[インタビュー] 1987年体制の克服と変革的中道主義
趙孝済(チョ・ヒョジェ)聖公会大社会科学部教授
著書に『人権の文法』、訳書に『直接行動』『世界人権思想史』など。
とき:2008年 1月 22日
ところ:細橋(セギョ)研究所
読者たちが今号を手に取るのは春ですが、やはり前回の大統領選挙の結果からまず見てみるのが穏当な手順ではないかと思います。保守陣営から見れば自分たちが勝利し、また反対側から見れば改革進歩陣営が大きく敗北したわけです。敗北の理由は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権に対する有権者の審判だという指摘が多かったようです。それがすべてではありませんが、盧武鉉政権の失政が大統領選挙の敗北の大きな原因になったという診断には同意されますか?
韓半島の平和が格差解消より重要な争点だったか?
趙孝済 先生は以前から盧武鉉政権に対する精巧な認識と評価が重要だとおっしゃっていましたし、今回の大統領選挙の直後にもそうおっしゃっていたように記憶しています。ですが、ある意味では貧富格差や新自由主義に対処する問題について、先生が以前批判された、たとえば崔章集(チェ・チャンジプ)先生らの洞察の方が、有権者たちにかなり受け入れられたという面もあるのではないでしょうか。
白樂晴 新自由主義をさらに本格的に進めようという候補が当選したからには、新自由主義を批判した学者らの洞察の方が受け入れられたとはたして言えるでしょうか? 彼らの批判が洞察に至らないかけ声にとどまっていたとか、あるいは多少の洞察はあったがとにかく国民の説得に失敗したということではないでしょうか?
趙孝済 それと関連して、大統領選挙後の盧武鉉政権に対する評価や世論調査を見ると、「何をよくやったか」という問いに国民の三分の一が「何もない」とまで答えています。残りの三分の二も、過去の清算、不正腐敗や権威主義の打破、社会福祉などはよくやったとしながらも、一方で格差問題や不動産問題、景気の低迷、民生問題などには失敗したと多くの人があげていました。私がさきほどなぜあのようなことをお聞きしたかというと、『ハンギョレ』紙の世論調査(2008年1月2日)によれば、韓半島の平和定着を盧武鉉政権の功績と答えた国民はわずか4.9%にすぎません。功績の中で最も低い数値です。先生は再三、金大中政権と盧武鉉政権について、少なくともこのような問題では比較的肯定的な評価をされていたので、ちょっとお聞きしました。
白樂晴 世論調査の具体的なやり方やアンケートの内容がよく分からないので、正確には言えませんが、前回の大統領選挙で平和問題は主要な問題ではありませんでした。たとえば李会昌(イ・フェチャン)氏と鄭東泳氏の対決になっていたら、それは重要な争点になったかもしれません。国民の関心から消えてしまったような面があります。「盧武鉉政権が平和定着のためにおこなった努力を評価するか」と聞いていたら、「評価する」という答えの方が圧倒的に多数だったと思います。でも「平和定着を完全に達成したか」といえば、それはまだまだだと考える人の方が多かったでしょう。多分に質問の聞き方によって違ってくるのです。そのうえ盧武鉉政権の平和定着の努力を支持した論客と格差に反対する論客とに分けてしまうのは、誤まった二分法だと思います。私は崔章集教授を批判したことがありますが、あの時は、韓半島や韓国社会の問題が、南北関係や南北間の統合過程とかなり複雑に絡まっているのに、それをあまりに単純化し、平和の問題も分断の現実と別個に分けて単純に把握し、格差の克服についても南北間の再統合過程とからめた構想がないために、誰もが簡単に口にする新自由主義批判以外に具体的な答が出ていないということでした。ですが、そのように批判するたびに一部の保守的なマスコミでは、白氏はNLを代弁して崔氏はPDを代弁しているというような、でたらめな二分法の枠にあてはめながら、私の立場を単純な論理に還元していました。 NLとPDはともに80年代の韓国学生運動の二つの潮流で、民族主義的な傾向の強いNL[民族解放]派が多数で反米・親北朝鮮、PD[民衆民主]派が少数派で階級志向だった。80年代の学生運動の構図は2000年代になって、この世代の政界入りによって現実政治の構図の一つともなっている。――訳注 今、趙孝済さんも多分に韓半島の平和定着を支持する方が格差についてあまり関心を持たないとか、新自由主義に対する批判意識が足りないかのように議論を設定して質問されているようですが、私は国内改革の問題をなおざりにして平和統一問題だけを強調する勢力についても批判しましたし、同時に分断体制克服という認識なしに新自由主義を批判してみたところで、答は出ないという主張だったんです。
趙孝済 私の申し上げたのは、有権者の票につながる現実的な言説という面から見れば、それがマスコミで歪曲されたとしても、とにかく言説の片寄り現象のようなことが起こりうると考えるのです。たとえば「平和が重要か」と聞けば90%以上が「重要だ」と答えます。ですが、それが票という形につながる時は後回しにされる傾向があります。
白樂晴 今回の大統領選挙では経済が大きな問題でした。それが決定的な問題になった背景には貧富の格差があります。ですが、そこから出た答えは、むしろ格差を煽る政策を支持してきましたし、盧武鉉政権がそれでも不動産政策などで格差に対応しようとした時に揚げ足ばかり取ってきた勢力が、今回政権を取ったのではありませんか? だからこれから私たちが格差の問題や新自由主義の問題についてさらに真剣に討論し、それと韓半島の平和定着の問題がどのように関連を持つかについても明らかにするべきだと言うならば、それは正しい指摘です。ですが、まるで私たちが格差だけを単に批判してきた単純論理にさらに重点をおいていたら選挙の結果も変わりえただろうというような分析には同意しません。これからの課題についても、そのような単純論理をさらに力強く進めることは解決策にはならないと思います。
候補一本化は戦術として失敗だったか?
趙孝済 私が見る時、疑惑が事実として明るみになったとしても、最後に公開された動画事件だけでも、票差に少しは影響を及ぼしたのかもしれませんが、結果は大きく変わらなかったと思います。
白樂晴 ですが、最後に動画が公開される形でなく、検察が徹底的に捜査して、嫌疑の内容が事実かどうか、私たちには確実にはわかりませんが、疑惑の相当部分が事実として明るみになったとすれば、これは全く異なったレベルの問題、全く異なったゲームになるのです。第一に法律的に候補登録原因無効の事案になります。またハンナラ党の予備選挙の過程で道谷洞(トゴクトン)の土地の問題 李明博氏がソウル江南区道谷洞の土地を借名保有していたという疑惑。これも結局嫌疑なしとされた――訳注 が明るみに出た時、李明博候補の支持が急落したじゃないですか。もちろんその時は党内予備選挙の時期で、彼の相手も鄭東泳候補ではなく、同じ党内の朴槿恵(パク・クネ)候補でしたから、まったく同じとは考えられませんが。検察のような機関が国家機関の公信力をかけて事態を暴き適切な検証をした時、それが大統領選挙に何らの影響も与えなかっただろうという断定するのも、私はかなり勇敢な主張になると思います。もしそうだったとしたら大統領選挙の結果はひっくり返っただろうという断定も簡単に下すことはできませんが、どうせ負けるゲームだったという断定もそれと同じだろうと思います。これは趙さんの最後の質問とも関係します。大統領選挙の投票日である12月19日ではなく検察捜査の発表よりはるかに先のある日にすでに結果が決まっていたら、検察がどのように捜査しても変わらなかっただろうという答が出るでしょうし、あれこれの様々な敗北原因が蓄積されてきましたが、またそれに対処できる、あるいはその流れを変えることのできる様々な変数もともに存在したと考えるならば、他の答えが出ることもあるでしょう。もちろん四つ目の質問について、趙さんがお持ちの考えが充分な分析によって裏付けられ、検察捜査よりも以前にすでに敗北は確定していたという判断ができていたら、それこそ首肯するべきでしょう。12月19日の敗北が当日決まったわけではないというのは誰もが認めることでしょう。大きな票差での敗北が一日二日の間に決まったわけではないという部分には同意します。ですが、徹底的な検察捜査によって李明博候補の重大な違法行為、選挙法違反や公職者倫理法違反を含む重大な違法行為が明るみに出てもひっくり返らないほどの敗北要因が、いつ決定的になったと考えるのか、私の方から逆にお聞きしたいですね。
趙孝済 事実は先生のおっしゃる通りで、検察で起訴の状況まで行っていたら大統領選挙への出馬自体がだめになりますから、この質問はそのようなことまで念頭においているわけではありません。もちろん選挙結果はふたを開けてみるまで誰も分からないという原則からすれば誰も予見はできないでしょうが、なりゆきや世論調査の流れがかなり下向きの曲線を描いていたことは事実だと思います。私は2006年の地方選挙以降、与党が緩慢な後退の道を歩みつづけてきたと考えているので、そのように申し上げたのです。もちろん私もそのように敗北主義的な姿勢のまま手放しの状態でいようというわけではありませんが、今回の選挙が最後までどうなるか分からないというような一種の虚構的な認識が改革進歩陣営内にあったと思います。投票の当日までそうでした。
白樂晴 それはそうです。そのような認識がかなりあったことは事実ですが、それに関連して私と直接関係する二つ目の質問に入りましょう。候補が一本化していたら選挙結果が変わりえたかと聞きながら、それを私の立場だとされました。候補一本化のために自分なりに最善を尽くしたことは事実ですが、一本化すれば勝利するという前提でそうしていたわけではありません。今回の過程でお分かりのように、在野の元老という人々が毎回少しずつ違う名簿でしたが、一本化を求める声明を三度も出しました。
趙孝済 最後のものが出たのは12月17日でした。
白樂晴 ええ。ですが、三度とも焦点が違いました。一本化を正面から提起したのは11月19日か候補登録の前でした。一本化が充分な効果を出すためには、候補登録の前になって譲歩した側は候補登録をしないのが正常な方法だからです。記者会見の原稿を私一人で書いたわけではありませんが、三つの原稿ともみな私としては責任を負える内容です。最初の記者会見では敗北主義の克服に焦点がありました。もちろん民主改革勢力を自称する人々が、これまでの盧武鉉政権の実情などについて何らの反省意識もなく、政治工学的な考え方だけで勝利できるという幻想を持ったのは誤まりですが、だからと言って選挙を前にどうせ負ける選挙だといって完全に敗北主義に染まり、できる努力さえしないのは本人たちのために悪いのはもちろん、勝者のためにもよくないという論理でした。また韓国社会全体のためにもよくないことだ、だから敗北主義を克服するべきだ――ですが、この敗北主義の克服と候補一本化の問題は互いに関連した問題だったのです。一本化できないから敗北主義が蔓延し、敗北主義に染まっているから候補一本化もうまくいかないんです。だからそのような状況を打開するために発言したのです。一本化には成功しませんでしたが、敗北主義に染まっていた当時の雰囲気を少しは刷新できたと思います。
趙孝済 私が教え子の中に、その声明文をコピーしてきて、私に見せてくれた学生もいました。
白樂晴 二回目の記者会見は検察の捜査発表の直後でした。あの時は厳正に捜査して司法の正義を実現すべき国家機関が、どうしてこのように不始末な捜査しかできないのかということを主に問題視しました。正確な事実は検察がきちんと公開しなかったので分かりませんが、当然捜査すべきところを捜査しないで発表したのは明白な謝りということです。また道谷洞の土地問題についても、すでに発表されていた内容からも後退した発表をしました。このように国家機関の公信力が損なわれて民主主義が脅かされる状況を指摘しながら、このようなところで一本化すらできないでいて本当にいいのかという言葉を付け加えたんです。
12月17日にもう一度記者会見をしましたが、会見を決めたのは光云(クァンウン)大学の動画が出る前でした 李明博氏が2000年10月に光云大学最高経営者課程の講演で「BBKという投資コンサルティング会社を設立した」と話す様子が収録されている動画が公開された。――訳注 ビデオ公開前も李明博候補の嫌疑を傍証する資料は出つづけていました。私たちは政治家が聖人君子たることを期待するわけではありませんが、このように嘘をつきつづける候補に対してこのまま見過ごすことができるのか、選挙に勝っても負けてもここで私たちが問題提起をしておかねばならないと考えたのです。後日、指導者の道徳性の問題を本格的に提起する契機ができても、後の祭りのような状態になっては面目が立ちませんから。ですが月曜日に記者会見する直前の日曜日に動画事件が起きました。なのに李明博候補は一点の恥もないと言ったではないですか。一本化さえすれば勝つと判断をしたのではなく、またその時点で一本化はすでに過去の話になっていました。ですが、もっと早く一本化していたらどうだったろうかということは、やはり開かれた問題だと思います。そのうえ2006年の地方選挙以降、下向曲線を描きつづけてきたという診断にはちょっと同意できません。鄭東泳候補の26%の得票は選挙戦初期に比べてもかなりの結集を実現したのです。ですが、検察捜査や候補一本化などきっかけは何度かありましたが、どれ一つ実現できなかったのは確かに実力不足でした。とにかく私と志をともにした人たちの大多数は、負けても勝っても最善を尽くそうという気持ちでそのような努力をしましたし、私たちが表明した原則は長く韓国社会の重要な争点として生きるだろうと思います。
李明博特別検察捜査と大統領就任の相関関係
趙孝済 この対談が紙面に出るのは当選者が大統領に正式に就任する直前でしょう。私はこのような仮定もしてみます。今、特別検察の捜査が進行中だから速断は難しいけれども、万一、法的に問題がないと判明しても、動画で自分が直接BBKを設立したと豪語しているのが公開された時、後で、それはいわゆる「実体的真実」とは異なると言い逃れをしたのです。私はむしろそちらの方が問題だと思います。とにかく実体的真実を云々するということは、自分が法的に実際の所有者ではないが、嘘でそうだと言って回ったということではありませんか。
趙孝済 まったく同感です。また私は、一国の大統領や国家元首の持つ政治的・法的・道徳的・規範的な面の重大さを考える時、今回の大統領選出は、よく言えばカウボーイのように大口をたたいていた人が、極端的に言えば露骨ないかさまをした人が、大統領になる可能性があることを示した、とても深刻な出来事だと思います。私はむしろ政治・経済的な論理、理念的な論理で競争と市場を重視する新自由主義者と、ある意味ではとても健全な論争をすることもできたはずでしたが、このように論理以前の原初的な法的問題、指導者や公人としての資質の問題がまず目立ってしまったのが、韓国の政治社会の汚点であり不幸だと思います。むしろいかさまをしない、きれいな新自由主義者が出てきていたら、批判して戦う相手として好都合だったのにと思います。
民心は天の心、善悪是非は人間の分
白樂晴 討論のようなものが少しでも交わされて投票したでしょう。趙さんの最初の質問は民心の審判に関することでしたが、私は「民心は天の心」という言葉には同意します。ですが、その次に考えるべきは、その「天の心」とは何かということです。天は善悪是非を見分けません。私たちが日や月の光を受け、その恩恵で暮らしていますが、太陽が善人・悪人を区別して日を照らしますか? 雨が降る時も分け隔てなく降るでしょう。ですからむしろ天道は無心だからこそ天道なのであり、それを受け入れながら善悪や是非を区別するのは人間の分です。「民心は天の心」という言葉を、すでに国民が審判を下したのだから、おまえたちはみな言うことを聞けというように解するのではなく、審判自体は謙虚に受け入れるが、私たち人間の本分はここから始まるのだ、だからより懸命に、より精緻に是非を極めるべきだという態度で臨まなければならないと思います。民心はたとえば「政権交代」という判定を下しても、政権交代の道具が適当かまでを判断してくれるわけではないのです。実は新自由主義世界というのは、庶民が苦しむ風浪の世の中ですが、船の舵取りである政府が右往左往しているので、国民が何も考えずに反対側から後任を選出しました。ですが、新自由主義に対応する準備が不充分なのは前政権にも劣らぬ状況だと思います。だからこれから私たちがもう少し苦労するべきだと思うのですが、問題は趙さんのお話しの通り、新自由主義のような問題についてより一層理性的に討論してこそ、苦労も無駄に終わらないのです。ですが、苦労ばかりして、まやかしやいかさまに騙されつづけても問題ですし、あるいは新船長のもとで5年間苦労してから、また反対の方にさっと集まって、また準備不充分な勢力が台頭するのも問題でしょう。
趙孝済 先生のお話しの通り、現在の局面は、様々な次元、民主-反民主、保守-改革-進歩の問題以前に、常識vs没常識といいますか、良識vs変則というような啓蒙的な問題さえ解決には程遠いと思います。だからさらに複雑です。新自由主義についておっしゃられたので、私は自然に次の話題に移れそうです。大統領選挙以降、「改革進歩陣営」――この言葉を使うことを嫌がる人もいますが、あるいは「進歩改革陣営」の今後の選択についてお話し頂けますか。
白樂晴 「進歩改革勢力」という名称について、少し概念整理をする必要があります。知識人社会で使う用語が「進歩改革勢力」で、政界に行けば「進歩」という言葉があまり有利ではないので「民主改革勢力」と言っていますが、「進歩改革勢力」という時は、「進歩」と「改革」の間に点のある「進歩・改革勢力」、すなわち「進歩勢力+改革勢力」でもありえますし、両者をわざわざ大きく区別せずに「改革」という時は、新自由主義改革も改革ですが、そのような改革ではなく進歩的な改革という意味で「進歩改革」と言うこともできます。進歩勢力と改革勢力が異なると主張する人もかなりいるので、そのような立場における「進歩・改革勢力」なのか、それとも新自由主義改革でない汎改革勢力がすなわち汎進歩勢力でもあるという観点なのかを明らかにして、議論を進めるのがよさそうです。
趙孝済 実際に『共産党宣言』(Communist Manifesto)でマルクス(Marx)が真の社会主義と様々な偽の社会主義を分けています。私は概念に対するそのような慣性がかなり残っていると思います。特に自らを左派と考える人ほど、それは全く異なるものだと、進歩と改革の間に障壁を設けます。今回の進歩政党の敗因論の一つが、改革勢力に備えて明確なアイデンティティを生かせなかったと見る診断もあります。
白樂晴 ですから、趙さんご自身は、自称「進歩勢力」と改革勢力の間に認識の差があることを認めながらも、障壁を設けて間に点を打つ必要は感じないと理解されているんですね。
趙孝済 ええ。認識と理念の土台が異なってはいるけれど、今日の韓国の現実においてその両者をきれいに分けることがはたして賢明かという問題意識は持っています。現在、進歩改革陣営では、選挙後にいくつかの代案が提出されている状態です。そのお話しをうかがうために「1987年体制」の話をしてみようかと思います。先生は民主化と経済的自由化、南北接近という三つの流れの混在様相を「1987年体制」と規定するとおっしゃいましたが、それと関連して大統領選挙以後、進歩改革陣営の選択肢について、何かお考えはおありでしょうか。
李明博政権のスタートで「1987年体制」は克服されるか
白樂晴 まず明確にしておきたいのは、1987年6月の抗争で87年体制をスタートさせたことは、とにかく韓国現代史の大きな自慢の種です。87年体制に問題や限界はかなりありますが、スタートさせたこと自体は私たちの時代の大きな成就でした。いまやその体制が時効を迎え、順機能よりも逆機能の方が多い時点に来ていますが、この体制を乗り越えてよりよい体制をスタートさせられれば、趙さんも私も人生のうちに二度の大きな歴史的課業に参加する、誇らしい人間になれると思います(笑)。ですが、今、李明博当選者や周辺の論客らは、今回の大統領選挙での勝利で、民主化体制という87年体制が先進化体制へと変わる時点にきたと主張しています。私は以前から、ハンナラ党が今回の選挙に勝利するのはいくらでも可能で、またそれによって歴史的な退行が起こる可能性もあるが、とにかくそれは1987年以前の状態に戻るのではなく、むしろ87年体制の末期現象が延長するだろうと主張して来ました。だから当然のことながら今回の選挙で87年体制を乗り越え、先進化体制に進むという分析には同意しません。
また、87年体制の三つの流れ、あるいは三つの問題に言及されましたが、私がその話をしたのは、87年体制論の主張にかなり寄与した金鍾曄(キム・ジョンヨプ)教授が、87年体制における民主化の課題と経済的自由化の課題、この二つが時には相反しながら結びついてきたが、現在は一種の膠着状態になっている、したがって次の体制は民主化の流れを強化し、経済的自由化は続いても新自由主義を制御できるような体制にするべきだと主張しました。私はその論旨に基本的に共感しながら、金教授の分析にもう一つの要因を加えるべきだと指摘したんです。それが南北朝鮮の関係です。過去には統一勢力vs反統一勢力と単純な区分が可能でしたが、87年体制の下では、特に2000年以降になると、南北の関係進展には同意するものの、または統一に対するプロジェクトをそれぞれ持っているものの、それが既得権勢力中心のプロジェクトかどうかを区別することが重要になったんです。その両者が角逐する問題が一つあります。それから、経済の自由化において、それが新自由主義に対する完全屈服なのかという問題があり、また民主化や社会改革についても、どのような内容でどのくらいまで行くべきかということが入り混じって、しばらくの間は韓国社会の活力に寄与する面がかなりありましたが、これが最近になってきちんと作動していないようです。だから国民はいわゆる民主改革勢力を代表する候補に投票をしなかったのです。ですが、ハンナラ党または李明博政権が新たな規範と均衡を作り上げることができるのか? 細かいところではこれまでの誰よりも成功するかもしれませんが……。
白樂晴 電柱を果敢に抜いたのは事実です(笑)。ですが、たとえば盧武鉉大統領が大仏(テーブル)工団に行って「電柱を抜きなさい」と言っても抜けたでしょう。これが果たして官僚主義を払拭したことになるのか、あるいは専制主義の電柱を新たに立てたのかはよくわかりません。そのようなこと以外に、部分的に経済的な自由化や、はなはだしくは南北関係においても、すぐではないとしても、多少試行錯誤を経験してから果敢に進むこともあり得ます。でも、政治の民主化、経済の自由化、南北関係の発展の新しい配合を通じた真の先進化体制のスタートを期待することは困難だと思うのですが、その理由は二つあります。一つは韓半島でどのような先進社会を建設するのかというビジョンを持って、その脈絡でそれにふさわしい韓国社会の先進化作業が進められるべきなのですが、そのような気配がまったく見えません。ひどい場合には北朝鮮の存在は何が何でも忘れてしまって、韓国さえ先進化すればいいという錯覚と妄想に捕らわれているようです。もう一つは、私たちの社会の真の先進化を阻んでいるのが、実は新自由主義と新自由主義に便乗したあらゆる没常識的な旧態ではないですか? その部分に対する批判意識がかなり不充分だということです。私はそのような意味で、87年体制の克服が李明博政権のスタートになるのではなく、むしろ李明博政権の下で何か苦しんでみて、態勢を整えて韓半島の先進社会建設に対するビジョンも立てて、新自由主義への対応においても、もう少し円満な合意を導き出した時にはじめて可能だろうと思います。
趙孝済 実際に先生がこうおっしゃったことがあります。2007年で覚えているのは「あの勢力(ハンナラ党)が勝利しても、その時の後退は87年体制の末期症状を拡大し延長する後退であって、87年体制と本質的に異なる体制をスタートさせることはできないと思う。私たちの選択は、87年体制を引きずるべきか、それとも変革的中道主義という唯一の打開原則を中心において、それにふさわしい政策配合、勢力連合を作り出すかということである」とおっしゃいました。
白樂晴 誰が書いた文章でしょうね。ずいぶんとよく書けています(笑)。
変革的中道主義とは何か
趙孝済 とすれば、「変革的中道主義」という概念についてもう少しお伺いしたいと思います。先生が以前から提唱されている分断克服論と連動した理論ではないかと思います。大統領選挙の結果と関連して変革的中道主義を修正したり補ったりする必要性をお感じではありませんか? たとえば孫鶴圭(ソン・ハッキュ)統合新党(大統合民主新党)代表の「中道実用論」もあります。読者が関心を示す部分があります。私は個人的に「主義」と言えば政治理念のことを思い出すんですが、ですから変革的中庸と言いましょうか、変革的平衡のような概念の方が妥当ではないかとも思います。
白樂晴 「中道」「中庸」「平衡」の方が言葉としてはいいと思いますが、そのように言ってしまうと、学者が書斎で高尚な話をするという印象が濃くて、実際に私たちの政治に直接関係ある話という印象を与えることができません。変革的中道主義が現実政治と関連した言説であるかぎり、「主義」という言葉にともなう負担は甘受するべきでしょう。他方で変革的という表現は、現実政治ではあまり有難くないものでもありますから、私も再三お話ししていますが、それは選挙用のかけ声ではなく、私たちが87年体制の克服を考える時の、それこそ「唯一の打開原則」を概念化したんです。孫鶴圭氏の他にも政界で中道を主張する人は結構いますが、それらと異なる点を強調しているのが「変革的」という言葉です。変革は具体的には韓半島の分断体制を変革するという意味です。現代の韓半島の住民の立場として、当面の最大の歴史的課題は韓半島の分断体制の変革ですが、敢えて「変革」と表現するのは、一方では現状をそのまま維持しながら改良的に解決できる問題ではなく、根本的な変化が必要なのですが、だからといって戦争や暴力革命を通じた変化ではないという意味もあります。80年代は「革命」という言葉を使って、捕まるのではないかと怖くなって「変革」という表現を代わりに使うことが多かったでしょう。ですが、そのような遠回しの表現としての「変革」ではなく、私たちが通常考える革命とは異なる、しかし、とても根本的な変化なのだという意味です。
変革的中道主義を私たちの現実政治に適用することはさほど難しいことでもありません。現実的には中道改革路線です。過激で進歩主義的な処方よりも中道主義だと思いますが、ただその中道改革が南北の和解・協力および再統合過程とつながっています。だから南北関係の進展に対して果敢な姿勢を取る中道改革ならば、それが変革的中道主義になるんです。志があり精神のある政治家ならば、これを適用して回答を探すことはさほど難しくないと思います。だから大統領選挙の結果を見て、修正したり補完したりするつもりはないかと聞かれましたが、補完は絶えずするべきですし、修正するというよりもむしろ私の気持ちとしては、結局それしか答がないにもかかわらず、どんでもないほかの路線を持ち出して、ずいぶんと忙しく走り回りながらがんばっているなと人々が認めてくれればそれでいいと思います(笑)。
趙孝済 今日の対話を準備する前にかなり多くの資料を読みましたが、特に全五冊の『白樂晴会話録』を読むために、ずいぶんと死ぬ苦労をしました(笑)。
白樂晴 体にいい本なのですが、どうしてでしょうか(笑)。
趙孝済 私はやはり新自由主義に対する問題意識にかなり悩んできたので、先生がおっしゃっている変革的中道主義とその次元をどのように結合して創造的に新しい道を開くことができるか考えて見ました。私たちはよく「新自由主義」「反新自由主義」と簡単に言いますが、私は新自由主義にも四つのレベルがあると思います。
新自由主義の四つのレベル
趙孝済 まず第一に、世界的な次元で1970年代以降、国際経済運用の一般原則として固定したレベルがあると思います。第一世界では放漫な福祉国家の再編過程で「政府の失敗」を反省する意味から出たものでもあります。また第三世界では50~60年代を見ても発展途上国発展論と国際交易をつなげる論理が今よりかなり少なかったわけですが、70年代以降は第三世界でも、とにかく生存のためには国際的な次元で自由市場を通じた発展をはかるべきだというような合意が成立してきました。このような意味でならば、新自由主義は現行の資本主義体制という言葉とほとんど同義です。スカンジナビアやフランスも例外ではありません。このような傾向を完全に拒否することは難しいと思います。世界資本主義体制からの全面的な離脱や完全な意味での脱連携をも含む立場も成立しにくいでしょう。
二つ目のレベルの新自由主義は、サッチャー(Thatcher)やレーガン(Reagan)、李明博のような市場万能の自由放任主義、つまり成長や競争を極端に強調する具体的な経済運用の方向のことを言います。これに対する反対が韓国社会でよく「反新自由主義」と表現されて来ました。ですがこの中にも二つの流れがあります。一つは現在のグローバリゼーションを新自由主義的なグローバリゼーションと規定し、反新自由主義=反グローバリゼーション路線を堅持する進歩的・積極的な反新自由主義の立場です。もう一つは新自由主義的なグローバリゼーションを大勢では受け入れるものの、その中で修正の余地を残そうという程度の改革的な新自由主義管理の立場です。左派の新自由主義、または孫鶴圭氏の語る新自由主義、あるいは第三の道、あるいはダボスフォーラム(Davos Forum)に参加しながら他方では新自由主義に反対する路線――現在、文国現(ムン・グッキョン)氏がダボスフォーラムに行っていると聞いています。私は新自由主義を見る態度が進歩陣営と改革陣営において表現上大きな差があると思いますが、その差は程度の差であって本質の差ではないと思います。だからこの二つの路線が政策の公共性を強化したり、パート従業員問題を解決したり、福祉政策を実施したりする面では合意できると思います。
三つ目は、政治的レベルでの新自由主義があると思います。ノジック(R. Nozik)やハイエク(F. A. Hayek)らの言う「法的民主主義」です。この時は、法の支配が多数の支配原則よりも優先するとか、特に憲政国家を強調し民間に対する国家介入の制限を主張して、官僚的規制を撤廃したり労働運動を制限するべきだとするものです。このような法的民主主義に対抗するためには、民意の支配と民意の平等という民主主義の一般原則をかかげる必要があります。ずいぶん前、先生が「具体的な自由に対する具体的な闘争をするべきだ」とおっしゃったことがありますが、私はそれがまさに、民主主義原則を集合的な共同体の生のすべての地点に該当する闘争として考えようとしたものと理解しました。私は大運河問題 李明博氏が大統領選挙で建設を公約にかかげた運河。ソウルに流れ込む漢江と釜山に流れ込む洛東江を上流でつなぐもの――訳注 を見ても環境問題のレベルだけでなく民主主義原則に符合するのかというレベルで接近するべきだと思います。
四つ目はいわゆる世界体制論でいう資本主義進化の最後の段階としての新自由主義、またその下位体制として韓半島の分断体制の持つ意味を考えることができると思います。そのような脈絡で、分断体制の克服のために6・15共同宣言 2000年6月に平壌で開催された南北首脳会談の際に当時の金大中大統領と金正日国防委員長が行なった共同宣言――訳注 を守り、強固なものにして行かなければならないのではないかと思います。
だから私は、新自由主義のこの四つのレベルの中で、最初のレベルを除く残りの第二、第三、第四のレベル、つまり政策の公共性、パート従業員問題、福祉政策、民主主義原則を守る問題、そして分断体制を克服する課題などは、進歩改革陣営の多くの勢力が各自のアイデンティティを守りながら大同団結できる余地がかなりあると思います。そのことが先生の「変革的中道主義」とも通じるのではないか、または曺喜昖(チョ・ヒヨン)教授のおっしゃる「複合的新平等連合」とも通じるのではないか思います。私なりに申し上げれば、金銭中心の先進化ではなく、分断体制の克服をも含む人間中心、人間安保型先進化論のようなものが必要だと思います。
新自由主義反対と資本主義反対は区別すべき
白樂晴 四つをよく整理して下さいました。私の考える変革的中道主義と通じるところがあるという結論にも同感です。ですが、実際に韓国の言説世界を見ると、一番目、つまり、すでに不可避な大勢としての新自由主義を――「新自由主義」という名称があるからそうなのであって、実質的には資本主義世界市場が現存し作動するかぎり、私たちが避けられないあるものを――認めない人々もかなりいると思います。少なくとも普段のレトリックや掲げているプログラムを見ると、新自由主義反対という言葉と資本主義反対という言葉がほとんど区別されない場合があるようです。もちろん私も資本主義というものが長期的には人類の全うな生と両立しえない制度と考え、また人類の生存と両立不可能な体制だとも思います。ですが、それは長期的な次元でいうことであって、現在、新自由主義反対論と資本主義反対を一緒にして語るのは間違っているのではないかと思います。でも実はいわゆる進歩陣営の内部では、そのことすら同意できない状況ではないかとも思います。ですが、これから合意を引き出すならば、それは変革的中道主義の方向で合意されるべきで、対策なき資本主義反対の方に行ってはならないという話ならば、私はもちろん同感です。
ですが、四つ目の分断体制論と関連したところでは、まず世界体制論において新自由主義を資本主義の最終段階として考えているのか、それとも最後から二つ目の段階として見ているかが確かではありません。それは世界体制分析を専門的にやってきた学者に聞いて見た方がいいと思いますが、ウォーラーステイン(I. Wallerstein)のような人は、むしろこれが最終段階ではないと考えているようです。ブッシュがイラクに攻め込んだのは厳密な意味で新自由主義ではないんです。
趙孝済 そうですね。ブッシュよりはクリントンの方が典型的な新自由主義者でした。
白樂晴 ええ。とにかく新自由主義から、むしろ新しい規制や政府介入、また有無を言わせぬ掠奪、またこれによる大混乱へと進むのが、資本主義世界体制の最終局面なのかもしれません。ですが、分断体制論で展望している分断体制の克服は、時期的には資本主義世界体制の終末より先に来ることになっています。ですから、一つ目は分断体制の克服が世界市場での離脱を意味するわけではないという前提がともなうものであり、二つ目に、このことは後で話す機会があるかもしれませんが、韓半島の円満な統一が世界的な近代克服の過程で重要な出来事であると同時に、韓半島の住民の立場では近代に適応する過程でもあるという点です。だから中道主義が必要なのです。もし世界体制の終末と分断体制の終末が同時に起こるものであると設定すれば、さらに急進的な路線を取るのは当然ではありませんか?
趙孝済 実際に今、おっしゃったように、韓国で新自由主義に対する反対論と資本主義自体に対する反対論が混ざっている現象もあり得ますし、また進歩陣営の知識人らが今はどんなことを言っても捕まるような世の中ではありませんが、にもかかわらず、そのような部分に対して遠慮するとでもいいましょうか、警戒するような雰囲気があることは事実です。なぜだろうか、どうして正確に検討し区分し思考しないのだろうかを考えてみると、もともと左派運動、急進運動、社会主義運動は初期から持たざる者の代案運動として登場したために言説が重要でした。これはもちろん私の話ではなくて論者らが言っていることですが、言説や理論が重要でしたから、理論の鮮明性、純純性、純潔性のようなものが核心資産でしたし、それが崩れれば運動自体が終わってしまうような状況だったので、それを堅持する側面が重要だったということです。二つ目は、伝統的に左派運動は知識人らが主導してきて、そのために理念の純潔性とでもいいましょうか、理論的正確さのような面で現実的・具体的内容や柔軟性を語ることになれば、すぐ変節とか改良だとかいう攻撃がなされるのです。だからこれはむしろ一つの逆説でもありますが、私は今回の李明博政権の登場が、進歩改革陣営の一種の自己検閲機制のようなものを解除する効果があると思います。だから不幸の幸いで、そのような面では一つの意味を見出せるのではないかと思っています。
白樂晴 当然そうするべきでしょう。実際に大統領選挙の敗北を通じて私たちが得たものは少なくないと思いますが、ただ私はとても軽はずみに反省を語る人、反省をしても敗北の痛みのない人はあまり信頼できません。
趙孝済 具体的に現在の進歩改革陣営が代案として出している路線についてはどうお考えですか?
大統領選挙敗北後の進歩改革陣営の代案戦略について
白樂晴 さきほど韓国式の第三の道や曺喜昖教授の新平等連合論などに言及されましたが、ともに変革的中道主義とは距離があります。曺喜昖さんの新成長連合vs新平等連合という構図は、再び必敗の構図を作るのではないかと思います。新成長連合はきちんとした連合で、彼の言う中途リベラル勢力もかなり多数を包括できますが、新平等連合は言葉だけの連合で、「中途リベラル」と「進歩」を二分する構図を作るのではないでしょうか? それにこの構図から排除されているのがいわゆる自主派の問題意識です。私はいわゆる自主派を擁護しているわけではありませんが、民主労働党内で自主派が問題になったのは、彼らが分断問題を強調し統一を主張すること自体が間違っていたからではありません。統一の主張が単純論理に流れるのが問題ですし、もう一つは組職内にいわゆる「従北主義者」――北朝鮮に追從する人たちがどれほどいるかは分かりませんが、「自主」ではなく「従北」が問題になっているうえに、彼らが数的に多数を動員して組職を掌握するという「覇権主義」が争点になっていたんです。だからと言って、韓半島の分断克服に対する問題意識自体を一掃してしまって、何かができると考えるのは大きな勘違いです。曺喜昖さんのような論者らは、今回の大統領選挙で中途リベラルが二分されて、民主労働党の中で自主派が割れたことを、いわゆるPDないし平等派復活の好機と考えているようですが、彼の新平等連合は戦術的にも敗北する構図であるばかりか、韓国の現実に対する戦略的な解答が出てこない構図だと思います。私の言う「後天性分断認識欠乏症」の事例をもう一つ見るような気持ちです。
趙孝済 曺喜昖教授の複合的新平等連合の構図は、進歩陣営の平等性指向と改革陣営の公平性指向を適切に調和させるべきだという主旨と理解でき、進歩陣営の基準から見て、むしろ柔軟な立場に近いのではないかと思います。かと思えば、改革陣営に属する金皓起(キム・ホギ)教授は、大統領選挙後に完全に決心したように社会統合型グローバリゼーションを主張しています。グローバリゼーションの大勢に積極的に参加しながら、成長と福祉をともにはかることができるという立場です。グローバリゼーション善循環論とでもいいましょうか……第三の道を連想させます。
白樂晴 基本的に学界ではギデンス(A. Giddens)、政界ではブレア(T. Blair)に代表される「第三の道」は、新自由主義を少し野蛮さを緩めて受け入れる路線だと思います。それさえもイギリス式の政党政治の伝統や福祉社会の基盤の上で決まった現実的成果を収めています。韓国でそれができるかも疑問ですが、基本的に韓半島的な視角を排除し、韓国だけでグローバリゼーションを受け入れるべきか、それとも反対するべきか、このように論争の構図が定まってしまったら百年たっても同じことです。そのように見ると、積極的に受け入れるけれどあまり行き過ぎたらだめで少し慎重に行こうとか、でなければ反対するけれど、あなたのように過激に反対すると困るので少し抑えよう――このような折衷主義しか出てきません。韓半島で分断体制を克服する過程、南北を再統合して韓半島地域経済を建設していく過程は世界で類例がないことなので、他ではなかなか出会えない機会が開かれているのです。この機会を捉えようとするならば、無条件にグローバリゼーションに便乗してもだめですし、反対ばかりしてもだめなのはもちろんですが、機会を捉えて活用できるだけの適応力は私たちが育てなければならないのではないか、だが、もう少し遠大な目標に合わせる努力を同時にしなければならないのではないか――このような観点から接近するべきでしょう。それがまさに変革的中道主義であって「近代適応と近代克服の二重課題」論とも通じるのです。
趙孝済 おっしゃることを幾何学的に解いて見ると、一方に進歩左派があり他方に中途リベラル改革陣営があるとすれば、その中間くらいに先生のおっしゃる分断体制克服の変革論があって、両者にすべて合わせなければならないという……航海術でいう三角航海法のようなものですね。
白樂晴 とにかく中道論なのですが、韓国社会の右派の人々の中には、普通の右派ではなく極右派が多くて、残りの勢力も統一についてはこれといったビジョンがないんです。北が滅亡したら受け入れればいいとか、今すぐ吸収統一はだめだが、もう少し待ってから吸収統一をしようとかいう漠然とした期待の水準しかありません。ですから変革的中道主義は左派だと認識するようになって、実際に韓国社会の現存スペクトラムから見れば左側に属するのは明らかです。ですが右派か左派かにこだわり始めたらまた古い枠に戻ってしまいます。
真の「実用主義」の姿勢で南北関係に接近すべき
白樂晴 統一省の廃止問題に限っていえば、李明博政権や大統領職引継委員会が実用的な接近をせずに理念的な接近をしていると思います。憲法に示された統一指向性のような問題をはなれて実用主義的なレベルでも話にならない方案なのですが、理念に囚われていると思います。これは当然のことながら国会で歯止めをかけるべきですし、多分かかると思います。大運河問題は実用主義なら実用主義でもいいのですが、それこそ浅薄な実用主義です。
趙孝済 あれはパワークレーン実用主義だと思います。
白樂晴 ええ。それもいい表現ですね(笑)。後で何がどうなってもとりあえず仕事をはじめて景気を回復させて可視的な成果を出そうということでしょう。このような事業をスタートさせる時に集まる人々は、それこそ将来のことなど考えたりはしません。地価が上がるからという理由で賛成する人々、建設景気がよくなるから賛成する建設業者などが集まるわけですが、ある意味では李明博氏も結局そのような世界で育った人じゃないですか。大統領になったらそこから脱皮しなければならないのですが、それができずにこのように無謀な事業をしていたら互いに不幸なことになります。
趙孝済 冗談で、大運河で得する人々は、建設会社、それからおっしゃる通り、土地を持った人々、また近隣の食堂などしかないだろうと言っています(笑)。実際に私はこの問題も民意支配という民主主義原則で対応し解決するべきだと思うのですが、さきほどおっしゃった統一省の議論と関連して、本格的に新政権が主張する北朝鮮の核問題の解決、大規模経済の支援や対等交換の主張が李明博式の太っ腹の主張でもあります。ですが、私が少し心配しているのは、韓米協調を強化するべきだとか、北朝鮮の人権問題を積極的に提起するべきだという主張が、相互主義という側面以外にも、単純な形式論理のレベルで人々に接近しているように感じられるという点です。このような問題はどうお考えですか?
白樂晴 北朝鮮の核問題は国際的な懸案で、私たち国民の大部分が必ず解決すべき問題と考えているので、そのことの強調が国民の共感を得るのは事実です。「北朝鮮の核問題の解決」ということをどのようなレベルで考えるかによって、これまで太陽政策 韓国の対北朝鮮融和政策。金大中政権時から始められ、その次の盧武鉉政権でも継承された――訳注 を通じて進めてきたやり方とさほど変わらないかもしれません。たとえばまだ完了していませんが、核不能化の段階が順調に仕上がって、次の段階への進行が確実になるくらいになっても、とりあえず解決の途上であると考えて太っ腹の経済支援を始めると言えば、盧武鉉政権の政策とレトリックの違いはあっても内容上大きな差はありません。そのうえ言葉通り実行に移されれば、むしろ李明博政権の方が強く出て、仕事をよりまともに成し遂げたと評価されうるでしょう。一方で文字通り完全な核廃棄の成立後に経済協力を始めると言えば、これはやらないというのと同じで、核廃棄の前倒しにも役立たないと思います。私の知るところでは、大統領職引継委員会のメンバーの中で南北関係の経験が多い人はほとんどいません。だから一部は無知が招いた結果であって、一部はこれまで太陽政策を進めてきた金大中・盧武鉉政権を親北朝鮮の左派であると攻撃した理念的性向が作用して、現在、統一省廃止の話まで出ているわけです。私は南北関係では結局、李明博氏の実用主義がそのような理念的性向に打ち勝つだろうと思います。国際情勢もそうですが、南北関係における真の実用主義でなくては、経済の復興もうまくいかないでしょう。
ですが、分断体制の克服を語る立場では、それがうまく解決しても憂慮されるところがあります。私たちの言う分断体制の克服というのは、現存する分断体制よりもいい社会を韓半島に建設しようというのが目的であって、単純に国土を統一するとか北朝鮮の経済を回復させることが目的ではありません。そのように見る時、李明博大統領が太っ腹の経済協力をするからといって、京釜大運河事業のようなものを北朝鮮の領土のあちこちにも拡げて、韓国だけではなく韓半島全体を乱開発の修羅場にしてしまったら、それが分断体制の真の克服に役立つでしょうか? むしろ経済協力が少し遅れることがあっても、ゆっくりと進めながらきちんとやった方がいいかもしれません。この点についても市民社会が積極的に介入して見張るべきです。特に韓国社会の内部で人権や女性、環境のようなアジェンダをかかげる方々が、分断現実の具体的な状況に対する認識を持って介入するべきだということです。韓国で人権を主張するから北朝鮮の人権も主張しろだとか、環境活動家だから北で開発する時に環境調査を徹底的にやれというような水準では、単なるかけ声や原論的な要求に過ぎません。南北関係が今どのように進んでいて、北でどのような話をどれほど受け入れられるかを確認して介入すべきですが、そうするならば、普段も南北関係が、自分が韓国で進めている運動自体と関連しているという認識を持って、実力を積むべきでしょう。
趙孝済 自分が人権問題を勉強してそれに関心を持っているからでしょうか、お話しの中に北朝鮮の政府と関連した人権問題の方に特に関心が行きます。この問題はかなり爆発性が大きく、下手をすると南北対話自体を閉塞させるかもしれない敏感な事案ですが、李明博政権が相互主義・実用主義という名で人権問題を語ってしまう側面があります。私は韓国の人権活動家が韓半島全体の人権問題に関心を持つべきだと普段から話してきました。にもかかわらず、このように南北政策の重要基調として北朝鮮の人権を主張するのは非常に危険な発想であって、敏感な効果をもたらしうると思います。外国の人権団体で活動した経験を振り返ってみれば、実際にその人々が韓国の人権問題を指摘して、私が韓国の人権問題について学んで悟ったというよりは、彼らが自らの社会の人権問題の恥部をさらしながら闘争する姿を見て学んだことの方がたくさんあります。ああ、このような問題で人権運動をやっているのだな、このような問題まで人権問題として思考しながら闘争しているのだなと思いました。だから私は、北朝鮮の人権問題は体制優越的な論理で接近するのではなく、むしろ「易地思之」(相手の身になって考える)で、自分たちの恥部や人権問題を果敢に開放して示して、もちろんそれが宣伝・煽動に利用される心配がないわけではありませんが、北の住民が韓国ではあのようなことまで人権問題として認識している、あのようなことで熾烈に闘争していると言うことを示すのが、北朝鮮側の人権意識を向上させるよりよい方法だと思います。
白樂晴 同感です。そのような活動がすぐに北朝鮮の住民らに知られることはないでしょうし、すぐに効果を出すものではありませんが、長い目で見る時、方法上としてもいいと思います。さきほど人間中心・人間安保型の先進社会のことをお話しになりました。人権問題と関連して、私は原則的に人権問題自体を人間安保(human security)という枠で見ることが重要だと思います。そのように見れば南側の社会でも以前は人権レベルで見えなかった問題が人権問題として浮上してくるでしょうし、また北側の人権問題をどのように見るのが妥当だろうかという面でもおおよその答は出ると思います。ですが、あくまでもおおよその答であって、具体的な解決策はその時その時ぶつかって見なければなりませんが、ぶつかる過程で私は、南側から近付く時はもう少し知恵をもって役割分担することが重要だと思います。南北関係を直接担う人々が、たとえば政府当局でいえば統一省の長官をしている人が南北長官会談に出て北の人権問題を提起するならば、少なくとも今の時点では交渉になりません。ですが、北から南側の内部についてあれこれと非難し批判してきた時、私たちがどうして内政干渉をするのかと言うと、あちらからこれは民族次元で言っているのだと応酬する場合があります。同じ論理で、ある時点では北の人権問題を語り、これは内政干渉ではなく同じ民族として民族次元で言っているのだと言うこともできます。ですが、今でも他の部署を担当している人々は、そのようなことも言うこともあり、市民社会でも、あるNGOは北の人権問題をさらに積極的に提起することもありますし、あるNGOは交流協力事業にさらに重点をおくことがあります。
南北国家連合なくして軟着陸も再離陸も不可能
趙孝済 現在、韓半島の問題を見る視角はおおよそ三つほどあるようです。第一に、北朝鮮の体制を基本的に沈む夕陽として見るものの、ただその日没の方式を硬着陸へと持って行くべきか、軟着陸で誘導するべきかという視角の差が存在します。第二に、北朝鮮の体制の未来は予想できないものの、戦争もいやだし吸収統一もいやだから、時間稼ぎをしながら、とにかく分断を「管理」して行こうという消極的現実主義があります。第三に、努力次第で北朝鮮をまた離陸させることもでき、韓半島の平和と統一を保障できると考える視角があります。第一の視角は三つ目の視角を純粋な理想主義であると考えながら、腐った縄を握っていると考え、時間は自分たちの味方だと信じる傾向があります。客観的に見て第一の視角が間違っているのか、間違っているとしたら、どうして間違っているのか、お聞きしたいと思います。
白樂晴 北朝鮮について三つのシナリオを提示されましたが、私自身の構想にぴったり合ったものはありません。まず私は硬着陸の可能性について、まったくないわけではありませんが、それは一言でいってみなが不幸になる道で、腐った縄をつかんで、それこそもたもたと現状を維持するのも一日や二日であって、すでに東西冷戦が終息してずいぶんたちますし、新自由主義の世界的な威勢もある意味ではそのような現状維持を不可能にさせる要素ですから、それは不可能だと思います。ですが「再離陸」させるという時も、今、南北をそのままにして、再び離陸させるということじゃないですか。
趙孝済 離陸させながら何か一緒に新たな体制に進むという意味です。
白樂晴 そのことが質問には明示されていませんでしたが、私は南北連合という政治的な装置なくして軟着陸も無理ですし、したがって再離陸も不可能だと思います。今のように南北が完全に別途に樹立した二つの政府を持ったまま交流協力を続けていては、北の改革開放というものも順調に行かないと思います。盧武鉉政権で対北朝鮮政策を積極的に進めてきた人々がよくこのように、北朝鮮の中国式、またはベトナム式の改革開放を誘導しようと言いますが、中国やベトナムはまず第一にアメリカから体制の安全保障を受けた状態で改革開放を始めました。もちろん北の場合もアメリカとの国交正常化を通じた体制保障を前提に言っているのですが、中国とベトナムは統一をした国なので体制保障問題が簡単ですが、分断国家は違います。ご存じのようにベトナムは戦争でアメリカに勝って統一した後に改革に着手しましたし、中国の場合は台湾問題がありますが、いずれにせよ韓半島のような分断状況ではありません。中国は国共内戦で中国共産党が勝利し、国民党を台湾に追い出して1949年に実質的に統一しました。台湾問題は分離・独立を阻むかどうかという問題であって、中国が台湾に吸収される脅威の問題ではありません。ですが、南北関係ではアメリカが北に対して安全保障をしても、韓国がある限り、改革開放をして交流が活発になれば活発になるほど、北の体制不安がより大きくなることもあります。難民離脱のようなことがさらにひどくなることありますし、はなはだしくは休戦ラインを越えて北朝鮮を脱出する人が出てくることもありますし、国際社会の人権問題の提起もさらに強くなるでしょう……。
白樂晴 そのような自由の統制は今もやっているのですから、それだけなら趙さんがおっしゃった二つ目のオプションにとどまるものです。三つ目のものが再離陸でしたが、再離陸をするためにはまず軟着陸をしてからまた離陸しなければならないという問題以外に、再離陸した後にまた硬着陸させるのか軟着陸させるのかという問題が発生します。だから漸進的で段階的な統一が必要なのであり、この過程がかなり知恵を持って創意的でなければならないということです。とにかくまず軟着陸をきちんとさせるためには南北連合のような管理装置が必要だと思います。国家連合というのは、一方では両方体制を認め維持させながら、完全な分立状態ではなく一定程度協力して、必要な場合に合意の範囲内で相互介入もできる装置です。ですが問題は、一度軟着陸するだけで終わる問題なのか、国家連合の枠の中で軟着陸してまた離陸した時、その次はどうなるのか、このようなことが北側の政権の悩みでしょう。南側で自らの利益だけを考えようとする人々の心配の対象でもあるでしょう。南北連合をすればそれだけ変化の速度が早くなります。その時になって硬着陸する危険については、やはり北側の指導部も悩むだろうと思います。
趙孝済 保守派らはその点を指摘するんです。どうやっても結局、硬着陸することになるのではないかということです。
白樂晴 そうです。自動介入ではありませんが。南北連合になれば、そのような問題は南北間の合意を経て、中国を呼び入れるか、アメリカを呼び入れるか、もしくは私たち同士、力を合わせて収拾するかとの中で私たちがどれを選択することである。
三つの強硬派と変革ビジョンのない穏健派
趙孝済 統一と関連してもう一つだけお聞きしたいのですが、主にどのような聴衆を念頭において発言されていますか。私は今回、先生のご論文を読みながら、先生なりの討論方法の特徴を抽出してみました。先生は論争する時、まず場合の数をすべて並べた後で、討論相手の機先を制して相手の意表をつく形で進めるんです(笑)。最後は弁証法でいえば「合」にあたる命題をつねに率先して提示するので、論争相手は牛同士が対決するというよりは、牛と闘牛師が対立するという感じがして、相手がつねに負けるようになっています。そのような意味で先生が韓半島式統一論を語る時、つねに二種類の聴衆、たとえば北朝鮮の体制を硬着陸させると意気込む強硬保守派に対するように、民族統一至上主義を固守する強硬自主派に対して、現実性を持てという啓蒙のメッセージも含まれているようです。実際に先生はどちらにより重点をおいて発言をなさいますか?
白樂晴 二つの勢力をともに念頭において説得しようとしているという診断は正しいです。どちらにより重点をおくのかというのは場合によって変わるものではないでしょうか。誰でもそうですが、できるだけ多くの聴衆を確保したいと考えるのが発言者の夢ですが、同時にその時その時、他の聴衆と出会っているわけで、それに合わせる必要もあります。たとえば新聞に寄稿する文章なのか、本格的な学術論文なのか、それとも『創作と批評』誌のようなところに掲載する、その中間形態のようなものかによって読者層が変わりますが、いわゆる強硬保守派と強硬自主派のどちらにより重点をおくのかというのは、その時その時の状況によって変わると申し上げておきましょう。もう一つ、私が念頭においているのは、この二つだけではなくてもっと多いんです。強硬平等派も念頭においていますし、穏健改革派という人々の中で変革のビジョンがない方も念頭においています。
趙孝済 では、ほとんどすべての人々について反対なさるのですか?
白樂晴 ええ、ほとんどすべての人々が少しずつ違っていますし、私だけが偉そうにふるまっているということです(笑)。私たちの言説陣営では少なくとも四つを数えることができます。ですからその四つの中で二つを任意に選んで、どちらに比重をおくのかと言われれば、それは答えにくいということです。
近代適応と近代克服の観点、そして教育問題
趙孝済 時間上、他の質問に移らなければなりません。もちろんまだ何とも言えませんが、今日の新聞にしても総選挙でハンナラ党の圧勝を展望する話が出ていますし、今の勢いでは下手をすると保守政権が10年つづくこともあるという気さえします。彼らがもし今回の総選挙で改憲議席を確保する場合は改憲もありえます。特に憲法第119条2項の国民経済成長と適正な所得分配、経済民主化と市場規制についての条項に明らかに手をつけようとしているようです。社会科学の研究者が予見をするというのはかなり負担なことで、自己充足的な面があるので慎重になりますが、2001年の「9・11」でアメリカがかなり変わったとすれば、韓国では今後、この「119」が問題になるのではないかと思います。第119条2項の問題がかなり大きな問題になるだろうと一人で考えています。
そのような意味で、少し論理の飛躍ではありますが、私は今後10年を展望した時、韓国社会の望ましい未来のために人材を育てる方が重要になり、またすべての領域で人間安保中心の真の先進化をはたすためにも、韓半島式の全人教育のようなものが必要だという立場です。先生の以前の発言の中で、教育に対して正面から言及した発言がなくはないですが、それほど多くはないようです。ですから、近代適応と近代克服という問題意識の延長線上で、先生の教育観をお聞きしたいと思います。
白樂晴 今、人を育てることがいつの時代よりも重要になったという点については、もちろん全面的に同意します。ですが、保守政権10年の可能性を暗示されましたが、その点についてはさきほどすでに申し上げました。李明博政権も今、韓国の現実をきちんと受け止める準備ができていない政府なので、5年後に国民の支持を再び受けるのは困難だと思います。むしろ私が憂慮するのは、盧武鉉政権の5年間、貧困層がますます多くなり、そのために格差を実際に緩和できる候補であるかどうかも考えずに、結局、李明博候補を支持したように、5年ほど経ってこれもまた違うと言って他の候補を支持して、その時また準備不足の政権になることの方が心配です。この政権が改憲して政権を延ばす可能性が高いというよりは、時計の針がまた戻ってきた時、また経綸と力量の不充分な政府になったら、それは87年体制の克服ではなく、本当にずるずると引きずりながらますます惨めに延ばされるでしょうし、その方が心配だということです。だからきちんとした教育が必要だという点には共感します。
教育や大学問題について、私は40年足らずですが、大学教員としてかなり長く過ごしましたが、大学運営のようなところでは常に疎外された立場でしたし、外で活動をずいぶんとしていたので大学現場をよく知っているとは言えません。しかも小・中等教育については本当に無知なので発言を控えてきた面もあります。もう一つは、これが分断体制の克服の過程と結び付いて新たな解決策を探さなければ何らの回答も出ないくらい、ずいぶんと閉塞していると思います。ですから私は一昨日行われた、成均館大学の大東文化研究院50周年記念国際シンポジウムでもそのような話を少ししたのですが、私たちは制度圏の大学を無視することはできませんが、大学にすべてを賭しても困りますし、大学の現場や大学の持つ様々な資産を「機会主義的」に利用するしかないでしょう――「機会主義的」がカッコつきですが――一種のゲリラ戦をしながら、なりゆきを見て特に分断体制を克服していく過程で、どのような隙ができるかを見守るべきであって、今、この状態で正規戦をして勝てるような戦略が私には正直ありません。ですが、分断体制の克服だけをとってみても、これはかなり現実的な課題でありながらも抽象水準のある命題です。それから教育問題とつなげて具体的な提案をするならば、現場をよく知る人がやるべきだと思います。
趙孝済 現在、大学の人文・社会科学、いわゆる文科系の教育をみた時、西欧の生煮えの理論がそのまま流布して再生産されているような側面があります。自分の指導学生を育てて外国に送って勉強させて、彼らがまた帰ってきて誰が早く……私が留学を終えて帰ってきて初めて聞いた話のうちの一つが、驚くべきことに「おかえり。ホカホカの話をかなり聞けそうでうれしい」というものでした。その時「ホカホカの」というのは新しい話、新鮮で珍しい話ということです。
白樂晴 本場から直接入ってきた……。
趙孝済 そうです。そのような話を何年かしてから、その次に再充電するために研究留学に行きます。外国に行っていつも充電して、ここに来てまた放電します。そのような観点で近代適応と近代克服の話は、実は原論的に妥当な話であるにもかかわらず、事態の方が悪くなっていくのはなぜだろうとお考えですか?
近代の二重課題論、分断体制論、変革的中道主義
白樂晴 分断体制の克服も抽象水準のある言説だとおっしゃいましたが、近代適応と近代克服の二重課題と言えば、それよりさらに抽象水準の高い言説です。だからこれを直接現場とつなげるのはあまり生産的ではありません。もちろんそれが有効な言説だとすれば、いくつかの段階を経ても当然つなげて考えるべきでしょう。私の考えでは、近代適応と近代克服の二重課題という世界史レベルの言説が韓半島に適用される時は、分断体制克服論になると思います。分断体制の克服は、韓半島で私たちが近代にさらにうまく適応しながらも、近代克服のために決定的な一歩を踏み出す課業になるからです。抽象水準をもう少し下げて、これが韓国社会における変革的中道主義の路線であるという時は、韓半島的な視角を持って韓半島全体に全うな先進社会を建設しようという目標を堅持しますが、それが抽象的な言説にとどまらずに、韓国社会における効果的な実践へとつながるためには、概して中道の方向に進んで最大限の大衆的統合を導き出すべきだという意味です。とにかく具体的な課題をめぐって近代に適応することと近代克服のビジョンを実現していくことがどのように結び付くかは、私たちが事案別に点検して新たな方案も開発しなければなりません。また私自らが、文学評論を含めた私の関心分野においてそのような仕事をできるだけやるべきですが、これはやはり多くの人が協同で作業するべき課題だと思います。ただきちんと協同作業をしようとすれば、このような問題意識を共有しなければなりませんが、まだどれほどそのような共有が成り立っているかは疑問です。
趙孝済 私が見たところ、一般的に批判的で目覚めた知識人なら、分断体制の克服というテーゼよりも近代克服というテーゼの方が共感しやすい一つの接合点になるのではないでしょうか? 先生はいつもつなげて語られますが。
白樂晴 そのような面はあります。私はそのことがむしろ韓国の知識社会の問題点だと思います。近代について巨大な言説を示すとよく頭に入ってきますが、私たちが実際に暮らしている社会を分断社会として認識し、具体的な私たちの社会における改革作業や様々な運動をそのような眼目でやろうとすると大変で複雑なので回避して、まるで分断現実などないかのように、あるいはあっても核心的ではなく付随的な現実であるかのように脇に置いて語ろうとします。そのような状態なので韓国でやっていることもきちんとできずに、近代適応と近代克服の二重課題という命題についても、まあ、そのようなこともあるだろうというくらいで済ませてしまいます。
趙孝済 二重課題ということをずっと強調されていますが、この概念を読者のためにもう少しやさしく敷衍すると、どのように説明できるでしょうか?
近代主義および脱近代主義と異なる二重課題論
白樂晴 ある概念を理解する一つ方法は、それが何と反対の言説なのかを考えてみることです。まず二重課題論において、近代適応という表現を使う時は、近代というものが望ましいものなのに私たちがそれをまだ成就できていないという言説と区別されます。近代は1876年の開港とともに私たちが他律的に世界市場に編入される瞬間、すでに私たちに手渡されたのです。その時、近代への転換を経験しましたが、主として他律的だったのです。この現実にどのように適応して生きていくのかという問題があって、近代というものが外部にあって、それを私たちが成就すべきだということではないのです。もちろん近代社会のいい点の中で私たちが成就すべきものはまだたくさんありますが、それは近代適応の課業の一部でもあり、さらに一歩進んで、そのようなものを吸収することで次の段階に行けるという点では、近代克服の課業の一環でもあります。ですが、とにかく二重課題論は近代主義と確実に区別されるものです。
他方では、様々な近代克服論、あるいは近代に反対する言説があります。もうずいぶん減ったと言いますが、近代に転換する時点で見れば、近代以前の観点で近代自体の到来に抵抗する前近代的な近代克服論があるでしょうし、衛正斥邪論のようなものがその代表的な事例でしょう。最近は脱近代論と言って近代克服をかかげたりもしますが、ある人々は脱近代の言説が出たから、すでに近代以後に立ち入っているかのように、だから脱近代の時代、または近代以後の時代と考えてしまう、そのような部類のポストモダニズムもあり、もう一つの場合は、まだ時代としては近代であると認めるが、脱近代のためにも近代に適応する事業がどれほど重要かをおろそかにする非現実的な代案も多いと思います。ですからあれこれの理論の反対にあるのが二重課題論です。様々な国内の政治路線や社会運動路線の反対にあるものが変革的中道主義であるようにです。
趙孝済 例の、場合の数をみな並べてからすべてに反対する先生の論法が、ここでも適用されているようです(笑)。にもかかわらず近代適応と近代克服の課題、かなり抽象性の高い一般テーゼを私たち読者が理解して、具体的な生活において何とか適用しなければならないわけですが、空中戦とゲリラ戦、白兵戦をみな一緒にするのは……。
白樂晴 抽象性が高いということは実は適用範囲が広いということですから、おそまつに適用しないようにしようということで、どのように適用するかということは事案別に絶えず探求するべきです。
白樂晴 普通は英語教育や学習問題をめぐって「近代適応と近代克服」を云々すると、あたりかまわず巨大言説をふりまわすと悪口を言われます。ですが、趙さんが例としてあげたので、そのような発想がここにも適用できるということは言えます。英語教育は今よりさらにうまくやるべきですし、私たちの世代のように中学で始めるよりさらに早くから英語を学ぶ必要があるということは、近代適応の過程で妥当な命題だと思います。ですが、これを近代主義に埋没した形式ではなく――最近よく見てみると「近代主義」という表現はすばらしく、それこそ賎民資本主義のふりをしていますが――本当に近代克服と一体をなす近代適応の作業の一部をやろうとするならば、発想と進行形態がみな全く異なっていなければなりません。狂風式にしては英語をきちんと学ぶわけでもなく、裕福な人を中心にことが進んで、幼い時から子供たちを虐待して社会の葛藤も助長するんです。近代というこの困難な時代をかきわけながら、よりよい生を開拓できる、すべての主体の力量を、むしろ剥奪したり萎縮させたりする方向に進んでいます。
白樂晴 私はソウル大の英文科に長く在職して、大学院まで出てアメリカに留学に行った指導学生もかなりいますが、そのなかでも一部はあちらでフェローシップやアシスタントシップなどの奨学金をもらって学生たちに英語を教えたりしています。教養英語の時間に助手の仕事をしたりしてアメリカの学生らの文章も直してやったりしています。彼らの英語の流暢さは学生たちと比較になりませんが、助手の仕事はうまくこなしています。なぜでしょうか。この人々は韓国の大学で韓国語が中心ですが、それでも自分なりに教育を受けて考える訓練をしたから、そこに英語能力が少し加われば、会話は上手にできなくてもアメリカの大学の1、2年生が書いた英作文で話の矛盾を指摘できるのだということです。今、趙さんがおっしゃったこととも通じる話です。英語が上手で韓国語ができない人が、単に流暢なだけで何の話をしているのかわからないという現象が出てきたり、英語がたとえ下手でも韓国語で考える訓練を経験した人が英語を少し習得すれば、アメリカの大学でアメリカの学生らの英作文を直してやったり採点したりできるというのが、辻褄の合う話ではないでしょうか。
時代的脈絡において評価される知識人になる
白樂晴 整理は勝手にやって下さい(笑)。
趙孝済 『白樂晴会話録』を最初から読みましたが、初めての対談が鮮于輝(ソン・ウフィ)先生とのものですね。1968年1月でした。ちょうど40年前です。今後さらに5冊、同様の『会話録』をお出し下さいとお願いしながら、今日、とてもいいお話しをして下さったことに感謝したいと思います。(*)