市民参加型統一運動の役割と可能性
論壇と現場
李南周(イ・ナンジュ) lee87@skhu.ac.kr
聖公会(ソンゴンフェ)大教授、細橋(セギョ)研究所所長。著書に『中国市民社会の形成と特徴』、『東アジアの地域秩序』(共著)などがある。
1. はじめに
近年、統一運動における市民社会の役割が大きく関心を引いている。市民社会については多様な解釈があるが、本稿では特定の規範的志向を強調するより、国家や企業とは区別される社会組織を主体とした社会領域を指す言葉として使用する。本稿では「市民」という用語も多く使っているが、これは「民衆」を排除するものではない。ただ、民衆概念が 1980年代以後、階級連合的概念として多用されたことで、その外延が制限された側面もあり、統一過程ではこのような意味での民衆よりも幅広い主体が参加するという意味で、市民を主体と称した。白楽晴(ペク・ナクチョン)は、2006年5月に「朝鮮半島式統一過程と市民社会の役割」と題された講演で、朝鮮半島式統一はすなわち市民参加型統一であると規定して「ゆっくり進む過程であるがゆえに一般市民の参加可能性がそれだけ高まるだけでなく、『過程』と『終結点』の区別そのものが曖昧な状態で、その過程の内実によって、すなわち人々がどれだけ参加し、どのようにしていくのかによって、統一という目標の具体的内容さえ変わりうるような開放的統一過程」であると、市民参加型統一の意味を説明した。白楽晴「朝鮮半島式統一過程と市民社会の役割――〈5月〉から市民参加型統一へ」、全南大学5・18研究所主催、5・18民衆抗争第26周年記念国際学術大会「民主主義、平和、統一と市民社会」(全南大学竜鳳ホール、2006年5月23~24日)。創批ウェブマガジン(www.changbi.com/webzine/content.asp?pID=404)から再引用。白楽晴の市民参加型統一論については、白楽晴 「朝鮮半島市民参加型統一と全地球的韓民族ネットワーク」、民主化運動記念事業会主催韓日国際シンポジウム「東北アジア平和のための韓国と日本の役割」(2006年10月26日) 参照。朝鮮半島式統一と市民社会の積極的役割との内的連関性を強調する彼の問題意識は、最近、市民社会内で早くも浸透している。去る7月22日、ハンギョレ平和研究所創立記念セミナーで朴淳成(パク・スンソン)が「南北関係の変化と市民社会」というテーマで発表し、9月4日には「南北関係における市民社会の役割と進路の模索」と題された学術シンポジウムが梨花女子大学統一学研究所と、ウリ民族助け合い支援運動平和分かち合いセンターの共同主催で開かれた。
市民社会と統一の関係に対する関心は当為論から始まる側面も少なくない。すなわち、朝鮮半島における望ましい統一のためには市民社会の参加が必要だとする認識が共有されることで、市民社会の役割に対する関心が高まっているのである。統一が単純に、分断された民族を一つに合わせるという、感性的でノスタルジックな目標ではなく、朝鮮半島に居住する民衆の生の質を高めることを追求することだとするなら、これは極めて当然であるばかりか、遅蒔きの覚醒だといえる。
しかしこのような変化は、単なる当為論のレベルにとどまらず、現実の変化の反映であると認識することのほうが非常に重要である。6・15首脳会談後、NGOなどが南北協力事業に積極的に参加しはじめ、政府や企業に続く、もう一つの統一事業の主体として登場してきた。統一部〔部は省に該当〕に登録された統一関連法人数の増加は、このような変化を示している。統一関連法人は、1990年まで16団体に過ぎなかったが、1991~95年には22団体、1996~2000年には44団体が追加で登録されるなど、徐々に増加してきている。そして、2001~05年には83団体、2006~07年の2年間で37団体が新たに登録されるなど、2000年の6・15首脳会談以後、加速度的に増えている。他のかたちで統一関連事業に参加する団体まで含めれば、その数はさらに多くなるだろう。NGOの統一事業への参加の流れについては孫基雄・金令胤・金塋允・金スアム『朝鮮半島統一対備国内NGOsの役割と発展方向』、統一研究院、2007年。したがって、統一過程での市民社会の役割が最近になってようやく多くの人の注目を浴びはじめたということのほうが意外だともいえる。
にもかかわらず、市民参加型統一運動の発展に対して相変らず懐疑的な見方も少なくない。特に市民運動の中では去る10月1日、「市民社会団体連帯会議市民平和フォーラム」が創立されるなど、統一問題の受け皿となるための新しい模索が進められているが、未だ上層中心の活動であり、市民社会全体から見れば統一問題と距離を置こうとする態度を取ろうとするものが多く、積極性もそれほど高くはない状況である。
このような雰囲気には、次の二つの見解が少なからず影響を及ぼしているようである。第一に、南北関係の未来に関連して、統一よりも平和の方を重要視し、平和運動こそ市民社会の志向に合った運動であるとする見解である。第二に、統一事業において、政府に比べて市民社会が果たせる役割は多くないだろうとする見解である。したがって、市民参加型統一運動の展望を示すことは、このような二つの見解がもつ問題点を検討することから始められねばならない。
2. 平和 vs 統統一?
平和統一はすでにずいぶん前から民間から要求されているだけなく、南北当局も合意した、民族問題を解決するための核心的な原則だった。ところが、いつからか統一よりも平和を追求すべきだとの主張が強く提起されはじめた。崔章集(チェ・ジャンジプ)の次の主張は、その代表的なものである。
南北間の理想的な関係は、どれほど先なのか予測もできない長期間にかけて、南北朝鮮の平和共存と経済協力関係が安定的に定着し、北朝鮮が国際的にも国内的にも韓国のように自足的な独立国家としての地位と安定性をもつようになることに他ならない。単一民族→分断→統一された国家の復元という命題は、自動的に成立するものではないだろう。「一民族二国家」の次の段階は、完全に開かれていると言える。そして明らかなのは、平和は統一よりも重要な価値であるという事実だ。崔章集「‘解放60年’に対する一つの解釈――民主主義者のパースペクティブから」、参与社会研究所主催解放60周年記念シンポジウム「大韓民国を問いなおす」(2005年10月21日、国家人権委員会学びの場)。
このような判断は、統一を、二つの政治的単位を一つの体制と価値のもとに根本的に統合することであるとする定義から導き出された結論である。統一をこのように定義すると、当然のことながら積極的に統一を追求することが他の一方の存在を脅かすこととなり、結局のところ平和をも脅かすという論理が成立し、平和を統一から救い出す必要性が提起されるのである。
しかし、白楽晴の指摘のように、朝鮮半島における統一は、統一に対する定義からは説明できないやり方で進められており、新たな可能性が開かれている過程にある。白楽晴の「朝鮮半島式統一」については、白楽晴『朝鮮半島式統一、現在進行形』、創批、2006年、1~3ページ参照。〔同書の日本語版として『朝鮮半島の平和と統一――分断体制の解体期にあたって』(青柳純一訳、岩波書店、2008年)がある。原書に何篇かの論考が加わり、何篇かの論考は削除されている。〕すなわち、朝鮮半島式統一はどんな犠牲を払っても果たさなければならないようなものではなく、国際情勢の変化によって突然到来するようなものでもない。緩やかに、多様な主体が参加して、南と北における生の質を向上させていきながら成り立つ過程なのであって、その最初の一歩が低い水準での南北連合だといえるのである。
もちろん、果たしてこのような過程が可能なのかという疑問は提起されるであろう。しかし現在、朝鮮半島ではすでに南と北が統一に向けた過渡的特殊関係を発展させていくような、そして6・15共同宣言で合意した「国の統一のための南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案には共通性があると認め、今後この方向で統一を目指していく」という過程にあるという点で、東ドイツの急激な崩壊や、ベトナム戦争のような事態になる可能性よりは、新しい朝鮮半島式統一の可能性の方をより高く評価できるのではないだろうか。しかしながら、このような変化を、統一ではなく他の概念で説明し、統一は平和の脅威にしかならないと断定する必要はあるのか? それよりは「平和共存と経済協力関係が安定的に定着」する段階を、創造的なやり方で統一を成していく一段階とみなすほうが自然だろう。
それだけでなく、平和と統一の分離は平和運動と統一運動の双方に否定的な影響を及ぼしているという点にも注目すべきである。朝鮮半島で平和という価値が積極的に再解釈されることには、確かに肯定的意味がある。朝鮮戦争の惨禍を経ているからこそ、平和統一は誰も否定することのできない命題とされてきたが、分断体制が強く維持された時期には南北の誰にも平和統一という原則は真剣に受け入れられず、軍事的緊張緩和のための初歩的な措置もなされなかった。さらには、韓国内の民間統一運動は平和統一を主張していたが、当時の時代的条件の中では反独裁民主化闘争の性格が色濃く、平和統一を実現するための現実的方途が準備されていなかった。誰もが平和を主張したが、同時に平和を真剣に考えたり、単に戦争のない状態ではなく進歩的価値と結びついた平和へと歩を進めることができると思った人は多くなかった。
しかし1990年代以後の情勢変化を経るなかで、平和は徐々に現実的な課題として登場しはじめた。1990年代初盤、ソ連および東欧社会主義の崩壊による冷戦体制の瓦解は、朝鮮半島でも南北関係に対する新しいアプローチを要求した。当局者レベルの対応は、南北基本合意書の締結につながった。このように、冷戦の解体による分断体制の動揺に対応して南と北が新しい関係を追求しはじめると、平和体制の構築は統一へと向かうための喫緊の課題として提起されるようになった。そして1994年以後、北朝鮮核問題が浮上したことによって、平和体制の樹立なしには朝鮮半島問題の解決は不可能だという点がさらに明確になった。
このような状況を背景に、韓国内でも多様な平和運動が発展しはじめた。具甲祐(グ・カブ)は、朝鮮半島の平和運動はさまざまな形で発展しているが、基本的にそれらはすべて冷戦体制の産物だと主張する。具甲祐『批判的平和研究と朝鮮半島』、フマニタス、2007年、195~96ページ。しかし、新たに発展しはじめた平和運動は、かつての統一運動がもっていた偏向を乗り越える契機を提供してくれはしたものの、同時に平和の課題と統一の課題を分離させてしまうという、別の偏向を示した。ここで、脱民族主義的、脱国家主義的傾向と強い連関をもつ西欧の平和理論の影響を無視することはできないだろう。もちろん、この傾向が容易に受け入れられた客観的要因も存在した。北朝鮮が、対外政策においては核カードを使い、対内的には先軍体制を主張するなど、体制維持のために軍事的手段への依存度を高めたことによって、平和運動勢力は北朝鮮と付き合うことに居心地の悪さを感じるようになった。そのため、平和運動は韓国内の問題に焦点を合わせるようになった。これは一見、現実的な対応のように思われるが、実際には平和運動のパワーそのものを弱めるという結果をもたらした。韓国内のアジェンダに焦点を合わせた平和運動は、朝鮮半島というレベルで見れば、むしろ現実性に劣るからである。
実際、韓国内で平和というアジェンダが浮上したのは、単に冷戦体制解体の直接的な結果というだけではなく、朝鮮半島における情勢変化、とりわけ南北関係の変化という背景があったがゆえに可能なことだった。分断体制が公然と維持された時期に、韓国内で「平和」というアジェンダはすぐさま北朝鮮脅威論という、超えられない壁に直面しもした。民間の平和統一論が国家保安法によって弾圧されたことは、これをよく示しているのではないか? 北朝鮮の脅威という論理が存在する条件のなかで、韓国だけの平和運動は突破口を見つけにくいであろうし、そのため平和運動の空間拡張と統一言説の拡張は、密接な結びつきをもたざるをえない。
1990年代以後、分断体制が動揺しはじめ、特に6・15首脳会談を契機として朝鮮半島の分断体制に大きな亀裂が生じた。こういった背景のもと、政治的スローガンとしての統一運動ではなく現実的課題としての統一運動が発展するためには、平和統一という原則を再解釈して、平和と統一の好循環を追求する新しい統一運動が必要であるとされた。このような転換期に、平和運動の感受性は、統一運動を新しい段階に発展させる促進力として重要な意味を持っている。しかしながら惜しいことに、これまで既存の統一運動領域で、こういった転換はなされず、統一と平和は別個の課題とされ、同時に別個の運動勢力の領域へと分離する現象が現われた。このような状況は、平和運動の発展を制約するのみならず、複合的要因が相互作用することで多様な経路で発展していくような統一を、先験的な枠組みで裁断し、統一に関するさまざまな想像力が開かれる可能性を遮断することにもなった。すなわち、平和言説と統一言説の分離が創造的分化になるのではなく、むしろ、平和言説は理想主義的平和主義として、統一言説は時代遅れの民族主義として扱われる共食いの構図が作り出されたのである。例えば平和運動のなかでは韓国が先に軍縮することによって平和規範の拡散を主導することが主張されたりもするが、分断状況において、こういった主張は非現実的な発想と見なされやすい。また、平和という価値を積極的に反映できない統一は、国家と民族を前面におし出す、個人に対する抑圧と受け止められやすい。このような問題点は、平和と統一が一つの過程に溶け込んでこそ克服されうる。この結果はどの立場から見ても望ましいものではなく、したがって朝鮮半島問題を解決するにあたっての市民の発言力を高め、参加の幅を広げる「現実的」な方法をねり出すためには、「平和」と「統一」の結合が必要不可欠だといえる。
3. 市民参加型統一運動は可能なのか
平和運動が分断体制克服という志向と有機的に結びつこうとする際に経験する困難は、統一に対する否定的な態度によってのみ生じるわけではない。平和と統一が非常に密接な関係性をもつという点は否定できない客観的現実であるが、実は平和運動を強調する側でも平和と統一を結びつけるべきだとの命題を明示的に否定するケースは多くない。民主労動党からの離党組の立場に近かった進歩政治研究所が発刊した資料でも「平和体制はそのものとしては統一といえないが、過程としての統一を考慮するなら、事実上、統一段階に進んだといえる」と両者の連関性を指摘した(チャン・テクサン「朝鮮半島の平和体制はいかに可能なのか?」、『未来工房』2007年3−4月号(通巻2号)、67ページ)。このような指摘にもかかわらず、政治・経済・社会・文化など多様なレベルでなされる「過程としての統一」自体に対する綿密な検討のないまま、これを単に平和体制と等値しているのは惜しいところでもある。実際に統一を成していく事業のなかで市民あるいは市民社会が主導的役割を担うことは難しいと認識されているために、主に市民運動の領域から発展してきた平和運動側では統一を自らの課題にしにくく、平和と統一という課題の分離を惰性的に受け入れることになったのである。
これは「統一運動の逆説」とも呼びうる現象である。分断体制が強固に維持された時期の統一運動は民間が主導していた。しかし実際に6・15首脳会談を経るなかで南北当局者たちの間に多くの対話チャンネルができ、政府の主導下で南北協力事業が進められたことによって南北協力と統一事業の空間が広くなり始めると、民間や市民社会の役割は徐々に縮まっていると認識されるようになったのである。現段階の統一事業のなかで政府より市民社会の役割が少ないことは当然だといえる。まず、政府には資源を動員することができる能力があり、民間や市民社会より圧倒的優位に立てる。また、北朝鮮核危機で示されたように、朝鮮半島問題は非常に複雑な政治・軍事的問題と連関しており、ここに民間や市民社会が直接的に介入する手段もそうそうない。さらに、北朝鮮に韓国市民社会と協力することができる勢力が存在しないという点も理由の一つである。
ここで考えねばならないのは、統一運動における市民社会の役割が縮小されたとか無くなったという判断は、果たして適切なのかという問題である。これまで、統一が民衆運動陣営の主要綱領の一つとされてきたからといって、当時の統一運動が現在より発展していたとはいえない。あの時の統一運動は、文益煥(ムン・イッカン)牧師、林秀卿(イム・スギョン)さんの訪北といった個別的な事例を除けば、韓国内で「統一を志向する勢力と反統一勢力」の対決構図を脱することはできていなかった。もちろん、韓国内の反統一勢力を解体すれば南北の統一にはどんな障害もないだろうと前提し、そのような統一運動が展開されたこともあったが、このようなアプローチは反独裁闘争を越えて分断体制克服という最終目標を果たすために積極的な役割をしそうにない。したがって、当時の統一運動は独裁政府を民主的な政府に交代させることによって分断体制の一角を崩し、分断体制の克服に有利な政治的環境を作るのに寄与したのは確かだが、本格的な分断体制克服運動として評価することは難しい。
このような側面からみるとき、現在統一運動において市民社会の担う役割は増大していると考える方がむしろ適切であろう。先に説明したように、近年、統一事業に参加する民間組職が急速に増加している。もちろん、それらの事業は政治的制約から自由ではないが、非常に多様なかたちで展開されている。対北支援団体だけでも食糧、医療、畜産、技術協力、森林など多様な領域で活動している。また、注目する必要があるのは「6・15共同宣言実践民族共同委員会」の活動である。たとえ北では統一戦線の一環と思われようとも、共同事業の進行過程で政治的タブーが壊れるさまざまな状況が見られた。その過程で南北関係に小さいながらも意味ある市民社会の声が反映されもした。
政府間協力の制度化と協力規模の拡大、場合によっては市民社会が近付きにくい軍事的問題を中心とする南北関係の変化などによって、市民社会の役割が限定されることも事実である。しかし、市民参加型統一運動は6・15首脳会談以後、継続的に発展してきた。すなわち実質的な側面からすれば、政府間協力と市民参加型統一運動は相互排他的な関係ではない。したがって今後、政府間関係がさらに進展すれば、市民社会の役割もより増加していくであろう。
だとすると、「市民参加型統一運動は可能なのか」という問いは、それ自体すでに古びたものである。市民参加型統一運動は進行中にあり、南北関係が逆転しないかぎり、今後とも発展できる空間はさらに広がるだろう。政府と市民社会の関係を競争的なものと見ないのであれば、時期にしたがってどちらが前面に立って主導するのかといったことは重要な問題ではない。核心となるのは、市民社会が情勢と主体的条件に合った統一運動領域を開拓しているかどうかであり、今後はこれについて多く論議し、実践していかねばならないのである。
4. 市民参加型統一に対する共感を広げよう
現時点で本格的に取り組むべき問題は、市民参加型統一運動をいかに発展させるのか、である。これまで南北協力事業に対するNGOの参加は増加傾向にあったが、このような趨勢を維持することだけでは事足りない。対北支援事業の場合、急を要する人道問題を解決して南北の信頼を深める側面では肯定的な役割を果たしているが、統一運動が支援事業の範疇に制限され、未来に対するビジョンとのつながりを失ってしまうことになれば、持続的発展に困難が生じるであろう。
市民参加型統一運動の発展のために何よりも喫緊の課題は、朝鮮半島における統一がどのようなかたちで進まねばならないのかについて合意を形成し、これを広めていくことである。これは単に統一に対するハッピーな絵を描こうという話ではなく、二つの側面で市民参加型統一運動の発展と直接関連する問題である。
第一に、統一は至難の過程になるであろうが、それによって朝鮮半島に住む人々の生の質を高めることができるという認識が広く共有されてこそ、統一事業に対する市民の積極性を引き出すことができる。南北関係の進展なくして平和という生の基本的な条件を保障することはできないという消極的意味でも、統一の必要性を主張することができる。分断体制が傾き、これを修理し維持することの方が難しくなっていく趨勢を勘案すれば、このような消極的意味の必要性も過去に比べても重要な意味を持つ。しかし統一が現実問題となった今、統一過程が朝鮮半島における生の質を向上させる過程になりうるという事実に、より注目する必要がある。これは統一至上主義になるべきだということではなく、統一がもたらしてくれるであろう機会にもっと敏感にならなければならないことを意味する。
このような側面からすれば、何より励ましとなるのは、前に説明したように、すでに朝鮮半島では新しい統一のモデルが作られているという事実である。2000年6・15共同宣言以後、朝鮮半島の中では南北当事者の合意が、そして国際的には六者会談のプロセスが、過程としての統一を進めていくための環境を作ってくれている。もちろん、このような動きを否定しようとする人々が未だに少なからず存在するのも事実である。しかしその動きは、冷戦体制崩壊以後に多くの行為者による様々な試みが実践を通じて検証された結果として現れたものだという点で、いくつかの主観的意志によって揺り戻しが起こるような流れにはない。去る数ヶ月間、北朝鮮最高指導者の健康問題と北朝鮮の急変可能性が話題になった。そしてその過程で示された韓国政府の軽率な態度に対しては多くの指摘があった。しかし、このような議論が、逆説的にも朝鮮半島式統一に対する合意を作ることこそ非常に現実的で喫緊の課題であることを示唆したという事実は、あまり注目されなかったようだ。
したがって、どちらか一方が他の一方を吸収統一するのではなく、南と北がそれぞれ自己省察しながら統一作業を進めていくことができる機会が存在しており、すでにこの方向で動こうとする力量も作られている。統一がどちらか一方の体制を選ぶのではないような省察的過程であり、南北それぞれにおける変化と結びつけられた「過程」であるという点は、最近多くの人々によって強調されている。朴淳成、前掲;李承煥「6月抗争20年、新しい統一言説のために」、『創作と批評』2007年秋号など参照。 今後、このような変化の可能性に対する共感が広まるほど、市民の統一事業への参加意志も高まるだろう。特に注目する必要があるのは、今回のアメリカ大統領選挙でバラク・オバマ(BarackH.Obama)候補が当選したことで、冷戦体制解体以後にジュネーブ合意が締結された1994年、そして南北首脳会談と米国務長官オルブライト(M.Albright)の訪北がなされた2000年に引き続いて、朝鮮半島情勢は三度目の戦略的転換点を迎える可能性が高まったという事実である。先の二度の転換点は朝鮮半島情勢に肯定的な変化をもたらしたが、同時に内外の多くの障害要因によって、問題の根本的解決には至らなかった。しかし今回は、テロ支援国解除と寧辺(ニョンビョン)核施設の不能化といった実質的成果をあげるなど、米朝の両者が、いつになく積極的に交渉に臨んでいるという点で、他の関連当事者が積極的に努力すれば、米朝関係の変化が朝鮮半島問題解決につながる可能性はこれまでになく高い。そしてこのような変化は、市民参加型統一運動の空間を広げてくれるものであり、市民社会陣営はこの変化にどのように対応していくのかを本格的に議論する準備を急ぐ必要がある。特に現政権がこのような情勢変化にもかかわらず、南北関係を発展させることに消極的であり続けるなら、市民社会の役割はさらに重要になるだろう。
第二に、このような新しい方式の統一に対する合意が幅広く共有されるにしたがって、統一運動の空間は広くなるだろう。過程としての統一というアプローチは、市民参加の機会を拡張させる統一論という点で重要な意味を持つ。このような視点で見れば、かつては統一と無関係だと思われていたことが統一と関係づけられ、それによってより大きな活力を得ることができる。たとえば生協運動のように、現在の資本主義的秩序がもたらす問題点を克服するための試みがどのように朝鮮半島レベルに拡張されうるのかという悩みや、これに関連する実践は今すぐ可能だろう。 李日榮「キャンドルの経済学――朝鮮半島経済の微視的基礎」、『創作と批評』2008年秋号。 政治レベルでは、南北連合によって形成される朝鮮半島全体の分権的秩序と韓国内での分権的秩序を連携させる設計や、南北の地域間協力(地理的隣接性を利用した束草(ソクチョ)-金鋼山(クムガンサン)間の協力や、坡州(パジュ)-開城(ケソン)間の協力、その他にも文化・経済的媒介を通じた地域間協力)を推進するといったやり方もある。文化的レベルではこれよりもさらに多様な事業が可能だろう。ここでも南北連合とこのような交流事業の関連性に注目する必要がある。吸収統一に対する憂慮あるいは統一過程に対する不確実性が高ければ、北朝鮮がこのような協力に積極的になる可能性は低く、そのため南北連合のような朝鮮半島レベルでの設計が必要だ。2000年以後、南北間で進められた数々の協力事業は、実際に政府間統一をいかに進展させていくのかに対する合意の進展と関連している。
市民参加型統一運動とは、皆で北に行こうとか、北に対する支援事業に参加しようということを意味するのではない。そして、自分の生の現場から離れた新しい実践に身を投じることを意味するのでもない。それは、自分が今・ここにある生の現場で行っていることが統一とどのようにつながりうるのか、そして統一という過程と結びついた時にどのような新しい可能性を持ちうるのかに対する感受性を育てて行くことから出発する。このためには――再度強調するが――硬直した理論枠組みに統一を閉じこめてその概念を死なせてはならず、それを生気ある創造の過程において創っていこうとする姿勢が何より重要である。
このような努力が基盤となり、市民社会が統一運動の領域に積極的に入りこみ、発言権を行使するようになるなら、南側政府はもちろんのこと、北側政府もこのような動きから目を背けて統一を主張することはできなくなるだろう。市民社会は市民参加型統一が望ましい統一であるという規範的要求のみで自分の役割を果たすことはできないだろうし[を自らの言い分とすることはできないだろうし]、統一事業に参加できる基盤と実力をつけることで、自らの役割を見つけていかねばならないだろう。その可能性は、今後さらに大きくなっていくと思われる。 (*)
* 〔 〕内は訳者による注である。
** 原文において韓半島、南韓、北韓、南北韓などの用語が使用されているが、訳出にあたっては朝鮮、朝鮮半島および南北朝鮮を使用し、南北のそれぞれの地域を指す場合には韓国(大韓民国)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を使用した。
訳=金友子
季刊 創作と批評 2008年 冬号(通卷142号)
2008年12月1日 発行
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