようです。その人たちの言う通り、韓米FTA 時代にも依然として同伴成長は可能なのでしょうか?

李廷雨 「ビジョン2030」は良い計画です。前にはなかった、我が政府としてはとても画期的な計画だと思います。高く評価するに値します。問題は実現可能性が低いという点で、財源をどこから用意するかという問題が未解決のままです。実際、この計画自体、非常に最小限のものです。西欧式福祉国家の観点から見れば、あまりに最小限なので、それで大丈夫なのかと思われますが、国内では保守派たちが反対し続けており、押さえ込んでいるので、実現が難しく思われるのです。このような現状で、韓米FTAという巨大な津波が押しよせるんですよ。この津波に対する防波堤としては、私たちの社会安全網がまだかなり不足しています。アメリカも先進国の中では社会安全網が不足した国で、実際のところ多くのFTAを結ぶ資格に欠けた国です。社会安全網なしにFTAを結ぶのは危険なことです。アメリカでさえそうなのに、韓国は言うまでもありません。手抜きの防波堤で巨大な津波と向き合って、無条件開放しようというのは正しくありません。開放は、大概において正しい方向ですが万能ではありません。対象、速度、程度を調節しなければならないのです。韓米FTA 反対を鎖国論によって主張することは正しくありません。

崔兌旭  先生は、核心なのは財源準備で、その解決策がまだ用意できていないとおっしゃられましたね? それに関して私は盧武鉉大統領に対して、本当にもどかしいと感じる点があります。大統領が先日、「韓米FTAは必ずや必要だが、政治的に大きな負担になりうるものだ。おそらく、私でなければこのようなことをする大統領は今後ともいないだろう。だから私がするのだ」というような発言をした事があります。その言葉を聞いて「あのように考えのある大統領なら韓米FTAではなく租税改革を確実にやったらいいのに」という気がしましたね。財源用意の核心である租税改革こそ、誰からも悪口を言われる事なのだから、これまでの政府が皆躊躇してきたのではありませんか? 現政権も増税の必要性を感じた時、わずかながら実施したのが間接税の引き上げでした。タバコ税と焼酒税の引き上げといった措置を見ながら、本当にじれったい思いをしたんです。大統領が韓米FTAに初めて言及した2006年の新年演説を聞いた時も、実際、全般的には租税改革の話が出そうな雰囲気でした。ところが結局のところ、無茶なことに韓米FTA 締結の必要性で終始していました。
 
李廷雨  「ビジョン2030」が出たことで2005年下半期には増税論争が起こります。増税か減税か……、増税で打って出るつもりなのか?と。それは悪口を言われるでしょう。税金好きな国民なんていないのですから、人気は落ちるでしょうが、国の将来のためにはそういう決断を下す必要があると思います。ところが、増税話はそのまま消えてしまい、急に韓米FTAに行ってしまいました。

 

 崔兌旭  それが一番じれったい部分です。
 
 

 

非関税障壁が支える自由貿易協定?

 

李廷雨  はい。だから今、韓米FTA の妥結を横目に、先ほど私が根本的な問題点を話したんです。具体的に内容を見ながらいろいろと話すこともできますが、それでもその程度にでも抑えることができたというなら、その功労の相当部分は韓米FTAに反対した人々のものだと思います。直接交渉をした人々の苦労ももちろん認めますが、外から多くの専門家が反対して問題点を指摘していなかったら、あれにとどまらなかったと思います。

その次に、もう一つの問題は、関税が撤廃されるといわれていますが、それよりも重要なことが多々あるのに、今は表面化していませんね。農業だ、自動車だ、纎維だといいながら関税障壁の話がされていますが、それより重要なのが非関税障壁です。ご存知の通り、貿易障壁には二つのものがあります。関税障壁と非関税障壁です。比率から見ると、関税障壁と非関税障壁がほぼ半々です。日本のような国だと、非関税障壁のほうがむしろ高いですね。ところが韓米FTAを見ると、関税は低めることで合意されましたが、非関税障壁についてはアメリカが低めていないのです。代表的なのが貿易救済、いわゆるアンチダンピング関税、そして相計関税、セーフガード、これらのものです。これが手つかずのままでした。これが実際に問題だらけで、アメリカの利己主義が貫徹されている不合理の温床だといってもよいでしょう。

アメリカはあらゆるところに横車を押し付けて他の国の輸出を妨害します。言葉では自由貿易を叫びながらも、その背後で本当は保護貿易の巨大な温床を用意しているのです。それに対して手がつける事ができなかったし、やっとのことで貿易救済協力委員会を作るというくらいです。わずかに表皮を掻いただけなのに、そうしてあの凄まじい、数十、数百パーセントの関税をかける相計関税、アンチダンピング、あんなのにどうやったら打ち勝っていけますか? それをまた、ある人々は「何件にもならないだろう、1年に数十件くらいじゃないのか?」といいますが、もちろん貿易総体の金額からすれば1%にもなりません。しかし問題は、それを見てこちら側が怖気づいて、やはり萎縮効果が発生することです。私の覚えでは、アメリカはカナダともそのような委員会を作りましたよね。ところがそこで決定されたにもかかわらず、アメリカはそれを無視して聞かない国です。その点で、非常に傲慢です。常に市場を語り自由貿易を騒ぎ立てますが、その背後では無茶なことをする国がアメリカです。その本質をよく見るべきです。

そして、纎維もそうです。最も得する分野が纎維、自動車ですよ。纎維も原産地規定が問題です。原産地規定は、一言でいって、伏魔殿です。NAFTAの原産地規定だけでも本にすれば200ページだそうです。その複雑な諸条項を、韓国で纎維業を営む中小企業たちが把握し生き残っていくことは、夢のまた夢でしょう。纎維分野の関税10%がなくなり、輸出がたくさん増えるはずだというのはナイーブな考えですね。実際の伏兵はそういった原産地規定にあります。

 

 

盧武鉉政府は新自由主義政府か

 

崔兌旭  さて、少し別の次元の質問をしたいと思います。現政権の任期が1年足らずとなってか、評価作業をするチームがいくつかあるようです。盧武鉉政府を新自由主義政府と言い切る人もいるし、新自由主義的性格を多少もっている政府だと評価する人もいます。とにかく、盧武鉉政府の新自由主義性は誰も否定できない状況です。当初、盧武鉉政府を支持し誕生させた進歩改革志向の人々が望んだのは公平性、同伴成長、弱者に対する思いやりといった価値がもう少し強調される社会でしたが、どうしてそのように生まれた政府が、 こんなに新自由主義的な性格を強めたのでしょうか?

李廷雨  評価が極と極にすれ違っていますね。保守の方では左派といい、また進歩の方では新自由主義と呼んでいますが、私は新自由主義という言葉があまり好きではありません。市民にとってわかりにくい言葉なので、私は主に市場万能主義と呼んでいます。私は二つとも間違っており、参与政府は中間くらいの政府だと考えてきました。中間くらいになったことも、過去を考えれば大きく路線を旋回したものですね。

崔兌旭  それさえですか?

李廷雨  はい。国民の政府(=金大中政府)の時、IMFの圧力によって確かに市場万能主義に向かったし、それを少し修正して市場の暴力を制御して……。 実際、朴正煕(パク・チョンヒ)政府の時からほとんど40年間のあいだ、成長一辺倒だったんですよ。後を引き継いだすべての政府が成長一辺倒でしたが、成長と分配の調和、あるいは同伴成長を掲げたという点で参与政府は大きく路線を旋回したのです。だからといって、それが分配を重視する左派に行ったのではないという点で、私は中道的だと考えています。今まで韓国政府が右派一色で、それも以前にはかなり極右的な政府でしたが、ようやく初めて登場した中道的政府が参与政府ではないか、そのように考えてきました。

問題は、韓米FTAによって、これが根本的に揺さぶられるようになったという点です。それゆえ参与政府の根本的な哲学自体が、今はあやふやになったと思います。4年間を支えてきた大きな哲学があったのに、その哲学がこれから韓米FTAという津波を迎えて、力なく崩れていくのではないか、それなら市場万能主義に向かったと評価されても、もうあまり言うこともないですね。その点が本当に心配です。

崔兌旭  この間、私があちこちで先生のインタビューを見ましたが、それでも最後まで参与政府を擁護していたと記憶しています。「市場万能主義ではない、そのようには断言できない」。こんな立場でしたが、これからは韓米FTAのせいでそうも言えない、ということですね?

李廷雨  そうです。国内でいくら努力して「ビジョン2030」を実行しても、韓米FTAという津波が市場万能主義を強要するのですから、これを阻む商売があるでしょうか? だからこれは参与政府の自己否定ではないかと思うのです。

崔兌旭  ところで、なぜこんなことになったのでしょう?

李廷雨  先ほども申し上げたように、前半期には学者と官僚の間の均衡、善意の競争がありました。あの時は討論政府と呼ばれていました。そのように多くの討論をしたことも、大韓民国で初めてのことです。とても良かったし望ましいあり方でした。そして多くの委員会があり、委員会共和国とも呼ばれましたが、それが希望でした。我が国の未来を決定していく際に、民主的な討論を経てやっていくなら、どれだけいいことでしょう。ところが今になっては誰も討論政府と呼びませんし、委員会も力を失っています。もとの木阿弥です。官僚優位というバネがもとに戻ったのではないかと思います。

崔兌旭  これまで盧武鉉大統領のように改革志向的な大統領もいませんでしたね。それなのに結局、官僚優位に復帰したということは、やはり人物変数よりは構造や制度変数が重要だという考えに至りますね。究極的には制度改革が必要ではないかという気がするということです。権力構造に関しては韓国の大統領制が問題だということもできますし。たとえこれから盧大統領よりはるかに改革志向的な大統領が出るといっても、せいぜいのところ 3、4年後にはまた官僚優位構造に復帰する可能性が大きいとするなら、人物変化に希望をかけるのではなく、制度改革に希望をかけねばならないのではないかと思います。

 

 

韓国の官僚制――流れる水と残っている石

 
李廷雨李廷雨  かなりの部分で同意できます。昨日今日のことではありませんね。参与政府が委員会共和国あるいは討論政府、このように呼ばれえたのは本当に望ましく、大きな進歩だったと思います。だから私は「解放後、初の士林派政府」と呼んだのです。以前は官僚たちが常に優位にありましたから。

 

朝鮮時代を例にあげてみましょう。地方の郡守や監司は政治的に任命されます。大部分は腐敗していましたが、中には改革的な人も稀にいます。これらが赴任すると、そこに衙前と呼ばれる土着官僚たちがいます。彼らは「員様〔郡守りや監司の総称〕は上で流れる水であり、私たちは川下の石だ。水は流れるが石はそのまま残る」と大口をたたきました。いくら改革的な郡守などが行っても、土着勢力をどうすることもできなかったんですよ。時間さえ経てば水はそのまま流れていくということです。これを指して熟習難当と言います。近頃の言葉にすれば、専門性には歯が立たない……とでもいいましょうか。だからいくら改革的に何かを直そうとしても衙前たちが「それはだめです。それはこういう慣例があり、経国大典にひっかかって……」といえば、できなくなるんです。今の我が国の官僚体制の本質は、熟習難当だと思います。官僚たちのもつ専門性はとてつもない。彼らはその分野で数十年働いてきたんですよ。法律、制度、慣行、人までつかんでいます。

 

引継委員会の時、こんな言葉がありました。学者たちが今回初めて引継委員会に配置されたじゃないですか。大韓民国史上初めてのことだったのですが、「6ヶ月ももたないだろう。誰が勝つのか見てみよう」。そんなふうに大口をたたく官僚がいたんです。DJ(=金大中)政府の時も一部の学者たちが改革青写真を掲げましたが、6ヶ月以上もたずにすべて押しやられてしまいました。参与政府業務引継委員会が二代目の業務引継委員会になりますが、ほとんど学者たちで占められています。ところが今回は少し違いました。6ヶ月以上もちました。実際、2、3年も続いたのです。学者たちが多くの部署と委員会に配置され、力を失いませんでした。私が、前半期にはそれなりに均衡があったと言ったのは、このような理由からです。学者たちは実務的専門性には弱いけれども、学者たちの長所は哲学です。長期的に正しい方向に向かい、妥協しないで進むことのできる意志があるんですよ。ところが後半になって、ほとんどの学者たちが退きました。委員会に一部残っていますが、不幸にも力をたくさん失いました。だとすると、これは何か制度改革が必要なのではないかという、 崔先生のお話に全面的に同意できます。最近、改憲論議が出ては消えていますね。私は韓米FTAについては大統領と違う考えをもっていますが、改憲に対しては大統領の考えと同じです。現在のような体制で、毎年のように選挙を行うことは莫大な無駄使いであると同時に不合理だと思います。不合理そのものですよ。その面で改革が必要ですね。

なので、それを直すためには内閣責任制も考え直すに値します。もちろん短所はあります。特に韓国の財閥体制の下では、金権政治の危険を警戒せねばなりません。だから、私は、韓国には大統領制がよいだろうと思ってきました。しかし、こういうところはかえって内閣責任制にして長官たちは全部、改革的な人士を座らせて……。これがむしろ責任政治ではないかと考えたりもします。参与政府は初期にかなり改革的な人物を多く抜擢しましたが、今はそのようなことができません。大統領制と内閣責任制も根本的に見直すべきです。特に官僚制、官僚たちの任員過程、公務員試験といった古い日本式制度が、果たして正しいのか? 私は正しくないと思います。公務員試験の廃止まで、根本的に考慮せねばなりません。そうして、次の大統領が誰になるかもわかりませんが、韓国官僚制の弊害を根本的に乗り越える方策を出さねばならないと思います。こんなふうに法律試験、経済学試験を受けて官僚を選ぶ国は、地球上にあまりないはずです。

崔兌旭  熟習難当という言葉が事態をとても正確に突いているようです。韓米FTAの急火が消えれば、そういった制度改革問題についての汎社会的な論議がおこったらいいですね。制度改革に関してさらに深くお聞きしたいのですが、今日はこのくらいにして、次にもっと細かに論議する機会を用意しましょう。

このように制度改革問題に悩む方々もいますが、それよりは理念的な悩みに陥った人も多くいます。もう少し共同体的で弱者に対する思いやりが制度化されうる国家が構成されないかという夢を依然として持っています。だから、その人たちの間に代案政府モデル論議が活発になっています。今はまだ初期段階ですが、社会投資国家論だとか、新進歩主義だとかを議論する多くの人が出はじめています。そういう状況を見た時、先生が特に気になること、あるいはまだ微々たるものですが、その方向はきちんと捉えられているのかということについて、何か見解はありませんか?

 

 

進歩無能論と我々の社会の代案モデル

 

李廷雨  私も関心を持って読んでいます。最近、代案モデルが百花斉放、百家争鳴の段階に入ったようです。とても望ましい現象ですね。多くのモデルが競争しあい、絶えず討論してみることで、ある合意に至ることはできないでしょうか。議論を見ながら受けた印象は、これらすべてに、それぞれ一理があるということです。このモデルはこの側面を強調し、あのモデルはあの側面を強調するけれども、私たちが進むべき方向は、現在、私たちが陥っている成長至上主義または市場万能主義を脱する道です。ですから、左に進まねばならないことは明らかです。

私は以前のモデルの全てが附属品になって含まれる、そんな国になるべきではないかと思います。社会投資国家は福祉や人的資源に対する投資を強調します。もちろん、正しいし、必要なことです。また、新進歩主義では革新や連帯、開放、こういったことを強調していますが、それも正しい。社会民主主義、社会的市場経済、こんなこともすべて正しいことで、必要な方向だと思います。私たちには、これまでこういったことすべてが不足していたんです。我が国は解放後60年の間、右派一色だったし、その過程で左派が絶滅したように言われてきました。みんな監獄に行って拷問され、人権や思想の自由などありませんでした。絶滅した左派の価値を少しずつ蘇らせていくことが、私たちが採るべき方向であり、そうして初めて他の先進諸国に近い均衡がとれていくでしょう。

一角では進歩無能論を提起する人もいますが、私は、それは間違った考えだと思います。進歩は無能ではありません。無能なのは右派ですよ。右派が我が国をこんなに奇形的に駆りたてていき、国を塗炭に落としたんです。ようやく金大中政府、盧武鉉政府によって若干の進歩的価値が芽生えてきたし、今やっと人間らしい世の中に向かって常識が通じる社会、均衡のとれた社会に移行しようとする初の動きが起こっているのに、それに対して進歩の無能を語るということは、我々の歴史を直視できていないということでしょう。ならば、あの血なまぐさい時代が有能だったということですか?無責任で危険な発想です。進歩は有能なだけでなく、それこそが希望です。それが生きる道なのです。だから多くのモデルに対して私は、すべて一理があるし、それぞれが一つの附属品として、私たちが志向すべき未来社会にすべて含まれねばならないと思います。そのうちの一モデルに狭める必要はないでしょう。

 崔兌旭  先生は労動問題に最も高い関心を寄せていらっしゃるでしょうが、労動に関連して代案モデルについて特に言いたいことはありませんか?

李廷雨  労動については、最も重要なのが社会的対話モデルだと思います。それについては言いたいことが山ほどあります。私が2003年にオランダモデルの長所を一度論じたことがあるのですが、保守言論からかなり叩かれました。後にスクラップしておいたものを見ると、一ヶ月間ずっと叩かれっぱなしでした。正常じゃないですね。ばかげていると思うのは、私をそれほど攻撃した保守言論が1、2年後にはそのオランダ式モデルが必要だという企画記事を載せるんですよ。どれだけつじつまの合わない人たちなんでしょう。

オランダモデルの核心が、まさに社会的対話です。1982年の社会的大妥結があった以前のオランダの状況が、今の我が国に似ています。労使間対話が断絶し、経済成長率が落ちて財政赤字も積もって、競争力を喪失し労働組合は譲歩しない……。そんな危機状況のなかでウィム・コック(Wim Kok) 労総委員長の決断がありました。そうしてワッセナー合意 (Wassenaar Arrangement)という社会的大妥結が出たのです。それがオランダ経済を危機から救いだしました。それによって働き口が生じて、競争力が回復しました。

その後に出たアイルランド社会協約も成功しました。アイルランドは現在、国民所得が3万ドルを越えていますし、驚くべきことにイギリスを追い越しています。アイルランドとイギリスは、我が国と日本の関係のように長年にわたる犬猿の仲であり、とてもヒリヒリする歴史を共有しています。そんなアイルランドがイギリスの国民所得を追い越したというのは画期的なことです。アイルランドはそれを記念して高い尖塔を建てたらしいです(笑)。ところで、その秘訣はどこにあったのか? 結局は1987年から今まで20年間続いて来た社会的大妥結にあるんですよ。すべての社会構成員が一歩ずつ譲歩しながら国を生かす道を見出したのです。

ところが、進歩陣営の中でもそれに反対する人々がいて、さまざまな理由をつけます。いってみれば、我が国はまだ進歩政党が弱い、労組組職率がまだ10%にしかならないといった話ですが、私は客観的な条件がそうだからといって必ず失敗するとは思いません。

 

 

韓国的状況で社会的大妥結は可能なのか

 

 崔兌旭  主体の問題が提起されましたね。

 

 李廷雨  今、私たち状況において最も重要なのが、大統領の意志です。今の時点では、そうです。労使政の三者のうち、最も重要なのが政府の意志で、政府のなかでも大統領の意志ですね。その次に労使ですが、ここには多くの対立があり、葛藤があるはずです。しかし、私はそれを解きほぐしていって、最終的に、ある妥協に到逹する可能性が今、熟したと思います。

崔兌旭  実際、我が国では労使政委員会が成功しなかったし、盧武鉉政府でも「国民大統合連席会議」を提案しましたが、それも別に進展がありませんでしたね。

李廷雨  そうですね。大統領が出ずに総理に任せていましたが、韓国ではどうしても、総理よりは大統領が出ればこそ事が上手く運ぶ、そんな状況です。

崔兌旭 社会的大妥結が韓国状況のなかでは難しいだろうという一部進歩陣営の主張に対して反駁されていましたが、実際に実力のある進歩政党が存在しない場合、立法過程や政策決定過程で労動といった社会経済的弱者集団の利益や選好がきちんと反映されず、結局、妥協の場を用意することそのものが難しいというのが現実ではないでしょうか? 自分たちの立場がきちんと反映されないと知りつつ、社会的対話の場に積極的に出る集団は、事実上、あまりないでしょうから。先生は、たとえそうだとしても私たち〔の社会の〕権力構造のなかでは、大統領が意志を持って先頭に立てば、たとえば「妥協の結果が現実化されることは大統領である私が保障する、だから妥協の場に入ってこい」というかたちにすれば可能だというお話でしょうか?

李廷雨  それも重要ですが、別の側面で我が国には他の先進国にない有利な条件があります。それがNGOです。とても力強く献身的に働くNGOがあればこそ、彼らが主体として入ってくることができるし、入ってくることで国民世論を置き変えることができます。「いつまで争うつもりだ? 私たちが百尺竿頭、崖っぷちに立っているというのに、これからは妥協して国を生かさねばならないのではないか?」。こんなふうに訴えれば、国民の心は動きます。そのように大統領が前面に出て、NGOが出れば、国民の心が動くでしょう。そうなると、労組や経営者たちも自分の利己的な主張を続けにくくなります。大韓民国はそうして改革されるものが多いのです。それが先進国にない条件です。

崔兌旭  青瓦台内部で今おっしゃったのと同じ内容の、社会的大妥結に関する提案はされなかったのですか?

李廷雨  具体的に提案できませんでしたが、機会がある度にその重要性、必要性を強調しました。このことについての当事者は、実は労動部長官でした。だから、労動部長官を飛び越えて私が前に出て働くのはちょっと難しかったのです。

崔兌旭  代案モデルの話があまりにもたくさん出すぎていて、このごろは一部で「何をまた別の代案を作ろうとするのか、元々ある社会民主主義に向かえばいいじゃないか」という主張も提起されています。その人たちによれば、社会投資国家や新進歩主義というものが、実はすべて亜流を作ろうとするにすぎないものなのに、きちんとした社民主義でさえ一度もなしえなかった私たちが、社民主義に何か問題があるという他人の言うことだけ聞いて、何らの検証なしにそれらに従ってすぐさま改良主義に向かう必要があるのか、ということですね。このような主張についてはどう考えますか?

 

 

社民主義、他人事ではない

 

李廷雨  一理あると思います。社民主義は100年を越す歴史をもっています。また、実際に多くの国で実験され、これまでに成功したほとんど唯一の代案的モデルです。今まで生き残ったものに資本主義市場経済があり、社会主義は半世紀のうちに失敗に終わりました。唯一生き残った代案が社民主義です。そう考えると、私たちも充分に取り入れるだけのことはあるでしょう。

ドイツでは100年前の時点ですでに社民党投票支持率が3分の1に達しました。誕生して間もないのに3分の1の支持を得るほどだったし、スウェーデンのような国は、当時のヨーロッパで一番の後進国だったにもかかわらず、1932年にはすでに社民党が執権します。ところが、21世紀初にはいった大韓民国が、100年前のドイツや70年前のスウェーデンに劣り、条件が成熟していないというなら、いったいいつできるというのですか? 私は社民主義が充分に代案になりうるし、特に南北韓が今のように対峙した状態だからこそ、その必要性はより大きいと思います。実際に我が国に社民主義はありませんでしたが、例えば1950年代、曺奉岩(チョ・ボンアム) 先生の進歩党に対しては、すでに国民の支持が非常に高かったです。国民意識だけを咎めている場合ではありませんね。NGOの成長、これだけ見ても私は、私たちの社会が充分に進歩に方向に進みうる力量と条件を取り揃えていると思います。

私が先ほど韓米FTAを嘆きつつも、北欧モデルが私たちの理想であり、そこに向かうべきだといいましたが、スウェーデンを見てみましょう。スウェーデンと韓国は似ている点が本当に多いです。たとえば輸出主導型国家という点、財閥中心型経済という点が同じです。ところが、経済体制はほとんど極と極だといえるほど正反対です。スウェーデンの社民党が1932年に初めて執権してから今まで70年あまりの間、ちょうど四度は政権を失っていたので、60年以上を執権してきました。去年秋の選挙で負けたのが四度目の敗北です。任期が3年なので、過去に9年、今回まであわせると12年間のあいだは政権を失ったわけですが、スウェーデンで社民党が敗れると私たちの保守言論たちが、暮らし向きがよくなったというように我田引水式の記事を書きます。社民党が何か間違って、北欧型福祉国家が限界に逹して選挙で負けたのではありません。実際にペーション (G・Persson)政府執権期には経済成績表がとても良かったです。それなのに負けたのは、社民党の経済政策が誤ったせいではなく、ペーション総理の個人的な間違い、いわば身にあまるような豪邸を購入したり、国民情緒に合わない行動をしたり、こういったことが民心離反をもたらした決定的理由だと、私がスウェーデンに行ったときに聞きました。

もう一つは、現在の保守連立政府が選挙公約として掲げたのが、福祉国家の撤廃、後退では決してありません。2001年にそうしたあげくに惨敗した経験があるので、絶対にそうはしません。むしろ社民党よりも福祉政策をもっと上手くやっていくと約束して執権したのです。だからこれを、福祉国家の失敗とか社民党左派の失敗、こんなふうに解釈する私たち〔韓国〕の保守言論は、誤報を流して国民を誤導しているのです。去る2、30年間の経済成績表を見るなら、一番成績の良い国が北欧です。スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランドといった国々が最高成績を占めています。

そしてもう一つは、何年か前の世論調査において、我々国民の選好度1位が北欧型社民主義だという結果が出ました。また最近、ヨーロッパで国民を対象に生活満足度を調査したものがありますが、デンマークが1位、そのほかの北欧諸国の大部分が上位5位以内に入りました。このような結果を見るなら、私たちが進むべき方向は、確実にそっちの方です。

スウェーデンの話にもどると、保守党が執権したその9年の間の経済成績表は、社民党の時よりも劣っています。経済成長率も落ち、輸出競争力も弱まっており、労使紛争がひどくなります。スウェーデンの労組は、90%の組職率を誇っているじゃないですか? かなりの力をもった労組が、普段にはそうでもなかったのに、主に保守党が執権した時には力を使います。それで労使紛争がひどくなり、賃金もたくさん上がって、経済が悪くなれば政権がまた社民党に変わります。このようにして去る70年間を経てきていますが、スウェーデンの成功を見ても、私たちの道はやはり社会的対話を通じた道であり、その過程でいくらでも成長と分配を調和させることが可能です。

そしてヴァレンベリ (Wallenberg)という巨大な財閥がありますが、国民から尊敬されています。韓国の財界で、ともすれば国民が、反企業情緒がひどすぎるといっていますが、私はそう思いません。我々の国民が持っているものがあるとすれば、それは反悪徳企業家精神です。我が国で何度も表面化してきた企業人の賄賂、遊蕩、政治介入といったことは、スウェーデンのヴァレンベリでは想像することもできませんね。ヴァレンベリは今、5代目最高財閥の位置にありますが、とても庶民的に暮らしています。贅沢、遊蕩とはほど遠いです。簡素な服を着て、ガードマンなしに週末には自ら自動車を運転します。町内会にも参加するし、学校PTAにも保護者として参加します。親しい隣近所で行動しています。だから尊敬されるのです。我が国にそんな財閥があったら、国民が尊敬しないわけがないでしょう?

 

 

北欧式社民主義モデルの韓半島的有効性?

 

崔兌旭  スウェーデン式社民主義を私たちのモデルにというお話でしたが、その韓半島的有効性についてはどうお考えですか? 韓半島的有効性というのは、北朝鮮という変数をどのように認識し、扱うのか、分断体制下の南韓でそれを適用するということがいかにして可能なのか、という意味です。

李廷雨  北朝鮮は地球上に四つしか残っていない社会主義国家で、その中でも最も極端な左派国家ですが、今、韓国は最も右派的な経済モデルに向かっています。だとすると、この極と極をいかに調和させるのか? 二つの体制間の距離が非常に遠いので、経済的に統合することはとても難しい作業になるでしょう。ドイツよりもはるかに難しい事になるでしょうね。そのため、いや、だからこそ一歩ずつ中間に向かう必要があります。その中間というのが、スウェーデン式社民主義ではないでしょうか。韓国の経済体制も今よりはずっと左に行き、北朝鮮の極端な社会主義も大幅に右側に来て……。あっちでは右旋回で、私たちとしては左禅回ですね。そうして中間で出会うことができるなら実現可能な経済統合の道に進んでいく、というのがより簡単なやり方だと思います。ソ連のゴルバチョフ(M・Gorbachev)の時の話ですが、彼がペレストロイカ、グラスノスチをする際、実際にスウェーデンをソ連の未来モデル候補にして視察団を派遣したりしました。実際のところ、後の結果は改革に失敗して無茶な経路に行きましたが、ひとときはそんな試みをしていました。

崔兌旭  スウェーデン式モデルをある社会に適用する時、たとえば分断状態にある我々の現状にそのモデルを適用する時、それをそのまま持ってくることは難しいのではないかと思えるんですが。先生は南韓が少し左に行けばいいと言いましたが、それは言うほど易しいとは限りませんね。分断という制約のために、少し左に行くことさえ余地無く攻撃されますから。そんな状況では、南北問題を解きほぐす方式と韓国のモデルを見出すことが同時進行すべき問題ではないかという問題提起もありえます。

李廷雨  実際には非常に難しいでしょうね。私も、口ではこのように言いますが、数十年はかかるだろうと思っています。幾多の反対と副作用が生じ、多くの石につまづいて転ぶでしょうが、それでも、スウェーデンモデルの長所を考えても、南北統一という民族の宿題を考えても、それが私たちの進むべき道だと思います。北朝鮮も2002年の7·1改革以後には、市場経済を部分的に取り入れて少しずつ成功してきているし、開城工団もやっているじゃないですか? 北朝鮮にとっても改革開放だけが生きる方法です。今まではそれでも現実に唯一成功した代案がスウェーデン式社民主義だから、それを私たちの遠い未来へ、5年、10年どころか数十年はかかると見積もって、その方向を取らねばなりません。海を航海する時に星を見て進めばこそ進路に迷わないというでしょう。今すぐできるという意味ではありません。

ところで、韓米FTAによってその反対方向に舵を切ったので、私は成長重視の市場万能主義が再び跋扈しないか、そしてせっかく南北和解と東北アジア時代を標榜したのに、今までほとんど親米事大主義に近かった戦略も、東北アジア時代論のように良い方向に転換しましたし、そんな面から見ればとても大きな進展でしたが、今はそれさえ対米偏向に戻るのではないかと心配が大きいですね。

 
崔兌旭  社民主義式発展に関連して、先生に意見をお伺いしたいことが一つあります。多分、こういった動きに対する喉の渇きがあってか、進歩政党がもう一つ誕生する可能性があるという話があります。千正培(チョン・ジョンベ)議員の民生政治の会と金槿泰(キム・グンテ)議員の民主平和国民連帯(民平連)、ここに属する議員の数を合わせると24、5人になりますね。そして他方で「統合と繁栄のための国民運動」という市民団体と「創造韓国未来構想」がひとつに合わさったようです。それでその合わさった市民団体が先頭に立ち民生政治の会と民平連の既成政治家たちがそこに力を合わせて、進歩政党を一つ作ることができないかという話があるようです。先生はこれが社民主義にまで行きつく可能性があると思いますか?
 
李廷雨  よくわかりませんね。韓国で社民主義を掲げるのは勇気がいります。学者として個人的にそれを支持するのは簡単です。しかし、政治家たちがそれを政綱として掲げるのは、曺奉岩先生の悲劇を見ても、とてつもない勇気を要すると思います。かなり民主化されて自由が伸張されたにもかかわらず、我々の国民はレッドコンプレックスが強すぎるからです。しかし、私の考えでは、そんな社民主義を掲げる政党が生じれば成功すると思います。今すぐ今回の大統領選挙で成功できないとしても、5年、10年後には成功するでしょう。我々の社会の変化の速度はとても早いですから。国民が心から切望していることもあります。

今、我が国は本当に暮らしにくい国です。GDPの順位が11位にもかかわらず暮らしにくい国であることを、数字で少しお見せしましょう。就業者のうち自営業者が6百何十万人です。正規職が7百万名余りなのに対し、非正規職が8百万人を越えます。数字でみるとほぼ同じですから、便宜上、3等分してみましょう。そうすると、我が国民の中に正規職として比較的安定した生活を維持できる人は3分の1にしかならないということです。残りが非正規職や零細自営業に追いこまれています。この二つの集団が本当に暮らしにくく不安な状態にあるのです。今すぐ明日を約束するのが困難だという人々が3分の2にもなるということです。卸売り·小売り業、食堂、タクシー、美容室、こういった方面に就業者の37%が殺到しています。こんな国は他にありません。これは誰の責任なのか? 歴代政府がそのまま放置した結果ですよ。数十年にわたって積もり積もった結果です。成長ばかり叫んでおいて、こんなになるまで歴代政府が何をしたんですか? 非正規職は比較的最近のことですが。IMF為替危機以後、10年間急増して〔非正規職は〕8百万を越えました。他の国を一度見てみましょうか。先進国では比較的安定的に、安心して暮らすことのできる正規職が概して70%を越えます。残りの自営業者たちが 15%前後いるようです。非正規職が15%ほどいるのでしょう。それが他のOECD諸国の姿です。

崔兌旭  我が国は本当に不安な社会ですね。

李廷雨  そうです。非正規職は1年後を約束することができません。自営業者たちは毎日の生活が苦痛です。商売あがったりで客もいなくて……。明日を約束できない人々がこんなに多い社会になってしまったのですが、GDP 2万ドル、3万ドルよりずっと重要なのがこのような問題です。右派は口さえ開けば成長、市場、この二つだけオウムのように繰り返しています。成長、市場がこういった問題を解決することはできません。

崔兌旭  この不安社会が、所得格差のためでもありますが、先生が所得格差に劣らず強調するのが資産格差の問題ではないですか? アメリカの経済学者ヘンリー・ジョージ(Henry George)のような人はそういう問題意識をもった先駆者ですが、先生は関連著書を出したりもしていましたね。我々の社会で、資産格差問題がかなり深まっています。ところが、ヘンリー・ジョージの思想に関しては、これが政策的に現実性をもつのかという話がたくさんされますね。

李廷雨  ヘンリー・ジョージの思想には充分に現実性があります。核心は土地価値税制ですよ。土地価値に対して課税し、地代を税金として還収すれば不労所得が消えるはずで、そうして貧困が消えるというのです。貧富格差や貧困問題の核心がここにあり、だから不労所得を税金として還収しようということです。税金の中で最も理想的な税金が、土地価値税です。税金を評価する基準は公平性と効率の二つですが、二つの観点から税金を評価する際、土地価値税が最も優秀です。というのも、土地税は経済的副作用が一番小さく、効率性の面で優秀であり、公平性という観点から見ても、お金持ちの地主たちから税金をとるので、とても公平な税金です。だからこそ、税金を嫌い小さな政府を擁護するシカゴ学派の巨頭ミルトン・フリードマン (Milton Friedman)すら「税金の中でも一番悪くない税金は、ヘンリー・ジョージのいう土地価値税だ」と言ったのです。

我が国でその精神を取り入れたのが、たとえば総合不動産税(総不税)といったものです。これが最も良い税金でしょう。これを増やすかわりに、悪い税金を減らしてやる必要があります。土地取引税、すなわち取得税、登録税は、我が国では非常に高いので、減らさねばならないでしょう。さらに所得税や法人税、付加価値税など他の税金も副作用が多いので、減らせればいいですね。総不税が望ましい税金というのは、学界でも異見がありません。それなのに保守言論、保守学者たちは、機会さえあれば難癖をつけます。しかし、参与政府が不動産政策に対しては比較的一貫性を維持したし、基本哲学をもっていたので、4年間の死闘の末に、今や投機という怪物に対してわずかながら勝算が見えるのではないかと思います。これはすごい業績です。というのも、歴代政府の中で誰もなし得なかったことだからです。

崔兌旭  今まで私が先生のお話を直接・間接に聞いてきたうち、今回のインタビューで参与政府に対して最も激しく批判しているようですね(笑)。けれども不動産政策は評価できるということですか?

 

 

参与政府の歴史的評価と韓米FTAの展望

 

李廷雨 不動産政策だけではなく、実際、評価したいことは多いですね。均衡発展とか……。

崔兌旭  はい、そのいくつかをおっしゃってください。

李廷雨  経済的に見れば不動産政策を、一貫性をもってきちんとやったところです。均衡発展、これについては歴代どの政府もできなかった行政首都や公共機関180個の移転や、革新クラスターなどがあげられます。ところが、まだ成果が充分に出たというわけではなく、これを次の政府、その次の政府が受け継いで行くなら、成果が出るでしょう。そして経済政策面でも人為的景気回復を自制したこと、モルヒネ注射をなぜやらんと悪口を言われながらも堪えたこと、そういったことが評価できます。

その他にも、多くの人々が認めるのが政治改革、腐敗追放、きれいな選挙、これは異論の余地なく盧大統領の業績です。歴代大統領の誰も夢にもみられなかったことを、自ら既得権を放棄することでやり遂げたのです。高く評価すべきです。過去事整理作業もそうです。民主政府なら少し早くやっておかねばならなかったでしょう。これを李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)政府の時には妨害が入ってできませんでした。60年が去った今になってもやっているということは、やっときちんとした民主政府が立ち上がったということを天下に知らしめています。これは、今後の長い歴史という点から見ても異論の余地なく非常によかった。経済も重要で、GDPも重要ですが、私は歴史を正すこと、これが最も重要だと思います。

個人的経験をお話するとすれば、私が働いている間に済州4・3事件についての真相報告書が出ましたし、初めて大統領が済州島を訪問して謝りました。私はその場面をソウルでテレビのニュースを通じて見ていましたが、大統領が4・3事件に対して謝罪するのを聞いて、聴衆席に座っていたある女性がびっくりして「私が生きている間にこんな日が来るなんて思いもしなかった」という場面が出ていました。あの時が、私が参与政府で働きながら最大のやりがいを感じた日でした。

崔兌旭  最後の質問です。盧武鉉政府に対する先生の評価を要約するなら、歴代政府の中では、ともあれ最も改革的で、特に市場万能主義から脱して成長と分配を同時に試みた初の政府だったという温情的なものでした。ただ、先ほどおっしゃったように、韓米FTAで自己否定の道に入ってしまったと惜しまれていましたね。どうですか? 今、交渉は妥結されたし、国内批准のみが残された状態です。このような状況で、この問題を国会にだけ任せておくことはできませんし、だとすると市民社会において果たして何ができると思いますか?

李廷雨  妥結されてから国民の支持率がとても高くなりました。賛否の割合が、以前には半々ずつでしたが、今は賛成世論が高いですね。概して私たち国民は、政府が苦労して何かをしたら、多少問題があっても認めて事が進むようにしなくてはならないのではないかという考えがとても強いです。何というか、実用主義的な考えです。たいがいのことは、そのようにできるでしょう。しかし、先ほど私が申し上げたとおり、韓米FTAは普通のFTAではなく、我が民族の運命を左右しうる深刻な事態なので、私は「ことがここまで来たから……」といいながらやりすごすことはできないと思います。

だから、国民に対してこれをきちんと知らせねばならないと思います。国民は「自動車をたくさん輸出することができるらしい。働き口もできるし、いいね」程度だと思っているようですが、実際はその次元の問題をはるかに越えているということを知らせるべきですし、それでもこれをやるべきなのかを国民に問わねばなりません。そう考えると、国会にだけ任せておいてはいけないでしょう。今までの国会の性格を考えれば、はっきりと自分の意見を出さないで目の色を伺うつもりです。全く無為に時間だけが過ぎていくでしょうが、かえって国民投票にかけるほうがマシではないかと思います。私が申し上げたこの深刻な問題点をすべて知らせて、国民が判断するようにして、投票で決める問題ではないかということです。他の国とのFTAと同じならば、深層統合でもないし関税を調整するくらいですから深刻な副作用もないので国会で論議して決めれば十分です。しかし、韓米FTAは憲法を越えるほどその波及力が強いので、憲法改定する時に国民投票にかけるように、これもそうすべきだと考えています。

崔兌旭  長時間、真剣にお話くださってありがとうございます。

参与政府が韓米FTAを締結することにしたのは、結局、「自己否定」だったと規定した李廷雨教授の低い声が、長い間耳に残っている。自分自身もまた主導勢力として携わった政府をそのようにしか評価できない現実が、どれだけ無情なことか。どれだけ切羽詰ればこそ「夢は消えて……」といって自らの痛みを吐露したのだろうか。

一方、もうひとつの耳元には、彼の力強い声も残っている。あの時彼は、北欧型社会民主主義モデルを説いていた。市場万能主義の圧力と誘惑から脱して、成長と分配が調和した社会。彼は私たちの地にも社会的大妥結を通じてそのような社会を建設できるし、それは力強くて献身的な私たちの NGOのおかげで成功可能なことだと力説した。さらに、社民主義体制は経済統合に向けた南韓と北韓の歩みをより容易に効果的なものにしてくれるだろうという制度論的な分断体制解消方案も聞かせてくれた。

彼の悲嘆と希望の声、どちらが果たして我々の社会の未来を暗示しているのだろうか? 国内批准過程を通過して韓米FTAが最終的に発効してしまえば、本当に、進歩の夢は永久に消えてしまうことのだろうか? だとすれば韓米FTAは阻まねばならないだろうが、それはどのように可能だろうか? もし阻むことができなかったら、そして韓米FTA 時代が到来したら、その条件下でも相変らず社民主義的オルタナティヴを試みる方途は全くないのだろうことか?質問と質問が尾をつなぎ合わせ、その合間あいまに同じ悩みに陥っている同時代人たちの面々が想起される。「そう、彼らに会おう。彼らともっと相談しよう」。いつだって、同じ志をもつ者が常に新しくつくり出してきたのだから……。 (*)

 

 

 

訳・金友子

 

 

 

季刊 創作と批評 2007年 夏号(通卷136号)

 

2007年6月1日 発行

 

発行 株式会社 創批

 

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