消えない「デジタルキャンドル」を手に握ろう : YTNの公正放送死守闘争記
全国言論労組 YTN支部長。YTN報道局のプロデューサーとして「突発映像」製作責任者を歴任。李明博政府の具本弘社長天下り人事反対闘争を繰り広げ、解雇された。
「YTN、明かりを消せ」
「キャンドル集会」とYTNの闘争は密接に繋がっている。具本弘(ク・ボンホン)氏の社長内定説が流れたのは2008年4月の初旬であった。情報も漠然、対応も漠然であった。しかしキャンドル集会が勢いを増した5月から状況は変わった。取材現場で記者たちはひどい目にあった。ペットボトルを投げられたり、後ろ指を指されたりもした。視聴者の抗議も殺到した。全てが「キャンドル報道をちゃんとやれ」という内容であった。衝撃的であった。天下り社長選任に反対するため、あらゆる模索を繰り返していた折、YTNの人々は「キャンドル集会」というイシューの前に「公正放送」の重要性を今更痛感せずにはいられなかった。たとえ、認識が幅広く深かったとは言えなくても、こうして「公正放送の死守」のための闘争が始まったのである。
闘争の始まり
天下り社長選任に対する懸念は5月29日、具本弘氏が理事会にて社長候補として推薦されてから本格化した。理事会の開催を防ぐため、労組員たちが理事会場に集結し、60人余りが集まった。労組員は400人。放送取材と地方労組員を除いて、60人も集まったのは予想外であった。場所を移して行われたため、理事会の開催を防ぐことはできなかったが、その場に集まった60人余りの労組員は多くの意見を交し合った。その時、「キャンドルと共に6月闘争を展開しよう」という意見が上がった。当時、執行部の任期は終了間近であり、次期執行部の選挙準備をしなければならない状況であったため、6月は執行部交替時期として上程されていた。具本弘氏を社長に任命する株式総会が7月14日に予定されていたため、それ以前に戦列を整え、株式総会阻止闘争を展開するという腹案であった。「6月闘争」要求はそのような執行部の方針に対する事実上の反旗と言えよう。6月は内部的な整備の期間ではなく、闘争に乗り出すべき重要な時期であった。執行部は次期執行部の選挙を最大限、先に延ばし、「6月闘争」案を受け入れた。筆者も労組員の一人として、その闘争に参加することになったのである。
当時、筆者は労組の「6月闘争」を支持した。事実上、発議者の一人であった。キャンドル集会の闘争方式をベンチマーキングして我々の要求を象徴化し、それを持続的に繰り返し、表面化しようとした。動力を確認してから闘争するのではなく、闘争過程にて動力を集めようとしたのである。そしてYTN社屋の前にはキャンドルが点されることになったのたが、生憎、キャンドル点火が労組で決定されて間もなく、市民たちもキャンドルに火を点し始めた。それが6月9日のことである。以後、YTN社屋の前のキャンドルの火は一度も消えていない。
労組は紙飛行機を折った。紙飛行機の両翼には「公正放送」と「放送独立」と書かれた。市民たちも一緒に紙飛行機を折り、その余白にそれぞれの希望を書いて飛ばした。社屋の最上階の20階から飛ばされた「公正放送」飛行機は市民たちの歓声の中、飛び回った。ある飛行機は急転直下し、ある飛行機は果てしなく飛んでいった。人々の足に踏みにじられ、車のタイヤに轢かれるかもしれないが、誰かか拾い、そこに書かれたスローガンを、小さな希望を、読み取ってくれるかもしれない。YTNの闘争はキャンドルに火を点し、紙飛行機を飛ばすことで、不特定多数、即ち、市民社会に向けて小さな声を出し始めたのである。
株式総会が迫って執行部が交替し、7月17日、数百人の派遣警護員が積み重なった所謂「警護員の壁」の護衛の中、株式総会が強行された。当日、組合員100人余りが総会が開かれる上岩洞(サンアンドン)のヌリクンスクエアに小額株主として集結したが、「警護員の壁」により、組合員の出入りは完全に封鎖された。株主であることを認められ、札まで発行してもらった組合員たちは警護員の壁の前で「道を開けろ」という言葉を繰り返すことしか出来なかった。しかし、総会の開始時間が迫ると、道が開いた。組合員を刺激するための作戦であったのだ。総会会場に遅れて入場した組合員たちの眼前には、より頑丈で高い「警護員の壁」が聳えていて、我々の意見も主張も涙も、その壁を超えることはできなかった。株式総会が始まってから終了するまで、かかった時間は僅か40秒、天下り社長を任命するため、制憲節(憲法記念日)60周年の朝、法の精神は徹底的に踏みにじられる結果となった。
それ以降、具本弘氏の出勤阻止闘争が展開し、執行部の協商案は否決され、執行部が再び交替されるなど、YTN労組は熱い夏を駆け抜けた。筆者は執行部の協商案を先頭に立って反対し、補欠選挙に出馬、YTN支部の支部長となった。天下り社長の出勤阻止闘争が行われた去る10月の初旬、会社側は筆者をはじめ、6人の組合員を解任するなど、33人に対する懲戒を断行した。
新たな闘争の象徴、YTN
YTN労組の闘争は来年(2009)まで続きそうだ。誰もYTN事態の長期化を予想することは出来なかった。内部も同様であった。一部の幹部たちにより、分裂と孤立作戦が試みられ、労組は非常に孤独な戦いを強いられた。しかし、株式総会の阻止、天下り社長の出勤阻止、生放送のピケティング、人事不服従、ストライキ決議、集団解雇、「ブラック闘争(黒い服の着用闘争)」、国政監査などを経て、YTN事態はYTNだけの問題ではなく、社会的イシューとして浮上した。なぜ組合員400人余りのYTN問題が社会的イシューとなって注目されるのだろうか。それは象徴であるからだ。政権のマスコミ掌握への企図を象徴し、具本弘という代理人を通して明らかになった政権の暴力性を象徴している。けれども何よりも注目されている象徴は「希望」である。
5月に点火され、6、7月を熱く燃やしたキャンドルは、8月になると衰え始めた。しかし、それに遅れて点火されたYTNのキャンドルは今も燃え続けている。却って、炎は勢いを増した。多くの人々がYTN闘争から希望を見つけようとしている。一角では、キャンドルの再点火の可能性も語られている。不可能な話ではない。キャンドルの火が衰え始めると、市民団体は狂牛病に変わる新たなイシューを模索した。その時、政権のマスコミ掌握の企図が取り上げられたが、それを前面に押し出すことは出来なかった。だが、今の状況から見て、可能性はある。YTNが持ちこたえながら、注目を浴び始めており、KBSやMBCなども、内部的には沸騰寸前である。放送法の施行令改正案と新聞法の改正、民営のメディアレップ(広告代理店)の導入など、各言論、特に放送局の利害関係が敏感に絡み合った多くの問題が「触れたら今にも爆発しそう」に横たわっている。関連放送局のうち、一つでも前面に乗り出したら、政権と言論界の間に鮮明な前線が形成される可能性が高い。もし、放送界から「2次キャンドル」が点火されたら、「1次キャンドル」の時とは違い、求心点が明確であり、さらに、その求心点が絶対的な波及力を持った放送であるため、政権側にとってもかなり手強い相手となるだろう。先程、多くの人々がYTN闘争に希望の象徴を見つけようとしていると述べたが、その希望は結局、「2次キャンドル」の点火であろう。即ち、YTNが「2次キャンドル」の導火線となることを願っている。
「2次キャンドル」が点火されれば、我々は勝利を得ることができるだろうか。放送界が中心になって、政権のマスコミ掌握の企図に立ち向かうキャンドルが点火されれば、最も強力なキャンドルになり得ると思われる。しかし、求心が強力であるというだけでは不十分である。求心が強力ではあるが、牛肉という食品が中心問題となっていた「1次キャンドル」のように、底辺を広げるのは容易ではないだろう。勿論、現代社会において、公正な放送は食品問題にも増して、重要な価値がる。放送が掌握されれば、害になる食品も体にいい食品となってしまう。このような重要な問題が実際には、それ程重要に感じられないというところが問題なのである。先ず、これらを解決すべきであろう。YTN事態で「突発映像殺し」を読み取り、KBS事態において「尹道贤(ユン・ドヒョン)殺し」を読み取ることは重要である。とは言っても、狂牛病問題ほどではない。従って、「2次キャンドル」は勢いよく燃え上がるまでには時間がかかるしかないだろう。勢いよく燃え上がる前に、政権に消されてしまう恐れもある。そこで「デジタルキャンドル」の重要性が浮かび上がってくる。吹いても消えないキャンドルを筆者は「デジタルキャンドル」と規定したい。消えずに、燃え続け、徐々に広がれば、時間はかかるかも知れないが、キャンドルの壮観を目にすることが出来るであろう。
デジタルキャンドルの点火のために
あちらこちらの集会現場に行くと、バッテリーによって火を点す「電子キャンドル」を目にすることが出来る。デモ道具の単純な進化とも言えるが、ここに無限複製という概念を加えれば、「デジタルキャンドル」に火を点すことが出来る。これまでのキャンドルは苦行に近かった。キャンドル市民たちは自らを「体当たり」と呼ぶ。仕事に追われ、キャンドルに追われ、成果とやりがいがなければ、長く続けることはできない。彼らに喜びを与えなければならない。名分に共感できるならば、集まって一緒に歌を歌おうが、踊りを踊ろうが構わない。キャンドル市民たちが、水鉄砲に撃たれ、盾で打たれる恐れがなければ、キャンドルの拡大の可能性は一層高くなるだろう。キャンドルを集め、そのパワーで政権を直ちに燃やしてしまうつもりでなければ、市民たちが持続的にキャンドルの隊列に残り、選挙の時、一票を投じることが賢明な態度と言えよう。闘争の方式の複製も重要である。実際、キャンドルに火を点す行為自体が複製性を持つ。しかし、孤立している。集結しなければ、キャンドルに火を点すことは出来ない。YTNで紙飛行機を折ったように、時空を問わず、その行為が拡大されるような闘争方式を作り出していかなければならない。さらにインターネットを通して、名分や闘争文化、闘争方式が拡大されれば、所謂「デジタルキャンドル」は不足ながらも、枠組みが完成されると思われる。
YTNは現在、大韓民国で起きている数多くの闘争現場の一つに過ぎない。しかし、「デジタルキャンドル」の導火線になり得る唯一の現場である。YTNの集会は明るく、軽快である。名望家やお偉い様が気取っていられる場ではない。公正放送への強い意思を込め、紙飛行機を折り、集団解雇という暴力に立ち向かい、「ブラック闘争」を展開する。これらを一人ではなく、市民と共にする。子供も、大人も、団体も、個人も、紙飛行機を折って来て、飛ばしてほしいと言う。歌手、俳優、映画監督が黒い服を着て、「ブラック闘争」への参加を宣言したかと思えば、SBSのアナウンサーたちも、 MBCの記者たちも黒い服を着て放送をしている。
なぜYTNを守るべきなのか。公正放送を守る砦だからであろうか。政権の暴力に立ち向かう最前線だからであろうか。組合員400人余りで政権に立ち向かい、半年間戦ってきたのが健気だからであろうか。それだけではないだろう。YTNは「デジタルキャンドル」の点火可能性を示してくれた闘争の現場であり、その前進基地であるため、必ず守るべきなのだ。そして、必ず勝利を勝ち取らなければならないのである。(*)