李明博政府の地域開発戦略と民主主義
1. 大運河中断? それで解決されたことはない
韓国社会を支配する「先進化」と「新開発主義」
アメリカ産牛肉の輸入事態により、李明博(イ・ミョンバク)政府は出帆初期から支持率が底を突いている。だが、李明博政府は去る12月の大統領選挙で史上最大の支持率の格差を呈しながら当選され出帆した政府である。また与党のハンナラ党は国会で180席の超える圧倒的多数を確保している。従って李明博政府の今の支持率とは別に、李明博政府が立っている理念的・政策的基盤は果たして何なのかを真摯に分析してみる必要がある。
特にアメリカ産牛肉と「韓半島(朝鮮半島)大運河」が争点となるにつれ、逆に李明博政府に対する真面目な分析が疎かに扱われる側面がある。問題は李明博政府が標榜する「先進化」イデオロギーは、政府に対する政治的支持率の騰落とは別個に、韓国社会で支配的談論として落ち着いて久しいという点である。また地域開発と関連しては1997年の外国為替危機以来、新自由主義と結合しながら蘇った開発主義の流れ、つまり新開発主義新開発主義(neo-developmentalism)は趙明来(チョ・ミョンレ)が使い始めた用語として、1960∼70年代式の開発主義が、IMF外国為替危機を経ながら市場万能主義の性向を帯びた新自由主義と結合したものを指す。趙明来「欲望と自然の商品化と新開発主義」、『新開発主義を止めろ』、環境と生命、2005、43∼47頁参照。が我が社会を支配しているという点に注目すべきである。
短期的イシュー(issue)よりは長期的流れを見るべき
このような流れが続く限り、一つのイシューが解決されたように見えるからといって、その問題が実際、解決されたわけではないし、他のすべての問題もまた同じである。中止されたセマングム(saemangeum)工事が再開されて結局、セマングム干潟が死んだように、2004年扶安で中止された放射性廃棄物の処理場の建設が2005年、非理性的な住民投票を経て再び慶州で始まったように、智異山の麓で市民団体と仏教界の反対で中止された智異山ダムが再び推し進められる様子を呈しているように、暫定的に中断されたように見える韓半島大運河はいつでも再び前面に登場する可能性が高い。洛東江運河、栄山江運河のように変化した姿で登場することもあり得るし、現在、大運河事業実施を求める地方自治団体長を盾にとって一層積極的な形で再登場するかもしれない。開発事業を推し進める政府はしつこく事業を進める一方、イッシューを中心に反対運動を行う市民社会や住民たちは、その論争点が長期化するほど力が抜けるようになる。そして、地域の開発選好勢力は絶え間なく地域世論を助成し、地方自治団体長も中央政府に開発事業の推進を求める。そうなると、一応中止された開発事業は一定の潜伏期間を経た後、再び水面上に出てくるし、その際は以前より反対世論も少なくなる。全国の数多くの地域で様々な開発事業がこのような過程を経て推し進められてきた。今も金台鎬(キム・テホ)慶尚南道知事は「大運河の放棄は職務遺棄」と言いながら事業実施を求めている状況である。
さらに「規制緩和」を名目とした教育・医療の市場化も地域から進められている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の時から教育・医療開放と規制緩和のテストベッド(test bed)になった済州道では、今年7月に国内営利病院の許可問題をめぐって葛藤が高まったりもした。済州特別自治道が、済州道に限って国内資本が設立する「株式会社病院」を許可しようとしたためである。済州道民1100名を相手とした世論調査では反対意見がより多く出たため一応留保されはしたが、済州道知事は再び機会を狙って営利病院を推し進めるという意志を明示している。また済州道に推進されている英語教育都市には、英語専用教育を行う初等・中・高等学校の12個が設立される予定である。最初は1年ほどの短期教育課程を運営する教育機関を置こうとしたが、今は定期教育課程を設けた私立学校を誘致しようとする案に変わった。それだけでなく、営利を求める外国資本も教育機関を設立できる。このような教育・医療の市場化はいつでも済州道を越えて全国化する可能性がある。それが「先進化」論者たちが追い求める基本方向であるからである。
このように今発生する問題は、一連の流れから派生するものである。従って短期的イシューに埋没されるよりは、長期的な流れと傾向を正しく判断する必要がある。果たして李明博政府の言う「先進化」イデオロギーの本質は何なのか。それが地域開発政策と関連してどのような姿で現れているか。地域開発政策における盧武鉉政府と李明博政府との共通点と相違点は何なのか。所属政党に関わりなく大運河事業に付和雷同しようとした全国の地方自治団体長たちの行為はどう見るべきか。不動産の値上がりと、分別のない開発をそそのかしてそれを政治的に利用する新開発主義に対する民主的代案は何なのか。これらの質問に答えない限り、大運河事業が中止されるとしても、我が社会で解決された問題は何もないといえる。
2. 土建国家+新自由主義市場化=李明博式先進化?
先進化論者たちが陥った落とし穴
去る何年間、政府は不動産価格の暴騰を統制できなかった。特に民主化以後の政府といわれる金大中(キム・デジュン)-盧武鉉政府でもそうであった。何があっても不動産価格を抑えると公言した盧武鉉政府で不動産価格は、史上類例のないほど暴騰した。ところで「失われた10年」を唱えながら李明博政府の政策アジェンダを前もって生産してきた「先進化」イデオローグたちは、盧武鉉政府が推し進めた行政中心複合都市、革新都市、企業都市によって全国的に地価が値上がり、不動産投機が助長されたと批判した。彼らはこんな都市建設のため全国土地の約1億5千万坪が掘り下げられ、土地補償費で5年間で約67兆5千億ウォンがかかり、全国の地代が4年間で88.3%上昇したことを指摘している。シン・ドチョル『21世紀新しい地域発展政策のパラダイム』、韓半島先進化財団、2008、79頁参照。これは相当、説得力のある指摘である。このような指摘は環境的な立場から盧武鉉政府を批判してきた人々の主張と似ている。しかし逆説的なのは先進化論者たちが期待を寄せた李明博政府は、より大きい開発プロジェクトを推し進めているという点である。代表的なのが全国土を掘り下げる韓半島大運河である。韓半島大運河事業が推進されると言われたら、やはり大運河予定地の周りの地価が暴騰した。先進化論者たちが批判してきた形が李明博政府でさらに増幅されているのである。だとしたら、李明博政府が唱える先進化の実体は何なのかという疑問を抱かざるを得ない。
韓半島大運河研究会と韓半島先進化財団の奇妙な組合
李明博政府の政策基調に影響を与えたブレイン集団を挙げるなら、韓半島大運河研究会と韓半島先進化財団が挙げられる。周知のように、韓半島大運河研究会は李明博大統領の韓半島大運河の構想を主導してきた集団である。そして韓半島先進化財団は李明博政府の国政イデオロギーという「先進化」論を主導的に生産し、政策アジェンダを整えてきた集団である。全体的な下図を描くのには韓半島先進化財団の役割が大きかっただろうが、実際、李明博政府の政策基調をそのまま露にしたのは韓半島大運河研究会だといえる。ところでこの二つは相当似合いそうで、似合わない集団である。韓半島大運河研究会が大運河のような土木事業を擁護する集団だとしたら、韓半島先進化財団は首都圏規制緩和と教育・医療・福祉の市場化で代表される新自由主義的市場化・開放化の性向を後押しする集団だといえる。こんな奇妙な組合の結果物が李明博政府の国政イデオロギーである「先進化」といえよう。
「均衡発展を導く新しい発展軸」(李明博大統領)と主張した韓半島大運河を研究してきた韓半島大運河研究会の主張は、一言で言うと「国土改造論」である。柳佑益(リュ・ウイク)前大統領室長によると、韓半島大運河の構想は総合的な国土改造事業である。彼は内陸地方は落伍するしかなく、内陸に海の道を付けて港を作ることのみが解決策だと主張する。従って今の構造ではできないし、大運河を作って全体的に国土を改造すべきだということである。柳佑益「水路を繋げて国土改造」、韓半島大運河研究会編『韓半島大運河は富強な国を作る水路である』、ギョンドク出版社、2007、35∼41頁参照。このような構想は日本の田中角栄元総理が主唱した「日本列島改造論」を思い出させる。しかし、彼が主唱した日本列島改造論は不動産価格の暴騰など、大きな後遺症を残した。
それで韓半島大運河研究会の構想を見ると、土建国家という概念が浮かび上がるしかない。土建国家という用語は、ガヴァン・マコーマック(Gavan McCormack)が日本を指して用いたものであるが、韓国でも幅広く適用される。それはわれわれの現実が日本の現実と非常に類似しているからである。マコーマックは政府官僚たちが限りなく土木工事を繰り広げ、官僚たちと政治人たちがそのような工事を行う企業と癒着している日本の現実を眺めながらその用語を使った。 Gavan McCormack著、韓敬九他訳『日本、うわべだけの豊饒』、創批、1998、61∼75頁参照。日本と同じように韓国でも絶え間なく大規模の公共事業が繰り広げられ、土建業が国家経済で莫大な比重を占めており、全国的な国土開発計画が樹立されてダム建設、河川工事、海岸埋め立てなどが集中的に進められてきた。そんな過程で土木と建設業が政治・経済の核心として居座って、中央政治と地域政治に土建業が及ぼす影響は非常に大きい。
韓半島大運河はこんな土建国家を克服するのではなく、逆に露骨化し、その絶頂を示したプロジェクトであった。韓半島大運河研究会の主張から上辺の包装紙を剥がしてその中身を見ると、結局残るのは土木工事のみだからである。物流効果、環境改善効果、観光効果というものが上辺だけのことだというのはすでに露になったし、大規模の土木工事を繰り広げることによって生じる経済的効果と運河区間の周辺を開発して得られる開発効果があるだけである。結局、事業の利益は建設主体と不動産所有者にだけ回るだろう。なので韓半島大運河は典型的な土建国家型土木工事の構想であるとしか見えない。
一方で李明博政府のもう一つのブレイン集団である韓半島先進化財団は、盧武鉉政府の均衡発展政策をポピュリズム的だと批判する。朴世逸「次期政府15代国政課題の基本哲学と方向」、朴世逸・羅城麟編『21世紀大韓民国の先進化4代戦略』、韓半島先進化財団、2007、21頁参照。6)特に集中的な攻撃対象となったのは、「片方首都移転」と呼ぶ「行政中心複合都市」と「公共機関の地方移転」である。こんな人為的な分散政策は首都圏の競争力を下げ、地域間の葛藤を齎すのみだということである。そこで韓半島先進化財団は首都圏の規制緩和を主張する。そして大都市圏中心の広域的な地域発展戦略を出しながら、行政中心複合都市と公共機関の地方移転を前提とする核心都市建設を前面中止することを主張する。朴世逸「大韓民国先進化4代戦略の基本方向と課題」、上掲書、108∼109頁参照。
李明博政府は基本的にこのような韓半島先進化財団の主張と同じ立場である。それで出帆初期に首都圏規制緩和を推し進めるといったし、革新都市に批判的な態度を示した。しかしこれに対する非首都圏地方自治団体の激しい反発が起こると、去る7月21日、「首都圏規制緩和はスピード調節をし、広域的な地域発展戦略に努める」との立場を発表した。そして行政中心複合都市と革新都市もそのまま推進すると言った。これは非首都圏地域の世論を意識した結果である。だが、李明博政府はスピード調節はするものの、結局首都圏規制を緩和しようととりかかるだろう。その場合、首都圏への集中現象は一層酷くなるはずである。
5+2 広域経済圏と各種の開発プロジェクト
一方、李明博政府の大都市圏中心発展戦略は、「5+2広域経済圏」で現れている。広域経済圏とは既存の地方自治団体の行政区域を越えて産業・教育・医療・文化など、すべての分野の機能が結合した人口5百万名内外の圏域で、今年1月、大統領職務引継ぎ委員会は国土を首都圏(ソウル、仁川、京畿)、忠淸圏(大田、忠北、忠南)、湖南圏(光州、全南、全北)、大邱・慶北圏(大邱、慶北)、東南圏(釜山、蔚山、慶南)の5個広域経済圏に分けて、地域開発政策を推し進めると発表した。そして江原道と済州特別自治道は特別経済圏として別に区分した。それで「5+2」となるのである。
ところで「5+2広域経済圏」は結局、大規模開発を伴うプロジェクトと繋がれている。今、核心プロジェクトとして挙げられるセマングムプロジェクトとか南海岸のサンベルト(Sun Belt)とかという開発事業も結局、土木工事と不動産投機の場に転落する可能性が高い。すでに開発が取り上げられる地域の不動産価格は大幅に値上がりした。さらに去る7月21日発表した内容を見ると、地方へ移転する企業に土地収用権を含めた開発権を与えるというなど、土地開発を主とした発想から逃れないままでいる。これらの構想は開発利益を一部の企業に一度に与える特恵を生むはずであり、環境破壊、乱開発などの副作用を齎すだろう。しかも南部圏に新空港を早期建設すると言っており、道路と高速鉄道を大幅拡充すると言っている。李元燮「広域経済圏の構築方向と課題」、『地域経済』2008年春号、17頁。
韓国はどのような大げさな戦略やビジョンも結局、土木工事で実現される構造を持った土建国家である。農漁村支援をする場合も土木工事を繰り広げることで現れ、「競争力強化」とか「国際化」とか「革新」とかいう大げさなタイトルを付けても、結局は土木工事を繰り広げることへと帰結される。5+2広域経済圏も結局、全国土で土木工事を広げるものに転落するのではないかと心配される。
開放を名目とした内部揺さぶり
一方、金大中(キム・デジュン)政府以後、「開放」を名目としてわが社会の内部構造を変えようとする試みが続いている。金大中政府はIMF外国為替危機を克服する過程で「東北亜ビジネス中心国家」という概念を設けた。主に経済部署を中心に提議された「東北亜ビジネス中心国家」は結局、規制緩和と開放化を意味するものだった。そしていつかの地域を定めて優先的に規制緩和と開放化を推し進め始めた。名目は外国人が投資しやすい経営環境を作り、彼らの生活与件を改善するというものであった。それで金大中政府の末期に「経済自由区域の指定および運営に関する法律」が制定されたし、仁川、光陽灣、釜山・鎭海経済自由区域が指定された。そして済州道は人・商品・資本の移動が自由であるという済州国際自由都市となった。
盧武鉉政府の末期には黃海(平澤、唐津)、セマングム・群山、大邱・慶北が経済自由区域として追加指定された。経済自由区域が事実上、全国化したのである。従って経済自由区域で、あることが進められると、直ちに全国化する効果が現れることになったのである。
最初は、経済自由区域や国際自由都市を指定すると、すぐにでも外国人投資が活発となりそうに誇大包装されたが、その実績は低調なほうである。逆に不動産価格の上昇が齎されたし、不動産投機利益を狙った資本が進出しているという憂慮も大きい。より深刻な問題は、こんな地域的特例らが最初の名目とは違ってわが国内部の教育・医療の公共性を毀損する手段へと変質していることである。最初、経済自由区域や国際自由都市が推し進められる際は外国語サービスの提供、外国人専用の医療機関設立、外国教育機関設立を許容する水準であった。しかし今は経済自由区域と済州国際自由都市を基盤とする、教育・医療市場化を推進しようとするのではないかという疑いが高まっている。外国人用ではなく、内国人用の政策が相次いで作られているからである。
具体的に見ると、経済自由区域や済州に作られる外国教育機関に、内国人の入学を次第に拡大許容しようとしている。済州英語教育都市の場合には内国人を相手に英語専用教育を行う12個の初等・中・高等学校が入る予定でもある。海外留学の需要を吸収するという名目で推進されるこのような政策により、高費用の「特別学校」が建てられ、結局、国内の公教育体系に影響を与えることになるだろう。医療の場合も外国人用の医療機関の設立を許可するところから次第に変質され、今は国内営利病院を許可する段階にまで進んでいる。今回、済州で国内営利病院の設立は一応中止されたが、済州道と6個の経済自由区域で医療市場化は続けて推し進められている。去る4月25日、企画財政部などが発表した「サービス産業先進化法案」でも経済自由区域内の外国医療機関に対する規制を緩め、医療法人が行える付帯事業(ホテルなど宿泊業)の範囲を拡大すると公表した。済州道でもそのような政策が推進されている。こんな流れは2007年2月28日、サムソン(samsung)経済研究所が出した「医療サービス産業高度化と課題」というイシュー・ペーパー(issue paper)で「営利医療法人の許容の前段階で付帯事業の範囲を拡大する必要」があると主張したことと無関係ではなかろう。
3. 「先進化」された地域開発戦略の本質
結局、李明博政府が推し進める先進化の二つの柱は、取りも直さず過去を踏襲した土建国家と新自由主義的市場化・開放化である。そして地域開発政策と関連しても、そのような二つの柱で政策が推進されている。勿論こんな政策は新自由主義的市場化・開放化のみを主唱する一部の先進化論者たちにとっては戸惑わせるものでもある。先進化を標榜しながらも60∼70年代式の大規模土木事業を繰り広げることを正当化するのは容易くないからである。それで沈黙が続いている。先進化論者たちの中で相当数は古い土木事業である韓半島大運河構想について沈黙した。
もう少し具体的に見てみよう。韓半島先進化財団で2007年9月出版した『21世紀大韓民国先進化4代戦略』は、先進化論の核心イデオローグといえる朴世逸(バク・セイル)、羅城麟(ナ・ソンリン)が共著で出した本である。この本で彼らは金大中―盧武鉉政府の財政運営を「大衆迎合的な財政浪費」と規定する。そして「大型国家プロジェクトを根本的に再検討する」という点を掲げた。ところがまさに史上初めてのプロジェクトである大運河については触れていない。朴世逸「次期政府の15代国政課題の基本哲学と方向」、17頁。10)当時、すでに大運河は国家的争点となった状態であるにも関わらずだ。ある意味でこれは先進化論者たち自らが陥ったジレンマであるといえる。先進化を標榜しながらも土木事業に依存しようとする李明博政府の性向を容認するしかないのが、現在彼らが置かれた状況である。一種の野合といえる。先進化論者たちは土建国家を容認し、土建国家論者たちは先進化という尤もらしい外皮を被る野合が繰り広げられているのである。
4. 盧武鉉-李明博政府の共通点: 規制緩和と土木事業
一方で李明博政府を批判しながら、盧武鉉-李明博へと続く一連の新開発主義の流れが読みとれなかったら、それは大きな問題である。勿論彼らを全く同一視しようといっているわけではない。しかし両政府の差異は何であるか、そしてその間を貫いてきた一連の流れは何なのかについて正確に分析してみる必要はある。
李明博政府が盧武鉉政府と最も異なる点は、行政中心複合都市や公共機関の地方移転に否定的な立場をとるということである。そして首都圏規制緩和に、より積極的であるということである。その反面、両政府の政策には類似した側面も多い。恰も盧武鉉政府が韓米FTAを推進して、李明博政府がそれを仕上げようと心労しているようである。両政府は基本的には規制緩和と開放化を推進している。特に教育・医療分野で際立つ。盧武鉉政府は経済自由区域と済州国際自由都市の時から教育・医療と関わる様々な規制を緩和し、外国医療機関と教育機関を誘致しようとした。李明博政府もそのような点では基本的に同じであり、規制緩和と開放の速度をより速めようとする可能性が高い。とにかく両政府とも教育・医療を公共性という側面よりは、「競争力強化」という側面から眺めている。
5. 地域開発戦略と民主主義
開発同盟と地域
韓国では「開発同盟」という用語が使われている。新開発主義に批判的な知識人たちがよく使う用語である。「同盟」という表現の語感が強すぎる面はあるが、実際、開発同盟は一種の連結網の形で存在する。中央政府官僚・政治人―地方自治団体―地域開発勢力(土豪)へと繋がる開発同盟によって大規模の開発事業が進められてきた。代表的な例がセマングム干拓事業である。農地を助成するといって干潟を埋め立てしておいて、今は干拓地の70%を農地ではない産業・観光用地に使うというのがセマングム事業である。こんなセマングム事業が可能であったのは、まさに中央政府・政治家―全羅北道―地域官辺団体・地方言論などの開発勢力へと繋がる開発同盟があったからである。
一方、李明博政府は地域開発勢力との開発同盟をより一層強化していくだろう。韓半島大運河の推進過程で地方自治団体長と地域の既得権勢力を組織化しようとしたのと同じように。そして新自由主義的市場化もこんな開発同盟を通じて推し進めるだろう。今すぐ教育・医療の市場化を全国的に推進するには支持率が余りにも低い。従って地域の開発心理を利用して何箇所から特例を認めてあげるといったふうな形で推し進めていく可能性が高い。
一方的に独走する開発同盟
現在、韓国の代議民主制は深刻な欠陥状態に陥っている。代議民主制がせめて作動するためには、多様な勢力が多様な価値、多様な政策で競争することが求められるが、現実は全くそうでない。単に大統領―国会―広域地方自治団体長―広域議会が殆ど同一の政党所属という点だけでなく、彼らの追い求める価値やビジョンが同一だということに問題がある。
今、中央政府と広域地方自治団体、基礎地方自治団体は所属政党に関係なしに新開発主義を基本方向としている。地域内でも牽制装置がない。地方自治団体長と地方議会の多数が新開発主義を信奉し、開発を追い求める勢力を支持基盤としているからである。それで地方自治団体は絶え間なく土木工事を繰り広げながら規制緩和を推進している。政党も意味がない。中央政府から開発構想を出すと、地方自治団体長は所属政党に関係なしにそれに従うのに忙しい。韓半島大運河の構想を民主党所属の地方自治団体長らも追従するに余念がなかったのを想起する必要がある。なので地域に行くほど、新開発主義は一方的な独走を続けている。今全国の様々な地方自治団体が内国人カジノを許可してほしいと、中央政府に求めている。経済に役に立つならどんな副作用があろうとも無理やり推進するのである。
地方分権・均衡発展を主張してきた流れに対する省察が必要
これまで地方分権・均衡発展を主張してきた地域と市民社会の流れはあった。しかし彼ら自らも反省と省察が必要である。均衡発展という名目で土建国家的開発主義に対して曖昧な立場をとって、革新都市のような物理的な開発中心の事業を容認してきたのではないかと顧みる必要がある。
拠点中心の、そして物理的な土地開発中心の均衡発展政策は全国的な不動産価格上昇を齎したし、社会両極化を深化させた。そんな方式は均衡発展ではなく、不均衡発展であり開発主義のもう一つの姿にすぎない。そして地域発展を名目で掲げた中央と地域の開発同盟に対し沈黙することは、結局、環境破壊と予算無駄遣い、そして生の質の悪化を齎す新開発主義を容認する結果を生み出す。そのような点で地方分権・均衡発展を主張してきた知識人たちや地域運動家たちも引き返し省察する必要がある。
パラダイムの変化が求められる
先述したように、李明博政府の「先進化」にせよ盧武鉉政府の「均衡発展」にせよ結局、土建国家と新自由主義の市場化という二つの柱から逃れていない。それを新開発主義と表現できるだろう。
さらに李明博政府式の「先進化」は新開発主義の決定版といえる。しかし李明博政府だけが新開発主義を追い求めているのではない。李明博政府のみ批判して、盧武鉉政府の時から続くその流れから目を逸らしてはならない。いや、わが国すべての地域に巣くっている土建国家と浅はかな量的成長優先主義の根に触れなくては変化は不可能である。
従ってこれからはパラダイムの変化が必要である。地域開発と関連して異なる接近が始まらなければならない。量的な経済成長一辺倒の戦略ではなく、地域住民の生の質を優先視する新しい地域発展戦略が出るべきである。量的な経済成長と生の質向上が必ずしも比例関係にあるのではない。例えば、土建国家式開発は地域内総生産(GrossRegionalDomestic Product,GRDP)は増加させうるかもしれないが、環境を破壊し住居費用を上昇させるなど、生の質を悪化させる。国家的にも高い不動産価格は未来の潜在力を削り、貧富格差を取り戻しもできぬものにしながら社会を蝕む。
分別のない規制緩和は短期的経済成長と非正規職の勤め口の創出には役立つかもしれないが、地域住民たちの長期的な生の質向上には役に立たないかもしれない。今回、済州道で多くの住民たちが国内営利病院に反対したのも、こんな政策が医療費上昇と両極化深化などを齎して地域住民の生の質を悪化させるのを心配したからである。
その地域に定着して生きていこうとする人々の立場から見ると、経済成長より重要なのが生の質である。勿論ここで言う生の質は「長期的に持続可能な生の質」を意味する。生の質は政治、経済、福祉、文化、教育、環境、性平等などを包括する概念であり、イギリスのEIU(Economist Intelligence Unit)は、2005年、物質的福祉水準、健康、政治的安定性と治安、家庭生活、共同体的生活、気候と地理、雇用安定、政治的自由、性的平等などを指標にして生の質を評価した。「長期的に持続可能である」とは今進められる気候変化と「石油時代の終末」までも念頭に置くという意味である。こんな意味の生の質を優先視する発展戦略が可能であるためには、何よりも地域内民主主義が実現されるべきである。今のように開発同盟が一方的に政策を推進するのではなく、地域住民たちの参加に基づいた民主的な政治・行政体制が樹立されるべきである。
このためには、草の根の社会運動の活性化も必要だし、代議政治の変化のための努力も必要である。今の既成政党はすべて新開発主義の流れに編入されている。大規模開発事業を政治的に利用してきた、土建国家の構造のもとで政治的利益を享受してきた既成政党では希望がない。そこで新開発主義を克服できる新しい政治的流れが求められる。
このような流れは地域から出発するしかないはずであり、既得権の政党体制を否定するところから出発しなければならないだろう。そして地域住民たちの参加を中心に置いて、実際、地域住民たちの参加を引き出せる新しい政治的組織を構成することによって、政治の主体を変化させるべきである。日本の地方政党(local party)やドイツの有権者団体のような形も考慮してみるに値するし、日本の地方政党やドイツの有権者団体は地方選挙にのみ候補者を出す地域的政治参加組織である。 新しい形も試みてみられる。また政治の議題も変化させるべきである。量的な経済成長ではなく、生の質を政治の中心議題とするべきであろう。
勿論、非常に難しいことである。何かよい方法があるのでもない。変化のためには志のある人々が集まり、自らを組織する方法しかない。それのみが変化を引き出す唯一の道である。もうこれ以上、空回りばかりしていては希望はない。(*)