近代韓国の二重課題と : エコロジー言説 「二重課題論」に対する金鍾哲氏の批判を読んで
1. はじめに
一方、近代概念の多様性や「二重課題」の実行の現実的困難さ等は別の問題である。人によって異なる概念を使うとしても、各自が近代の基準をどこに置くかを明確にしておけば十分であり、実践的な困難さは別途に考えればよいのである。ただ、二重課題論が抽象水準の高い言説であることを素直に認めつつ、他の次元の言説とどのようにつながることができるかを省察する課題が残される。これについて、最近私は趙孝濟教授との対談において、世界体制という次元にあわせられた二重課題論が韓半島に適用される時には分断体制克服論となり、抽象水準をより少し下げれば韓国社会内における変革的中道主義となるという概略的な説明を提示したことがあるそして当然のことであるが、「具体的な課題を近代に適応することと、近代克服のビジョンを実現していくこととがどのように結合されるかは、我々が事案別に点検し、新たなあり方も開発」しなければならないと付け加えた(白樂晴-趙孝済の対談「87年体制の克服と変革的中道主義」『創作と批評』2008年春号、p.125。。
そのような点から考えれば、この対談が掲載された前号の特集「韓半島における近代と脱近代」において李南周、白永瑞、洪錫律等がそれぞれ二重課題の遂行のための試みを行ったのはとても喜ばしいことである。この中、洪錫律の「大韓民国、60年の内と外、そしてアイデンティティ」は二重課題論の本格的展開を図ったわけではないが、「国民国家、産業化、民主化などの近代の課題がそれぞれ分離されたまま、前後関係を形成し相互を排除しており、また近代の完全な達成と脱近代論とが互いを排除しあう思考が我々の社会の中に依然として根付いている」(『創作と批評』2008年春号、p.66)という問題意識は、二重課題論と基本的に一致している。一方、変革的中道主義を通した韓半島の分断体制の克服と全世界的資本主義に対応する問題をつなげた李南周の
「グローバル資本主義と韓半島の変革」や、これまでの東アジア論を一歩進展させながら、分断された韓半島における南北連合のような複合国家の建設問題を東アジア地域の連帯における重要な議題として浮き彫りにさせた白永瑞の「東アジア論と近代適応・近代克服の二重課題」は、それぞれ自分の関心分野において二重課題論の具体化を試みた例である。その成果はより議論を深めながら検証すべきであるが、二重課題論が決して抽象的な言説として空回りしないということを証明したわけである。
一方、『緑色評論』の発行人である金鍾哲の「民主主義、成長論理、農的循環社会」は、二重課題論を含む私の様々な主張に対して明確な反対意見を出している。これは、もちろん『創作と批評』の常任・非常任を合わせての編集委員陣と異なる立場からの声を聞こうとした企画意図に合致しており、このような企画に応じて誠実な批判をしてくれた金鍾哲氏には私と同僚だけではなく、多くの読者も感謝するだろう。私の方からも金鍾哲氏の批判を真摯に検討し、率直に答弁するのが道理ではあるが、論争というより共有する問題意識から出発した言説の進展を主な目標としたい。
2. 成長論理の批判と言説の次元の問題
まず、私が近代の基本的な性格をはじめとする多くの事案について、金鍾哲と同様の認識を持っていることを言っておきたい。例えば、資本主義市場経済について、
経済成長の過失が普遍的に分かち合える性質のものであると信じるのは、愚かな妄念である。今日資本主義市場経済が求める消費形態は、本質的に浪費を制度化しているものであるが、その浪費的な消費水準を享有することができる人口は、現在は言うまでもなく、未来のいかなる地点においても世界人口の小部分に限られざるを得ないのである。富の均霑は、資本主義の成長メカニズムにとって決して許されないものであり、もし実際に均霑が実現されると、それはもう資本主義システムではないだろう。(『創作と批評』2008年春号、pp.77~78)
エコロジー(ecology)の観点からみる際、資本主義近代文明の根本問題は、それが循環の法則によって動き回っている世界の中で、絶え間なく直線的な「進歩」を追求するように強いるメカニズムに従属されたシステムということである。この根本的な矛盾が解消されない限り、まもなく資本主義の終焉が訪れるのは必然的であるといえる。もしくは、もしこのまま持続されると、資本主義の終焉よりも先に世界の終末が到来する可能性がより高いといえよう。(同上、p.84)
金鍾哲のエコロジー言説においてもう一つ魅力的な点は、民主主義問題に対する彼の特別で強い関心である。これは、彼がエコロジー運動に参加する前から堅持してきた立場であり、もはや100号を迎える『緑色評論』の編集・発行を含む彼の実践活動においても生態系運動と民主主義的志向とを結合させようとする彼の熱情を確認することができる。今回の論文においても彼は「民主主義とは、簡単にいえば、民衆が自分の生活を自らコントロールするということを意味する」(p.71)という前提の下で、「いわゆる『民主化以後』時代という過去20年間我々が民主主義に対してあまりにも楽観的な態度で生きてきたのではないだろうか(…)。我々は、『民主化』はもう達成したので、次の課題は『先進化』であると思い込んでいたかもしれない」(p.68)という反省を提起しながら、盧武鉉政権の韓米FTA協定の強行は、「この国の民主主義の土台がいかに弱いものであるかが暴露されるのに大きく寄与した」(p.69)と批判している。すべてが納得できる命題である。
その他にも、例えば、韓国の従来の伝統的な村の「民主主義的生活方式」に関して、彼が引用する報告(p.73)がどれくらい充実したものであるか、またそこに提示された特徴が事実に合っているとしても、それは従来の農村共同体の非民主的・性差別的要素と連動されているものではないかなど、検討しなければならない問題が少なくない。ところが、実際重要なのは、一般的にいかなる言説であろうと、それが適合したある程度の次元を超えると、無理な話になりがちであるが、金鍾哲の論文においてもそのような「次元の混同」が多くみられるという点である。
例えば、「経済成長は現在の社会経済的格差を土台にしてのみ成立できるものであり、成長の結果は既存の不平等を解消し、あるいは緩和させるどころか、その不平等構造を温存・深化させるのに寄与するだけである。そして再びそのような不平等構造は、継続的な成長の土台になるのである」(p.77)という部分がそうである。これは、資本主義の世界経済の作動原理という高い抽象水準の言説としては妥当であるが--少なくとも私自身は妥当であると同意するが--資本主義体制下の特定の時期、特定の地域における不平等の解消または緩和の可能性という、より低い次元へと移っていく瞬間、独断的な主張にすぎなくなってしまう。さらにいえば、「成長の土台」という側面においても、いくら資本主義体制だからといっても必ずしも社会経済的格差が大きければ成長に有利であるとはいいきれず、不平等構造の一定の緩和が成長を助長することはいくらでもある。
私の「適当な経済成長」ないし「自己防護的成長戦略」に対する批判においても、このような次元の混同がみられる。
資本主義システムは、そもそも「貧困」をなくすことができるシステムではない。貧困を解消するという名目下で展開される経済発展は、むしろ新たな形態の貧困を作り出し、競争力の弱い立場にある人々を悲惨な苦境へと追い立てるだけである。経済発展または成長の論理は、生態的にも、また倫理的にも決して受け入れられるものではない。(p.81)
これは、もう一度資本主義システムの「元来の性格」についての高い抽象水準の言説をみせるものである。一方、私の「適当な成長」概念は、どうせ資本主義体制の下で生きていかざるを得ないが、現代韓国、すなわち資本主義の世界経済の特定の時期、特定の地域において、この現実を克服する方向に向けて生きていこうとする立場からの具体的な対応戦略として提案されたものである。これによる苦心を金鍾哲もまったくわからないわけではないようであり、それは次の文章にみられる。「続けると、環境も破壊し、人間性も破壊せざるを得ない経済成長であるが、だからといってしないわけにもいかない--このようなジレンマを乗り越えていくためには、まさに膨大な『知恵』が必要であるということは言うまでもない。その結果、おそらく苦心の末、白樂晴が出された対策案が『防御的な競争力路線』またはより簡単に『適当な経済成長』という概念であると思われる」(同上)。ところが、できればこの概念に立脚した様々な方案が実際どの程度の「知恵」を盛り込んでいるかを点検するところまでをしてもらえるとよいのだが、「現在としては『適当な経済成長』というのが一つの抽象的な言説としては成立できるかもしれないが、果たしてそれが具体的な現実において何をどのようにしようとする戦略なのかが定かでない」(pp.81~82)と簡単にまとめてしまうこの次の文章においては、二重課題論自体が同一の判定を受ける。「これはまるで『近代適応と近代克服の二重課題』という言葉が抽象的な言説としてはまともなものとして聞こえる概念であるものの、実際具体的には何をどうするかということなのか、その実践的な状況を考えると、きわめて曖昧なものになってしまうといえよう」(p.82)。『緑色評論』97号の巻頭言においても彼は同一の態度を見せたことがある。「もちろん近年『近代適応と近代克服』の同時的遂行という命題を掲げて活動してきた知識人グループがなかったわけではないが、その命題が単純なスローガンの水準を超え、具体的に何を意味するものなのかというところまでを表わすものではなかったといえよう(2007年11~12月号、pp.9~10)。。その後、再び「明確なのは、資本主義経済の枠にいったん『適応』することを前提とする限り、いかなる場合でも『適当な経済成長』というのはあり得ない」(p.82)という原則論へ戻る。
しかし、実際生活の現場においては、数多くの人々が自分なりにこの概念にしたがって生きているのではなかろうか。もちろん個人であれ、国であれ、資本主義の無限の蓄積原理に基づいて、最大限の収入のために必死になって生きる場合が大半であるが、少なくとも個人や限定された集団レベルにおいてはそのような世態に対抗して、自分を守り、さらにこのような情けない世の中を変えていくためにも、必ず必要な経済活動を営み、競争から脱落しないという心構えで生きていく人々が決して少なくないと思われる(直ちに、私自身と金鍾哲氏をこのような個人の中に入れてもよいのではないか)。
いずれにせよ「適当」であるかどうかは何のための適当であるかによって判別されるものであり、すべてのものに広く該当される「適当」というものは存在しない。特定の状況において特定の主体が「克服のための生存ないし適応」のために図る「防御的な競争力路線」が、果たしてその目的に照らして適当であるか、または言葉だけが「防御」であって、攻勢的な追随主義と何ら変わらないものではないか、または「防御」を図るうちに防御さえできなくなり、むしろ落伍するようになる戦略であるかなど、これらの問題は具体的な事案をもって判断しなければならない。
金鍾哲も部分的に引用する拙著において、私は「適当な競争力」の基準を韓国及び汎韓半島的当面課題が求める適正な地点に置いた。「一度落伍すれば恒久的な弱者へと転落しがちであり、弱者が強者に人間として尊重してもらえない今日の世界体系の現実において、我々がようやく手に入れた民主的価値を保存し、韓半島の分断体制の克服過程に能動的に介入できるためにも近代克服の努力と賢明に一致する適応の努力が必要であるという立場である」(拙著『韓半島式統一、現在進行形』創批 2006、p.269、傍点は原文)。実際、このような立場が「適正な地点」によく合わせられたものなのかについては論議する余地がいくらでもある。しかし、金鍾哲が、「我々が生命の持続に必要な物質的条件を改善しようとする努力自体を拒否しなければならない何の理由もない」と認めながらも、「それが依然として物資とサービスの浪費を構造的に強制する近代的生活を維持・拡大するための量的成長を意味するものであれば、それはそれほど有意味なものといえない」(p.83)と結論付けたことに対しては、実際難しい問題は回避してしまっている気がする。このような姿勢で、金鍾哲が主張する通りに「成長論理とは無関係な質的に全く異なる生活、すなわち非近代的方式で方向転換しようとする急進的努力」(p.84)が果たしてどれほどの実行力を確保することができるかが疑問である。もちろん新政府の登場後、より強まっている成長主義と開発主義の狂風の中で根本主義的反対運動の効用は、それなりに重要である。しかし、立派な話であっても、論理があまりにもおろそかでは、長い争いにおいて勝利する道は見えてこないのである『緑色評論』83号の「はじめに」の次の発言は、よりひどい論理の飛躍を見せている。「いわゆるグローバル経済の外において生存できる可能性は、今の段階ではほとんどなく、したがって我々は良かれ悪かれ、もしそれが帝国主義的支配の論理といっても現在の世界化の支配体制の中で活路を模索せざるを得ないという主張は、おそらく論駁しがたい論理であろう。しかし、本当にそうであろうか?果たして今日我々が見ているような経済成長と社会的発展が本当に発展といえるだろうか。」(2005年7-8月号、pp.2~3)。
3. 分断体制の克服運動という媒介項
先述したように、私は「非近代的方式へ方向転換しようとする急進的努力 」を基本的に支持する。近代の克服とは、正にそのような急進的方向転換ともいえる。したがって、金鍾哲が結論で強調する「『資本主義近代の暴力的な』独走に立ち向かい、『非近代的な』生活様式を保存・確保しようとする世界全域にわたる草の根抵抗運動」は当然近代克服運動の貴重な資産である。ただ、これらの抵抗運動が現実の中で実行力と持久力を発揮しているのであれば、それはまた「適応」の事例でもあるということを指摘したい。このような条件を付ければ、「すべての努力を注ぎ、そのような抵抗運動に合流」しようという彼の主張に快く同調できるあえてそのような条件を付けるところから推察できるように、「我々はすべての努力を注ぎ、そのような抵抗運動に合流するところに希望の道を求めるしかない」という金鍾哲の最後の文章が全的に信用できるものとはいえない。「非近代」を鮮明に標榜した抵抗運動に対しては、その適応力に対する点検を疎かにし、また鮮明度の低い近代克服運動はあまりにも簡単に排除してしまう姿勢がみられ、さらに「希望の道を求めるしかない」という文章も希望を体得した自信溢れる姿とは距離があるようにみられる。 。
もちろん二重課題論を主張してきた知識人がそのような努力を実際どれくらいしたかというのは別の問題である。私自身は、エコロジー言説の開発やエコロジー運動の実行への寄与が非常に少なかったことを恥ずかしく思っている。一方、二重課題の韓半島的実践において核心的な役割を果たしている分断体制の克服問題に対して、金鍾哲のエコロジー言説がどれくらい慎重な考慮を見せたかも考える必要がある。彼の今回の論文において分断体制に関して一切言及しない点も少なくない問題点であろう。もちろん人によって主な関心分野が異なり、適切な役割分担というのもあるので、彼が分断体制論議に積極的に参加しないことを責めてはいけない。しかし、「『近代適応と近代克服の二重課題』という言葉は抽象的な言述としてはまともなものに聞こえる概念であるが、実際具体的に何をどうするということなのか、その実践的な状況を考えると、きわめて曖昧なものとなってしまう」点を論駁している際には、少し状況が違うと思われる。
金鍾哲が統一問題に比較的冷淡な理由は、既存の統一言説が資本主義の反対を標榜する場合にさえ資本主義的近代の基本論理から脱していないからであろう。つまり、「強盛大国」を志向する北朝鮮と「先進化」に没頭する韓国とが一緒になって、いかなる急進的方向転換が起こり得るかと問い返してもおかしくない。そのような考えであれば、それはとても正しいことである。ところが、とにかく統一だけしようというのではなく、今の南北いずれよりもさらに民主的で環境親和的な社会を韓半島に建設しようという分断体制の克服運動は全く異なる性格のものである。もちろんこのような韓半島社会が建設されるとしても、それが生態的転換を完全に成し遂げた社会にはなりがたいという点において、金鍾哲には非常に中途半端な--いや、ともすれば生態転換を遠い将来の目標として設定したまま近代主義に実質的に投降してしまう危険な--路線としてみられる可能性はある。しかし、近代克服という長期的課題と今すぐ韓国社会の各地において可能な水準の民主主義及び生態転換作業という短期的課題とをつなげる「分断体制の克服」という中期的課題は必須的な媒介項である。そのような意味において、私は、『緑色評論』70号(2003年5~6月号)に寄稿した「セマングム(新萬金干潟)の生態保存と海洋都市の論議」においても、短・中・長期目標の同時的追求について次のように整理している。
私は、資本蓄積の論理にとらわれない人間社会の真の発展が可能であるという意味で「開発」の代わりに「発展」という表現をわざと使ったが、これはあくまでも長期的な目標である。そこに行くためには合理的開発論者とも連帯し、セマングム干潟を最大限護りきる短期的作業も遂行しなければならず、もう少し長い「中期的」次元では、たとえ韓半島の分断体制の克服が直ちに資本主義世界市場からの離脱をもたらすことはできないとしても、この過程においてより環境にやさしい開発パラダイムを見つけ出さなければならないと信じている。そうすることによって、統一しても分断体制下の時よりさらに良い社会を作り上げる統一になり、世界体制の変革にも画期的な寄与になりうると思われる(『韓半島式統一、現在進行形』、pp.216~217)。
そして、このような中間媒介項が抜け落ちるときに、エコロジー言説の抽象化・観念化とエコロジー運動の破片化が不可避となると信じているのである。
4. 循環社会と農業文明
金鍾哲が提案した「成長論理とは無関係な質的に全く異なる生活」こそが抽象的な言述としてのみまともなもののように聞こえる概念ではないかという疑問に対する答えとして彼が出したのが「農的循環社会」である。その際、その概念の実行設計までを出してもらうのは明らかに無理である。分断体制が克服された韓半島という「中期的」成果に対してさえ概略的な構想以上のものを提示することができない--前もって提示できないと信じている--私としてはさらにそのような無理な要求をする理由がない。
一方、前提を構成する命題の妥当性や論理展開の責任性は当然要求しなければならない。
「農的循環社会」概念と関連しては、近代以前の農村社会が維持していた循環構造が資本主義の発達によって破壊されたという点、人類文明の存続のためにも新たな循環構造が作られるべきであるという点、そのためには人間活動と自然環境との緊密な相互依存を求める農業に対する認識を改める必要があるという点などは論駁しがたい。ところが、金鍾哲はここで一歩進んで「小農とその共同体を基盤にした生態的循環社会」(p.90)を提唱する。ところが、これは農業だけの社会でもなく、またこれまでの工業及び科学技術発展の成果すべてをもとに戻そうという主張でもないが、実際金鍾哲自身は「高度資本主義社会」から「小農共同体基盤の社会」への移行過程について何の説明もしていない。「それが具体的な現実において何をどうしようという戦略なのか」が全く見えてこないのである。
このようになったのは、金鍾哲が動員する論拠が不正確であり、または足りない部分があったからでもある。例えば、金鍾哲は「小農または小生産者連合体を離れては『合理的な農業』は不可能であるというマルクス(Marx)の洞察」を「何よりも貴重な指針」(p.87)として提示するが、マルクスが一部の誤解とは異なり、生態系問題に深い関心を持った思想家であったことを指摘したのは歓迎することである。しかし、引用されたマルクスの文章が--または足りないが、私がマルクスについて知っていることが--金鍾哲の小農共同体構想を裏付けているかどうかは疑問である。金鍾哲の論文86ページの最初の引用文は、『資本論』第1巻第4編第15章の中、大規模の工業が農業に及ぼす影響を論じた節の最後の部分であるがKarl Marx/Friedrich Engels, Werke, Dietz Verlag Berlin 1987, 第23巻, pp.529~530。引用文の正確な出典を確認してもらった柳在建教授に感謝する。(Werkeでは、この部分を第4編第13章にまとめているが、国内の金秀行の訳書とPenguin版の英訳版では第15章にかけてまとめている。)、資本主義的農業における技術的・物量的進歩が「労働者を搾取するのみならず、土壌までも略奪する方式で進行」されることをシビアに批判するのは事実である。しかし、引用文の結論に到達する過程においてマルクスは、「ところが、そのような新陳代謝(すなわち、人間と土地との間の新陳代謝(Stoffwechsel,metabolism))の単に自然発生的に造成された環境を破壊することによって、資本主義的生産は、新陳代謝が社会的生産の規制的な法則で、そして人類の相応しい発展に適合した形態として体系的に再建されざるを得なくなるようにする」(Werke、23巻、p.528)とし、資本主義農業の破壊的な結果さえ人類のさらなる円満な発展に向けた弁証法的過程--だからといって、「必然的な歴史法則」ではない--の一部として認識するという点をもって、金鍾哲とは異なる考えを披瀝したのであるマックス・ウェーバー(Max Weber)の場合は、金鍾哲とはより異質的な思想家であるが、「高度資本主義」の弊害に関するウェーバーの発言もまた便宜的に援用された(p.76)。H.H.Gerth and C.Wright Mills,eds., From Max Weber: Essays in Sociology (Oxford University Press 1946)の編者の解説において長く引用された(pp.71~72)手紙の内容だけをみても、ウェーバーは初期資本主義こそ「自由と民主主義」を正しく咲かせた動力として認識しており、資本主義が高度化しながら、これら近代的価値が脅威されることに対して深い憂慮を表明しているのである。。
小農に関する直接的な言及が出るのは、第二の引用文であるが、この部分においては原文の歪曲された使用さえ目立つ。「合理的な農業のために必要なのは、自分自身のために働く小農や連合された生産者による管理である」と引用しながら、これを「小農または小規模生産者連合の重要性」(p.86、傍点は引用者)に対する主張として解釈しているのである実際原文(Werke、第25巻、p.131)では「合理的農業は自作小農の手や連合された生産者による管理を要する」(die rationelleAgrikultur…entweder der Hand des selbst arbeitenden Kleinbauern oder der Kontrolle des assoziierten Produzenten bedarf)とし、未来社会の生産者連合と小農を分離させている。金秀行版の訳書では、この部分が「自己労働に依存する小農(small farmer)を必要とし、あるいは結合生産者(associated producers)による統制を必要とする」と翻訳している(『資本論』Ⅲ(上)、第1改訳版、ビボン出版社、2004年、第1編第6章、p.139)。やはり「生産者連合」と「小農」の分離を明確にしているのである。。私はここでマルクスの原典についての訓詁学的論議をしたいわけではない。ただ、「農的循環社会」の論拠としてマルクスが特別な魅力を持っているのであれば、それは何よりも彼が「自由な生産者の連合」の徹底した工業化を経た社会を運営する日を夢見たからであると思われるが、これを「小農または小規模生産者の連合」で理解するようになると、実際重要な問題が視野から消えてしまう。例えば、未来の循環社会において工業の合理的な運営(いわゆるIT産業を含めて)をいかに追求し、合理的農業といかに配合するかというなどの難題がマルクスの権威を負いながら、こっそりと消滅してしまうのである。
「我々は、一日も早く産業文明が農業文明に対する進歩を表すものであると考える近代主義的発展史観の罠から解放される必要がある」(p.89)という金鍾哲の主張には傾聴すべきである。しかし、我々自らが「産業文明対農業文明」という区分方法自体を乗り越えなければならない。近代、すなわち資本主義時代は産業革命以前に資本主義的農業の成立とともにすでに始まったという学説の説得力が強く、産業革命以後の近代だけをみてもイギリスが覇権を掌握した時期の「産業主義的近代(industrialmodernity)が、アメリカの覇権の下で「消費主義的近代(consumermodernity)へと移行したという主張が出たことがあるピーター・テイラー(Peter J. Taylor) 「世界ヘゲモニーに対する反体制的対応」『創作と批評』1998年春号参照(原文は、“Modernities and Movements: Antisystemic Reactions to World Hegemony,” Review 1997年冬号)。その後、著者はこの論文の修正補完された内容を含む著書を出版した(Peter J. Taylor, Modernities: A Geohistorical Interpretation, Polity Press 1999)。テイラーの論文の要旨は拙著『揺れる分断体制』(創作と批評社、1998)第1章「分断体制克服運動の日常化のために」の中、「生態系問題と民族民主運動」という部分(pp.41~44)において紹介したことがある。。
産業主義段階の反体制運動を代表した社会主義運動と社会主義圏国家が失敗したのも、アメリカが代表する新たな段階においてすでに過去のこととなった類型の近代を目指していたからである。一方、消費主義的近代の最大の脅威は地球環境自体の取り戻すことのできない破壊であるために、環境運動がこの段階の核心的抵抗運動になるというのがテイラーの主張である(「世界ヘゲモニーに対する反体制的対応」pp.141~142等を参照)。ところが、環境運動がこのような歴史的使命を果たすためには、自らも「近代」と「産業社会」とを同一視する習性から抜け出さなければならない。「日常言語や理論的言説において『近代的』と『産業的』はまるでシャム双生児(結合双生児)のようにくっついていた。『産業社会』と『近代社会』は同意語としてみなされてきたのである[…]それ故、多様な理論家の重要な相違にもかかわらず、一つの類似性が目立つようになった。すなわち、多様な理論がすべて『産業的=近代的なもの』と『農業的=伝統的なもの』との対立を基に成り立った」(Modernities、p.19)。そして社会主義者と環境主義者がすべてこのような枠から自由でないまま、「産業社会」を近代社会全体の性格として捉えてきたということである(同書、p.86)。
「体制内でますます深化される物質的不平等及びますます近くなっていく体制の物質的限界点、この二つに同時に立ち向かうこと」(テイラー、前掲論文、p.151)を具体的にどのように遂行するかは、金鍾哲と私両者にとって切実な関心事であるが、テイラーの見解をここで詳しく検討する余裕はない。ただ、テイラーの著書によれば、「環境論的社会主義」に対する展望が論文よりはいっそう慎重になっており、日常生活における環境にやさしい小さな変化の累積にいっそう大きな期待をするようになるといった点は(Modernities、pp.131~132及び p.134)、国単位の解決を信用しない金鍾哲の立場に近づいているといえる。ところが、私はこの問題においても、今日の韓国人は、既存の国家レベルの「政治」か、それともテイラーがウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)を援用して提示する「下位政治(sub-politics)」かという二分法の罠から脱し、既存の国家の解体戦略であると同時に、いっそう解放的で住民親和的な国家システムの創案作業を含む分断体制の克服過程において、グローバルな生態転換に向けた重大な進展と有意義な学習体験を獲得することができると信じている。
5. 「生命持続的発展」に関して
分断体制の克服が中期的目標であるとすれば、長期目標は世界体制の変革、すなわち現存の資本主義体制と異なり、「生命持続的発展」を許す体制への移行である。これに対して、金鍾哲は、「生命持続」のための発展が実際現実においてどのように具体化されうるものなのかは依然として疑問」(p.83)であると批判したが、「生命持続的発展」という構想の具体化戦略のみならず、概念自体が十分明らかになっていない状態であるのは事実である。「生命持続的発展」という理念が主流の環境論者のいう「持続可能な発展」という論理と根本的にどう違うのか、曖昧なのは同様である」(p.83の直前の文章)と強く批判されたことがたとえ少し悔しくても、概念を提示だけしておいて持続的に発展させることを怠ったので、誰かを責めることはできない。
「生命持続的発展」を最初に掲げた趣旨は二つであるといえる。主流の環境論者の「持続可能な発展」が自然を「人間のための環境」に設定したまま、その持続に焦点を置き、さらには「成長の持続」を至上の目標としたのに対し、我々が維持し、培わなければならないのは「生命」それ自体という一種の生命思想を標榜したものであった。同時に多くの根本主義的生態論者が「発展」そのものを拒否することに対する異議申し立てでもあった。その趣旨を集約したのが、金鍾哲も引用した次の文章である。「生命の発展には一定の物質的条件が必須的であり、ある領域においては物質生活の持続的向上が求められ得ることもあり、このような必要に応じる積極的な開発もなくてはならないのである」(『韓半島式統一、現在進行形』、p.254)。
この命題に対して真正面から反発するエコロジー運動家らが多い存在するだろうと推測することは難しくない。急進的生態主義者にとってみれば、「開発」はもちろん「発展」や「進歩」だけにしても成長論理に埋没された発展主義、近代化論の「一直線的進歩」イデオロギーと異ならないと思われるからであるさらに、保守陣営の「大韓民国の先進化」スローガンを受け、「韓半島の先進社会」までを提唱すれば(拙稿「南南葛藤から韓半島先進社会へ」『創作と批評』2006年冬号)、その可能性はより高くなるはずである。南と北とがともに先進化のみすればよいのかと問い返すことができる。しかし、個人であれ、社会であれ、国であれよい方向へ向上し続けようとする努力は生命自体の欲求ということができ、「国家」--それも分断国家--本位ではなく、人々が集まって暮らす「社会」本位と考えながら、分断体制の克服を通して韓半島にさらなる社会を建設しようとする企画は「生命持続的発展」を現実において具体化する過程の核心的な一部である。。金鍾哲自身は、私の考えが「正しいかもしれない」(p.83)といったん認めようとする姿勢を見せる。それにもかかわらず、結局は(先に引用したとおりに)主流の環境論者らの「持続可能な発展」概念と根本的にどのように異なるかを問い直しているところをみると、相互間の長い対話が必要であることを切実に感じるようになる。誤解を取り除くべきものも多く、最後まで意見が分かれる地点を正確に確認する必要もあるように思われる。
例えば、私が、彼の「新たな安貧論」を批判したことに対して、金鍾哲は彼自身と『緑色評論』が強調してきたのが「安貧」ではない「共貧」、すなわち「単純に個人的次元で物質的欠乏状態に快く耐える生活ではなく、あくまでも共生共楽の貧困であった」(p.80)と抗弁する。しかし、私が「新たな」安貧論といった際には、「共生共楽の貧困」も念頭に置いており、批判の趣旨もそれ自体が悪いといったわけではない。金鍾哲と同様に、私も未来の望ましい社会は(たとえ「ある領域においては物質生活の持続的向上が求められうる」かもしれないとしても)資本主義時代の過消費に比べれば、人々がいっそう「均等に貧しい」生活に自足する社会であると信じている。そのような意味において「安貧」「共貧」または「清貧」はすべて良いものであり、その定義をめぐる論争に没入しすぎる必要はないと思われる。
問題は、そのような意味の「共貧」を現実においてどのように実現させるかである。かつてソンビ(儒生また儒學者に対しての古風な敬称)の「安貧楽道」も単純に個人的な次元の問題ではなく、一定の社会的・経済的基盤と、このような貧困を共有し、ともに楽しめる有形・無形の共同体が存在するから可能であった。今日「共貧」の事例としては、「無所有」を標榜する僧侶集団や「貧困」を誓ったカソリック修道者らがそれだけに彷彿されるが、彼らもまた各自の修行のみならず、教団の経済基盤や社会制度の支援によって「共生共楽の貧困」を享有することができるのである。ある討論の場において「新たな安貧論」を取り上げながら、私が注目したのもそのような現実的基盤の確保の問題であった。
また(崔元植教授の)基調報告においては中世の安貧論を言及しましたが、中世よりもっとさかのぼって老子がいう小国寡民、すなわち国は小さくて、人口は少ない方がよいという思想と通じると思われるが、私はここに我々が窮極的に志向してみる価値あるものが確実にあると信じています。ただ、将来の「小さな国」はあくまでもグローバルな人類共同体の一部であり、従来の孤立した共同体とは異ならなければならず、「少ない数の百姓」も世界市民としての識見や抵抗力を備えた人々でなければならないと思います。したがって、これが可能になるためには、その前提条件として第一に科学技術が高度に発達しなければならず、第二に科学技術と人間関係が今とはまったく異なるものに変わらなければならないと思います。それは単に科学技術との関係だけではなく、社会体制の変化ないしは変革を意味するものであるでしょう。(拙著『統一時代の韓国文学の価値』創作と批評、2006年、p.446)
したがって、「共貧」を近代克服の目標とする場合にも、それが高度の科学技術の発達を前提とするものなのかどうか、科学技術と人間の関係を今とはまったく異なるものにしてくれるどのような社会体制を構想するのか、そしてそのような体制への変革を遂行するどのような中長期戦略を有しているかを問わざるを得ない。
同時にたとえきれいで暖かい貧困であるとしても、それを排他的な目標として設定するのは、一つの偏向であることを指摘したい。次の部分は、直接的には大衆の開発欲求の中にも尊重できる何かがあることを弁護するために書いたものであるが、生命の欲求一般に対して私が『緑色評論』と意見を異にすることを明らかにした部分でもある。
きれいで品のある貧困が人間のある深い欲求に相応するように、荘厳と栄華に対する欲望もまた重要な本能である。生命の欲求は実に多様であり、これらを抱擁し、調和させるのが真の知恵であり、その中のいずれを絶対視するのは独断であり、自分の理想を他人に強要する抑圧行為になりかねない(『韓半島式統一、現在進行形』pp.253~254、脚注11)。
これに適切な名は「共貧」よりは「中庸」または「中道」という聞き慣れた単語であると思われる。このような「中庸」ないし「中道」が果たして「共貧」または「農的循環社会」に比べて根本的で変革的ではないだろうか。私はそうとは思わない。そしてこれはただ現実主義的考慮のためでもない。これに関連して、マルクスが「ユートピア主義者」らを批判したのは、彼の真の意味のユートピア的志向が彼らより足りないからというより、むしろ未来に対する固定された哲学的構想を実現しようとする試みが「現存体制の状態において見慣れた発想や思考から脱せず、新しい発生に対する予感を盛り込めないから」柳在建「マルクスの科学的社会主義と現実的科学」『創作と批評』1994年秋号、p.264。「マルクスがユートピア主義と非難する際は、それが現存体制の観念にとらわれ、理想形態や体系を設定して実現しようとするということを目指したものであった」(同書、p.265)。
であったという指摘には注目する必要がある。今日の韓国において変革的中道主義を実践し、韓半島の分断体制を克服する過程において、そして資本主義近代に対する変革勢力としての実力を確保し、駆使する過程において、「産業化対農業化」または「資本主義的過消費対共生共楽の貧困」という枠組みにとらわれない新たな問題が発生する可能性を--いや、緑色がそれほど鮮明ではなかった言説と実行を含め、すでに発生している新たなこと--もう少し慎重に読み込んでほしい。(*)