特集│東アジア地域間協力体制の推進を主唱する
翰林国際大学院大学国際学科教授。著書に『グローバル化時代の国内政治と国際政治経済』、共著に『政府改革の五つの方向』『グローバル化と韓国の改革課題』などがある。
1.新自由主義の覇権体制のひとつの代案
アメリカ発の金融危機を契機にここ30年間猛威をふるってきたアメリカ主導の新自由主義的グローバル化にもはや勢いはないという認識が、グローバル社会に広がっている。そうして(これまで行われてきた)次の二つの議論に対する国際社会の関心が改めて高まっている。ひとつは「資本主義の多様性(varieties of capitalism)」に関するもので、もう一つは「覇権体制以後の国際協力」に関するものである。
「資本主義の多様性」論によれば、各国の「生産レジーム(production regimes)」はそれを構成する労使関係、職業訓練および雇用体系、企業支配構造、金融体系、企業間関係など諸々の制度が歴史的にどのように発展してきているのか、そしてどのような調整メカニズムによって機能するのかによって異なるPeter A. Hall and David Soskice, “An Introduction to Varieties of Capitalism”, P.A. Hall and D. Soskice, eds., Varieties of Capitalism: The Institutional Foundations of Comparative Advantage, Oxford Univ. Press 2001.。したがって、厳密にいえば生産レジーム、すなわち資本主義の性格は国ごとにそれぞれ違っているのである。ただ、類型化は可能であり、たとえば最も代表的なのは英米型と呼ばれる「自由市場経済 (liberalmarketeconomy)」とヨーロッパ型の「調整市場経済 (coordinated market economy)」であるDavidSoskice,“DivergentProductionRegimes:Coordinatedand Uncoordinated Market Economies in Contemporary Capitalism”, H. Kitschelt, P.Lange, G.Marks, and J.D. Stephens,eds.,Continuityand Change in Contemporary Capitalism, Cambridge Univ. Press 1999. この二大類型を初めて提示したソスキスが自由市場経済を英米型だと呼んだ時のイギリスとアメリカの資本主義は、第二次世界大戦以後から1970年代初めまで全盛期を謳歌したケインズ主義モデルの資本主義ではないことはもちろんである。彼の言う英米型自由市場経済の典型は1970年代末以後イギリスとアメリカを支配してきた新自由主義体制だといえるだろう。。「資本主義の多様性」論者の多くはアメリカ発の金融危機が、市場の自由すなわち市場参与者間の自律調整を強調するアメリカ式自由市場経済の危機を意味するとみなす。彼らは、(アメリカも含めて)これまで自由市場経済を志向してきた諸国家は今やその代案を国家や社会による市場介入と調整を重視する調整市場経済に見出すべき時であると主張する。「社会主義市場経済」を代案として提起する者もいる。また、そこからさらに進めて、この際資本主義的要素を完全に克服しうる全く新しい経済体制を模索しようという者もいる。
覇権体制以後の国際協力問題は、1970年代中盤以降、特に1980年代後半までのあいだ、非常に活発になされた議論であるこれに関する代表的な研究としては以下のものがある。RobertKeohane,After Hegemony: Cooperation and Discord in the World Political Economy, Princeton Univ. Press 1984; Duncan Snidal, “Limits of Hegemonic Stability Theory,” International Organization, vol.39, 1985; Kenneth Oye,ed., Cooperation under Anarchy, Princeton Univ. Press 1986.。1970年代初めのベトナムからの米軍撤収とブレトンウッズ体制の崩壊などは、アメリカの覇権の没落の兆候と解釈され、その中で世界的に覇権不在の状況で国際協力をどのようになし、世界秩序を安定して維持していくことができるのかが思案され始めた。これまでこれに対する解法は大きく分けて次の3つに要約されてきたといえる。新自由主義的制度論(neo-liberalinstitutionalism)国際政治学における新自由主義は、経済理念としてのそれとは全く異なる概念である。国家を自国の利益極大化を目標にする合理的行為者として捉えたとしても、それらの間の国際協力はいくらでも可能だという主張を、新自由主義論という。と集団指導体制論(collective leadership theory)、そして地域間協力体制論(inter-regional cooperation theory)である。前者2つの代案は、国際協力体制の形成と維持を可能にしてきた単一覇権国家の主導的役割を、国際機構やレジームの強化あるいは少数の強大国間のリーダーシップの分担で代替できるとするものである。今回の危機の発生後に提起された新ブレトンウッズ体制の形成や、G2、G8あるいはG20の強化の必要性などは、すべてこれと同じコンテクストから出てきた代案であるといえる。
他方、地域間協力体制は、一次的にはグローバルなレベルではなく地域レベルでの解法の模索を促す。これは、今すぐグローバルな国際協力をなすことが非常に難しいためであるが、その根本的な理由はそのような協力に参与する国家アクターの数があまりに多いところにある。実際、オルソン(M.Olson)のテーゼのとおり、集団内のアクター数が多くなるほど、そこではフリーライダーの誘因が強くなり、したがって集団行動の問題は深刻になるのが常であるMancur Olson, The Logic of Collective Action: Public Goods and the Theory of Groups, Harvard Univ. Press 1965.。しかしEUやNAFTAなどに見られるように、各地域内の隣接国家が「域内」協力体系を形成することは比較的容易である。域内国家の数は限定されているからである。地域間協力体制論者らは、グローバルな次元の最終的な解法が、国家体制がこのような「地域下部体制」を中心に改編されていくことで少しずつ完成されると考えている。国家よりは地域協力体が世界の政治経済の主なアクターとして浮上し始めると、この「地域アクター」は今や常に存在するグローバルなレベルでの協力の必要性に合わせるために、「地域間」協力体制の構築に力を入れるようになる。ところで、この地域間協力体制の構築は、域内協力体制と同じく、アクター数が多くない小集団の協力問題である。全世界の地域協力体制を挙げたところで、少数に過ぎないからである。結局、それほど難しくない協力作業である、ということだ。これが「地域間主義(inter-regionalism)」によるグローバル協力体制の漸進的構築こそが現実味をもった代案である、という主張の核心的な根拠である。さらに詳しい説明は、拙稿「日本の浮上と国際公共財に関する考察――東アジア弱小国の視角から」『平和論叢』4巻1号。
本稿では、上記二つの議論から導出可能な(アメリカ中心の新自由主義覇権体制に対する)代案体制の一つを提示する。第2章で簡単に説明するが、それは各自がそれぞれ異なる資本主義の類型をもった少数の地域協力体の間に形成されるグローバル経済協力体制である。すなわち、資本主義の多様性が地域別に最大限反映される地域間協力体制の構築が、ひとつの代案となりうるということである。
考えるに、進歩の価値の核心が弱者への配慮にあるとするなら、この代案こそ先に言及した覇権体制以後の3つの代案のうち、最も進歩的なものとなろう。集団指導国の中心となる場合はもちろん、国際機構を通じた国際協力体制もまた、少数の強大国の利益のためだけに運営される可能性が高い。国際機構の主導権は実質的に少数の強大国によって占められており、それは結局、非加盟国あるいは非寄与国に分類される大部分の弱小国を国際協力体制の利益分配過程から疎外するものであるからだ。しかし、地域間協力体制は弱小国であれ一旦その地域協力体制に参与すれば、それらすべてをグローバル協力体の同等なメンバーとする。たとえばベトナムを考えてみよう。ベトナムが集団指導体制を直接的に構成するとか、世界的国際機構の主導国として浮上するといった可能性は非常に薄い。しかしグローバル協力体制が地域間協力体制へと発展したものであれば、ベトナムはこの体制の参与国としてそれに見合う権利や恩恵を享受できるようになる。その国は東アジア地域協力体のメンバーであろうし、東アジア地域協力体は地域間協力体制の主要な主体たりうるからである。
これは、実際にベトナムのみではなく韓国をはじめとするほとんど全ての東アジア諸国に同じく適用される。東アジア地域協力体がEUやNAFTAなどとともに地域間協力体制を構築するなら、その地域協力体のメンバーである東アジアの弱小諸国はすべて世界体制の堂々たるメンバー国として、グローバルなレベルの協力過程に参与し、そこから湧き出るあらゆる利益を同時に、そして余すところなく享受することが可能になる。ところで、東アジアに有利なこの地域間体制の発展に大きな期待を寄せにくい要因のうちの一つが、まさに東アジア自体の地域協力体が発達していないという状況だった。興味深い点は、アメリカ発の金融危機がこの「東アジア問題」を解消する契機になりうるという事実である。もちろん、そのためには東アジア諸国の問題解消への意志と努力もまた重要だ。第3章ではこれについての議論を詳細に扱い、第4章では地域間協力体制の構築過程における韓国の寄与の可能性と限界を論じる。
2.資本主義の多様性と地域間協力体制
地域間協力体制の主体となる地域アクターの成長はもうずいぶん前から始まったことである。たとえその制度化あるいは「行為者的性格(アクター的性格)」(actorness)を備えている程度はまだEUに及ぶべくもないが、北米、東南アジア、中東、南アフリカ、中南米など、世界のほとんどすべての地域で、多くの国が各自の地域協力体を発展させてきたここで言う「アクター的性格」(以下「アクター性」)とは、特定の地域協力体が持っているグローバル政治経済の一行為者としての要件と資格を意味する。一般的にそれは当該メンバー国の(協力体への)権限の委任などを含む地域協力体の制度化レベルに比例して強化されると言える。。NAFTA、ASEAN、南米共同市場(MerCoSur)、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)など、比較的よく知られた地域アクターのほかにも、南米国家連合(SACN)、湾岸協力会議(GCC)、南ア関税同盟(SACU)、南アジア地域協力連合(SAARC)など、いたる所で奮闘している。地域主義あるいは地域経済統合は、すでに世界的な趨勢となっているのである。
ここで特に注目したいのは、経済統合の制度収斂効果である。地域経済統合は域内諸国間の商品、サービス、技術、資本などの流れと移動を自由にする。経済統合が深まるほどこの移動性は増大する。資本を例にとるなら、経済統合の深化過程とは、すなわち資本の移動の自由を阻害する各種障壁の除去を意味する。もしある国家の金融政策が域内の資本フローを阻害すれば、経済統合の深化過程でその国はそのような政策を他の域内国家の政策と両立可能になるように収斂させることを要求されることになる。一種の障壁除去というわけだ。そのように除去されていく障壁には、一国の政策だけではなく制度や規範そして究極的には社会経済体制までも含まれる。結局、地域経済統合は域内諸国間の制度および体制の収斂をもたらすというわけである。とすれば、EUやNAFTAなど、かなりの経済統合を成した地域協力体のメンバー国が互いに似通った資本主義の類型を共有するようになることも、自然な帰結だろう。
このような二つの事実、すなわち地域経済統合は世界的な流れであり、その統合は域内諸国間の制度収斂過程を内包するという事実は、現在、このグローバル社会の各地域にそれぞれの資本主義の類型を形成していく地域協力体が登場していることを意味する。たとえば北米のNAFTAはアメリカ型自由市場経済、ヨーロッパのEUはヨーロッパ型調整市場経済、そして南米のSACNは南米型調整市場経済や社会主義市場経済体制を発展させていき、それぞれ一つの地域アクターとして浮上している。このような現象が他の地域へと広がり続ければ、ついには国家よりも地域協力体がグローバル政治経済の主なアクターとなる地域間主義あるいは地域間体制時代が到来するだろう。そのような時代には当然グローバルな協力の問題は、互いに異なる市場経済体制をもつ(国家間ではなく)地域アクター間、すなわち(国際ではなく)「域際」レベルで扱われる。グローバル経済協力体制は地域間主義あるいは域際主義によって形成されるだろうということだ。多様な性格の地域資本主義あるいは地域市場経済体制間で形成されるこの地域間協力体制は、時の経過とともに徐々に地域間経済統合過程を経て、それによる地域間制度収斂効果によって最終的には単一のグローバル経済体制へと発展する可能性がある。もちろん、現在としてはそのグローバル経済体制がいかなる形態になるのか予想しがたい。資本主義の一類型でもありうるし、資本主義を超えた全く新しい経済体制であるかもしれない。
実際、地域間協力体制の胎動はすでに可視化された状態である。地域アクターの形成および拡散と同じく、それを主導していた勢力もEUである。EUは自らの地域主義の成熟を背景に他地域との協力関係構築を模索してきており、南米や南アフリカ地域機構との地域間協力関係は、すでにかなりの水準に達している。南米諸国とは1995年以後にEMIFCA(EU-MercosurInter-regional Framework for Cooperation Agreement)を通じて、そしてアフリカ諸国とは2000年コトヌー協定(Cotonou Partnership Agreement)を結んで、地域間協力関係を発展させている。東アジアのASEAN+3との定例会であるアジア欧州会合(ASEM)も10年以上開催し続けている。北米との地域間関係形成のためにも持続的な努力を傾けている。そのほかにもEUが主導する地域間FTAにはEU−ASEAN、EU−湾岸協力会議、EU−南米共同市場などがある。湾岸協力会議や南ア関税同盟など制度化がかなりの水準に達したその他地域協力体も、地域間協力体構築のために各自努力している。それらはそれぞれ南米共同市場およびヨーロッパ自由貿易連合と地域間FTAを結んでいる。一方、このような地域間協力枠組みよりもかなり緩やかではあるが、東アジアと中南米地域の間にも東アジア−ラテンアメリカ協力フォーラム(FEALAC)という協力枠組みが存在する。
もちろんこのように形成されているさまざまな地域間協力枠組みが発展を重ねて(ある時点で互いに制度的に堅く連携されて)、最終的に一つのグローバル協力体制を形成するためには、今後とも幾多の条件が満たされねばならない。その中でもおそらく最も鍵をにぎる条件は、東アジアがかなりの程度の地域アクター性を確保することだろう。東アジアはヨーロッパおよび北米とともに世界経済の3大軸をなす主要地域である。したがって、東アジアの参加なしに意味ある地域間経済協力体制の形成を期待することはできない。しかし、東アジアの経済協力体の発展状況は、他の二地域と比べるべくもなく立ち後れている。
1997年の東アジア経済危機をきっかけとして域内諸国がASEAN+3の名のもとに集まり地域主義の発展を図ったりもしたが、共同の危機意識が薄くなったことで、その動きは長続きせず動力を失って漂流していった。結局、現在も東アジアはいかなる意味と水準で見ても、決して地域アクターとして認められない状態にある。このことは、東アジアの状態が今のまま持続すれば、地域間主義によるグローバル協力体制の構築を期待するのは困難だということを意味してもいる。
ところで、東アジア地域主義がこのように停滞状況にあるなかで、その発展を改めて刺激するに値する事件が起こった。アメリカ発金融危機である。1997年のアジア経済危機が最初の刺激だったとすれば、2008年のアメリカ発危機は二度目の刺激として記録されるかもしれない。はたして、それほどのものなのか、そして、そうだとすればその影響はどれほどのものなのか。次章で検討してみよう。
3.アメリカ発金融危機と東アジア地域主義発展の展望
太平洋収支均衡関係の危機
アメリカという変数が東アジアに与える影響力を検討するためには、まず両者の関係を明らかにする必要がある。本稿の文脈からすれば、その関係は「太平洋収支均衡」(transpacific balance)という概念で最も正確に表現される。一言でいえば、双子の赤字を抱えるアメリカ経済と東アジアの輸出志向経済の間に均衡が維持される状態を意味するバリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)、朴馥永訳『グローバル不均衡』、ミジブックス、2008年。。輸出主導の成長戦略に依存してきた韓・中・日を含む東アジア諸国は、これまで対米輸出で稼いだ莫大なドルを米国債の買い取りなどドル資産の保有拡大、すなわち「ドル吸収」に注いできた。そうすることで自分たちの最も重要な輸出市場であるアメリカの通貨価値が下落しないように(すなわち自国通貨が平価切上げされないように)して、対米輸出における好条件を維持しようとしたのである。一方、アメリカは東アジアのドル資産買い取りのおかげで還流するドルによって自国の慢性的な財政赤字と経常赤字を持続的に保ちながら、巨大な消費経済を享受してきた。結局、この均衡関係によって東アジアは対米輸出に依存して高度成長を続けることができ、アメリカとのこのような関係に浸りっきりで東アジア独自の地域主義の発展には関心が低かったと考えられる。
ところでアメリカ発の金融危機はこの太平洋収支均衡関係さえ危機に追いこむ可能性がかなりある。特に次の二つの理由から、そうだといえる。一つは東アジア諸国が自分たちだけの努力でドルの下落を止めることは難しいとの判断もできる状況だからである。実際、アメリカ発金融危機は、それだけもってしても米ドルの信頼度の下落要因になる。それはすでに始まっていたブリックス(BRICs)や東アジア新興市場諸国のユーロ化など、ドル以外の通貨使用の増加傾向に拍車をかけているそうでなくても、ここ10年あまりの間、ドルはユーロなど他の主要通貨に対して弱さを見せてきた。これに加えて、ユーロ資産を取引する大規模市場が形成され、その魅力が特に新興市場の中央銀行間で増しているのが実際のところである(同上、66頁)。さらに、中南米諸国のドル回避はずいぶん前から現われていた。一方、日本に引き続き中国や韓国もドル依存度を減らすために自国通貨の国際化政策をさらに推進するか、またはその構想中にある。特にアメリカ発金融危機以後、中国政府は多様な方途を動員して人民元の国際化を本格的に推進している。。たとえば、中国とロシアはアメリカ発金融危機発生直後の2008年10月末、ドルの基軸通貨体制に異議を申し立てて二国間貿易でドルの代わりに人民元とルーブルでの決済を推進することに合意した。同時期に南米共同市場諸国もメンバー国間での貿易取引でドル決済を減らし、域内通貨決済を増やす案を協議した。一方、11月にヨーロッパの主導で開かれたG20会議では、各国首脳がドルの基軸通貨としての地位に深刻な疑問を提起した。これ以上ドルを信頼することは難しいというのである。2009年4月に再開されるG20首脳会議では、ドルの役割の縮小や他の代替通貨を基軸通貨にしようという内容も含まれうる新ブレトンウッズ体制発足に対する論議が本格化する見込みだ。
何より留意すべきは危機克服のための米政府の大規模な公的資金投入と流動性の過剰供給である。これが中長期的にドルの下落あるいは少なくともドル価値維持の不確実性につながることは明らかだ。もちろん、危機時には安全資産が好まれるという現象によって短期的にはドルが強気を見せることもありうるが、アメリカ経済が沈滞し続けるかぎり、それは長続きしないであろう。
これら多くの要因によっていよいよドルの下落が可視化すれば、すでに自分たちの準備金を多様な通貨に分散しようとする誘引と能力を十分に持っている、たとえばロシアや南米諸国は、徐々にドルを清算していくだろう同上、118頁。。保有資産の価値下落をそのままにしてはいられないだろうからだ。このように域外諸国が外貨保有高においてドル清算を拡大し始めれば、東アジア諸国も自分たちだけのドル吸収努力だけでは、ドル価値下落を抑制できないと判断するであろうし、その場合、それらもドル清算の隊列に並ぶことになるだろう。これは太平洋収支均衡関係の崩壊を意味する。
太平洋収支均衡関係の危うさを予期させるもう一つの理由は、アメリカの金融および実物経済の危機が長期化すると、アメリカの消費経済は(自分たちのドル吸収努力とは関係なく)どのみち萎縮するという認識が、東アジア諸国の間に浸透しうるからである。実際に韓・中・日を含む東アジア諸国の大部分は、危機が起こって幾ばくもしないうちに深刻な輸出減少に直面している。かといって株価暴落などによるアメリカの消費需要の減少が短期間で増加に転じる気配があるわけでもない。多くの経済アナリストが、アメリカの消費経済の沈滞はかなりの間持続すると診断する。たとえある時点で金融危機が克服されるとしても、今後アメリカの民間消費がかつてのように巨大な規模になることは構造的に難しいことが予想される。危機克服の過程で双子の赤字の減少などを目標にするアメリカ経済の構造調整は、不可避であろうからだ。
だとすれば、どのみち縮小するアメリカ市場のためにかなりの機会費用を要するドル吸収努力を、なぜ(過去と同じくらい)続けねばならないのかという疑問が提起されるのも当然である。東アジア諸国としては、今やそのような努力よりもアメリカに取って代わる安定した輸出空間を確保するために努力するほうが賢明であろう。そうでなくても東アジアの対米輸出不振はずいぶん前から観察されてきた現象である。東アジアの最大市場はすでにアメリカではなく、まさに域内市場、東アジアである。伝統的な対域外市場輸出主導型成長戦略はもはや限界に達しているという分析が、東アジア内外でかなりの共感を得てもいる朴繁洵「東アジアの経済協力――中国の役割と限界」『SERI経済フォーカス』、2008年11月3日。。そして実際に、すでに相当多くの東アジア諸国が、自国通貨の低評価政策に基づいた輸出主導成長モデルから徐々に脱しようとしているアイケングリン、前掲書、121頁。。東アジア最大の対米輸出国である中国もまた、そのうちの一つである。中国は現在、緩やかな人民元平価切上げおよび内需市場拡大のために多様な措置を講じている。このような傾向は徐々に東アジア全体に広がるであろうし、これは結局、太平洋収支均衡関係の効用減少論あるいは無用論につながる可能性が大きい。
東アジア金融通貨協力
このように東アジアとアメリカとの均衡関係が揺るぎ始めれば、東アジア諸国間の域内協力強化の必要性は刻々と高まるだろう。大別して三つの領域での協力強化が予想されるが、第一は断然、金融通貨協力である。ドル価値の持続的下落が予想され、東アジア諸国が結局ドルから離脱していくことになれば、それらはユーロなどの代案的準備資産に移動するか、東アジア債券市場の発展を図ることなどによって、外貨準備金の相当部分を域内通貨表示資産に代替していくことができる。域内債券市場の活性化によって域内通貨を基軸とした外債発行を可能にすることで、東アジア諸国のドル依存度は低まる。最近になって2003年に東アジア債券市場造成のためにASEAN+3財務大臣会議で合意した「アジア債券市場育成イニシアチブ」(ABMI)を具体化しようという声が高まりを見せている背景である。
その他にも、これを契機にドルに対する脆弱性を克服し、国際金融市場の衝撃から地域経済を守る安全装置を用意せねばならないという地域内の認識が強化されたことで、多様な金融通貨協力案が提示されている。まずASEAN+3諸国は外貨危機再発防止のための流動性協力として8百億ドル規模の「チェンマイイニシアチブ」(CMI)マルチ化共同基金を2009年上半期までに造成することで合意した。一部ではCMIのやり方では現在のようなグローバル金融危機に対処しきれないと言われており、東アジアの膨大な外貨保有高を域内で使うことができるアジア通貨基金(AMF)創設の議論を再開しようという主張が噴出している。これは、アメリカはもちろんのことIMFからの自律性の増大が東アジアの地域アクター性の確保のための必須要件であるという認識にもとづいた主張でもある。
流動性協力を越えて、もう少し長期的には、外貨保有の必要性自体を減らすための東アジア単一通貨の導入が模索されるべきとする意見も、いつになく強く主張されている金必憲『東アジア地域の金融統合論議――現況と示唆点』、韓国経済研究院、2008年、34頁。アメリカ発金融危機以後の通貨統合の動きは他地域でも活発になっている。南米諸国は「南米銀行体制」を構築して地域共同貨幤を発行するべく協議を本格化させ、中東の湾岸協力会議メンバー6カ国は2010年に地域単一通貨を発行することで合意した。14)。ただ、現実的により大きな関心を引いている提案は、地域通貨統合にはかなりの期間が必要となるので、その中間段階としてレートの安定のためにアジア通貨単位(ACU)のような共同通貨バスケットを形成しようという案である。EUのように通貨統合の道を歩んでいこうという主張であるが、これに対する地域内の議論は、今後、徐々に活発化することが予想されるもし東アジアの金融通貨協力が加速し、例えば早いうちにACUが形成され、それが遠からず地域通貨統合にまで行き着くなら、東アジアの経済統合はヨーロッパとは逆のかたちでなされたものとして歴史に記録されるだろう。通貨統合はすぐに実物経済の統合を牽引する効果を発揮するだろうからである。周知のようにEUは領域別市場統合の漸進的拡大など、実物経済の統合から始めて通貨統合に至るという手順を踏んだ。。
東アジア通商協力
二つめの協力領域は通商である。前述したとおり、東アジア諸国はアメリカの消費経済の萎縮が不可避だという事実に直面すれば、かつての域外市場中心の輸出主導成長戦略はいずれその有効性をさらに喪失していくという不安感を持つようになるだろう。それは長期的に見て、東アジア各国の内需拡大のための地域内協力につながる公算が大きい。言い換えれば、十分な域内市場創出のための共同の努力がなされうるということである。
アメリカに代わるほどの巨大消費経済を東アジアで新たにつくり出すためには、何よりかなりの潜在力を持ってはいるが未だその一部しか開発されていない中国と東南アジア、そして北朝鮮の民間消費市場を活性化することが重要となる。もちろん、それを成すためのカギは、その国の持続的な経済成長とその恩恵の均等分配をいかにして担保するのか、にある。たとえば、中国の経済成長にしたがって中国内部の格差問題も解決されれば中国の中産層は厚みを増し、発展の途にある地方の購買力も増加するはずであり、これは中国の消費財市場の拡大につながるだろう。これは東南アジアや北朝鮮でも同様である。とすれば、たとえば韓国と日本が中国と北朝鮮そして東南アジア諸国の経済成長と内部格差解消を後押しする場合、これはその諸国はもちろん、韓日両国にも役立つ東アジア消費経済の拡大という地域公共財創出効果を生み出すことになる。要するに、域内国家すべての持続成長と均等分配の達成は、地域レベルの共同通商課題として協力し推進するに値する仕事なのである。
ここで、東アジア諸国は福祉とセイフティーネットの拡充がもつ格差解消および内需拡大効果に、とりわけ注目する必要がある。高所得層と違って低所得層の可処分所得と消費は、セイフティーネットの強化と福祉向上に非常に敏感に応じて増加する。もしこれから東アジア諸国が、これまで太平洋収支均衡関係を維持するために使った(ドル吸収)費用を各国の福祉およびセイフティーネットの拡充に使うことで内部格差解消に力をつくすならば、これは域内内需市場の拡大に大きく寄与するだろう。一方、東アジア諸国間の国際格差解消も、各国の内部格差解消と同じく域内消費財市場を拡大する効果を発揮することになる。したがって、いわゆる「東アジア福祉社会」建設のための地域レベルの国際協力もまた、緊要な課題だといえる。このように考えれば、「格差解消のための努力は単に正義の問題ではなく金融危機に瀕した東アジア経済を安定させるために最も重要な共通の課題」に他ならない金子勝の発言、権台仙コラム「格差克服、東アジア共生の道」(『ハンギョレ』2008年11月9日)から再引用。。域内諸国の持続的な成長と均等分配を共同目標とするこのような地域通商協力が、東アジア自由貿易地帯(EAFTA)などの建設を通じて安定した制度枠組み内で体系的になされるなら、さらに効果的であろうことは言を俟たない。
東アジア制度収斂協力
域内協力の最後の領域は経済統合の制度収斂効果に関わる部分だ。先に考察したとおり、アメリカ発の金融危機を契機に域内諸国間の金融通貨および通商協力関係が強化されることは、すなわち地域経済統合の深化を意味する。経済統合が持続的に深まれば、そこではそれによる制度収斂効果を今後いかに扱うかという問題が現れる。いわば東アジアがいかなる制度、政策、規範などから成る資本主義あるいは市場経済の類型へと収斂・発展していくのかという問題の答えを見出さねばならないということだ。この問題は、地域間体制時代の到来が要求する東アジアの地域アクター性を確保するための努力とも密接に繋がってもいる。
まだ未熟な分野であるとの認識のせいか、この問題に関する先行研究はほとんど存在しないようであるここでラモ(J. Ramo)が提示した北京コンセンサスを東アジア市場経済類型の未来言説と認めるか否かという論点に対しては、問題提起もあるだろう。しかし詳細に検討すると、北京コンセンサスはただ中国型社会主義市場経済の発展経験を簡略に要約しただけのものであり、域内諸国の収斂可能性やそれに対する普遍的適用可能性を念頭に置いて作成された東アジア型発展モデルだとは言い難い。北京コンセンサスの内容については Joshua Cooper Ramo,“The Beijing Consensus,” The Foreign Policy Centre 2004. そしてこれに対する批評は趙英男「中国のソフトパワーと外交的含意」(孫洌編『魅力で織りなす東アジア』 知識の庭、2007年)を参照。。知られたところでは、韓国や日本などで何人かの学者が現在この研究を進めているくらいである。非常に重要な課題であるだけに、ここには今後さらに多くの人材と時間を投資して地域全体を視野に入れた現実的代案を具体化していかねばならないだろう。現在としては、ただ域内諸国間で合意可能ないくつかの基本原則を想定できるだけである。それはたとえば次のようなものだ。
第一に、先に触れた二大類型論にしたがえば、東アジアの資本主義の類型は調整市場経済体制でなければならない。アメリカ発の金融危機によってグローバル社会全体が新自由主義やアメリカ型自由市場経済体制への代案を模索している時であるだけに、これに対する合意はそれほど難しくないだろう。第二に、東アジア型調整市場経済体制は、何より格差問題の解決に有効な体制でなければならない。東アジアは共同体志向の歴史と文化・伝統の強い地域である。域内のほとんどの国は格差容認度が高くなりえない人口密度と産業構造を持っている。また、この地域では中国、ベトナム、ラオスなど社会主義市場経済体制も発展している。そのうえ前述したとおり、域内内需市場の拡大とそのための格差問題解消は、地域の共通課題でもある。このすべての条件が、東アジアに合う資本主義は自由市場経済ではなく調整市場経済であり、それも特に格差問題の管理と調整にすぐれた体制でなければならないことを強く示唆している。第三に、市場に対する国家の役割を重視しつつも、その国家の「質」、すなわち効果的な民主的統制が可能なガバナンスの安定した運営が、徹底的に保障される体制でなければならない。一言でいえば、民主的調整市場経済体制でなければならないということである。
4.韓国の寄与可能性と限界
先の第3章ではアメリカ発の金融危機が東アジア地域主義発展のいかなる契機となりうるのかを考察した。太平洋収支均衡関係が不安になる中で、これに対する対応として東アジア諸国が金融通貨および通商領域での域内協力を持続的に強化していくことになれば、東アジアは経済統合の深化による制度収斂過程を通して一定の市場経済体制の類型を持つ一つの地域アクターへと生まれ変わりうる、というものだった。もちろん、こうなれば第1章で言及した例の「東アジア問題」は解消されるということであり、したがって地域間協力体制が浮上する可能性はそれだけさらに大きくなりうる。しかし、実際にそのような結果が現われるためには、外部条件の成熟はもとより、東アジア各国家の地域主義発展に対する揺るぎない政策選好と推進意志および遂行能力の維持も非常に重要である。さまざまな制約から域内すべての国に対する検討はできないが、ここでは、はたして韓国はどうなのかを概観することで本稿の結論に代えたい。
もし覇権体制以後の代案体制を、前述のような制度論や集団指導体制論に基づいて形成していくならば、韓国が寄与しうる部分は極めて制限的にならざるをえない。韓国は先に例示したベトナムのような弱小国ではなく、いわゆる「強中国」ともいえる。世界経済の秩序を左右しうる国際機構やレジームを主導できるわけでもなく、集団指導体制の核心メンバーになれるわけでもないからである。しかし、地域間主義によるグローバル協力体制を構築するなら、事情は変わる。ASEAN+3について言えば、韓国は東アジア三大経済大国のうちの一つである。さらに東北アジアでは日中間の、そして東アジア全体では東北アジアと東南アジア間の架け橋役を担うに最も適した国家として評価される位置にある。もちろん、分断国家という弱点がありはするが、それにもかかわらず東アジアにおける韓国の客観的位相は、地域協力体の発展に十分に寄与しうるレベルにあるといえる。とすれば、地域間主義に立脚することで、韓国は東アジア地域協力体を経由してグローバル協力体制の形成と運営にまでかなりの影響力を発揮できる。もちろん、その影響力は常に保障されるものではない。思うに、少なくとも次の三つの条件がそろってこそ、韓国の潜在的影響力は現実化されうる。
第一に、(あまりにも当然の条件だが)基本的に東アジア地域協力体の発展に対する明確なビジョンと推進意志がなければならない。地域間主義時代の到来に備えた時代感覚も要請される。これに関する限り、韓国が最も好条件を備えていたのは金大中(キム・デジュン)政権の時代だった。当時は韓国がASEAN+3を中心とした東アジア地域協力体形成の主導国だった。その後を引き継いだ盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は「東北アジア時代」という地域主義構想を提示したが、内容も曖昧であり実践への意志も薄く、何の成果も収められなかった。
第二に、資本主義の多様性という概念を十分に熟知し、韓国に合った資本主義、さらには東アジアに合った市場経済の類型を識別または創案することで、その類型の確立と安定化のために持続的な努力を傾けねばならない。そうしてこそ地域間主義が要求する東アジアの地域アクター性の確保に寄与できるからである。東アジアに相応しい市場経済の類型は自由市場経済ではなく調整市場経済であると前述したが、とすれば韓国は何よりも(東アジアにも広く適用可能な)韓国固有の調整市場経済体制の発展のために邁進すべきであろう。この条件に鑑みれば、韓国の状況は民主化以後も大きく改善されてはいない。もちろん、金大中政権期には「民主主義と市場経済の並行発展」、そして盧武鉉政権期には「同伴成長」などを志向して、韓国型調整市場経済の発展を試みていたこともまた事実である。しかし(いかなる理由であれ)この10年の間にも新自由主義の浸透は徐々に許され、したがってそういった数々の試みが成功する余地はだんだんと狭まっていった。いわば新自由主義の浸透の許容とそれに対する牽制という両面が存在する中で、前者が主潮となったというわけである。
第三に、北朝鮮を東アジア地域協力体のメンバーとして包摂するために最善をつくさねばならない。北朝鮮が今の状態で孤立している限り、東アジアの真の統合と地域協力体の発展は期待できない。何より喫緊なのは、朝鮮半島分断体制の克服である。朝鮮半島の分断は、東北アジアそして東アジア地域レベルの分断へと常に容易に繋がりうるからである。この点で、金大中と盧武鉉の両政府が太陽政策の基調を維持することで北朝鮮との関係を大きく改善させたことは、高く評価するに値する仕事である。
不幸なことに、これらが地域間主義によるグローバル協力体制の浮上に韓国が肯定的な影響を及ぼすことのできる最低限の条件だとすれば、現政権下の韓国にはその影響力の発揮を全く期待できないという結論が導出される。李明博(イ・ミョンバク)政権になってから東アジア地域主義政策が韓国に存在するのかどうかがそもそも分からないほどであり、韓国型あるいは東アジア型市場経済体制を模索する努力どころか「逆走政府」という批判も聞かれるようにもなり、旬の過ぎたアメリカ型新自由主義に猛烈にしがみついている。去る10年間で努めて積み上げた成果をなし崩しにし、北朝鮮との対立と葛藤を最悪の状況にまで高めているからである。言い替えれば、現政権を見ると、韓国は東アジア地域協力体形成のための遂行能力や推進意志、そして甚だしくは政策選好さえ持っていない判断されるということである。
しかし、現政権がそうだからといって、韓国の大切な潜在力を現政権の任期が終わるまでそのまま腐らせていくこともできない。政府にできなければ当分は民間が積極的になって、先に言及した韓国の潜在力の現実化に必要な三つの条件を満たすために努力せねばならない。そうして時期が来れば東アジア地域協力に積極的な政権へと交代し、その時にその政権が韓国の影響力を余すところなく発揮できるように土台を作っておかなければならない。実際、探してみればその時まで民間レベルでできることやすべき準備および研究課題は山ほどある。たとえば第一条件との関連でいえば、ASEAN+3と東アジア首脳会議(EAS)間の対立問題に関する私たちなりの解法を研究しなければならない2005年末に発足したEASはASEAN+3+3とも呼ばれているが、それは既存のASEAN+3メンバー国にオーストラリア、ニュージーランド、インドの三カ国が追加されたからである。日本はこのEASを中心に東アジア地域協力体を形成していくべきと主張しているが、中国はASEAN+3が依然中心とされるべきだとして、対立している。。2005年末以降、東アジア諸国はこの二つの選択肢をめぐって、どちらを中心に地域協力体を作って行くべきか頭を抱えている。これは日中の対立問題に飛び火したことで、同問題は東アジア地域主義発展における最大の障害物として浮上しているが、韓国がいかなる態度をもって、いかに仲裁役を果たしていくのかによって、その波長と余波のかなりの部分が決まると思われる。韓国は地域協力体形成にあたっての円滑性、その協力体が確保可能な地域アクター性の程度、そして形成後の持続可能性など、主要変数をあまねく考慮してどのような策が東アジアの利益に適うのかをきちんと判断し、自分の立場を決めねばならないだろう。
第一条件に関連するもう一つの課題の例として、これまで東アジア諸国間の連帯に否定的影響を及ぼしてきたアメリカという変数の変化に対する徹底的な研究と準備がある東アジア地域主義発展に対するアメリカの否定的影響力に対しては拙稿「韓米FTAと東アジア地域主義の未来」(『社会批評』2007年秋号)を参照。。もちろん、東アジアは以前よりも高い自律性をオバマのアメリカから享受できると思われる。オバマ政権は過去の、特にブッシュ政権の一方的な干渉外交の基調から脱して多国間国際協力を重視するという態度を明確にしており、これは東アジアに対しても同様であろうからである。そのうえ、アメリカも経常収支赤字の画期的減少など自国の至急な必要によっても、太平洋収支均衡関係の解消に徐々に順応していくだろう。結局、東アジア地域主義発展にとって好条件が形成されるわけだ。しかしこれをもって、アメリカが東アジアで影響力を維持するための努力を放棄するであろうということを意味するわけではない。東アジアは依然アメリカにとって最も重要な管理対象地域の一つとして残されるだろう。その上、政策および制度的慣性が存在するという事実にも留意しなければならない。とすれば、アメリカの立場を最大限尊重することで、アメリカという変数の否定的影響力を最小化する対策を用意することは今後とも緊要である。たとえば、ヨーロッパがそうしたように、東アジアも地域経済協力体は域内諸国だけで形成・発展させていくが、安保協力体はアメリカを含む多国間体制とする、といった柔軟な方式を採る必要がある。要はアメリカの域内影響力を一定保障しつつ、東アジア経済統合の深化・発展を図りうる策を模索せねばならないということである。
二つ目の条件に関しては、いわゆる「ソウルコンセンサス」の作成を例に挙げたい。ワシントンコンセンサスが新自由主義あるいはアメリカ型資本主義の特性を要約しているように、東アジア型資本主義が含むべき核心的な内容を一目瞭然に整理して、それをソウルコンセンサスと名付けよう、というものであるちなみに現在この作業は「韓国型資本主義の模索」という名のプロジェクトチームと東アジア研究会などによって部分的に進められている。その成果は共に2009年末頃に出版予定である。。ソウルコンセンサスが、東アジア諸国が十分に収斂可能な新しい類型の市場経済体制を提示するものとなれば、この作成だけでも韓国は東アジア経済協力体の発展とその後展開される地域間協力体制の形成に相当な寄与をすることになる。これに見合った影響力を確保できるのももちろんだ。
最後に挙げたいのは、三つ目の条件を満たす努力にあたるが、ソウルコンセンサスの作成とも関係する事柄である。国家連合を志向することが最も望ましい経路だとみなされる朝鮮半島分断体制の克服過程では、かなり高いレベルでの南北間経済統合とそれによる経済体制の収斂が進展するであろうし、私たちはそれを東アジア型市場経済体制の収斂あるいは創案作業と好循環を成すように導いていく必要がある。いわば朝鮮半島の分断経済体制克服と東アジアの経済統合および地域協力体発展が互助的に進むべく働きかけねばならないということである。それは、ソウルコンセンサスが長期的には北朝鮮の同意と支持を得られる内容をもって作成されねばならないという意味でもある。
主に民間が担いうる研究課題を先に例示したが、直接行動によって努力できる部分ももちろんある。朝鮮半島および東アジアレベルでの民間交流の拡大、(すでに締結された内容での韓米FTAの批准反対などを通じた)新自由主義の域内浸透阻止運動、域内諸国間の二国間および多国間FTA関係の拡散支持、6・15〔2000年の南北共同声明〕および10・4共同宣言〔2007年の南北共同宣言〕の誠実な履行を促すなどを例に挙げることができる。これらすべてが重要である。しかし、市民社会団体などの直接行動が期待された効果を出すためには、結局、政府の呼応が必要であるという事実を忘れてはならない。ここ1年で身をもって経験したように、韓国の現ガバナンス下では、政府が馬耳東風で一貫すれば、どれだけ大きな費用を支払っても市民社会の集団行動は無為に帰するのが常である。市民社会の参加を保障する新しい国家ガバナンスの構築が必要だという主張が多くの人の共感を得るのは、まさにこのためだこの文脈における先導的主張は白樂晴「ガバナンスに関して」『創批週刊論評』、2008年12月30日を 参照。。結局、もう一つの研究課題の提示で筆を置くことが惜しくはあるが、それが現実だから仕方ない。市民参加型国家ガバナンス創出のための政治制度などの改革が急先務と思われるからである。ガバナンス改革の方向とその方案を研究することが必要である。(*)
訳者注記
1) 〔 〕内は訳者による補足説明等である。
2)原文において韓半島、南韓、北韓、南北韓などの用語が使用されているが、訳出にあたっては朝鮮半島および南北朝鮮を使用し、南北のそれぞれの地域を指す場合には韓国(大韓民国)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を使用した。
訳=金友子
季刊 創作と批評 2009年 春号(通卷143号)
2009年3月1日 発行
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