社会的経済を強化せねばならない三つの理由 :「生活世界の危機」を乗り越えて
魯大明(ノ・デミョン)dmno@kihasa.re.kr
韓国保健社会研究院研究委員。著書に『自活政策論』『民主化・世界化〈以後〉の韓国民主主義の代案体制モデルを探して』『韓国社会の新貧困』などがある。
1. 問題提起
韓国社会は今、三つの問題に直面している。第一に民主化以後、民主主義を内実化できていない。第二に、健全な市場経済体制を構築できていない。第三に、生活世界全般で剥奪と格差の問題を解決できていない。これらが問題だという点は、おそらく多くの人が同意してくれるだろう。しかし、その原因と解決方法については多様な意見が対立するばかりで、簡単に社会的合意を形成できていない。さらに、あらゆる個別事案ごとが繰り返して政治・社会的葛藤の対象になったりする。そして、その底辺には韓国社会が共有する普遍的価値の弱まりという問題がとぐろを巻いている。
このような観点からみると、生活世界を中心に疎通空間を拡大することによって、新しい価値を生み出し、広めていくことこそが最も重要な課題だといえる。したがって、本稿では疎通空間の拡大方法のひとつとして「社会的経済(Social Economy)」の強化を提案しようと思う。
この提案の背景には、最近、韓国社会が経験している「生活世界の危機」がある。生活世界の危機というのは、総人口の1割を超える貧困層、アジア経済危機〔1997年〕以前よりも大きくなった所得不平等、だんだんと増加する雇用不安、過度の教育費支出負担などを意味する。これは韓国社会に「教育→労働→所得→消費」の悪循環が定着しつつあることを物語っている。学閥が労働市場における地位を決定し、労働市場における地位が賃金と雇用安定性に影響を及ぼし、「失業・低賃金(低所得)・雇用不安」によって所得格差が拡大し、世帯所得が教育・住居など必須の消費を抑えているのである。そしてこのような経済社会構造が現世代の苦痛にとどまらず、次世代の階層移動をも阻んでいるのである。 労働市場においてより優越な地位を占めるための教育競争は、すべての親のもっとも大きな関心事となる。そして塾や家庭教師などの私教育に対する依存度が高い状況で、教育費の支出競争は親の所得地位によって大きく影響される。すなわち、教育費支出金額は所得水準が高いほど大きく、それが世帯所得に占める割合は所得水準が低いほど大きい。さらに、教育における達成度は親の所得地位および私教育費の投資規模に比例する。これは教育機会の不平等が階層移動の可能性を遮断することを意味する。
このような状況で、市民が新しい世の中と価値を夢見るのも当然であろう。もちろん、公教育以外の教育費と住宅費を準備するために過度の労働を受け入れねばならず、しかしそれに耐えらないなら他の支出を犠牲にせねばならないという状況にあって、分かち合いと連帯の価値など程遠いものである。代案教育〔フリースクールなど既存の教育とは異なる理念をもつ教育〕を考え、新しい住居概念を定立し、分かち合いと連帯を夢見ることができれば、それを実践するのは難しいことではない。
とすれば、この問題を解決する方法はどのようなものだろうか。それは新自由主義と国家主義という既存の対策から脱却し、生活世界を中心に分かち合いと連帯に根ざした生き方を体験する機会を押し広げていくことである。そして、このために新しい価値を土台に成長してきた社会的経済を強化することである。生産と消費の領域で新しい価値をもった雇用を創出し、サービスを提供することによって、新しい形の生活世界の構築が可能であるという点を確認していきたい。もちろん、このことは単純に新しい働き口を作ることにとどまらない。というのも、それは市民社会の疎通空間を拡張することによって、民主主義を内実化するための基盤を固めるものであるからだ。
2.社会的経済とは何か
社会的経済の概念
韓国社会にはまだ社会的経済という概念が余り浸透していない。そして、似た意味の別の言葉と混同されがちでもある。たとえば、連帯経済(Économie Solidaire)、第三セクター(The Third Sector)、第三システム(TheThirdSystem)などである。しかし、いざその意味を紐解いてみれば、それほど目新しい概念でもない。社会的経済はすでに韓国社会のあちらこちらに姿を見せもあるフェア・トレード、地域貨幣(LETS)、生活協同組合といった活動領域を指すものであるからだ。
「社会的経済とは、人間をすべての関心の中心に置くものである。重要なのは人間で、資本ではない。したがって、それは資本の収益よりも雇用を重視し、雇用を通じて創出される社会的連帯を重視する」。 Patrick Loquet, “Économie Sociale: De l’Insertion à la Solidarité” Espacesocialeuropéen,n.516,2000.6.23~29. もちろん、営利企業も労働者を尊重し、これらの雇用創出のために収益を犠牲にすることもある。しかし、社会的経済は「民主的意思決定構造をもち、資本追従の収益配分を制限する原則によって運営される組織の活動領域」を指し、活動主体については「協同組合(Co-operative)、共済組合(Mutuals)、市民団体(Association)の活動領域」を指す点で異なる。 Jean Delespesse, “L’Économie Sociale: un Troisième Secteur,” décembre 1997; Mike Campbell, The Third System, Employment and Local Development, 3 vols., European Commission 1999.そして、最近注目されている社会的企業(Social Enterprise)もまたこのような組織に含まれる。
社会的経済の組織には市民の利益を擁護する市民団体やボランティア団体など、直接に経済活動に参加しない非営利民間団体(NPO)なども含まれる。 社会的経済はヨーロッパ、とりわけラテン系ヨーロッパにその起源を見出せる。非営利民間部門はアメリカで、ボランティア部門は英国で幅広く使用されている。社会的経済は収益を創出する特定の経済活動組織にもとづく概念だが、後者はボランティアに依存する非経済的活動にもとづく概念である。そして、社会的経済が民主的決定方式と収益配分の制限を重視する一方で、非営利民間団体は明示的にこのような規定を定めていない。しかしやはり社会的経済の特徴は、協同組合や社会的企業など、市場で経済活動をおこなう組織にあるといえるだろう。これらの組織は社会的経済の概念が根付いていないアメリカなど、一部の国家では営利企業のようにみなされてもいる。非営利民間団体は、税制上の優遇措置を受けるかわりに収益活動に参加せず、収益活動に参加するなら営利企業と同じく課税される。他方、ヨーロッパ諸国では代案的経済活動によって連帯の価値を実践する組織を営利企業とは別のカテゴリーに分類し、独自の法的地位を付与している。 Jacques Defourny et. al., Social Economy: North and South, Centre d’Économie Sociale 2000.
新しい社会的経済の出現
社会的経済が今のようなかたちになったのは、比較的最近のことである。1990年代はじめまで、伝統的な社会的経済組織、とくに協同組合は沈滞の一路をたどっていた。それには大きく分けて三つの原因がある。まず、会員制にもとづく協同組合などの伝統的な社会的経済組織は、投資規模の競争において営利企業と相対するには限界があった。次に、産業化にともなう労働需要の増加によって社会的経済組織の雇用規模および会員規模が急速に減少した。最後に、社会的経済の組織の自助的機能もまた福祉国家の急速な成長により大きく弱化した。福祉制度が発展するにしたがって、個々人は社会的経済組織に加入する必要性を感じなくなったのである。
しかし、1990年代半ば以降、産業構造の急激な変化と福祉国家の衰退は、各国の社会的経済組織に新たな成長機会を提供した。脱産業化の過程であらわれた雇用危機、福祉国家の後退にともなう公共サービスの民営化などによって、社会的経済組織がサービスを提供する機会が拡大したのである。そして、地域住民の雇用と生活の質を細かく観察することによって、新しい価値とサービスで武装した社会的経済組織は急速に成長することができた。じっさい、有機農食品、エコ産業、フェア・トレードなどの価値が急速に商品化されはじめるなかで、社会的経済組織の刷新が推し進められた側面がある。
「新しい社会的経済(Nouvelle Économie Sociale)」 この表現は伝統的な社会的経済の刷新された形を意味するものとして理解できる。これは連帯経済に限定されているというよりは、最近の多様な傾向を指すものとみなすべきであろう。は、それ以前の伝統的な社会的経済と幾つかの点で重要な違いをもつ。既存の社会的経済が民主的意思決定と収益配分の制限という運営方式を根幹に据えていたとすれば、新しい社会的経済は雇用創出と社会連帯という目的を重視している。 Jean-Louis Laville, l’Économie Solidaire, Desclée de Brouwer 1994; Jean-Louis Laville (sous la direction de), L’Insertion et Nouvelle Économie Sociale, Desclée de Brouwer 1998.そして、伝統的な社会的経済組織は会員中心の閉鎖的な構造だったが、新しい社会的経済組織は変化した経済社会環境において政府や他の市民社会の主体と協力する開放型の構造をもっている。この変化は社会的経済組織の外延を拡大し、規模を育てるのに大きく影響した。脆弱階層〔生活保護受給者、野宿者、子どものみの家庭など社会的保護が必要な人びと〕のための雇用創出と社会サービスの供給を担う各種組織が新しい社会的経済組織に含まれるようになったのである。
このような流れはヨーロッパ各国が2005年ごろに社会的企業を法制化したことと軌を一にしている。それまで社会的企業は社会的協同組合の別名のように受け止められているか、社会的協働組合と市民団体を含む社会的経済組織として認識されていた。しかし、一連の法制化過程を通じて社会的企業は協同組合とは異なる法的位相をもつ組織として位置づけられるまでになった。 魯大明「イタリアの社会的企業の政策的含意」『国際社会保障動向』2008年夏号。
アメリカにおける社会的企業の成長には、ヨーロッパとはまた異なる背景がある。アメリカの社会的企業はヨーロッパのように社会的経済の伝統を前提に刷新されたものが発展したのではなく、イギリスのように独自の法的地位をもつものでもない。それは1990年代半ばに政府の補助金中断によって非営利民間団体がそれぞれ目的とする事業を遂行するために「不可避に」収益事業をする過程で選択されたものである。 Alain Lipietz, Pour le Tiers Secteur: L’Économie sociale et solidaire, La Decouverte 2001; Jacques Defourny (2006), “From Third Sector to Social Enterprise: a European Perspective,” International Conferenceon Social Enterprise, Trento, 2001.12.12~14.
なぜ今、社会的経済なのか
最近、西欧諸国では社会的経済を標榜する多様な組織が生み出されており、これを土台に新しい経済社会パラダイムを模索する試みもまた具体化されている。そして、伝統的な協同組合や市民団体の限界を超えて「オープンなかたちで」経済活動に積極的に参加する様相を見せている。本稿で言わんとしている社会的経済組織もまたこのように経済活動を通じて地域社会に介入する組織を意味している。ただ、こういった組織は直接的な経済活動に参加しない広義の社会的経済組織に基盤を置いているという点で、両者を分けては考えられない。
とすれば、なぜ社会的経済なのか。その答えは次のように要約できる。「西欧諸国はずっと前から今のような豊かさを享受できなくなっており、今のような極度の不平等もまた経験できなかった。現在、ヨーロッパには数千万人の貧困層と疎外階層が存在している。したがって、これらの問題を解決するためには新しい目標に向かわねばならないだろう。とくに労働と所得に依存している現在の社会権を、そこから分離することのできる連帯経済という目標を志向せねばならないだろう」。 Jean-Paul Marechal, “Demain l’économie solidaire,” Le Monde Diplomatique, Dossier: Imaginer une autre societe, avril 1998.これは、社会的経済が雇用危機の時代に代案となる雇用を創出し、地域社会においてより堅固な社会的サポートの網を形成し、危機にさらされている社会権を強化することができるように政策決定過程に積極的に介入することを目標として誕生したことを意味する。
3.韓国の社会的経済の規模と特性
社会的経済の成長環境
今、韓国社会の経済社会パラダイムは「先に成長、後に福祉」モデルをもとにしている。高度成長期には経済成長のための投資に資源を集中させることで福祉政策に弱い「福祉なき成長モデル」だったとすれば、アジア経済危機後には脆弱階層の保護を強化する部分的修正がなされたのである。しかし、ここ10年間の経験に照らしてみれば、このパラダイムによっては開放された経済環境下で深まりを見せた雇用と分配の危機に対処するには限界があると判断される。これは、雇用不安の高まり、所得格差の拡大、基礎消費領域における剥奪の深まりなどの問題によく表れている。
こういった観点から、今、韓国社会が解決すべき問題は明らかである。「労働・所得・消費領域」で発生する剥奪と格差を解消せねばならないのである。しかし、この問題を解決するためには利害関係の衝突を超えて、強力な社会的合意を導き出さねばならない。そしてこれは、現在、韓国社会を支配している競争という価値を超えた新しい価値の誕生を必要とする。一言でいえば、政治が問題なのである。現在の不平等状態を持続させて危うい成長を続けるのか、連帯と分かち合いの精神に立脚した新しい発展モデルを構築するのかを選択せねばならないのである。
問題は、新しい発展モデルをつくりだそうという真摯な努力を見出しがたいという点である。それは、信頼に足る代案の不在がゆえというよりは、新しい代案を生み出しうる社会的領域の不足がゆえである。政党政治の後進性は市民の多様な欲求を収斂し政策化するには限界を見せており、市場勢力もまた市民が納得できる譲歩の姿勢を見せずにいる。同時に、官僚集団は開発独裁期の成長モデルへの経路依存性と硬直した組織文化によって市民の欲求を反映できないという限界がある。同じく、市民団体や労働団体もまた、市民の積極的な支持を引き出すことのできる代案を提示できずにいる。
したがって、現時点で考えうる重要な代案は、新しい価値を形成し、民主的手続きを通じてこれを現実化させることのできる土台を作ることである。それは、特定集団が主導するシナリオや政治的理念の問題ではない。市民の生活世界を中心に疎通空間を押し広げることから始めねばならず、その差異、地域社会を基盤とした新しい社会的経済を構築する努力を出発点にする必要がある。国家の役割は今なお重要だが、市民社会の強力な牽制機能にその答えを探ることができる。
社会的経済の雇用規模
社会における国家と市場に対する民主的統制は、市民社会の力量と密接に関連している。そして、市民社会の力量はそれが全社会で占めている経済規模または雇用規模をもとに推定できる。質的な側面も重要だが、市民社会内の疎通空間が量的にどれほど拡大しているのかを通じて、その領域を計ることができるためである。社会的経済部門の被雇用者およびボランティア従事者集団が大きいほど、これらが別の社会領域に及ぼす影響力も大きいと解釈できるのである。
韓国の場合、社会的経済の経済規模および雇用規模を把握することは非常に難しい。市民団体や協同組合など、特定の組織については算出できる資料があるが、社会的経済組織が経済全体に占める規模と影響力を確認できる総合的な研究成果がない。現状況で参照できるものに、国民経済計算の資料をもとに経済規模を推定し別途に雇用資料を活用して雇用規模を推定した結果がある。
この方法を活用した最近の研究結果によれば、2003年現在、非営利民間部門が総供給と需要に占める比率は0.9%、付加価値としては1.3%に過ぎないと推定される。そして、被雇用者数は約38万人で、被雇用者総数の3.2%と推定される。しかし、非営利民間部門の経済規模および雇用規模の変化をみると、2000年以降、持続的に増加する趨勢である。 金ヘウォンほか『第三セクター部門の雇用創出実証研究』韓国労働研究院、2008年そして、ボランティア従事者が非営利民間部門に及ぼす影響力は、被雇用者の2倍に達すると推定される。 韓国の非営利民間部門でボランティア従事者が投入した時間を被雇用者平均勤労時間に換算すると、ボランティア従事者は非営利民間部門の被雇用者総数の2倍に達することが確認された。魯大明ほか『保健福祉部門の第三セクターに関する研究』韓国保健社会研究院・経済人文社会研究会、2008年。
韓国の非営利民間部門の被雇用者規模は、ヨーロッパ各国の社会的経済部門の被雇用者の割合(6.4%)と比べると、約半分に過ぎないことがわかる。 Rafael Chaves & José Luis Monzón, The Social Economy in the European Union, CIRIEC & The European Economic and Social Committee (EESC) 2005.もちろん、非営利民間部門と社会的経済の雇用規模を直接比較することには限界がある。ただ、これを考慮しても、韓国の社会的経済の規模が外国に比べて相対的に小さいことは明らかである。
社会的経済の特性と潜在力
ここ数年間で韓国の社会的経済組織は急速に成長した。ヨーロッパに比べれば未だその規模は小さいが、潜在力の面では驚くほどの変化を見せているのである。その発展過程をみると、現在、韓国社会の社会的経済がいかなる状況に置かれているのか、どのように発展していくのかを予測することができる。その方向は、伝統的な社会的経済組織の弱化と新しい社会的経済組織の急速な成長として整理できよう。
伝統的な社会的経済組織は長期間の抑圧によって規模が縮小されたり、性格が変質した。社会的経済の代表組織といえる協同組合は、長い間市民社会に注目されずにいた。権威主義政権下では政治的抑圧を受け、民主化運動期には労働組合の陰に隠れてしまったのである。かつて協同組合は持続的な弾圧の対象であり、究極的には営利化の道を歩むことを強制された。その結果、現在、農協や信用協同組合は雇用規模や資産規模の面では非常に巨大化したが、その性格については営利金融機関と区別がつかないという状況である。
続いて1990年代には民主化に後押しされ、各種の非営利民間団体が急増する様相を見せた。これは外国に比べて低発展状態にとどまっていた市民社会の領域が拡張される時期だったことを意味する。法的位相としては財団法人や社団法人、福祉法人など多様な形態の民間団体が生み出され、活動領域もまた単なる親睦のレベルを超えて、教育、保健、福祉、文化、環境などへと多様化していった。これら非営利民間団体は、韓国の社会的経済の成長を可能にする重要な土壌を提供した。
最後に、このような条件のなかで新しい社会的経済組織の生成と発展に注目する必要がある。それはアジア経済危機後の貧困層の自立支援や連帯経済の構築に注目し、経済活動に積極的に介入した組織の増加を意味する。このような特性をもった組織は、1998年に制定された法律にもとづくもので、約180の生活協同組合、法的根拠がなく未だ10を超えられずにいる労働者協同組合、2000年以後に自活事業〔生活保護受給者などの自立を促す諸事業〕を通じて成立した約350の自活共同体、2006年に制定された「社会的企業育成法」によって設立された252の社会的企業 この数値は2009年7月現在で認可されている社会的企業に限られており、予備社会的企業は約900企業に達する。などである。こういった組織が成長できた理由は、市民団体の成長という土壌のほかにも、公的福祉支出の増加に見出せる。とくに自活共同体や社会的企業は、脆弱階層のための雇用提供事業及び保健福祉サービスの供給拡大を通じて可能だったといえる。 チャン・ウォンボン『社会的経済の理論と実際』ナヌメチプ、2006年; ハン・サンジン『市場と国家を超えて――社会的企業による自活の展望』蔚山大学校出版部、2005年。
ここで注目すべきは、新しい社会的経済組織が市民の多様な欲求と結びついてシナジー効果を醸し出した点である。ほとんどの社会的経済組織はさまざまな経済活動をおこないながら、倫理的価値と分かち合いを重視することで、新鮮な衝撃を投げかけている。持てる者というわけでもない人々が、自分よりも厳しい状況にある人のために分かち合いを実践し、収益が減少しようとも環境にやさしいという価値を守っている点が、強い伝播力を発揮しているのである。これは韓国社会が過去数十年間、忘れ去っていた分かち合いと連帯の価値が蘇りうるという可能性を意味する。
4.社会的経済の三つの効用
社会的経済は代案的経済活動を実践するという点で、現在の労働倫理を変化させる潜在力をもつ。また、脆弱階層に雇用とサービスを供給することによって雇用と生活の危機の克服をサポートし、地域社会の相互扶助ネットワークを強化することによって民主主義の伸長に寄与することができる。
雇用の危機の解決
韓国社会はすでに数年前から脱産業化過程に入っていた。これは、新しい産業部門で良質の雇用が創出できないかぎり、労働需要の減少に伴う衝撃を解消することが難しいということを意味する。一方では特定のサービス部門で低賃金・雇用不安階層が増加し、他方では零細自営業者が増加するという現象が現れている。この点で、良質の雇用創出は韓国社会のもっとも大きな政策懸案であるといえる。
そう考えると、社会的経済は雇用創出の方策としては非常に効果的である。まず、社会的経済組織の拡大は社会サービス部門の雇用増加と相乗しているという点で、今後の雇用創出の潜在力が非常に高い。これは、韓国社会の福祉拡張戦略が現金給与よりも現物とサービスの供給を優先的に拡大する蓋然性が高いという点からも確認できる。また、社会的経済組織は雇用誘発係数が高いという点で、投入費用に対する雇用創出効果が高い。第三セクターの雇用誘発係数は2003年現在、26.6人であり、政府部門の20.1人および民間営利部門の17.7人に比べて高い水準を見せており、 金ヘウォンほか、前掲書、80-83ページ。他の部門に比べて相対的に雇用創出効果が大きい。最後に、社会的経済の雇用は非熟練または低熟練労働者を対象にするという点で、雇用危機にさらされている脆弱階層への就業機会の提供に適切である。現在まで自活事業や社会的雇用事業が、労働市場から排除された失業者及び貧困層の女性家庭に就業機会を提供してきた点もこれを傍証している。
もちろん、雇用誘発係数が高いことは望ましいことばかりではない。逆説的に、該当部門の賃金がそれだけ低いということを意味するからである。しかし、社会的経済組織は営利企業に比べて、ひとつの大きな長所がある。発生した収益のうち、より多くの取り分を雇用主や投資者ではなく労働者に人件費として支給するという点であり、これは営利部門と同じ収益が発生したとしても、個別の労働者に支給される賃金を相対的に高く設定できるということを意味する。これは、保健福祉部門の社会的経済組織でよく見られることだ。 魯大明ほか、前掲書、199-200ページ。
地域社会の連帯という価値の広がり
社会的経済を活性化させねばならないもう一つの理由は、友愛の原則にのっとった地域社会ネットワークを構築する必要に探ることができる。これは、日常的消費にもとづいた疎通空間を作り、これを土台に社会的ネットワークを拡張していかねばならないことを意味する。ここで、社会的経済組織をつうじた消費空間の拡大がもつ意味は非常に大きい。それは疎通空間をつくるのみならず、別の社会サービスの消費を促進するべく機能するからである。ここ10年間、韓国社会で社会サービスを供給する社会的経済組織は、その底辺を拡大することが難しかった。これは、社会的経済組織が日常的消費空間を土台に底辺を拡大する必要性を物語っている。
そして、社会的経済組織は代案的生産や消費文化を広めていくという点で、地域社会を変化させうる強い潜在力をもっている。有機農産物を販売する生活協同組合は、地域社会の生産者と消費者をつなげ、新しい消費文化を根付かせる。文化部門の社会的企業は、地方の脆弱階層によりよい文化に接する機会を提供する。自活共同体や社会的企業は、支払い能力がなく消費に困難を感じている脆弱階層に無償または廉価で財貨やサービスを供給する。同時に、社会的経済組織は生産と流通そして販売過程で既存の自営業者と失業者を吸収しもする。これらすべての過程を通じて社会的経済組織は地域社会の平凡な消費者たちに分かち合いの文化を実践する機会を提供するのである。
韓国社会における市民意識の変化を、啓蒙主義的観点に依存することはもはや不可能である。市民団体が市民を教育することによって、ある価値を共有することを期待するならば、それは時代錯誤である。過去数年間韓国が経験したのは、市民が多様な領域で多様な問題を先導的に提起し、各種社会団体がそのあとについていくという事態である。とすれば、今必要なのは市民が生活世界を中心として疎通空間を拡大していくことによって、各種生活領域で新しい価値が共有されるよう促していくことである。これは労働問題、教育問題、住宅問題など各種の政策懸案に対して支配的価値を生み出すことになる。
ひとつの例からこの問題を考えることができる。最近、大型安売り店によって地域の小さな商店が深刻な経営難に直面している。この問題を見る視角は主に経済的利害関係の衝突に焦点があわせられている。しかし、別の観点から見れば、これは単純な利害関係の葛藤以上の問題である。地域社会で市民が行き交う疎通空間の解体に関連しているのである。したがって、このような空間を生産することはそれ自体として非常に重要な政治の問題である。今や韓国もヨーロッパの多くの自治団体がなぜ補助金を与えてまで村の隅々に小さなパン屋を維持しようとしているのか、考えてみる必要がある。 町内の商店のような日常的消費空間は住民たちの出会いと疎通の場所という意味をもつ。近所に商店がなく、週末に大型安売り店にくり出し商品を購入するならば、そこは単なる居住地または通り道に転落してしまう。
草の根政治の土台強化
社会的経済は民主主義の内実化のための草の根政治の土台強化という点でも必要である。市民とそれが組織化された市民団体は、民主主義を支える重要な土台である。もちろん、市民団体は政治的・理念的性格を帯びることもある。しかしそのことによって特定の政治集団と一体化せねばならないというわけではない。むしろ市民団体は政治集団との距離を置くことによって、批判的自律性を確保するところに存在理由がある。
問題は、韓国の市民団体が政治との関係において自律性を維持できないところにある。さらには一部の市民団体はそのような関係を通じて勢力の拡大を試みる傾向さえみせている。この点では、左も右も大きく異なるところはない。しかし、その結果、市民団体はアイデンティティの危機を迎えている。勢力拡大をなしたと考えた瞬間、その土台が急激に崩壊する様相を見せているのである。この結果をもたらした根本的な理由は、市民団体が地域的土台または生活世界を基盤とした具体的支持基盤の構築を怠ってきたという点と密接に関連している。もちろん、韓国社会で政策政党が成長できない理由は政治集団と資本家、そして市民団体のすべてにある。ただ、多少誇張するなら、その究極的な責任は民主主義のもとで批判的牽制機能を担うべき市民団体にあるといえる。
韓国の市民団体は1987年の民主化以降、急成長したが、地域社会を土台に市民にサービスを提供するよりは政治活動に傾注する姿を見せてきた。最近になって、生活世界に密着した活動を強化しているが、その基盤は未だ弱い。また、知名度の高い少数の人が運動をリードする慣行や、財政調達のやり方もまた問題点として指摘できる。市民の持続的な寄付ではなく、政府や特定企業の大規模財政支援に依存する構造もまた、市民団体の批判的役割にとって大きな負担として作用しているのである。
韓国は外国の政策政党をうらやましがるが、それを機能させる強力な市民社会について深く考えることはない。外国では、小規模の地域単位で多くの市民団体が活動しており、これらは徹底的に生活世界に密着している。そして、これらの団体は政治集団に対する強力な牽制勢力としての位置を確立している。このような状況で渡り鳥のような政治家や上につき従う政治家の生き残りは難しいだろう。しかし、韓国社会ではこのような市民団体が成長しうる土壌が非常に弱い。社会的経済組織を強化することによって、地域に基盤を置き住民の生活と密着して、サービス提供と擁護機能を有機的に結合する市民団体が成長できる土台を作らねばならないだろう。
5.社会的経済構築の条件
現在、韓国社会で社会的経済の構築は長期的・短期的に非常に重要な意味をもつ。しかしそこには幾つか片付けねばならない宿題がある。ここではこれに関連するいくつかの課題を提示していきたい。
社会的経済組織の開放型連帯
社会的経済を構築するためには「新しい社会的経済」または「連帯経済」の概念に賛同する多様な形態の組織を包括せねばならない。これまで韓国の市民団体は理念的に深刻な葛藤を経験してきており、戦略的に共同の目標を追求するにあたって多くの困難を経てきた。これは、社会的経済を構成する多様な組織にも同じく見受けられる。たとえば、社会的経済の範囲を特定の組織形態に限定し、残りの組織を排除しようとする傾向などである。
自活共同体と社会的企業そして協同組合はかなりの部分で同じような組織形態と運営方式を採っている。このような社会的経済組織が連帯し共同の事業を推進する際に、各組織の排他的姿勢は大きな躓きの石になるだろう。この点で、社会的経済の組織はもう少しオープンに運営されねばならない。多くの社会的経済組織には本質的に大きな差異はない。もちろん、かといっていかなる形態の組織であれ構わないというわけではない。社会的経済組織は、民主的意思決定、労働者中心の収益配分、脆弱階層の雇用拡大、地域社会との連帯という条件を備えていなければならない。
社会的経済の活動領域の拡大
去る数年間、韓国社会で社会的経済を成長へと導いたのは、社会サービスだった。これは、脆弱階層のための雇用提供と社会的寄与という側面で社会的経済組織にもっともふさわしい部門である。しかし社会サービスが社会的経済の唯一無二の活動領域だというわけではない、社会的経済組織は製造業と農業、卸売業と飲食店業、サービス業と娯楽文化産業など、ほとんどすべての分野で活動している。自活共同体や社会的企業の面々を見れば、これらの組織が非常に多様な領域で活発に動いていることがわかる。
そして、領域ごとに社会的経済組織が必要とされことには理由がある。音楽活動を例にすると、立ち遅れた地域に文化サービスを提供するためには、社会的経済組織が必要である。コーヒーを販売するにしても、それがフェア・トレードという倫理的価値を内包し、収益を社会に還元しようとするなら、社会的経済組織が適切であろう。同じく、コンピューターの再利用事業にしても、脆弱階層を雇用し環境にやさしい工程を経るがゆえの収益減少も気にしないことは、社会的経済組織といえる。
このように、社会的経済組織は社会のほとんどあらゆる部門で活動できる。しかし、現実には主に収益実現が困難で営利企業が目を向けない部門で活発に活動している。もちろん、社会的経済組織が営利企業との競争を避けてきたからでもある。とくに政府から人件費支援を受ける組織は、営利企業との競争に慎重にならざるをえない。それは、人件費支援を受けることによって市場でより低い価格で財貨やサービスを供給し、零細自営業者を攻撃する社会的ダンピングの危険性があるからである。しかし、政府の支援や恩恵がなくても市場経済を避ける理由はない。別の角度から見れば、社会的経済組織は競争を通じて新しい価値を広めることができ、市場で優位に立ちうるのである。そして、これらの組織は単に商品やサービスを売っているのではなく、価値を売っているという点で営利企業がもちえない競争力をもつものとして理解できる。 Bob Allan, “Social Enterprise through the eyes of the consumer,” National Consumer Council 2004.
社会的経済の財政基盤の醸成
過去数年間、韓国の社会的経済組織は政府財政に過度に依存する傾向を見せてきた。 魯大明「韓国の社会的経済の現況と課題」『市民社会とNGO』2007年下半期号。他の国々でも政府からの一定の支援を受けているのは事実だが、現在の韓国の社会的経済組織が見せる依存度は少し高いのではないか。もちろん、雇用を創出しサービスを提供する各種事業は大規模財源を必要とするし、個別組織があらゆる費用を賄うことは不可能である。この点で、政府支援は非常に重要だ。しかし、政府への行き過ぎた依存は、社会的経済組織が地域単位の自立的な事業を通じて住民に寄与し、これを土台に財源を確保する努力を怠らせたという側面がある。そして、一部では政府委託事業を団体の固有目的事業に必要な人件費の調達手段として活用するという問題も表れている。これは結果的に社会的経済組織の自立性を脅かすものである。
この点で、零細民〔低所得者、生活保護受給者など〕の自活をサポートする無担保少額ローン事業「マイクロクレジット」の役割を強調する必要がある。韓国社会のマイクロクレジットは成立初期に政府支援に依存せず、基金を醸成して事業を遂行することによって、高い成果をあげた。そしてこれは、政府にマイクロクレジットを育成させるための大きな影響力となった。非営利民間団体がまず社会的経済の成功例を見せたというわけだ。最近、政府が基金と運営費の支援を拡大したことにより、マイクロクレジットは量的に急速に成長している。しかし、規模は大きくなったものの基礎体力は落ちるという問題点も抱いている。政府財政に依存すればするほど、社会的経済組織としての自律性が弱まる傾向を見せているのである。韓国のように政権交代に伴う変動が激しい社会で、社会的経済組織はこのような危険性に大きくさらされているのである。
社会的経済組織は最低限の財政的自立性を備えているべきである。このために次の三つの次元で戦略を練らねばならない。一つは地域社会で最小限の運営経費を調達することであり、もう一つは社会的経済組織に持続的に資金を供給するマイクロクレジットを育成することである。最後に、社会的経済の領域を拡大することによって、独自に必要な財源を調達することができるシステムを構築することである。
6.おわりに
社会的経済は、先に言及した三つの理由から、韓国社会が直面している問題を解決する小さな代案になりうる。それは、一度に韓国社会総体を劇的に変化させるような大上段に立った言説ではない。しかし、韓国社会が経験した社会的経済という実験は、地域を土台に市民社会が変化する可能性を見せている。新しい雇用領域を創出し、変化した消費文化を構築し、民主主義の日常的な土台を強化する潜在力を秘めているのである。
もちろん、社会的経済を構築するためには認識の変化とそれに準ずる実践が必要である。社会的経済組織は市民に決められた価値と理念を注入する前に、これらがいかなる問題によって苦しめられており、何を求めているのかを理解することから出発すべきであろう。そして、断片的な欲求を超えて新しい生き方への根本的な欲求を穿鑿せねばならない。それは「労働→所得→支出」の悪循環を解体する方策と密接な関連をもつ。与えられた環境に埋没するのではなく、新しい代案を見つけることのできる環境を醸成せねばならない。それは今まで成長してきた社会的経済組織が市民の生活世界にもう少し歩み寄ってこそ可能である。
本稿では社会的経済組織が地域社会を土台に生産と消費をつなげ、その領域を拡張する戦略を提案した。そして、このためには社会的経済組織の趣旨に同意する多様な組織がともに動かねばならない点もまた強調した。非営利民間財団、市民団体、マイクロクレジット、生活協同組合、自活共同体、社会的企業など、多様な組織が消費領域を中心に社会的経済の拡張のために努力せねばならないのである。
政府支援を受けている民間団体は、今のままでいることが楽かもしれない。しかし、市民社会が望む新しい実験をするには事業指針の制約が大きく、事業に参与する貧困層に未来への希望を提示するのは難しい。なぜその事業に参加しているのか、再考すべき時である。生活協同組合は生活の質への関心を急激に成長させることに成功したが、環境にやさしい経営を主張する営利企業との競争では守りに入っている。もちろん、今は昔よりもはるかに良い状況ともいえる。そして、みずから営利企業のように投資拡大を通じて競争力を高めるというやり方も考慮できる。しかし、かつて西洋で協同組合が歩んできた道を振り返るなら、社会的経済の基盤を構築することは一層切実な問題であるはずだ。非営利民間財団もまた、寄付金の募金のためであれば短期的に広報に役立つ事業を展開することができる。各財団の設立趣旨に合った事業をおこなう市民社会団体を支援することなどがまさにそうである。福祉事業が募金に役立つためにそのような道を選択するのではなく、長期的観点から新しい領域を発掘する実験が必要である。マイクロクレジット機関もまた、政府支援が拡大される現状況に満足しているかもしれない。しかし個人創業支援がもつ限界にも注意すべきである。この点で、支援を受ける創業者たちはより安定した社会的ネットワークの形成に問題に関心を向けねばならない。それは、中長期的に代案的金融システムを構築することと密接に関連している。外部の寄付金によって資金を貸し付けるだけでは、そのようなシステムを確保することはできない。社会的経済組織に参与する人びとが出す小さなお金が集まって大きな基金を形成し、それが再び市民社会に投入されるような好循環構造をつくりださねばならない。
現在、各自が直面している利害関係の壁を超えることは簡単ではない。かといって、このまま生活世界が沈没し市民社会の基盤が弱まるのを横目にしているだけではいられない。新しい社会的経済を構築するための実験に、今こそ着手すべきであろう。
訳=金友子
季刊 創作と批評 2009年 秋号(通卷145号)
2009年9月1日 発行
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