창작과 비평

[インタビュー] 現場から見た教育、希望はないのか

対話│現場から見た教育、希望はないのか


 

権台仙(クォン・テソン)報道人。ハンギョレ新聞社論説委員。
李ボム
(イ・ボム)教育専門家。 学院講師、2004年から 無料でインターネット講義を始めた。

蔡銀淑(チェ・ウンスク)サンムン高校の学校運営委員会の副委員長。高校生と中学生の2人の父兄。

 

 

とき:2008年 10月 21日

ところ:細橋(セギョ)研究所

 

 

権台仙(司会) お会いできて光栄です。私は某新聞社・論説委員の権台仙です。李ボムさんは最近かなり活発に活動なさっている教育専門家なので、特別な紹介は必要なさそうです。蔡銀淑さんは江南(カンナム)〔ソウル南部の教育熱の高い地域〕の父兄代表ということでお呼びしましたが、サンムン高校の学校運営委員会の副委員長をなさっていらっしゃいます。韓国では「江南のお母さん追跡」というドラマが放映されるほど私教育ブームですが、一人はその私教育の中心地とされるその江南地域の父兄で、もう一人はその私教育の現場で長い間子供たちを教え、またそのような経験をもとに教育に対する問題点を指摘していらした方です。韓国の教育争点の議論にいい場となりそうです。

本論に入る前に私教育の現況から話してみようかと思います。統計庁で調査した2007年の私教育現況の資料によると、小・中学生の77%が私教育を受けており、その全体規模が20兆ウォンを超えると言います。2006年には公式に15兆ウォン、三星経済研究所では30兆ウォンとしていますから、現在の公式統計として集計できる20兆ウォンは、実際に40兆ウォンほどになると考えるべきでしょう。

李ボム 私教育費は公教育費を超えているかもしれません。統計ではわからない費用もあります。その数値はおそらく消費者を調査した結果でしょうが、塾の授業料の場合は、業界で調査すると届出のないケースがかなりありますからね。

蔡銀淑 父兄が私教育に耐えられず、子供たちを留学にやった場合まで合わせればかなり超えます。留学しても私教育はやらせますからね。

 

子供の将来は母親次第?

 

権台仙 江南地域の父兄が私教育費をもっとも多く出費しているようですが、その実状はいかがですか?

蔡銀淑 小学校の時から私教育に依存するのが一般的で、外国語高校への進学準備をするためには内申書を管理しなければならないので、中学校の時の英・数・国はもちろんのこと、グループを作って音楽、美術、体育まで習わせるのが普通です。また高校にいったん進学すれば、今度はまた入試と関係するということで私教育の比重がもっと大きくなります。言語・数理・外国語科目は修学能力試験型と内申型を二重に習わせて、同時に社会探求、科学探求まで私教育に依存しているという実状です。

権台仙 蔡さんのお宅のお子さんたちはいかがですか?

蔡銀淑 私も江南の教育ママたちのように教育熱は格別でした。今、高校生と中学生の2人の子供がいますが、少し前から早期教育を始めました。一山(イルサン)〔ソウル北方の新興住宅地域〕に住んでから江南に引っ越してきて、小学校5年生の時までは上の子を私教育にやっていましたが、小学校5年生の終わりころに嫌気がさしはじめました。子供たちの教育費支出が家計収入を上回ったんです。これではだめだと思いました。それで子供たちを独立させはじめたんです。それまで基礎を勉強させて、今は基本的な英語や数学くらいにして、残りはインターネット授業を聞いて自分で勉強しています。私があまり熱心でなくなって激励することをはじめてから、子供との間がよくなったかもしれません(笑)。

李ボム 立派に立ち直られましたね(笑)。韓国の家計所得を見ると、子供が中・高に入るころに頂点に達して、それからは落ちるんですが、支出を見ると大学入学以降の方が子供にお金がかかります。授業料だ、語学研修だ、何だと言って、その後の教育費も半端でなく、結婚時になるとまたまとまったお金が必要になります。ですが、父兄は子供を大学に入れさえすればいいと勘違いして、惜しまず投資する場合が多いようです。そのような点で蔡さんはかなり立派に立ち直られたといえます。この次の講演の時に模範的なケースとして言及しなければなりませんね(笑)。そのような場合が意外と多くはないんです。とにかく最後まで責任を持って子供にそのような教育をさせるのが、親として当然だと考える場合が多いんです。

権台仙 蔡さんがさきほど、教育費支出が家計収入を超えるとおっしゃいました。じゃあ足りない分はどのようにされたんですか?(笑) 直接おっしゃるのが何ならば、他の江南の母親の場合でもいいですからお聞かせください。

蔡銀淑 父親が私教育費用を理解しないので、事実通りに話せないという場合を周囲でよく見ました。私もそうでした(笑)。うちでは父親の収入に限界があるので、それなりに財テクもして、子供が小さい時に貯蓄した積立金を私教育費に当てました。他のお母さんたちは財テクをしたり、ご両親の世話になる方々もいて、自分に使うお金を惜しんで子供たちの私教育に使っています。うわさでは、江南の母親たちは子供を学校に送ってから、午前は運動靴に履き替えて不動産屋や証券会社に通って財テクをして、午後は子供たちにおやつ食べさせて、塾まで送り迎えしているのだそうです。

権台仙 財テクをするというのはどのようなことですか、主として不動産でしょうか?(笑)

蔡銀淑 不動産をやる母親たちもいますし、株式をやったりもします。私は少し例外ですが大体は最後まで行きます。自分の生活水準を越えるまでです。

権台仙 このように父兄が多くの投資をして私教育に依存しています。教育専門家としてその私教育にどれほどの効果があるとお考えですか?

 

私教育の効果と逆効果


李ボム李ボム 最近は過剰な私教育の逆効果を憂慮せざるを得ません。私が見るところ、中学の時は、自分で勉強できる能力を持てるのか、全面的に塾に依存して勉強するようになるのかで、やや大袈裟に言えば人間型が分かれる時期のようです。蔡さんも小学校5年生の時に立ち直られましたから、時機を逃さずに成功したんです。そうでもしなければ全面的に塾に依存して、結局、自分主導で勉強できる力を失ってしまいます。そのような子供たちが、結局、大学に行っても私教育を受けます。このごろの大学生は、ありとあらゆることをすべて塾のようなところに行って学びますが、それは小・中・高校の時代からそのように慣らされてきたと考えるべきです。

 

権台仙 私教育の効果はどのようなところにあるでしょうか?

李ボム 詰め込み式で短期間に点数をあげるにはやはり効果的です(笑)。

権台仙 蔡さんは一度私教育をさせて、これではいけないと思ってお辞めになったとおっしゃいました。それは経済的な理由以外にどのようなことがありましたか?

 

蔡銀淑 このように子供を育てていては一生きりがないということ、親元にいる時にきちんと教育させなければ、この子を一生過保護にしてしまい、私がむしろ教育ママのように子供を守らなければならなくなるという危機感を感じました。今の体制では母親がどのようにコーディネーションするのかによって子供の将来が変わるじゃないですか。私はコーディネーション通りに子供がよく付いてくると思いましたが、子供の性向と私の性向がぶつかったことも作用しました。ですが、私もその時点で個人的に大学院の勉強を始めていて、そうすると「勉強は自分でやって初めて結果物の出るのに、自分は子供をどうしてこのように教えているのだろうか」という気がしました。そのようなことが決定的なきっかけでした。それで考えを変えるようになりました。ですが本当に簡単ではありません。中学校の時、子供と一緒に勉強した子供たちが民族史観高校や特殊目的高校に進学しました。うちの子供の方が英語が得意でしたが、その子たちは3、4か月集中して塾を通ったら、確かに点数も上がって実力の差がついたんです。ですが、高校に進学して勉強するのを見ると「自分の方が正しかった」と感じます。子供が自ら勉強する力を育てたので、成績が落ちずに上昇しつづけるという長所があります。ある意味では子供たちが現体制で自分で勉強するのがかなり大変なので、そのような子供たちを母親たちが段階別に私教育に投入させるのだと思います。

 

権台仙 私の場合は特派員生活をしていたので、上の子が高校1年の時にフランスに滞在してから韓国に戻ってきましたが、その子は韓国の学校の数学に付いていけませんでした。内申では100点をもらってくるので安心していたのですが、後で子供が「母さん、数学ができないから塾に通わせてくれないか」と言うんです。点数がきちんと出ているのにどうしてなのか理解できませんでしたが、どうも修学能力試験のことだったんです。上の子は今、大学院に通っていますが、今年初めて仲直りしました。「高校の時、数学に付いていけず、塾にも通わせてもらえなくて大変だった」と言うんです。一人でそれを克服するために休み時間も数学の問題ばかり解いて、友達ともきちんと付き合えずに高校生活は面白くなかったと言います。そのことが子供にとってトラウマになったようです。新聞記者生活をしながら、それなりに韓国教育の現実に対して理解していると思っていましたが、全くわかっていなかったんです。結局、子供に対して、母親が無知だったことと、子供の言うことを聞いてやれずにトラウマを与えたことを謝りました。このような場合もありますが、李さんのおっしゃる通り、私教育の過剰による問題も少なくないと思います。毎年、青少年の健康実態に関する調査をみてみると、小・中学生の鬱病や過剰行動障害がますます深刻になっているという指摘もあります。でも多くの父兄は子供たちを私教育に追いやりつづけています。彼らの悩みはどのあたりにあるのでしょうか。また江南の母親たちの成功と失敗を分かつ要因は、どのようなところだとお考えですか?

蔡銀淑 最大の要因は、自分の子供を正確に観察して必要な時期に私教育をさせるか、そういうことができないかにかかっているようです。権さんの場合も、お嬢さんの話に耳を傾けて必要な時期に数学の塾にやっていたら、お嬢さんはもう少し楽に勉強できたと思います。このように子供が母親と一緒にペースを合わせられればいいのですが、母親の不安と意欲が先んじてしまう場合、子供はすごくつらいのです。母親と仲のいい子供がいい結果を生むようではあります。

李ボム 実際に調査してみると、親との対話の時間と成績の間に強い関係があります。私教育の成功には2つの重要な条件があります。第1は実際にその子供に適当な私教育をどのくらい効率的にしてやれるかですが、そのような面でさきほどおっしゃった子供との対話が重要です。子が何を困難と思い何を必要としているのか、話し合って見なければわかりません。もう1つは学生自らがどれほど自分の勉強時間を確保しているかです。子供を塾にやるのに馴れ切っている父兄は、塾にさえやれば何とかなると考えますが、それは大きな勘違いです。学校や塾にだけ大忙しで通って自分の勉強時間を持てない場合が、もっとも失敗の確率が高いんです。子供が自分で勉強できる時間に合わせて、塾に通う時間の方も調整しなければなりません。このようなことも結局、子供との対話で調整するしかありません。

 

先行学習と順位付け試験に強い私教育

 
権台仙 私教育の方が公教育より入試で競争力があるのが事実だとすれば、それは受講料の高さや強力な塾同士の競争、公式の教育目標と実際の教育目標の一致、教師対学生比率の低さ、より優れた教育能力に対する補償、教育者の残務除去など、公教育が持てない利点を持っているからではないか思います。このような利点と無関係に、私教育なりの教育的な特長があるとすれば、どのようなものがあるでしょうか?

李ボム それは科目によってかなり異なるようです。英語は公教育に任せていては絶対に成功しません。学校教育だけでは英語に当てられた時間自体が足りなさすぎます。英語の私教育は英語に当てられる全体の時間を増やしますから、どれほどよく教えるかはその次のレベルで確かに効果があります。一般的には小学校より中学、中学より高校の私教育効率の方が高いようです。小学校の時は英語を除けば効果がさほど大きくなく、代替できるようなもの、たとえば読書教育を強化したりすることが多いようです。ですが、中学、特に高校の時は、学校だけを信じていられない場合が多いですからね。たとえば修学能力試験は11月ですが、数学の進度が7月、8月に終わる学校もあります。ですから学校の進度に合わせて勉強していては、現実的に修学能力試験に備えにくいんです。結局、このような問題のために、学年が上がるほどそれに合わせた私教育が盛行するんです。

権台仙 フランスから帰ってきた時、下の子供が中学1年だったのですが、数学の成績が悪くなり、塾や家庭教師をつけようと思いましたが、同じ学年で一緒に勉強する子供がいなかったんです。他の子供たちは中3の数学を勉強しているのに、うちの子供だけ1年生の勉強をしているものだから話にならなかったんです。ですが本当にそのように先行学習が実質的に役に立つのでしょうか。その程度の先行学習は、学校の先生の授業進行をかえって困難にし、結局、学級破壊をもたらす問題にもなるのではないでしょうか。

李ボム 先行学習をしている子供たちが多いと、学校の先生も2種類の態度を示します。子供たちがすべて分かっているという表情で座っていれば、教えること事態に困りはてる面もありますが、一部の先生はそれに便乗して何となく進度を早めたりします。そうなるとまだきちんと学んでいない学生、塾に通わっていない学生は被害を蒙ります。だから先行学習はかなり問題があると思います。

権台仙 蔡さんのお子さんは高2でしたか。その子は今、高3の数学をすべて終えていますか?

蔡銀淑 そうですね。入試制度では1つの問題で子供の順位がずいぶんと違ってきます。それで間違いをしないために絶えず反復学習が必要だそうです。私は「そこまでしなきゃならないの?」と思いましたが、とにかく先行学習で子供が充分に理解していけばかなりいい効果が期待できます。塾で先行学習を充分に理解できていない状況で、学校でもう全部勉強したと次に進んだりしたら、その部分は最後まで理解できなくなるんです。

今の教育体制の下で上位の子たちは教える必要がないほど先行学習ができていて、学校の先生は中位くらいの子供たちに合わせて授業をしています。そうすると下位の子供たちは全く内容が理解できないんです。子供の言うことを聞いてみると、そのように私教育をしていても、一クラスの3分の1くらいは授業時間に居眠りしたり内容がわからなかったりして、単に卒業することだけが子供たちの目標だと言います。このような状態なので、学校の教育だけを信じていると、おそらく希望する点数をとることはできないでしょう。だから必要悪として先行学習をするしかありません。

李ボム 選抜試験が存在するかぎり、またその選抜試験が定型化した問題で出題されるかぎり、先行学習の効果はある程度あるわけで、またそれで多くの父兄や学生がそれに依存するのです。

権台仙 結局、修学能力試験の制度が入試で過度に大きな比重を占めていて、学校教育を歪曲しているように見えますが、そのように考えてもよろしいでしょうか?

 

修学能力試験と内申――二重苦に苦しむ学生

 

李ボム いえ、必ずしも修学能力試験制度だけでなく内申も同じですよ。むしろ内申試験の方が修学能力試験より問題の質が落ちる場合が多いと思います。出題する先生によって千差万別ですが、概して単純な暗記で解けてしまう問題が多いです。間違って出題されることもよくあります。またいずれにせよ順位をつけるための試験なのです。全国的に順位をつけるのと、数十人、数百人の順位をつける違いというか……大きな集団で順位をつけるのは、体感できる競争の強度が低いので、むしろ内申の方がより熾烈です。

蔡銀淑 私の子供も、修学能力試験の模擬試験の成績に比べて、内申の方は先生の実力の差もあり、先生の主観で変わったりすると言います。同じ答えでも出題した先生の好む表現で書かなければ減点されたりして、いい成績をもらうのが大変だと言います。

権台仙 修学能力試験か内申かではなく、等級で序列を付けて、その等級でどの大学に行くかを決めているのが問題です。

李ボム 定型化された試験で序列化するという点で、修学能力試験も内申もまったく同じです。むしろ内申の方が子供たちを不幸にしています。外国語高校の入試に内申が反映されると、中学の時から全科目を内申用の塾に子供たちをやるじゃないですか。塾の教育は修学能力試験よりむしろ内申の方でよく通じるんです。韓国で進歩的とか改革的であるという方々は、なぜか修学能力試験より内申の方がいいものだという先入観を持っていますが、私はそれが理解できません。

蔡銀淑 そうですね。そのために子供たちは内申型と修学能力試験型の私教育の二重苦を味わっています。面白いのは、子供たちの学校の試験期間になると、団地中が一斉に静かになるというんです。中華料理屋の出前ばかりが忙しいんです。母親があらかじめ子供たちの試験科目を要約し、子供がそれを勉強する間に母親はもう一つの科目を準備し……、外出もひかえ食事の支度もすべてやめて、子供たちの試験勉強にエネルギーを消耗するのです。母親も人質にとられてしまうんです(笑)。

 

 

権台仙 本当に深刻な問題です。私は2002年頃に2008年度の大学入試案を作る委員会にいました。当時、教育革新委員会では公教育を正常化するために、先生に課程の評価をさせる案を出しました。子供たちが授業のどの段階でどう発達していくのかを記録し、その記録をもとに評価しようというもので、修学能力試験中心、内申中心などは論点ではありませんでした。しかし結果的には教育省と関連機関の利害関係が絡んで適当に妥協してしまったせいで、子供たちにとってさらに無惨な制度になったわけです。

 

委員会に参加して、韓国の大学は本当に問題がたくさんあると思いました。当時、各大学の入学課長が参加していましたが、地方大学の入学課長とソウルの名門大の入学課長の考えがまったく違うんです。私たちは修学能力試験の等級制を提案しましたが、その主旨は、標本を集団化して等級を分けた時、同じ等級の学生はほとんど同様の能力を持っているという前題のもとで、そのような子供たちをきちんと教育すればいいではないかというものでした。さきほどの蔡さんのお話しのように、1つの問題を間違えて子供たちの一生が変わるとすれば、それはきわめて無惨ではないでしょうか。

 

江陵大の場合は修学能力試験で中位の学生が行きますが、その大学の電子工学科の先生がそのような子供たちを徹底的に教えて、アメリカの名門大の大学院に進学させ、そこを卒業した人々が韓国内の有数の大企業に入社して有能に活動しています。そのようなことをみると、基本的に能力差というものはそう大きくないばかりか、学校での教育によってはかなり啓発できるのですが、ソウル大、延世大、高麗大のようないわゆる名門大が、かなり安易な方法で学生を選抜しているのではないかという気がします。本当に有能な子供たちを選抜することもできないのにです。

 

大学入試制度の歪曲と屈折

 

李ボム 私も大学を擁護しようというのではなく、子供たちの立場で考えるべきだと思います。社会的公平性のようなことより子供たちの生活を考えて見ようと思います。内申の成績表には等級だけが出るのではなく、席次も点数もすべて出ています。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で修学能力試験は等級化しましたが、内申はかなり精巧に序列化してしまいました。

権台仙 当時、内申も5等級にしようと言っていました。

李ボム ですが、それは原案の時で歪曲されたんです。後に大学が歪曲したのでなく、政府発表の原案が歪曲されました。

権台仙 大学がその案を受け入れられないと言ったのでそうなったんです。

李ボム ということは、大学が内申で成績や等数を要求したということですか?

権台仙 そうです。修学能力試験と内申等級化に反対する立場でしたし、必ず等級制を取り入れなければならないのならば、それを細分すべきだということでした。また教師らが成績以外の全般的な学校生活に対する評価ができないだけでなく、それをするとしても信じられないというのが大学の方の立場でした。結局、教育省が現実論を主張して大学の要求を受け入れたのです。だから最初の案が完全に変わってしまったわけです。

李ボム とにかく原案は学生を内申で拘束するというものです。修学能力試験の等級は志願資格で活用できるようにして、内申では細々と点数や席次がすべて出ますからね。はなはだしくは、ある女子高の理科系のクラスは1クラスで学生数が30人にしかならないのに、内申をめぐってそこで熾烈な競争をするしかないのです。修学能力試験の場合は理科系でも10万名を超えるので、自分のすぐ隣りの友達が競争者として認識されませんが、内申はそうではありません。日本の映画『バトルロイヤル』のように、友達を殺さなければ自分が死ぬような状況に子供たちを追いこんでいるんです。だから実際に2005年に高1の学生が学校の中間試験を受けた後で自殺したりもしました。

権台仙 話が自然と入試問題の方に移ってきました。公教育が本来の機能を果たせなくなる最大の理由は何といっても大学入試でしょう。それも首都圏の一部名門大の入試が中等教育を牛耳っていると言っても過言ではありません。だから教育改革を語るたびに入試制度を変えることが日課のようになりました。韓国の入試の歴史は大きく見ても16回は変わりました。実は入試制度の変化は、政策当局者の立場からみると、財政投資なしに最小限の制度変更を通じて大きな効果をもたらす政策だという点で魅力的です。しかし、このような変化が改善をもたらすかどうかは確実でないだけでなく、制度的な安定性を阻害することで、関連当事者を不安で煩雑な適応努力に追いやる傾向が強いと思います。また、私教育費の軽減、競争緩和、教育正常化を目標に掲げていますが、むしろ入試制度が変わるたびに、これに適応するために私教育市場が膨脹するという悪循環を経験してきました。このような点を考慮する時、現行の入試制度に問題があるとしても、それを変えずに持続させることも一つの方法だと言えると思います。

李ボム 私はそう思いません。問題があるところは変えます。特にどのような制度で選抜するかによって、すべての私教育費の規模が確実に変わるんです。ただ教育専門家という方々が閉鎖的にどうのこうのと入試制度を作り出しているという政策決定の過程が問題です。この過程に見られる意思疎通の不足は、李明博政権も以前の政権も、程度の差はありますがすべて共有していた問題です。大学入学試験の制度を基準にみると、ヨーロッパ大陸で多く採用している大学平準化にもとづく政策と、アメリカ式の成績外の要因を重視する政策があります。アメリカ式は一般的に修学能力試験と内申の比重が同等だと考えればいいと思います。また成績以外の要因に対する評価がかなり重視されます。特技、特別活動、課外活動、そこにみられる情熱やリーダーシップなどをかなり重点的に評価するというものです。また授業モデル自体が詰め込み式から脱しています。詰め込み式から脱すれば脱するほど、私教育が介入しにくくなります。アメリカにSAT(大学入学資格試験)やAP(大学単位認定試験)のための塾は大都市にたくさんありますが、内申の塾がないのもそのためです。

韓国政府が採用したモデルは日本型に近いようです。詰め込み式の教育を維持して点数で序列化するものです。私教育はこのような学校教育をそのままコピーしてきたのです。詰め込み式の教育は学校よりも塾の方がうまくできます。私はアメリカ型になるだけでもはるかによくなると思います。ヨーロッパ型は実現すればいいですが、そのような夢を見ているところではなさそうです。そのためには中学・高校の授業モデルや制度自体が変わるべきですし、大学で学生の特技や課外活動などをきちんと評価できるノーハウや基準が導入されるべきです。入学査定官制(各大学の入試査定官が修学能力試験や内申などの選考要素だけでなく、個人環境や潜在力、発展可能性などをみて新入生を選抜する制度――編集者)の議論もだから出るようになったんです。

権台仙 評価が可能になるためには、それを受け入れる信頼が存在しなければなりませんが、韓国では学校の先生に対しても入試に対しても信頼がなく、入学査定官制がうまく運営できるか疑義を申し立てる人が多いと思います。

蔡銀淑 そうなると韓国では入学査定官を監視する制度がまたできそうです(笑)。私が父兄として望むのは可能性ある子供たちに大学が門戸を開くことです。上位の子たちは先に始めて多く勉強したために成績がいいのであって、他の子たちは少し遅れて始めただけではないですか。もちろんIQの差があるかもしれませんが、その子たちもいくらでも可能性があると思うんです。

権台仙 どのような部分がまず是正されるべきだと思いますか?

 

修学能力試験の等級制は序列化を阻むことができたか

 

蔡銀淑 543点はA大学B学科、542点ならまたC大学D学科、このように点数で序列化された大学の狭き門が問題だと思います。今回、塾で開催する入試説明会に行ってみましたが、入試選考があまりにも複雑で、私の頭ではうちの子の入試に関与できませんでした。学校で専門的に進学指導をしてほしいのですが、先生もよく分からないようです。

李ボム 先生たちが分かりにくいほど複雑な選考もないと思いますが、少しシニカルに表現するなら、それが分からなくても先生としての生活に別に問題がないのでしょう。

権台仙 543点の学生はどこに行って542点の学生はどこに行くというような制度は適切ではないとおっしゃいましたが、そのような問題を改善しようとした修学能力試験の等級制に不満を示す父兄がとても多かったじゃないですか。そのような部分をどのように説明できるでしょうか?

李ボム 等級制には技術的な問題がややありますが、2004年に政府が2008年度大学入学試験案を発表しました。あの時、修学能力試験を等級化して志願資格として使用することを積極的に奨励すると言いました。その案に論述試験をある程度反映せよとか、論述反映の割合の上限がいくらであるとかいうガイドラインはありませんでした。論述試験が本試験になってはいけないということは後で発表しました。入試専門家の誰もが、大学が論述試験で何かやるだろうということは予想できましたし、それが現実のものとなりました。

また修学能力試験の等級を志願資格として活用することを積極的に奨励すると言いました。9等級で4%まではまったく同じなので60万名だとすると、2万4千名はまったく同じではないかとおっしゃいますが、これはよくご存じない方の話で、最近は総合点の等級はなく、科目別の等級なんです。英・数・国に加えて探求科目まで7科目すべて1等級となる学生は0.1%にすぎません。英・数・国だけでも1%内外でしょう。だから等級でまた序列化することは充分に可能で、私は大学が修学能力試験の等級を明らかに序列化の要素とするだろうと見通しましたが、そのまま的中しました。

等級で序列化すること自体にも不満が多かったようです。等級で序列化すると、結局、総合点の低い子たちが等級ではより高い場合が生じたからです。全体の受験生の3分の1くらいがそうでした。だから序列化を容認するならば、当然のことながら点数で序列化した方がいいのではないかという不満が出たのです。もちろんここには点数で序列を付けるのに慣れた風土が作用していると思いますが、他の側面では点数以外の選抜要素を受け入れる準備が、大学側にも学生にも父兄にも、一線の高校にもまったくなかったのです。

権台仙 アメリカの主要大学が最近になって、韓国の修学能力試験のようなSAT試験の点数は活用しないと発表するようになりました。私教育を通じてSAT点数をあげるのが可能になると、子供たちの将来を判断するのに障害要因となるという認識が作用したと言います。韓国の大学が追求していることとは正反対です。入学査定官制も一般試験では確認できない子供たちの可能性を定性評価などを通じて見つけようということで導入するものですが、今、韓国の入学査定官にそのようなことができるか疑問です。高校自体がそのような定性評価の資料を提供できずにいるだけでなく、大学に実際にそのような人材を見つけようという意志があるかどうかさえ分かりませんからね。

李ボム 私が見るところ、入学査定官制は大学の準備不足のためではなく、大学がいくら準備をしたとしても、高校の抑圧的で画一的な現実のために定着しにくいと思います。

蔡銀淑 現在の等級制にも不満が多いのに、定性的な評価は根拠が正確に提示されなければ承服されにくいようです。大学に行ってまで親が教員に電話をかけて、どうしてうちの子の成績がBなのかと聞くと言います。はなはだしくは入社面接でもうちの子がどうして落ちたのかと聞いてくるだと言います。ですが外国のようにボランティアや可能性を評価すれば、点数の低い学生の親は、どうしてうちの子がそのような点数なのかと抗議します。

李ボム 実はアメリカでも数十年間、かなり多くの訴訟紛争を経験しました。結局は大学がほとんど勝訴したんです。アメリカでもこのように社会的費用を払いながら制度として定着しましたし、韓国も社会的費用を支払わずに改善する余地はありません。もっとも憂慮されるのは入試不正や不祥事です。

 

どうして父兄は孔貞沢(コン・ジョンテク)教育監に票を投じたのか

 

権台仙 入試制度の話はこのくらいにして、初等・中等教育の変化に大きな影響を及ぼす教育監選挙の話をしましょう。教育地方自治制が施行されて教育監の選出が住民直接選挙に変わってから初めての選挙でしたが、きわめて低い関心の中で行われました。それでも江南と江北でかなり投票傾向の差が出たり、全教組候補の問題など多く話題を生みました。まず江南地域の父兄が孔貞沢(コン・ジョンテク)教育監にかなり投票したじゃないですか。孔教育監のどのような政策に江南の父兄が支持を示したと思いますか。選挙当時、一部の学生が投票権を与えよとデモを起こしたりしましたが、教育地方自治制の成功のために、教育監の選出、教育委員の選出で制度的改善が必要だとしたら、どのような部分があるでしょうか?

蔡銀淑 実は特定の政策に対する賛否よりは、次の教育監選挙まであまり期日が残っておらず、経験者がやればさほど混乱はないだろうと考えて、現職の教育監をまた選んだのではないかと思います。新しい人になったり選挙政治によって入試制度が頻繁に変わったりするよりは、経験者が制度をもう少し手入れして補完していった方がいいという考えなんです。今回、初めて直接選挙で行われた教育監選挙は投票率が重要だったようです。父兄以外の階層は教育監選挙に別に関心がないばかりか、投票日が平日なのでただでさえ参加率が低かったんです。候補に対する広報期間が短く、学校運営に関心のある私ですら、候補の公約をあらかじめ検討するのに短いくらいでした。教育には誰よりも関心の高い父兄が教育監選挙に関心を示さないことを眺めながら、個人が直面する教育問題には関心が高くても、共同の問題に参加して政策アジェンダを形成していくべき仕事には我関せずというのが、韓国の社会の根深い問題点ではないか思いました。

李ボム 江南の話がよく出ますが、孔貞沢候補は江南地域の票だけで当選したのではありません。チュ・ギョンボク候補が孔貞沢候補を10%以上も引き離した区は3か所しかありません。残りの区は大部分接戦でしたし、それに加えて江南でボツ票が出て孔貞沢候補が勝ったのです。08年春のロウソク集会政局の後に行われた選挙であることを勘案すれば、孔貞沢候補はかなり善戦しました。競争や点数を重視する文化の根がそれほど広く深いと考えるべきでしょう。私は教育監の直接選挙制自体は肯定的に考えています。とにかく一般市民が教育政策に対して直接的に賛否の意思を示せるというのはいいことであり、2年後に行われる選挙では関心の度がもっと高くなるだろうと思います。

 

官僚的教育制度が生んだ生活派と昇進派の教師たち

 

権台仙 孔貞沢教育監がソウル市民の3分の2以上が反対している国際中学校計画を自らの公約であるという理由で強行するのを見て、父兄は教育現場に及ぼす教育監の影響力を実感していると思います。このような経験がこれからの教育監選挙に対する市民の関心を高め、その選出制もやはり関連当事者の意見がもう少し忠実に反映されるよう、改革に役立つことがあればと思います。

話を変えて、公教育の現場である学校の話に入っていければと思います。先に見たように、韓国の初等・中等教育の現実は、私教育の肥大と公教育の脆弱化に要約できます。多くの学生が本格的な学習は私教育に依存し、学校は内申のために仕方なく行くところのようになってしまいました。ですから父兄は金を、学生は時間と健康と夢を浪費しています。学校の現場を守っておられる先生はこのような環境の中で立つ瀬を失い、自負心を喪失していっています。ならば、このようになった原因のうち、学校の先生の質的水準の問題もあると言えるでしょうか?

李ボム 今日のラジオのニュースで聞きましたが、京畿道地域の採用試験の平均倍率が25倍だそうです。少なくともスタートラインでは学校の先生が先を行っていると考えるべきです。ですが5~10年くらい経つと先生が生活派と昇進派に分かれるといいます。生活派は生活派なりに学生を放任し、昇進派は昇進のためにあらゆる官僚的な要件を満たし、校長によく見せるために子供たちを放棄するといいます。子供たちのために働くべきいかなる動機付与や制度も存在しないんです。私はそれが個人的な問題というよりは根本的にシステムのせいだと思います。絶対的に教育を掌握する教育マフィアと正面から対決しなければ学校改革は絶対に不可能だと思います。教育マフィアの頂点は一線の学校では校長で、大きくみれば教総を中心にした教育官僚やその周辺部隊である師範大学です。韓国では科目を1つ減らそうと思っても既得権争いのためにそれができません。

李明博政権が08年4月15日に学校自律化措置を発表しましたが、実際は官僚、すなわち教育監や校長に自立権を与えただけです。教育現場の教師や学生に自立権を与えたものではないのですが、人々はこれを当然のように考えるんです。ですが教育については李明博政権だけが国民と対話しなかったわけではありません。盧武鉉政権も金大中政権もみなそうでした。教育官僚が自分勝手にやっただけです。一時ある分派が強くなり、また他の時には他の分派が強くなったりしただけで、政権が変わってもあまり変化はありませんでした。だからもっとも可哀想なのは学生で、その次は教師だと言えます。教師らができることは何もありません。たとえ意欲があっても、自分の思い通りに教材を選定することも、授業方式を選択することもできないでしょう。雑務もたくさんあります。もともと持っていた意欲すら少しずつ忘れていきます。私は窮極的に先生と学生が自律的にできるようにすれば、副作用の少ない独自の最適化された地点を見出すことができると思います。

蔡銀淑 李さんのお話しに同感ですが、私も学校の先生が私教育市場の講師より質が落ちるとは思いません。ですが、どうしてそのようなことを言われるかというと、塾講師に比べて競争体制がないためだと思います。平準化教育のもたらした問題点の1つです。また塾は学生を水準別に分けて教えているじゃないですか。レベルに合わせた教育が可能だからより効率的なんです。

権台仙 学校でも水準別授業をめぐって議論がありますが、一般の父兄が水準別クラスの編成に反対しなかったんですか?

蔡銀淑 はじめは反発がありましたが、いまや納得している段階のようです。それが自分の子供たちにより効果的であるということが分かったんです。

李ボム 私は水準別授業の良し悪しを議論することは危険な一般論だと思います。教師と学生に自立権を与えられる制度にどのようなものがあるかを中心に考えるべきなんです。

 

教員評価、何が問題か

 

権台仙 韓国の教育政策と関連して、教師らの指摘する最大の問題は、国家が過度に介入するということです。学校や一線の教師が自律的に身動きできる余地がないということです。教育が正常化するためには教育省の過度の干渉や統制は控えるべきだという指摘は妥当だと思います。このような脈絡で教員評価制に否定的な意見を持った教師らもたくさんいます。きちんと身動きすらできない状況を作っておいて、すでに勤務評定があるのに、もう一つの評価の尺度をあてるのは不当だというものです。現政権も最近、私教育対策で教員評価をまた持ち出してきました。この問題をどのようにお考えですか?

李ボム かなり両面的です。学生による評価と父兄による評価、同僚教師による評価があるでしょうが、私は父兄による評価は信頼しにくいという立場です。学生による評価は肯定的な面があると思います。ですが、先生の立場から見る必要もあります。今、勤務評定といって、上司によく見られるようにして、官僚的に点数を取って昇進する制度があり、成果及第があり、教員評価制がそこに加わるんです。既存の勤務評定と成果給制度が官僚的な形で存続し、学生に時間や情熱を傾けることを妨害しているところに、教員評価まで持ち出してくるので、それなりに良心的で意識ある先生だとしても、それを受け入れることは難しいんです。

権台仙 だとしても勤務評定をなくすことは現実的に――

李ボム 勤務評定をなくすためには、ほとんど革命的な状況が必要かもしれません(笑)。それが教育マフィアの持つ既得権の核心だからです。とにかく私の主張の要旨は、教員評価を受け入れると同時に、勤務評定にもとづいた教師昇進制や校長任用制を全面的に改めようというものです。以前のように官僚的に上司からいい点数をもらって昇進する制度はすでに社会的効力を失っているし、そのように昇進の道を進んで校長になる校長任用制も同じです。そのような方々は、下にいる学生や父兄に目線を合わせて校長になったわけではありませんから、絶対に目線を下げることができません。

蔡銀淑 私は、教員評価は人気に迎合するおそれがあって、韓国社会の現実ではなかなか難しいと思います。子供たちの評価は客観的とは言えないじゃないですか。評価が合理的で客観的でなければ先生も納得しにくいのではないかと思います。

権台仙 でも学生こそいい先生を見分けるという話もあります。本当にこの先生は誠意を持って子供を対しているのか、差別してはいないかと。

蔡銀淑 それはそうです。学生はいい先生を本当によく見分けるんです。

権台仙 だから教員評価では、むしろ同僚評価の方が問題になるだろうと憂慮する先生もいます。さきほど生活派の教師の話が出ましたが、情熱を持って働く教師に対して、無駄に仕事を作って面倒なことをさせると悪く評価されることもあるというんです。同様の主旨で、私は学校現場の変化にとって、全教組(全国教職員労働組合)を含めた教員労組の立場がかなり重要だと思います。今、韓国の社会の一角では、全教組を公共の敵のように考える雰囲気がありますが、最初に正しい教育をスローガンとして掲げた全教組が、現場でどのような問題があって批判されているのか、実際に父兄はどのように評価しているのか、お話しいただけますか。

 

全教組、ふたたび学校現場の改革から始める時

 

蔡銀淑 どのような組職でも目的が明らかになってこそしっかりした組職だと思いますが、最近の全教組は当初の目的である「真の教育」(チャムキョーユク)の精神を忘れてしまい、ひたすら組職維持のための発言をすることで、全教組内でも賛否が分かれているようです。ですが全教組の多くの先生を見ると、教育に対する特別な哲学が明らかにあります。ある全教組の先生は「真の教育」のために昇進をあきらめたと言います。なぜならば、勤務評定で、全教組であるという理由で低い評価を受けるからだそうです。本当に残念な現実です。とにかく、これから全教組がまた「真の教育」のための組職に再生するためには、誤りに対する批判を少しは受け入れて、互いに協議のもとで教育の方向をきちんと見据えていくことが必要だと思います。

権台仙 李さんはどうお考えですか? 全教組が社会的に批判を受けていますが、どのような点が間違っていて、どのような点が変わるべきだと思いますか?

李ボム 全教組は韓国の大企業における正規職の労組が一般的にかかえる問題を同じようにかかえているようです。2年に1度ずつ行われる委員長選挙で、全教組内部のどの派閥も、教師を忙殺する業務負担の解消を政策として掲げていません。そして結局は、意図しようとしまいと、もっとも鮮明な戦闘性を認められた方が当選するのですが、そこで認められた戦闘性というのが、社会的に見た時、既得権の保護だという面があります。全教組は特に2000年代以降、主に反対闘争に注力しました。反対でない何かをしようという主張が提起される瞬間、所属組合員のうちの少なくとも一部は、かなり居心地が悪くなったり以前より不安になるということもあります。何かしようと言ったのは、学歴社会の撤廃、高校平準化の維持程度でした。それは小・中・高校の直接的な変化とは距離があります。いざ自分の勤務する一線の学校の改革に対しては、可視的な政策がありませんでした。

「真の教育」の議論は2000年代以降、衰退し始めました。2000年代初盤からは学歴社会化、大学序列化の議論が中心になったんです。もちろん問題提起は正当ですが、それによって一線の学校の改革の議題が後退しました。全教組は発足時の精神自体が「労組以上の労組」でしたが、それは、教育は国家が学生と父兄に提供する一種の公共サービスであり、彼らにもう少し支持されうる政策を敢然と実践しようということです。ですが私は全教組がどうして頭髪自由化について鮮明かつ意欲的にならないのか分かりません。頭髪は最近の学生にとっては自分の身体も同然ですが、自分の身体を自分が決められないこのような状況は、21世紀の韓国の社会的認識とも合致しないものです。このような学生の人権問題から始まって、やるべきことがかなりたくさんあるのですが、そのようなことがすべて放置されているという感じです。

権台仙 韓国社会で全教組に対して提起される批判の中に過度な点があるのは事実です。時には一部のマスコミや右派団体が魔女狩り式に駆り立てた面もあります。それでも全教組が掲げた「真の教育」運動が色あせて、教師の既得権を擁護する利益団体になってしまったのではないかという批判には耳を傾けるべきところがあります。戦略的な面でも教育現場を変化させる運動を他に先駆けて展開することで、学生と父兄を味方にするべきでしたが、そのような点でやや及ばなかったと思います。しかし韓国の教育に対する危機感が頂点に達している今こそ、全教組が面貌を一新してまた昔の「真の教育」の精神に立ち戻る機会にもなると思います。学校現場で新たな教育のモデルを作り出すために努力するのです。教員評価でも、反対するだけではなく、しっかりした教員評価のモデルを提示し、それを貫徹させることに力量を集中すれば、何でも反対の利益団体という固定観念を打ち破れるのではないでしょうか

全教組の話はこのくらいにして、高校平準化の限界として多く指摘される、卓越性教育の問題に移ってみたいと思います。公教育では卓越性教育がきちんとできないと考えている人が多いですが、フィンランド式の教育モデルでは卓越性と公平性の両者がともにきちんと実現していると聞いています。韓国の公教育の現場で卓越性教育ができないというのも、学校現場に先生の活動条件が準備されていないからだと考えるべきでしょうか?

 

韓国社会の卓越性教育の概念に対するあやまり

 

李ボム 卓越性は英語でexcellenceです。韓国では英・数・国の点数を上げることが卓越性教育のように考えられていますが、実はその学生の持つ潜在能力を最大限発現させる教育が卓越性教育です。それが作文であれ、数学の問題を解く能力であれ、図画工作であれです。卓越性教育は勉強をどれほど多くさせるかとは関係なく、どれほど多様かつ特定の分野で、より深みのある教育機会を与えるかということと関連しています。ですが韓国の教育は多様ではありません。学生の選択の余地がどれほどあるか分かりません。高2に進級する時、文科系か理科系を選択することと、修学能力試験で何科目か選択することだけです。フィンランドでは高校に学年がありません。中学の時、すでに教育課程の20%ほどが選択科目です。外国語、芸術、体育などの科目がすべて選択科目なのです。アメリカも選択科目がかなりあって、特定科目をもっと深く勉強したければ、優秀クラス(honor class)や最高級課程(AP)に入ればいいのです。韓国のように別途の学校を作らずに一般学校の中でそのプログラムを運営します。

私の見るところでは、韓国で真の意味での卓越性教育を阻んでいるのは教育マフィアです。卓越性教育をきちんとやるためには、学校教育の課程をすべて改めなければなりません。そうなるともっとも反発するのが既得権層、すなわち教育課程と教科書を牛耳ってきた一部の教育官僚や大学教授たちです。副次的に教師らも不安に思うことがあります。自分の科目に対する需要が変われば地位が不安定になるからです。このようなありさまなので改革できないんです。李明博政権が修学能力試験を大幅に減らすと言いましたが、結局1科目しか減らせないじゃないですか。

蔡銀淑 私は卓越性教育が一般学校の中で行われるべきだと思うことはありませんでしたが、国際中学校ができてしまえば、そこに優秀な子供たちが行くじゃないですか。その一方で少しレベルの落ちる子供たちの行く、入試準備でない職業教育をおこなえる学校ができて、互いに分化して発展するだろうという考えでした。それとともに一般学校には似たような子供たちが残って、もう少し質のよい教育ができると思ったんです。つまり優等生のための学校ができれば、反対に劣等生のための学校もできて、劣等生も進学できるようにしていくべきだと考えていました。李さんのお話しを聞くと、一般学校の中で特性化教育がおこなわれれば、費用面でも効率的で多様な子供たちが一緒に教育を受けることができて、何かと長所がたくさんありそうです。

李ボム 私と蔡さんの話が共通しているのは、とにかく今の教育があまりに杓子定規的で、だから学生の個性や意欲を生かせていないということです。一方で蔡さんは多様化する方法で新たな類型の学校を作ることを肯定的に考えており、私はその学校が成績順で学生を選抜するだろうから、また私教育を助長するだろうと否定的に見るという違いがあります。アメリカでも1つの学校の中で多様な教育が行われています。さきほど申し上げた優秀クラスや最高級課程が一般学校ですべて施行されています。

権台仙 フランスの場合も大学は高等専門大学のグランゼコール(grandesécoles)を除いて平準化されていますが、ノーベル賞はグランゼコール出身でなく平準化された大学で幅広く勉強した人々の方が受賞するという話もあります。早くから職業教育と就職教育を分けてきたドイツでも、最近はその教育方式が間違っていたのではないかという反省が出ていると言います。国際中学校と言いながら、新たなモデルの学校を作って分けるのではなく、一般学校の中で統合的な教育を実現して、学校の中で教師と学生に自律性を付与する方式の方がいいのではないかというものです。

 

国際中学校の設立と学校選択制

 

蔡銀淑 私もお話しを聞きながら、そのような方法もあると思いました。チョンシム国際中学校のような学校を新設することも過渡期の過程ですし、李さんのお話しのように学校の中で選別的な水準別教育や特性化教育ができ、多様性を認めて受け入れる時、きちんとした教育が行われるのではないかと思います。とにかく平準化され画一化された教育は望ましくないと思います。本当にグローバル化した人材として子供たちに教育させたくて外国に出る人たちも多いじゃないですか。韓国の教育政策者が学生や父兄の水準の高い教育に対する欲求を早く現実のものとして受け入れてくれればと思います。国際中学校のようなものも子供たちを選別するという視線で見るのではなく、競争力ある先生を呼んでそのような学校を発展させていけば、留学に行く学生も減って、逆に外国から韓国に留学生がやってくることもあるんじゃないですか。今のように経済が困難な時に、留学による外貨流出も防ぐことができ、むしろ外貨を稼ぐいい制度になるのではないかと思います。一般学校も一緒に競争しながら、公教育の水準が上がるのではないでしょうか。

権台仙 国際中学校のような学校を作ったからといって、韓国の教育が変わるでしょうか。公教育自体が変化して、公教育の中で多様な教育が行われるようにすることが望ましいのではないかと思います。

蔡銀淑 学校選択制が2010年から施行されるじゃないですか。私たちの学校も施設などすべての面でずいぶんと変わっています。学生に人気のない学校になったらどうするんだと心配して、校長先生以下、すべての先生が努力しているようです。特に今回できた給食室と、放課後に学生自ら学習するように作られた読書室は学校の自慢の種です。このように学校を選択する機会を与えれば、かなり発展があると思います。学校間の競争を通じていい学校ができれば、その学校がベンチマーキングとなって残りの学校も発展していけると思います。

李ボム 私が学校選択制を擁護するのは、学校多様化のきっかけになるだろうという期待のためです。少なくとも今の選択制は成績順の選抜ではありません。先に志願して抽選で選抜するので、その程度なら学校多様化のために容認できる水準ではないかと思います。具体的によくなると思う分野は芸術・体育系です。韓国の大学定員の中で芸術・体育系が15%ほどになります。15%ならほとんど10万名に迫ります。ですが現在、芸術・体育系の高校の定員は1.5%くらいにしかなりません。残りの学生はほとんど人文系の高校に通いながら塾で入試を準備します。学校選択制を行えば、たとえばある学校は、私たちは3クラスをデザイン特別クラスとして運営するというようにできます。今の体制では不可能です。学校の立場でも有能な校長、有能なリーダーがいれば、そのようなことを明らかに狙うでしょう。そうすれば芸術・体育系の学生の苦労がずいぶん減ります。完全に解決されるわけではありませんけど。芸術・体育系の学校も序列化されていますから。ですが今のように話にもならない不合理なことは少し減らせます。

権台仙 アメリカでみると、マグネット・スクール(magnet school)といって特性化された学校があって、管内の他の学校の学生もその学校へ行って授業を聞くことができます。韓国もそのように学校が独自の特長を生かせるようになれば可能だろうと思います。ですが、外部で新たなモデルの学校をたくさん作ることと、内部に自律性を与えて内部自体を変化させることとの間の均衡が必要かもしれません。外部化するシステムは韓国のような社会で私教育を膨張させる機制として作用しますから。国際中学校の設立の話が出てから、この学校への進学のための私教育市場がどれほど膨脹したか、よくご存じじゃないですか。さきほど国際中などを通じてグローバルリーダーとして育てたい人々の問題を解決できるじゃないかとおっしゃいましたが、今、幼い時に海外に留学したり、外国の大学に行く学生がたくさんいます。江南にはずいぶんいると思います。

蔡銀淑 多い時は1クラスで1年に5、6人ずついなくなります。

権台仙 海外留学がどれほど成功していると父兄は評価していますか?

蔡銀淑 統計を見ていないので正確には分かりませんが、少なくとも逃避性の留学でなく、韓国の教育現実に問題意識を感じて行く親は、あちらが天国だと言います。また子供たちも先進的な教育制度に満足するんです。ですが、その子供たちが外国でずっと住めば問題は減りますが、学位を取得後に韓国に帰国して定着しようとすると、学縁や地縁のせいでいろいろと大変なのだそうです。だからその人がきちんと適応できず、また戻ることになるので、国家としては留学で外貨を浪費し、その人材をきちんと雇用することもできず、もう一度費用を支払うわけです。

 

子供たちの幸せのための教育は不可能か

 

李ボム アメリカで勉強をしている学生は、学業と課外活動に時間を50対50くらいに配分していますが、韓国の海外同胞の学生は75対25くらいに配分すると言います。75対25も韓国では想像できない数値です。アメリカと比べて韓国の学生が可哀相なことを1つだけあげろと聞くと、ほめられることがないことだと答えます。韓国式の成績評価では最上位圏にいる一部の学生だけがほめられるのであって、残りはみないじけています。私は父兄とずいぶん相談していますが、そうするとその家の経済力も分かります。お母さんが率直にすべてを語りますから。なかには私が子供を早期留学に送れと言った家もあります。どのような場合かというと、子供があまり頭は良くないのですがまじめで誠実です。そのような子供が外国でもっとも成功します。まじめで誠実なので適応できる基盤があるうえに、韓国では優秀ではないとしても外国に行けば韓国でやった基本的な実力があるので、数学はよくできるという話を聞きます。そこで性格がぱっと明るくなって子供が幸せそうになります。韓国ではのびのびできないんです。そのような不満を持っているなら、早期留学が一つの脱出口にもなります。私も来年になったら上の子が小学校に入りますが、もっとも残念なのがそのことです。うちの子が勉強をどれほどよくできるかではなく、ほめられることもなく、ほめられなければプライドもできず、自分の潜在力を充分に発揮することも困難です。それが可能になってこそ、きちんとした意味での卓越性教育が可能なのですが、そのようなわけにはいかないので、それがもっとも心配です。

権台仙 最後に一言ずつお聞きしてまとめにしたいと思います。蔡さんから最後の一言をお願いします。

蔡銀淑 教育の変化は、まず教育の供給者が需要者に合わせてサービスしようという時に始まるのだと思います。教育主体がともに議論し、共同の問題を解決していく努力が結集する時、大きな政策的変化をもたらすことも可能だと思います。教育は国家の未来であり、韓国のように資源がない場合は国家の競争力だからです。2つ目は教育に対する意識の転換です。入試中心の進学教育ではなく、すべての子供が先進市民として育つように全人教育に向かって進むべきだという国民的な合意を作るべきでしょう。そのためにはまずすべての人間は大切であるという人間尊重の精神を先に教え、その次に自分に生まれつきの潜在能力があるということに気付かせ、各自の特技を発見できるように周囲で助け、個別性にあった教育を実行するべきでしょう。子供たちが自分の存在を幸福であると感じ、社会や国家のために何ができるかを考えさせる教育へと変化していくことを期待します。

李ボム 私はあらゆる席で李明博政権の教育政策に対して強く批判しましたが、盧武鉉=孔貞沢政権や金大中政権もあまりうまくやったとは思いません。李明博政権がもっとおかしなことをやっているからであって、本質的に変わったことはありません。私は、ワンポイント教育改革をするならば、教師昇進制と校長任用制を改め、無学年単位制で中学や高校を統廃合することが必要だと思います。社会的費用があまりかからずに効果が大きいからです。教育監の直選制を通じて、教育に対する市民の関心が高くなった面がありますが、このようなことを議論しながら、市民が教育改革に全面的に参加できる土台を作ることができるのではないかと思います。

権台仙 韓国の教育を困難にしている最大の要素は、学歴社会と学校現場に対する官僚的な抑圧であるという部分では異論はないと思います。学歴社会で生き残るために、父兄も学生も序列化された大学の上位に入るためにがんばっています。そして学校教育の公共性は消え、子供たちは私教育の狂風の中で枯渇していきます。特に李明博政権は、一斉考査やら自律学校やらで子供たちの背を押して、競争至上体制へと追いやっています。一日も早くこういった現実を変えなければ、韓国の子供たち、韓国教育の未来が危険だという警告音があちこちで出ています。今こそ教育の各主体が教育の本領を取り戻すために自らの声を出すべきですが、なかでも教師と父兄の連帯が重要だと思います。子供たちをこのような不幸な状態から救い出すのは、みなの責任だからです。

学校現場の自律性を回復しようとする先生の努力を父兄が信じ支援する時、先生の自負心がよみがえり、学校は子供たちの夢や希望を作る場へと変化できるでしょう。父兄として教育活動家として韓国の教育の問題点を現場で体感し、その改善方向に悩んでいらっしゃるおふたりをお招きして、有益なお話しをすることができてよかったと思います。これで座談を終わります。ありがとうございました。(2008年10月21日、細橋研究所)

 

訳=渡辺直紀
季刊 創作と批評 2008年 冬号(通卷142号)
2008年12月1日 発行
発行 株式会社 創批
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