[インタビュー] 全地球的経済危機のなかの 韓国と東アジア
対話│全地球的経済危機のなかの 韓国と東アジア
ブルース・カミングス(Bruce Cumings)と白楽晴(ペク・ナクチョン)の対話
ブルース・カミングス(Bruce Cumings)アメリカシカゴ大学教授。著書に『朝鮮戦争の起源』、『ブルース・カミングスの韓国現代史』などがある.
白楽晴(ペク・ナクチョン)文学評論家、ソウル大学名誉教授。最近の著書に『統一時代、韓国文学の価値』、『朝鮮半島の平和と統一』岩波書店)、『白楽晴会話録』(全5巻)などがある。
とき:2008年12月17日
ところ:細橋(セギョ)研究所
白楽晴 先生の今回のソウル訪問は、主として延世大国学研究院設立60周年を記念する国際学術大会に参加するためとうかがっています。先生の発表論文「韓国の民主主義とアメリカン・パワー」(Korean Democracy and American Power)は、大部分、1945年以降、韓国で起こったことを歴史的に概括することに集中しています。今日の私たちの対話は、最近韓国で起こっている事態と関連して、その論文にある種の後記を付け加えることから始めてはいかがかと思います。
カミングス 私は論文で韓国の民主主義が下から達成されたと主張しました。韓国の民主化の背後にある原動力、あるいは真の力は、1980年の光州民衆抗争や全斗換(チョン・ドゥファン)政権に対抗した87年の6月の抗争のような街頭の群衆デモでした。そのような分岐点を形成した出来事が、若者や労働者集団にもとづくきわめて力強い市民社会を作り出したと思います。また多くの側面において韓国の市民社会はアメリカの市民社会より強いと思います。市民も多く参加し、政治に対する関心の度合いも大きいです。それに近頃の若者は特にインターネットに強いですね。
アメリカにおいて韓国の民主化を主題にすると、特にワシントンの政治家は、それは中産階級を育成する問題であって、中産階級が強まって韓国は民主化され、アメリカはいつもその後見人であったと仮定します。ですが実は私は論文で、中産階級が自らの権利を獲得すれば大概はそこでとどまることを望み、そのような権利を拡張しないのですが、韓国民主化の多くの部分は、韓国に存在するアメリカの権力、特に長期にわたって続いた独裁権力を支援したアメリカに抵抗する過程で成立したと主張しました。
一方、今日、私たちの考える韓国の民主主義は、他のすべてのところの民主主義と似ています。すなわち、きわめて不満足ではありますが、他の代案よりはましだということです。チャーチル(W.Churchill)はこれを他の形で言ったことがあります。民主主義はかたなしの制度かもしれないが、他のすべての制度よりはいいのだと。韓国やアメリカのように高度で複雑な社会において、民主主義は往々にしてかなり失望的なことがあります。
私が考えるところでは、李明博(イ・ミョンバク)大統領の当選はかなり失望的でした。私に投票権はないので、個人的に受け入れがたいという意味ですが。一方、アメリカで過去にあったブッシュの「当選」は確かに個人的な不幸でした。ですが韓国ではそれほどまでにがっかりすることではないかもしれません。これまで10年間、金大中(キム・デジュン)と盧武鉉(ノ・ムヒョン)という自由主義の政権があったからです。民主主義を強固にして、和解にもとづいた北朝鮮との関係改善に多くの成果がありました。ですから韓国のこれまでの10年は全体的にはきわめて肯定的だったと思います。
資本主義社会で実際に存在する民主主義は、その日常的な内容が失望的なものにならざるを得ないというのが正しいところでしょうが、闘争において勝つこともあります。韓国におけるその一つは1998年[金大中政府の出帆:訳注]であり、もう一つが2002年[慮武鉉候補の当選:訳注]です。三つ目の勝利はアメリカでのオバマ当選ですね。きわめて決定的だったオバマの当選によって、私はアメリカ政治に対する楽観主義を取り戻しました。ですから、私たちはみな、経済危機に直面しているにもかかわらず、アメリカの政権や民主主義に対して楽観的です。右派、特にファンダメンタリズムのキリスト教がアメリカ政治を窮地に追いやっていた力が弱まったからです。このようなことなどが現在の状況に対するいくつかの考えですが、結局、私は、韓国の民主主義の発展は全体的にきわめてすばらしかったし、20年前と比べるならば、さらにそうであると言うことができます。
李明博大統領は第2のブッシュか
白楽晴 アメリカ政治についてはもう少し後でお話ししましょう。総合してみると、韓国の民主主義の発展がアメリカ民主主義の展開よりも鼓舞的だったかもしれません。去年まではですね。先生が言及するように、アメリカではオバマが圧勝しましたが、韓国で2007年にやはり圧勝をおさめたのは李明博氏で、2008年初に新政権を出帆させました。ですが、最初、李明博に反対した多くの人々さえ、彼の勝利には長所もあるということを否認しませんでした。つまり選挙という過程を通じて再び権力が委譲されたことは、とにかく韓国の民主主義の発展を物語っているということで、これはまた韓国の民主・進歩勢力が自身を刷新する有益な機会を提供しています。ですが、一年もたたないうちに、少しずつ多くの人々が現大統領が一連の破滅的な政策を見て、私たちは本当にもう一人のジョージ・ブッシュを選んだのではないかと憂慮しています。先生はこのような憂慮を誇張だと思いますか?
カミングス 誇張されたものではないと思います。韓国の今回の選挙は2000年のアメリカの選挙に似ています。言い換えれば韓国人は金大中・盧武鉉政権下で10年の歳月を経て、アメリカはクリントン政権下で8年の歳月を過ごしました。両国政府は数多くのことを成し遂げましたが、有権者はまったく同じ政権党、まったく同じ顔に飽きるものです。
いくつかの理由で私は李明博大統領がブッシュとは違っていると思います。まず、李明博氏は純然と選挙だけに当選しましたが、ブッシュは最初の任期の時、最高裁の指名を受けて大統領になりました。父親がいなければブッシュは決して大統領になれなかっただろうという点で、彼は金正日(キム・ジョンイル)の方に似ています。そしてそのような意味で、2000年にブッシュが大統領に(選出ではなく)指名されたのも、貴族体制ないし君主制的な面という共通点を持っていました。李明博氏は朴正煕(パク・チョンヒ)時代に成人して出世した人で、独裁以降の時代にはきちんと適応できませんでした。彼はあらゆる問題において時計を逆に回そうとします。たとえば北朝鮮に対して強硬に出るとかです。北朝鮮に対して強硬に出た過去の経験を見ると、そのような戦略が全般的にうまくいかなかったことがわかります。北朝鮮は自分たちが窮地に追い込まれた時の状況にあまりにも慣れており、常にきわめて否定的に反応します。
また、私たちが民主化時代に学んだすべての重要な歴史を変えようとする、教科書の改訂問題は本当に愚かだと思います。それはチューブから絞り出した歯磨粉をまたチューブに入れ戻そうとするような行為にも似ています。それは不可能です。韓国には解放以降、韓国史の不幸な側面を明らかにした多くの学者や犠牲者、市民・社会団体があります。そして私は歴史学者として考えるのですが、これはあらゆる新たな情報を伴った、きわめて肯定的な発展です。そのような発展は解放後の韓国史において、歴史的事実に対する公式的な物語と、犠牲者または批判者の物語との間で、ある種の均衡をとるべき問題ですが、窮極的に私たちは、このことを通じて、解放以降に展開した韓国史全体を理解できます。それは韓国におけるきわめて肯定的な発展でした。
独裁が隠蔽して来た真実を明らかにすることを「左翼」と断定することはできません。私は李大統領がいかなる助言を受けているのか時々知りたくなります。なぜなら彼はブッシュが強硬路線から転じて北朝鮮との関係を再開する、まさにその時点で強硬路線を取ったからです。また教科書論争は、人々の注意が集まってほしくないと彼が考える話題に関心を集めてしまっただけです。ですから、私はこの二つが李大統領には一種の災難だったと思います。
白楽晴 ブッシュとは違って李明博氏が合法的に選出されたという事実は、アメリカより韓国の民主主義を目立たせるような面があります。ですが、そのような点のために、李明博大統領は、任期初年度から無謀な一方主義を採ったようです。ブッシュがそのような一方主義を取るには9・11テロが必要でした。李明博大統領が実用主義者で定評があったことは明らかで、ある人々は相変らずそのように信じていますが、私は短期的な実利優先主義を除いて、いかなる確固たる原則もないという意味においても、彼は単なる実用主義者にすぎないと思います。真の実用主義者は絞り出した歯磨粉をまたチューブに入れたりしません。また全地球的な経済危機が起こったのは彼の責任ではありませんが、彼が選挙期間中にGDP(国内総生産)成長率7%の成長を公言した時、アメリカではすでにサブプライムモーゲージ危機が始まっていました。ですから、このようにあまりよくない判断力、状況を分析して適切な助言を聞き入れない無能は、彼の責任でしかないと思います。
先進化元年と「失われた20年」
カミングス 私の考えでは、東アジアで一定の成長率を土台に正当性を獲得しようと考えた政権は二つあります。中国は年平均9~10%の成長率を維持しています。李明博大統領は7%を提示しましたが、もちろんそのような考えのモデルは、絶えず正当性の問題に直面して毎年高度成長を示さなければならなかった朴正煕(パク・チョンヒ)です。李明博氏の言うことを聞いていると、彼の心中の深いところには、朴正煕が大統領だった時代がすばらしい時代で、彼は「現代」(ヒョンデ)という財閥で成功を収めましたが、1998年にぞっとするようなことが起こったという前提があるのは明らかです。
一方、私や大多数の人々は、野党が初めてきちんと権力を取って、韓国政治史で新たな時代を開いた1998年を一つの分水嶺と考えています。労働界は政治に参加する権利を得ましたし、政治体制の重要な一部となりました。また北朝鮮との関係を開き、「太陽政策」でおびただしい成果を出しました。したがってそれは「失われた10年」などではありません。
ですが、李明博大統領は独裁者になろうと考えているようには思えません。韓国で達成されたもっとも大きな成就の一つは、軍部が堅固に自らの場を守っているということです。李明博氏は大統領になり、5年間だけその地位にいるでしょうから、任期初盤から急ぐかどうかはわかりません。とにかく李明博大統領の思考の核心には、戦後の歴史に対して、先生や私とはかなり違った考えがあることは明らかです。
白楽晴 そうですね。独裁者になろうと考えることと実際になることは別の問題でしょう。私は李明博大統領が何を望んでいるか知りませんが、彼がかりにそう望んでいるとしても、独裁者になることはないと思います。先生のご指摘のように、私たちは下から民主主義を達成した国民であり、誰もこの時計の針を逆に戻すことを受け入れないでしょう。言及されたように彼は「失われた10年」を語っていますが、これ自体もばかげた命題です。ですが、やはり先生が指摘されたように、彼は実際に失われた20年を考えているのではないかと思うことがよくあります。1987年以前の古きよき時代を夢見ながらです。
カミングス そうですね。彼の観点と、ワシントンで韓国の政策に対する後見人を自ら任じる政治家らの観点には、妙な合致点があります。民主党も共和党も盧武鉉よりは金大中の方を好みますが、なかでも多くの人々は古きよき時代の韓米関係に戻る必要があると考えています。アメリカと韓国が互いを理解していた、アメリカからの独自性を語ったり龍山基地から米軍を撤収させることなどに言及する大統領が、韓国にいなかった時代のことです。李明博氏は初めて就任した時、自らがおこなった言辞について、ここ韓国よりもワシントンの方でより多くの支持を期待していたかもしれませんが、それはかなりの短見です。なぜならワシントンにいるそのような人々の大多数は、もうずいぶん年を取っていて、もう少ししたら引退するでしょうから。彼らがオバマ政権に影響力を行使することはないでしょう。私は李明博氏がキャンプデービッド(アメリカ大統領の別荘)や他のところでも、もしかしたらそのようにブッシュに媚びようとしていたのか気になります。
白楽晴 それはまったく実用的ではありませんでした!(笑)
カミングス そうです。ブッシュはすでにアメリカの歴史上もっとも支持率が低いうえに、たとえそのような点を無視するとしても、任期が1年も残っていない大統領だったんです。ですから、あれはかなり近視眼的な行動でした。共和党が2008年の選挙でまた勝利して韓米関係が好転して緊密になると考えてそうしたのかは分かりません。もちろんそのようなことは起こらなかったでしょうが。
白楽晴 先生は政府の指導者が政治的な正当性のために経済成長を達成しなければならなかった二つの事例として中国と韓国を挙げられましたが、あわれなことに韓国では大統領がこれ以上自らの正当性のために7%や6%の成長を達成しなくてもいい状況です。
カミングス まったくその通りです。まさしくその通りで、李大統領がいつもそのような成長率を基盤に政治をしようとしているのはおかしいと思います。ですが、先にも申し上げたように、それはまさに朴正煕がいつも主張していることでした。自らが高度成長を導いたと。
白楽晴 それは朴正煕に憲法的な正当性がなかったからです。もう一つの要因は、中国も韓国も貧富の差が大きく、貧しい人々に屑でも与えてやろうと思えば、きわめて高い成長率を志向しなければならなかったからだと言えます。李明博氏はそのような格差を是正するための政策をまったく持っていないので、達成は不可能でしょうし、おそらく長期的に有害な成長率を設定しなければならないでしょう。
事実「失われた10年」は新政権の公式モットーというよりは選挙スローガンでした。公式モットーは「先進化元年」です。この主張は私たちが産業化を達成し、民主化を達成したのだから、いまや先進国に合流すべき時だというものです。額面通りに受け取れば、産業化や民主化の果實をみな包容し、そこから一歩進んで、さらに先進化した経済に発展していくだけでなく、同時に民主主義を深める方向に行くことを意味します。ですが、李大統領が実際に進めているのは真の先進化ではなく、「失われた10年」、あるいははなはだしくは「失われた20年」というスローガンです。
カミングス 金泳三(キム・ヨンサム)大統領時代の1996年、ですから韓国がOECDに加入しようとした時、韓国の先進国化をめぐっていろんな意見に分かれたことが思い出されます。あれはある面で劣等意識でもありえます。韓国経済、特に人的資本の観点から見れば、韓国は先進国です。時々、韓国人はこれを国外の人間ほどに認識できないようです。ですから、李明博氏は韓国が充分に先進化されておらず、もっと先進化する必要があると考えているようです。ですが、これまでに達成された民主主義の発展については関心がありません。私は実は彼は政治家ではないと思います。彼は企業人であり大企業の経営者でした。ですから、彼は民主主義のための長い闘争や抵抗にあまり意味を認めていないようです。ですが、私は「失われた10年」の話がどこに訴えているのか、そのような言説でどのような支持者に訴えているのかが気になります。
李大統領は実用主義者か、保守勢力の人質か
白楽晴 そのスローガンはきわめて相異なる二つの集団に同時に訴える力を発揮しました。ですから李明博氏は選挙で勝利したのです。一つは、これまでの10年間、政治権力以外に実際に何も失ったものがない人々、つまり金持ちと特権層です。彼の内閣や同僚の履歴から分かります。彼らはみなかなりの金持ちで、大多数がこれまでの10年間に富を増やしました。ただ政治権力を喪失し、自らの天賦の支配権を失うだろうとはまったく考えていなかったために、ものすごく不満だったでしょう。就任以降に権力がどれほど無謀に濫用されているかを見れば、彼らが権力の喪失をどれほど切実に感じていたかがよく分かります。
訴える力を発揮したもう一つの対象は、1997年のIMF金融危機以降、生活の条件が急激に悪くなった数多くの普通の人々です。金大中政権のもとで韓国経済が回復し始め、盧武鉉政権の時はマクロ経済指標が無視できない成長率、高い株式相場、経常収支黒字などの観点でかなりよかったのですが、一般市民の生活は実際に貧しくなりました。その結果、「失われた10年」というスローガンが金持ちにも貧者にもまったく異なった理由で共鳴を起こしたんです。一種の巨大な国民連帯、当時としては到底、対抗不可能な連合が形成されたのです。ですが、すでに李明博政権は、全てが李明博氏の誤りのためではありませんが、経済成長を維持できないうえに、庶民の生活を改善する考えもまったくないということは明らかです。彼が進めているすべての経済措置は、金持ちと強者のためのものです。
カミングス 李明博氏を中心に形成されたそのような連合が、私にとってとても興味深いのは、アメリカのブッシュ連合と直接的な類似性があるからです。生計のめどがはっきりしなくなった多くの人々がブッシュに投票しました。ですが、アメリカの場合、なかでも多くのことが、堕胎や宗教対立、同性間結婚反対のような文化的・社会的争点で説明される一方、韓国では貧しい人々が自分の利益に反して投票するようにする文化的・社会的争点がないようです。
白楽晴 そうですね。こちらの一般的な認識では、李明博氏は実用主義者で、その点で人々が盧武鉉大統領に嫌気がさした時、朴槿恵(パク・クネ)でない李明博を選択したのは賢明だったというものでした。ですが、私の考えでは、最近は人々が、彼は真の実用主義者でないという事実、とにかく実用的に行動する能力を備えた人物ではないという事実を徐々に理解していると思います。私は李明博氏が成功したCEOだというもう一つのイメージも疑わしいと思います。だいたいお分かりでしょうが、現代グループで鄭周永(チョン・ジュヨン)会長の下に本当のCEOは存在しなかったじゃないですか。公式の肩書きが何であれ、彼らはみなただのスーパーCEOの下にいる総括運営者(COO)にすぎませんでした。李明博氏は「ブルドーザー」(bulldozer)という自分のニックネームを誇らしく思っていますが、私が見るところ、彼は鄭周永氏が運転するブルドーザーで、そのような運転手が消えた今、彼は英語の表現で「bull in a china shop」、すなわち「陶磁器店に入った牡牛」のような人物です(笑)。
カミングス 北朝鮮の人々もまったく同様に抱きそうな疑問を一つお聞きします。現代財閥の幹部として、李明博氏は実際に北朝鮮との関係、鄭周永氏がそうだったように主として経済的な関係を発展させることを望んだと思います。ですが、彼はそのようなことには関心がないようですね。
白楽晴 私は、韓国を先進社会にするという李明博氏の選挙公約については、まったく幻想を抱かなかったのですが、最低限、北朝鮮との関係では実用的なことがあると思ったのは事実です。ある面で以前の政権よりも果敢に進めていくのではないかと思いました。それは彼が保守陣営から出ているために、北朝鮮との協力において自信を持って行動する素地があると思ったからです。ですが実際は全くそれとは逆になりました。そのことが、私が実用主義者という彼のイメージを見直すようになったもう一つの理由です。
カミングス 北朝鮮に対する李明博式の政策で、いかなる利益が生じるのか理解できないので、現在の状況は説明がうまくいきません。
白楽晴 一つの理由は、政権初期から国内で力強い反対に直面し、彼の支持率もすごく下がったのだと思います。ですから、その時点で彼はもっと広い層の支持を得ようとするのではなく、自分を支持した保守主義者――さらにひどく言えば守旧勢力――に訴えることを決意したのです。その後、彼はそのような人々の一種の人質になったようです。
カミングス それはまったく適切な表現です。
白楽晴 韓国には、ブッシュがそうだったように、空想の世界に住む人々がかなりいます。北朝鮮がすぐに崩壊するだろうとか、私たちが圧力をかけつづけて粘り強く待てば、ありとあらゆるいいことが起きると信じている人々です。ドイツが統一した直後から先生がずっと主張されたように、近い将来、北朝鮮崩壊のようなことは起こらないでしょうし、たとえ起きるとしても、確かに状況はあまりいいものにはならないでしょう。北朝鮮に対する李大統領自身の態度は多分に行ったり来たりして来ました。北側は初めはかなり我慢していました。そのように選挙期間から3月末まで約100日待って、彼らは李大統領にこっぴどい人身攻撃を始めました。もちろんそのような攻撃は何の役にも立ちませんでした。
カミングス このような状況は「分断体制」についての先生の持論を例証していると思います。この新たな状況が、人々の目には、南と北で同時に新たに発生しているように見えますが、事実上、それは古い勢力がまた跋扈しているということです。分断体制がどれほど早くよみがえるかを目撃するのは、本当に心苦しいことです。
分断体制の持続を望む人々
白楽晴 私の持論の一部は、朝鮮半島の双方ともに分断体制を持続させる勢力があるというものです。表面的に彼らは全く敵対的ですが、分断体制の持続という利害関係を共有しています。
カミングス それはおっしゃる通りです。これについて私たちは以前、話を交わしたかと思いますが、私はアメリカ国防省のタカ派も、特にソ連が崩壊してから、北朝鮮のタカ派と一種の共生関係にあると思います。ですから、彼らの防衛計画も実際には北朝鮮のような敵が存在するかにかかっています。ですが、先生が分析なさった「分断体制」は、あまりにも深く長く持続したものですから、李大統領の態度や彼を手荒く攻撃した北朝鮮の態度のような出来事だけでも、即刻、再充電され得ます。
ですが、私は盧武鉉大統領と金正日(キム・ジョンイル)国防委員長との間の第2次南北首脳会談でなされた合意、特に朝鮮半島の西海岸と海州(ヘジュ)、南浦(ナンポ)などの港を開放するための経済合意に深く感銘を受けました。ですから、私はその合意の政治経済学的含意と、その合意が東北アジア・ハブ経済という盧武鉉大統領の発想にどれほど符合しているかについて、こちら韓国で1、2編の論文を書いたんです。私が驚いたのは、李明博氏が第1次南北首脳会談より第2次首脳会談の方に批判的であるという事実です。第2次首脳会談は北朝鮮とのきわめて合理的な経済協力のための青写真、互いに本当に役に立つ青写真を用意しました。したがって彼は、前任者が遂行したいかなる政策をも否定しようとしたジョージ・ブッシュのような人物だと言えます。
白楽晴 2007年10月4日の第2次首脳宣言は、2000年の6・15南北共同宣言を実施する具体的なプログラムを作成しました。したがってこれまで行われたことに反対する立場では、6・15宣言より10・4宣言の方が不満なはずです。もちろん任期満了直前に後任者がやるべき全ての合意をやってしまった前任者に対して、どのような後任者でもいくらか不快感を感じるだろうことは理解できます。ですが、李明博大統領はただ10・4首脳宣言を原則的に支持すると言って、そこから始めればいいんです。双方が会ってどのようなことを先におこない、何を先送りにするかを議論しようと提案するのです。「西海(ソヘ=黄海)平和協力特別地帯」の構想は10・4合意の中でも盧武鉉大統領自身がもっとも自慢した部分でした。誰が後任者になってもただちに履行できる性格のものだからではなく、他の分野の南北関係拡大にとっても深刻な障害物だった「西海北方限界線:韓国側が自ら限界として一方的に設定した境界線」(NLL)をめぐる紛争をついに解消したのです。もう少し正確に表現するならば、爆発の危険性のある脳管を除去したわけですからね。
カミングス 私もその構想を読んだ時、かなり興奮しましたが、ただちに政治が介入しました。北朝鮮の観点から考えるならば、北朝鮮は金大中や盧武鉉大統領と合意しましたが、そのような合意が次の政権には別に意味がなくなってしまいました。北朝鮮がビル・クリントンとおこなった合意が、ブッシュが登場した時に無視されたのと同じです。北朝鮮とアメリカが互いを敵視しないという協定文にクリントンが署名したことを人々は忘れています。ブッシュはその協定文をそのまま破棄して北朝鮮を「悪の枢軸」に入れました。それは決して外交をおこなうやり方ではありません。こうなると北朝鮮は、民主的なアメリカ指導者の約束が継承されるだろうか信じられなくなるんです。北朝鮮の人々はかなりもどかしく思っているのは明らかです。
白楽晴 オバマ政権における米朝関係はどうなるとお考えですか?
カミングス 一つ明確にしておくべき点は、オバマがクリントン政権の多くの人物やヒラリー・クリントンを政権に入れたという事実です。ですから、オバマ政権はクリントン大統領が結んだ協定、特にさきほど言及した北朝鮮の中・長距離ミサイルを、食糧援助と引き換えに諦めさせるという協定に戻るだけだと思います。クリントンは2000年11月と12月にその協定を事実上成功させましたが、ブッシュ政権はそれが気に入らずに廃棄してしまいました。ですから、実用的なレベルから見れば、オバマ政権が協定文書をまたどこかから持ってきてそれを実行に移すだろうと予想することはできますが、他方でオバマ政権内にいる多くのクリントン政権からの人々は核拡散を憂慮しています。これにはいい面と悪い面があります。いい面は、アメリカが北朝鮮と協定を結ぶことを望むだろうということです。ですが、また1994年に寧辺(ヨンビョン)核施設に対する先制攻撃を計画した人々をまた政権に呼び戻しており、かなり危ないと思います。ですが、私はオバマが卓越した人物であり、経綸とビジョンをもってそのような人々よりもまさるだろうと思います。ですから、オバマはもしかしたらクリントン政権時代ともかなり違った外交を展開することもあり得ると思います。
クリントン政権の対北朝鮮政策はきちんと調整されたものではありませんでした。クリントン自身はあまり気を使わなかったと思います。彼は1994年に戦争の一歩手前まで行きましたし、その過程でジュネーブ合意が出ました。ですが右派と共和党が反対したので、クリントンはその合意の移行にあまり力を入れませんでした。1998年と1999年に金大中政権の不断の努力で、クリントン政権は北朝鮮に対して二度目となる包容政策を立案しましたが、クリントン自身はこの問題に関してあまり気を使うことはなく、その点ではイランに関しても同じでした。ですから、私が見るところ、オバマは脱冷戦時代の大統領、世の中の事情に明るくアメリカと対立的な国家に対しても、これまでとは異なる手段を使う大統領になるだろうという点に、大きく希望をつないでもいいと思います。もちろん彼が間髪入れず金正日国防委員長に会いに駆けつけることはないでしょうが、以前の多くの大統領とは全く異なる感覚を持っていると思います。
白楽晴 私はオバマの外交がブッシュの外交と異なるだけではなくて……。
カミングス それは言うまでもないことですね。
白楽晴 クリントンの外交とも異なるだろうと思います。先生もおっしゃるように、まず第一に、クリントンは北朝鮮との関係正常化に何らのビジョンもありませんでした。また第二に、全般的な状況がこれまでの8年間で変わりました。当時はミサイル問題でしたが、今はミサイル+核問題です。また私の考えでは、北朝鮮側は自らが8年前よりも不安で危ない状況にあると感じているようです。ですから、オバマがクリントン政権末期の古い文書を持ち出してきて、そのままそれを実施しようとしたら、北朝鮮側はおそらく応じないでしょう。「JapanFocus」のウェブサイト(www.japanfocus.org)に出ていたジョン・フェファー(John Feffer)の最近の記事はもしかして読まれましたか?
カミングス 読みました。
白楽晴 とても興味深いですね。記事のタイトルは「北朝鮮という難題 ――信じられる変化か、それとも現状維持政策か」(TheNorthKorean Conundrum: Change You Can Believe In or Policy Status Quo?)です。彼はブッシュが与えようとしていた食糧支援などの宥和策を単純により多く抱かせるだけでは北朝鮮の核兵器問題を解決できないと主張します。北朝鮮にまったく異なったやり方で接近すべきだというのです。主として北朝鮮がすでに着手した、フェファーの言う「体制の変化」を支援しながらです。北朝鮮が教条的な社会主義から金正日が「実利的社会主義」と言っている体制に移行する変化を、アメリカははるかに積極的に応援し支援するべきだというのです。
カミングス 北朝鮮の弱いところはフェファーが論じたまさにその改革です。フェファーは北朝鮮の広範な市場化を描きましたが、それによって北朝鮮は10年前とは明らかに異なる変わり方をしたんです。大多数のアメリカ人は、はなはだしくは見識あるアメリカの指導的な人士さえ、そのような北朝鮮のことを本当に理解できていません。第2次南北首脳会談が重要なのはまさにそのためです。あの会談は私たちが先に言及した、北朝鮮の経済計画と合致するのみならず、より多くの市場のための措置や市場による資源配分とも符合します。ジョン・フェファーが「体制変化」という用語を用いたのは誤解の素地があると思いますが、寧辺(ヨンビョン)原子炉の解体を進めながら、アメリカが市場改革に向けた措置を支持した方がいいという注文ならば、それは実行可能な政策だと思います。もちろんそのような政策は、クリントン政権が2000年に取った路線にのっとって、北朝鮮の体制保障を伴うものでなければなりません。
私はその点でジョン・フェファーと同じ意見ですが、1990年代には存在しませんでしたが今日存在する最悪の問題は、北朝鮮が実際に核実験をしてしまったということです。これまでクリストファー・ヒル(Christopher Hill)国務次官補の寧辺原子炉を解体しようとする努力は多くの難関にぶつかりました。北朝鮮が本当に核を放棄するかに対する疑問のためですね。私ははっきりと釘を刺すことからすべきだと思います。言い換えるならば、寧辺のプルトニウム施設を除去できるならば、まずそれから除去するんです。原子爆弾の場合、北朝鮮がすべての爆弾を放棄するだろうという点を確認する方法がありません。彼らがどれかを放棄すると言っても、どこかにまた隠していないという保障がないということです。ですが、その他のすべてのものを確実にしてミサイルを除去することができるならば、彼らがいくつかの核兵器を密かに保有して良い機嫌でいても、それはたいしたことではありません。またその線での合意は実行可能なものです。ワシントンからは批判が出ますが、それは実現可能な合意であって、一連の前向きな措置を作り出すことで、北朝鮮が自らを核保有国であると主張することはかなり難しくなるでしょう。ただ北朝鮮が1つか2つ、あるいは3つの核兵器を保有する可能性があるならば、それはまず米議会に認められないと思います。
先生は『動揺する分断体制』(1998)で北朝鮮の「籠城体制」について言及しましたが、人々に話す時、私はアメリカの北朝鮮に対する封鎖政策が最悪の結果を生んだと言っています。北朝鮮の人々の立場では核兵器開発がある程度合理的な反応だからです。ですから、アメリカが60年間、この小さな国を相手に取った籠城の強要という脈絡から見れば、第一に北朝鮮が核兵器を開発したのは驚くべきことではなく、第二に北朝鮮がある程度そのような能力を備えたとしてもそれはさほどぞっとするようなことではありません。北朝鮮には安保関連で1万5千の地下施設があります。いかなる場合でも検査官がそのすべてを探し当てることができるとは考えられません。もしできたとしても、中国国境の向こう側に武器を移しておいてトラックでまた運んで来ればいいのです。言い換えれば北朝鮮の人々が持っている最後の一つの核兵器まで探し出すべきだという要求は話にならないということです。ですから、このことにこだわっていると完璧な結果を得られません。
私はオバマ政権が北朝鮮との交渉でかなりいい成果を得られると思います。私がオバマ大統領に望むのは、アメリカが好まない指導者とも交渉するという公約を履行してくれたらと思うのです。そのことが必ずしも首脳会談やそのようなものを意味する必要はありません。ただ対話と外交の意志が重要です。オバマ大統領はそうしてくれるだろうと信じます。
南北の平和的共存を越えて
白楽晴 平壌当局がたとえば8年前よりもっと不安に感じると言ったのは――もちろん多くの客観的な状況において北朝鮮が10年前よりはるかによくなったという先生のお話しに同意します――ですが、一方ではおっしゃる通り、経済改革が危うくなる危険がありますが、もし失敗したら彼らは本当に選択の余地が消えるんです。それは「チューブから絞り出した歯磨粉」にあたるもう一つの場合ですから。彼らがいくら望んでも彼らは過去の体制に戻ることはできません。北の支配層の中に過去に戻れるよう望む人々が多いことは明らかです。ですからジョン・フェファーの言うそのような危険があるのです。ですが、その他にもう一つの危険があって、北の支配層もそのことをよく分かっていると思います。それはつまり経済改革の成功から発生する危険です。これはアメリカの封鎖が解けることから発生する危険でもあります。この場合、北の指導層が「籠城体制」を人民に正当化することがはるかに困難になるだろうからです。
韓国の多くの進歩的な人士は、私たちが中国やベトナムに見るような改革開放を北朝鮮もおこなうだろうと主張します。私は現在の分断状況においてそれが実行可能な展望かどうか疑問です。中国やベトナムはともに分断問題を解決してから経済改革に着手しました。ですが朝鮮半島では緊張がいくら緩和されても、北朝鮮の立場からみて韓国がどこかに消えるわけではありません。時間が経過して韓国による一方的な吸収統一のような脅威がいつもあるでしょうから、北朝鮮の政権の安全を保障するある種の政治的な枠組が必要だと思うのです。私が言いたいのは、まず米朝関係が正常化して南北の交流が大きく拡大すれば、私たちは国家連合案に触れた6・15共同宣言第2項を本当に真剣に考えるべきだと思うのです。北の経済改革が進むほど、朝鮮半島には、共存に合意した二つの別の国家よりは緊密だが、どちらか一方の政権を脅かすほどに緊密ではない、ある種の政治的な枠組が必要でしょう。
カミングス その通りだと思います。ですが北朝鮮について、彼らが韓国による吸収統一の方を心配するのか、それとも改革が成功裡に進む時、自らの人民の方を恐れ、自らに起こる状況を恐れるのか、私は気になります。私が思うに、中国とベトナムの経験は北朝鮮の指導層に市場改革の推進にある種の自信を与えうると思います。アメリカでは共産主義政権はすべて消えたと考えています。そのような政権は1989年から1991年の間にみな崩壊したということです。東アジアの中国とベトナムで進んだのは一種の共産主義政権の脱共産化でした。両国では、特に軍指導者が大企業の総帥になって金儲けを始め、全世界を相手に自らの商品を売り出しました。人民解放軍は企業の「封土」となり、まったく同じ状況がベトナムでも起きました。時には共産党の官僚自らがそのように変身したりします。北朝鮮でもそのようなことが起こっています。たとえば2000年にアメリカに行ってクリントン大統領に会った趙明禄(チョー・ミョンノク)将軍はミサイルやミサイル部品を生産する企業を指導しています。そのような状況において共産主義者は自らの未来を見ます。国家主導の市場経済で金持ちになる自らの姿を見るのです。
市場万能主義の後遺症、全地球的経済危機、そして代案
白楽晴 全地球的な経済危機の方に話題を移しましょうか。その後、危機に対する東アジアの反応を見てみましょう。私たちは経済学者ではありませんが、先生は少なくとも歴史学者として東北アジアの政治経済を研究されましたか?
カミングス 実に興味深いのは、私がシカゴ経済学派の総本山であるシカゴ大に在職しているからなのですが、シカゴ学派はレーガン政権以来、経済分野で主導的な声を出してきました。最近は、規制されない市場が万人の問題を解決できるというシカゴ学派の根本的な前提が総崩れになりましたから、彼らは口をつぐんでいるという状況です。
私たちは長きにわたって持続する、1929年の大恐慌に直接比べられるような、きわめて深刻な危機に陥っています。大恐慌はパラダイムの根本的な変動を引き起こしましたし、本質的にその新たなパラダイムが50年間持続しました。つまり市場がすべての人々の問題や財、サービスの分配を解決できるという考えが棄却されたのです。その代わりに調節された資本主義というものが浮上しました。ニューディールがいい例ですが、第二次大戦以降に登場したドイツの社会的市場、フランス式制度、日本式企業資本主義なども、みなそのようなものです。それらはみな大恐慌や大恐慌が触発した戦争に対する反応でしたし、根本的な主旨は、私たちが貧困に対して一定水準以上の対策を用意し、自ら働けない人々の面倒を見るべきだというものでした。これが1930年代の危機から出た結果でしたし、実際にアメリカではレーガン政権までこれが持続しました。
ターニングポイントは1980年でしたが、私たちがこれまでの30年間に聞いてきたのは、市場に支配させろ、市場を放任せよ、市場に私たちの問題を解決させろということでした。そのように始終騒いでいたシカゴ学派の経済学者は、もう聴衆の前で堂々と顔をあげてそのようなことを言えません。いわゆる非優良住宅担保貸出の事態で彼らのパラダイムは散々な結果となりました。それが始まったのは一年以上も前のことですが、今、当面している信用危機において頂点を迎えています。
先生や私、そして世の中がどのようになるか、少しは理解する努力をおこなっていると自負する人々が、このような歴史的現実を生きながら興味深く感じる事実の一つは、現在この危機の解法を知っている人を探し当てることはまったくできないということです。ポールソン(H.Paulson)財務長官、バーナンキ(B.Bernanke)連邦準備制度理事会議長、今は引退したグリンスパン(A.Greenspan)前議長なども、私たちが直面している問題に対する方策を持っていません。ですから、私たちはいまや過去のすべての処方がきかない、新しい治療法が出てくる兆しがまだ見えない、古典的な危機に陥っているのです。
白楽晴 私たちが新しい処方やパラダイムを探そうとする時、経済学者でもあった3人の思想家が特に思い浮かびます。1人はケインズ(J.M.Keynes)で、残りの2人はポランニー(K.Polanyi)とマルクス(K.Marx)です。すべての政府が経済危機にもう少し積極的に対応しているという点で、シカゴ学派でなくケインズ主義者が戻って来ています。ですが、先生がさきほど描いた問題の規模から見る時、ケインズ経済学が危機に実際に対処できるかは疑問です。シカゴ学派の新自由主義的な方式よりはるかにましだとしても、もう一つの古い処方になる公算が大です。ケインズ的処方には短期的な問題と長期的な問題があると思います。短期的レベルで問題規模がたとえ政府介入なしではだめだとしても、政府の積極的な対策で解決するにはかなり大きいかもしれないということです。同時に、仮にケインズ的処方が功を奏して、一定期間、状況を統制するとしても、スタグフレーション(景気低迷状況でのインフレーション)のような古典的な問題だけでなく、1930年代や40年代とは全く異なった世界資本主義の新たな段階で発生するような、その他の問題に、相変らず直面する可能性があります。だから私はケインズからポランニーへ、より根本的な省察のためにはマルクスへと進むべきだと思います。
マルクスとポランニーを再読する
カミングス マルクスには派生商品やCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のようなものが資本の古典的な例だったという点で、先生が問題の正確なレベルを指摘されました。『資本論』を見るとマルクスは資本をかなりミステリーなものとして言及します。それは何かに価格が付けられますが、その価格が正確かどうかわからない状況に置かれた人間相互の関係です。正当な価格を付けようとすれば取引の双方が価格に同意しなければなりません。『資本論』にはとても興味深い部分がありますが、そこでマルクスは金について語りながら、どうして私たちは金に価値があると考えるのかと問います。もう一度吟味するに値する部分ですが、この部分は、CDSのようなものがどれほど虚構的なものかを示しています。それは虚構であり、人々がその価格に合意しなければ崩壊するんです。今日、人々は、そのようなものにどのように価格を付けているかも知りません。はなはだしくは住宅のように物質的な構造と安全性を持ち、一家族が住んでいる商品さえ、価格をきちんと付けることができないんです。
私はポランニーの『巨大な変換』(The Great Transformation)が、私たちの直面している状況に対する卓越した診断だと思います。なぜならば、人々は一種の空想世界に陥ること好み、そこでは市場が答であると信じますが、そのうち市場が自らを統制できないので、市場を統制するべきだということを知るからです。1930年代に対する分析においてポランニーが本当に危険だと考えたのは、大恐慌期に状況がますます悪くなると、国家が次々とだめになって、各自の特性によって独裁の道に立ち入ったという点です。その結果、ドイツと日本で「新秩序」が、アメリカではニューディールが、ソ連では一国社会主義が登場したのです。それとともに世界経済が完全に崩壊し、すべての国が自国の生存のために全力を尽くしますが、それがまさしく第二次世界大戦の種です。
私は今日、アメリカやヨーロッパ、日本または韓国の社会的地形は、ファシズムや共産主義運動が起こるような状態ではないと思います。1930年代は相変らず地主や貴族階級がきわめて力強い反動的影響力を行使していましたし、それゆえにドイツや日本の社会的地形がきわめて反動的な形態を帯びました。私が考えるところ、政治の領域でポランニーが予見した状況の展開が見られるのはラテンアメリカです。あの地域では新自由主義から脱却しようとする国々が相次いでいます。特にアルゼンチンがそうであり、ある程度はブラジルやそれより小さな国々がそうです。
白楽晴 ポランニーの著作でもっともよくできている部分は、経済が社会のその他の部門から乖離する時、いかなるぞっとするような災難が起きうるかを診断したことにあると思います。
カミングス そうですね。私が学生に聞いてみると、最初はきちんと答えられない部分があります。私はこのように質問します。「ポランニーは三種類の商品の虚構(commodityfictions)を提示した。それは何か?」――学生は二つくらいは当てますが、三つすべてを当てることはできません。第一は人間です。人間が市場で労働力を商品として売るというのは虚構です。人間は働いていない時でさえ、面倒を見てやらなければならない存在です。ですから頭の上に屋根がなければならないし、食糧がなければなりません。第二は土地です。私たちが暮らす環境である土地が他の商品とまったく同じように売買できるというのは虚構です。第三は貨幤です。貨幤そのものが一つの商品虚構ですが、この部分でポランニーはマルクスと多くの点で一致します。
私は今日の学生に、この商品虚構が作動する様相を見たければ、「非優良住宅担保貸出」と言われる虚構の担保貸出、虚構の派生商品、虚構のCDSを見ればいいと言っています。それらはすべての人に感染して世界経済をあざ笑うウイルスのようなものです。何らの実体もありませんからね。市場で価格が付けられる価値投資(quality investment)が存在するとは言えなくなりましたし、すべてのものがまさに目の前で煙のように消えています。ですから現在は、市場自体がなぜ統制されるべきかを示す、きわめて教訓的な瞬間だと言えます。
白楽晴 もし今日、ポランニーが生きていて、この地球的危機に対する処方をするとしたら、彼は社会と文化に内蔵された市場をふたたび作り出す、ある種の公式を探し出さなければならないでしょう。ただ、国民経済レベルではなく、全地球的な、または最低限、地域的なレベルでです。だから私はケインズからポランニーへ、そしてまたマルクスへと移って、資本主義自体に対するある種の分析が必要だと思います。マルクスの分析はその当時は国家的な状況と実際にあまりよく符号しませんでしたが、今日の全地球的脈絡におけばむしろ説得力が大きくなったと思います。
カミングス まさにそれが、ポランニーが『巨大な変換』の最後にやった作業です。初版は1944年に出ましたが、彼は本書を第二次世界大戦が絶頂に達した時に書いたようです。彼は末尾で全世界的規模の社会民主主義、すなわち一つの新しい世界的体制を要求しましたが、またエピローグでは、旧約聖書や新約聖書、また近代世界においてそれにふさわしいものについて論じました。彼は旧約の価値を受け入れて、それを社会的プログラムとして現世で実現しようとした哲人スピノザに回帰します。ポランニーのエピローグに書かれたメッセージは、産業化された世界のいたるところで大きな反響を起こすと思います。
異なる種類の世界体制に向かう動きは、ある意味では1945年以降に起きました。体制の土台はもちろん資本主義的なものですが、それはポランニーの著作が出た年である1944年に、IMFや世銀、その他の機制を備えた、ルーズベルトが構想した世界のために調節されたニューディールでもありました。そして私は、先進工業社会の場合、そのような機制がヨーロッパやアジアの戦後経済の再生に立派に作用したと思います。ですが、1990年代の新自由主義は、本質的に国内経済におけるシカゴ学派理論の国際版でしたし、今回の危機で致命的な打撃を受けました。ラテンアメリカの左派政権の中にはすでに新自由主義にきわめて力強く対抗した場合もあります。ヨーロッパや東アジア、またアメリカでも、これから新自由主義という言葉を口にする指導者はそう多くないだろうと思います。
全地球的資本主義の持続と地域の対応
白楽晴 現在の韓国政府を除けばそうですね。もちろんここでも彼らはそれを「新自由主義」とは言いませんが……。
カミングス 李明博大統領は別の世の中に住んでいます。彼の政策を見ると、彼は誤った場所で誤った時期に当選した人物です。ですから自分で自分の足元をすくっているのです。分断体制、またそれと世界体制の関連性に関して作業してきた先生の視角から見ると、私たちは本質的にポランニーが語った地点にいます。つまり世界的レベルで新自由主義を克服するために、本当に何かが必要だということです。ヨーロッパ連合が最低限そのような克服を試みる一つの例になりうると思います。経済を再稼動させるために地域範囲で景気浮揚のための一括的な対策を発展させようとするわけですからね。もっとも経済規模が大きいドイツは消極的ですが、もしドイツやフランス、ヨーロッパ連合諸国が景気浮揚と超国家的な経済政策の方向に一緒に動ければ、私たちのこの危機の克服にも役立つはずです。ですが、もちろん資本主義モデルを脱するわけではありません。
白楽晴 資本主義の世界体制が1945年にある種の新しい段階に入ったという部分には同意します。ですが、私はこの体制にある種の根本的な変化があったとは思いません。先進産業諸国がおこなった福祉プログラムは、以前の段階でいくつか先んじた国家が内部的に採択した福祉政策に似たものです。資本主義自体が一種の福祉資本主義に変化したわけではありません。地球的レベルでは同一の不平等が続いてきました。
カミングス 私が言及した1945年以降の政策、つまりブレトンウッズ協定、ドイツの社会的市場などは、先進産業諸国の国民にとってみなきわめていいものだったと思います。アメリカを除くほとんどすべての国々は、第二次大戦の中で完全に廃墟になったり部分的に破壊されたりしました。ですから、そのような経済再建は、特に日本やドイツでは、高度成長に進む近道でした。経済成長に関する限り、ドイツとフランス、また政治はだめですがイタリアのような国でも、適切な成長と社会福祉、文明的調和の同時的な達成を現実世界で達成できるだけ達成したかもしれません。パリやミュンヘン、ベルリンに行くと、これがまさに文明化された人々の暮らすスタイルだという感じがします。
だからといって世界体制が一つの全体として巨大で深刻な不平等の体制でないというわけではありません。ですが、ドイツではそのような深刻な不平等が目につきません。一方、アメリカにはいたるところでそのような不平等が目撃できます。大部分の白人が行くこともはばかるサウスサイド(South Side)にシカゴ大学が位置しているという意味で、私もそのような深刻な不平等を生活の中で体験しています。韓国やドイツ、フランスではそのような状況が見られません。そのような意味でアメリカは後進的で、アメリカの指導者が市場という解決策にとらわれすぎたせいで、数百万の人々の生計が危ういものとなりました。ですが、アメリカはある意味で世界体制の縮小版です。その点で資本主義は処方を出せずにいます。
白楽晴 もはや新自由主義が何らの処方も提示できないという点は、疑問の余地がないと思います。ですが、資本主義世界体制をきわめて長期的な観点から見るならば、新自由主義はある意味で不平等や貧困などの問題を解決できない、資本主義の根本的な無能力に対する論理的な反応だと言えます。いずれにせよすべての人々のために問題を解決することはできないのですから……。
カミングス むしろ一部の人だけのために問題を解決しようという……。
白楽晴 まさにそうです。そのうえそれさえあらゆるバブルを作り出さずにはいられないのです。この問題は利潤率低下に対するマルクスの考えを想起させます。このすべてのバブル、つまりこれは表面的にはウォールストリート(WallStreet)の信用危機がメインストリート(MainStreet)、つまり実体経済にまで到逹し、現在の経済問題を引き起こしたのですが、金融危機の背後には実際に利潤率の低下があるかもしれません。経済がうまくいくためには絶えずバブルが要求されますが、バブルはいつかはじけるものと決まっています。だからといって私がその古い方式で……。
カミングス ポランニーが自らの著作の最後で示した処方は、世界的レベルの社会民主主義でした。そのような社民主義は富を創造するだけでなく、再分配できるガバナンスの地球的メカニズム、一種の世界政府を意味します。先生と私はそれが今日の体制よりはるかに優れた体制であるという点に同意できると思います。私たちはともにこの世で相当の期間を生きてきた人間として、不平等の問題に対する数多くの解法が試みられ、なかでもいくつかは不幸にも失敗した、そのような世界に暮らしているという事実を悟ることが重要だと思います。確かに社会主義とソ連の崩壊は、ある種の進歩的な解法があると信じた私たちにとって衝撃でした。それが多くの問題に対する解答でなかったことが明らかになったからです。不平等の問題を解決しようとするその巨大な試みは本質的に失敗しました。また世界的規模の不平等に関する限り、調節されたニューディールであれ、それに続いた1990年代の新自由主義であれ、資本主義的な試みも失敗に帰しました。市場は統制・調節される時、財やサービスを分配すると思います。したがって民主政治、調節された市場、再分配プログラムのためのある種の機制が存在するべきなのですが、アメリカにおいて達成がかなり困難なのが、まさに再分配プログラムです。
白楽晴 資本主義の問題解決に失敗した試みに対する先生のお話しに同意します。ですから私は、資本主義の総体的危機において、革命や社会主義社会の建設などが自動的に導き出されるような、古いスタイルのモデルに戻ろうというわけではないと言おうとしていたところでした。先生はラテンアメリカをポランニーの企画と類似したものを建設するための地域運動、あるいは一群の地域内個別国家運動の一例として言及されました。個人的に私はそれらの諸国が新自由主義に対する一貫した代案を提示できるかを、大きな関心を持って見守っています。そしてそのような場合、それが既存の社会民主主義の一変種になるのか、それとももっと根本的に新しいものだろうか、気になったりします。では、そろそろ、もしかしたら世界にある種の新しく意味ある代案を提供できる、東アジアの具体的な危機対応可能性に焦点を移してみましょうか。
東アジアの展望と韓国市民社会の役割
カミングス 大規模な福祉体制を備えましたが、自民党と政府の指導力がともに貧困な日本は、1990年代を通じてそのような問題を扱いました。彼らは経済を再稼動させるために多様な対症療法を試みましたが、いずれも成功しませんでした。今日、私たちが直面しているのと類似した状況、すなわちデフレーション、不動産価格の暴落危機、崩壊した住宅担保貸出などの状況で、日本は10年が経過した現在でも問題を解決できていません。何のことかと言うと、日本経済は現在なんとか大丈夫な状態でいます。2009年にはマイナス成長をしますが、あちこちで健闘しています。ですが、臨時の方便のような処置(tinkering)は、危機に対して日本が示している東アジア的な対応の一例です。
私が見るところ、中国はこれまでの30年間、2ケタ成長に慣れていたはずですから、どのような対応をするかもっとも予測困難です。中国はあらゆる新しい人材を受け入れて、求職市場で毎年新たに生じる人々に働き口を提供するために、8%ほどの成長を達成しなければなりません。ですから中国の成長率が3~4%に落ちれば、おびただしい失業と社会不安が発生するのです。
韓国の場合、李明博大統領は2009年に3%成長を主張しています。李明博政権は危機に対する対応において、日本のようにあちこち応急処置をする、比較的こまかいことを試みると思います。北朝鮮の政治経済は、自力更生と世界経済からの相対的離脱を通じて、このような危機に対応するように仕向けられたと言えますが、この時点で北朝鮮はどの国にとっても一つのモデルであるとは言えません。
危機にどのように対応するのかという観点から見れば、アメリカはもっとも興味深い国です。何よりもアメリカは問題の根源にあり、オバマ政権がどのように対処するかは、おそらく他の国々が危機にどのように対応するかを示す、いい指標になるでしょう。もちろん私はオバマがどのように問題を解決するかわかりません。確かに彼にとってはケインズが核心的な人物であり、ポランニーは不幸にもそうではないという先生のお話しは当たっていると思います。私は危機を通じて、人々が、市場は規制されるべきだという点と、誰かが金持ちになろうとすれば、私たちの中でもっとも貧困な人々も支援されるべきだという点を新たに認識することになるという意味で、今回の危機が1930年代の危機のようなものになることを心より希望しています。
先生が言及した利潤率低下の問題はとても興味深いです。アメリカで私たちはこちらのバブルからあちらのバブルへと移動していたようなものです。1990年代後半のシリコンバレーのバブルから不動産バブル、そのうち現在は必ずしもバブルとは言えない、はじけてしまったバブルである信用危機などです。私はそのうちのどれも調節資本主義の経済においてならば必ず起きたであろうか疑問です。つまりいつもバブルに向けて事態を追いやる資本主義の傾向は、アメリカの場合、間違いない事実ですが、他の先進経済にはそのまま符合するものではありません。ブレア(T.Blair)やサッチャー(M.Thatcher)の時代のイギリスでもそれと同一の傾向がありましたが、適切な規制と、はなはだしくは一種の利潤上限ラインやバブル経済で金儲けが上手な人々の、大きな富を徴収できる税金制度などを通じて、そのような傾向を制御できると思います。ある人々は、これを共産主義的な発想だと言いますが、そうではありません。レーガン時代以前でもアメリカの最高税率は約90%でした。ですからもし1000万ドル儲けたら、税金を差し引いて残るのは100万ドルです。これは共産主義でも社会主義的な発想でもありません。それはただ富を再分配する一つのやり方にすぎません。
白楽晴 同感です。利潤率下落について言うならば、それはもちろんあれこれの局地的な事例であるというよりは、全地球的な資本自体に適用できる、きわめて抽象度の高い学説です。ですがこれは私にはかなり難しい分野なので、東アジアの問題の方に戻りましょう。韓国政府の場合、日本式モデルの応急処置的な改革だけを模倣しても、私たちは充分に幸せだと申し上げたいです(笑)。それはとにかく最低限政府が肯定的な何かをするだろうからです。私の考えでは、韓国の市民社会がもう一度動き、この政権にどうにかして歯止めをかけない限り、彼らは応急処置では満足しないでしょう。全速力で逆走行をしようとすると思います。
カミングス それは李明博大統領が別の世の中に住んでいることを示すもう一つの例になります。
白楽晴 そしてそれは彼が私たちの民主主義の深化のために貢献するもう一つの道になるでしょう(笑)。
カミングス ならば不幸の中の幸いです(笑)。
白楽晴 そうですね。東アジアについて言うならば、二つの相反する展望があると思います。一つは東アジア経済が異なる地域、または最低限アメリカよりはうまくやるだろうという主張です。多くの分野でファンダメンタルが堅実で、たとえば日本が、また日本とは少し異なる方式ですが、1997年の金融危機以降の韓国も、そのような問題をこれまで15年ほどの間に対応してきたというものです。また中国と日本には現金が多く、そのような現金は不景気の時により力を発揮します。ですから、その点が東北アジア地域に有利に作用するだろうことは明らかだというものです。他の一つは東北アジア経済があまりにも輸出志向的なために他の地域経済より大変だろうという見解です。
カミングス ですが、日本と韓国、中国は共通の問題を抱えていると思います。アメリカ人が購買せず、したがってアメリカの消費者の消費が確かにこの国々の輸出に影響を及ぼすだろうからです。トヨタもアメリカ人の自動車購買忌避のために打撃を受けています。ですが、アメリカ市場の景気下落にもっとも弱いのは中国です。さきほどお話ししましたように、中国は8~10%の成長を達成しなければならないからです。
アメリカで善戦している会社が一つあるとすれば、それはウォルマートです。アメリカ人がクリスマスプレゼントを買うために有名デパートから割引店のウォルマートに移っているからです。アメリカに輸出される中国商品の8分の1ほどはウォルマートの中国支社から送られるものですが、それが中国の輸出を支える一つのメカニズムです。韓国の場合、銀行が国際金融体制の「ウイルス」に日本よりも多くさらされていますが、私が見るところ、知識産業がきわめて活発でうまくいっているので、そのような基盤のない数多くの他の国々よりも相対的にましです。
白楽晴 東北アジアの国々が現在の経済危機においてあまり打撃がないと言う時、それはもう一つの問題を引き起こし得ます。人々が新たな解決策を本当に真剣に考えず、ただ嵐を避けながら古きよき時代が戻ってくることだけを待つこともあるということです。
カミングス 私は日本ではそのようになると確信します。日本は方向舵のない国です。日本の首相は毎回変わり、就任すればすぐに人気がなくなるうえ、1年余り在任するだけです。現在、麻生首相はかなり人気がありません。政治的指導力の危機に直面しているわけですが、その最初は、自分たちが何をしているかに対する感覚を喪失した1990年頃にさかのぼります。ですから、経済政策を応急処置して首相の交代を繰り返す公算が大きいと思います。日本は必要な構造調整や改革を行えそうにありません。
白楽晴 私はこの構図において韓国を核心的な変数と考えます。第一に、すでに申し上げたように、私たちがある意味で規制緩和や金持ちのための減税政策など、古いやり方にこだわる大統領を選びましたが、まさにその点が市民社会や野党にとっては、がんばってそのような愚かな行動を制御しようと努力を傾けるでしょうから。
カミングス そのようなことは、日本よりも韓国で起きる公算が大きいですね。
白楽晴 そうです。私はそのようなことが韓国で起きると希望し、また期待しています。そして、もし下からの抵抗が政府の政策転換を引き出すことに成功したならば、それは大統領が数人のケインズ主義の助言者の言葉を自発的に聞き、応急処置的な処方を採択するより根本的に事態を省察させる契機になるでしょう。
もう一つ、私たちだけの独特の要因は南北関係です。今は膠着状態ですが、関係が再開されれば、かなり発展した資本主義経済ときわめて異なる経済を総合する協同的なプロジェクトを進めることができます。それでもってあらゆる新しい機会を作り出す創意的なプロジェクトが必要になるでしょうし、そうなれば韓国内部で革新や創造的思考のための空間も拡張されるでしょう。
カミングス その作業を、私たちがさきほど議論した、第2次首脳会談の合意に戻ることから始めるべきでしょう。李明博政権は自らの政策を修正せざるを得ません。もうかなり孤立しています。誰も六者協議で韓国の発言に耳を傾けません。韓国は日本と同調する傾向がありますが、日本は六者協議で疏外されています。ですから、私は確かにそうだろうと思いますが、もしオバマが六者協議を支持し、彼の補佐官らも六者協議で東北アジアの安全を導く、ある種のメカニズムを準備する方向に進めば、李明博政権も変化しなければならないでしょうし、そのようなプログラムを受け入れざるを得ないと思います。
白楽晴 私は個人的に、李明博政権が自ら進んで変わるだろうという希望をはなから諦めました。ですから……。
カミングス ですから、彼が変わるように外部で強制しなければなりません。
白楽晴 国外で、そして国内、政府の外でです。また私たちは、アメリカ政府と韓国市民の間に、以前とは異なる種類の連帯を想像することができます。以前は韓国内部での改革運動や北朝鮮に対する和解を阻んできた韓国内の保守勢力とブッシュ政権の連帯でした。これからは、変化のために、アメリカ国内のオバマやその支持者と韓国市民社会の民主改革勢力との間の連合や連帯が必要な時代になってきています。
カミングス 私はそのようなことがいずれ起こるだろうと思います。
白楽晴 そのような希望を抱きながら、この辺りで対談を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。(*)
※ この対談は2008年12月17日に細橋(セギョ)研究所でおこなわれた。英語で進められたこの対話の記録は、邊在美(ピョン・ジェミー)氏が作成し、二人の対談者の確認を経た後、柳煕錫(ユ・ヒソク)全南大教授が韓国語に翻訳した。誌面の都合上、翻訳の過程で少し縮約した。英文の対談全文はチャンビ英文ホームページ(www.changbi.com/english)で見ることができる。©チャンビ2009
季刊 創作と批評 2009年 春号(通卷143号)
2009年 3月1日 発行
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