창작과 비평

文学の新しさはどこから来るか

特集 | 文学とは何か 

 

 

 

韓基煜(ハン・キウッ) englhkwn@inje.ac.kr  

 

文学評論家、インジェ大学英文科教授。主な評論に「世界文学の双方向性とアメリカマイノリティ文学の活力」「韓国文学の新しい現実読み」「最境界の書き物― 裵琇亞小説集『フル』」などがある。
 
 
 
 

1. 「新しさ」に強迫された批評

 
度重なる文学危機論と、評壇を騒がせた「文学の終焉」論にもかかわらず、韓国文学は春秋戦国時代(東周時代)を迎えたように、様々な傾向の作品と批評を量産している。昨今の韓国文学には新しいものと古いものとがほぼ等しい比重で共存しているが、この中には真に新しいものもあり、上辺だけ新しくて中身は古いものもある。だと思ったら一方では古いものに見えるが新しいものもあり、表も中も古びてしまったものもある。千差万別の作品と批評の実際を見積もるにはこの四つの分類法も、一つの方便に過ぎない。確かなのは韓国文学の活力の中に相当のバブルが含まれているということだ。このバブルを取り除くか否かによって韓国文学の行く先は変わるだろう。ここで「新しさ」と「古さ」の基準について考え直す必要があるのはこのためである。

様々な傾向の作品がそれぞれ自分が真の文学だと自任して乗り出す時こそ、批評の役割は重要となってくる。「批評家」(critic)という英語の語源にも込められているように、どの作品に価値があるか、どんな点で新しいかを選り分ける批評作業が「決定的に重要な」(critical)のである。それはこの作業に文学らしい文学は何かという問いだけでなく、生らしい生は何かという問いも関わっているからである。批評家は「準備された読者」としてこのような批評作業の戦端を開く人であるが、その先導的な役割に負って作家を含めた数多くの読者たちの間に対話と討論の空間が設けられるとき、文学はいわゆる「文学者」たちの狭い庭から脱して同時代の人々の大事な共有資産となる。

ところがわれわれの相当数の批評家たちは、あたかも「新商」(品)を紹介するホームショッピングのショーホストのように、作品の真骨頂ではなく、あれこれの叙事的特色によりながら2000年代の若い文学に「新しい」という形容詞を濫発する。どの時代であれ、新たに登場する文学に新しさを度を越えて与える傾向はあるものの、今日相当数の批評家たちが最新小説から発見する「新しさ」は強迫症的で「コード化」されているということが問題である。新鋭の評論家、姜由禎(カン・ユジョン)はそれを鋭く指摘する。

 

ある点で同時代の文学あるいは新しい文学の内容を構成している作家たちは「新しさ」に対する例証であるとともに注釈として借用されるところがなくもない。新しい作品が出てきたがゆえに意味規定がなされるというよりは、新しさを宣言するために不慣れな作品が手配されているような状況だという意味である。新しさに強迫された最近の読み方に各々の実在に対する反省的な認識が欠けている訳もこのためである。宣言のドグマは反省や懐疑を許さない。「新しさ」に対する談論的鳥瞰図があるのみで、実体が注釈のように矮小化される訳もここにある。姜由禎 「Welcome to Nowhere-land- 韓裕周、キム・ユジンの新しい小説」、『エディプスの森』、文学と知性社、2007、35頁。

 

2000年代文学の新しさを論じた(筆者を含めた)評者たちの態度を振り返らせるくだりである。これが2000年代小説に「無重力空間の書き物」という名をつけた李光鎬(イ・グァンホ)や「無力なる自我」を特徴と掲げる金永贊(キム・ヨンチャン)など、「新しさ」宣言を導いた批評家たちへの批判だとしたら度をこした面もあるが、筆者は李光鎬の発想が2000年代作家たちの小説を「実際以上に脱現実的で脱歴史的な脈絡から読みやすい」と批判し、金永贊の主張に対しては「部分の性向を全体の性格として拡大」するおそれがあると指摘したことがある。特に彼らが「新しさ」の発想の例として挙げた作家たちの中に、場合に合わない作家(金愛爛、金重赫、朴玟奎)も入っているということが不満であった。作品の価値評価と別個の次元で成される一種の「コード化」に対する不満もあった。拙稿「韓国文学の新しい現実読み」、『創作と批評』2006年夏号、214∼15頁参照。これに対して李光鎬は「『設けられた書き物主体の無重力』を『批評家の無重力』『読み方としての無重力』に歪曲する論法」だと反駁しているが、筆者の批判は「書き物主体の無重力」を設けるに伴う問題点を指摘したものである。李光鎬の反駁については、「『2000年代文学論争』を超えて」、『文学と社会』2007年春号、249頁参照。彼らの後に加速化した新しさ強迫症はこんな批判を受けるに値する。このように最近の評壇における間違った慣行をしっかりと批判する姜由禎は、韓裕周(ハン・ユジュ)とキム・ユジンを扱う自分の文章が「新しさという未開拓地に対するもう一つの占有というより、占有された領域の妥当性に対する反省的考察」(36頁)に近いと主張する。しかし両作家の作品を分析した後、「彼らの試みる小説の革新や言語の更新は不可能な冒険であるかもしれない」(51頁)と少し指摘することのみで「新しさに強迫された最近の読み方」にどのような校正効果を及ぼし得るかは疑問である。

実は姜由禎は「新しさ」を濫発してはならないという自覚にもかかわらず、新しさを猛烈に探す姿を示してもいる。例えば、「最近の小説はあたかも共謀でもしたように、小説の原理から『近代性』を消している。重要なのはその消すことが取りも直さず小説という近代的築造物を内破している方式」だと指摘しながら、「最近の小説の中に意図的な見逃しの行為がよく出没する脈絡」に注目する。(20頁) それに次いで李起昊、朴馨瑞、韓裕周、片惠英を近代小説の原理を内破する作家として呼びながら、「盲となったエディプスの新しい小説」という名で金重赫と金愛爛の作品世界を詳しく分析する。これで「近代性」を消した「新しい小説」の作家の名簿が提示されるが、アイロニーなことはここまで至ると姜由禎自分こそ「新しさに強迫された最近の読み方」の模範事例を示しているかのようである。

ところで不慣れで新しい小説に対する「手配」競争に、中堅の評論家、孫禎秀(ソン・ジョンス)まで入り込んだことは、事態が尋常でないことを示す。孫禎秀は「新しさにすべてを賭ける批評家たちの賭博には、当然それに見合う掛け金があるはず」孫禎秀「変形され生成される最近の韓国小説の文法」、『子音と母音』2008年秋号、226頁。といいながら、その「賭博」に果敢に飛び込む。言わば自分なりに最近の小説の文法から見い出される新しい作家(朴玟奎、金重赫、韓裕周、金兌墉、黃貞殷など)の名簿を作成する。ところが作品の価値評価とは無関係な、このような強迫症的な新しさ追求の裏面には、「虚構的」な古さが蹲っているはずである。姜由禎の場合、それは一言で「視覚中心の近代性」である。だとしたら孫禎秀にとってその基準は何なのか。孫禎秀が最近の小説の動向について「ある時点以後、小説は作家の生や記憶、社会的現実などから発せられずに、前もって存在したテキストを再専有する方式で再生産されているかのようである。それは透明な現実の再現ではなく象徴的想像であったり、あるいは想像的象徴であるはず」(226頁)と語る際、彼の掲げた基準は露になる。彼にとって「古さ」の際立った徴は「透明な現実の再現」なのである。

しかし孫禎秀のこの陳述は事態を二重に歪曲している。まず「作家の生や記憶、社会的現実などから発せられ」る小説が多数書かれている厳然たる現実を削除している。そのような小説はおそらく「リアリズム」小説を指しているようである。次にこのような(リアリズム)小説の特徴が「透明な現実の再現」であるかのように糊塗する。「透明な」現実の再現はできそうもないというのがリアリズムの長い伝統の中で鍛えられた作家と批評家の常識であるし、リアリズムの作家たちが「再現主義」的発想の限界を突き破る芸術的奮闘の過程を小説化した事例も多数ある。例えば、全成太(ジョン・ソンテ)の「退役レスラー」(2000)と「存在の森」(2003)は再現主義と反映論の限界を描破する作品である。これについては拙稿「韓国文学の新しい現実読み」を参照。理論の面でもリアリズムの核心は「現実の再現」ではなく、作品全体が「詩的境地」に達したかの可否であることを強調したのではないか。 白樂晴(ペク・ナクチョン)「詩とリアリズムに関する断想」(1991)、『統一時代の韓国文学のやりがい』、創批、2006、428頁参照。白樂晴は所々でリアリズム芸術の核心は事実主義的な再現ではないことを明らかにしたが、詳しい議論としては、白樂晴「ロレンスと再現および(仮想)現実問題」、『内と外』1996年下半期を参照。

 

2. 「近代文学の終焉とその後の文学」というフレーム

 

孫禎秀(ソン・ジョンス)が韓国小説の「新しさ」と「古さ」の分岐点を「透明な現実の再現」に求めるということは、われわれの批評の一部が蒙昧主義の中で漂流していることを示す。ところでその由来を辿ってみると、柄谷行人の「近代文学の終焉」論の受容問題とつながっている。周知のように、柄谷は韓国文学の急激な影響力衰退から「近代文学の終焉」を実感し、「近代文学以後の文学」は娯楽にすぎないから文学と決別すると宣言する。「終焉」論をめぐった論争で「柄谷の『近代文学の終焉』は今この時代、われわれにとって文学は、批評は何かを根本的に問い直している」權晟右「追憶と執着――『近代文学の終焉』とその議論について」、『内と外』2007年上半期号、146頁。という權晟右(グォン・ソンウ)の指摘は傾聴に値する。

しかし權晟右自身がその問いを「根本的に」問い直しているという気はしない。柄谷の「終焉」論によりながら韓国文壇に向かって反省と省察を促すのみで、彼の主張(特に「韓国文学の終焉」論)の虚実を綿密に検討していないからである。例えば、韓国文学と日本文学との違いに対し「金源一、趙廷來、黃晳暎、バン・ヒョンソク、金南一、鄭智我、鄭道相、安載成、孔善玉、全成太などが各々自分の方式通り奮闘している文学世界に当たる、この時代の日本作家を思い浮かべることが難しいという点」(137頁)をせっかく論じておきながら、韓日両国の文化的・文学的違いが次第に薄くなりつつあるという理由で、これらの作家に大きな期待を寄せてはいない。黃晳暎(ファン・ソクヨン)から安載成(アン・ジェソン)まで、芸術的性向と水準がかけ離れている作家たちをごちゃまぜに堵列させる方式も問題である。彼らが皆、事実主義的叙事を用いるということに注目するだけで、誰がそのような叙事を持ってわれわれの時代に「決定的に重要な」芸術を作り出すかの問題は不問に付しているからである。このような範疇化もまた、一種の「コード化」である。權晟右が朴玟奎(バク・ミンギュ)の小説の秀でたところを理解できず、それに対する白樂晴(ペク・ナクチョン)の高い評価を、何か他の底意があるかのように疑うの權晟右「朴玟奎、あるいは批評の運命・1」、『今日の文芸批評』2008年夏号を参照。もこのような「コード化」した文学観に取り付かれているせいではないかと思われる。

黃鐘淵(ファン・ジョンヨン)の反応はより詳しく見てみる必要がある。議論の便宜上、柄谷の「終焉」論を1)「近代文学」の概念2)「近代文学の終焉とその後の文学」という構図3)「近代文学以後の文学」は娯楽にすぎないという主張の、三つの項目に分けて見てみよう。黃鐘淵の反応が不満足なのは、柄谷にとっては「近代文学」が文学らしい文学であるが、黃鐘淵にとってそれは何かが明らかでないということである。黃鐘淵は「近代文学は終わったという柄谷の主張は妥当で有用な仮説」黃鐘淵「文学の黙示録以後――柄谷行人の『近代文学の終焉』を読んで」、『現代文学』2006年8月号、196頁。だと認めるが、柄谷とは違って「近代文学」を文学らしい文学としては見なしていないようである。黃鐘淵が「近代文学の終焉以後の文学はつまらないという彼〔柄谷〕の主張は(…)個人的・局地的経験の無理な一般化ではないか」(197頁)と疑いながら、「近代文学以後の文学」も娯楽以上の価値を持ちうることを示しているのもこのためである。要するに黃鐘淵は1)は受け入れるが「近代文学」がそれ程理想的な文学であるか疑い、3)は拒否し、2)はそのまま受け入れている。

ところで2)で頭が痛いのは、韓国で「近代文学」と「近代文学以後の文学」(脱近代文学)の分岐点をどこに設定するかということである。この問題は柄谷の「近代文学」の概念そのものと、それを韓国に適用することが妥当なのかを充分検討する前までは解決できない。黃鐘淵は西欧文学史の脈絡からこのような検討作業を試みているが、それが西欧のいろんな国々に普く妥当なのか疑問であるし、何より「分断体制の克服」としての統一を始め、近代適応・近代克服の二重課題が残されているわれわれの状況には明らかに合わない。われわれの文学を「近代的」文学と「脱近代的」文学という二つの傾向に分けうるとしたら、その両者は柄谷の設定したものとは性格が異なるし、それほど断絶的であることもできない。多くの優れた作品が両者の境界に置かれたり、両者の属性を同時に持っているからである。このような事情を顧みないで柄谷の2)の断絶的な構図を容易く受け入れながらその分岐点を恣意的に決めることは、今日われわれの批評を「古さ/新しさ」(近代文学/脱近代文学)という図式の虜にすることに一役買う。

もちろんこのような図式に陥っていない批評家たちもいる。例えば、金重赫(キム・ジュンヒョク)と金愛爛(キム・エラン)の小説から脱近代文学特有の美徳を無理やり見い出そうとする姜由禎の試みに対して、申亨澈(シン・ヒョンチョル)は「金愛爛と金重赫の小説がわれわれにとって印象的なのは、むしろそれらの小説がよく出来た近代小説であるが故ではないか。」申亨澈「われわれが『小説の倫理』を語る際、言い過ぎたことと殆ど言わなかったこと」、『ノモ』(「超えて」という意味――訳注)2008年夏号、278面。と鋭く反問する。彼の次の発言は、今日新しさに強迫された批評のメカニズムを正確に言い当てている。

 

われわれはこれが柄谷の論法が持っている誘惑だと思う。「近代文学の終焉とその後の文学」というフレームの中に一応入っていくと、われわれは近代文学と脱近代文学は異なるということを前提し、脱近代文学のみの美徳を渾身の力を注いで見つけなければならない。しかしそれよりずっと易しいことは、脱近代文学にも相変わらず近代文学の美徳が存在すると語ることではなかろうか。金重赫と金愛爛の小説からよい近代小説の美徳を見い出すことがより易しいのではないか。すると柄谷のフレームの中で繰り広げられる戦いはそもそも負けるしかない戦いかも知れない。(…) 「近代文学」が「文学」の世界から自分の持ち前を回収し撤収する際、われわれは「文学」本来の持ち前まで「近代文学」が持ち去るように放っておく必要はない。(279頁)

 

その通りである。「近代文学の終焉とその後の文学」という柄谷のフレームの中で繰り広げられるいかなる文学的闘争も負けに決まっているのである。このフレームは崔元植(チェ・ウォンシク)が指摘するように、韓国の民族文学運動または民衆文学運動の解体を促す「新版プロ文学の解消論」であるだけだし(『ハンギョレ』2007.10.26)、申亨澈が見抜いたように「『文学』本来の持ち前まで」横取りする構造的な罠を持っている。しかしこの負けの罠からもがく最中、ふと文学は何か、「『文学』本来の持ち前」は何かを悟ることになったら、それこそ柄谷が韓国文学に施す最大の功徳と言えよう。
 

3. 文学と時代的課題

 
筆者は2000年代文学の性格をわれわれの時代の重大な変化と関連付けて理解しようとする試みとして「6・15時代の文学」という発想を提示したことがある。拙稿「韓国文学の新しい現実読み」を参照。これに対し創批の内外で熱のこもった批判が溢れ出たが、それに感謝し大体肯いている。金英姬・金永贊・朴瑩浚・李章旭、座談「わが文学の現場から進路を問う」、『創作と批評』2006年冬号、197∼200頁; 陳正石「社会的想像力と想像力の社会学」、『創作と批評』2006年冬号 、209∼12頁; 柳熙錫「統一時代のために」、『創作と批評』2006年冬号、227頁; 白樂晴・ 李明元インタビュー「『変革的中道主義』を提唱した文学評論家の白樂晴」、『白樂晴会話録』5巻、547∼49頁; 李光鎬「『2000年代文学論争』を超えて」、254∼60頁参照。 それぞれの批判に一々答えるよりは自己批判を兼ねて筆者なりの立場を整えたいと思う。筆者が「6・15時代の文学」という発想を提示した切っ掛けは、李光鎬(イ・グァンホ)の「無重力空間の書き物」という世代論的な発想と、IMF事態を2000年代文学に決定的な影響を及ぼした事件として数える金永贊(キム・ヨンチャン)の立場に対する反論の一環であった。われわれの時代の文学を時代的現実との関係の中で噛みこなすが、最近韓国社会の変化を朝鮮半島の南の方における事件中心にのみ捉えるよりは、朝鮮半島全体の画期的な事件に注目して見てみようとする趣旨であった。

このような趣旨あるいは問題意識そのものは今も尚有効だと思う。問題は時代論と文学論の違い、重要な概念や事件の適用単位の違いに細心の注意を注がないまま「6・15時代の文学論」を改進したところにある。例えばIMF事態と6・15宣言を比較しながら「両者とも衝撃的な事件であるが、朝鮮半島の南の人々の日常生活に直撃したのは前者であるが、朝鮮半島の住民全体の将来により決定的な事件は後者」(拙稿209頁)だという筆者の判断は今も正しいと思うが、「IMF金融危機は主に韓国社会が該当単位となることであり、6・15時代とは朝鮮半島全体が一次的単位」(白樂晴・李明元インタビュー中の白樂晴の発言、548頁)であるということ、つまり二つの事件の適用単位が異なるということを充分に勘案できなかったのは事実である。言い換えると、われわれの文学議論の主な範囲が韓国文学、すなわち「南韓」文学だという点を徹底に認識できなかったのである。

このような不徹底な認識のため、6・15時代が韓国文学と結ぶ関係もずっと迂回的であり、その成果は長期的に出てくるしかないということを深く考慮できなかったし、そのせいで無理が生じた面もある。特に「境界超え」の活用法が俎上に載せられたが、例えば「2000年代文学に現れた『境界超え』の起源を説明する方式は、より複合的である必要がある。一方、境界の外延が広すぎるのも問題」(陳正石、211頁)だという指摘李光鎬も同じような批判を行っているが、ただしその一部は「6・15時代」の性格に対する誤解から始まったものである。例えば「統一韓国のイデオロギーは民族的同一性の観念に基づいた単一たる民族国家の成立を目標とするという脈絡で、民族という鮮明な境界線の理念が働いている」と糾弾するくだり(李光鎬、前掲論文258頁)がそうである。統一至上主義と分断体制の克服としての統一との間の重要な違いを区分していない陳述である。 や、「世界化という変数に触れながら通り過ぎるだけで、6・15と関連付けてはいないですね。両者の関連性と拮抗をすべて見てみるべきではないか」という金英姬(キム・ヨンヒ)の論評(金英姬・金永贊・朴瑩浚・李章旭の座談、199頁)はその弱点を正確に言い当てたものである。

このような概念上の間違いを正すと「6・15時代の文学論」はより精巧となろうが、その立地は縮められそうである。6・15時代は南北間の国家連合が成り立つまでの移行期である。この限られた時期の間、南北間の人的・経済的交流は増えるとしても相当制限されるしかない。この時期特有の経験が優れた文学作品として実るまでには時間がかかるだろうし、相当数の傑作は南北連合の時代に至ってから出てくる公算が大きい。「6・15時代の文学」というものがこれほど狭小なものだとしたら、その範疇が別に必要なのかと考えてみることなのだ。

「6・15時代の文学」の概念的効用性はまず「6・15時代」特有の「境界超え」の経験と、その経験と結び付けられた思惟と想像力の転換を取り入れるところにある。例えば、脱北経験を扱った小説は「統一時代の文学」よりは「6・15時代の文学」に似合う。また国家連合を成すために民族や国家のような範疇を強化したり解体するのではなく、柔軟に相対化することが6・15時代の歴史的要求ならば、「6・15時代の文学」は民族主義(国家主義)と脱民族主義(脱国家主義)の両極端を、中道の立場から批判できる大事な準拠点となりうると思える。

6・15時代が予想外に険しくなるとき、「6・15時代の文学」にどんな特別な入り用があるかも考えてみるべきである。李明博(イ・ミョンバク)政府の対北朝鮮政策がこのまま外交的無能とイデオロギー的反発で点綴されるとしたら、彼の在任期間中、南北の国家連合が実現することは難しいだろう。しかもアメリカの金融危機に因る韓国の経済危機が、南北関係に対する不充分な関心すらも散らかす面がある。韓国資本主義体制と資本主義世界体制との関数関係に取り付かれて、その間で働く分断体制のメカニズムを忘却しやすいのである。

この時代に文学は何かという問いが再び切実に浮かび上がってくる。筆者はこの問いに答えられる準備ができていない。ただ黃晳暎(ファン・ソクヨン)の『ゲバッパラギ星』(文学ドンネ、2008)に登場する工事現場の労働者「テウィ」の言葉から、生らしい生、文学らしい文学とはこのようなものではないかという暗示めいたものを受け取る。テウィは「生きているということは、それ自体で生々しい喜び」だと言いながら、一人称話者の「ジュン」にこう語る。

 

人はシパル〔俗語。悪口または感嘆詞の一つ――訳注〕……誰でも今日を生きるもんだ。
そこにシパルはなぜ付けますか。
私が聞くと彼は大笑いしながら言った。
調子付くから…… そのまま言うと物足りないじゃん。
苦界のような人生も完全に自分のものであり、人にあげることはできないということなのだ。(257頁)

 

この「今日を生きること」は単に現在を生きるという意味ではない。満たされた瞬間を生きるということであり、その瞬間生きているのを実感するという意味であろう。従って「今日」は時間の概念のみでなく、ある存在の生きていることを全身で感じる「生の境地」を意味する。言い換えると、生らしい生が実現されることであるが、これは何か高尚で洗練された生を意味するのではない。むしろ「苦界のような人生」の中でも「生きていること」そのものが「生々しい喜び」であることを悟る、私心のない境地と言えようか。文学とはこんな生らしい生が実現される「詩的」な瞬間のときめきと震えを、苦界のような人生の喜怒哀楽を、「今日」という生の現場を生々しく取り出す芸術ではないか。この際「シパル」はそのような「詩的」境地に伴うはずの高揚した感興を表現しながら、それを理想化しないで再び浮き世の生に戻す「散文的」態度である。要するに文学はある役割や道具である以前に、生の真理が現れる芸術形態であるが、文学という芸術の特別な非凡さはそのような真理が現れると共に時代的課題や任務のような実践的な地平がより明瞭となるということである。
 

4. 国境を越えるいくつかの方式

 
「国境を越えること」を扱う小説は、2000年代の初めから登場したが、最近では「脱北」が一つのモチーフや重要な素材として活用されている。例えば姜英淑(カン・ヨンスク)の『リナ』(ランダムハウス 2006)は脱北少女のリナの繰り返される国境越えを通じた脱走の旅程を追っており、黃晳暎(ファン・ソクヨン)の『バリデギ』(創批 2007)は脱北という受難の経験を世界化時代の難民問題と結びつける。鄭道相(ジョン・ドサン)の連作小説『野茨の花』(創批 2008)もまた、世界化による難民と移住労働の問題を背景としながら、脱北と流浪という分断体制解体期の特殊な経験に焦点を合わせる。従って『野茨の花』は先述の二つの作品との連関性と共に、脱北者自身が口述したり執筆した脱北者文学とも親縁性を持っている。このジャンルの代表的な作品として手記小説『ピョンコ』(1995)と『国境を三度渡った女、チェ・ジニ』(2005)、そして詩集『わが娘を百ウォンで売ります』(2008)が挙げられる。特性上、脱北後の流浪よりは北朝鮮での生活、特に90年代の「苦難の行軍」の時代における窮乏の生を証言するが、「コッジェビ」と呼ばれる北朝鮮のすりの波乱の生を扱う『ピョンコ』は保守反共イデオロギーから最も距離を置いているし、小説的面白さと美徳に富んでいる。

ところが外国の理論で武装したこの頃の批評は脱北や「国境横断」の叙事を扱う際、朝鮮半島が分断国家ということを無視し、そのため分断体制的な(6・15時代的な)観点にさっぱり関心がない。例えば鄭恩鏡(ジョン・ウンギョン)は『野茨の花』の解説「キチ(kitsch)に向かい合う非情城市」の中で終始一貫『ホモ・サケル』(Homo sacer)の著者、アガンベン(G. Agamben)の理論を適用する。その結果、読者たちの理解に役立つために付けた「解説」が、小説そのものよりずっと難しくなるアイロニーが生じる。アガンベンの理論がこの小説の文脈に適切なのかも疑問である。アガンベンは近代の主権権力が「市民」の名の下、「法による法そのもの中断」と言える「例外状態」――例えば難民/収容所――を作り出すが、この「例外状態」が却って規則となって「市民」と「難民」の区分が曖昧となる状況を問題にする。『野茨の花』にもこのような側面は確かに存在する。しかしこの小説における脱北と流浪の経験は朝鮮半島が分断されたせいで繰り広げられる悲劇の側面が強い。

小説の解釈や批評に外国の理論を活用しないでほしい、という意味ではない。例えばアガンベンの理論は、崔仁碩(チェ・インソク)の「スペイン難民収容所」(『現代文学』2008年5月号)にはぴったり当てはまるようである。ペク・ジウンはこの小説がアガンベンの主権権力に関する「認識を体現した一つの事例と読めるほど」ペク・ジウン「今会いに行きます―最近の韓国小説と『不慣れな生の出現』」、『世界の文学』2008年秋号、279頁。アガンベンの重要な論旨と合うと喜んでいるかのようである。ところがむしろその点が取りも直さず気まずいところではないか。ある小説が理論に当てはまるからよい作品なのか、それともだからこそ逆に問題のある作品なのかは別に論じるべきである。「われわれはみんな難民」という「アガンベン」的なメッセージを残す「スペイン難民受容所」は国家と人種と民族の境界をすべて越える急進性を持っている。ところがこのような急進性はこの小説で「国境を越えること」(ヨンチョンに各国の難民受容所が出来、ついにはヨンチョン市自体が「ヨンチョン難民受容所」となること)が何の問題なしにさっさと成し遂げられる観念的な方式と表裏を成している。

国境を越える様々な方式の中で最も容易いのは、「スペイン難民収容所」のように観念で(頭で)越えることである。その次に容易い方式は物理的国境を体で越える一方で、心の中の境界はそのまま置いておくことである。『リナ』は前者に、『野茨の花』は後者に近いが、両者とも安逸な方式から脱しようと奮闘しているという点で注目に値する。『リナ』は思弁的でありながらも体の感覚を総動員した思惟の冒険を通じて、精神/体、男性/女性、国民/難民、資本/労働、定住/脱走の境界を突き破って進んでいく。主人公のリナは資本の再領土化を拒み、絶え間なく国境を越え脱走する「ノマド的人物」だと言えよう。

この小説で最も注目すべきなのは、近代家族の最終進化形態である一夫一妻制の核家族とはかけ離れた新しい形の家族である。この家族はリナと異国の年寄りの婆さん歌手、リナの同僚で恋人である異国青年「ピ」、一緒に脱北した同僚で同性愛の恋人である縫製工場の姉さん、縫製工場の姉さんとアラブ系の男子との間で生まれた聾唖で構成されている。血縁と国籍と人種と性別・性愛を越えるこの「代案家族は非常に急進的」パク・ソンチャン「文学・国境・世界化――黃晳暎と姜英淑の小説を中心に」、『世界の文学』2008年春号、343頁。であり、「極めて倫理的な家族」金亨中「性を思惟する倫理的方式――最近の韓国文学に現れた性・愛・家族に対する短編的な考え」、『創作と批評』2006年夏号、259頁。 でもある。こんな脱近代的代案家族の「急進性」と「倫理性」が純然たる観念の所産ではないが、それの形象化に現実の要素がどれ程働くか、そして作家の脱近代的「所望充足」の欲求がどれ程投与されているか、推し量ることも重要である。脱近代叙事モチーフの宝庫のようなこの小説が時には退屈に感じられる訳は線型叙事を拒む芸術的意図のみではなく、思惟と現実間の緊張感が緩んだせいもある。

『リナ』に比べて『野茨の花』は叙事方式と境界越えの両面で、「急進的」なのはさて置き「進歩的」な感じさえも与えてくれない。「ありのままの現実を再現しようと多くの夜をやるせなくくよくよしながら過ごしたが、数多く限界にぶつかったりもした」(「作家の言葉」、243頁)という発言から思うに、主な叙事方式が純真たる写実主義だと思いやすい。しかしこの小説を模写論的再現主義に閉じ込められているものと見なすなら、それは誤算である。写実主義筆致の素材主義に偏ったようなくだりもたまにあるが、全身を緊張させる名編もある。例えば「ゼブラ」がそうである。

「ゼブラ」には二つの観点が同時に働いている。一つは大人の観点で、色んな性向の脱北者たちと宣教師間の手向かいに焦点を合わせながら、「企画入国」プログラムの持った欺瞞的性格を如実に曝け出す。もう一つの観点は、母と別れた(実は死別した)後に「動物の王国」にすっかり嵌まって暮らす子供のヨンスの視線である。作家は脆くて純真な子供の観点を果敢に借用することによって、モンゴル国境を渡る旅程を、マラ川を渡ってセレンゲティ草原へと進んでいくゼブラの生死の旅程と重ねておく。この二つの観点が同時に働きながら醸し出す複合旋律の効果は驚くほどである。脱北女性「チュンシム」の旅程を根掘り葉掘り追いかける際に度々感じられた退屈さや煩わしさのようなものが一挙に消し飛ばされながら、直ちに脱北難民の悲劇の真ん中に入ったようである。「風風雨雨」の始めのところで、狂った「ミヒャン」が自然万物と対話する印象的な場面も、この小説が再現主義に閉じ込められていないことを示すもう一つの事例である。

鄭道相(ジョン・ドサン)が事実主義の叙事方式でもってこのような新しい面貌を見せることができたのには、脱北者の悲劇をまともに表現しようとする純正な心が一役を買ったようである。「チュンシム」の形象化にも作家のこんな切ない憐憫が滲んでいる。例えば脱北と流浪で傷つけられたアイデンティティをまともに守ろうと奮闘するチュンシムに、作家は暖かい共感を示す。ところがこれが必ずしも芸術的によい効果だけをもたらすわけではないようである。リナは心の中の色んな境界を相次いで突き破って、売春と麻薬密売と殺人まで犯しながらも罪意識を感じないアナキストの面貌を示している反面、チュンシムは瀋陽で按摩取りの生活をする際、お客さんが「将軍様」をからかうとすぐふて腐れるほど相変わらず純真である。それだけでなく家族に対するやるせない心構えや愛、性別/性愛などにおいて家父長的な模型から脱していなくて充分に近代的でもない。

チュンシムの形象化問題を公正に評するためには、脱北事態が近代主権権力の暴力的支配のため起こる悲劇というよりは、南北が円満な近代的国家を成し遂げられなかったことから生じる悲劇という点を記憶しておく必要がある。北の社会は女性に男性と同じ労働の義務を課しながらも強力な家父長制を活用するが、これは分断体制による奇形化と関連がある。『野茨の花』で作家は北の家父長制的な姿を少し照らしてはいるが、作家が問題の深刻性を鋭く認識しているようではない。『ピョンコ』や『国境を三度渡った女、チェ・ジニ』では家父長制の姿が相当浮き彫りされている。例えば険しい流浪生活でも貞節を守ってきたチュンシムは、韓国に来て北に残った母と叔母に纏まった金を送るため、体を売る選択をする。チュンシムの孝心は嘉するものの、こんな決断は自分の生に自ら責任をとる主体的な行動にはなっていないが、作家は批判より憐憫の目で見守っている。チュンシムがより堂々たる女性主体として成長してほしいという名残は残るが、『野茨の花』は現在朝鮮半島で最も苦しいマイノリティと言える脱北女性の生を充実に描き出すために奮闘したという点で高く評価したい。チュンシムの形象化問題に関するより詳しい議論は、拙稿「樂山文学の大切な遺産と最近の小説におけるフェミニズムと生態主義」、第11回樂山文学祭資料集、87~88頁参照。

 

5. 見慣れない言語の世界

 

2000年代に登壇した若い女性小説家たちの中で、キム・サグァと黃貞殷(ファン・ジョンウン)は以前には見れなかった、なので見慣れなくて新しい叙事を見せる。キャンドル抗争に先駆けた女子高生たち、若い女性たちの真摯で才気煥発な言行が少し不慣れであるように、彼女たちの言語と世界は見慣れなく見える。少なくとも外形的にはそうである。筆者は伝来の小説形式を破るような、このような見慣れない叙事に対して「新しい」と歓呼するよりは、その見慣れなさと新しさがどこから来るのか推し量ってみたいと思う。韓裕周(ハン・ユジュ)を除くのは、先述の両作家の小説は見慣れなくとも相当な面白さがあるが、彼女の小説は読み終えること自体が難しいからである。最近作の「灰の水曜日」(『世界の文学』2008年夏号)や『月へ』(文学と知性社、2006)に乗せられた小説を通じて、この作家が現代文明に根本的に批判的な、極めて「倫理的」な作家であること、他者の他者性を完璧に尊重しようとする作家だということが確認できる。だが、彼女の「倫理的」な態度と「新しい小説書き」の試みは、小説叙事の不自然な変形をもたらすだけで芸術的な成果へと繋がってはいないという考えである。

キム・サグァのデビュー作「ヨンイ」(『創作と批評』2005年冬号)は新しかったり見慣れないというより奇怪千万という感じで迫ってくる。伝来の小説形式や家族倫理を滅多切りにしながら、気が狂ったように泣き叫ぶ言語は気持ちを暗くする。この点でキム・サグァのデビュー作は金敃廷(キム・ミンジョン)の残酷詩と相通じる。この小説の主な特徴として、まず自我の自己同一性を明らかに拒んでいることが目立つ。ヨンイは一つではなくヨンイを眺める友達の数ほど多いし、「ヨンイのヨンイ」(後で「スニ」)も独立的な人物として登場する。二つ目、飲酒と暴行で日を暮らす父を、母がシャベルでぶん殴り、さらには「犬畜生」のような父が本当に犬となる(「犬畜生が本当に犬となったわ!」、276頁)場面を描いておくほど、父嫌悪症の極に達した状態だということ、母に対する感情も同じようで家族が暖かい共同体ではなく、互いを憎悪し合う地獄のようなところだということである。

内容だけ見てみると、二つの特徴ともあまり新しいとは言えない。近代的な自我概念、すなわち自己同一的主体が一つの神話であるということは小説の嚆矢として数えられる『ドン・キホーテ』の主なテーマであったし、フロイトの精神分析学に至ると人間内面がいくつかの枝道のように分裂されていることは常識で科学となる。分裂された自我を分身のように別個の存在として独立させておく方式もそれ程新しいことではないが、ただ「ヨンイ」ではこんな手法が生硬で未熟に駆使されている。父が死んだりなくなるのを望む父親殺害/不在欲望や家父長制家族に対する抵抗も文学の古ぼけた主題であり、90年代以来、韓国女性作家たちの作品にずっと現れたものである。キム・サグァだけの新しい特徴があるとしたら、それは内容や形式よりは渾身の力で叫ぶ、その強烈な語調にある。例えば次のようなくだりがそうである。

 

父が酒を飲むと母は罵り、父は母を殴って二人は争う。一つの文章で書けば済むことをなぜ私はこんなに多くの文章を書いているのか。なぜならば百の文章には百の文章の真実があり、一つの文章には一つの文章の真実があるからである。あなたの苦痛と私の苦痛が異なるように、十時間の苦痛と十分の苦痛が違うように、百の文章の真実と一つの文章の真実は異なる。これは非常に苦しい光景であるから、一つの文章――三秒間の苦痛ではなく千の文章――三千秒の苦痛を与えるべきである。そうやってこそ、あなたも感じることができるからである。私は読むあなたを望んでいない。感じるあなたを望む。(270頁、強調は引用者)

 

このくだりは何か文学的修辞とかではない。作家である「私」が読者の「あなた」にそのまま語りかける言葉である。キム・サグァの文章の力(「パワー」ではなく「フォース」)を信じるが、自分の感じる苦痛の大きさを完全に伝えるために文章の量を、つまり絶叫の大きさをその分増幅させるということである。こんな「唯物論的」発想は1980年代の労働文学や民衆文学以後、姿を消したが、2000年代の新鋭作家がいかにこんな発想をすることとなったのか。既存のおとなしい文学言語と様式化した方式では昨今の生の現場で繰り広げられる「非常に苦しい光景」を生々しく語れないという認識から始まったことであろう。キム・サグァの長編『ミナ』(創批、2008)はその「苦しい光景」が繰り広げられる現場がどこなのか明白に見せてくれる。

 

『ミナ』にはルーズなところが多い。例えば主要人物であるスジョン、ミナ、ミンホ間の関係が円満に形象化されていないようである。スジョンとミナが一存在の二分身だといっても、あるいはそれぞれ独立した固体だといっても物足りないのである。また対話体の生動感に比して叙述体の文章は戯曲のト書きのように記述的なので小説的資源を充分に生かしていない。しかしこのような欠陥にも関わらず『ミナ』は殺伐とした入試競争に追いやられた女子高生たちの不毛で捻じれた生に内蔵する狂気に満ちた暴力性を強烈に見せている。

キム・サグァ小説に新しさがあるとしたら、それはこの絶叫の「フォース」(force)にある。この絶叫には文学がわれわれの時代における最も抑圧される集団(「ヨンイ」と『ミナ』では女子高生たち)の名状し難い苦痛をまともに表現していないという激しい抗議が含まれている。彼はハードゴアを辞さない「熱烈な」小説家である。ただ『ミナ』のあるくだりは余りにも長たらしくて、作家の「フォース」が作品の「フォース」として伝わらないと思える。

それに対して初小説集『七時三十二分の象列車』(文学ドンネ、2008)を出版した黃貞殷(ファン・ジョンウン)は並大抵のことには動じないし、常に「涼しい」小説家である。また優れたスタイリストで言語を扱う手練手管に長けている。例えば黃貞殷はキム・サグァのように父をぶん殴ったり、血まみれした父の姿は見せない。ただ帽子に換えておいて、たまに通り過ぎる際思わず足で蹴ったり、人々が見ないうちに鞄の中へ投げ込むだけである。(「帽子」).

普通の父が帽子に変わるという設定をどう受け入れればいいか。こういうふうなとんでもない発想は伝来の小説形式に背くことで、目立たせて見せようとする手法であるか。ところが黃貞殷の「帽子」の場合、それらしく読めるのは「帽子」に変わる衝撃的な――しかし作中では皆、大したことでもないように扱う――事件を除いた他の話が、とても「クール」に進められているからである。例えば色んな家族の目撃談を通じて、変身それ自体より変身の経緯とか変身に対する反応が浮き彫りされながら、家族の中で過重な負担を背負っているものの無気力な(姑と嫁の葛藤を解決しようと勢いよく箪笥を負って出る途中、表門のところで帽子に変わるように)父の姿が次第に輪郭を表してくるからである。父が祖父に打たれたこと、姑と嫁の葛藤に際しての困った立場、失職時代に一人目の子からばかにされたこと、母の闘病生活のとき二人目の子の頬っぺたを叩いたことが「変身」を前後した話を通じて示される。

こうして見ると、「帽子」は韓国の家族史で父親が無力で厄介な存在になっていくのを証言する一方、その父親を不憫がって世話をする、無関心のようで切ない子息たちの態度をも含んでいる。これは90年代女性小説の以後、頻繁に登場した父親殺害/不在欲望の最終版として、キム・サグァのハードゴアバージョンや金愛爛(キム・エラン)の(父親を恨むより「きらめく夜光ズボン」を履かせて走らせる)才気煥発のバージョンより、もっと進んだものである。そして「帽子」というものが幻想なのか、象徴なのか、アレゴリーなのか、甚だしくは「宇宙人」なのかという論難があるが、そのどちらであれ「帽子」と「父親」の相通じる心象を「詩的」に活用したのではないかと思える。帽子のイメージが無気力で厄介な、けれどもきちんと取り揃えるべき父親像に合致される分、「父親の生に対する客観的相関物」鄭英勳「彼女の小部屋を覗く」、『世界の文学』2008年夏号、274頁。 の役割を果たしているからである。

黃貞殷(ファン・ジョンウン)は詩人のように言語の経済性、韻律と呪術的効果、活字の配置と形に秀でた感覚を持っている。黃貞殷小説の新しさがあるとしたら、まだ主にここに留まっている。言い換えると、彼女の小説がいくらか「詩的効果」を持っていることに注目する必要があるということである。ところが部分的に「詩的効果」を収めることと、小説全体が「詩的境地」に達したこととは次元の違う話である。

黃貞殷小説の中で後者に近い作品は、散文的な要素と詩的な要素、冷徹な現実認識と呪術的な言語駆使が滑らかに結び付けられた「虹のプール」である。PとKはプールがほしいという素敵な(「幻想的な」)考えを実現するために、マートで売っている4万5千ウォンものの、星模様の虹のプールを買って、狭いアパート空間の居間に設置する。「ププププ」と一生懸命空気を吹き入れ、水を満たして体を浸かったりもするが、居間全体を占めるプールのため日常的な不便は並大抵ではない。彼らは結局、「幻想的」な計画を中断し、払い戻しを決心するし、その代わりにPは面白いコメディ番組を見る。この作品は超自然的な設定なしに自然ではあるが、グロテスクとなっていく日常的な生活の話を通じて幻想の用法と使用能力を問うている。その問いの結果は通念を「打ち破る」物語である。幻想もまた、現実と同じく勝手に使えないということ、もしかしたら幻想は現実の一部だということなど、暗示が豊かに内蔵されている。この作品で黃貞殷は鋭い「リアリスト」である。

 

6. 生きている言葉の饗宴

 

先述の議論で最近の小説の成果が少なくないことを確認したところであるが、優れた小説にすべて触れてはいない。元老の作品を除いても、少なくとも裵琇亞(ペ・スア)の『フル』(2006)、朴玟奎(パク・ミンギュ)の『ピンポン』(2006)、尹英秀(ユン・ヨンス)の『小説書く夜』(2006)、李惠敬(イ・ヘギョン)の『狭間』(2006)、孔善玉(コン・ソンオク)の『明朗な夜道』(2007)、金愛爛(キム・エラン)の『唾がたまる』(2007)、金衍洙(キム・ヨンス)の『君が誰であれ、いくら寂しくとも』(2007)、金重赫(キム・ジュンヒョク)の『楽器たちの図書館』(2008)、申京淑(シン・ギョンスク)の『母をお願い』(2008)などを考慮しないで韓国小説が最近納めた成就を正しく評価することはできないと思う。この中で孔善玉(コン・ソンオク)の小説だけを簡単に見てみることにしよう。

よく「リアリズム」と呼ばれる叙事方式を孔善玉ほど根気強く推し進めた作家は他にいないだろう。時代がそのような様式は古いといって振り返らなかったとき、孔善玉はそれを捨てたり他の様式と結び付けたりしないで、むしろ「リアリズム」のより深い奥のほうへ入っていったようである。孔善玉の小説にもスラムプや危機がなかったわけではない。例えば、連作小説集『流浪家族』(実践文学社、2005)はIMF事態で焦土と化して死と恨に満ちた絶望の大地を見せる。五編の連作を繋げるフリーランサーのドキュメンタリ記者「ハン」が津々浦々を歩き回りながら聞く話は、たいてい次のようである。IMF事態によりビニールハウスの栽培が台無しになった農夫、その農夫と子供たちを放り出して家出し他所の男の子供を妊娠した妻、その妻を捜しに子供たちを放置してソウルへ上った夫。夫が刑務所に行っている間、他所の男の子供を産んだ妻、刑務所から出てその妻をしょっちゅう殴る夫、そんな父が怖くて家出した娘、その娘のために逃げることもできず水に溺れて死ぬ母。

「ハン」が聞く悲しさは限りなく非常に古いものなので、すでに新鮮な物語にはならない。「ハン」が――そして作家の孔善玉が――出会った問題は取りも直さずこれである。この国の無力で貧しい人々を取材して、その痛ましい生の真実を伝えたいが、自分を雇った社報の編集長はそれが「暗くて否定的」で「常套的」だと言う。

そんな話なら余りにも知れた事ではないでしょうか。母が家出して子供たちが可哀想で…… 余りにも常套的ですよ。今更そんな常套的な話をする必要があるんでしょうかね。そんなものはPD手帳(PDはプロデューサーのこと、時事番組の一つ――訳注)でも扱わないのよ。(54頁)

 

編集長が貧しい生を「常套的」だと見なすことは、中産層の偏見が介入したせいかもしれない。例えば貧しさを実際に経験してみなければ、貧しさが生に刻む様々な苦痛の文様と木目が見分けられない。外国人を外国人としてのみ眺めると、それぞれの顔が見分けにくいとの同じようにである。中産層にとっては貧しさの顔がすべて同じく「暗くて否定的」であり、「常套的」に見えうる一つの理由である。しかしもう一つの可能性がある。作家が貧しさの深い悲しみに取り付かれて、その様々な文様を木目細かく示さない場合である。また貧しい生といって悲しさと苦痛だけがあるのではないが、傷心して芸術的奮闘を止める際、貧しさの常套性から脱しにくいのである。

 

「ハン」のジレンマを示す『流浪家族』が、このような常套性に陥っているという意味ではない。両親に祖母まで亡くして頼りにするところを探し歩く初等学生(小学生)のヨンジュの事由を描いた「南側の海、青い国」は生々しい自然描写と共に、大人びていくしかない子供の立場を浮き彫りするように刻んでおいていて忘れられない。だが、この小説集の全般的な雰囲気は、深い悲しみの情調から脱していないし、時にはそれによる傷心の中でじたばたする様相を示したりもする。当時の孔善玉は希望を失い、自分の芸術的資源をまともに駆使できなかったようである。

『明朗な夜道』に至ると、雰囲気が完全に変わる。まず小説の関心対象が破産した農民、移住労働者、工事現場の労働者など、伝統的な「民衆」(労働者―農民)階層だけでなく、未婚母、脳性麻痺の障害者、乳癌の手術後うつ病にかかった女性など、社会的弱者あるいはマイノリティにまで広がる。接近方式も多様となって悲しさだけでなく喜びと楽しみ、遊戯と嘲弄、アイロニーなど多様な感情が繰り広げられる。もう一つ注目すべきことは、生きている言葉であるが、その地域、階層、世代、性で実際使われる言葉が小説の所々で宝石のように散りばめられて生気を吹き入れている。

例えば「ヨンヒはいつ泣くか」では色んな人物の言葉が交わりながら醸し出す和音効果に、散文の言語と韻文の言語が交わって音楽性を獲得する現象に注目する必要がある。小説の一人称話者とヨンヒは一時電子工場の女工で姉妹のように過ごす間柄である。ソウルに住む話者は博徒の夫と毎日のように殺伐な喧嘩をしながら子供たちを育てているが、ヨンヒの夫の葬式に出席するために光州へ下っていく。バスの中で同席した男の人は、後になってヨンヒの夫「チャンソク」と友達の間柄で、話者とは一時互いに好感を持っていた人であることがわかった。

物語は大きく分けて話者の話とヨンヒの話とになっている。ヨンヒが夫の喪に服しながらも泣かないことが、ヨンヒの物語の緊張をぴんと引き締める要素である。話者の「私」が見るにもヨンヒの手緩い立ち居振る舞いと淡々たる反応はもどかしい。ヨンヒの夫の叔母にとってこのような態度はとうてい理解できない。「アイゴをしないのよ、ぜんぜんやってないの。それが何なの。チャンソギが逝く道に祈ってあげることなのよ。黄泉路は易しい道じゃないのよ。なのにその心中は何を考えているのか、それをしないのよ。」(54頁) 老婆の渋い全羅道訛りは、小説で鮮やかな曲調を成しているが、その反対側にはそれに劣らなく鮮やかなヨンヒの幼い娘、ソダミのしっかりした声がある。ソダミは「父が亡くなっても私たちは生きていかなければならないから、犬に餌をあげ、畑に行ってビニールハウスも見回さなければならないですよ。今日は泣いて何もできなかったもん」(44頁)と言う。

こんな大人びた娘に比べて、霊柩車が出て弔客が皆帰るまで泣かないヨンヒがあんまりだと思う瞬間、ヨンヒは白い喪服を脱いで熱して泣きじゃくる。まともに泣くために待っていたと言わんばかりに。叔母が一言言わざるを得ない。「フフン、ようやく泣くのかい。そう、泣いて。そう、飯食って生きていくためには泣かないと。泣くと食欲が出るし、食べると力が出るもんよ。大したことあるかい。何にもないのよ。生まれて泣くやつが生きるはずよ。泣いてこそ生きた命なの。ただ泣くことが自分の命なのよ。熱い涙をごぼごぼ流しながら、小豆粥のような汗をだらだら流しながら。」(56頁)

この涙の饗宴に話者も合流する。話者はバスの中で出会った男の人との、か細い縁が続くことを期待したが、彼が自分を覚えないまま去っていくことに呆れて泣くが、泣く「理由があるようでないようでもある。なので思う存分泣くことができない。」(55頁) そうするうちにヨンヒの熱した泣きと叔母の調子合わせに刺激されて、いよいよ「しゃがんで泣く泣きではなく体じゅうがもがく泣き」を、「世の中を飲み込んで余すような泣き」を泣き始める。(56頁)

「体じゅうがもがく泣き」「世の中を飲み込んで余すような泣き」を泣くことは「今日を生きる」一つの方式である。大事な人を亡くして生きていることそのものが生々しい悲しみであるが、ここで作家は勿論、ヨンヒと話者、甚だしくはソダミまで「悲しむものの、心は痛めない〔哀而不傷〕。」孔善玉は『流浪家族』におけるより、一層ゆったりと多様な人物に似合う秀でた言語を駆使して、生きている言葉の饗宴を読者に贈る。孔善玉はこの作品で暗くて私的な考え一つなしに、悲しみを身内で受け入れられるようになったのである。その瞬間、この小説は貧しさの常套性からひょいと逃れて、すべての人物と言葉が生き生きしながら、いかなる観念の立ち入りも許さぬ生の生々しさとして、「体じゅうがもがく泣き」としてふと「詩的境地」を成し遂げる。

先述したように、昨今の韓国文学は創意的気運を持っているものの、重大な岐路に立たされている。こういう時、批評の役割はその上なく重要となってくるが、初心に戻って文学とは何かを問い直すことが大事である。文学で何が真の新しいものなのかを見分けることは結局、「今日を生きる」行為と、心を無にして新しい時代の到来に耳を澄ます態度と関わっている。外国の(文学)理論や哲学がわが時代を解明し新しい時代を予測するに役立つことはできるものの、どこまでも一つの方便であるにすぎない。作品の文様と木目を細かく読むにしても、歴史的現実に開かれた批評は精巧な理論の適用で終わるものではなく、批評家が丸裸で作品と時代的現実とに向き合う過程が求められており、こんな際、理論そのものを再検討する必要が生じたりもする。そうして文学の新しさは創造的な作品から発せられるが、批評の奮闘を経てわれわれに戻ってくる。(*)

 

訳=辛承模
季刊 創作と批評 2008年 冬号(通卷142号)
2008年12月1日 発行
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