창작과 비평

政治的正しさは美学的品格と対面できるか

特集│この時代はいかなる人文学を要求するか

 

権晟右  nomad33@sm.ac.kr

文芸評論家、淑明女子大教授。現在、米国カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)東アジア語文学科にディアスポラ文学研究のため訪問研究者として滞在中。著書に『批評の魅惑』『ロマン的な亡命』など。

 

 

 

1. 刷新

 

『創作と批評』は創刊40周年を迎えた2006年から大々的な刷新と変化を模索する。当時、盧武鉉政権の危機と連動して、社会の各部門で進歩的かつ改革的な価値が脅威にさらされていた状況において、内外からの多様な問題提起や提言を受け入れた『創作と批評』の誌面革新は、必然的なところがあったものと考えられる。それに加えて、民族文学の退潮、商業主義出版資本の全面化などに要約される文壇構造や出版インフラの変化も、やはり『創作と批評』の変化をうながした要因であろう。要するに新たな社会の雰囲気や変貌した文壇環境において、『創作と批評』がいかなる位置に立つべきで、いかなる進路を選択すべきかという問題について省察することは、『創作と批評』の生存と更新に直結した問題だったのである。

創刊40周年記念号(2006年春号)には、このような変化や刷新に対する『創作と批評』の意志が具体的に反映されている。たとえば、編集主幹の白永瑞(ペク・ヨンソ)は「運動性の回復で革新する『創作と批評』」(巻頭言)で次のように書いている。

 

90年代以後、理念的な地形が変化し、多様な専門ジャーナルが登場した状況においても、『創作と批評』は文芸誌と総合誌の二つの役割を合わせ持ち、総体的に社会を眺望する知的な滋養分を読者に提供するために努力してきた。特に資本主義的な近代が追求するグローバリゼーションの大勢に、韓民族および東アジア人として主体的に対応する道を模索するために、新たな言説開発を着実に継続してきたと自負する。(…)すでに主流文化の一部になってもいる『創作と批評』の編集陣から惰性を振り払い、私たちの時代の要求に献身する課題の遂行にさらに多くの人々が参加できるよう、先頭に立とうというものである。

 

この小文のタイトルと上の内容でも分かるように、『創作と批評』が新たな変化のために掲げた話題は「運動性回復」と「自己刷新」である。そしてそのような新たな努力は「運動性を持つ新たな批評」として具体化され、季刊誌の誌面に反映されるべきだという点が強調される。実際に『創作と批評』は、この頃からインターネットで「『創作と批評』週間論評」を発行し、現実に密着した迅速な対応力を育て、「挑戦インタビュー」コーナーなどを通じて、いわゆる論争的な対話にも積極的な歩み寄りを見せる。大半の文芸誌や時事学術誌が制度的な慣性に埋没し、全般的な現実対応力が顕著に落ち込んだ状況において、『創作と批評』のこのような持続的自己更新の努力を基本的に高く評価したい。「すでに主流文化の一部になってもいる『創作と批評』編集陣」という部分も、『創作と批評』でなければ決して不用意に書ける表現ではないだろう。

その後3年の歳月が流れた。その間に政権が交代し、世界的な金融危機による経済寒波が私たちの社会を襲い、格差問題で庶民の生活は一層悪化している。南北関係は膠着状態に陥っており、新公安政局がまた韓国社会の抵抗的な動きを固く締めつけている。改革と変化のための知恵を再び根本的に模索し省察する時期である。

ならば今、この時点で、『創作と批評』が創刊40周年に際して宣言した運動性回復と自己刷新の旗印が、『創作と批評』の誌面にどのように反映されているのか、中間評価をする必要があるだろう。最近、白永瑞は、創作と批評社から刊行された『二重課題論』(李南周編)『87年体制論』(金鍾曄編)『新自由主義代案論』(崔兌旭編)など、「創作と批評言説叢書」の発刊辞で次のように書いている。

私たちが季刊誌創刊40周年を迎え、約束したことを振り返る。『創作と批評』が私たちの時代の要求に応じる課題の遂行に、さらに多くの人々が参加できるように先頭に立ち、単に公論の場を提供する次元を越えて、「創作と批評的な言説」を形成することを明らかにした。そして「創作と批評的な言説」は「創作と批評的な批評」によって裏付けられるだろうといった。ここでいう「創作と批評的な批評」とは、現実の問題に迫って鋭く批評し代案を提示する論争的な批評を意味するが、これこそが文学的想像力と現場の実践経験、および人文社会科学的な認識の結合を試みる『創作と批評』が、他のどこよりも得意とするところである。私たちはそのことに自ら最善を尽くし、期待に答えようという姿勢を堅持してきた。

私たちはここで「創作と批評的な批評」、すなわち「現実問題に迫って鋭く批評して代案を提示する論争的な批評」がはたして効果的に具現されてきたかどうか考えてみたい。このような過程は、『創作と批評』が主として主張した「運動性回復」と「自己刷新」が、はたしてどれほど具体的な実感と現実的な動力を持っているかを問う道程であろう。

このような作業のためには、創作はまずおくとしても、『創作と批評』の文芸評論や民族文学論はもちろん、分断体制論、東アジア論、二重課題論、新自由主義批判論、87年体制論、変革的中道主義論などを包括する『創作と批評』の社会・人文学の言説全般に対する問いと評価が要請されるだろう。このそれぞれの言説のうち、特定の一つの主題に対して批評するのも、途方もない労力が要求されるが、私にはその全てを包括する『創作と批評』言説全般に対して概観する能力も識見もない。

それゆえに本稿は、2006年春に行われた『創作と批評』の革新以後、季刊『創作と批評』や「『創作と批評』週間論評」に発表された諸論文を中心に、私が重要であると考えた、いわゆる『創作と批評』的な批評をめぐるいくつかの主題や争点を探索してみたいと思う。それは窮極的に、政治的正しさが美学的品格といかに対面できるかについて探求する道でもある。したがって本稿は、『創作と批評』の言説に対する包括的な考察というよりは、私の批評アンテナに捉えられた『創作と批評』のいくつかの批評に対する主観的な断想に近い。だから読者らは、『創作と批評』的な批評、あるいは『創作と批評』の言説が共有する特性よりは、『創作と批評』の筆者個人の間の差がより本質的であるという事実を考慮しながら、本稿をお読み頂きたい。

 

2. 実感

 

大部分の文芸誌や学術誌で扱われる現実の中で、政治的現実は削除されている場合が多い。しかし、43年に至る『創作と批評』の歴史は、文芸誌と総合誌の性格を兼ね備えている性格上、必然的に現実政治との葛藤を伴わざるを得なかった。実際に1980年に季刊誌が政治権力によって廃刊に追い込まれる苦痛もあったが、著者や編集陣の拘束、販売禁止、押収、出版登録の取消など、政治権力との葛藤は、『創作と批評』の歴史で最も波瀾万丈な部分であり、プライドの根拠でもあるだろう。昨年、ハンナラ党のシム・ジェチョル議員がネット市民らの評論「これがアゴラだ」を問題視して、『創作と批評』2008年秋号の配布禁止仮処分を裁判所に申請した事件は、『創作と批評』と政治権力の葛藤関係が相変らず持続していることを端的に示している。『創作と批評』は民族文学の産室と言われるが、ある面で『創作と批評』が歩んできた道は、様々な政治権力との関係の中で生じる抵抗や葛藤、闘争、提携、連帯の歴史でもあった。

だが、ここで興味深いのは、2006年を基点に『創作と批評』の誌面で、現実政治に対する批評が顕著に増加しているという事実である。相対的に1998年の金大中政権のスタート以降2005年に至る間に、『創作と批評』の誌面で現実政治と関連した先鋭な議題は積極的に提出されなかった。その時期には主として統一問題、東アジア論、脱冷戦、反戦平和運動など、もう少し原則的かつ広範囲な視野が要請される言説が誌面を飾る。思うに、このような側面は、その期間に現実政治と『創作と批評』の立場の間に根本的な乖離がなかったということを意味する。そしてこの頃の『創作と批評』が「すでに主流文化の一部」に位置していたということは否めない真実であろう。当時の『創作と批評』が、敏感な論争を回避し、政治性を喪失しつつあるという批判が提起されることもあった。

だが2006年の革新宣言以降、最近まで、『創作と批評』誌面には主として盧武鉉政権の新自由主義政策、格差問題、韓米FTA締結、また李明博政権の後退的な経済政策や四大河川開発の公約、悪化する南北関係などを集中的に狙った、現実政治に対する批判的言説が多数掲載された。このような変化は盧武鉉政権の見せた一定の限界や、現在の李明博政権が露呈している総体的な乱脈相を考える時、必然的であるといえる金根植(キム・グンシク)の「2007年南北首脳会談を決算する」(『創作と批評』2007年冬号)や姜泰浩(カン・テホ)の「変化する韓米関係と盧武鉉ドクトリンの運命」(『創作と批評』2006年秋号)は、例外的に盧武鉉政権の政策に友好的な立場を取っているが、やはり多くの論文は批判的な角度で叙述されている。また『創作と批評』の誌面で李明博政権に友好的な論文はまだ一度も掲載されていない。当然のことである。。これに加えて、いわゆる「進歩の危機」「改革の危機」という事態に直面し、新たな突破口を準備しようとする『創作と批評』の立場が、現実政治との接続として表面化したものではないだろうか。

要するに2006年の革新以降、「運動性の回復」と「現実問題に迫って鋭く批評」することを強調してはばからなかった『創作と批評』は、現実政治や敏感な議題に対する批判的対話を通じて、政治性を回復するための努力を傾けている。

最近、そのような『創作と批評』の社会・人文学言説の趣旨と内容におおむね共感しながらも、批判の方法論と関連しては、ある意味で物足りなさがある。ここで『創作と批評』の代表的な論客・白樂晴(ペク・ナクチョン)が自ら明らかにしていること、「知識人の言説は、政権が責任を負うべき部分と、誰がやっても困難な部分を識別する精巧な批判であるべきである」白樂晴「かけ算の政治は可能だろうか」『創批週間論評』(weekly.changbi.com) 2006.6.6.という合理的な前提は、いくら強調してもしすぎることはないだろう。ならば、ここで『創作と批評』の批判が、自ら掲げたそのような「精巧な批判」を充足させているのかという問いを投げかけてみる。私が見たところ、特に盧武鉉政権に対する批判の過程で、『創作と批評』に掲載された相当数の論文は、当為的な一般論から大きく逸脱していない。

たとえば、盧武鉉個人の資質や限界、政界の力量、分断された韓半島の現実、資本主義一般の問題、マスコミとの敵対的な関係などが複雑に関連していることが盧武鉉政権の限界を構成する多様な層位ならば、そのそれぞれの限界層位が及ぼす規定力や影響力に対する細かな分析が必要である。まさにそのような分析にもとづいて、政権自らの限界と、米国に従属した分断資本主義という従来からの限界、マスコミとの不和によってきちんと評価されることのなかった成就などをもう少し厳密に峻別できるようになった時、批判の実感と説得力を高めることはできないだろうか。

特に盧武鉉政権を新自由主義という尺度で批判する論文や、韓米FTAを批判する論文などがこのような点で物足りなかった。もちろん李南周(イ・ナムジュ)は「現在、盧武鉉政権が見せる限界は、相当部分、資本主義世界体制や分断体制などの制約要因と関連した問題である」李南周「韓国における「進歩」と東アジア協力」『創作と批評』2006年秋号、358頁。と正当な主張をしているが、『創作と批評』の言説でいくつかの例外を除けば、このような認識が批判的な批評として成功裡に論じられている論文は少なかった。批判が精緻な時、それに適合した代案が摸索される。このような面で盧武鉉政権の新自由主義を批判しつづけてきた柳鍾一(ユ・ジョンイル)の「盧武鉉政権の「左派新自由主義」経済政策」(2006年秋号)と「新自由主義、グローバリゼーション、韓国経済」(2007年秋号)は、その批判の強度にもかかわらず、実質的な代案摸索という点ではやや物足りない。たとえば柳鍾一は「アイデンティティが明白である真の政策政党を発展させなければ、進歩的改革を期待することは非常に難しい(…)盧武鉉政権の失敗が反面教師となって、進歩改革勢力の政治的水準を一段階引き上げることに寄与することを願うだけ」柳鍾一「盧武鉉政権の「左派新自由主義」経済政策」『創作と批評』2006年秋号、311頁。と結論するが、現在、進歩政党が支離滅裂になっている現況を見るならば、このような診断の具体的な現実性を問い直さなければならないだろう。

おそらくこのような限界に対する認識の当然の手順として、新自由主義の代案が摸索されざるを得なかっただろう。鄭勝日(チョン・スンイル)の「新自由主義と代案体制」と徐東晩(ソ・ドンマン)の「代案体制の摸索と「韓半島経済」」(以上、2007年秋号)、崔兌旭(チェ・テウク)の「新自由主義の代案具現の政治制度的な条件」(2007年冬号)などは時期にかなった論点を含んでいる。これらの論文の問題意識は、新自由主義に対する当為的かつ原則的な批判を脱皮し、新たな視野を広げ示す。ただ、それらの代案が、はたして分断された韓国社会で、どの程度現実性を確保しているかという問題は、議論され検証されつづけなければならないだろう。

とすれば、「2009年の新たなロウソクのともしび」と関連して、次のような白樂晴の発言が、私に具体的な実感として迫ってこないのは、どのような理由からだったのだろうか。

 

重要なのは、「ロウソクの少女」に象徴される溌刺さと愉快さが、一層切迫した群衆との結合を通じて、今一度、新たなデモ文化を創り出すのである。そして今回は、大衆の討論と合意を受け継ぎ、報道機関や様々な専門集団、利益集団を含んだ市民社会が、政党とともに建設的に国政に寄与する――単なるデモ参加でなく、国家ガバナンスに参加する――道を用意しなければならない。そのためには、道を整える作業がかなりの程度あらかじめ進捗していなければならないが、そのようにした時、韓国社会において国民主権や民衆自治、また韓半島分断体制の克服が、2009年の新たなロウソクのともしびとともに大きな一歩を踏み出すだろう。白樂晴「ガバナンスに関して――2009年を迎えて」『『創作と批評』週間論評』2008.12.30.

 

白樂晴の提案や期待の通りに現実化すれば理想的だろうが、現在としては、ロウソクデモと国家ガバナンス参加の間には大きな間隙がある。そしてそのロウソクのともしびと国民主権、民衆自治、韓半島分断体制の克服という巨大言説の間には、より一層、長く遠い中間過程と距離が存在する。また2009年の「一層切迫した群衆」がマスコミでも様々な専門集団、利益集団の利害関係とどのように対面するかは、多少漠然としたレベルにとどまっている。そのうちに「そのためには、道を整える作業がかなりの程度あらかじめ進捗していなければ」ならないという条件がつくが、逆にこの点が、現実に対する当為的な楽観主義からそう遠くないことを示しているのではないだろうか。

当為的な原論は正しいが退屈であり、現実に対する楽観は爽快だが心地よいものではない。たとえば、韓国社会の展望と抵抗運動について、少しずつ自らの考えを示した在日ディアスポラ評論家の徐京植(ソ・ギョンシク)の内面に充満した濃厚な悲観主義に、私はさらに強い共感と真正性を感じることが多かった。

『創作と批評』の論客が示す韓国社会の変革に対する情熱、分断体制の克服に向かった至難の努力、新自由主義に対する断固たる批判などに対しては、いつも畏敬の心を抱いている。しかし、その心の片隅には、彼らが示す透徹した批判、健康な楽観主義、毅然とした当為の世界に見られる、またそれらとは異なる何物かを目撃したいという欲求がつねに私にあった。それはこのように表現できる。実存の陰が射した批判的理性の方が真実であり、濃厚な悲観や虚無の深淵を通過した楽観と当為の方が文学的であると。「文学的想像力と現場の実践経験、および人文・社会科学的な認識の結合を試みる『創作と批評』」(白永瑞)だからこそ、そう感じるのである。

 

3. マスコミ

 

いわゆる「張子妍(チャン・ジャヨン)リスト事件」と「朴淵次(パク・ヨンチャ)秘密資金事件」〔訳注〕張子妍(1980年1月~2009年3月)はモデル出身のタレント兼女優で、CMモデルとしてデビューしたが、ある人気ドラマに出演していた2009年3月某日、ソウル郊外の自宅で首をつって死んでいるのを発見された。前マネジャーによって彼女が自殺直前に書いた自筆文書が公開されたが、そこには自身の住民登録番号とサインが記されており、所属プロダクションから酒席の接待や売春の強要を受けていたという内容が、接待相手の実名とともに書かれていた。また2009年4月某日の国会での質問で、この「張子妍リスト」に某有名新聞社の社長の実名などが記載されていたことが明らかになった。名指しされた新聞社側は事実無根と名誉毀損を訴えている。事件はまだ進行中だが、この事件のためにこの新聞社は現政権との関係が悪くなったという話もある。朴淵次(1945年~)は泰光実業の会長、慶尚南道・密陽出身で、故・盧武鉉前大統領を後援していたことで知られており、2008年12月以来、不正・脱税などの疑惑で検察の捜査を受けている。盧武鉉氏の兄・建平氏とともに、農協の世宗証券引受に関連して賄賂を渡したという容疑をかけられている。また、これらと関連して、元青瓦台総務秘書官だった鄭相文氏と昌信繊維会長の姜錦遠氏も逮捕された。盧武鉉氏は、鄭相文氏が朴淵次氏から受け取った金銭は自分の夫人が受け取ったものであることを認め、自らも検察の取調を受けたが、2009年5月30日、自宅近くの裏山で投身自殺した。盧武鉉氏の死去によって最高検察庁の捜査手方を非難する世論が広がっていることから、朴氏から金品を受け取った容疑がもたれている人物への捜査は延期される可能性が強くなっている。を見て、「大韓民国を支配する最強権力はマスコミだ。国民の大多数が毎日購読するいくつかの新聞の紙面構成や論調や報道内容を支配する社主とその代理人が大韓民国を支配する。(…)彼らは選出されることもなく信任を問われることもない。交代させられることもなく誰の統制も受けない」柳時敏『後払い制民主主義』トルペゲ2009、194頁。という主張をあらためてきちんと実感することになったのは私だけではないだろう。もちろん、引用した内容は、いまやお馴染みの論法であり、いくらか常套的でもある。しかしお馴染みであるとしても、主張に含まれた生き生きとした洞察力の重大さが半減することはないだろう。

 

一例として、前の2つの事件に対する報道には、極端に二重の基準が適用されている。朴淵次秘密資金事件を報道するのと同様に、三星秘密資金やBBK、張子妍事件を報道したとしたら、どのような結論に至っただろうか。巨大保守マスコミはもちろん、最近ではKBSをはじめとした地上波放送まで、深刻なほど公正性が損なわれている状況である。もちろん、独立性を喪失した検察調査がもう一つの重要な変数である。しかし、それを指摘するマスコミの役割が生きているならば、はたして検察の偏向した捜査があれほどにも簡単かつ組織的に行われることがあっただろうか。少なくともマスコミが現大統領のBBKスキャンダルをはじめとする様々な疑惑や問題を、今の朴淵次事件ぐらい執拗に暴いてリアルタイムで中継するように伝えたならば、いや、最低限、公正な尺度で報道したならば、はたして李明博政権が誕生しただろうかという根本的な疑問を投げかけざるをえない。

 

『創作と批評』は、マスコミ問題を放棄した他の主流文芸誌とは異なり、このことに対する自意識を明確に持っていると見られる。編集委員の金鍾曄(キム・ジュンヨプ)は、巨大保守新聞の偏向性に対する問題意識を着実に示し、白樂晴もやはり『『創作と批評』週間論評』で「マスコミが自らの貪欲のためであろうと、政府の弾圧のためであろうと、自らの機能を果たせずにいる」白樂晴「ガバナンスに関して」『『創作と批評』週間論評』2008.12.30.と言及したことがある。『『創作と批評』週間論評』にはこの他にも、李明博政権の公営放送掌握や、MBCおよびYTN、時事ジャーナル事態に対する外部筆者らの論文が掲載されている。時期をさらに遡ってみれば、いわゆる「アンチ朝鮮日報運動」が尖鋭な社会的争点として浮上した2000年夏の季刊誌には、林永浩(イム・ヨンホ)の「マスコミ改革運動の課題と展望」という論文が掲載され、2001年秋号には「マスコミ改革、どこへ行くのか」という座談会も掲載された。

 

しかし、私にはまだ『創作と批評』がマスコミ問題と正面から対決しているという気が全くしない。『創作と批評』の論客らが主張するマスコミに対する問題意識は、素朴な一般論レベルの問題提起からさほど遠くない。そして逆説的に『『創作と批評』週間論評』に掲載された関連の論文は、一種のカムフラージュではないかと考えられるほど、最近の『創作と批評』誌面において、マスコミ問題に対して正しく提起された問題意識はほとんど発見できない。2000年頃の寄稿論文や座談会も、当時の「アンチ朝鮮日報運動」の熱気にやむをえず便乗したように見えたのは私だけの錯覚であろうか。

 

主流マスコミとの対立を避けることが、出版社を支えるすべての文芸誌の宿命なのだろうか。この問題を受動的に追認するかぎり、文学ではマスコミ問題に関するいかなる抵抗や批判の空間も可能ではない。時代の矛盾と全身で対決した輝かしい文学がつねにそうであったように、その心理的な阻止線を突破する大胆な過程に、真の文学的想像力が存在するのではないだろうか。ここで私は金芝河(キム・ジハ)の「五賊」の想像力をもう一度思い起こしてみる。

 

そのうえで『創作と批評』が主張する「現実問題に迫って鋭く批評し、代案を提示する論争的な批評の模範」がある種の真正性を担保しようとするならば、まさに巨大保守新聞を中心にしたマスコミ権力は、とうてい回避できない問題であろう。『創作と批評』流に言えば、この問題を深く掘り下げない進歩マスコミは、私たちの現実と乖離せざるを得ず、したがってそこから真の代案を期待しにくいというのが私の判断である。たとえば、代案マスコミの可能性と現況、巨大保守マスコミの文学関連記事のフレーム分析、文学賞とマスコミの関係、日刊紙の書評の問題点など、数多くの課題を分析的かつ深層的に扱う必要がある。

 

もちろん『創作と批評』が展開してきた分断体制論、新自由主義批判、東アジア論、二重課題論などは、みなそれ自体重要な議題である。しかし、いまやそのような当然の主張に劣らず、偏向した巨大保守マスコミのフレームに対する批判や問題提起が、恒常的に探求される独立した主題となるべきだと考える。少なくとも「長い戦いで勝利する方法」(白樂晴)を追求する立場ならば、また『創作と批評』が単に相対的に改革的で進歩的な文芸誌として残ることから一歩進んで、真にその長い戦いに参加することを敬遠しない立場ならば、巨大保守マスコミの偏向したフレームをいかに突破するかという問題が重要でありつづけるだろう。

 

このような意味で、『創作と批評』であれほど苦心しながら主張している、分断体制論をはじめとする様々な社会・人文学言説さえも、巨大保守新聞のフレームの中に溶解しているのではないだろうか。とするならば、『創作と批評』の立場では逆に、分断体制論のフレームをもって、マスコミ問題の実状を眺望することもできるだろう。たとえば分断体制が彼らのイデオロギー、運用方式、派閥形成にどのような影響を及ぼしたのか、マスコミの問題点をどのような形で拡大させ派生させたかについて議論できるだろう。だから、白樂晴が金鍾哲を批判して「彼の今回の論文で、分断体制に関して一言の言及がないのも尋常でない」白樂晴「近代韓国の二重課題と緑色言説」『創作と批評』2008年夏号、452頁。と言う時、私としてはそこに「分断体制」ではなく、「マスコミ」が入るべきだと考えるのである。

 

いわゆる巨大保守マスコミに対する一般市民とネット市民の問題意識が広範に形成された現在こそ、これまでの「アンチ朝鮮日報運動」の偏向と誤謬考えてみれば、当時の「アンチ朝鮮日報運動」は様々な成果があったにもかかわらず、朝鮮日報寄稿者らに対する過度に感情的な断罪を中心に展開したという限界を持っている。純血主義を強調するこのようなやり方は、運動の鮮明さを得る代わりに、「排除の効果」をもたらし、感情的な反発と離脱を伴った。を振り返り、ともに行動できる新たなレベルのマスコミ改革運動を組織的に始める時ではないかと思う。もちろんそのようなことを『創作と批評』だけが担うことはできないだろう。暗鬱な歴史的時期につねに輝く文学的想像力で希望の火をともした『創作と批評』が、そのような役割にさらに力を入れるならば、マスコミ改革運動は言うまでもなく大きな推進力を確保するだろう。現在、マスコミ問題がこのように悪化しているのも、『創作と批評』のような信頼される知識人集団が、この問題をないがしろにしているためではないだろうか。
 

4. 論争

 
『創作と批評』2009年春号に掲載された評論家・孫禎秀(ソン・ジョンス)の論文「真に問わねばならなかったこと」を読んだ。その前の2008年冬号の文学特集に対する反論の形を取ったこの論文は、白樂晴の「文学とは何であるか、問いなおすこと」、韓基煜(ハン・キウク)の「文学の新しさはどこからくるのか」に対する全面的かつ直接的な批判で充満している。驚くべきは、白樂晴や韓基煜、『創作と批評』に対して、「たやすい断定」「的外れの批判」「無反省的な意識構図にとらわれている」「はなはだ疑わしいばかり」などの表現で、かなり辛らつに批判しているこの論文が、他でもない『創作と批評』誌面に掲載されたという事実である。

 

これまで『創作と批評』誌面で『創作と批評』や『創作と批評』編集委員らの論旨を批判する論文は、時折、存在してきた。しかし、その批判は、『創作と批評』を根本的に否定するレベルではなく、筆者らもやはりおおよそは広い意味における『創作と批評』陣営に属する論者たちだった。今回の論文のように『創作と批評』と対立的な位置にある評論家の強い批判を掲載したという事実は、逆説的な意味で『創作と批評』のある種のプライドと自信の発露ではないかと思う。それはまた論争と関連する知的伝統の力であろう。

 

『創作と批評』の相対的な進歩性や対話性、開かれた態度は、明らかに尊重されるべきである。思うに、このような『創作と批評』の姿は、他の二つのエコールとは異なり、『創作と批評』が数十年にわたって激しい文学論争を誠実に行ってきた場であったという事実、また、民族文学論争をはじめとする絶え間ない論争や相互批判の体験を蓄積し、批判と論争を通じて鍛練されてきたという知的な伝統に由来しているのであろう。権晟右「開かれた進歩と権威主義の間」『社会批評』2001年秋号。

 

開かれた心で自らの限界と対面するという意志なくしては、そしてまた、論争的な対話に対する絶え間ない省察なくしては、孫禎秀の反論を受け入れる『創作と批評』の選択は可能でなかっただろう。このような『創作と批評』の選択が、私たちに新鮮と驚きをもって迎え入れられるとすれば、この点は逆に、大部分の文芸誌が自らに対する批判をほとんど容認しない偏狭な慣行が、どれほど拡がっているかを歴然と示す証拠にもなるだろう。たとえば、『文学と社会』や『文学トンネ』において、鄭グァリや李光鎬(イ・グァンホ)、孫禎秀、南真祐(ナム・ジヌ)や黄鍾淵(ファン・ジョンヨン)を批判する論文を自らの誌面に掲載できるかという問いの前に、肯定的に回答する余地は全くないというのが現実であろう。

 

論争を通じた対話こそ、韓国文学の内省を育て、真の意味での多様性や競争力を確保するだろうという点を強調してきた私の立場では、『創作と批評』のこのような鼓舞的な態度に、対話に対する確固たる意志と努力を読み取ることができた。近代適応/近代克服の二重課題論や緑色言説に関する金鍾哲と白樂晴の論争も、やはり『創作と批評』が最近、収穫した論争文化の重要な成果であろう。

 

だとするならば、チョー・ヨンイルの『柄谷行人と韓国文学』で行われた批判に対する『創作と批評』の見解はどのようなものか。思うに、チョー・ヨンイルの評論は、最近出ている多様な形の『創作と批評』に対する批判の中でも、最も問題的で繊細な論拠を含んでいる。チョー・ヨンイルは、『創作と批評』陣営が柄谷の近代文学の終焉論を生産的に受容できなかった文学史的脈絡を緻密に概観し、『創作と批評』もやはり進歩的なアイデンティティを喪失し、「文学トンネ」化している現実を批判的に検討する。

チョー・ヨンイルは本書の最後の部分で次のように語っている。

今、この状況において最善の選択は、『創作と批評』が自ら自発的な解体を敢行し(アンインストールし)、それによって確保される空間を新たな前衛として譲ることである。…(中略)… 「文学」を第二の自然として受け入れない評論家は、すでに『創作と批評』に何も期待する必要がないと言っているのであり、もし今後の文学に何らかの希望が相変らず存在するとすれば、それは明らかに『創作と批評』の向こう側にあるということである。『創作と批評』スーパースターズのファンクラブもやはり解体される時が来たのである。チョー・ヨンイル『柄谷行人と韓国文学』図書出版b、2008、156頁。

 

おそらくこのような指摘は、これまで『創作と批評』が受けた批判の中で最も苛酷なレベルのものだろう。この引用文中の表現のいくつかは、『創作と批評』の構成員の感情的な反応を引き起こす可能性が高い。しかし、おおよそここで行われているチョー・ヨンイルの『創作と批評』批判は、日本現代批評史に対する博学な理解を土台に、それなりに充分な説得力と具体性を伴っている。私たちの時代の問題的な二人の新進評論家、チョー・ヨンイルの『柄谷行人と韓国文学』『韓国文学とその敵』、申亨澈(シン・ヒョンチョル)の『没落のエチカ』については、他の機会にさらに具体的に言及できればと思う。この情熱的な二人の若い評論家の拮抗と差異こそ、現在、韓国の文芸評論の最も熱い部分の一つであろう。ならば、チョー・ヨンイルの問題提起から6か月が過ぎた現在まで、白樂晴と『創作と批評』が何らの反応も示さなかったというのは、『創作と批評』陣営が宣言した「透徹した論争的態度」から見た時、きわめて意外である。もちろん、消耗的な批判にまで『創作と批評』が答える義務はないだろう。しかし『創作と批評』のアイデンティティや理論的正当性と関連する問題を、文学史的脈絡に基づき、批判的に解釈するチョー・ヨンイルの評文を、そのような範疇に属するものと見ることはできないだろう。

 

5. 差異

 

文学言説と社会・人文学言説は『創作と批評』言説を構成する、向かい合う二本の軸であると言える。この二つは互いの存在に光を投げかけるような関係である。『創作と批評』の文学は『創作と批評』の社会・人文学によって、その権威をより一層保証されたし、その逆もまた同じだった。

『創作と批評』の社会・人文学言説の筆者らは、ほとんど例外なく進歩的な論客で構成されている。少なくとも私が今回読んだもので保守的な筆者が登場した場合はなかった。彼らは概して新自由主義や韓米FTAに対して断固として批判的であり、李明博政権はもちろん、いくつかの例外を除けば、盧武鉉政権に対しても大部分が批判的である。であるから『創作と批評』の社会・人文学言説は、現実や制度、イデオロギーなどに対する「批判」を批評の主要な方法論として採択する。

それに比べて、最近『創作と批評』に掲載される文芸評論は、程度の差があるだろうが、概して文学作品に対し、特に『創作と批評』から刊行された作品に対しては友好的な視線を送っている。たとえば高銀(コ・ウン)、黄皙暎(ファン・ソギョン)、申京淑(シン・ギョンスク)、朴玟奎(パク・ミンギュ)、金愛爛(キム・エラン)など、『創作と批評』と比較的近い作家らが出した新作に対する批評は、概して肯定的な脈絡で書かれている。

また、文学創作や文芸批評の筆者は、多様な立場やスペクトラムを示しているという点で、進歩的筆者が大部分の『創作と批評』の社会・人文学言説と区別される。

2006年以後に限定しても、詩人の黄東奎(ファン・ドンギュ)、鄭鎮圭(チョン・ジンギュ)、慎達子(シン・ダルチャ)、金明仁(キム・ミョンイン)、朴柱沢(パク・チュテク)、チョン・クッビョル、金彦姫(キム・オンヒ)、黄炳承(ファン・ビョンスン)、小説家の鄭米景(チョン・ミギョン)、クォン・ジイェ、河成蘭(ハ・ソンナン)、尹成姫(ユン・ソンヒ)、李起昊(イ・ギホ)、金兌墉(キム・テヨン)、朴馨瑞(パク・ヒョンソ)、片恵英(ピョン・ヘヨン)、尹異形(ユン・イヒョン)、チョン・ジナ、キム・サグァなどが『創作と批評』の誌面に登場しているが、彼らは私たちの記憶にある『創作と批評』的な世界に符合する作家らとは明らかに距離がある。友好的に解釈するならば、「いまや陣営概念の批評的威力は大勢の流れでほとんど消滅しかかっている。「民族文学陣営」で明確に分類可能な作家らの作品だけに限定してしまうならば、ただでさえ危機説に見舞われた民族文学の貧困を自ら浮き彫りにする結果にならざるを得ないからである」白樂晴「2000年代の韓国文学のための断想」『統一時代韓国文学の価値』創批、2006、185頁。という発言からも分かるように、実際の作品の不足もこのような変化を生んだ要因であろう。ここから一歩進んで、文学の特殊性に対する関心が『創作と批評』陣営にさらに拡大したと解釈することもできる。

すでにかなり以前に金永顕(キム・ヨンヒョン)論争(1990)を通じて、私はそのような見解を示したが、政治的進歩/保守の概念を文学や芸術にそのまま適用することはできないという点を、私たちは明確に認知する必要がある。運動に関与した青年の内面の揺れや煩悶を深く掘り下げた金永顕の小説は、図式的な労働小説より一層進歩的であり、開かれた文学である。実存的な内面の揺れを新たな語法で示した優れた抒情詩は、統一を惰性的に歌った詩よりも一層進歩的であるとは言えないだろうか。

しかし同時に『創作と批評』のこのような変化が、自らのアイデンティティを稀薄にしており、結局『創作と批評』の文芸誌面は、『文学と社会』や『文学トンネ』のそれと特別な違いがなくなったという見解も広範に存在する。いまや『創作と批評』的な文学は存在しないと主張することも可能であろう。

ここで次のような一連の疑問を抱かざるをえない。なぜ『創作と批評』の文芸評論は、社会・人文学言説と異なり、この時代の文学の場に対する批判、文学を規定する諸般のシステムに対する省察を放棄しているのか。『創作と批評』の文芸評論は、たとえば分断体制論に批判的な見解や、金鍾哲の論理に対する批判の情熱ほどに、高銀や黄皙暎、申京淑、朴玟奎、金愛爛らに対する精巧で繊細な批判を展開できないのであろうか。そのような過程こそが『創作と批評』の固有な文学世界を形成していく道ではないだろうか。『創作と批評』の批判文化は、安善財(アン・ソンジェ)が『『創作と批評』週間論評』で表明した次のような主張から、はたしてどれほど自由であろうか。

 

すべての作家が直面した最大の危険は、自らに寛容なことである。思慮深く挑戦的な批評なくして、いかなる作家が技量を練磨し、弱点を直し、成熟した芸術を発展させると希望することができようか。「体面」や「名声」が核心的な考慮の対象となる韓国のような文化において、正直な批評はしばしば拒否される。これは大変なことである。安善財「外国の読者らは韓国文学をどのように読むだろうか」『『創作と批評』週間論評』2007.5.15.  

 

もし『創作と批評』に固有の文学世界というものがあるならば、それは鋭利で繊細な批判と作品との出会いによって形成されうるものだと私は考える。そのような批判に耐えて、自己更新を遂げた作家だけが、『創作と批評』とともに呼吸する作家になれる資格を備えていたのではないだろうか。美しい作品を美しく語ることは、もちろんつねに必要である。しかし評論家らが真に愛すべきものは、適切な批判と助言があったならばより一層美しくなったであろう作品の、生きた可能性でないだろうか。だとするならば、作家と詩人を省察へと向かわせ、彼らの文学がさらに深く広い世界へと進むよう生産的に誘導し刺激する、そのような批判が、今『創作と批評』に必要である。いや韓国文学全体に必要である。いつか白樂晴は次のように語ったことがある。

 

すばらしい創作を困難にする条件が、出版や報道機関のほとんど全面的な商業化であるとする場合、「仲介商」としての評論家に対する需要はとりわけ大きくなる。換言すれば、誤った風土を正す任務を帯びた評論家に、この誤った風土に貢献せよという圧力がかえって集中し、そのような評論家の影響力も増加するのである。白樂晴「批評と評論家に対する断想」『統一時代の韓国文学の価値』創批、2006、456頁。

 

12年前に発表されたこの論文の前で、私はまたこのような一連の問いを投げかけざるをえない。この論文が発表されて以後、白樂晴が指摘した「誤った風土」、すなわち批評が商業主義に屈服し、仲介商の役割に満足する風土が顕著に一般化した。実際に現在、評壇で「仲介商」としての役割を積極的に遂行する評論家ほど影響力が大きいというのは否めない事実である。先の白樂晴の言及に一抹の真実が含まれているならば、そのようにして「「仲介商」としての評論家に対する需要」が明らかに「誤った風土」であるならば、『創作と批評』がこのような風土を助長する文学集団に対する断固たる批判的対話を行うことが必要ではなかっただろうか。『創作と批評』がまさにそのような役割を放棄したために、最近の評壇は自浄能力や論争に対する感受性が顕著に退化したのではないだろうか。ある面で1997年以降に展開した『創作と批評』の文芸評論は、白樂晴が指摘した批評の「誤った風土」に、『創作と批評』自らが少しずつ汚染されはじめた過程ではなかっただろうか。
 

6. スタイル

 
日本の批判的雑誌『前夜』の編集委員・高橋哲哉は、『創作と批評』40周年を記念する論文で「前夜宣言」を紹介しているが、そのなかで「私たちは文化・芸術分野の批評に特に力を傾けて、ジャンルの壁を越えた新たな批評のスタイルを創造する。今のように批評精神が衰弱した状態では、「夜」に耐えて新生の時を迎えることができないからだ」(強調は引用者)高橋哲哉「破局の前夜を新生の前夜で」『創作と批評』2006年春号、30頁。という部分が、私には非常に印象的に感じられた。私たちの批評文化は、過度に論文の内容に偏向的に傾倒しているのではないだろうか。新たなスタイルと結びついた内容の正しさが批評の進化と更新を可能にするのではないだろうか。このような面で『創作と批評』もやはり「新たな批評的スタイルを創造」することが緊要である。

とするならば、このようなことを指摘してみることもできよう。この1か月の間、最近5年間に『創作と批評』に掲載された論文70編余りを読み、たくさんのことを学んだし刺激にもなったと。しかし、その知的な刺激の短い時間は、長い退屈さに耐える過程で発見した閃光のようなものであると。おそらく、すべての文芸誌や時事雑誌がそうだろう。だが、この誌面は『創作と批評』のためのものであるから、また私はこのように語らざるを得ない。本当に残念だったのは、むしろ『創作と批評』言説の内容に劣らず、その形式(スタイル)にある。学術誌に掲載される批評でもないのに、『創作と批評』に掲載された相当数が、著者の名前を隠してしまえば、それがはたして誰が書いたものか判別困難な論文、言ってみれば、実存的主体の体臭と固有の紋様を感知できない、個性のない論文であった。特に新自由主義批判論をはじめ社会科学的な主題を扱った論文が概してそうであった。

たとえばこういうことである。盧武鉉政権の新自由主義や韓米FTA締結を論理的に批判するのも『創作と批評』の役割であるが、同時にそのような選択をさせた盧武鉉の心理はどのようなものであったと考えるのか、その盧武鉉に対する自分の愛憎は、どのようなレベルの性格に由来するのか、自分が韓米関係をはじめとして、国際的な力学関係を綿密に見ざるを得ない大統領の立場だとしても、イラク派兵にはたして断固反対できるのかなどについても語れる『創作と批評』言説になるべきではないだろうか。まさにそのような試みが、人文・社会科学の学術誌と文芸誌『創作と批評』の違いとなるべきではないだろうか。

政治的正しさが個性的な文体や審美的品格にのって伝えられる、そのような美しい『創作と批評』的な批評が、もう少し見られないであろうか。また、多様な文章を書くジャンルと形式の実験、たとえば日記、エッセイ、紀行文、断想などを創造的に活用する、そのように開かれた『創作と批評』言説になることはできないであろうか。これと関連して、私は『創作と批評』が既存の文学的分類やジャンル区画から脱皮し、物を書く方法について一層開放的な態度を示すことを期待する。文体やスタイルが単に形式的なレベルの問題でなく、世界観の反映であるという点に同意するならば、これまで私が接することのできた『創作と批評』的な批評の主流は、意外に保守的で教科書的ではないだろうかという疑問を収めることができない。一言で言ってつまらないのである。ひっくり返して考えるならば、このようなものを書く形式の保守性や常套性が、『創作と批評』にまだ強力に残存する、閉じた理由の反映ではないだろうか。

このような意味で、独自かつ固有の批評的文体やスタイルを持っていながらも、『創作と批評』の誌面を一層豊かにしている論客、たとえば康俊晩(カン・ジュンマン)、金正蘭(キム・ジョンナン)、キム・ヨンミン、キム・ジンソク、高宗錫(コ・ジョンソク)、ユ・シミン、朴露子(パク・ノジャ)、徐京植(ソ・ギョンシク)、陳重権(チン・ジュンクォン)、金宣佑(キム・ソヌ)らの論文を、これからも『創作と批評』誌面で、もう少し頻繁に見られたらいいと考える。

 

個人的に、白樂晴の「外界人と出会うことと、今、ここでの人生」(2007年夏号)、金鍾哲の「民主主義、成長論理、農的循環社会」(2008年春号)、韓洪九の「現代韓国の抵抗運動とロウソクのともしび」(2008年秋号)、朴露子の「韓国大学社会の悲しい断想」(2007年秋号)、白池雲の「村上春樹と東アジアの歴史的記憶」(2005年冬号)、陳恩英の「感覚的なものの分配」(2008年冬号)陳恩英の「感覚的なものの分配」の持つ文学的意味については、拙稿「文学の運命、あるいは敗北した者の美しさ」(『文学手帖』2009年夏号)を参照のこと。のような論文の持つ個性的文体や鋭利な現実認識、美学的品格、硬い内容がとても印象的だったという点をここで明らかにしたい。そして私は言いたい。窮極的に美しく個性的な文章こそ、美しい世の中を形成する最も核心的な構成要素であると。
 

7. 結語 :『創作と批評』の役割

 
2001年の「開かれた進歩と権威主義の間」以後、8年ぶりにまた『創作と批評』と対話をすることになった。この8年は個人的に『創作と批評』に対する期待と失望が絶えず交差する時間であった。人との出会いもそうであるように、度々会えば互いを理解することになるということなのだろうか。相変らず『創作と批評』のある部分は私にはとうてい接近できない、霧でおおわれた城壁である。しかしこの小論を書いて、私が『創作と批評』の立場であっても、同様の選択をしただろうと考えられる共感の瞬間もあった。その点が私には小さい慰安でもあり、言葉では形容できない切なさでもある。しかし、この次に『創作と批評』と私がどのような形で出会うことになるかは、私自身を含めて誰も分からないだろう。よく考えてみれば、これまで私には『創作と批評』に対する物足りなさと期待がそれだけ大きかったということである。時折「『創作と批評』でさえ」と嘆くこともあったからである。その「嘆き」がこれからは「『創作と批評』はやはり何が何でも違う」という「深い信頼」に変わることを念願する。

 

当初の意図とは異なり、あまりにも多くのことを語ってしまった。はじめにこの論文を構想する時とは完全に異なったものになってしまったのを見ると、実に居心地が悪い。しかし、どうしろというのか。この論文も私自身の痕跡なのである。

 

時代があやしげな風潮を帯びてきている。新公安政局という話も聞こえ、また80年代が戻ってきたという噂もある。ロウソクのともしびは、また燃え上がることがあるだろうか。多くの人々が侮蔑の時間を黙々と耐えている。この時代に『創作と批評』は何ができるだろうか。そして私はどのような批評を書くべきであろうか。このごろ、太平洋の果てから眺めた、自分の戻るべき韓国社会の悲しい姿が、鮮やかに目に浮かぶ。

 

何よりも私たち知識社会において、いまや冷笑と傲慢の代名詞となってしまった進歩と改革のイメージを、本来の意味に戻すべきではないだろうか。それが盧武鉉政権の傲慢から始まったものであろうと、あるいは進歩陣営の持つ本源的な限界に由来したものであろうと、現在、「進歩」と「改革」を見つめる市民の視線は冷たい。致命的に汚染されてしまった「進歩」と「改革」、それを美しい進歩と省察的な改革のイメージに戻す過程において、『創作と批評』が担うべき役割は実に大きいと考える。その役割の一つは、政治的正しさと審美的品格の結びついた美しい批評が、『創作と批評』にさらに頻繁に登場するということであろう。(*)

 


訳=渡辺直紀

季刊 創作と批評 2009年 夏号(通卷144号)

2009年6月1日 発行

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