창작과 비평

[卷頭言] 大韓民国の先進化は朝鮮半島の先進化を通じて(2008 春)

柳在建(ユ・ジェクォン)

 

 

 

 

新しい政府が始まる今年は、ちょうど大韓民国の建国60年目となる年である。建国60周年を迎え、韓国現代史を新たに見直そうとする保守勢力の談論攻勢は、保守政権の出帆に負って一層本格化することと思われる。昨年末組織された「建国60周年記念事業準備委員会」は発足趣旨文を通じて、1948年の建国の歴史的意義に対する一方的な賛辞を惜しまず、これまで分断国家の不具性とその克服を強調してきた議論を批判している。建国は韓国現代史の「最も重要な歴史的成就」であり、「優れた民族史的成就」なので「建国指導者たちの慧眼と信念に尊敬と敬意を表せざるを得ない」というものである。これに対し保守言論は積極的に呼応しており、いわゆるニューライト(new right)系列の知識人たちは、このような歴史認識を通じて大韓民国の先進化路線対統一至上主義という理念構図を再生産し出している。

均衡の取れた歴史認識から外れた古い理念攻勢が、恰も新しい歴史認識でもあるかのように強力に台頭しているのである。しかし、周知のように、大韓民国の建国60年は、同時に分断60年でもある。何より分断か建国かという二分法を通じて文壇および統一議論を排撃し、建国の意義を一方的に賞賛することは、過去の歴史的脈絡を捨象した単線的な認識にほかならない。もちろん分断のもとで数多い桎梏の歴史を生きてきたわれわれが、大韓民国の前例のない成就を通じて自信感を持つようになったことは、実に立派なことである。また、これまで民主化と経済発展、そして南北和解と協力を進めて分断体制を崩してきた大韓民国の歴史は誇らしいものである。だが、分断国家の形成が桎梏でなく、本当に賞賛すべきことならば、惨い戦争とそれに続く抑圧の体制下で厳しい生を生きてきた南北民衆の苦痛については何と言うべきだろうか。否、奇形的な建国にもかかわらず、その60年後の今がこれほど誇らしいものとなったことは取りも直さず、分断体制に対する韓国民衆の抵抗なしにできることであったか。

大韓民国の60年史で経済発展と民主化、そして分断克服は苦痛を伴った複合的な課題であったし、これまで収めた成果は実に大きいものであった。本誌が一貫して提唱してきた、分断体制の克服を通じた「韓半島(朝鮮半島)先進化」論は、統一至上主義ではなく、大韓民国のこのような複合性に、より充実であろうとする視角である。これまで経てきた試練と成就を同時に記憶し、これに基づいて一層正しい世界を作っていく上で貢献しようとする提案でもある。去る60年を分断の時代でありながら、同時に大韓民国の成就の時代として見なす時、南北韓の漸進的統合と大韓民国内部の改革を繋げ合わせて、朝鮮半島に今より優れた先進社会を建てようとする努力が一層求められるといえよう。

しかし、大韓民国の独自的「先進化」という未来構想は、古い成長主義の複写版ではないかと危惧される。最近、大統領職引き受け委員会が確定した「先進一流国家5代国定指標と21代戦略」を見ると、わが社会をどのような方向へ引っ張っていこうとしているのか、その輪郭が見えてくるが、各種の新企業政策、民営化、韓米関係の強化および対北関係の調節など、数多い政策転換が例示されている。現在の転換期をこれまでの官治から民間自律への移行と見なす先進化論は、産業化時代や民主化時代における国家の介入を出来るだけ排除するというところに焦点がある。しかし、これは過去にも資本の立場からしばしば提起されていた古い談論であり、両極化と職場の問題など、深刻な問題がさらに悪化するということは、すでに他の国の経験からも明らかとなっている。

そのような未来構想は、事実上、現局面の世界史に対する間違った認識に基づいている。ここで恰も文明化のように見なされる市場万能主義の流れは、1980年代から20年間余り続いているうちに問題点が余りにも大きくなり、今では到底続けられない一局面でしかない。今はその弊害に対して、批判者たちのみでなく、主流の経済学者たちまでも警鐘を鳴らすかと思えば、新自由主義を主導する国でさえ、その副作用に対する代案と補完策が積極的に模索されている現状である。

このような転換期的状況が求める現実的な方策は、決して単線的で一方的なものではありえない。私たちは厳しい世界史の現実に際しても、これまで大韓民国が成し遂げた成就と力量を基に、21世紀の朝鮮半島に希望の隙間を開き、新しい先進社会を建てる道を模索すべきである。


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今号の特集「朝鮮半島における近代と脱近代」は、このような転換期に相応しい未来志向的代案を具体的に模索しようとする試みである。特集を貫いている「近代適応と近代克服の二重課題論」は、とかく抽象的な巨大談論のように見えるかもしれないが、今ここの現実の争点と真っ向から向かい合う一方、広い世界史的な視野のなかで根本的でありながら現実主義的な道を求めようとする本誌の問題意識を反映している。

まず、李南周(イ・ナンジュ)は、現在、わが政治地形における進歩の代案不在を危機として認識しながら、進歩改革の陣営が世界と朝鮮半島の現実を視野に入れて、根本的にその構想を点検する必要性を提起する。反市場、反グローバル化を越えて、新自由主義に効果的に対応しうる具体的な代案は、近代と近代克服の課題を同時に引き受けるものでなければならないということである。東アジア共同体を巡った争点を検討する白永瑞 (ペク・ヨンソ)は、東アジア各国の政府と市場、そして市民団体のような主体同士のネットワークの必要性を提起しながら、これが個別国家の内部改革と共に進められるべきであることを強調する。特に朝鮮半島の場合、統一と連係した改革過程で実現できる新しい複合国家の建設が、近代適応と克服の重要な契機になりうることを示唆する。洪錫律(ホン・ソクリュル)は大韓民国60年史を単線的なサクセスストーリーとして捉える保守陣営の歴史認識を問題とし、その代わり現実に潜在していた色んな可能性と実現態の複合的思考を求める。機械的な段階論に基づいた歴史認識は、近代の成就過程で近代以後の可能性を模索する道を遮るということである。

それに対し、金鍾哲 (キム・ゾンチォル)は近代適応と克服の二重課題の談論が陥りやすい近代主義への順応という落とし穴と、その実践的な面における曖昧さを批判しながら、一層急進的な発想の転換を促している。彼は文明レベルの問題提起を通じて成長志向国家、先進化論など、支配的な通念を厳しくやり込めながら、継続的な経済成長は取りも直さず民主主義の障害であり、権力集中と社会経済的格差、生態危機をもたらすだけであると主張する。今回の特集をより多彩なものにしてくれた彼の論は、本誌の問題意識に対する重要な批判を込めているので、これからもより進んだ論争が続くことを期待する。

白樂晴(ペク・ナクチョン)と趙孝済(チョ・ヒョジェ)の「対話」は、去る大統領選の過程に対する評価から、87年体制の性格とその克服方策としての変革的中道主義に至るまで、興味津々と展開される。前号までの「挑戦インタビュー」は、今号から対象者選定と進行方式においてより自由な形にすべく、タイトルを「対話」に変えたが、対話当事者の構成から見て、今回はかなり「挑戦インタビュー」の性格を帯びることとなった。白楽晴は民主化時代としての87年体制が終わったというニューライトおよび一部の進歩陣営の視角に反論し、87年体制に対する彼自身の独自的な認識を示している。中道的方向から最大限の大衆的統合を導き出す変革的中道主義だけが現在の難局を打開する唯一の解決策だという彼の持論が、対話の形式を通じてよりわかりやすく改進している。

今号からは文学作品の現場批評を強めるために、新たに「文学フォーカス」が新設された。今回は注目すべき六つの作品を対象にしたが、時にはひとつの作品でもってそれぞれ異なる視角から照らすなど、多様な方式で構成される予定である。創作欄にも小さい変化がある。登壇の順番により作品を配置していた慣例を破って「カ・ナ・ダ…」の順にした。詩欄は12名の詩人たちがそれぞれ個性的な声を盛り込んで豊かに飾ってくれたし、小説もまた、中堅作家の全商國(ジョン・サンクク)から、朴玟奎(バク・ミンギュ)と黃貞殷(ファン・ジョンウン)の作品、そして初回分で好評を浴びた申京淑(シン・ギョンスク)の長編連載2回分に至るまで充実している。文学評論では前号の世界文学特集を受け継いで新しい問題意識を加えた韓基煜(ハン・ギウク)の論は、アメリカ社会や世界の問題を多様な様式で踏み込んで扱うアメリカ文学、特にマイノリティー文学の活力をわが文学の議論における緊要な参照点にしようと提案する。

今号は普段より「論壇と現場」が多彩となっている。四篇すべてが個人的体験が染み込んでいる、現場感の溢れるものとなった。現在、パレスチナに滞留中の小説家、吳受姸(オ・スヨン)がブッシュの訪問時の現地状況を日誌の形式で送ってくれた。彼の文は、イスラエルの占領下でハマスとパタに分裂されているパレスチナの二重的な苦難の現場を生々しく記録している。アウシュヴィッツの生存証言者のプリモ・レーヴィーに関する著作を出したことがある徐京植(ソ・ギョンシク)の今回の文は、東アジアの現実とプリモ・レーヴィーの生と死を交差させながら、20世紀の暴力を克服する人類普遍の課題を「記憶の闘争」という問題意識のもと提起する。北朝鮮同胞支援運動の現況と課題について個人的体験を基に、真率に述べている康英植(カン・ヨンシク)の文と、鉱山の村で25年目作業している画家、黃在亨(ファン・ジェヨン)の個人殿に対する金庭洛(キム・ジョンラク)の文化評もまた、有益な内容となっている。その他、短い文であるにもかかわらず、以外と尽力の要る寸評を書いてくださった七名の筆者の方にも御礼を申し上げる。

今年で6回を迎えるデサン大学文学賞の受賞作は、その水準が一段と高くなったという評価を受けている。韓国文学の明るい将来が期待できるであろう。読者の皆様にご理解いただくことがある。止む無く春号から定価を引き上げることとなった。より充実した内容で声援に答えたいと心に誓う次第である。最後に編集委員陣に少しばかり変化があることをお知らせする。今号から金鍾曄(キム・ジョンヨプ)教授と韓基煜(ハン・キウク)教授が再び常任編集委員陣に加わり、金英姬(キム・ヨンヒ)教授が非常任委員として復帰した。新たに整った陣容で読者の皆様により近寄るために努力すると約束する。

 

訳: 辛承模

季刊 創作と批評 2008年 春号(通卷139号)
2008年3月1日 発行
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