新自由主義的権威主義国家と生活政治
特集│韓国社会、代案はある
金賢美(キ厶・ヒョンミ) 延世大学校文化人類学科教授。著書に『グローバル時代の文化翻訳』、『不慣れな所で私に会う』(共著)、『「近代」、女性の行かなかった道』(共著)などがある。
1. はじめに
われわれは2008年夏のキャンドルデモを分析する多くの文章を通じて、「生活政治」という言葉に慣れてきた。金皓起(キ厶・ホギ)はキャンドルデモが制度政治や代議政治とは違って、参与に基づいた生活政治への移動を示した事件だと規定し金皓起、「キャンドル集会、巷の政治、制度の政治」、京郷新聞ほか主催、「キャンドル集会と韓国民主主義」第1次討論会資料集、2008.6.16.、洪性泰(ホン・ソンテ)は様々な文明の危険に包まれた「危険社会」の状況で、健康と生命を守ろうとする市民たちの熱望が噴出したことと分析した。 洪性泰、「キャンドル集会と民主主義」、『経済と社会』2008年冬号、10~39頁。このような意味でキャンドルデモは生態危機と、それに対する不安を表現した生活政治が本格化したものであり、生態的次元における民主主義の深化を促した事件だということである。アメリカ産牛肉輸入の論難は、予測できない危険と不安がもう私たちの生に深く浸透しているということを知らせたし、これを積極的に防御し、対抗しようとする人々を結集させた。ここでいう生活政治は人間の根元的価値である健康と生命を守るための政治を意味する。ジョン・テソクは生活政治の拡散が消費社会の到来と関わっていると解釈する。ジョン・テソク、「狂牛病反対のキャンドル集会から社会構造的変化を読む」、『経済と社会』2009年春号、251~72頁。 消費、文化、余暇生活が次第に日常的な生とアイデンティティが形成される中心的な空間として落ち着くこととなったが、このような物質的豊かさにもかかわらず、生態環境の問題と食べ物への不安が深まると、人々は生の質に関心を持って連帯することとなったのである。ジョン・テソクはこのことに基づいて生活政治は「労働者─市民」より「消費者─市民」が中心的主体となる政治だという点を指摘する。
一方、イ・ギホによると、生活政治はこれまで家族や個人が責任を取って管理するよう求められてきた私的領域内部の細かな地点を、共同の関心事として復元することである。イ・ギホ、「生活政治の観点から見た韓日間の市民運動の比較研究」、『市民社会とNGO』2003年上半期号、173~264頁。 すなわち、生活政治は私的空間に閉じ込められている個々人が広場に出てきて、共同体性を回復するという意味で私的空間と公的空間との間に、対話と協力のチャンネルを設けることである。また、「他人の生に対する尊重と自己の生との関係性を回復する運動」であるから、既存の民衆・民主運動のような組織運動と区別される。従って、生活政治の主な行為者は「市民」であり、その際の市民はある程度、生の安定性を獲得した人々を指す。また、市民個々人の「献身」と「自発性」を志向する過程的運動であるから、既存の運動組織によって主導されたりはしない。
キャンドルデモを分析した多くの学者と運動家たちは、100万以上の市民が参加した「広場の生活政治」を韓国市民社会の成長を証明する事件だと解釈した。しかしその後、1年がたった今現在、私たちは何を目撃しているか。1997年の外国為替危機以後、強化されてきた新自由主義的秩序は、李明博(イ・ミョンバク)政府の執権以後、より強力な執行と体現のための多様な暴力を使っている。新自由主義的経済論理と、「強力な」執権者に依存する権威主義的政治体制が結び付いた現在の統治体制は、食い違った時間帯が中途半端な状態で重なっているようである。「左偏向」というレトリックで根元がわからぬ旧時代的な組分けを強化しながら、市民社会の「文化的疲労感」を累積させている。また、政治的意思表現や示威に対する訴訟が急増するにつれ、「表現の恐怖」が生じている。戦時を彷彿する軍事作戦を通じて、経済的周辺者たちを追いやり、抑圧する物理的暴力が日常化している。このような統治体制は韓国社会が長い間闘争して創り出した脱冷戦、民主主義、人権、市民社会の共同体的アジェンダを脅かしながら、私たちの日常を圧迫している。このような物理的、経済的、文化的、象徴的暴力の前で生活政治の想像力を持つとは大変難しいことである。国家が振り回す恐怖感助長の戦術が活発すれば、政治的に混乱したり、萎縮した個々人が量産されるしかない。生活政治は公共的な利益を共に創り出すという信念を持った、民主的で疎通志向的な個人の自発性に基づいているので、こんな時代的脈絡は生活政治の発現に非常に脅威的な環境である。また、「生存権を越えた」生の質を改善するための運動という生活政治の新中産層的階級性も、次第に「虚ろな神話」となっている。生そのものが「投機」の対象となりつつある現実のなかで段々より多くの人々が一日で階層的「没落」を経験している。雇用不安定と予測不可能な災害に無防備に晒されながら、日常生活が直ちに生の持続と停止という「生死」の問題として還元されやすいからである。
「新自由主義的権威主義」と呼ばれるこのような新しい統治秩序のもとで、生活政治をどのように想像すべきであるか。本稿は新自由主義的政治・経済論理と、権威主義的家父長制の文化論理とが結び付いた統治秩序下で、生活政治の限界と可能性は何なのかに対する苦悶から始まる。このような状況で生活政治は中産層中心の市民運動という偏狭たる定義から脱して、「人間の生の能力」を増進する運動という広義の概念として理解されるべきである。そのような基盤の上で生活政治の可能性とその具現を脅かす条件、そしてそれにに対抗する文化的想像力は何なのかを探索したいと思う。
2. 政治的自由と支払い能力
吳世勳(オ・セフン)ソウル市長は、市長公館の前で罵倒を浴びせながら示威を繰り広げた商家撤去民などを相手に出した可処分申請で、1回の違反当たり50万ウォンを賠償しろという決定を勝ち取った。裁判所の決定が下されて以来、市長公館前の撤去民示威はなくなった。(『朝鮮日報』 2008.8.25)
いわゆる「不法」示威者たちに「賠償義務」が賦課できる間接強制制度が急増している。警察はキャンドルデモを主導したという疑いで、狂牛病国民対策委員会などを相手に3億3000万ウォンの損害賠償の請求訴訟を起こした。示威に対して損害賠償を求める「集団訴訟法」も推し進められている。キャンドルデモに参加した1800余個の市民団体は「不法暴力示威に参加した関連団体」と規定されて、彼らに対する政府補助金の支給を制限しろという文書が見つかった。今年、補助金を受け取った団体は、示威に参加しないという「覚書」を書かなければならなかった。
このような変化は財力によって政治的権限が与えられる「金権政治的」支配が韓国で現実化していることを明らかに示す。これまでも金権政治という言葉は度々使われた。政経癒着や財閥非理、腐敗政治を批判する際に用いられた用語である。新自由主義の秩序が落ち着くようになった、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府以後、李明博政府に至るまで企業親和的、公企業の市場中心的民営化政策と私教育をそそのかす政策が同じような方式で進められてきたが、最近登場している金権政治は政治的意思表現と深く関わっているという点で以前のそれとは違う。批判勢力を制圧する新たな統治方式として登場した金権政治は、すべての政治的異見と対立を訴訟で解決する。キャンドルデモ関連の訴訟の当事者は、大統領を始め公共機関と商家主人たちが原告であり、示威参与の市民と市民団体が被告である。李明博政府の執権以後、強化された「法治」という名の統治性の核心は、政治的自由と支払い能力の有無が深く関わっているということである。
財力に従って国民を分離し、位階的に範疇化してそれに合わせて政治的自由の許容範囲を決めることは、韓国のみに限られた現象ではない。1970年代後半から今まで、世界資本主義の中心イデオロギーとして落ち着いた新自由主義は、経済的富と政治的自由を効果的に結び付けてきた。ハーヴェイ(D. Harvey)は新自由主義が大衆的同意を得ることとなったのは、「個人の自由」というスローガンが官僚制の束縛から脱しようとした個人らに魅力的な言説として受け入れられたためだという点を強調する。デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)、『新自由主義:簡略な歴史』、チェ・ビョンドゥ訳、ハンウル、2007。 新自由主義の文化イデオロギーは、このように選択の自由、政府から干渉されない自由、いかなる条件にも構わず自ら設定した目標を追い求める自由を強調することによって、歴史上における他のいかなる時期より「個人」の自由を力説してきた。しかし、ここで名付けられる個人は普遍的なヒューマニズムに基づいた「人格」を持つ個人ではなく、私有財産を通じて市場経済で積極的な行為者として活動する個人である。新自由主義は究極的に多くの私有財産を所有し、それを守り増やそうとする経済エリートと資産家たちの権力を拡張してきた。これのため、市場論理の結果的不平等を縮めようとする福祉国家の干渉に制動をかけ、「小さい国家」を力説してきた。フリードマン(M. Friedman)が主張する「競争的資本主義」で個人の経済的自由は、政治的自由を獲得するための必須不可欠な条件である。政治的自由を獲得するため経済的自由を得るべきだという新自由主義の論理は、支払い能力のない者は、「政治的」自由が持ち得ないという逆説を作り出しているのである。
従って私たちは、市民たちがキャンドルデモを通じて「疎通」を要求することによって政治的表現ができる民主社会の個人として存在しているといった錯覚から覚めなければならない。金権的権威主義の体制で疎通は「支払い能力のある者に与えられる席」でしかない。支払い能力のない者は、政治的地位も持ち得ない絶対的他者の位置へと転落してしまう。キャンドルデモに参加した、ある20代の男性の事例は、彼の政治性が訴訟によっていかに希釈されうるのかを見せてくれる。彼は示威参加者という理由で警察に逮捕され、500万ウォンの罰金を宣告された。罰金が支払えない彼の経済的状況は、彼を心理的に非常に萎縮させただけでなく、訴訟という長い、金のかかる争いですでに敗北が自明であることを知らせた。さいわい彼は無料弁論をしてくれる弁護士の助けで現在、不服従のための訴訟を進めているという。このように訴訟過程におけるキャンドル示威者は、自分の政治的意思表現を遂行した「示威者」ではなく、自分の行動に求められる責任が果たせない負債者であり破産者であるしかない。あたかも信号違反で罰金を出さなければならない運転者のように、キャンドル示威者が堅持する政治性と社会的「地位」は削除されてしまうのである。個別化した訴訟は同質的な政治的意思表現を、一集団から「個人」を離れさせ、責任の主体として還元する過程である。「連帯」と「所属感」という集団化した運動から分離された個人は、寂しくて至難な「闘い」に一人取り残されることとなる。もう政治的表現方式に対する論争は消え去り、有能な弁護士を選任して賠償と罰金の額を下げることが被告人に出来る最大限の協商となる。このように個別化した訴訟を通じた支配方式は、個人に心理的萎縮感を抱かせるのは勿論のこと、支払い能力のない個人を「政治領域」外へ追い出す効率的な手段である。政治的意思表現と支払い能力の有無が深く関わり合うことによって、経済的弱者たちは自然と政治的領域から排除される。これに対して洪性泰(ホン・ソンテ)は「集会と示威の自由は憲法で保障する基本権として、これは経済的被害よりずっと根元的で重要なものであるから、損害賠償を提起することは違憲的であり、何でも金で解決しようとする「金社会」の問題を赤裸々に見せ付けること」(洪性泰、前掲論文、28頁)だと主張する。
もちろん訴訟が李明博政府の執権以来、登場した新しい現象ではない。2003年の参与政府の出帆以後、「大統領選挙当選無効訴訟」「大統領弾劾追訴」「行政首都移転違憲訴訟」など、ハンナラ党の方から多くの訴訟が提起された。これに対抗するため盧武鉉政府の青瓦臺は当時、「ハンナラ党の李明博大統領候補が権力の中心勢力で野党候補に対する秘密調査を行なわせた」という発言を問題視しながら、李明博候補を名誉毀損の嫌疑で検察に訴えた(『ハンギョレ21』 2007.9.13)。 この記事は「政治が法廷に行くと、政治の領域はみすぼらしくなる。訴訟で興した者は訴訟で潰れることもあり得る」という言葉で締め括られている。しかし、李明博政府の出帆以後、政府関連の訴訟はむしろその数が急増している状況である。支払い能力の高い李明博大統領は、キャンドルデモの当時、オマイニュース(ohmynews)の記事に対して訂正報道と損害賠償の請求をしたし、相次ぐ反キャンドル訴訟もまた、その規模が大きい。批判勢力を押さえる方法として訴訟が乱発されているといえるほど、言論人たちの書いた文章に対する政府側の訴訟が堰が切れるように溢れ出ている。インターネットに文を載せたブロガーたちも名誉毀損および侮辱罪と関わる訴訟から自由でない(『PDジャーナル』 2009.7.8)。以前、示威に参加したり、批判的な文を生産した彼らは自分の行為に対する道徳的名誉が勝ち得たが、政治的な領域が「経済的領域」に還元されるにつれ、信念による行為や論争、談論の生産は潜在的な「訴訟物」として存在するだけである。このような個人の「政治的意思表現」を守るためには、支払い能力がなければならない。支払い能力のない個人はもう「語り得ない」のである。最近、論争中であるメディア法も、支払い能力のある大型言論社が社会世論をこれまでよりもっと支配できる通路を開かせたことである。個別化した力争いを助長し、これを「正義」や「法治」の名で擁護する訴訟は、疎通と協商を通じて時間はかかっても「共同体的解決」を模索してきた人間の能力を台無しにする。訴訟の増加で政治的表現は萎縮しており、これは誰が政治的主体となれるかに対する新しい規律を作り出している。
3. 「国家なし」と国家暴力
今年始めに起こった竜山惨事で亡くなった撤去民たちは、6ヶ月が過ぎても葬式が行なえずにいる。この事件に「責任」を取る人がいないし、誰が責任を取るべきかについても各自の立場によって余りにも異なるためである。2007年の麗水外国人保護所の火災、2008年の京畿道利川地下冷凍倉庫の火災、2008年の論峴洞考試村の放火および殺人、それから2009年、龍山の撤去民惨事に至るまで、私たちは哀悼され得ない死を相次いで目撃している。すでに無くなったと思われた第3世界的発展国家の強圧的暴力と死の現場が蘇っているし、これによる「郷愁的恐怖」が襲いかかっている。
オ厶・ギホが「包囲、占拠、破壊という迅速な軍事作戦を通じて行政が国防化された」 オ厶・ギホ、『誰も人の世話をしないように』、ナズンサン、2009、184頁。 ようであると描いた竜山惨事が繰り広げられたその時間に、李明博政府は積極的な外交を通じて建設、エネルギー、貿易などの分野についてヨーロッパと、ウズベキスタン、カザフスタンのような国々と経済協定を結んだ。全世界経済危機の渦中にも韓国は相変わらず世界的に本当に「イケている」国である。アメリカのオバマ大統領も、G8拡大頂上会議とアフリカ訪問中に「なぜ韓国のようになれないのか」という質問を投げかけた。もしかしたら韓国社会の経済沈滞と民生問題は総体的で包括的な「危機」でないかも知れない。すでに韓国という国家内部には「国民」という同一な範疇で締め括れない異質的な存在が居座っているからである。韓米FTAのように国家のエリート同士の間で結ばれる協定が、ある人には生存を脅かす最大の危機であるが、また他の人には大当たりの神話を産む希望の兆しである。2009年、韓国という空間で同時的に発生した、竜山惨事に対する無応答と、積極的な志願外交という二つの事件は、国家の性格が変化していることを余すところなく示す。国家が国民が持つべき生の権利を経済活性化という抽象的価値を前に出して剥奪したり、特定の国民の要求に耳を傾けない、あるいは最初から話しかけない状況を理解するためには、新自由主義下で急変する「国家」の性格を見てみる必要がある。
アメリカの進歩的社会学者、セネット(R. Sennett)はアメリカ新経済体制下の国家の性格を「コンサルティング国家」と命名する。国家も企業のコンサルタントのように「人々の具体的経験には関心がなく、改革や変化という名で統制は強化しながら責任は取らないもの」として変わりつつあるということである。 リチャード・セネット、『ニューキャピタリズム』、ユ・ビョンソン訳、ウィズダムハウス、2009。もうこれ以上、国家は人々の生の危機を公共的に解決しようとする福祉政策や緊急救助には関心がなく、「あちこち触るだけで一つに没頭しない」性格へと変化しているということである。バトラー(J. Butler)とスピヴァク(G. Spivak)の対談で概念化された「国家なし」の意味を思い出してみよう。自由市場主義に基づいた全地球的「管理国家」は、国民国家内の再分配、福祉、そして憲法主義には関与せず、資本の世界的流通のための管理者としての役割のみを遂行しようとする。これは国民国家内で国家が国家の機能を果たさない「国家なし」の状態を作り出す。 ジュディス・バトラー、ガヤトリ・スピヴァク、『誰が民族国家を歌うのか』、チュ・へヨン訳、サンチェクザ、2008、87頁。 「国家なし」とは民族や国民といったような名付けに依存しながら、特定の主体たちは国家に適法した主体として括り出すが、移住者のような異なる主体たちは積極的な権力行事を通じて国家の外へ放り出し、追放して権利を剥奪する状態を意味する。法が「例外的な存在」として作っておいた人々に対する「暴力」は正当だと見なされる。ジョ・ジュヒョンはアガンベン(G. Agamben)の「例外状態」の概念を用いて、2007年2月の麗水外国人保護所の惨事で死んでいった「移住者」たちが韓国社会の「がらんどうの生命」であると主張する。 ジョ・ジュヒョン、「地球化、がらんどうの生命、フェミニズム:公共性の変化と女性運動の対応」、『市民社会とNGO』2007年上半期号、63~90頁。アガンベンは「ホモ・サケル」という概念で潜在的に法が適用されない「例外」の状態に置かれた者たちについて説明した。彼らは人間の尊厳性を喪失したまま、自然そのままのアイデンティティ、あるいは動物的アイデンティティへと格下げされながら、もっぱら「生命だけのそんな存在」として残される。そして、このように人間ががらんどうの生命へと還元されることによって、国家権力は何の責任なしに人間が殺せることとなる。 これら移住者たちの中で「火災で意識を失った負傷者たちは、病院で意識を回復するやいなや手錠に掛けられて寝ていたベッドの欄干に縛られた。火災惨事で死んだ死体を剖検する際には遺家族の同意どころか通知さえ行なわなかった」(麗水外国人保護所の火災惨事共同対策委員会 2007.3.7、ジョ・ジュヒョン、前掲論文、79頁から再引用)。「がらんどうの生命」は国家暴力の犠牲者であるが、彼の死を哀悼する時間も付与してもらえない存在である。
しかし「国家なし」は、国家が国民の人間らしい生を保障するために求められる再分配と福祉の役割を遂行しないことによって、国民と名付けられた主体さえも同じような状況を経験することになるのを指したりもする。これは国民の中の一部分が国家内の協商のためのパートナではなく、非可視化された「余剰的存在」と規定されるからである。新自由主義的国家では国民内部に排除の空間が広げられ、そこから「簒奪」のための暴力が活性化する。2009年1月、都心のど真ん中で行使された撤去民に対する国家暴力は、「国家なし」の状況を明確に示した例である。都市の余剰的存在として規定された貧民や性労働者は非可視的な領域に追い出され、その生の歴史性がなくなった席に新中産層の華やかな消費および住居地が無頓着に偉容を表わす。このように国家は支払い能力のある人々とは「投機」を通じた金持ちへの貪欲を取引しながら「国家あり」を証明する。
アイロニカルにも、李明博政府は最近、「庶民」を政治の対象として喚起しながら、「庶民政治」を全面に出している。竜山惨事で代表される、実際庶民たちの生存権には無関心な政府が庶民を生かし、庶民型生計犯罪者たちに対する特別赦免を断行し、庶民の教育費負担を下げる画期的な政策を設けると公言している。韓国社会の「厄介者」として取り扱われる都市貧民、労働者、経済的周辺者、青年失業者のような現存する「庶民」と、国家政策の保護対象として登場する「庶民」たちとは互いに異なる存在なのか。
このような点で韓国は相変わらず「父権的権威主義」の性格を持つ。個人化した自由を浪漫化し、小さな国家を主張する新自由主義のモデルとは違って、強くて保護主義的な国家を想定するのである。統治者は常に「庶民」を心配し、「庶民」の生計問題に苦心する家父長の姿として自らを再現する。その中に隠れた性別イデオロギーは大統領を生計扶養者として設定し、大統領の「能力」如何によって家計がよくなるように国家経済も蘇るだろうといった前近代的信心体系と結合する。このモデルは庶民という支配の対象が実際味わう実存的危機には耳を傾けずに、すべての国民を「庶民」という同一な範疇に従属させて低い水準の社会的サービスを供給しようとするものである。また、このモデルの父権的な性格は、市民を「庶民」という非-政治化した範疇として規定し、恩を施すかのように名付ける。自由な意思表現の堅持者としての「庶民」ではなく、庶民と名付けられた者たちはもう無力で受動的なサービスの受恵者として同質化される。市民が享有すべき労働権・住居権・社会権などの「権利」を、低い水準のサービスで対峙させることによって、国家財政は支払い能力のある個人らの富の蓄積を容易くすることに用いられ得る。低い水準の「庶民型」サービスは、「退出の恐怖と墜落」に苦しむ不完全雇用や半失業状態に置かれている人々を救済できない。また、「庶民」たちは自分の生を変化させるための政治的表現をするやいなや、直ちに「庶民」ではなく不純で不法的な対象として見なされる。このような統治体制は1970年代の儒教的父権主義の文化的モデルと、新自由主義モデルを結び付けることによって、市民たちの積極的な生存権に対する保障は提供しないまま、ただ彼らを温情主義の対象として残しておくのである。
4. 「生の能力」としての生活政治とキャンドルの遺産
李明博政府は「国民成功時代」というスローガンを叫びながら登場した。国民の期待は大きかった。しかし、早いスピードで居座りつつある新自由主義的権威主義の秩序下で多くの人々は雇われる能力と支払い能力がないため、政治的に無力化している。同時に「庶民」と名付けられて、指導者の温情を待つ非政治的主体として規定されている。李明博政府は民主主義と個人主義を毀損して、多くの市民たちの政治的反感もまた増幅している。このような状況で去るキャンドルデモが示した生活政治の遺産をどのように批判的に検討し、また有意義に繋げていけるか模索しなければならない。高級知性、高技術、高情報と洗練した文化表現で100万名を糾合しえたキャンドルが私たちにもたらした「自尊感」と「自負心」の遺産は何なのか。疎通とスタイルというキーワードを通じて洗練した政治性を発揮したキャンドル参与者たちはその後、国家暴力の日常的現場を目撃しながらどのような考えをすべきか。私たちが後進的なものとして退けた階級的対立の現場と死を目撃しながらも、これをもう過ぎ去ったことと見なし、顔を背けることができるのか。そしてこんな状況で生活政治は果たして何だと定義されるべきであるか。
キャンドルが驚くべき政治的発展を成し遂げたのは、示威の小さな現場ごと「感情」が流れる空間を作り出し得たという点である。生活政治は利害関係が異なる主体たちの政治行為が持つ美学的・道徳的・経済的価値を競合させることである。この過程で既存の、政治的領域の外へ留まっていたものが新たに価値を付与され、政治的なものの位階の中へ入ってくる。キャンドルが生活政治として意味を持つのは「渇いて」「位階的な」政治の過程で参加者たちが感覚的楽しさを得ただけでなく、自律的な疎通能力を作っていったからである。キャンドルの成功はつまり、不確実性が増えつつある韓国社会で、相変わらず疎通できる能力を持った「感情のある個人」を創出したという点である。キャンドルで示された生活政治は都市的洗練美とユーモアを持っていたし、決して冷たかったり接近しにくい性質のものでもなかった。参与者たちは用意してきた食べ物を互いに渡し、微笑みを交わすなどの行為を通じて互恵の空間を創り出した。ドゥルーズが情動(affect)と呼んだ感情、知識、情報、疎通による情緒の流れで人々を動かせる能力が、近代理性が押さえ付けた感情と体を復元し、合理的知性と熱情と感じを介入させながらキャンドルという広場を創り出し得たのである。情動は体と心の二分法を克服することを手伝うだけでなく、私たちの周辺世界に影響を与える力と、周辺世界によって影響されるようになる力の因果関係を意味する。ジル・ドゥルーズほか、『非物質労働と多衆』、キ厶・サンウン、ソ・チャンヒョン訳、ガルムリ、2005。 影響を受ける私たちの力が大きくなればなるほど、行動する力も大きくなるのである。
もちろんキャンドルが情動的効果を発揮できたのは、最先端のメディアシステムを搭載したノートパソコンとキャ厶コーダーを所有した個人らがいたからである。彼らがリアルタイムで運んできた情報と注釈、解題、そしてそれに連鎖効果を起こしながら伴った討論と戦略は、生活政治の事例として登場したキャンドルデモが非常に高値の技術消費のスペクタクルで成されたことをよく示している。2008年のキャンドルデモは生存の問題を越えた「新中産層」とその子女たちが加わった市民運動として、「文化的地位」が享有できたという点もまた、認めるべきである。政治の主体は政府でも市民運動団体でもなく、取りも直さず「主権を持った個別化した市民」であることを確認したキャンドルデモ以後、人々は自分が品物を選ぶ消費者のように、政治参与の可否を選択できる存在だと見なすことになった。しかし、新政府の変化した統治様式は、個別化した消費主体としての個人や自発的参与という名で浪漫化された市民運動で解決するには手に負えないように見える。キャンドルの階層性と消費性にも関わらず、キャンドルが創り出した生活政治は異質的な人々を非市場経済の回路の中へと糾合しえた「同感」の能力であった。支払い能力のある者たちにより多くの影響力と発言権が与えられる金権政治が生じてくる状況で、キャンドル少女、ベビーカー部隊、経済的非主流者、移住者、市民活動家、新中産層などが、各自持った文化資本と経済資本、社会資本を市場論理で位階化しないで情動の能力を発揮したということが重要な地点である。
キャンドルを受け継いで私たちが新しく創り出すべき生活政治はアジェンダの問題ではない。それが労働運動であれ、地域運動であれ、環境運動であれアジェンダで生活政治が規定されることは止揚すべきである。生活政治は生の不安定生と疲弊さと闘うために、位階化・範疇化された人間の生と生との間で「共感」の能力を取り戻すことである。私はバトラ-の概念を借りて、生活政治を「生存可能な生の可能性を増加させることに寄与する」政治的行為として規定する。 ジュディス・バトラ-、『不確実な生』、ヤン・ヒョシル訳、慶星大出版部、2008。 セネットの指摘通り、資本主義だけ生き残って「社会的なるもの」(the Social)は死んでしまった時代に、不平等は段々疎外の問題へと繋がっていく(セネット、前掲書、100頁)。疎外に対する抗拒は、日本のひきこもり(隠遁型一人ぼっち)のように非常に個別化して社会と徹底的に隔離した形で表現されたり、または暴力として現れることもあり得る。
生活政治を「生の能力」(Biopower)を回復する運動だと定義する際、すべての個人の生が互いに繋がっているという認識は、代案的で対抗的な政治的想像力を構想するに何より重要である。例えば、暴力を考えてみよう。対抗暴力を使った労働者や都市貧民を、韓国社会の文化的水準に達していない「非文明化された」存在として蔑み、容易く批判することをしばらくの間止めてみよう。すべての人間は暴力の危険のない安全で平和なる生と職場を望む。警察の水鉄砲に抵抗して対抗暴力を行使したキャンドル市民も、撤去されるビルの望楼で火炎瓶を投げ飛ばした竜山撤去民も、彼らを鎮圧した警察も、雙竜自動車職員たちも、そしてメディアを通じて撤去民たちの死を「視聴した」私も、暴力を避ける方法について苦悶する。問題は各自の「実存的条件」のため、ある人には暴力が日常的生の一部となるしかないし、ある人は暴力の発生とは無関係に安全な場所に落ち着くことができるという点である。新自由主義の強圧的移行で「生死」の生命政治の危急性を体験する人々の数は増えつつあるが、これと同時に無関心な視線で撤去の現場を眺める位置に着いた人々も増えている。都市貧民に対する国家暴力の発現を、自分とは関係のない「遥か向こうの外にいる者」たちの現場として見なし始めると、彼らの抵抗もまた、意味のないもう一つの暴力となるだけである。誰かまたその位置に着くことがあり得るからである。
新自由主義的権威主義体制下の生活政治は、中産層として持つ市民の位置と、「余剰人間」として扱われる市民の位置との間に間隙が存在しないし、従って互いに異なる位置にいつでも移動できるという可能性そのものを想像する能力が必要である。結局、他者の生と私の生とが繋がっているという共感の能力がキャンドルの遺産であり、守るべき政治的価値なのである。
5. 「非経済的相互共存の回路」作り
新自由主義時代が排出する社会的危険、不予測性、個人の孤立で生の植民化が加速される一方、私たちの生活世界を新しく変えようとする意志を持った個人らも増えている。彼らは市場論理と競争論理で支配される生活世界のイデオロギーと価値を変化させるため、村作り、経済共同体、共同作業場運動などに参与する。健康な労働、安定した生、持続可能な生存、連帯の価値を新たに組み合わせて創り出す運動は新鮮である。
これまで「範疇」や「アイデンティティ」によって区分されていた労働運動、生態運動、地域運動などが新しく混合され、新しい価値が創出される。このような新しい運動は産業社会的不安と、ポスト-産業社会的不安に同時的に対処するという意味で韓国社会の脈絡にも充実している。ジョン・テソクは韓国社会の国家福祉制度が制限的で脆弱であるだけでなく、労働者の権利を保護する法的・制度的装置が微弱で産業社会または階級社会が作り出す危険を解決できずにいるし、また、消費-市民が主導する後期近代的不確実な生に伴う危険社会の危険にも二重的に晒されていると診断する(ジョン・テソク、前掲論文)。市場は貨幣を媒介にして没人格的交換がなされる空間であり、ここには共同体的連帯が不在する。従って次第に多くの部分が「市場の論理」によって規定されてしまう生活世界が新しい政治の場となるためには、「生産者-労働者-消費者-市民」という多重化した個人の位置から市場と関係を結ぶべきだということである。このような多重的アイデンティティは、いかなる個人も労働する、または労働しない権利、消費者権利、市民社会の民主化など、多様な政治性を表現するに流動的に参与できることを意味する。
セネットは不安定というものが新経済の中にプログラミングされた必然的な要素なので、硬直した官僚制に戻らなくとも、と同時に不安定を誘い出す制度に対抗するための代案が必要だと主張する。彼は既存の労働組合中心の労働運動も「価値」を転換する運動と結合して生活政治に生まれ変わる例を示す。イギリスとアメリカで労働組合の並列組織を設立する試みがそれである。ここで並列組織は職場を斡旋する一種の雇用代講機構として活動する。また、労働組合が組合員の年金管理および医療保険の加入などを代行したり、託児所と討論会、社交集いなどを主導しながら、仕事場から無くなりつつある共同体を補完する。これで労働組合が組合員の経済的利害のみを増進するために存在するといった固定観念を破るのである(セネット、前掲書、218頁)。また、代案的な並列組合は若い年に職場を失った人々に就業を斡旋するなど、労働の経験が断絶しないように助けることに力点を置く。オランダで進められたことのある「仕事場分かち合い」は、一週間にただ何時間働くことだけでも失業の恐怖から脱することができるということを示した。もう一つの急進的代案は市民社会と国家の大妥協によって基礎所得の概念を制度化することである。これは「金持ちと貧乏人を構わず、皆に同じく基礎所得を分配して、それをまともに使うにしろ、浪費するにしろ個人に任せよという、ごく単純な制度である」(セネット、前掲書、220頁)。この制度の財源は税金であるが、皆が同じく生計に必要な最小限の収入を保障してもらうので、「依存する者」に対する観念がなくなり、同時に長期的に生を設計できる手段も持ちうることになるというものである。
IMF救済金融期の以前には、韓国社会の就業者のなかで81.2%が正規職であったが、今はその反対の現実を経験しているという点を想起する際、「予測可能な生」を創り出すための、労働する者たちの政治的表現もまた、生活政治として理解されるべきである。バーマン(P. Burman)は失業の状態を、自分の属した地域社会で恰も不慣れな所に来ている「旅行客」となった気分をさせることだと比喩する。 Patrick Burman, Killing Time, Losing Ground: Experience of Unemployment, Toronto, Ontario: TEP Inc. 1988. これは誰しも、彼が何かをやってくれると期待しないし、彼もまた、「選択」できる存在ではなく、その地域の誰かによって受け入れられることのみを待ち続ける、完璧な無気力の状態に置かれているという意味である。仕事と失業の境界に置かれて社会的存在性を喪失していく人々が増えるほど、生活世界はより植民化されやすくなる。従って急進的な生活政治は仕事の安定性を保障する多様な運動と結び付く必要がある。
「生産性」を誇示しながら生活世界を破壊している現在の政治は、私たちがこれまで成し遂げておいた民主主義、平等、人権、生の自律性に対する記憶と経験を消滅させる過程であり、歴史に対する意味を喪失する過程であるかも知れない。段々より多くの市民を「市場価値」と「支払い能力」がないという理由で余剰人間として分類し、暴力で治める状況で「生の能力」を生かす生活政治は非市場主義的共存の回路を多く創り出すことであろう。このためには生産性、世話すること、地域社会、生計などに対する新しい概念を創り出さなければならない。このような観点からフェミニスト経済学者たちが経済学を「糧食都合学」(study of provisioning)と再規定しようとする動きは非常に新鮮である。経済を個人間の競争や生存闘争に基づいた市場が支配する領域ではなく、基本糧食を工面することとして理解すると、経済は人々との間の相互性や感情移入のような力が働く領域として見直されることとなる(ジョ・ジュヒョン、前掲論文、68頁)。キャンドルデモの当時、女性の参加が活発であったならば、その理由は他の人々の経験に共感する能力を維持しながら、仕事場、家、地域社会の境界を出入りできる柔軟性のお陰だったからであろう。これは画一化した地位競争のなかで認定闘争に没頭し、頑固さと偏狭性で武装してきた男性たちの経験とは対比される。キ厶・ヨンオクもまた、「政治的領域と家計の領域との間に張り巡らされたイデオロギー的境界を無くし、世話労働、養育労働をやってきた女性たちの訓練された生命感受性が新自由主義国家権力が振り回す生の権力を無くし、生を生産しえる生の能力として活性化できること」を指摘している。 キ厶・ヨンオク、「女性、国家、キャンドル」、当代批評企画委員会編、『あなたは何故キャンドルを消しましたか』、サンチェクザ、2009、201~214頁。 内面化した競争と成果主義が与える文化的疲労、経済的不安定がもたらす恐怖が加速される状況で、生活政治の想像力は一言でいうと、本源的人間らしさの意味に耳を傾け、共感の情緒を取り戻すことである。
今、私たちは他のどの時代よりも早く、より予測できない方式で誰かの善意に依存するしかない「不確実な生」を生きることとなった。しかし、他人の善意に依存しながら、またはこれに報いながら関係を築き上げていくしかないというのが、もともと人間の生である。これは歓待に対するデリダ(J. Derrida)の解釈、すなわち、他の人に好意を施す浪漫的な個人主義的主体を想定することではなく、私たち皆が誰かに「客」となりうると同時に「主」ともなりうるという主張を思い出させる。 ジャック・デリダ、『歓待について』、ナム・スイン訳、ドンムンソン、2004。 誰しも自分の生と生命を守るために政治に参加したり政治を行なうし、これらすべては繋がっていて、また互いの位置はいつでも転換できるのである。市場主義の論理によって蚕食されない生命政治の想像力を養うべき今時である。(*)
訳 : 辛承模
季刊 創作と批評 2009年 秋号(通卷145号)
2009年9月1日 発行
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