창작과 비평

キャンドル抗争と87年体制

 
特集 | 李明博政府、このまま5年を続けるのか

 

 

 

金鍾曄(キム・ジョンヨップ) jykim@hanshin.ac.kr

韓神(ハンシン)大学校社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』『エミールデュルケム(Emile Durkheim)のために』などがあり、コラム「6月の広場を踏んで進む2008年キャンドル抗争」などを『創批週間論評』に寄稿した。

去る5月以降、われわれは類のない抗争の時間の中にいた。こんな新しい事件の中にいると、それを理解しようとする欲求は強くなる。だが、このような欲求を満たすことはそれ程容易くはなさそうだ。事件が新しいほど、既存の認知的枠の変化が求められるわけだが、抗争の時間がまだ終わっていないだけでなく、現在の解釈が抗争参加者たち自身の意味資源として還流して、事件そのものの行路に影響を与える状況だからである。解釈の妥当性を確保することは難しいのに比べて、解釈作業は強い現実介入性によって、後に及ぼす影響をも考慮しなければならない責任を受け持つわけである。

このような状況は恰も森の中で森を観察する際出会う難しさと類似している。眺望点を得るためには森から出なければならないが、そのためにはデカルトの古い格言に従って、恣意性の危険を抱えながらも方向を決め、そちらに向かって真っ直ぐ進むしかない。筆者は87年体制論をこのような方向設定の糸口にしたいと思う。ある者は87年体制の終焉を語る。そのような主張の、右派的版本としては先進化論があり、左派的版本としては新自由主義体制論、97年体制論、新平等連合論などがある。しかし、これらの立場に立つと、われわれが目撃したキャンドル抗争は非常に説明しにくい。キャンドル抗争という事件の根と、それの行路を推し量るためには、民主化移行を通じて形成された87年体制の発達論理とキャンドル抗争との連関を解き明かすことが欠かせないというのが筆者の判断である。

ここで筆者はまず、87年体制がわが社会の成員の思考と行動様式に具現された方式を検討し、それに基づいて去る大統領選および総選挙の結果と現在のキャンドル抗争に現れた大衆の変貌という論争点を扱う(1章)。次にキャンドル抗争の主役は誰かということを中心に、87年体制の中で形成された民主化の効果がどの集団にどのように蓄積されたかという点を検討する(2章)。その次にキャンドル抗争の新しい特性を、オンラインとオフラインの結合、そしてイデオロギー的闘争における革新性を中心に見てみる(3章)。それと共にキャンドル抗争の意味を新自由主義的地球化と関連させて見てみ、この過程で盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の以後、新自由主義対反新自由主義という闘争構図を設定してきた左派的議論が見逃した点を論じる(4章)。そしてこれに基づいて代議民主主義と直接民主主義の関係を見てみ、同時にキャンドルの陰に対する議論を簡単に検討する(5章)。最後にキャンドル抗争のアポリアを考え、それがキャンドルの行路と関連して持つ意味について論じる(6章)。

 

 

1. 大衆は変貌したか

去る大統領選挙で李明博(イ・ミョンバク)大統領は圧倒的な票差で当選された。大統領職務引継ぎ委員会の時から、そして政権初期から人事と政策の両面で多くの軋みがあったが、総選挙でもハンナラ党は大きな勝利を収めた。その時期までも国民は李明博政府に対する信任を持っていたようである。しかし、大統領のアメリカ訪問にピッタリ合わせられたアメリカ産牛肉の輸入開放以後、状況は完全に反転し、就任6ヶ月も経たないうちに大統領の支持率は驚くほどの水準に落ちて、なかなか反騰できないでいる。

このような急反転をもって、昨日選んだ大統領に今日の国民が背を向けることがなぜ起きたかという疑問が出された。この質問に対して、李明博大統領とハンナラ党に対する支持の限定性、積極的な支持層の少数性、大統領選挙での李明博支持を撤回した国民的自覚などが答えとして出された。これとは違う角度で、国民は制限的ではあるが、一貫して合理的に行動していると語る者もいる。大統領選挙では李明博を支持することが自分にとって利益になると判断して支持したが、今は彼に反対することが自分にとって利益になると判断しているということである。

これらの説明はそれなりに説得力はあるが、統合的な説明ではない。より一貫した説明のためには、87年体制論の見地から眺望する必要がある。87年体制は権威主義的旧体制との妥協的民主化であったため、社会勢力のレベルでは旧体制の勢力を解体できず、文化的なレベルでは旧体制の時形成された価値観と文化的エトスを解体できなかった。その中で民主派と保守派は体制移行の経路を規律するプロジェクトとして、それぞれ民主化と経済的自由化を主張したが、両方のどれ一つも確固たる優位に立つことができぬまま、長い膠着の局面が持続したより詳しい論議は、拙稿「87年体制と進歩論争」、『創作と批評』2007年夏号を参照。。どちらも決定的な優位を占めることができないまま葛藤してきた二つのプロジェクトは、その体制を生きていく人々の価値観と選り好みの体系にも浸透していった。言い換えると、われわれは去る20余年の間、より民主的な感性を持った存在になったのと同時に、より競争的で新自由主義的な個人的合理性を行動文法とする人間となった。そしてこの二つの側面は個々人の人格の中で複雑に入り混じった。それでわが社会の成員たちを一直線上に広く広げておくと、両端には一貫して民主的な価値と選り好みの体系を持った人々、そして一貫して保守的な心性と新自由主義的な選り好みの体系を持った人々がいるだろうが、その間に存在する大多数は両プロジェクトの構成要素が、相異した比率で複雑に入り混じった価値観と選り好みの体系を持っているといえる社会成員の価値観と選り好みの体系を、民主化と経済的自由化という二つの要素の混合にしか理解しないことは過度の単純化の危険がある。しかしこの二つの要素が他の価値や選り好みを連係する中心要因であると同時に、社会体制の制度的設計と関わる核心要因であるという点で重要性を持つと思われる。。

個人の中で民主的な選り好みと新自由主義的な選り好みは内的緊張を誘発する可能性があるが、去る20余年の間、わが社会では私的幸福と公的大義を媒介できる機会が非常に狭小していたため、このような内的緊張は強められてきたといえる。わが社会の成員たちは自分が生きていく体制に対して、観察者の視点から正しいと思う選択と、日常的な競争体制の中にいる行為者としての選択との間で、激しい分裂を経験することになったし、それによって政治的選択も状況的要因に沿って激しい動揺を示しやすかった筆者はこれと同じような趣旨で、いわゆる「386世代」の文化的保守性を分析したことがある。「公的大義と私的幸福の間に道を付けよう」、『創批週間論評』、2006.11.7. 。

このような状況を念頭に置くと、去る大統領選挙と総選挙で、すでに失敗を宣告された旧与党と政治的多数を形成しにくい進歩的政党の代わりに、割合、安定的な政党構造を維持しており、経済成長を約束するハンナラ党と李明博候補が選ばれたことは理解しにくいことではない。だからといってこのような選択を、大統領選挙の直後に何人かの人々が主張したように大衆の保守化だと解釈したり、価値の政治に代わって欲望の政治が浮上したと見なすことは行き過ぎである。

87年体制を生きてきた多数の人々の人格構造には、旧体制的保守主義と新自由主義だけでなく、民主的価値と選り好みもまた、構造的な要素として含まれている。しかしこのような要素が常に表面に現れ、表現されるわけではない。しばしば人々は自分の選り好みを実現する社会的機会が制約されると、そのような状況に適応するために自分の価値観と選り好みを状況に適応させる時が多い。民主的価値と選り好みがこのような制約状況に会うと、大衆は保守化したように見える。しかし民主的価値とそれを具現する制度が重大な脅威を被ると、適応のために留保された民主的な選り好みと価値が表現されることもあるし、このように価値と選り好みを力動的に理解する時にこそ、キャンドル抗争のような事件の発生が理解できる。

こんな民主的な選り好みの発現が逆転に対する防御機能としてのみ働くのではない。もともと民主的性向がうまく表現されなかったこと自体が機会の制約によるものであるから、民主的価値を具現できる代案が可視化すると、それはより活発に表現され得る。キャンドル抗争を通じて大衆は自分の民主的価値と選り好みを表現しただけでなく、それを通じて自分と類似した価値を持った人々の存在を経験した。このような共同の経験は、まだ政治的代案ではなくても、社会的代案がわれわれの中に存在するという自意識をもたらしてくれたし、またこのような社会的代案に対する知覚が民主的感性をより活性化させ、キャンドル抗争を成長させた動力であった。

 

 

2. なぜ青少年と女性であったか

キャンドル抗争は87年以後、民主化の文化的潜在力を示すと共に、その潜在力が表現されることによってより強化される事件であった。その意味でキャンドル抗争は政治的民主化に続く文化革命の性格を帯びる。しかしキャンドル抗争は87年体制の文化的潜在力が幅広い底辺を持ったことを示すと共に、そんな力が各社会集団に相当、差別的に蓄積されていたことを示すものでもあった。この点をキャンドル抗争の主役が誰なのかという観点から見てみよう。

キャンドル抗争は社会的合意度が非常に高かっただけでなく、類のない大規模動員を成し遂げた運動である。そうなったのは、民主化した生の経験が蓄積し、国家の物理的暴力に対する恐怖がなくなったし、また参加費用が非常に低くなったからである。これによって政府と真正面から対決したにも関わらず、ソウル都心の真ん中を自由に平和に占める大規模の大衆動員が可能であったこれに加えて、ソウル市庁と光化門一帯を集会とデモの自由な空間として見なす態度が、2002年の日韓サッカワールドカップ、ヒョスニ-ミソニ追慕集会、2004年の盧武鉉大統領弾劾反対デモなどで、すでに一般化していた。。このように大規模の大衆集会が続くことによって、参加者の構成はほとんど全社会を包括するほど拡張した。なので誰がキャンドル集会に参加するかと質問されたら、男女老若の全階層だというのが正解であろう。こんな初歩的な答えを超えて、いざと抗争の主役に対する細密画を描こうとすると、それは非常に難しい作業となってしまう。

しかし6・10抗争と対比すると、少なくともいくつかの非常に印象的な点が見い出せる。集会で誰でも直観的に捕らえられたことは、大学生の席が青少年に移譲されたし、男性の席が女性に半分、あるいはそれ以上、渡されたという点である。なぜこのようになったのか。なぜ全体抗争の撃発者が、現代史におけるのと同じように大学生ではなく、青少年、それも「キャンドル少女」であり、抗争のバトンを受け継いだ者がネクタイ部隊ではなく、ベビーカー部隊とハイヒールの女性たちであったのか。これを解明するためには、去る87年体制を通じて競合していた二つのプロジェクトである民主化と経済的自由化が世代と性別、そして階層と地域の分割線に沿ってどのように相異に働いたかを見てみる必要がある。

まずなぜ大学生ではなく、青少年なのかを考えてみよう。これに答えるためには、二つの集団の世代的経験の差異に注目する必要がある。まず二つの集団の父母が違う。現在、青少年集団の父母は87年の民主化移行を主導した386世代であるが、大学生たちの父母は70年代の大学生集団と重なる。386世代は大体、大衆化段階の大学に通い、民主化運動を集団的な経験として行った世代であった。これに比べ70年代の大学生は非常に特権的な集団であったし、少数を除けば民主化運動から外れた。また学歴や学閥の社会的補償を最も多く、そして直接的に享受した世代でもあった。なので大学に通わなかったその世代の人々にも、学力や学閥に対する執着は以後の世代よりより強く現れる。従って二つの集団は民主的価値に対する信念と献身において一定の差異を示し、このような差異は子供養育を始め、家族生活にも反映された。そしてこのような生活様式での民主性の差異が、子女世代で民主化の文化的潜在力の違いを生んだといえる。

これのみでなく、今の大学生集団が十代の時、外国為替危機を経験したということも重要である。彼らは環境を鋭敏に知覚するとはいえ、社会経済的問題に対する洞察力を備えるには余りにも幼い時に経済危機を経験した。苦しめられた両親の溜息を媒介に、彼らには安全に対する欲求が強められ、物質主義的価値観が体化した可能性が高い。それに対して現在の青少年たちは、深刻に感じるには幼すぎる頃に外国為替危機を経たし、ある程度経済が回復された後、青少年期を向かえた。なのでその分、脱物質主義的な価値を受け容れる体験的土台を備えていたといえる。

大学生の代わりに青少年たちが前面に立ったのと同じく、女性たちもまた政治の新しい主役として登場した。青少年集団の中でも核心勢力は少年たちではなく、キャンドル抗争のアイコンとなった「キャンドル少女」であった。このことは民主化の文化的潜在力が男性を超えて女性に、ひいては男性より女性により多く蓄積されたことを意味する。一般的に民主主義は平等主義にその土台を置くと共に、平等を強化するという点を念頭に置くと、87年体制が成し遂げた民主化で創出された新しい権利の享受者は、社会的少数者集団といえる。勿論、多様な社会的少数者に対する差別だけでなく、男女間の差別もまた、相変わらず深刻である。国連(UN)が発表した2007年女性権限指数(GEM)で韓国は、調査対象の93カ国中64位に留まった。しかしこのことは女性たちが民主化にも関わらず、制度的補償を受けられずにいることを示すのであって、彼らの文化的潜在力が低いということを意味するものではない。卑近な例として最近、人文系高校の卒業者の、高等教育機関への進学率は男女間で差異がなく、兵役服務加算点の閉止以来、公務員試験の合格率では女性の方が高い。民主化の効果で家庭生活での夫婦間の平等も伸びたし、情報化指数でも年齢が低いほど男女間の差異はなくなる。

キャンドル抗争と関連しては、特に情報通信技術の活用に現れる女性の能力に注目する必要がある。後で詳述するが、キャンドル抗争のように、オンラインとオフラインが殆ど一体化されるような抗争では、特定集団の動員脈絡を規定する時重要なものが、情報通信技術の活用能力だからである。女性たちの情報通信技術の活用、例えば携帯電話やインターネットの活用は量的に男性に余り劣らないだけでなく、質的にはより濃密である。男性たちは情報通信メディアに道具的な態度を示すのが一般的であるが、女性たちはそれを親密性の疎通メディアとして使うからである。インターネットを例に挙げると、女性たちは男性たちより同好会の活動にずっと積極的に参加するだけでなく、もっと内密に交流する。キャンドル抗争を通じて「82cook」や「ソウルドレッサー(SoulDresser)」のような女性中心のインターネット同好会が示した政治的活動性は、単にアメリカ産牛肉の輸入開放というのが食材という、より女性的な議題だからということによるものではない。むしろ彼女たちが示したのは蓄積された文化的能力、すなわち緊密に疎通し連帯する能力が政治的自己啓蒙と結合する際、どれ程力を発揮できるかということであった。

 

 

3. 情報通信、そしてイデオロギー闘争の革新性

先述したように、キャンドル抗争の、際立って新しい特徴は、オンラインとオフラインが結合した運動という点である。オンラインが町と広場へ出て、広場が再びオンラインへ回帰する様相、いやオフラインの広場がリアルタイムでオンライン広場に接続している状況が、正にキャンドル抗争の核心的特徴である。集会に出た人々の手には、携帯電話、無線インターネットを備えたノートパソコン、カムコーダーとデジタルカメラが持たされていて、集会はインターネットを通じて直接中継された。このような情報通信技術の活用でキャンドル抗争は量と質の両方で以前のいかなる抗争よりも多くのドキュメントを生産した。インターネットに接続して、いくつかの検索語を入れるだけで、膨大な記事、討論、写真、動画に会えるし、それは今も絶え間なく加工され、同好会の掲示板とミニホームページとブログに保存され、移動している。実に現実総体に迫るテキストとして、現実を調整し変動させるオンラインの現存はキャンドル抗争に二つの方式で効力を発揮した。

まず、情報通信技術は新聞や放送のような伝統的なメディアによって形成された公論の場を置き換えたり、変形する代案的公論の場として働いた。この点はわれわれの脈絡で特に重要な意味を持つ。87年の民主化移行の妥協性によって、民主化が公論の場の健康回復という効果を生むどころか、権威主義的旧体制に仕えていた保守的言論機関にもっと幅広い自由と成長の機会を与えたからである。87年体制を通じて、保守層の有機的知識人として活動した保守言論は恣意的な記事とフレイム操作、そして豹変まで行いながら、公論の場を猥褻的な攻撃性の溢れる泥沼にし、それによって民主主義の発展に決定的障害となった。従って民主的感受性を成熟させ疎通させるためには、代案的公論の場が必須的であったが、このような作業が情報通信技術によって可能となった。

しかし、このような代案的公論の場の発展が情報通信メディアにより内在的に保証されたわけではない。情報通信技術は現実社会の様々な構造によって同一な方式で構造化されやすい。現実資本主義に対応して情報資本主義が、現実の監視統制の傾向に対応して電子パノプティコン(Panopticon)が、現実民主主義と関連して電子民主主義が発展することができる。こんな潜在的可能性の中でどれがどの位実現されるかは、社会成員の民主的潜在力にかかっている。しばしばインターネット公論の場は匿名性に基づいてより大きい自由の疎通をもたらすよりは、攻撃性と赤裸々な欲望が排泄される「電子裏通り」へと退行する可能性も少なくないからである。キャンドル抗争はこんな退行の危険を防ぐことによって情報通信技術を通じて代案的公論の場を創出したし、それによって保守言論の世論操作と政府の情報統制を効果的に突破できた。

次にこう形成された公論の場は大規模で群集した大衆が創意力と自制心を持ち得るように、そして彼らが集合的知性を発揮できるように働いたcollective intelligenceは何人かの学者と言論によって「集団知性」と翻訳され、キャンドル抗争の様相を描写するに使われた。しかし適切な翻訳は「集合的知性」だと思える。こう翻訳することこそ、集団知性という表現に込められた巨大主体のイメージから逃れると同時に、キャンドル抗争を特徴付ける、分権化され脱中心化された疎通と意志形成の特徴が捉えられると思う。。近代民主主義の形成と共に大衆の集合的行動は民主主義の重要な原動力であった。しかし散在した不満が特定の契機によって結集する場合、彼らの行動はうまく調節できず、そのため暴力に傾倒する場合も多かった。そうなった理由は、このような集合的行動が知的談論に媒介されうるコミュニケーション手段が余りなかったからである。だが、このような集合的群衆は民主的潜在力を内蔵しており、発達したコミュニケーション手段と結合する際、それが高度の知性と自己統制力を発揮できることをキャンドル抗争は示した。インターネットを通じて持続的に集会の議題と方向を討論し、適したデモ手段を模索することによって一方では創意力を、また一方では非暴力の基調が維持できたが、前者は抗争全般があんなに愉快な祭り性を持ちうるようにしてくれたしこのような大衆の愉快な祭り性をうまく捉えた文章としては、金於俊(キム・オジュン)の「アメリカ牛肉、黙って再協商!」、『ハンギョレ』2008年6月4日付参照。、後者は参加者たちに高い道徳的自尊心と連帯感をもたらした。先ほど、民主化の効果でキャンドル抗争は参加費用が大幅低くなったと言ったが、こんなに参加費用を下げるのに参加者自身の非暴力維持も大きな働きをした。政府は、取り留めようもなく規模が大きくなったデモを統制するために暴力的鎮圧を試みると共に、絶え間なく暴力デモを誘導しつづけたが、その核心目標はキャンドル抗争の参加費用を高めることによって参加者の数を少なくし、集会で強硬派が孤立するように仕向けることであった。しかし抗争参加者たちはこんな暴力の誘惑を断る自制力を示した。

キャンドル抗争が見せた、ほぼ世界最初の試みだと思われる情報通信抗争という側面は、すでに多く議論されたところである。だが、余り議論されなかったキャンドル抗争の新しい側面があるが、87年体制を通じて民主主義を日常的経験として持った市民の自力化した(self-empowered)態度から出現した新しい批判の様式と精神がそれである。

周知のように、キャンドル抗争で最も歌われた歌は「憲法第1条」であった。今年は制憲60周年となる年であり、歌で歌われた第1条は去る60年間、何回かの改憲でも変わらず持続された条項である。ところで去る60年間、大韓民国がまともな民主共和国であったことは余りなく、大韓民国のすべての権力が国民から出たことはさらになかった。その意味で体制を正当化するための欺瞞的な条項であり、なので誰も振り向かなかった憲法第1条が大衆の間で楽しく歌われた。

通常的なイデオロギー批判は体制を正当化するメッセージと、そうではない現実を対照することによってそのメッセージの虚構性を暴露する。「憲法第1条」を歌ったり、「われわれは学校で習った通りにやっていますよ」と書かれたピケットを持って出たキャンドル少女の行動は、これとは異なる方式で体制を批判する。すなわち、体制の理念を逆に自分のものとして受け入れ、その理念の主になろうとすることである。このように「憲法はただの憲法であり、教科書はただの教科書であり、実際、現実を運営する原理は慣行」だという態度を止め、表に掲げただけの主張をそのまま実践することを要求する態度は、左派の標準的なイデオロギー批判よりもっと効果的である。このような接近は既存の理念であれ代案的な理念であれ、すべてそれを主張する人々の利益追求へ還元することによって「どいつもこいつも同じだ」といったふうな冷笑主義を助長する保守言論の攻勢を一気に遮断するからである。こんな闘争方式はキャンドル抗争で多様に姿を現した。例えば、表通りを遮った警察バスに不法駐車の撤去シールを貼ることがそうであるが、それは風刺精神のみから発するものではない。そのような行動は自分を法の主体の席に置く民主的な市民の主たる態度を前提とする 主体としての姿勢を示す他の例として、MBC「100分討論」で「だからといって大統領を変えますか」といった羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)議員の発言に対し、アゴラ「100分討論掲示板」に上がった一人のネチズン(netizen)の「いや、では国民を変えますか」というコメントが挙げられる。。そして正にこのような態度が大衆が抗争の中で懐疑に落ちない頑強さを持ち得た源泉である。

 

 

4. 左派的反新自由主義論、何が問題か

キャンドル抗争はアメリカ産牛肉の輸入開放反対から始まり、直ちに医療民営化、水私有化、教育問題、大運河、公営放送の守護のような5大議題へと拡大した。「狂った牛」に対して「狂った教育」「狂った民営化」「狂った大運河」「狂った放送掌握」が等価的連鎖関係を打ち立てたわけであるが、李明博政府がこのような議題で国民大多数と対置線を形作るようになったのは、彼らの政策が攻撃的な新自由主義の性格を帯びているからである。

この点をより明らかにするために、李明博政府と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府との性格を対照してみよう。盧武鉉政府は脱冷戦的進歩性、民主化、そして新自由主義の政策混合を特徴とする。こんな混合により盧武鉉政府は経済政策では新自由主義的基調を維持したが、社会政策での民主性と南北問題での相対的進歩性を堅持したし、新自由主義政策も調節された新自由主義、あるいは受動的新自由主義の性格を帯びていた。しかし、李明博政府は冷戦的保守主義、成長主義、そして新自由主義の混合物である先進化談論に基づいている。従って両政府は新自由主義の側面では共通分母があるが、李明博政府には新自由主義政策の殺到を制御できる内的要因に欠けている。これが李明博政府が就任直後、冷戦的外交と民主主義の逆転を含めた大胆で攻撃的な新自由主義政策を施すようとなった理由である大統領選挙の前、崔章集(チェ・ジャンジプ)は南北交流と関わるヨルリンウリ党(開かれた我が党という意味)とハンナラ党との葛藤を、激しそうに見えるが修辞的なものにすぎないと評価したし、孫浩哲(ソン・ホチョル)は大統領選挙を通じてハンナラ党へ政権が渡されるとしても南北問題において変わるものは余りなかろうと、ハンナラ党の執権に対する憂慮を「懸念の動員」と貶めた。しかし今現在、深刻な問題を引き起こしている李明博政府の冷戦的外交は、彼らの判断が短見であったことを示す。。

このような見地から、韓国で新自由主義を大衆の抵抗を宥めながら実行できる政府は、新自由主義が政策レパートリーの一つとして実用的に受容された盧武鉉政府であって、新自由主義が一種の信念の形をとる李明博政府ではないと言いたい。実際、李明博政府の理念を構成する成長主義、冷戦的価値観、新自由主義の中でどれ一つも、実用的意味を持ったものはない。それはすべて強い意味での信念の形を持った硬直的なものばかりである。これはたとえ新自由主義的地球化に共鳴しながら韓米FTAを進めたとしても、アメリカ産牛肉の輸入開放の問題に至っては留まるしかなかった盧武鉉政府とは違って、韓米FTAのためにアメリカ産牛肉を憚るところなく全面開放した李明博政府の行動によく現れている。

検疫主権まで放り出す攻撃的新自由主義に、大衆は直ちに抵抗し始めた。先述したように、87年体制を通じて多くの国民は民主化と経済的自由化という二重的プロジェクトを心性の中に受け入れた。殆どの人々は一方では競争的で個人的な合理性を追い求めることを当然視するが、同時に基本権保障を始め政府の基本責務と基礎的な公共財の民主的運営もまた、当然のことと思う。こんな多数の国民の視角から見ると、李明博政府式の政策は耐え難い性質のものである。このように二つの態度が共存する大衆の心性を考えると、キャンドル抗争は反新自由主義運動というよりは、新自由主義的地球化の推進で可能なことと不可能なこととの境界を確定しようとする試みだといえる。

ここで重要な点は、攻撃的な新自由主義に対する多数の国民の、抵抗の土台が何であったかということである。言うまでもなくそれの名前は民主主義であった。一般的に新自由主義的地球化を通じて資本の力が強くなる理由は、資本は国民国家の境界から逃れる反面、それを統制できる民主主義は国民国家の中に閉じ込められているからである。これによって民主主義の要諦である国民の、国民による、国民のための政治が体系的に弱くなる。政府は世界市場での国家競争力の名を借りて法人税を引き下げ、社会福祉を縮め、公的部門を民営化することによって国民のための政治を危機に追い込む。そして責任所在を曖昧にする複雑な国際協商を名目にして、国民による政治もまた弱くする。これによって両極化された国民国家は二つの国民に割れ、結果的に民主主義の主体である国民そのものの内的連帯と統一性が薄くなるこれに関する体系的な議論は、朴榮道(バク・ヨンド)「世界化時代の民主主義:そのジレンマと展望」、『経済と社会』2000年春号参照。。

こんな新自由主義的地球化の圧力に挑むためには、民主主義が両翼を広げるべきだ。一つの翼は国民国家がより民主的で国民的であることを求める闘争であり、もう一つの翼は資本の地球化に対応する市民社会の地球化努力といえるこのような視角から見ると、何年か前にわれわれの知識界で流行った脱民族主義の議論が、民族主義の弊害と逆機能を指摘することによって民族主義の省察性を高めるのに寄与した点を除くと、どの位政治的脈絡に疎いものであったかがわかる。脱民族主義の議論は民族主義が分断された朝鮮半島で持った進歩性を考慮する際、脱脈絡的であるだけでなく、新自由主義的地球化という、より一般的な脈絡でも政治的有効性を持っていない。そのような意味で脱民族主義は新自由主義的地球化に挑む談論というよりは、それの兆候にすぎないといえる。。こんな点を念頭に置くと、民主主義の名の下、アメリカ産牛肉の輸入に対し検疫主権を語り、崩壊した代議制に抵抗して国民による政治を働かせ、そんな闘争の中で国民的アイデンティティを整えようと国民の政治を遂行したキャンドル抗争がどれ程事態に正しく介入するものであったかがわかる。

こんな大衆の「賢さ」に照らして見ると、去年「進歩論争」を通じてもうこれ以上、民主対反民主の構図に拘らないで、新自由主義対反新自由主義の構図へ移行すべきだと言った進歩改革陣営の理論家たちと運動家たちの誤謬が何であるかが現れる。彼らは民主化の意味を狭く解釈することによって、87年体制を通じて形成され、たとえ複雑な形ではあるが大衆の中に潜在したままで内燃している民主主義の力を見逃した。また彼らは、まさにそんな接近によって産業化―民主化―先進化という段階を提示しながら民主化課題の終焉を宣布しようとした保守派の談論と、意図せぬまま共鳴することによって、実は内容もなく可能でもない先進化談論の大衆的説得力を高めてしまったといえる。キャンドル抗争が示したのは、先進化談論の虚構性に対する大衆的自覚だけでなく、大衆の保守性からアリバイを求めたり、反新自由主義という経済主義に偏った進歩陣営の誤謬に対する警告である。キャンドル抗争は今われわれに必要なのは87年体制の民主的潜在力を引き出す、より深化した民主主義、そして公的感受性の結集だと語っている。

 

 

5. キャンドルデモをめぐった談論と論争

キャンドル抗争は皆に感心を抱かせるところがあった。キャンドルは個人の念願、そしてそのように集まった集合体の念願の優れた隠喩となってくれたし、抗争全般を包んだ祭りと風刺の精神、非暴力性の固守という面でも貴いものであった。何より抗争参加者の個々人に、濁った生から高く高められる体験を提供した。それでキャンドルに対する多様な論評に流れる情調もまた、賛美の精神であった。しかしキャンドル抗争に対するこんな論評の中には冷笑もあるし、理論的問題提議もあった。またキャンドルが知らず知らずの間差した陰に対する議論もあった。キャンドル抗争に賛成する側から出たこのような議論は、たとえ善意に基づいたものではあったが、正当なものではなかった。

まず理論的問題提議から見てみよう。崔章集(チェ・ジャンジプ)はキャンドル抗争に深く共感しながらも、それが限界を持ったという点を早くから指摘した。新聞と討論会、そして自分の定年退任の講演などで彼は、現代民主主義は代議制民主主義であり、民意に対して責任性と反応性を持った政党体制による制度的実践であることを言い切った。そして、韓国のように政党体制が虚弱で、代議制がまともに作動しない時、キャンドル抗争がリリーフの役割はできるが、こんな運動政治は代案の形成が難しいし、イッシュー(issue)の位階秩序を立てて日常的に政策を追い求めるには無理があると言う。また政策が問題視される度に、街頭デモに出るわけにはいかないし、長期的には維持しにくいし、市民社会内の葛藤を誘い出す可能性が高いという点で根本的限界を持つと指摘した。従って必要なのは、キャンドル集会で発現された肯定的な力を、政治的代表体制を強化する方向へと導くことだというものである崔章集「キャンドル集会と韓国民主主義、どう見るべきか」、緊急時局大討論会「キャンドル集会と韓国民主主義」、2008.6.16.これと類似しているが、より強い論旨の文章としては、朴常勳(バク・サンフン)「運動が政治体制の代わりにはならない… 保守独占を強めるかも」、『オマイニュース』2008.7.8参照。。

こんな主張にはいくつかの点で同意しかねるキャンドル抗争についての崔章集の観点に対し、後で出た批判と類似した問題意識を持った文章としては、ソン・ウジョン「キャンドル政局の方向は?『政党政治』vs『街政治』:崔章集教授の『代議民主主義論』批判」、新しい社会を開く研究園ホームページ(eplatform.or.kr) 2008.6.26参照。。崔章集、そして同じ論旨の主張を繰り広げる朴常勳(バク・サンフン)は、現代民主主義が何より代議民主主義であると主張する。政治的リアリズムの立場に立つ際、こんな主張は正しい。しかし民主主義に対する規範的理論の立場に立つと、民主主義は直接民主主義、それ一つしかない。人民の自己統治でない限り、代議民主主義であれ他の何であれ、それは民主主義ではなく、代議民主主義が民主主義であり得るのは、機能の側面でそれが人民の意志を代議し、制度的な側面で直接民主主義的な契機を適切に受容する限りにおいてである。ところが、崔章集と同じように政治的リアリズムの見地から見ると、代議民主主義は代議機能をうまく遂行できない場合がずっと多い。従って直接民主主義的契機によって常に制御されなければならないのが代議制民主主義だといえる。

勿論、現代民主主義の現実的条件を念頭に置くとき、政党体制が重要だという点では異論の余地はない。しかし、崔章集と朴常勳の政党体制に対する強調は、他の重要な要素を覆い隠す位行き過ぎている。代議民主主義がまともに働くためには、活性化され健康な公論の場、多様で力強く組織されている市民社会の自律的組織もまた、政党体制ほど、いやそれ以上に大事である。キャンドル抗争はこれらの要素を創出する肯定的エネルギーを持っており、これらの要素は単に政党体制の代表性と責任性が強化されるといって満たされるものではなく、市民社会の内部から恒常的に燃え上がる熱情的参加を通じて充足され得る例えば、公論の場の健全性を回復するため、大衆は朝鮮日報、中央日報、東亜日報のような保守言論に対し広告主圧迫運動を繰り広げている。こんな運動は政党体制の強化では解決できない問題である。おそらく崔章集や朴常勲は民主派が執権して彼らが大衆の支持を受ける優れた政治を行えば、朝鮮日報、中央日報、東亜日報のような保守言論の威力は自然減少し、それによって公論の場が浄化できると判断しているようだ。もしそう判断したとしたら、私が思うにそれは政治的リアリズムに欠けている考えである。。しかも87年体制を通じて常にそうだったように、虚弱な政党体制と歪曲された公論の場によって代議制がうまく作動できない状況下では、市民社会内部の運動政治以外に、政党体制の公論の場を革新して代議制を強化できる道は皆無だといえる。

最後に脈絡的な水準においても崔章集と朴常勲の主張には問題がある。なぜならば、彼らの政党体制強化論は長期的課題と短期的で差し迫った課題を峻別しないからである。キャンドル抗争の以前、87年体制の民主勢力が最大に結集し、断固と闘争した96年労働法波動でもそうだったが、キャンドル抗争があれ程熱かったのは、牛肉輸入開放を始め李明博政府が試みている水、医療、放送の民営化のようなものは甚だ非可逆的な政策であり、従って今阻止しないと、何年後政権が変わるとしても極めて取り戻しにくいし、その時まで日常的生活もまた、耐え難いものになるだろうという大衆の判断があったからである。こんな差し迫った議題の解決に出た大衆に、代議制と政党体制の強化のような長期的な課題の名の下でキャンドル抗争の限界を強調することは、自分の談論の還流効果を考えない、政治的に無責任たる行為である。

崔章集や朴常勲の議論とは全く異なる角度からキャンドル抗争の限界を論じる立場がある。キャンドル抗争が根本的に中産層的議題を中心としており、暗やみを照らす役割をすべきキャンドルが、意図したにせよ、意図しなかったにせよ、影を落しているという主張がそれである。例えば、イーランド(eland)労組委員長であるキム・ギョンウクは、『プレシアン』(Pressian)とのインタビューで「われわれは関心の外へ追い出された。キャンドルは巨大だったが、イッシューは蚕食された」と言った「『光化門を覆ったキャンドルの波を見ながら絶望した』: [インタビュー] ストライキ1年を迎えたキム・ギョンウクイーランド一般労組委員長」、『プレシアン』2008.6.24.。

筆者もまた、キャンドル抗争が触れなかった非正規職問題、南北問題、韓米FTAのような議題について述べたことがある拙稿「キャンドルの行くべき道」、『創批週間論評』2008.7.9.。キャンドル抗争が提議した議題は、より拡張され深化しなければならないし、キャンドル抗争に見え隠れする代案的社会に向かったビジョンを整えるためにもそうでなければならない。そんな観点から見るとき、KTXの女性乗務員、イーランド労働者、そしてキリュン(kiryung)電子の労働者たちが当然受けるべき注目を受けられずにいることは非常に残念なことである。それにもかかわらず、キャンドル抗争に対する労働者たちの態度に含まれた限界もまた、指摘しないわけにはいかない。青少年たちが最初、抗争の旗を揚げたとき、彼らは直ちに牛肉問題と共に自分たちの議題をもそれに結合させた。医療人もそうであったし、言論人の一部もそうであった。キャンドル抗争に参加した人々が争点に集中するために、議題設定に際して慎重に自己限定をしたのは事実であるが、何が議題になるかということは開かれた問題でもあった。これはキャンドル抗争の過程で在った貨物連帯ストライキにもよく現れている。貨物連帯は自分たちの議題を油価格の値上がりによる普遍的苦痛に結び付けて、牛肉運送拒否を通じてキャンドル抗争に接続した。そして大衆から高い支持を受けたし、貨物主との協商でも相当の成果を上げた。しかし愛情を込めて苦言すると、非正規職法案で大きな被害を被ったイーランド労働者やKTXの女性乗務員たちはキャンドル抗争に余りにも遅く着いたし、自分の議題をキャンドル抗争に混ぜることができなかった。

確かにキャンドル抗争の議題は中産層的な面がある。しかもオンラインとオフラインが結びついたこの運動では、インターネットに接続してみる時間すらないまま労働に虐げられ解雇に追い出された労働者たちとキャンドル抗争との間には隔たりが存在した。しかし、皆が主体となる、感受性に満ち溢れた運動の中で有効な存在になるためには、限られた環境であっても主体となれる参加の道を見い出すことが必要だった。そして筆者はまだその空間は閉ざされていないと思う。キャンドル抗争はまだ終わっていないし、キャンドル抗争の自己省察もまだ続いているからである。

 

 

6.   87年体制の克服で昇華されるべきキャンドル抗争

教科書的議論に従えば、権威主義的政府の転覆は通常、次のようなシナリオに従う。まず広範囲に蓄積された不満が存在する。正当性に欠けた政府は通常、経済的遂行性でこの不満を乗り越えようとするが、それは失敗する。そんな過程で特定の議題を中心に不満が組織される。組織された不満が抗議と集会へと発展し、これによって政府と大衆の間に物理的衝突が生ずる。政府の行きすぎた鎮圧は大衆の闘争をさらに高揚し、もう政府は宥和策を試みる。だが、今度は多すぎた譲歩が怖くなって、少なすぎた譲歩をしようとする。失望した大衆の闘争はより激化し前面化する。こうして闘争に出た大衆の前で、警察と軍隊は自分の親族やお隣さんがちらつくのを見つかる。鎮圧命令が作動しないで権威主義政府は急激に没落する。

しかし、キャンドル抗争は発生の時点のため、このようなシナリオに従いにくいし、この時点は非常に重要な含意を持っている。たとえ大衆が抗議を通じて直ちに中止させるべき、しかも一度施行されると、非常に非可逆的な政策であるが、政府がこれらの政策を決して簡単には諦めないことが明らかであるから、政府の交代を成し遂げてこそ、綺麗に解決できる議題が存在するとしても、民主的な手続きに沿って選出された政府を、出帆直後に交代するのは大衆的説得力がない。しかも代案が理念的な水準で、そして政治的な水準で組織されていないために、履行の費用は想像しにくい。

これがキャンドル抗争のアポリアであり、これまで解放後、韓国社会で存在したすべての大衆的抗争と決定的に異なるところである。4・19革命から6・10抗争、そして近くは盧武鉉大統領の弾劾反対デモに至るまで、多くの大衆的闘争は権力交代期、あるいは選挙周期と繋がっていた。それによって短くて激しい闘争に次いで政治社会の敏感な反応に媒介された成果が引き出せた。しかしキャンドル抗争の場合、二ヶ月以上大規模の闘争が行われ、議題が拡張されはしたが、相変わらずアメリカ産牛肉の全面開放という単一の議題を持っているにも関わらず、決定的成果が得られないのは選挙周期と非常に遠くかけ離れているからである。だが、むしろこのような点のため、われわれはキャンドル抗争の中から、崔章集が繰り返し指摘した民主化過程で現れた熱望と失望の悪循環、すなわち熱情的な運動の政治が制度的補償へ繋がらない悪循環を再発見するのではなく、それとは異なる循環が形成される可能性を注意深く占ってみることができる。

大衆の激しい抵抗が少なくなると、李明博政府は警察力と行政的・法的措置を表に立たせて、あちらこちらに塹壕を掘って陣地戦の態勢を取っている。しかし、大衆に維新と5共和国と6共和国の公安政局の既視感(déjà-vu)を絶え間なく誘い出すほど進んだ李明博政府の非民主性は、民主的に選出された政府という正当性を侵食するほどの水準に達した。李明博政府によるこのような低強度公安政局との長くてつまらない闘争の中で大衆は鍛えられ発展できるであろう もう一方で政府の陣地戦に対応する闘争だけでなく、改憲や大統領信任国民投票などで一気に現在の局面を突破しようとする保守陣営の機動戦に対しても大衆の警戒と準備が求められるという点を指摘しておきたい。。

その延長線上で、総選挙や地方選挙のような大きな直接民主主義的契機ではなくても、小さな水準の直接民主主義の契機の一つ一つが全国的争点へ転換されて一つずつ制度的勝利を挙げることができるし、これもまたキャンドル抗争の新しい発展を刺激するだろう。卑近な例としてキャンドル抗争のさ中にあった再補欠選挙での与党の敗北と、済州道の営利医療法人の設立が住民世論調査により霧散したことが挙げられる。勿論、続くソウル市教育監の選挙では、僅少の差で「キャンドル候補」であった朱璟福(ジュ・キョンボク)候補が落選しはしたが、朱璟福候補がキャンドル抗争の力を十分に結集するほど、よく準備された候補ではなかったという点や、何ヶ月前のソウルの大統領選挙と総選挙の版図を考えると、選挙結果はキャンドル抗争に負った大変な躍進であったといえるソウル市の教育監選挙は、平準化を解体しようとする李明博政府の教育政策にブレーキをかけると同時に、給食問題を媒介としたアメリカ産牛肉輸入に抵抗する戦線を形成できるほど重要な機会であったという点で、朱璟福候補の落選はいろんな意味で惜しい点がある。しかしこの選挙は三つの教訓を与えてくれる。まず、江南ベルトの投票結集のみでなく、江南の持ったヘゲモニー的な力を見逃してはならないという点である。いくつかの新聞が江南ベルトの投票を「階級投票」と呼んだことからわかるように、一部蚕食されはしたが、彼らが現体制のゲームルールで勝利した者たちという事実そのものから出るヘゲモニー的な力は、相変わらず弱くない。彼らの路線は、多数の人々に「セイレーンの歌」のように誘惑的に染み込んでいるため、強い文化的革新と省察を経ないでは容易く克服されない性質のものである。次に朱璟福の敗北は保守言論によって組まれたフレームではあったが、一方では全国教員組合(全教組)の敗北であり、もう一方では単純な反李明博戦線の敗北という点である。全教組は87年体制の民主的成果であり、その砦の一つであるにも拘らず、これまで教員評価反対のような防御的闘争に没頭することによって教育改革の積極的ビジョンを提示することができず、大衆的支持を大幅になくした。こんな重要な知識人労働者組織が新しく社会的信頼を得ない限り、教育改革に向かった闘争が大きな力を得るのは難しいだろう。最後に反李明博戦線は訴える力を持っているが、それだけではまだ足りないところがあるという点である。これからのどの選挙でも反李明博の情緒は働くだろうが、その選挙は李明博に対する選挙ではなく、新しい人物に対する選挙である。保守層は新しい人物と新たな政策の期待感でもって反李明博の情緒を薄める余地を持っている。従って核心は予見される李明博政府の失政と無能ではなく、代案の組織化である。。こんな力は様々な再補欠選挙や住民召還運動を通じて、よりよく準備された形で持続できる。要するに、小さい規模のすべての選挙に焦点が与えられ、それら一つ一つが現政府の失政と無能に挑戦する契機になると共に、代案的な組織と人物を形成する機会になれる。

もう一方で主要選挙に至るまで長い時間が残っているので、キャンドル抗争に見え隠れする代案的社会に対するビジョンが整う機会が開かれている。この期間にキャンドル抗争はどんな社会を志向するかについて論争を深化いていける。6・10抗争がそうであり、弾劾反対デモがそうであったように、市民社会の革新力が選挙を切っ掛けで政党体制に投入されると同時に、政党体制が市民社会から分離され再保守化する方式を超えて、より具体的な水準で政治社会の再構造化を求める理念と政策を構成していけるのである。キャンドル抗争の持った急進的な脱中心化を念頭に置くと、それに含まれた代案的社会のビジョンがどのように整えられるかは予断できない。だが、キャンドル抗争が生命の議題で出発して共生のビジョンへと進んだという点は明らかであり、この共生のビジョンが制度的模型とそれに向かった履行の道を構想できれば、朝鮮半島によりよい社会を作ることは不可能ではなかろう。

これと関連してもう一度強調したいことが公的代議と私的幸福を媒介する制度的ビジョンである。先述したように、87年体制は社会成員たちの個人的合理性と自己利益に基づいた行動様式、民主的感受性すべてを発展させた。従ってこの体制がより深化した民主化へ進むためには、社会的代案が社会成員たちの啓蒙された自己利益の追及に訴えると同時に、それが現体制のゲームルールを変える実践と媒介できることが求められる。要するに、個人的適応と体制の矛盾克服を同時に可能たらしめるビジョンが必要である。しかし87年体制を通じて改革陣営は保守的ヘゲモニーに屈服して克服のない適応に傾く場合が多かったし、進歩陣営は適応のない克服を唱えただけである。その結果は大衆を克服のない適応の道に導いた。この窮地から逃れて克服/適応の二重課題を具現する制度的ビジョンを設けることができると白楽晴(ベク・ナクチョン)は近代性の問題を論じて克服/適応の二重課題論を提議したが、このような二重課題を制度的ビジョンと現実政策の中で実践することが非常に重要だと思われる。このような克服/適応の二重課題に対するより詳しい議論としては、白楽晴「朝鮮半島での植民性問題と近代韓国の二重課題」、『創作と批評』1999年秋号参照。そして、生態的な争点と関わる二重課題論を扱った最近の論考としては、「近代韓国の二重課題とエコロジー談論――『二重課題論』に対する金鐘哲氏の批判を読んで」、『創作と批評』2008年夏号参照。、そうして大衆が矛盾的で葛藤的なこの体制と、その体制の環境の中で適応しながら克服する道、克服を成し遂げる適応の道を歩いていけるならば、キャンドル抗争は今もそうであるように87年体制の保守的再編にブレーキを掛けることからより進んで、87年体制を民主的に再編することによって長い膠着状態を終わらせるだろう。その際、われわれは喜んで87年体制の終焉を語ることができよう。(*)

 

 

 

訳=辛承模
季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
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